U-JUST CAST第124回ということで今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
はい。久々でございますが、いくつかニュースがありまして、
もうちょっとGPT関連はあまりに多すぎるのでもう一旦やめます。
拾い続けてもキリがないなど、新しいものの登場で結構大きくゲームが変わる感じがするので、
細かくニュースをお伝えするよりは何か節目節目でちょっと振り返ったほうが多分いいかなという感じがしてますね。
とりあえずマイクロソフトのオフィスシリーズにチャットGPT的なものがついたら、
日本でも流行るでしょうという予想として言ってきます。
まあそうなるでしょうね、きっと。
Notionが普及して、Notion APIとかの本とかも出てる。
APIの本が出てるって結構すごいんですけど。
おそらくはこれまで使ってたドキュメントツールにAIが乗ってくるから、
みんな使いましょうっていう日本のビジネスシーンが容易に想像されますね。
やっぱりワードにそれがついたときにアウトライナーとの絡みというのが出てくるので、そこに注目をしております。
アウトラインを抽出してくださいという形で過剰書きになったものが出てきたりとか、
自分がアウトラインを立ててこのアウトラインで何か問題ありませんかみたいなことに普通にナチュラルに使えるでしょうし、
企画案を考えても大体アウトラインのコストみたいなのを出してくるのは彼らは非常に得意なので。
おそらくですけど、彼らが作ってくるアウトラインっていうのが、
僕らが一番最初に作る目次案と一緒なんですよ、きっと。
そうです。そうだと思います。
その中で、いわゆるアウトラインプロセッシングの能力があるとより使えるようになるし、
よりAIを活かせるようにアウトライナーを使うという視点が出てくるんじゃないかなと。
そういうふうに見たら、やっぱり面白いですね。
便利不便とか著作権云々観音の問題があるにしても、
新しい情報との付き合い方が生まれてたらなという感じがしますね。
そうです。と思います。
たぶんワードにつくと、アウトラインが設定された状態の見出しでもし出力してくるとすると、
多くの人にアウトライン機能が認識される機会があるんじゃないかなという気もするし、
逆にAIの出力するみたいなやつになっちゃう可能性もあるし、その辺もどうなるのかなと思っております。
だからそのデジタル仕事術withAIみたいな観点がたぶん今後出てくるでしょうし、
知的生産の技術って言ったときに、そこまで深刻にそれを必要としてる人は多分いないというか、
そのキーワードに自分の仕事が結びつく感じはたぶん少ないでしょうけど、
マイクロソフトオフィスについたらもっと切実になるでしょうし、
そこで必要とされるのはやっぱり知的生産の技術なわけで、
再発掘されるっていう流れもあるかもしれませんね。
やっぱり知的生産の技術っていうときに、今までは「いや、俺そんな文章、情報も書かないから」って、
十数年前はみんな言ってましたけど、
今みんなプレゼンのスライド作るじゃないですか。
あれってやっぱりリニアな語りのアウトラインを作ることなので、
プレゼンってどう並べるかがとても重要になるわけで、
たぶんアウトライナーに代表されるその手の技術の必要性って以前よりも、
例えば会社とかでも、ホワイトカラーの仕事の現場でも、
実感しやすくなっているのではないかと想像しますけどね。
これ結構つまらないことになっていくんじゃないかなと、
個人的には思ってます。
まあそうですよね。
あとメモ代わりにTwitterを使うっていう、
Twitterと、この言葉をそんなに積極的に使いたくないですけど、
その知的生産的なことと接続されて、使っていた人たちもそれができなくなる。
ある意味では。
だから僕もとりあえずツイートしておけば、
それがTwitterに登録して自分のエヴァーノートになる。
自らのストックあるいはアーカイブとしてなると。
もちろんウェブはウェブでありますけども、
その検索力とか他の情報と組み合わせで保存するみたいなことを考えたときに、
そのマイライブラリに入っているありがたさとか利便性みたいなのがあって、
特にそのエヴァーノートとTwitterが仮にある人全員使えなくなっても、
エヴァーノートに自分の過去のログがツイートが残ってるから安心ですよねっていう、
その二重の保存体制やったのが、
単独になる上にTwitterで検索しないといけないと。
Twitterでも一応自分のツイートだけを検索することはできるんですけど、
知らない人向けに言うと、
検索しで「From コロンハンドルネーム」をポケタラシタに入れた後にキーワードすると、
その僕のツイートだけでキーワードを抽出はできるんですが、
全部拾ってるのかがよくわからないですし、
お世辞にも使いやすいとは言えないんで、
ツイートをメモ代わりにはしづらくなりつつあると。
一応マストドンという、大体ではないけど別のSNSがありまして、
マストドンはAPIを基本的には公開されてるというか、
その大元の人がAPI使っていいですよっていう設定にしてて、
そこに参加してるんやったらAPIは制限数あるものを使えて、
そのAPIはツイートの取得、
ツイートというか、トゥーとかの取得は一応できるんですね。
で、しかもライブラリがあるんで、
バイソンとかを使えば20行ぐらいで自分のツイートを保存するっていうことはできて、
それを例えば1日1回動かせば、ツイートはできることは一応できます。
で、それもいわゆる地元のチャットGPDを使えば、
コードがほとんど書けない人でも、それっぽいことは多分できると思うんですよ。
で、自分のパソコンでやってもいいですし、レンタルサーバーにプログラム置いてもいいですし、
今やったら、GAS、Googleアプリケーションスクリプトって言って、
Googleドライブにスクリプト置いといて、それを定期的に実行させることで、
ツイーエーバーっぽいことはできるんですけど、
ここまで行くとね、ライフハックというよりもプログラミングの領域になってきて、
明日からみんなやりましょうみたいな、お気軽お手軽なライフハック感っていうのが薄れていって、
いわゆるコンピューターオタクな人たち向けのテクニックになってしまうし、
今後やっぱりそういうのがどんどん進んでいくんだろうなというところ。
自分で何かコードが書ける人やったら、そこにあるものは利用できるけども、
そうでない場合は難しいみたいなところがどんどん出てくるでしょうね。
でしょうね。
だからサービスとして成り立たせるために、
ある程度API制限するっていうのは合理的ではありますけども、
ユーザーがどれほど変わっていくのか、
あるいは色マスクが求めてるユーザーではないかもしれないよね、僕らみたいな人たちが。
そうだでしょ。求めてないんですよ。
だとしたら僕らはどこに行けばいいのかっていう問題がいかって、
さっき言ったマストドマンと一つの選択だと思うんですよ。
比較的使いやすいツールになってますが、
全員が一つのサーバーにいるわけではないので、
サーバー違いによって人がなかなか見つからないということはおそらくあるでしょう。
だからTwitterでもフォローしてる人によって見てるタイムラインは違うっていう問題はありますけど、
それによりもっとディープな分断というか、人によって見てるものが違うっていう、
参加してるマストドマンのありによって、
マストドマンってあれですよねっていう話が通じにくくなるというところはきっとあると思います。
そうでしょうね。
もちろんいらないイサガイも生んでましたけど、その反面意外なつながりとかも生んでたと思うんですけど、
みんながTwitterから別のプラットフォンに行くと、おそらくそれもなくなっていくでしょうね。
そうでしょうね。
これは一企業の運営奉仕の話なんで倫理観で語られるものではないんですが、
ちょっと物悲しさを感じますね。
やっぱり、永遠に続くものはないんだなという当たり前のことを思わされますよね。
なくなんないような気がしましたね。
Twitterなくなったわけじゃないですけど。
でもある一定量参加者が動いてしまったら、もうそれなくなったに等しい。
そこにあった魅力はなくなったに等しいと言えると思うんで。
でもそれは酒。今からどうこうしてももうどうしようもない。
マスクさんが変わったところでという感じはしますからね。
これももうどうしようもない。
マストゾーンに移るか、ディスコードとかスラックみたいな興味がある人たちの集まりのニュースグループに入るかっていう方向に、
多分動いていきますし、それで平和は多分今よりは維持されちゃう。心の平穏さっていうのは多分維持されますけど、
その反面、自分をディスターブするようなものとの出会いっていうのがどんどんなくなってくる。
閉じこもるインターネットが加速するという感じですね。
たくさんやってると思うんですけど、Twitterで自分の興味あるキーワードを検索したりするじゃないですか。
たくさんたぶんアウトライナーとかで検索して、記事とか人を見つけたりするわけじゃないですか。
それがほぼなくなってくるわけですよ、要するに。
そこにいる人は初めからみんな知ってる人みたいなグループに入ると、
自分の窓を開けるような検索とかって、Googleも最近安定にならないんで、これどうしたもんかなっていう。
今は、今日はしたらそれで困ることはないけど、5年後の人間関係とか情報系に、
今と全然変わってない可能性があるわけですよね、これ。どういうのかなくなると。
まあ、そうですよね。
全く違うものが出てこない限りは。
でももう何年も前から広がらなくなってきたという感覚はずっと思ってたので、
まあその終着点なのかなっていう気もしますね。
この5、6年ですかね。
以前と同じ声の大きさで叫んでも、届く範囲がどんどん狭くなってくるみたいな。
あと探しに行っても、以前3日出会えたものにぶつからなくなったというか。
たぶんなんかあるんだろうとは思うんだけど、当たらないみたいな感じも、
何年も前から増えてましたし。
その意味では、まったく別のものを求めるいい機会なのかもしれないですね、このタイミングは。
どう変わっていけばいいのかは全然わからないんですけども。
今後どうなるかはわからないですけど、ある日突然みんながTwitterを使っているというようなことは。
僕はそんなことはないだろうと思ってたんですけど、突然Twitterウェブのアイコンが芝犬になってるのを見て、これはあり得るなと思ってたんですけど。
あれはとどめかもしれないと思いますよね。
こんなことが起こるんや、本当にびっくりしてしまったんで。だから油断しないほうがいいですね。
でもあれ、別に僕そういうことに詳しい人間じゃないですけど、でもやっぱブランドってものがありますよね。
本題というか、これもニュースの続きなんですけど、Rstyleに続いて、Rstyleとは別に考えていたNarragi Walkersというサイトを4月に私がオープンしましたという話で。
システム自体がRstyleと一緒で、テキストボックスを使っている、動的なんか静的なんかがわからないサイトなんですね。
ブログじゃなくてサイトにしたいなという思いが結構前からありまして。
いろいろブログを作ってくれる静的サイト、ジェネレーターとかを検討はしてたんですけど、最終的にはテキストボックスになって、
Rstyleの方は一応ブログの記事順とかは残している感じ、時系列で並んでいるんですけども、Narragi Walkersの方はそうはなってないと。
いわゆるサイト、ウェブサイトの形になってます。
さっきのTwitterが停滞してたような漢字問題とも通じるんですけど、ブログある年数を超えてから、ブログにどれだけ書いても手応えがないというか、
読んでもらってもらってないもありますし、それ以上に自分の中で何かが進んでいる感じがあまりなかったんですよね。
記事数は確かに増えてるし、日々考えてることは生まれてるけども、単的に言うと知的な成長というか、レベルの変容みたいなのが起きてなかったなと。
それが何が原因なのかは全然わかってなかったんですけど、ずっとブログを書くことにモヤモヤがありまして、
去年の1月から12月かけて仕事なので、1年かけて100冊の本を紹介するという連載をやったんですけど、
あれやり終えたときに結構ガシッと手応えがあったんですね。自分が何かやったっていう感じがあって。
それはやっぱり、一つのテーマで100個の記事、しかもその100個書いただけじゃなくて、ちゃんと順番に並べたんですね。1から100まで。
あれ別に適当に並んでるわけじゃなくて、一応ちゃんとした考えがあって並んでるわけですね。
そういう作業は今までほとんどしてこなかったなと。その日書きたいことをただ書くっていうことだけしかしてなかった。つまり発散しかしてなかったなという思いがあって、
それとは違う形でWebっていうのをもう一回作っていこうと思って、ナレッジウォーカーズというウェブサイトに至ったわけなんですけども、
以前から情報整理ツールで、僕はテンポラリーリストっていう言い方をしてまして、検索結果とかっていうのはテンポラリーリストですけど、
アウトライナーとかっていうのは固定的なフィックスされたリストだと。だから同じリストって言っても性質が違いますよねって話をたびたびしてたんですが、
ワードプレスってテンポラリーリストなわけですよ。要するに、ただ順列として並んでいるだけ。自分の内側の情報を扱うものとして、
例えばエヴァノートのようなテンポラリーリストとワークフローリーのような普通のリスト、固定的なリストっていうのを2つ使っているのにも関わらずですよ。
アウトプットの方向はテンポラリーリストのものしかなかったんですね。この4小言の片方が欠けてることに気がついたんですよ。
順番に並べるタイプのアウトプットっていうのはほとんどやってこなかった。ブログ以降。Twitterもそうじゃないですか。ここなんじゃないかなという仮説というか思い込みというかで、今このサイトを始めているところなんですよ。
ブログを更新するというと、1つのサイトを作っていくっていうイメージ。その差って少なからずあるよなっていうのが、この段階での印象ですね。
これが、例えばブログで日々ネタを出して、ネタを書いていって、それを1つの大きいものを作るっていうと、それを倉庫さんだったら本にするというものがあるわけじゃないですか。
それとやっぱり違うわけですよね、このサイトを作るっていうのは。
似てる部分もありますけど、全く同じとは言えないですね。
あえて昔ながらのサイトを作ろうと、例えば本を書くという方法ではなく、そっちの方法を取ろうとしたっていうのはどういう思いみたいなものがあるんですか。
だから最終的にどうなるかわからんけど、こういうことを書いていこうというものが並んでる。そういうものを、自分のボクロミズというものがあって、
それを作っていくってないですけど、育てていくと言い換えてもいいと思うんですけど、例えばこういうのをワークフローリーに、
これツリー型になってるからワークフローリーに置くこともできるわけですけどね。それをそうやって書いて、そこをワークフローリーの中を育てていけるかというと、いかないんです。これまでの経験から言うと。
なぜなら見ないからなんです。なぜ見ないかというと、他に見るものがあるからですね、要するに。
ということの原稿とかの優先度が高くて、結局アウトラインナーに入れたとしても上の方にはいかないし、上の方に置いたとしても結局見ないと。
でもこれウェブサイトとしてインプロセスにすると、自分の仕事の一部になるわけですね。そうすると見る機会も増えて、見る機会が増えると書き足すことも増えていくというループが回っていくだろうと。
だから自分の内側で育ててから出すというやり方は、他にやることがなければ多分回るんですけど、そう他にやることがあって、仕事の競合というのが起こってしまうんで、
だったらもうちょっとアウトプットを出すという形にした方がより良いだろうと、見やすいだろうという思いもあります。
だから本の場合は完成されたものをポンと出すけど、こっちは作りながらやっていくと。しかも完成してから出すんじゃなくて、出しながらやることで自分のモチベーションにもなると。
本とのもう一つの違いは、例えばこの雑多さが記事さえ、本はやっぱワンテーマでまとめるべきなものですけど、
一応ナレッジウォーカーズという、ウォーカーズのお題目の中であれば、大体何言っても不自然ではないというか、成り立っちゃうところがあって、
だから包括的にテーマを扱えるという雑多と、もう一個はタスク管理の情報を探しに来た人に知的精査の技術にアクセスできるような総合的ウェブサイトとしての位置づけを持たせることがある。
これを本でやると思ったら大百科事件が見つかるわけで。それはさすがに厳しいっていうことを考えると、
役割とか性質とか自分の仕事の中の位置づけがやっぱり本作りとは違うなという印象ですね。
まさに昔のウェブサイトですよね。昔の個人サイトですよね。
そのままのやつを、更新、ウェブサイトの形を昔のリンクの貼り方は面倒くさかったんで、いわゆるウィキリンクのシステムを使ってると。
だから、ウィキのシステム+性的昔のサイト割るに、みたいな感じですね。
そういうもので、固定的なもので順番を置いて自分の考えを日々断片的に作りつつも、全体として大きなピースになっていくっていうものが、
今多分自分が求めてやりたいこと。今までの知的活動の中では欠けてたものだし、
それこそ本当に10年、20年前の昔のウェブ的なものの良さっていうのを戻したいなっていう、
ある種のネサンスみたいな大げさに言うとそういう感じが、一応頭の中でもありますね。
なるほど。だからやっぱこれサイトマップじゃなくてアウトラインなんですね。
動的なアウトラインってことですね。
ここを起点として思いついたことを書き足していって、それがどう変わるのかを見ていきたい。
当然機能としてはサイトマップになりますけど、
ページになったらリンクになっていてアクセスはできますけど、
これがこのサイトの全体の構造というものではなく、そもそも構造はないので、
リンクしかないので、基本的には。ここにつらんでくるページはすべて一つのフォルダの中に入っているファイルなので、
リンクしかないんですけど、リンクを支える構造をここのインデックスのページで出しているというだけですね。
これ例えばこのタクソノミの中のこの部分を埋めようって例えば考えるときって、
どうなんでしょうね。これを見てて、例えばこの地と遊ぶシェイクっていうところを、
今日はここを書こうみたいな感じなのか、
それとも、その日書きたいことを書いて、これはここに入るんじゃないかってはめていくとかそういう。
その校舎ですね。
一応こういう日々の断片を埋めるのと、もう一個は連載を書こうというイメージがありまして、
入門講座みたいな、まだ一個も書いてないですけど、
今日はこれを書こうって言って、1週間に1回くらいのペースで記事をちょっとずつ書いていくっていうやり方を今のところは考えています。
つまり仕事でやってたようなことをこっちでやろうかなと。
仕事のものも結局あれ、20年くらい書いてたんですけど、もう自分でも何書いたかわかりませんし。
例えば仕事に行っていただいて、R25の知的生産というカテゴリーか、僕の名前で記事をクリックしてもらったら、
テンポラリーな人が出てくるんですけど、そのページどんだけ頑張っても20記事くらいですよね。
1年で50人書いたとしては、520記事くらいはあるわけですよね。
400以上、500近い記事って僕の目には入らないし、書いた人の目にも入らないわけですね。
自分が何を書いたかの構造が目に入ってこないわけですよ。
そこに空虚さがどうしてもあるんですよ。
それはワードプレスのシステム上、もう仕方がないですけど、
例えば自分がリストにしたいものをリンクにして並べれば、こっちのページでは一覧できるんですよ。
数があまりにもやったら、ページの大臣のページを作って、2クリックしてもらったら下の階層を見れるということぐらいにはできるので、
だから自分が書いたことを一覧してその後位置付けるかな、
ということを日常の中でやりたかったっていうのがあって、この仕事案の書いた記事から厳選したものを本にしようという計画はあるんですけど、
だからさっき言ったように、そうなると他の仕事とバッティングしてしまって、あんまりなされない。
だから、むしろ書いたもののリンクをまず並べて、自分の中でこれは例えば読書カテゴリーに入れてもいいなみたいな風にして配置していくのが、
ナチュラルに作業を進められそうなイメージはありますね。
なるほど。
うまくいくかどうかはわかりませんけど、個人的にこういうのは楽しいですね。
こういうのを作っていくのは。
楽しいですね。
ほぼそれで全てじゃないかなという気がするんですけど、やっぱり格好記事にアクセスできないことによって、
入門者というか今年その話題に興味を持った人に対して、Rスタイルみたいなブログが提供できるものが非常に限定的だなとは思っていたので、
何から読めばいいのかがわからないですね、最新の記事しか読むいどころがないというか。
もちろん長い年読んでたユーザーはコンテキストを共有してるからそれは全然問題なんですけど、
逆にそれがブログというもののあり方の限界ということになってしまうんで、
入口となるページとそこから生まれる動線で初めて読む人をイメージして記事を書いていくという書き方みたいなものを、
もう一回やっていきたい。
これまでやってきたんかもちょっと怪しいですけどね。
確かにその本とブログの中間にあるものがないんですよね。
僕が以前個人サイトを作っていたときに、
あそこに最初のアウトラインプロセッシング入門の原型になる構造を持ったコンテンツがあったんですけど、
あれがなくなってから、まさにさっき倉下さんが言ってたとおり、最近アウトライナーに興味を持った人が僕の書いたものを読んでくれたいと思ったとしても、
今表に出てるものってそれこそコンテキストを共有してくれてる人のためのものしかないんですよね。
一番基礎的な部分から順を追って説明したものがないというかあるんだけど、そこに到達できないんですよね。
だからその本、その人たちが本を買っていただけるのであればそれは一番嬉しいですけど、
そもそもその判断をする根拠となる、この卓という男は何を書いているのかというのを、
うかがい知るまとまったものがなくなっちゃってて、非常にそのことに何年も前から課題を感じていたんですけど、
そのノートで連載をやって、その基礎部分だけ無料にしてみるとか色々あるんですけど、
やっぱりこのサイトがあって、ある種の構造を持って提示されているけれども、
変更変化もするっていうのが一番自然な気がするんですよね、インターネットというものの。
まさに昔のHTMLはそんなふうに作られてたわけですよね。とりあえずインデックス、HTMLを作って、あとページ作りたくなったらページ作って、そこでリンクを貼るっていう。
トップ画面から情報の構造っていうのは提示されてるけど、作る側はその構造を無視してフラットに作っていけるっていうのが、
ウェブであり、パソコンのファイル処理も大体そういうふうになってるわけですからね。
非常に一番当たり前だったはずのものがなくなっちゃってるんでしょうね、いつの間にか。
そうですね、基本的には。だから、細かいコンテンツを簡単に追加できるとかはもちろんできるんですけど、
トップレベルの構造を作るっていう機会が与えられてないというか、
一つのプラットフォームとかツールの中での構造を維持くれましょうっていうのはもちろんあるんですけど、
その大きな枠組みが作れない。例えばトップページはAのパターンとBのパターンから選びますよみたいなことができるにしても、
パターンCを自分で作るみたいなことができるにしても相当技術力がないと難しいっていう状況になってて、
それが言いか悪いかでは言えないんですけど、
トレードオフとして手に入っている技能みたいなんて別にいらないなと。
ワードフレスってめっちゃ便利で機能はあるんですけど、でも例えば自分が使っている時に見ても多分2%ぐらいしか使ってないですよ、ワードフレスの機能。
そのトレードオフとしてサイトの重さがあったりとか、PHPの管理が必要だったりとかって、
わりに合ってないよなって思うんですよ。
まあそういう個人サイト的なものをワードフレスで作れるけれども、
こんなに苦労して作らなきゃいけないようなものなのかっていう、
大げさ、まあ要するに企業サイトみたいなものまで対応できるようになってるからとそうなんでしょうけど、
だからこれは多分ちょっと考え方が古いかもしれないですけど、
僕としては例えば、例えばですけど、
例えばワードというものが、ワードフレスじゃなくてワードね、アナゴドスのワード。
で、アウトライン機能を使って例えば書くじゃないですか、例えば。
それが4段階ぐらいの見出し構造を持っていたときに、
それをスタイルシートと組み合わせて、こう綺麗に紙のドキュメントとかPDFにすることはワードはできるんですよね。
あれがなんでウェブにパブリッシュするっていうと、
トップページに見出し構造がインデックス化されて、
リンク先としてここのページが生成されるみたいなことにならなかったのか。
そうですね、確かに。
ある種ワイナーさんがやろうとしていたことの一部はそういうものだったと思うんですけど、
アウトラインを作るとそれが構造を持ったウェブサイトに変換されるっていう。
確かに個々の人がある程度プログラミングとか、
それこそだからそのTHTPをいじろうともいじれるとか、
ちょっとパイソンかけるみたいなことができるのがもちろん理想ですけど、
やっぱり普通の会社員が全員それができる。
能力的にはあってもその余力を持てるのは思えないので。
もっと一般的なありふれた通常でなんでそれができないのかって、
ついユーザーとしては思ってしまうところがあるんですよね。
そういうシンプルなものは利益にならないからなんでしょうけども。
そういうものがあるといいですよね。
確かに知識ゼロでみたいな話にはできませんけど、どこかレンダルサーバーをレンダルして、
FPSソフトとかを使ってファイルをアップロードできるとか、昔の人たちは一応それぐらいは自分でやってましたからね。
90年代に簡単なHTMLを手打ちして、FTPでやってましたね。
コンピューターオタクというよりちょっとアーリアダプターぐらいの人たちもそれぐらいのことはやってたわけですから、そんな無理難題ではないし、
ワードプレスを理解するよりは遥かに簡単やと。
やっぱり経年するともっと難しく複雑になっていくっていうのがこの界隈の最大の問題ですね。
やっぱり、CSSがマストになったところからちょっと変わったんでしょうね。
だからあれ、ちゃんとしたウェブサイトが素人に作れるものじゃなくなったのって、
感覚としては2003年、2004年ぐらいの感じがするんですけど。
そうですね。しかもブログシステムが出たことによって、別に勉強しなくてもいいかっていうムードに入りましたから。
完全に理解しなくてもいいけど、ある程度の知識みたいなのを持っていても損はないですし。
その簡単な知識を得ることによって、より難しくややこしいツールを触らなくてもいい。
昔はワードプレスでブログを始めますって導入の仕方を教えますみたいな仕事もありましたからね。
ワードプレスのお手軽さをすごい台無しにしてるんじゃないかなと思ってたんですけども。
全然わからないですが、一応自分としてはこういう形で、ちょっとずつ作っていくサイト。
サイトを作っていくっていうことをやっていきたいなと。
で一応Rstyleをこの前紹介した時にブラウザのモドルボタンが使えないって言ってましたけど、ナレッジウォーカーはちゃんとモドルボタンが使えるようにアップデートされてますんで。
機能を書き換えたので。こういう風に問題が起きたらコードを書き換えるぐらいで多分大抵のもののことはいいので。
一応そういう風に使いやすいサイトにもできますし、Rstyleを使いにくいまま使うこともできますが。
やっぱりそこが面白いんですよね。だからページ全体を自分が作ってる感じがあるんですね。どういう機能を与えるかっていうことを含めて。
さっきちゃんとモドルボタンが機能してると思いながら見てました。
ちゃんとこれもググりながら作りましたけども。
そのアイデアさえ思いつけば実装は誰かに効くなり、チャットGPTに効くなりググればできるものなのに。どういう利用の仕方がデジタルコンピューティングだろうなという。
やっぱりそこの根本となるアイデアが重要というかコアになる。
結局どう相談してもテキストボックスというサイトシステムがチャットGPTから出てくるとは思えないんで。
そういうものを大切にしたいなというのはありますけど、ひらめきというか思いつき。自分のニーズから出てくる何かって感じかな。
ちなみにノレッジウォーカーってノレッジワーカーとかかってるんですか?
一応。どっちでも良かったというか、本当は地で働く人という感じにしたかったというか、最初は思いついたんですけど。
マルゼンさんのサイトで複数系がないノレッジウォーカーがあったので、それはもう被らないようにしとこうと思って。
ワーカーにすると関西ウォーカーとかのウォーカーにかかってしまうので複数系にしたという流れで。
名前を付けてから考えたんですけど、むしろこっちの方が自分に合ってるなという。
自分がやろうとしている、いや、違うんだ。自分のいわゆる知的な生活を振り返ると、こう渡ってきたなっていう。
アロクというより渡ってきたなっていう感じがあって、まさにぴったりな名前になったんじゃないかなという感じですね。
一応知識労働者向けのサイトになったらいいなと思ってて。
でもライフハック内容はデジタル仕事術っていうものが話題してたのは確かに知識労働の核みたいな話が、
全部じゃないですけど、ありましたよね。
その辺も結構90年代初頭ぐらいの方がむしろそういう対象はありますね。
うーん、そうか。
僕はあんまり会社募集したことないからわかるんですけど、
会社員でホワイトワーカーって呼ばれる人たちは何をしてるんでしょうね。
なんかですね、値回しとかしてるじゃないですか。
まあでも日本の企業場合はそうなりますか。
そっちの方が重要ですかね。
まあね、もちろんそれだけじゃないですけど。
でもやっぱり知的労働、知的作業をするためにどうやり方を考えたり、環境を作るかっていう視点は、
あまり僕がその男性化を見てきた中には見られなかったような気がしますね。
ある、これでも僕が前職、まあ前職ってもうだいぶ前なんであれですけど、
勤めていた会社の親会社の某広告代理店なんですけど、
あそこの巨大な本社のビルがあって、そこができたときに、2000年ちょっと過ぎぐらいに経ったときに、
あろうことか知的生産工場と名を打ったんですよね。
工場っていうのはファクトリーってことですか?
ファクトリー。
はいはいはいはいはい。
このビルは、今後100年続く知的生産工場であるみたいなことを名打ってたんですけど、
知的生産とは何かっていうことを、深く考えた形跡は正直あんまり見えなかったんですよね。
いや、まさに本業のキャッチコピー作るのはお前になと思いながら聞いてるんですけど。
ついエヴァの音批判みたいなことをよく言っちゃうんですけど、やっぱあれも、記憶するものから仕事そのものへとシフトしようとした時期に、
やっぱりその、ああいう慣れちワーカーの仕事というのは何かっていうのを考えたように見えなかったんですよね。
そうですね、それはわかります。
例えば企業にしても知的生産とか知的生産性って言いますけど、
知的生産性ってなんだって本当に考えているように見えるものがあんまりない。
僕なんか偉そうに言うことではないんですが、でももうちょっと考えてもいいんじゃないかと思いますよね。
そうですよね。
日本とか世界にある産業の中で広告業ほど知的生産のものはないはずなんですよね。
なぜなら彼らは自分で何も作らないわけじゃないですか。
コンテンツしか作れないっていうか、何かものがあって、メタ情報としてコンテンツを作るっていうやり方で、純知的生産なわけですよね。
やっぱりアイデア発想法っていうのは広告業の人が書いてることが多いのは必然というか、そうならざる得ないとは思うんですけど、
その業態にあってすらそういうレベルなんだとしたら、そうじゃないところは押して知るべしみたいなところですね。
そうですよね。もちろん会社には本当にすごい個人がたくさんいるんですよ。
ものすごい人がいるんですよね。
だけどやっぱり会社として、個人に頼るんじゃなくて、
会社全体として知的生産とは何かっていうことは、やっぱりあんまり考えられてないように見えましたね。
まあね、この辺がたぶん日本企業が今ぶつかっている一つの問題なのかもしれないですが、
知的生産をするっていうと、ごく簡単に言うと、独自のアイデアを出すことが必要じゃないですか。
他の人と違うアイデアを。
それは日本の村社会文化とものすごく衝突するんですよね、結局。
違うことを言わなあかんわけですから、他の人とは。
だから、根本的なところから考え直さないと、知的生産性ってたぶん上がらなくて、単純生産性は上がるけど、
コピー商品が大量に生まれてるようなもので、それは知的生産性ではないだろうなとは思うんですけど。
他と違うことを言う人がいるとか、反対意見を述べるとか、
根回しがなくてもアイデアを評価するみたいな、
土壌がないと、発想法を勉強しましょうという話ではないんですよね、結局。
それも一部ではあるかもしれないんですけど、そのものではないですよね、きっと。
だから、おそらく、いわゆる、ちゃんとって言わせてくれと、