00:01
というわけで、うちあわせCast第35回ということで、
今回もゲストにたくさんお迎えしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速、冒頭のライフハックニュースなんですけども。
適当にコーナー…。
あ、そうだった。
適当にコーナーをやったけど。
つい最近、ローモリサーチっていうウェブサービスが、
今までベータ版で無料で使えてたんですけども、
料金プランが発表されたということで、
年払いで、1ヶ月15ドルかな。
1ヶ月15ドルって、たぶんこの辺のサービスで一番高いと僕は思うんですけども、
これかなり強気な値付きですよね。
強気ですね。
ダイナリストってあれ月額どのくらいでしたっけ?半分くらいですよね、それでも。
あれは月額っていうか、あれは年…。
年シェアレーカー。
年だから月額にするともっとずっと安いような気がしましたね。
忘れちゃったのかな。
そこはちゃんとスクラップボックスを見れば出てくるんですけど。
7.99とか書いてますね、月当たり。
8ドルぐらいですね、値段。
それからするとやっぱり倍とは言わんけど倍近く。
イメージ1300円ぐらいって感じですかね。
ぐらいですよね。
なかなかですね。
率直に言って、たとえばたくさんがローマリサーチを使うとしてその値段ってどうですか。
ちょっと高いですか、やっぱり。
その値段を出してもいいかどうかの結論が出るまで使ってみないとわからないですが、
その結論が出る前の印象としては高いですよね、やっぱり。
アンパそうですよね。
難しいところでね、僕は年齢的に昔エクセルが十二、三万ぐらいしたような時代の人間なので、
そう考えればあれなんですけど、
本一冊、ちゃんとした本が一冊買えちゃう値段が毎月かかるって考えると難しい。
でも本一冊の値段で1ヶ月使えると思えば安いような気もするし。
でもゴリゴリに使うことが前提ですよね、やっぱりそうなると。
たぶんゴリゴリに使ってはまれば決して高くはないかもしれないですね。
一応ね、5年一冊で支払うと8ドルぐらいなんですよ、月当たり。
そうするとダイナリストと同じぐらいになると。
同じぐらいなんですよね。それはわかるんですよ。
でももう5年間ロームリサーチ使ったら、たぶん抜けられなくなりますよね、きっと。
まあね、抜けられなくなるかもしれないし、それ以前にもっとすごいものが出てるかもしれない。
03:04
そもそも5年後にロームリサーチあるのかどうかもわからないし。
そこはある種期待買いというか、5年間で5万ドルやったかな。
応援ですよね、それはね。
気持ちやと思う。
まあそのこと自体は悪くはないんですけど、
自分がたとえば1年あたりそれで使うかって言うと、
たとえばそのぐらい払うんやったら、
ネットフリックスとかのサービスで2個ぐらい入れそうですもんね。
まあそうですね。
難しいですね。
だから簡単にはちょっと進めづらいツールにはなったかなーという印象なんですよ。
そうなんですよね。
だからダイナリストも、今の基準だと安くはないんですけど、
その代わりあれ、無料プランで使える範囲がやたらとでかいじゃないですか。
そうですね。
ほぼ無料でもいけちゃうんですよね、ダイナリストってね。
普通にアウトライン使うぐらいだったらそれでいけますよね。
あれ逆にどうなのかという気はしなくもないんですけど、
そこからするとワークロインもそうなんですけど、
ロームリサーチもそのコンセプト的には素晴らしいものもあるし、
本当にそれが自分にあった価値のあるお金をそれだけ払う価値のあるツールなのか見極める前に、
ちょっと壁ができちゃってるような感じはしますよね。
いろんな人がこのツールいいですよと説得されたとしても、
やっぱり自分で使ってみることには最終的にはわからないですからね。
わからないです。
この手のものは一番わからない。
他人にとってどんなに良くても自分にとっていいとは限らないので。
だから結構難しいなあと思うんですよね。
良いツールであることは間違いないですけど、激推ししづらくはなりましたね。
たしかに逆に、この手のものは本当に自分にはまればそのぐらいのお金を払う価値は、
ロームリサーチに限らずあるとも思いますよね。
それは間違いなくあります。
研究を内輪としてる人にとったら、月に1冊盛り付けに買うようなものですからね。
それは別に高い買い物ではないですよね。
モルスキーに1冊の値段を考えれば、やたらと安いような気もしますけどね。
ゴリゴリに記録を貯めていくんであればいいですよね。
でも中途半端にしか書かないとか、リンクをあんまり使わないのであれば、
別にロームリサーチである必要はほとんどないわけで。
そういう場合は見極められないですよね。
かなり使い込まないと見極められないと思うんで。
見極める前に使い込むハードルがちょっと高すぎるんじゃないかという気はしますよね。
06:06
無料期間みたいなのあるんでしたっけ?試し期間みたいな。
いやもうないんじゃないですかね。
今はベータ版からの移行で1ヶ月だけフリーなはずですけど、
一応フォーアカデミックな人たちは半額で使えるらしいですけど。
もうそういうターゲットがそこなんですね。
論文管理アプリとかと軸足は一緒なんかなという気はしますね。
逆にかなり勇気ありますよね、そこを狙うのって。
ある種ビジネスとして成立するためにあったらそっちのほうがいいかもしれませんね。
エヴァなどがやってしまったようにお金を払う機能ないユーザーを大量に集めてしまうよりは、
初めからこれに投資するっていう意思を持った人で作を作ったほうがサービスとしてもいいのかもしれないですね。
賭けですよね。
継続的に長い期間本気で研究をする人がそれを使ったときになくなっちゃいましたじゃしゃれにならないですかね。
そうですね、確かに。
本気で研究に使いたい人ほど二の足を踏む可能性もあるんですよね。
やっぱりエヴァノートだって、「あれ?100年あるはずじゃなかったのかよ。」みたいな。
まあ一応まだ存在はあるんですけど。
ある意味は別になくなったわけじゃないですけど。
まあ難しいですよね、この種のものが。正解はないので。
逆にノーションが無料になったんで、エヴァノートユーザーがそっちに移行するっていう話はたぶんあると思いますけど。
だからノートアプリは戦国時代ですね、これ。
難しいですね。本当にノートアプリこそ長く使わなきゃいけないものだし。
それも間違いない。結局最終的にテキストファイルでいいやんみたいな感じになりかねないですよね。
Macの場合はテキストファイルとスポットライトでいいやん的な。
いやもうほぼね、ただサーチするだけでもそれでいいですよね。
結局ノートリンク的なものを使わないのであれば、それでほぼ施されるはずなんですよ、あれは。
そうなんですよね。
なので難しいですよね。ノートアプリって実は難しいですよね。
そうですね。長期的な使用とその人の好みというかニーズに合わせてないと使えないっていう二つの意味があるんですね。
本当に価値がわかってくるのをある程度長期的に使ってみないとっていうところもあるし。
まあまあ頑張ってほしいとこです。
またそういうものが出てくるのは歓迎ですが。
09:00
そうですね。ロームリサーチはアウトライナーなのかっていう疑問はあるんですけども。
アウトライナー繋がり。最近僕はアウトプロリの使い方を殺心しまして。
殺心が多くないですか。
殺心が結構多いです。最近殺心が多いですけど。
既存のとは似てはいるんですけど、デイリーベースなんですけど、ワンデイリーベースになったんですよね。
つまり今日しかないんですよ。
今日の場合は6月11日の項目があって、そこに今日のことをガーッと書いていって。
最初は使用後はコンプリートするんですけど、全部コンプリートして終えたらその項目そのものをデイトしてしまう。
また明日になったら新しい項目が立つっていうことの繰り返し。
日付を重ねていくんじゃなくて、今日に固定してやっていくっていう。
そうですね。結局ワークフォーリーってログにはあまり向かないツールやなと。
いくつか理由があるんですけど、やっぱりページを共有させるときに全項目をロードするんですよね、こいつは。
ワンだから。ログが溜まっていくほど重くなるんで。
だから名前の通り動かすもの、動きのあるものを扱うっていう意味でログは溜めておかないようにしようと。
僕の場合はエバーノートがレディータスクリストの記録になってるんで、やったことがそっちに書き込まれてるんで、決して問題はないと。
項目全体もこれで非大化を防げると。
もう一個機能的なのとは別に認知的な方からのアプローチなんですけど、
よくよく考えたら僕っていうか、たぶん人間大抵そうなんですけど、
今日っていう概念はあるんですけど、明日とか昨日っていうのは認知的には一つの塊ですよ、別に捉えてないなって気づいたんですよ。
一応その機能っていうのはわかりますけど、機能っていうふうに物事を認識して捉えてるかって言ったら別にそうじゃなくて、今日より過去が全部一緒になってるよね。
過去の中でグラデーションはあるけれども、日付で明確に区切られてるわけではないと。
今日ほどはっきりした概念ではないと。明日以降も同じなんですよ、基本的には。
そのカレンダーで日付で区切られてはいるものの、僕の中の認知の流度として、
例えば6月13日っていう具体的なものがあるかって言うと、それはその日にならないと発生しないですよね。
それに合わせると、結局このワンデイスタイルになるんですよ。
ワンデイスタイルで何がいいかって言うと、
今日だったら6月11日の項目に下にいろいろ書くじゃないですか。
長期的なトピックというか、その日に終わらないもの。
明日に引き継ぐものとメモが追加されるものを、シフトタブするだけで外に逃げるじゃないですか。
12:08
それは一つのオブジェクトとして立つわけですね。
僕の中では、6月11日っていう一つの情報の塊と、
リビジョンズっていう一つのプロジェクトは同一なんですよ。
だから同じ階層に並んでいる。
それが今実現されてるんですよ。
だから今までだったら、デイリーっていう項目があって、日付がダーッと並んでると。
で、一個上がってプロジェクトっていう項目があって、
その下にプロジェクトが並んでるんですけど、
さっき言った上の階層が全部なくなったんですよ。
今日が上がったわけだね、結局。
今日という項目の下に、例えばプロジェクトが並んでたりするんですよね。
プロジェクト名が。
具体的なプロジェクト名が。
だから今、プロジェクトっていう階層はないんですよ。
なるほど。
プロジェクトしかないんです。
その具体的な。
ある種、スクラップボックスに似てるんですけど。
要するに一番上の階層に、今日もあるし、プロジェクトもあるしっていう感じですね。
プロジェクトもあるし、なんかちょっと気になってる、考えたいことも並んでるっていう感じ。
だから整理のための階層がないんですよ。
これがたぶん自分の認知に一番近いなと思う。
それちょっと千葉さんのあれにも近くないですか。
近い。でも過去のロゴを残せない点がちょっと違う。
千葉さんの日付があるんですよね。
6月10日とか9日を残してたんで、
残してると階層を上げると日付ばっかりになるじゃないですか。
それができなかったんですけど、過去を消すことによって全部並べられるようになった。
あーなるほど。わかりましたわかりました。
これが結構今使いやすいなと思う。
なるほどね。わかりますわかります。
これはロゴを残さない使い方で、しかも使い終わったものがどんどん消えていったり、
どっかの下に配置して動いていくことが前提なんですけど、
出ないとまたそこのホームカーもまたすごい高らかになってしまうんで。
気になってることって結局そういう風な流度やなと思って。
GTDでいうと、何とかリストを作ってその下に配置するっていう感じになってますけど、
そんなふうにはなってないなと思ったんですよ。
気になることを一個一個が独立してる。
例えば僕らの生存侵略って一つの大きな塊があって、
ディビジョンズって大きな塊があって、それがその他と同一に並んでるんですよね。
さっき言ったように2階層目には並んでない。
このほうが多分使いやすいですね、僕の中では。
15:02
一番可能な限り階層を浅くしたパターンですね。
階層を赤くするほど流れるんですよね。流動しやすくなるんですよね、浅くするほど。
さっき言ったように、例えば11日の下位項目に入ってるのを、
ワン動作だけ、シフト&タブだけで上位構造に押し上げられるんで。
それ今まで結構めんどくさかったんですよ。
6月11日に入ってるものをホームラインに並べようと思ったら結構ややこしかったんですけど、
今は普通にスッと上げられる。
日付から出ちゃうわけですね、ポンとね。
そうそう、押し出せる。
要するにその行為がスクラップボックスというのは独立ページの切り出しに相当するんですけど。
あーなるほどね。
これ結構いいなって思ってるんですよ。
いいかもしれない。
今ちょっと心の中で想像したらすごく良さそうな気がしました。
これ結構今僕の中で新しいGTDではない感じの管理の仕方、
しかしデジタルツールでしか不可能っていうようなやり方になってるんですけど。
GTDはね、元が紙だからなってるところありますよね。
紙だから分けざるを得なかったっていう。
そうですよね。
階層的に分けるのは紙をどっかに直さなければいけないっていう概念があるからですよね、きっと。
あれでその場合、メモ的に今日なら今日をメモ的に新しく書き出したことの扱いってのはどうなるんですか、その場合。
メモっていうのがまず、6月11日の中に、上のほうはタスク欄で下のほうがメモ欄なんですね。
メモを書き留めるんですけど、
その書き留めたメモって、ちゃんとした文章にするっていう僕の中での命題があって、
それはエヴァノートで文章化するんですよ。
エヴァノートで文章化したものは消してしまう。
じゃあ一時的にそこに置いてある。
文章化する類じゃなくて、例えば給付金について調べるみたいなのがあったときには、
ある程度調べた情報を下の階層に入れといて、
終わらないからシフトタブで一個上に上げておいて、
いわゆるプロジェクト化するというかオブジェクト化して、
読出して、上のほうに目につくところを置いておくというような扱いですね。
それ、いいな。
なるほど。
これ結構ラディカルな変化なんですよ。だから階層を作らなくなったっていうのは。
今でもすごく良さげに感じましたね。
18:05
だから気になることとかプロジェクトとかっていろいろ分類されてますけど、
結局僕の頭の中でどういう流度で並んでるかっていうことが多分重要だなと思ったんですね。
それに沿わせてみたっていうね。
あとはあれですよね、ワークフローの特性によく合ってるというか、
階層を上げるとポンと飛び出しちゃうのが嫌な人もいると思うんですけど、
逆にそれをうまくいかせるんですね。
これ、すごい僕今頭の中で想像したらよさそうな感じしたんですけど、
頭の中で画面の想像がついてない人ももしかしたらいるかもしれないですけど。
その場合は打ち合わせキャストのネタ帳っていうページをググっていただいた後でスクリーンショットがあってください。
ということですので、ググってください。
これはまたどこかログナリー記事にすると思うんですけど、
これ結構既存の概念から離れたところで管理できるようになったなという気がします。
いいですね。いいかもしれないですね。
まあちょっと自慢ばらしだったんですけども。
でもこうやってどんどん構造を変えていって、
いろんな形を試して、ダメならまた変えていけるっていうのが、
っていうのはやっぱり強いですよね、僕は思いました。
対応ツールの良さですね。
最初は自分流で立ててたものを千葉さんに影響されてちょっと変えて、
さらに自分に合うように変えたという段階が減っているんですけど、
これ単一のツールで、ただ項目の上下だけでやってきてますからね。
それはなかなか普通のツールではまず無理だと思いますけど。
無理だし、やっぱりこれ使いながら変えていかないと思いつかないですよね、これね。
うん、でしょうね、きっと。
僕もだから、これはなぜ思いついたかというと、
レイリーに入っている項目をこれって結構プロジェクト的やなと思ったときに、
上げる動作がものすごく面倒くさかったんですよ。
例えばその3階層下に入っているときにシフトタブすると、
すごい中途半端なところにありますよね、あれ。
で、それを探してまた上げないじゃないですか。
マウスを使ったら変わらないですけど、
マウスの場合だったら一番上の階層のところまでスクロールする必要があるんですよね。
これもまた面倒くさいと。
どうしたらいいかなっていうのをずっと思ってて、
ああそうや、階層を上げたらいいんやっていうのにちょっと思い当たったんですよね。
面白いですね。
これだから、設計を最初に考えようとすると思いつかないものが出てくるというところが面白いですよね。
ないでしょうね、きっと。
そういうところが面白いですよね。
やっぱり最初、これでいいんかって多分思うと思うんですよ。
逆にスタートからこの形でいくと、
こんなんで管理できるんやろうかっていう思いはあると思うんですけど、
自分ができているところから変えていってるんで、
21:00
この場合はやっぱり不安感はないですよね。
だってこれパッと見の構造があんまりすごそうじゃないですもんね、これね。
構造じゃないですからね。
なんかザッパンに並んでるだけ。
6月11日の項目の下に、ブラウザでメモ帳を作るみたいなことが書いてあって、
他の人が見たらさっぱりですからね、これ。
面白いですね。
ちょっとこれやってみようかなと思うんですね。
ログを残さないか、ログはもっと下に置いておく場合でないと使えないんですけど。
もしくはログを残したかったら、ログはログで置いておくんでしょうね、別のプロジェクトと同じ階層にログみたいな場所を作っておいておくのかもしれないけど。
でもそれをやらないから、この警戒に使えるっていう感じはありますよね。
確かに。
そこは結構あると思いますね。
どんどん消していくっていうことがあるから、たまらないというか、
ある程度の長さでおさまるというか。
はいはいはい。
まあそれだけの話なんですけど、もしかしたらアナロジーだったかもしれないけど。
新しいものですか。
はい、じゃあちょっと記事にする気持ちが今ちょっとたたまってきてますけど。
ようやくっていうか、クラスターオリジナルの構造ができあがった感じがしますね。
そうですね。そうかもしれませんね。今までは人のモノマネでしたけど。
しかもこれは結構汎用性がある一つのモデルになり得るなっていう感じ。
これに合わせてGTDという概念をバージョンアップさせるということなんですけど。
これでどうやってタスクを管理するかって話になってくるんで、きっと。
大変に面白いと思います。
いよいよ30分経って本題なんですけども。
先日から結構真剣に考えてて、
いまだに知的生産の技術っていう本は売れてまして、
至高の生理学っていう本も売れてるんですけど、
あれの現代版みたいな本がないなと。市場には見当たらないなと。
じゃあどんな本をやったらいいのかって結構ガチに考え始めたんですけど。
ちょっと大学の授業で使われるような教科書的な構想しか浮かばないんですよ。
ずっとツイートで一人ブレスとしてましたね。
メモしましょうみたいな話から始まって。
それはそれでいいんですけど、たぶん面白くはないだろうなと。
逆には立つかもしれないけど面白くはないだろうなと。
だから逆に現代っていう文脈において、
24:01
つまりデジタルが当たり前になってる時代において、
今の若い人向けが読むような入門書を書くとしたら、
果たしてどんなコンテンツをどんなふうに並べたらいいのかなっていうことを打ち合わせしたいなと。
別にその本を書くわけではないんですけど。
構成が良かったら書くかもしれませんけど。
実際に書くとしたら、たとえばたくさんいったらどんな項目をどんな順番で入れるかなとお聞きしたいなと。
30分経ってでかいネタが来ましたね。
すごい難しい話ですね、それ。
そもそもとして知的生産の技術っていう名前でいくのか、別のフレーズでいくのかなんですけど、
そこを広げ出すとたぶんあれなんで、
知的生産の技術を含めなければならないという制約のもとで考えを進めていくとして。
そうですね。
さっきの話でもちょっと思ったんですけど、
ちょっとすごく大きい話になっちゃいますけど、
知的生産的なことを考えようとすると、
日本だとやっぱりこの50年ぐらい、
もうたぶん知的生産の技術が出てから50年ちょっと経ったと思うんですけど、
僕より年上なんですよね、知的生産の技術は。
僕が生まれる1年ちょっと前ぐらいに出てるはずなんですよね。
でも今、まさに今のこの話題もそうですけど、今そういうことを考えようとすると、
特にやっぱり日本では知的生産の技術というものが船に雲の上にかぶさってるというか、
ある種の幻影のようにある。
本当にはそれを誰も超えてないようなところもあるし、
その発想に縛られちゃう。
なんて僕が口にしていいのかどうかわからないですけど。
これ本に書くのは恐ろしく言う気がいることですけど、
僕前ブログに書いちゃいましたけどね、恐ろしいことを書いたものだなと思う。
さっきの話はやっぱりタスク管理はGTDに縛られてしまっているところがあって、
それがあまりにも素晴らしかったために、どうしてもGTDから始まっちゃうところがあって、
GTDの発想から縛られてるところってあるじゃないですか。
なんでもかんでもインボックスつけちゃうってやっぱりGTDの幻影だと思うんですよね。
27:00
それなくてもいいっていう気がすごく最近するんですけど。
こないだもう、あれは安正志太さんの記事の関連だったと思うんですけど、
昔アウトライナーの……僕はアウトライナーのことをちょっと考えてるんで、
第一次アウトライナーブームみたいなものがあったんですよね、90年前後に。
当然ながらその頃にアウトライナーに興味を持って押していた人たちは、
当たり前ですけど、知的生産の技術が当然頭にあるわけですよね。
アウトライナーに当時興味を持つような人は当たり前ですけど、
知的生産の技術を読んでいるし、発想法を読んでいるし。
やっぱりどうしてもそのフィルターを通して、アウトライナーを見ちゃっているところがあったなと思うんです。
今思うとあったなと思うんですよね。
やっぱりこれは、このアウトライナーは素晴らしいと書いていて、
これはまさに梅澤忠夫の知的生産の技術がコンピューターで実現されたものだ、
っていうような言い方をされてる方もいれば、
あとこれはまさに一人で経済法が可能になるみたいな方もいる。
わかりますわかります。
もちろんそれは全部事実だと思うんですけど、
でもそれがやっぱり本当にそれだけなのかなというか、
それが理解を……
これは本当に偉そうに言うことを誰も怒らないでくださいけど、
やっぱり理解を阻害していたんじゃないかなという感じがあるんですよね。
それはでもあると思いますよね、それは。
例えば知的生産の技術に限っちゃえば、カードの発想で考えてしまう。
カードじゃないのにアウトライナーをカードの発想で考えてしまう。
と、理解できなくなるところがあるんですよね。
文章として書かれたものを解体してしまうということに、
思いが至らなくなる。カードって考えた瞬間に。
なりますね。カードとかにカードの順番を組み替えることはしても、
アウトライナーで開口木の文章をいじるっていう発想にはなくなります。
やっぱり断片を組み立てていくという見方になるんですよ。
30:02
もちろん断片を組み立てていくことはアウトライナーもすごく得意なことなんですけど、
でもやっぱりそのことによって、例えばすでに文章として完成したものをアウトライナーに取り込んで、
バラバラに解体して組み立て直して、違う文章に行ってしまうみたいなことができるわけですけど、
それが自分の文章を書くというときにかなり大きな力になると思うんですけど、
やっぱりそういうふうに目が行かないというか。
なぜならそんなことは、昔は物理的にできなかったわけですよね。
ハサミで切るしかないですよね。
だから昔から現代になって発想が進歩したわけじゃなくて、単なるツールの制約上できなかった。
やっぱりカードっていうのはツールの制約上カードになってるっていうところがある。
言葉をああいう形で物理的に操作するためには可能になっていざるを得なかったわけですよね、昔は。
でもデジタルであれば、そういう制約がなくなるところもある。
その代償として一覧性が失われるみたいな話はもちろんあるんですけど。
すみません、前置きが長くなってきましたけど。
知的生産の技術を現代にどう伝えるかみたいな話って、そういう意味でもすごく難しい。
知的生産の技術ということ自体がすごく難しいんですよね。
どうしても昔の知的生産の技術の枠の中に閉じ込められちゃう可能性がある。
逆に今の環境しか知らない人が、知的生産の技術で定義された考え方に至れるかというか。
逆にデジタルになって退化しちゃったようなところもあるじゃないですか。
ありますね。
なんで退化しちゃったのかよくわかんないんですけど、やっぱり昔は制約があったからみんな必死に考えて必死に使おうとしたんだと思うんですよね。
それがなんとなったのがために逆に、それはアウトライナーに対する考え方でも感じますけど、
退化しちゃったところもあるんで、その両方の縛りをどう結びつけて乗り越えるかみたいな、そういうことがすごく頭に浮かぶんですよね。
33:11
しゃべってるだけで冷や汗が出ますよ、中の声の手。
たとえば変な話、梅沢さんを尊敬してて知的生産の技術がすごいっていう人が書いたとしたら、
結局それはそのフレームの中のある部分をデジタルに置き換えただけの話になってしまうんですね。
兼ねない。兼ねないですよね。
いや、なぶるでしょ。
デジタルのツールに置き換えたら、それで新しい時代の知的生産の技術になるかっていうと、きっとならないでしょうね。
でも一方で、その知的生産の技術みたいな発想を今の目で見ると、やっぱり発見があったりするじゃないですか。
それは間違いなくしますね。
考えれば考えるほど難しいですよね。
いやでも本当に、2000年以降に出て、これが知的生産の技術、これを読めば導入ができますよっていう本がほぼなくて、
個々のテクニック、たとえば読書自体だと読書本とかたくさんあるんですけど、
一つの体系の入り口みたいなものを示してくれる本ってないんですよね。
僕の知る限りでは。
で、知識がバラバラになってて、その本人の中の知的生産システムとして統合されない、垂れてない。
あるノウハウを持ってきてはいるけども、それによって知的生産が進んでるかというと、あんまり進んでないみたいな感じになっちゃってると。
あとツール情報がどうしてもアナログよりなんですよ。
不思議なくらいにアナログよりなんですよね。
デジタルがスタートとしての知的生産の技術の話はほとんどないんですよね。
それはやっぱりちょっとまずいなとは思うんですよ。
デジタルはやっぱりツールの選択肢が増えたのと変化が激しくなったということで、全体を体系化するっていうことがやりにくくなったっていうところはあるじゃないですか。
もしかすると、個別のツールを通してそういうことを書こうとするっていうことのほうがやりやすいのかもしれないですよね。
それはそうやと思います。だから僕の印刷目のほうもエバーノット、知的生産術っていうことですけど、あれはエバーノット以外のツールも大量に出てるからね。
36:06
スクラップボックス本もおそらくそうだっただろうし、手前味噌ですけどオトロインプロセッシングにもそういうことをやろうとしてはいるというところもあったりするし。
だから逆に全体を網羅しようとすると、難しいですよね。
難しいですね。だから何か工夫はいりますよね。それは間違いなく。
でもツール論から全体につながるのももちろん大切なんですけど、
知的生産の技術に対していろんなところに枝が伸びてる本っていうのが、僕はあってほしいし、誰も書かないなら書きたいぐらいの勢いなんですけど。
難しいですよね。
そうなんですよね。
梅沙男さんの知的生産の技術はあれは……。
僕ついこの間自慢したんですけど、これ初版を持ってるんですけど、なぜか。
初版を持ってるから、古本屋で買ったらたまたま初版だったんですけど。
あれは梅沙男さんとしてはなんで書こうと思ったみたいなことって書いてありましたよね。
最初は岩波の図書館に連載してて。
図書版は読んだことはないですけど、出版にあったって結構大幅にわかりやすく書き直したってことを述べられてて。
編集者さんがもっと伝えたほうがいいんですよ、みたいなニーズがあったんじゃないですかね。
本人たちもこういうノウハウの研究が好きだったから情報共有はしてたんでしょうけど、それより開かれたこと。
初めに書かれてるように、現代以降は彼が予見してたように情報社会になっていくから、
情報を扱うための技術っていうのはその番人に開かれたものになるであろうと。
その先駆として書かれたっていうこともあるでしょうけども。
逆に言えばこの以前には、一般の人のためのノウハウというのはおそらくなかったわけですよね。
なかったんでしょうね、おそらくは。
今でも例えばアウトライナーを使うということも、情報を断片的に扱ってそうするという一つの技術もそうですし、
Gmailみたいなメールサービスをラベルとか自動振り分けでどう管理するかっていう話も一つの情報技術じゃないですか。
39:05
それとないと全然違いますよね。
僕はフードコートとかで作業してると、見知らぬおっちゃんにスマートフォンの説明を聞かれたりするんですけど、
その人はAndroidのGmailのあれを見て、メールをどうやって消したらいいのって言われたんですけど、
いや、Gmailは消さなくていいんですよっていう説明をしたんですよね、アーカイブしてるので検索できるんですよ。
でもよく分かったら、それは根本的にはデジタルの発想なんですね。
僕は当たり前やから気にしなかったんですけど。
紙の手紙の管理で言うと、いらんもんは捨てるっていう感じじゃないですか。
発想のシフトっていうのが、伝えないとわからないんだなっていう当たり前のことをそのとき僕は確認したんですけど。
でもたぶん今僕は列挙できないぐらい当たり前にやってるデジタル作法っていうのがあると思うんですよ。
そういうのはちゃんと言っとかないとあかんねんなろうなっていうのは思うんですよね。
それで言うと、僕もちょっと前の話ですけど、以前の職場に中途採用で入ったときに、
恐ろしいほどみんなそういうことを知らないと思ったんですよ。
いや、そうだと思います。
僕が、例えば大学生から20代ぐらいになるころって、ちょうどそういうものが一般の人が使えるようになってきたころで、
やっぱりその感動というか、今までできなかったことができるようになるっていうものがあったんですけど。
その会社に入ったのは確か2004年だったんですけど、
その時点ではもう当たり前のようにPCがすべての社員のデスクの上に当然あるんですけど、
恐ろしいほど使い方を知らない。要するにエクセルとかワードの使い方はもちろん知ってるけど、
デジタルってどう考えてどう情報を扱ってっていうことをおそらく誰も習ったことがない。
だから僕とか倉下さんみたいに、もともとそういうことに興味がある人は勝手に情報を得てるんだけれども、
そうじゃない人は恐ろしいほどそれに触れないまま社会に出てしまって、
本当に紙で下書きして清掃してるレベルですよ。
いやでもそうですよね。
ジュンさんの教師のiPad仕事術って本に、明治時代から結局黒板スタイル変わってないってことが書かれてましたけど、
42:08
結局作文って言うのも原稿用紙に書いて出すみたいな、
たぶん現場知らないですけどそうなってると思いますけど。
で、かたやワープロ作文技術って本がはるか前に出てるわけですよね。
あの本では文章の書き方がワープロによって大きく変わると言われてるのに、
小学校では原稿用紙で文章を書いてるわけですよね。
それはやっぱりおかしいですよね、どう考えても。
その会社は本当に紙で下書きして清掃してるレベルで、
僕最初は派遣社員で入ったんですけど、正社員にしてやるよって言われて、
試験を受けろって言われたら受けるわけですよ。
そうすると知識問題があって、小論文を書けって言うんですよね。
で、原稿用紙を渡されるんですよ。
書けるわけないじゃないですか。
みたいなことがあって、原稿用紙もそうだけれども、
それでエクセル法案紙で書類作って、
巨大な報告書をパワポイントで紙で下書きしたら一生懸命パワポイントに再現してるみたいな。
もちろんどこの職場もそうだとは思わないですけど。
そう考えると、本当だったら学校で教えてほしいということもあるし、
学校じゃなくてももう少しそういう情報ってないものなのかと思うんですよね。
だから知的生産の技術以前に、デジタルで何ができるかということを知らない。
あー、なるほど。うんうん、確かに、それはあるべきと。
やっぱり衝撃的なのが、いわゆるホワイトカラーの仕事ですよね。
マーケティングリサーチをする会社だったんで、まさにホワイトカラーですけど。
でもそういうところでも、ほとんどの人はそういう文章の書き方とかをどこでも習ったことがない。
まあ大学で卒論とか書いたかもしれないけれども。
そういうことをどこで習うかっていうと、会社の新人研修とかで習うわけですね。
あと先輩について習う。
先輩がこうやるんだって教えるわけですよ、その会社。
最初から書こうとするな、必ず神に従きしろみたいなことを言う。
何だろうなとも、神に従いしてもいいんですけど。
45:03
やっぱりレベルとして90年代よりも前と変わってないんですよね。
うんうん、変わってないですね、きっとね。
やっぱりデジタルでどう考えるのか、どう書くのかどう考えるのかっていうことを知らない。
全くわかっていない。
でも使っているのはパワポイントであり、ワードであり、エクセルである、デジタルであると。
はいはいはいはい。
っていうそこのギャップの広さということにすごく愕然とした声があって。
そうこうしているうちに、新入社員がだんだんパソコンを使えなくなっていったんですよね。
5年前に辞める頃には、そろそろそういう兆候が見え始めてて。
今本当にスマホしか使ったことなくて、キーボード打ったことがないみたいな人が新入社員に入ってくるみたいな話も聞きますし。
だから状況は日々変化しているけれども、あまり良い方向には変化してないんじゃないかなっていう。
悪化してるのはひどいですよね。
例えばエクセルは使ってるっておっしゃいましたけど、
でもエクセルのすごい基本的な本がすごい売れてるじゃないですか。
使えてない。
使えてない人が多いんですよね。
具体的には正面上げるとあれですけど、例えばメモ実の本とかがすごい売れるわけですけど、
知的生産の技術が進歩してるかというと進歩してないですよね、メモの技術が。
何も伝わってない。
むしろ退化してる。
びっくりするぐらいに。
退化してるっていうぐらいで。
例えばデジタルでどう考えるかっていうことが仮にできないと、どう困ったことになるんですね。
編集できるかどうか、編集するかどうかっていうことだと思うんですよね。
紙では編集はできなくて、書いてあったあとの編集は基本的にできなかったと。
それをするためにカードがあるんでしょう。
基本的には考えというのは一発で決定的なものが出てくることはまずなくて、
いろいろ操作しなければ最終的なものになっていかないということはおそらく、
大多数の人に当てはまると思うんですよね。
稀に一発で出せる人もいますけど、稀なので。
48:01
だからこそ人はいろんなツールとか技術を考えて、それを補おうとしてきたと思うんですけど、
日本でそれが最初に形になったものの一つが知的生産の技術だと思うんですけど、
そういう積み重ねがあるにも関わらず、誰もそれをやってない。
やってないし、そもそも編集するものだということを意識してない。
知的生産の技術は基本的にはアナログ時代、パソコンの方が出てきたぐらいの時代で、
アナログの発想なんですけど、さっきタクさんが言われたデジタルの編集性の高さは議論されてないですよね。
もちろんみんな編集してるんですけど、それって間違いの修正だと思ってるんですよ。
間違えちゃったから直さなきゃ、よくなかったから直さなきゃっていう意味では直してるんですけど、
最初から完成品を作ろうとするという意味では恐ろしいほど共通していて。
だからそのために膨大な時間残業して作ってたりとかするわけですよね。
ああ、まあそうか。それは効率が悪いですよね。
時間がかかってしまうっていうのと、最初から良いものを作らないといけないっていう思いが強すぎて何も着手できないみたいな運もあるでしょうね。
もちろん優秀な人がすごく多い会社だったので、パソコンを使えないわけじゃないんですよね。
例えばExcelで統計解析みたいなことをバンバンやってたりする人ももちろんいるわけですけど、
でもその人も、それを表現しようとするときに、あんまり編集することを考えてなくて一発で決めようとする。
だから単にそういうものだということを知らないというか。
っていうことをすごい感じましたよね。
だからやっぱり途中の段階で、例えば僕なんかは途中の段階ってぐちゃぐちゃなんですよね。
ところが、そういうものだという認識がないために、途中の段階で共有しましょうというときに、
例えば1章から10章があるうちの1章から5章まで完璧にできた状態を想像されるわけですよ。
半分できてるんでしょっていう。
自分、自分の中では肯定の半分までは来てるんだけれども、できてないわけですよね、その人から見れば。
51:01
そこも、もちろん途中段階で共有することが必要になることってのは当然あるんで、人と作業するときには仕方ないんですけど、
そのときに例えばアウトラインという概念を分かっていれば、相手が分かっててくれていれば、途中段階のアウトラインですって見せることができるんですよ。
中身は完成してないけど、現状のアウトラインはこうなってますよっていう意味で、そういうふうに共有できるんだけれども、
それを持っててくれてないので、そうすると1章から5章までは完成に近い状態になっていることを期待されると、
期待されるんですよね。そうすると1章から5章までをとりあえず完成させるために作業しなきゃいけなくなる。
僕はその度合いが特にひどかったんですけど、大なり小なり同じようなことをみんなやっていて、実に無駄だと感じるというところとか、
これをずっと話すと限りなく愚痴に血が付いてくるんですけど、これを要するにデジタルを前提とした、そういう言葉を使うかどうかは別にして、
知的生産というのがどういうものか。どんどん変えていくことを前提にしていく。編集というよりも変えていく。
それを前提にしたものだという共通認識みたいなものがほとんどないというところが結構難しいなというか。
ああ、なるほどね。なるほど。
だからアナログの作り方とデジタルの作り方でプロセスの中身が全く違ってくるのに、
プロセスという言葉ではそれが見えてこないわけですね。結局、どんどん変えていくっていう話はリビジョンで書いていることと一緒ですよね。
そういうことですよね。そこが伝わっていない部分があるんですよね。
デジタルっていう言葉を単純にイノセントに受け取ると、ゼロかイチかっていう非常に二極的なあり方ですけど、
でも編集可能なっていう風な文脈で受け取ると、それはもっと多様な進め方。ゼロイチではなくて、もっと揺れ動いていく進め方が可能になる。
逆にアナログ作りの場合は、完成オアノットみたいな。むしろそっちがデジタル的になるんですよね。
この反対は面白いなと聞きながら思ったんですけど。
今言うと限りなく愚痴に近いことあるんですけど、
54:03
でもその背後には関西産の技術の問題があると思うんですよね。
それが共通認識ができていないというか、デジタルに限らずアナログの知的生産の技術でさえ共通認識ができていなかったわけですけど。
まあそうでしょうけど。
だから、メーサーオーバー知的生産の技術で、おそらくシメヘンの大学版も使われてますけど、
着想を1項目で書き留めておくことっていうのは、たぶんどの時代でも適用可能な話なんですけど、
それを操作するってなったときに、操作の段階で言うと小座名が出てくるんですけど、
小座名を並び替えたら文章ができるみたいなノリで書かれてたじゃないですか。
いかないですね。
あんなふうにはいかないですよね、まあ。
そうなんですよね。メーサーオー先生はあんなふうにできたのかどうかはわからないですけども。
もちろんあのプロセスも必要なんですけどもっと込み入ったものがあの中にありますよね、実際デジタルで書いていくと。
あれも知的生産の技術の中の道具立てとして大きく、兄弟カードと小座名があるじゃないですか。
はい。
兄弟式?兄弟型?式?式があるんですか。
式型。両方読んでて、あのサイズ感のことを型と言いますか。
まあ兄弟カード。
兄弟カードというのはおそらくデジタル的に言うとデータベース的なものとアウトライン的なものが組み合わさったものだと思うんですよね。
小座名っていうのは文章そのものの編集をするので、エディター的なものというか、イブデジタルに当てはめてみれば。
カードと小座名って分かれてるけれども、それはやっぱりアナログだったから分かれてるわけであって。
まさにそれですね。それが一番の問題ですね。
それはおそらくシームレスになるはずだと思うんですよね。
アウトライナーはまさにそうなんだと思うんですけど。
要するに文章を開項目と持つ見出しっていうアウトラインが兄弟カードであって、
その開項目を閉じた途端にそれは小座名になるんですよね。
57:03
あえてアナログのメタワーを適用すれば。
小座名だったものがカードになっちゃうこともあるし、カードが解体されて小座名的なものになることもあるし。
そういう階層的に大きいところから小さいところにつながってるっていうのもあるし、
その階層の中を自由に動いちゃうということもあるんで。
これとしてもアウトラインから見ちゃうんですけど。
それはそうでしょうけど。
紙の場合、アナログの場合は視点の高さが固定されるんですよね、そのツールごとに。
カードで書いてしまったものはもうカードだし、それを細かく操作したかったら小座名に転記するしかないと。
アウトラインとかデジタルツールの場合はビューポイントの高さを同一ツールで切り分けられるし、
別ツールに移すときもコピペして済むということで、
完全なシームレスや何しろシームレスに近い状態で視点の高さを移動できるという自由さがあるわけですね。
それがだから思考に何かしらの貢献をしてるはずなんですよね、きっと。
だからこそ、階層の流度が揃ってるとか揃ってないみたいな問題がだからこそ発生するっていうこともあると。
そう出てくる。自由だからこそ揃わない。
カードで1項目、1枚使うんですよ。で、タイトルは1行で書くんですよって決まりがあると。
文章の量で例えば300文字って決まってたら流度は自然的に揃いますからね。
自由だからいいとは限らないみたいなこともあるし。
まあそうですね、それは間違いなく。
でもそう言ってしまう、デジタルでいかに考えるかっていうところからはちょっと外れてしまうんで。
デジタルならではの良さっていう、さっき言ったデジタルならではの編集可能性とか、
ビューポイントを自由に移動できるかっていうところを踏まえた考える技術っていうところが、
たぶん原来版の一番十分なところでしょうね、きっと。
そう考えたんですよ。
例えばデジタルでこうやってメモしましょうとかってノート取りましょうみたいなことは書けるんですけど、
結局さっき言ったように知的精査の技術をデジタルツールを下敷きにして上書きしてるだけになるなと思ったんですよ。
それはたぶん面白くないし役にもたらないなと思ったのに。
でもデジタルツールを使うことによって思考プロセスにどのような変化が生じるのかっていうことを言及できるのであれば、
たぶん価値があるし、現代でないと書けないものになるなとは思うんですよ、今。
1:00:02
プロセス。そうなんですよね。
だからこれもたぶんどっかに堂々と書いてあると怒られるかもしれないんですけど、
やっぱり文章を書くためのツールというふうにデジタルって考えたときに、
頭から流れてくるものをキャッチする、滑らかにキャッチするものってテキストエディターだと思うんですよね。
シンプルなテキストエディターにはなるものはないと思ってて。
で、流れてきたものをキャッチした後で、その流れを保ったまま解体してそれを組み立て直すことができるのがシンプルなオートライナーだと思うんですよ。
で、それ以上に本質的な何かってまだどこにもないんじゃないかという、
シンプルなテキストエディターとシンプルなオートライナー以上に並ぶぐらい書くことを本質的に変えられるもの、変えたもの、ツールってないんじゃないかなと、僕の個人的な考えでは思っていて。
ああいうリンク、ハイパーリンク的なものはそこにもしかしたら加えていいのかもしれないけれども、書くことそのものにそのテキストエディターとオートライナーほどそれが大きく影響しているかというと、自分の中ではそうでもないんじゃないかなという感じがしていて。
リンクは読むないし、情報管理においてはその二つに並ぶかそれ以上の利益を持ってますけど、書くという行為についてリンクがあったからとはあんまりならないでしょうね。
今みたいに一本の流れになった文章を書くっていうことに限定してですけど、だからそのテキストエディターとオートライナー以上のものって思いつかないなと思ってて。
でもテキストエディターをビジネス書で論じた本はないですね。
ない。
ワードの本はいっぱいありますけど、どうやったらテキストになるとかそういう話であって、ワープロ文章技術のテキストエディターかつ現代版みたいな本はないですね。
メモ帳でもいいんですけど、別にWindows用で。
1:03:10
テキストエディターのほうがオートライナーよりは身近ですよね。メモ帳なりテキストエディターは絶対どっちかのOSについてるわけですから。
やっぱりテキストエディターって大事。そういう意味ではオートライナーはテキストエディターと一緒と言えば一緒なんでしょうけど。
そうですね。回送機能があるっていうことですかね。一応上下移動とかはショートカットでできるエディターもありますけど、回送機能だけはないですからね。
テキストエディターっていうとWindowsのメモ帳的なものを限りなくシンプルであるというふうに捉える人もいるし、プログラマーさんだと逆にね、そう。
一番いじれるのがテキストバージョンですね。
例えばプログラミング用のエディターの動画とかってよくあって、僕割にそういうのが好きです。人が好きで見るんですよね。
僕もよく見ます。
こういう機能って文章を書くにも役に立つはずなんだよなっていうふうに思うわけですよね。
具体的にカーソルを自由にジャンプする、いろんなところに飛んだり、検索が非常に柔軟であったりみたいなことって、文章を書くときにも当然役に立つんですけど、
あんまり文章を書きながらそれをやってる人って見かけないというか。
例えば結城先生とかはVimでたぶんいろいろやったりとかおそらくしてると思うんですけど、そういう人でなければ。
なぜかっていうと、あえてその言葉を使うと、文系の人が触れる情報というところにはないんですよね、そういう情報があんまり。
でも実はアウトライナーって、元を例えばプログラミング用のエディターであったという歴史があるわけで、
結局プログラミングというかコーディングの作業というのはテキストを操作する作業なので、かなりの程度文章を書く作業に近いはずなんですよね。
そこからアウトライナーというものが出てきたって考えると、その辺にヒントがあるんじゃないかなと思ってたんですよ、ずっと。
知的生産というか文章を書くことになっちゃいますけど。
デジタルの知的生産というときに、プログラマーさんが何をしているかって、結構ヒントがそこにあるだろうなと。
1:06:07
ありますね。
いうことですよね。
ただし、文章を書く作業は単なるテキストファイルを扱う作業とはちょっと違うので、
そこのギャップみたいなものはあるんですけど。
一番違うのは、プログラミングってほぼ同じことを書くんですよね。
文章はむしろ逆で、毎回新しいことを書くので、いわゆるライブラリーみたいなものの扱い方が全く異なると思うんですけど、
それ以外を除けば結構似てるところがあるんですよね。
だから保管コードを書いてるときに保管機能っていうのがあって、途中まで書いたら残り埋めてくれるみたいな。
あれはやっぱり本のタイトルでやってほしいですよ、僕は。
僕たちって。
プロ覚えじゃないですか、僕たちって。
では勝手に中間に入れますけど。
それができたらいいなってずっと思ってて。
一瞬考えたんですけど、辞書登録で、読んだ本っていう読みで、自分が読んだ本を全部登録していけば、
その読みで変換できるんだろうと思ったんですけど、明らかにその使い方は間違ってるからやめたんですけど。
でも、そういうライブラリーの呼び出し方って文章を書くときに確実に役立つと思うんですよ。
ないですね。
そういう発想なんてあんまりないんですよね。
例えばその予約語みたいなものを別ファイルで作ってるんですよね、あれ多分。
そうね、それがね、全部調べたんですけど、外的に一個一個加えていくのはまず無理なんですよ。
一挙にインポートはできるんですけど。
辞書登録アプリみたいなのをギュッと立ち上げて登録するか、テキストかPリストっていうファイルで読み込ますかのどっちかなんですよ。
なので、一回本を読むたびに簡単に加えることはできないんですよ、機械的に。
それができたら、たぶんすごい本のサイトをいちいちアマゾンで探すっていうことが多分あるんで。
だいぶ効率的。
あとね、著者名を間違えがちな。
うん、間違えたりも。
だからそういう補完のあるテキストエディターってあんまりないんですよね、基本的には。
でもあっても別にいいと思うんですけど。論文書くやつって、論文を登録しておいたら参考文献の引用をダーって簡単に作ってくれるみたいな機能はあるんですけど、
そういうのじゃなくて普通にフラットに自分が読んだ本とか、よく使いたいキーワードを登録しておいて簡単に読み出せるみたいなのがあったらいいなと思ってるんですけど。
1:09:02
今みたいなのが結局、デジタルで書くことの一番直接的な根系ですよね、もしできるとすれば。
そうですね、間違いなく。
もちろんそういう話もあるし。
やっぱり、またアウトライナーの話になっちゃいますけど、アウトライナーと言いながら、アウトラインプロセッサーと言いながら、もともと西洋にあった文章のアウトラインを作るという、あのアウトラインから出てきたものじゃないこと。
もちろんカードのメタカーから出てきたものでもない。
そうじゃなくて、あれはもともとリスプというコンピューター言語のソースコードを折りたたんで見通しを良くするための機能を持っていたエディターを見て思いついたものだという話があって。
要するに、文章を書くところから出てきた発想じゃないんですよね。
で、そういうものなんじゃないかな。
だからやっぱり、アウトラインとかカードとかから考えるんじゃなくて、要するにデジタルでしかできないことって、アナログツールのメタファーではないところから出てくるんだろうなっていうことがあるんですよね。
だからプログラミングにヒントがあるかもっていうのはそういうことでもあって、そうなんですよね。
っていう話と、さっきのデジタルの編集可能性、プロセスの編集の話、違う話のような気もするし。
そうか、それはツールの話だね。
うん、たしかに。
ツールの話と一緒になっちゃうと、ものすごく巨大にややこしすぎる話になるんで。
だから知的精査の技術って、カードっていうツールとそれをどう扱うかっていうノウハウなんですけど、逆にあんまりプロセスの話って出てこないんですよね。
プロセスの話が出てくるのって、コザネぐらいかな。
しかもコザネもけっこうざっくりで、その具体的などうやって本を書くのかみたいなところはあんまり説明されてないんですよね。
アウトプットをどのように生み出すかみたいなところは、けっこうざっくりとしてるんですよね。
そこがたぶん欠けてるんですよね。
1:12:02
文章を書くというのは、考えをまとめることと実際に書くことに分かれているっていうところぐらいですよね。
ぐらいですね。紙面上はそうなるんでしょうけども。
でもやっぱりデジタル化によってプロセスがビフォーアフターしてしまうっていうところはやっぱり強調しないと。
エディターを使っても原稿用紙の書き方で書いてるんやったら、それは何もデジタル化されてないっていうことですからね、基本的には。
それって普段からエディターで書いてる人にとったら当たり前の話なんですけど、
エクセルとかメモの本が売れてるのを考えると、たぶんそんなに当たり前ではないから、
改めて自分にとっての当たり前をちゃんと言っとくほうがいいんだろうなっていうふうには感じるんですよね。
そういうのもむしろ昔のほうがあったんですよね。
90年代の初めのころのほうは、アウトライナーもそうですけど、
もう少し書くとか考えることをコンピューターがサポートするっていう発想が世の中にあったんですよね。
その頃にパソコンを使ってた人っていうのはそういう人たちだったと言えばそれまでなんでしょうけど、
やっぱり95年頃を境に変わった感じがしますよね。
あの「思考のエンジン」っていう本に書かれてるソートラインって大体が応答してくれるエディターみたいなのがあって、
あれが進歩してたらすごい楽になってたんだろうなって思うんですけど。
ソートラインがどうなったのかって一回調べたんですけど、あのままなくなったみたいですね。
もったいないですね。
僕が文章を書くときに最初に補助線を書くっていう、後から消すようなことを書くっていうことをしますけど、
あれがエディターのほうから聞いてくれたんですね。
今日何に書きますかって振られて、これについて書こうと思ってるねっていう応答で文章を書き進められるはずなんですよ。
ちなみに聞いている方のためにソートラインというのもあれですよね。
人工知能で答え合わせていくとこっちの答えが蓄積されて、
アンドラインに旋回して戻してくれるみたいな素晴らしいソフトが80年代にあったというですね。
いや、どころか今のコンピューターのパワーでやれば全然。
もちろん当時は英語でやるんですけど、
奥田直人さんの「思考のエンジン」という本にそれを使った様子が出てるんですよね。
1:15:00
あれはすごいワクワクしますよね、あれ読んでたら。
これはこうですって言ったら、本当に君はそう思うのかの話になる。
いまいちプラグインでいろんなタイプが選べる。ソフラテスタイプが選べるとか。いろいろできるでしょうね、きっと。
あえてインタラクションによって文章が引き出されていくっていうのは、もう普通に知見としてはあるけど、
そういう学問上の分野がないんじゃないかな。
ありそうですけどね。
なんかソートライン…。
なんかパソコンと喋ってたらアウトラインがポンって出てくるみたいになって、
それってたぶん普通に自分の頭で立てるアウトラインよりずっと書きやすいアウトラインが出てくるんですよね。
あの当時のソートラインはやっぱりちょっとコンピューターのパワー不足で、
あんまり複雑なアウトラインは作れなくて、途中でバーンってなっちゃうみたいな話がありましたけど、
今だったらね、そうですよね。
解析の力とAIのアルゴリズムそのものがかなり進化してるから、絶対その知的生産を補助するようなものが。
でも逆に現代はもうAIに考えてもらおうなんでしょうね。
自分の考えを助けるためというよりはバトンタッチするような感じに利用されるんでしょうね、きっと。
デジタルツールを使っていかにプロセスするかっていうところは、
たぶんGTDをいかにデジタルでやるかっていう話にもつながってきて、
結構パラダイムが変わるんですよね、きっと。
変わらざるを得ないというか。
GTDをデジタルでやろうとしちゃうと、たぶんちょっと違うものになっちゃうっていうことですよね。
でもコンセプトそのもの、一個一個に対してこれは何かって問うていくっていうことそのものは重要なんですけどもちろん。
頭の中で放置しないっていうことは。
そのあとの振り分けそのものがアナログのままですね。
次のアクションリストを作るっていうのは完全なアナログの発想ですよね、たぶん。
そうですね。
しかもデジタルの可能性がありつつも、デジタルツールの動かしにくさっていうのがあるじゃないですか。
さっき言った汎用性の話を言うと。そこもネックなんですよね。
本来ある可能性が生かしきれないというか。
これだけさっきからデジタルで編集可能性があると叫んでいる自分が、
1:18:02
実はすごいプリントアウトをしまくっているっていう、そういう事実もあるわけじゃないですか。
自分は本質的にアナログな人間だと思うんですけど。
デジタルでいいのかな。
デジタル市場主義っていうのはたぶん違うんでしょうけど、
でもそのデジタルプロセス的な考え方っていうのを入れていくっていうのを、
いきなりゼロから完成品にダイレクトに飛ぶんではなくて、
プロセスの中で変化していくっていうのは、
デジタルやからこそできるようになったものではあるにせよ、
でもそれも結局プログラミングの世界でもずいぶん昔から同じようなこと。
僕はそっちの方面の専門家じゃないんであやふやですけど、
いわゆるウォーターホール型の開発と言われているものが、
文章で言えばアウトラインを作ってそのとおりに相当するとすれば、
アジャイルみたいなことっていうのは要するにまず小さく作ってみてっていう。
結局その単位比に相当するものですよね。
そうですね。
ただプログラミングの世界ではそれがちゃんとそうやって名前がついて、
方法論として確立しているところがたぶんあると思うんですけど、
それに該当する者が文章を書くことに関しては、
個別にみんなやってるんだろうけれども、
あんまり体系化されて説明されてないんじゃないかと気はしますね。
ないですね。それはそうと思います。
今まで読んできた文章作法のほうでも、
論文の教室って本だけは唯一アウトプットを少しずつ育てていくっていう話し方をされましたけど、
それ以外ではほとんど見かけないです。
そういうこと書いてありましたね。
スパイラルのように育てていくみたいな感じでしたね。
まさにそのとおりだなと思うんですけど、
大抵の文章術の本で、「思ったとおりに書きなさい」、
または、「アウトラインを先に書きなさい」、どっちが好きですかね。
潜入感の強硬さってすごいもので、
僕のアウトライナー本を読んでくださった方がですね、
すごい褒めてくださってるんですけど、その人はよかったと書いてるんですけど、
まずアウトラインをきちんと決めて書くことの大切さがよくわかったって感じで、
1:21:00
その後に、「あれ?あれ?」みたいな。
いやーでもほんま不思議ですよね、それ。
どこにも書かれてないし、逆のことが書かれてるあんなことが読み取られるというこのマジック。
あまりにも強くそれが植え付けられてしまって。
だからよほどインパクトのある表現を使わない限りは変えられないでしょうね、それって言うと。
まあきちんとしたアウトラインを立てなくていいっていう話だから、
アウトラインを立てること自体は別に間違ってないんですよ、最初に。
アウトラインにこだわらないという話ですよね。
まず作って、でもそれはあくまでも仮ですと。
仮の感覚なんですよね。
アナログ的なゼロの次は完成品っていう考え方だと、その仮がないですもんね。
まああたしには仮って結構キーワードかもしれないですね。
そうですね、仮っていうのはキーワードですね、きっと。
仮が可能、間、中間が可能。
でもやっぱりそうですね、アナログ、デジタルでいかに考えるのかっていうのは非常に。
考えるのかプロセスするのかでもいいんですけど、
っていうところはたぶんキーワードですね。
そっかー、それで考えてみます、いっぺん。
それでも結構こういうふうに立てられそうな気がしますね。
まあ書き上げられるかどうかは別としても。
でもなんか類処がない感じになりそうな気がしますけど。
デジタルでいかに情報を整理するかとかっていう文脈のほうもありますけど、
デジタルでいかに考えるかって結構ないですね。
なんでないんですね。
だから使ってる人にとってはそれが当たり前のことだからじゃないですか。
使ってない人にとっては想像がつかないんじゃないか。
アウトライナーにしてもやってる人はやってるんですね。
別に全然新しい考え方ではないんだけれども、なぜか誰も書いてないっていう。
うんうんうん。
まあ当たり前になっちゃってるからなんでしょうけどね。
文章の書き方だけじゃないですよね、その仮のって。
リビジョンドの場合は計画とかが仮になってますし、いろんな仮があると思いますけど。
そうですよね。
1:24:01
デビッド・アレンさんが仮に想像する言葉でプレイスホルダーってよく言うんですよね。
インボックスはプレイスホルダーであるとか。
仮に置いとく場所っていう意味だと思うんですけど。
パーマネントではないってことですね。
メモ帳はプレイスホルダーであるってこと。
ああそういうことか。
インボックスが一時的な場所でないっていう言い方をすると、
逆に言うとそれ以外のリストはパーマネントなものだっていうことになりますよね。
再起的に適用されない。
ほとんど全てのものは仮なんです。
あらゆるリストは仮なはずなんですよ、基本的には。
その視点がGTDにはないんですよね。
だってやることリスト、メイビーリストはもうリストというか、
ある種の枠組みとしてもう確立されてしまうもので、
そのタイトルが変わることは多分想定されてないでしょ。
タイトルが変わるってことはつまり中身が変わるってことなんですけど。
本来だから、ある時期2020年に作ったやることリストって、
かつてやることだったリストに変わっていいはずなんですよ。
でもそうはならないですね。その運用にはならないですよ、基本的には。
そこはだからあれですよね。
きっとデビッド・アレンさん自身は多分伝わり方が、
そう伝わっちゃってるというか。
なるほど。
ワークフォー的にあえて図式化すると、
そうやって固定的に捉えられてしまう傾向はありますよね、きっと。
たとえばたくさんの本を読んで、
その未使用という項目を必ず作らなければならないとか思う人も多分いらっしゃるから。
そうですね。だから未使用が、文章を書くときに未使用だからといって、
タスクのトライのときはあれはできればに変わるわけですよね、未使用がね。
そういうのは全然ありですよね、普通に。
コンテキストと表彰が着火してしまうというか。
そうですね。
タスク管理アプリがそれを実装してしまったために余計固定されてしまったという。
そうですね。もう実装されてしまうともうどうしようもないですよね。
あれ、夕方にどうしようもないのは本当にどうしようもないなと思うんですけど。
でもね、最近デビッド・アレンの講演で、実は自分は90年代から究極のGTDアプリを作ろうとしてきたみたいな話をしてて、
1:27:06
3回挑戦したけどできなかったって言ってたんですよ、難しすぎて。
自分の思っているようなものを作るのは難しすぎてできなかった。
でもまあそうでしょうね、でも。
作れ作れっていろんな人に言われるんだけど、実は作ろうとしてたんだっていう話をね。
求められる要件が多分デカすぎるんでしょうね、彼の頭の中にあるものを全部出そうとしたら。
手書きの画面設計みたいなのをしてるんですよね、彼が。
逆にだからGTDセモンっていって、ある種の劣化版でしかないってことだよね。
まあそれに悪くはないけれども。
どうしたって劣化版でして、機能縮小版という。
であったら汎用性アプリをちょっと不便ながら使ったほうがいいような気がしますよね。
みんなのニーズが少しずつ違うんで。
さっきの倉下さんのワークフローいらないんですけど、
ちょっとずつ変えていけるというのか、構造自体を変えていけるっていうのもすごく大事ですよね。
それもデジタルの利点ですね、そういう意味でね。
そうですね。変えるためのコストが小さくて済むってことですね、要するに。
まあでも全ては仮っていうのが、いろんな平面で適用できるんですね、要するに。
ものすごい投げやりな人みたいな。
全ては仮でやる。
ちょっと仏教的な感じがしますね。
ちょっと禅的な感じもするし。
万物は露天する的な感じ。
って感じはしますね。
全てが仮であるという中で、自らの性をどう位置づけるかっていう疑問に立ち向かわないといけないんですけど、
全てが仮であると、そのまま行ってしまうと簡単に虚無に引きずられてしまいますよね。
意味のあるものはないのだっていう話になっちゃうんで。
仮固定も仮ですけど、どっかである決断はいるんですよ、仮じゃなくなる瞬間っていうのは。
政治思想に小裸に叫んで人を攻撃したりする人を見ると、「いや、全ては仮なんだぜ」とも思いますよね。
はい。
1:30:02
露天しろよと思いますね。
なるほど。
いいね。いいですね。露天しろよっていいですね。
今回はちょっと新しい視点を得られましたね。
プロセスに注目するということとデジタルならではの考え方。
面白いけど考えれば考えることは難しいですけど。
でもやっぱりこう、自分にとって当たり前なことってあんまり出てこないじゃないですか。
企画案を立てるときにどうしても目新しいことを、面白そうなことを書きたがる傾向があるんで。
そこを一回復帰してみるっていうのは良さそうですね。
はい。長くなりましたが。
今回も1時間半くらいになってるじゃないですか。
今回の感想とかこういう話してほしいぞっていうのは、
ハッシュタグ、打ち合わせ、キャスト、ひらがなで打ち合わせで、
アルファベットでキャストのほうでツイッターでつぶやいていただければキャッチしますので、
よろしければお願いします。
ということで、何かたくさん宣伝等ございますか。
はい。
なんかでも、電電コンバーターっていうフレーズを見かけますね。
似合わせです。
ちょっと完全に近づきつつは。
でも自分の名前のあれではないです。
期待してはおりますけども。
あ、そうですか。なるほど、なるほど。わかりました。
お疲れ様でした。ありがとうございました。