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2023-07-27 1:19:37

第百三十回:Tak.さんとノウハウ本について

サマリー

バージョン10からエヴァノートは迷走していますが、それほど問題はありません。Twitterは名称がXに変更されましたが、一番最後の別れとなるでしょう。また、ナレッジワーカーズというサイトで新しいワークフローリー関連のコンテンツが始まり、新規アカウントが作られることも考えています。インデントやZoomと開講目の開閉による便利さ、ノウハウ本の読み方について話します。ノウハウ本は「やれ」とは言っていませんが、楽しめない本は何も学べないと考えられます。野口さんの方法は抽象化された情報操作のモデルであり、ノウハウ本はその人の方法が一般化されていますが、一般化のための論拠が薄く、ノウハウ本の役割はノウハウを伝えるだけでないため、ヒストリーやコンテキストを含めることが重要です。ノウハウ本の魅力とは、情報だけでなく書き手の心も伝わってきます。しかし、現代の本はあまり面白くないと感じることが多いです。文章に感情や熱量を持たせることで、読者に何かが伝わるのではないかと考えています。ノウハウ本の問題点や整理術について話し合いながら、ノウハウそのものの1個上の視点を語ります。ノウハウ本についての話です。それぞれのノウハウ本の特徴や書き手の腕前、批判のあり方などについて考察します。

エヴァノートの迷走とTwitterの変更
tadanori kurashita
うちあわせCast第百三十回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えをしております。よろしくお願いします。
Tak.
よろしくお願いします。
tadanori kurashita
超ドタバタが連続しまして、一ヶ月ぶりぐらいなんですけども、
えーっとね、本当にこういう忙しい時こそね、僕はね、やっぱりアウトライナーが偉大やなと思うんですけども、
アウトライナーに限らないですけどね、昔は手帳とかなんですけど、
ちょっとこうあれですね、もしを担当せなあかんイベントが戦時に発生しまして、
もうやらんなんとかもうやらないようにやるわけですよ。
Tak.
ありますね。反応とありますよね。自分でやるとびっくりしますよね。
tadanori kurashita
何をせなあかん。一番最初にしたことはやっぱりね、そのワークローリーを開いて、その日の気づきを書いて、
とりあえずやるべきこと、自分のタスクとして繰り返ってくることを、まず列挙すると。
で、そのうちがそれぞれの会構想に、どんなことをしなあかんのかとか補佐的なメモ的情報を一通り書き上げるという、
情報制度とかタスク管理の基礎の基礎みたいな感じですね、これって。
そしたらやっぱりね、ちょっと落ち着くというか、全然物事は一つの前に進んでないですけど、
とりあえずこういうことで心の段取りができたなという感じがあって。
で、僕の場合はそこから物事がそこにかたついたら、スクラップボックスのプライベートなページ、
僕と奥さんが共有している暮らした系ページっていうのがあるんですけど、
そこに個別のトピックとかを作って、コピペして貼り付けて情報整理して、
で、ワークローリーを閉じるっていう感じで、2つのツール、アウトライナーとノートっていうのを使い分けて、
なんとなくタスク管理と情報整理を進めているという感じでしたね。
変な話、これぐらいができたらもう十分だなという、これ以上の機能ってもう別にいないよなとは思うんですよ。
アウトライン的に整備しておいて、ある程度関連情報をリンクでまとめておけるものがあれば、
日常のライフにおけるインフォメーションの扱いって、これだけで事足りるし、
いわゆるデータベース的にとかタグ付けてふんぬんかんぬんっていうのは、ちょっと言い方悪いですけど、
趣味ですよね、あれは。悪くはないんですけど、日常的な切実さの対応よりもちょっと高機能すぎるかなというのは、こういうのをやってて思いました。
Tak.
そうですね。そういう趣味的に、タグとか付けてる余裕なくなりますもんね。
tadanori kurashita
なくなる、そうそう。とりあえず頭を整理してやるべきことにやるっていうことに限定されて、
それがプリミティムというか、原初の情報整理であって、そこにさえ対応できたら、あとはもうどんなツール使っててもいいし、
趣味的に情報整理するっていうのは別に全然よくて、盆栽をするとかっていうのと同じことですかね。
そういう趣味で一貫として情報整理するっていうのは別に悪いことでも何でもないんですけど、
多分それは行為というか、パフォーマンスそのものにはあんまり関係しないかなという気がしますね。
そういう基礎的なところを確認できたっていうのはある意味で良かったなっていうのと、
あとニュースが放置している間に起きたことがいろいろあって、
あとエヴァノートが別に潰れたわけじゃないんですけど、
アメリカとかの開発者が立端全員クビになって、
開発が本社の買収の元のところの開発資源が集まってヨーロッパ拠点シフトになるということがチラッと書かれてて、
それがどうお冷えがついたのか知らないですけど、エヴァノートとか危ないみたいな話がちょっとネットとかでなってて、
みんな別のツールに移動しようみたいなことが盛り上がってたんですが、別に潰れるわけではなく、
開発資源の置き場所が変わったということだけですし、もちろんそれはあんまり良くはないことですけども、
モバイル系のソフトを扱っている会社なんですよね、その買収したとき、なんとかスプーンで、
覚えられないんですけど、
エヴァノートが今この超不人気を生んでいるのってバージョン10からなんですけど、
バージョン9と10ってもう別のアプリケーションなんですね。
10以降っていうのは、いわゆるWebのHTML、CSS、JavaScript的なものでアプリケーションを再構成しているので、
いわゆるWebアプリの一環として捉えられるので、もともとのその買収した会社がWebアプリを開発しているのであれば、
全然違うことをプログラマーの人がやらされるってことは多分ないでしょうし、
10に至るまで、最初のフィルからここに至るまで、エヴァノートって迷走しまくってるんで、
今更変わっても何も変わらない、もともと混乱してたから、変わったところで新たな混乱が引き起こされることはなく、
だから状況としてはそんなに変わってないかなと個人的に思うのと、
あとこれ以上機能増えなくていいよなと思っているので、僕としては。
AI検索っていうのが発表されていて、それは楽しみなんですけど、
ノートに新機能を加えるとかっていうのって別に必要ないというか、ある程度最低限必要なものは完成されきってる気がするんで、
基本的な機能とメンテナンスと、あとそのAI的な検索っていうのが増えるぐらいで、
ある意味ちょうどいいというか、これから開発者バンバン増やして、高機能路線で打倒農場ですとかって言われるよりは、
この辺をこじんまりと進んでいってもらった方がむしろ僕はお金払う価値があるかなとはちょっと今のところ思っています。
Tak.
はい。だいたい打倒なんか他のものになってから迷走を仕掛けたのね。
tadanori kurashita
エバーノートもワードオフィスシリーズのライバルになろうと頑張られて、いろいろ機能を付けたんですけど、
結局他のユーザーがワードとかを使わなくなったかっていうと別に普通に使ってるもんなんで、
Tak.
そうなんですよね。
tadanori kurashita
そういうスタンダードなものを置き換えようとする野心はもちろん素晴らしいんですけど、
ツールを迷走させられないということは京子君としては言えそうですね。
Tak.
そうですね。はい。
tadanori kurashita
びっくりした話題の2つ目がTwitterなんですけど、Twitterじゃなくなったということで、
だいぶ前に鳥のアイコンがイヌカなんかになったみたいなのを紹介しまして、
あれはすぐちょっと後々戻ったんですけど、
このドメイン含めてもTwitterという名称がなくなり、Xというサービスになるということは、
レイブリル風でもなんでもなく進んでますし、
Twitterの窓を開くとアイコンが青い鳥じゃなくて、Xになってるので、
なんでしょうかね。そんなことになるんやっていう。
ある意味驚きやけど、マスクされたらこういうことすんねえなっていうことの半分納得というか。
名称が変わることは別にいいんですけど、
ID名アットマークXっていう誰かが別々に持ってたアカウントがあったらしいんですけど、
それがリオギアコに変えたからっていうことで勝手に没収されたらしく、
それはプラットフォーマーとしてはいかがなものかという意見がありまして、
手に取られるわけですからね。しかもお前らが勝手に名前書いといてって話ですからね。
たぶんこれが一番最後のTwitter別れを告げる、一番最後のポイントになるんじゃないですかね、ここが。
そうですね。
Tak.
あとブランドとはとかいろいろ思いますよね。
tadanori kurashita
今まで積み上げてきたものとか、既存のユーザーはどうなってもいいというような感じ。
彼にとっては趣味の話なのかもしれないけどね、自分で楽しく遊んでるおもちゃなのかもしれないですが、
いろんな人が参加してコンテンツとか作ったりアプリとか作ったりして、
ここまで成長してきたものを一瞬で無に返すというか、
新自由主義の極みみたいな感じの人ですけども。
Tak.
でも本当そういうツイートをタイムラインの上に流すだけじゃないものにしたいということなんでしょうけど、
だからこそそんな不安定な、信用できないものにそれ以上のことを誰がするのかっていう話はありますよね。
tadanori kurashita
そうですね。一時期のレイオフというか、開発者を大量にレイオフした後にまたこういうことをやってるわけで、
現場多分もうすぐとなってるんだろうなと思うんですけど。
Tak.
でしょうね。
tadanori kurashita
僕としては一応このX騒ぎになるまではどうやってもツイッターを使おうと思ってたんですけども、
ちょろちょろそろそろ新規にブルースカイかマストドーンかに本拠地というか、
本拠地を移してこっちが別荘とかに、
意識とか認知の中でそういう移り変わりが起こりそうだなという気がしてます。
Tak.
そうですね。でも結局そうなったとしても、このツイッターアルタメックスにクロスポストし続けることになりますね。
tadanori kurashita
なるでしょうね。しばらくはなると思いますね。
人が結局どこに誰がいるかということと、
ビジネス的な話をすればそのプロモーション効果の高さっていうところがあって、
でも以前のツイッターはそれは高いわけなんで、
趣味でボソボソつぶやくだけなら別にブルースカイで多分僕的には満足なんですけど、
広告効果とかっていうことを仕事の平面で考えたときにさすがにツイッターを無視するのはあんまり得策ではないっていう、
その考え方そのものがもう正直読されると言われればそうなんですけど、
こっちとしても秘伝を稼ぐっていうことは結構史上未来なので、
簡単には捨てられないし、もっと言うと半分ぐらいは愛着の問題ももちろんありますので、
僕やっぱりSNSっていう窓を開いたのがツイッターなので、
極力最後まではお付き合いしたいかなと思っているところです。
さっき上にしようか。
ナレッジワーカーズとワークフローリー関連のコンテンツ
tadanori kurashita
僕が新しく開いたナレッジワーカーズというサイトで、
極力週1回ぐらい何か仕事みたいなコンテンツを書こうかなと思っていて、
最近ワークフローイーニューモンという、
連載というよりは超巨大なコンテンツを追記的に書いていくという形で、
もう今でも相当長いページになってるんですけど、
ワークフローリーニューモンという本があるんですけども、
ウェブサイトでパッと見たときに、そのページ1枚見ればなんとなくわかるというページがなかったので、
自分なりに書いているところなんですけども、
一応ニューモンのページなので、
僕が普段使っているワークフローリーとは別に新規のアカウントを作ってみようかなと。
なぜかというとワークフローリーって全部が一つなので、
お試し用の、例えばダイナリストの場合って適当に新しいファイル作ったら、
それが新しいページになるじゃないですか。
でもワークフローリーって全部が含まれるので、
僕が使っているものが必ず表示されてしまうんですよね。
だから新規アカウントを作ったら、
僕が作ったときはなかったんですけど、サンプルのアウトラインが入ってたんですね。
Tak.
英語で書かれた。
tadanori kurashita
ホーム直下に1個あって、その下に開講目が3つ含まれているのがあって、
開講目の3つの一番下が結構ボリュームのある文章という感じで、
こういうもんですよっていうのを最初に示してくれるものが、
新しくアカウントを作ったら始まる、そこの状態から始まるらしくて、
それを起点に操作説明をしていくページになっております。
アウトライナーの機能とインデント
tadanori kurashita
ごくナチュラルに説明を始めたら、
一番最初がZoomの説明をして云々かんぬんで、
操作説明の最後がインデントになったんですね。
よくよく考えたところで、多分逆というか、
インデントから説明を始めたと思うんですよ。
Tak.
そうだと思います。
tadanori kurashita
でも、もともと項目があるから、インデントをわざわざ説明してなくても、
そこにアウトラインという構造があるので、説明を始められたんですけど、
結局、アウトライナーのさまざまな機能って結局インデントが起点なんですよね。
当たり前ですけど、インデントがあるから開講目があって、
ブロックの移動があってということができて、
普通はインデントから説明するけど、逆にZoomとか開講目の開閉って、
これって便利ですよねっていう話をした後で、
これを作るためにインデントがあるんですよ、
というような説明の構造になったんですね。
これ多分僕が普通にやったら、この順番にはならなかったと思うんですけど、
でも、これは結構合理的な説明の仕方だなと書き終えてから。
Tak.
そうですね。
確かにワークフローイから入って素直に説明するとそうなるかもしれないですね。
うん、なるほどね。
生地、僕なんかが典型的にそうですけど、
従来のアウトライナーの頭が生地あるんで、
どうしてもインデントして折りたたんで入れ替えるんですよっていう話になるから始まっちゃうんですけど、
ワークフローイの場合はZoomから入る順番が正解かもしれないですね。
tadanori kurashita
こういうのって便利ですよねって。
これをするためにインデントがありますよっていうことを、
いろんな機能の根幹になるものとしてインデントを説明する。
先にインデントを説明すると、なぜこれをするのかっていう説明が、
実感としては多分わからないと思うよなというのを、
自分で書きながら思ったのが発見でした。
それはありですね、確かに。
だから僕、これまで世の中でこの順番で説明してるのは見たことがなかった。
Tak.
ないと思う。
tadanori kurashita
なんか新しい感じになったなと今のところ思ってますね。
Tak.
それはね、結構盲点だったかもしれないと思いました。
tadanori kurashita
そうですね。もう全然サンプルがあったからそうなっただけであって。
まあそうかな。
でもまあ、こういう形の説明があってもいいかなというところですね。
前回1ヶ月前に作家の仕事部屋という本が出るよというのを紹介しまして、
実際に出て買ったんですけど、まだあんまり読めてないんです。
3人目ぐらいかな、3人目ぐらいを読んでるところなんですけど、
もう抜群に面白いですね。
Tak.
面白いですね。
tadanori kurashita
1人目はロランバルトでもうそこから面白いんですけど、
その次ですってもう普通に面白くて、
これがずっと続いていくのが今ちょっとワクワクしてるところなんですが。
Tak.
面白いですよ。
tadanori kurashita
やっぱりこれがたくさんインタビューシリーズと通廷してるんだな、
精神性がつながってるんだなっていうのはちょっと読みながら感じましたね。
ほう。そんなすごいところとつながるんですね。
Tak.
個人のやり方を掘り下げていくっていう姿勢。
tadanori kurashita
そこに一般性とかを特に求めることもなく、
淡々とインタビューしていくっていう感じ。
だからインタビュアーの影がほとんど見えなくて、
話してる人だけの形が浮かび上がってきて、
知的生産というか、どう進めるかっていうことに加えて、
そこにどんな心情があるのかっていうところをちゃんとピックアップしてるところがあって、
その辺の精神性は結局現代でそういう本がないわけなんですね。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
だからそこの穴を埋めようとしてる仕事なんだなっていうのを、
この本を読んで思いました。
Tak.
なるほど。
そうなんですよね。こういう本ってないんですよね。
tadanori kurashita
ないですね。
Tak.
ないんですよ。
たぶんこういう本ってきっと作れないんでしょうね、きっと。
そうなのかな。
tadanori kurashita
こういうの読みたいんだよっていうのあるんですよね。
そうそう、こういうの読みたいんだよというのはありますね。
こういうのを読みたいんだよというのがあって。
今回のテーマはノウハウ本についているテーマでそのまま接続したんですけど、
Tak.
こういうのを読みたいっていう気持ちは何を求めてるんでしょうね、僕らは。
やっぱり、ノウハウ本の定義にもよりますけど、
そうですね、はい。
最初読み始めた頃は気がつかなかったんですけど、
ノウハウそのものを知りたいわけじゃないんだろうなっていう。
むしろそのノウハウを確立するに至った経緯とか、それこそ心情とか、
そしてそのノウハウを運用している時間の流れとか、
そういうものを読みたいんですよね。
そういうような気がするんですよね。
それはそこから吸収してやろうというよりも楽しくて読んでいるだけなんですけど、
結果的にそのことによってノウハウが吸収されるというか。
tadanori kurashita
そうかそうか。
要するに、何をしたのかノウハウ本の定義に関わりますけど、
どっちかというとエッセイ風のほうがいいわけですね。
要するにノウハウが主体になっているというよりは語り手が語っているというようなタイプのほうがおそらく好ましい。
そのノウハウ本を吸収してやろうというのではなく、楽しんだ結果として吸収されたことになっているとおっしゃいましたけど、
たぶん楽しんだから吸収できたのではないかと聞きながら思ったんですけど、
ノウハウ本を読んでいて楽しくないとしたら、
それはたぶん何も学んでないと思うんですよね。
Tak.
知識を吸収してやろうという試みで読む本は、たぶん何の知識も吸収されないような気がしますね。
とはいえ、例えばエッセイ風じゃなくても、オライリーのある種の分厚い、翻訳されたある種のものって、
別に僕、全然テック系の人間じゃないんですけど、楽しみで読んだりするんですよね。
それは別にエッセイじゃないとしても、読んでて面白かったりすると何かしら吸収されるものがあったりするんですけど、
確かに楽しいから何かを吸収するんですね。
吸収されてるから楽しいというよりも楽しいから吸収されるんじゃないか。
その通りだと思いますね。
tadanori kurashita
つまらなくはないけど楽しくもない本っていうのが、最近のノウハウ本には多い印象としては。
それは読みやすくて、1時間半とか2時間あれば通して読めるし、
ふんふんとは思うけども、やっぱり心に残らない。
だから楽しいってことが心に残ってるってことなのかな。
Tak.
そうですよね。楽しいから繰り返し読んだりも言いたくなったりしますよね。
tadanori kurashita
それはそうですね。
結局例えば僕もたくさんも含めて、いわゆるノウハウを扱った本。
ノウハウについて言及している本っていうのを数多読んできたわけですけど、
そこにあるエッセンスって僕らの頭とか体の中に入っているわけですけど、
その通りやってるものってたぶん一つもないですよね。
何もないかもしれないですね。
言われた通りにやってるものっていうのはたぶん一つもないかな。
絶対にアレンジというかカスタマイズというか、
パーツの1個だけ使ってるぐらいのものも結構あって。
だとしたらノウハウの役割というのは一体何なのだろうか。
僕ら二人が上手いこと言ってるという定理って、
実はもっと上手く言ってる人はその本の通りにやってて、
Tak.
そのほうが上手く言ってて、僕らはB級なのかもしれないですけども。
tadanori kurashita
ノウハウを果たす役割っていうのは、
でもやっぱりその通りにやらせることではないような気がしますけどね。
Tak.
まあそうでしょうね。
そもそもその通りやるかやらないかって結局読者の勝手なので。
tadanori kurashita
もちろん。
Tak.
だから、何でしょうね。
その通りにやる前提で書かれていても、
たぶんやらない。
やらないというか、やれない。
tadanori kurashita
やれないですね。
Tak.
ただその通りにやる前提でそれが正解だよっていう書き方をされていると、
その通りにやれなかったときに、
やれないのが当然だと思うんですけど、
やれなかったときに、
自分はこの方法に挫折したって思っちゃうような気がするんですよね。
tadanori kurashita
だから10-0になりますよね。
ノウハウ本の読み方
tadanori kurashita
その通りにできるか、もう全くできないかの二択になっちゃいますよね。
10%ぐらい活かしたみたいな、これでよかったっていうようなことにはたぶんなりにくいですね、その場合。
そうだと思うんですよね。
サッカーの仕事部屋は、あくまで個人的な私の方法が語られているだけじゃないですか。
読者にこの方法をやるとは一言も書いてないわけですよね。
だからこそ、提示されたノウハウと付き合い方に距離が置けるというところがあって。
で、どうかな。
昔の知的生産の技術系の本。
例えば、梅澤の本とか、渡部翔一の本とか、あるいは富山さんの本とか。
Tak.
どうですかね。この通りやれ系メッセージはそこまで強くはなかったですかね。
tadanori kurashita
この通りやれ系ではないですよね。
ただ、語りの特徴として、一般的にこうするものであるとされているが、本当にそうだろうか。
そうではなかろうか。
まあ、その際に至るものが野口さんだと思うんですけど。
Tak.
梅澤さんも、普通は今の時代の常識として、
例えば勉強して何かノートを取る。大学ノートを普通は使うけれども、
あえて順番に切り離せない、編集で入れ替えられないものって、実はあまり良くないんじゃないかっていう。
実は自分たちは、自分たちの仕事の中でこのカードというものを使っていてっていう風に展開するじゃないですか。
tadanori kurashita
だけど、なんだろうな。その通りやれって書いてないよね。
読者にやれとはたぶん一言も書いてないですね。
私はこの方法をしているなぜならこういう合理的な理由があるからだ、みたいな構成ではあるんですけど、
読者にさあ、しましょうとはたぶん一言も言ってないですね。
読者の裁量とメッセージ
Tak.
ただ、これが正解だとは書いてないんだけど、自分はそれが一番いいと信じている。
実際に成果も出しているという、なんだろうな。
読者に影響を与えるような、ちょっとアジテイトするような感じで。
tadanori kurashita
そういう感じはあります。それは間違いなくあります。
Tak.
そのアジテイト感がいいんじゃないかなと思うんですよね。
tadanori kurashita
読んでて楽しいに近いですけど、その方法をやってみようと思わないノウハウも価値はないと思うんですけど。
でも、違うと思わせすぎるかな。この方法をやりなさいというアジテイトは多分ダイレクトすぎるんかな。
それはそもそもアジテイトじゃないという可能性もありますけど、この方法をしなさいというのはもちろんエデュケーションに近いかな。
Tak.
エデュケーションね。
tadanori kurashita
だからアジテイトとエデュケーションの違いがあって、やっぱりエデュケーションは教育的すぎるというか、こうしなさいまで言っちゃってしまっている。
そうすると他の方法に手が伸びないという、その当たり当たる方法を改造することも、便所方法的に発展させることもできなくなってしまうという問題があるのかな。
渡辺さんとかも例えばカードの使い方とかって紹介されてますけど、その前にまず自分がどんな風に勉強してきたのかとか、留学してどうこうみたいな個人のヒストリーの中にこういう方法を自分はやってるっていうところしか語ってなくて、
個人のヒストリーと結びついてるからこそ、別に読者はそこをどうするかは、裁量がこっちに任されるわけじゃないから、その通りやってもいいしやらなくてもいいっていう。
メタノートを紹介した富山さんも、私はこういう手帳を使ってこうやってると書いているだけで、全部自分、書き方付きのこれは私の方法ですっていうところは別に文章には書かれてないですけど、メッセージとしてこれは私の方法ですという保留があるんですね、必ず。
ノウハウ本の一般化と論拠の不足
tadanori kurashita
野口さんはもっと一般化を目指されたっていう感じがして、実際押し出しファイリングは私の方法で超えた普遍性があるんですね、やり方っていうのは。それよりもっと後にいくと、こうやりなさいになるんですね、もう完全に。
問題は問題というか問題じゃないですけど、野口さんの方法は、ある種抽象化された情報操作のモデルじゃないですか、つまり新しいものを前に出すっていうだけのことであって、2010年ぐらいのノート述本っていうのは、提示されてるのはその人の方法なはずなのになぜか一般化されてるんですよね。
Tak.
情報的抽象性はそこには何もないはずなのに、あたかもそれが一般的ノウハウであるように語られてて、そこに多分ミスマッチがあるんじゃないかな。なんか変な進化をしてきてる。
tadanori kurashita
市場のニーズとして、私の方法ですって留まってるだけではメッセージが薄いんで、もっとこうやりましょうって言ってくださいっていうエディティエディットが入ってるだけなのかもしれないですけど、ちょっとそれを踏み込みすぎかな、おそらくノウハウの提示の仕方としては。
Tak.
そうですね。個人的なノウハウを説得的に魅力的に描くことによって、読者がそれを一般化する。読むことが一般化していく。それで自分の中に取り込んでいくっていうのが理想な気がするんですよね。
確かに。
読者が本の中で一般化しようとすると、よほどのことがない限り逆に伝わってこなくなるというか。
tadanori kurashita
まあそれもありますね。一般化っていう言葉だけじゃなくて。
一般化っていう言葉だけじゃなくて、他の人にも通用する何かがあるというものを提示するための論拠が薄すぎるんですよね、結局。
たぶん、似たノウハウを10個か20個持ってきて、「ほら、これとこれは僕の方法と共通がありますよね。」みたいなことを言ってくれたら、まだもうちょっとあれなんですけど。
なんかないんですよね。そういうのが。そういう一般化のための論拠が何もない。
Tak.
あたかも本を書いてる著者と読者は同じ属性の人やから、私ができたんだからあなたもできるみたいな、そういう感じなのかな。
tadanori kurashita
まあいろんなタイプの本がありますけど。
Tak.
そうなんですよね。でも、方法として魅力的なものがあることは事実だと思うんですけど。
それは間違いなく。
無駄が省かれていすぎて、無駄というのは本質じゃない部分が省かれていすぎて、結果的に何だろうな、無駄がなさすぎるっていうことはそれは無駄じゃなかったんじゃないかっていう気がするんですよね。
tadanori kurashita
無駄か無駄じゃないかの判断がちょっと厳しすぎるというか。
厳しすぎる。
そうそう。最初に話を戻すと、ノウハウ本の役割がノウハウを伝えることだけじゃないとしたら、ノウハウしか載ってないのは旧大典にはならないということなので。
Tak.
はいはいはい。
tadanori kurashita
コンテキストで簡単に言うと、周辺的な情報を含めて始めてそのノウハウ本が読んだ人の役に立つとしたら、1から10までノウハウのことしか書かれてませんっていうのは、参考資料としてはいいですけど、ノウハウを読んだ人が活かすっていう意味で言うと、だいぶ情報量が少なくなってしまっている。
はいはいはい。
もちろんだから、そんなダラダラとした個人のヒストリーなんて読者は読みませんっていう編集的判断が働いてそういう本になってるやもしれないですけど、おそらくその判断そのものがもう誤っているかもしれないですね。
Tak.
まあそうですね。だからそれを読者が読まないとすればそれは多分ダラダラしているからであって、そのヒストリーを読まないわけじゃないですよね。
tadanori kurashita
確かにそうや。
Tak.
なんかこう、すごい胸が今痛かったですけど。ダラダラしちゃうんですよね、ヒストリーを書くと。でも多分自分はヒストリーが書いてあっても読むときは読むんですよね。
そうですね。
それはやっぱりその作者が読めるように、読まれるように書いているから多分読めるんだと思うんですけど。
tadanori kurashita
だからやっぱり変な話、ノウハウってノウハウの知識があれば書けるわけじゃなくて、むしろノウハウを読ませるための文章力がないと書けないという、読んでもらうものが書けないということですね、これは。
Tak.
そう思ってたんですかね。
tadanori kurashita
だから結局、言語家のノウハウ、その人がノウハウをうまく運用してるとしても、言語家がうまいか下手かっていうのは当然あるわけじゃないですか。
一つには説得的に書けるってこともありますし、論理的に書けるってこともありますし、読ませるように書くっていうのもその中の能力と一つであって。
だからノウハウが優れてるからノウハウ本が優れてるとはちょっと言えない。
Tak.
それはそうですよね。
tadanori kurashita
だから優れたバッターが優れたコーチになるとは限らないとか、優れた監督になるとは限らないみたいなと同じ話だと思いますけど。
Tak.
そうですよね。だって結局そのノウハウだけが重要だとしたら、例えばこの作家の仕事部屋なんていうのはこれって70年代の本だと思うんで、70年代のテクノロジーのことしか書いてない。
tadanori kurashita
そうですよね、はい。
Tak.
これじゃあ今読んで役に立たないか、楽しみにしかならないかって多分そうじゃないと思うんですよね。
今のデジタルの環境で書くときにもおそらく取り入れられる要素は無数にあると思うんですよね。
tadanori kurashita
ありますね。
Tak.
だからただそれがここに書かれているノウハウを直接取り入れるという意味ではないですよね、どう考えても。
そういうことなんですよね、多分。
tadanori kurashita
読者が一回何らかの変換なりをかまして、自分なりにそれを応用するっていう読み方さえできたら、別にそれ何年前のでも、それこそ平安時代の本でも役立つはずですけど。
ノウハウ本の読者への作用
tadanori kurashita
だから、例えば本を作る人が読者はそんな変換能力はないだろうと、もうちゃんと答えを書いて読まなければならないと思っているとしたら、さっき言ってたような本が出来上がりますし、
結果的にそれは多分ノウハウを使えるようになってないという。
ノウハウって書いてあることを真似することじゃないと思うんで。
Tak.
そうですね。それもありますけど、一部ですよね、きっと。
tadanori kurashita
特にこの知的作用のノウハウっていうのはおそらくだからそうじゃない、そういうものではない。
テキストをマウスで選択してコントロールCを押すっていうのとは違うわけじゃないですか、そういうノウハウでは。
知的作業のノウハウって精神性とか性格とか品質とか置かれている環境と深くコミットしているからこそ、それぞれの人に違いが出てくるわけじゃないですか。
仕事部屋でもみんな違いますよね、言うてることが。
Tak.
みんな違いますね。
tadanori kurashita
ノウハウがそのまま使えないのはもちろん当然のことであって、それは正常なことであって、だから変換しなければならないってことになるわけですけど。
この作家の仕事部屋がいいのは、いろんな方法が並行的に列挙されていることだね。
正解がないんだなっていうことが読んでて、すごくわかる個人的なものなんだなっていうのがわかるんですけど、
逆に昨今のノウハウ本ではそういう列挙というよりは、たった一つのやり方みたいなもので、ある種の新生化するというか、
超越的なものとして言い付けることによって、この方法以外はダメなんだっていうことになると、やっぱり個人、自分に合わせたノウハウ作り替えっていうことがしにくくなるということは、
結局それはノウハウが使えないということになってしまって、本末転倒な結果になるという。
Tak.
ただ一つ忘れちゃいけないのは、たとえば作家の仕事で言えば、これ目次を開けば、
初っ端にロランバルトがあって、後見ていくと、こういうフランスのこういうものにそんなに詳しくない自分でも、
バルトだ、レビィストロスだ、フランスワーズ・サガンだって知ってる名前がバンバン出てくる。
要するに、これが全然知らない人ばっかりだったらどうかという話は別ですよね。
tadanori kurashita
まず読まないでしょうね。手に取らないでしょうね。
平列が確かに重要で、でもブランドが重要じゃないわけではないという。
Tak.
そう。で、あとこれ平列でみんな違うこと言ってるけど、ある意味ではみんな正解だっていうのは、
それぞれの人が超一流のアウトプットをしている人だというのが自明だからっていうのはありますよね、もちろん。
tadanori kurashita
確かにね。確かにそうだな。何でもいいわけではない。
何でもいいわけではないというのは確かにそうだな。
まあ、そこまでもどうかな。
例えば、もうないんですけど、日経のアソシエっていう雑誌で、たまに手帳術の特集とかがあって、
一応、多分名のある企業とかに勤められている、でも無名のビジネスパーソンとかの手帳とかノートがババーっと出てくるような回があって、
それはそれで普通に面白いんですよね。
Tak.
それはあると思います。
やっぱり最初に読むかどうかはブランドに関わってきますけど、
tadanori kurashita
まあ、その人がどこまで強い実績を上げてるかは、ノウハウを味わうときにはそこまで影響しないんじゃないかな。
ノウハウ本の書き方と文体
tadanori kurashita
だって、有名な人はたくさんいますけど、ギャルトほとんど知らない人もいっぱいいるわけで。
まあ、もちろんそうですよね。
だから、そこまで強くはないんじゃないですかね。
読み始めてちゃえば特にそうですよね。
読み始めたらもう後は気にならない気がしますね。
2023年において、これは基本的に列挙スタイルというよりは個人が自分の方法を紹介していくっていう本とか、
KDPとかを書いている立場の人間として、どういうスタンスで書いていくのか。
例えばプライベートのヒストリーっていうのを出すのか出さないのかとか。
読者にこうしましょうって言うのか言わないのか。
現代的な読者のニーズっていうのと、僕らが読みたい本っていうのは完全に一致してるわけじゃなくて、むしろ大きく一致してる気がするわけで。
読者を無視して本を書くっていうのは傲慢すぎるわけですから、当然それは。
読者のニーズに合わせた書き方をする必要もあって。
Tak.
どう塩梅をつけるかですね、これは難しいところが。
例えば倉下さんの書いたものを読んでいくと、あんまり倉下さんって個人的なヒストリーもそうだし、
心情的なことを表に出さないできたんですよね。
tadanori kurashita
出さないですね。
Tak.
それがスベノでちょっと出した感じ。
tadanori kurashita
感じはありますね。
Tak.
そのあたりの変化というか、そこって意識してたんですか?
前も聞いたような気がしますけど。
tadanori kurashita
意識して、無意識に影響があったという言い方が新しいでしょうけど、
つまりスベノの前まではビジネス書というカテゴリーの本を書こうとしてたんですね。
僕の中でイメージされているビジネス書ではそういうことあまり書かれてなかった。
だから意識的というよりは無意識的に選ばれる文章とか内容がそっちに寄っていってた。
バイアスがかかってた。
でもスベノは新書なので、これはビジネス書じゃないという認識があったので、
ちょっと出てきやすくなったみたいな感じかな。
Tak.
そうか、新書であることを意識して。
tadanori kurashita
結果的にビジネス書じゃなく、内容とか文体はビジネス書から自然と離れていったっていう。
Tak.
やっぱりスベノを読んでいると、この漢字でスクラップボックスについて書かれていたらいいのになみたいな感想が浮かんでくるわけですよね。
tadanori kurashita
そうですね。だから僕自身もノンハ本をこれまでたくさん書き続けてきて、
書いた本にいろんな反応とかをもらえたりもらえなかったりした経験も含めて、
こういうところが良いのだなっていうのはある程度わかってきていますし、
もっと言うと、僕の能力、文章に合った書き方と合ってない書き方っていうのが多分あって、
僕多分淡々と書くのがあんまり得意ではないというか、
自分の思考をとっちらかせたままに走っていくみたいな方が、
僕の文体というか文章の書き方としては多分合ってますし、
書き手の心と情報の拡散
tadanori kurashita
少なくとも書いてて楽しいのはそっちですかね、きっとね。
極力フラットに説明に始終しましょうっていうのってすげー窮屈。
他の人もそうかもしれないけどすげー窮屈なので、
そういうとこはちょっとずつ離れてきた。そういう相性もわかってきたかなっていう感じかな。
はいはいはいはい。
Tak.
だからなんかこう、やっぱりスベノを読んでると、
情報だけじゃない、ノウハウだけじゃない形で入ってくるものがあるわけですね。
結果的にノウハウが入ってくるっていうところがあって、
だからさっきから言ってるようなことをはっきり意識する、
改めてそれを読んで意識したっていうところがあるような気がするんですけど、
そう考えたらやっぱり昔の新書を読んでいて、
自分の中に残っているものにちょっと近いものがあるなっていうのを思ったわけですよ。
tadanori kurashita
やっぱりそこに人がいるっていう感じですね。書き手の心があるというか。
ノウハウはやっぱりノウハウが主役というか、ノウハウしか語れなくて、
書き手はできるだけ書き手の信条とかが前に出ないように、
メソッドだけが独立して歩けるようになっていると。
その方が情報の拡散というか、どう言ったらいいかわからないけど、
広がっていくのにはノウハウだけが独立してた方がいいと思うんですよ。
著者の語りっていうのは邪魔なので、拡散については。
最終的に例えば、書き手の技術もカード法をいくら説明したところで、
最終的にあの本を読んでくださいって言うしかないじゃないですか。
そういうのってあんまりネットとかコピペの伝達には向いてないんで、
例えば3つだけで説明できるメソッドの方が遥かに伝播力があるわけですけど、
だから伝播力があればあるほど、本そのものの魅力が薄れていくっていうトレードオフが多分あって。
Tak.
そうですよね。でもその3つのポイントで説明できてしまうほど、
元の本を読む必要がなくなってきちゃう。
tadanori kurashita
その方が認知はされますし、こう言うとはなんですけど、本って買っても読まない人が結構業者さんいるわけですね。
売上自体はそれで作れるわけですよ。だからある種、商業的な成功はとりあえずフレーズだけでも広まればいいみたいなことはあるわけですよね。
でも僕らは目的としているものはないわけじゃないけど、そこがファーストプライオリティではないので、
できれば読んでもらいたいし、読んで何か役立ててもらいたい。
役立てると直接できますけど、読んでよかったなと思えるようなものを提供したいと思うので、
本の魅力の減少
tadanori kurashita
ちょっとだから方策がずれてくるところがありますね、そこは。
Tak.
そう考えると結局、やっぱり現代においてそういうものが減ってくるのは当然といえば当然だし、
それを作り手が作っていくことも難しくなっていくというのも当然といえば当然という感じではありますよね。
tadanori kurashita
商業出版の舞台ではよっぽどのひねりがないとそういう企画案というのはなかなか通らないとは思いますけども、
例えばある程度年齢が生かれた編集者の方であれば、
僕らと同じような面白さを本に感じてくれて、それが世に出るということはちょっとあるかもしれないですし、
逆にもっと全然若い編集者なんでも、こんな形の本ってあるんだっていう再発見がある可能性もなきにしはある。
最近レコードがまた売れてるみたいな話がありますけど、
やっぱり昔価値があったものが時間が経ったから価値が急になくなってるわけはなくて、
ただ忘れ去られているというか見過ごされているだけのことであって、
Tak.
いつでも再発見される可能性っていうのは多分あるんだなとはちょっと、これは希望ですけど、希望は持ってますね。
なんかそのノーカウボン、そういうジャンルがあるのかちょっとよくわからないですけども、
でもビジネス書っていうジャンルはあるじゃないですか。
tadanori kurashita
ありますね、はい。
Tak.
でなんかこう微妙に微妙にっていうか重なってるじゃないですか。
tadanori kurashita
ベンズみたいなものが重なってるじゃないですか。
Tak.
あら、そこのビジネス書ってあるかどうかっていうのは一つ要素としてありそうですよね。
tadanori kurashita
そうか、だからやっぱりビジネス書のあのサイズで、
あの売り場に並ぶ本屋と僕らがさっき言った本になりやすいというのは多分あって、
だからやっぱり新書とか文庫とかの方が、
もうちょっと内容的にも文体的にも開かれたものになりやすいのやも知れませんね。
Tak.
やも。
tadanori kurashita
やも、わからない。
でもやっぱ最近のこの手の本はやっぱりあんまり面白くない。
前も言いましたけど、セカンドプレインって本も別に悪いことは全然書いてないんですけど、
でも面白くなかったですね。楽しくなかったかさっきの言い方として。
またバレットジャーナルはその著者の思いが中盤から出てきて、
自分がそこにどれだけ姿を重ねられるかは別として、
こういう心境でこういうのが出てきたんだなっていうのがわかりますから、
なんかそのノウハウとの距離感とか位置付け方もできるんですけど、
セカンドプレインとかになってくるとちょっと薄まりますし、
ハウトゥーテイクノートとかハテイクノートの本もあれも結局、
著者じゃなくて、あのメソッドを開発したのはルーマン。
ルーマンが自分で書いた本じゃなくて、ルーマンの方法を現代的に再構築した本で、
まごびきみたいな感じになってるので。
Tak.
そこはしかしありますよね。
tadanori kurashita
例えば、著者がこういう情報を整理したくてずっと困ってたと。
ルーマンの方法があったからみたいなヒストリーがあったら、
もうちょっとこう距離感が縮まってたかなと思うんですけど、
割とその著名な人の方法これですよみたいな感じだったので、
Tak.
そういう意味でのその本のこってり感がなくてあっさりしてたって感じですね。
そうですね。
文章の熱量と読者の受け取り
Tak.
バレットジャーナルはもう本当、
あ、著者がこういうことで苦しんでいて長年苦しんできたんだなっていうのが
本当にありありと伝わってきますよね。
tadanori kurashita
そこの苦しみに、苦しみに触れることがやっぱり大切なんかな。
苦しみを含めた心情ですね。
これをやってて楽しいっていう話も多分重要で、
心の動きがそのメソッドと併設されてるからこそ、
Tak.
読んでて楽しいですし、どう使うかを考える上での材料というか情報になる気がしますけどもね。
そうなんですよね。
だからその著者がこういう、要するに例えば、
一般的な方法でやろうとしたんだけどうまくいかなかったっていうところに
まず共感というか、ああそうそうそうなんだよなっていうのがあって、
その著者がでも一般的にはこう言われてるけど、
実はこうなんじゃないのかって試してみたらこうだったみたいな。
やってるうちにこういう方法が出来上がってきたよっていうところで、
自分のヒストリーと半分重なるような読み方をするんですよね、多分。
少なくとも自分はそうなんですけど、
そういう部分がないというか、あえて排除してある作りのものが多いですよね。
tadanori kurashita
多いですね。この手の本のよくある構成というか書かれ方が、
まず冒頭でこういう問題ありますよね、あなた持ってますよね。
この方法を使えばまるっと解決しますよっていう題材で話が進んでいくことが多いんですけど、
その語りの中で、確かに著者も自分も同じような問題で困ってましたみたいなことを述べるわけですよ。
でも何か違うんですね。
さっきの話で言うと同じことが語られてるような気がするんですけど、どうも同じではない。
構成としては似たことが書かれてるはずなんですね。
僕はこういうこと困ってました、この方法で解決できますって語られてるはずなんですけど、
でもそこにヒストリー、読まちがえんない。
ヒストリーは勘違いですよね。
Tak.
なんでしょうね。こうやって言葉にすると別にそんなに変わらないような気がします。
読んでたら明らかに違いますからね。
そうですね。文章の違いはあるかもしれないですけど、そこは好みのような気もするし。
tadanori kurashita
おそらく説得のために書かれてるっていうことなんですね。
そのタイプは、僕が校舎で一直近に言ったビジネスタイプってのは、
相手に共感してもらうために書いてるというか、
補強材料として書いてるだけであって、全体の語りの一部になってないというか。
難しいな。難しいな。
AとEタイからその話を持ってきてるっていうだけであって、
1の話、2の話、3の話、この3の話に私のヒストリーが入ってますとかいうことではないんですよ。
だからフローになってない。全然。
単にこう言ったら共感してもらえるだろうという感じで書かれてるっていう印象があるのかな。
はいはいはい。
だから難しい。難しいというか。
たくさん自分が情報を使うときにどう困ってて、アートラーナーと出会ってうまくいきましたっていう話のほうが、
いわゆる昔の知的生産技術っぽい構成にはなりますけど、
でもそれを世に問うのは難しい。
こんなことを書いて読まれるのかっていうのは多分常にあると思うんですけど。
Tak.
ありますね。
tadanori kurashita
でも書き続けるべきなんですかね。そういうの。
システムとか方法だけ書いたほうが書いても気分的には楽というか、
わざわざそんなプライベートなことを書かなくても済むほうが楽と言えば楽な気もしますけども。
Tak.
プライベートなことを書くかどうかは別として、
書いていて楽しいことを書いたほうが多分本題の迫力が増すというか。
イーストリーとかプライベートなことを単に書いてあるというだけじゃなくて、
例えばアウトライナーの話だったらアウトライナーの話の迫力というか説得力でもないんですよね。
tadanori kurashita
熱量の違いはある。
Tak.
熱がこもった感じになる。
ありますね、確かに。
あれってよく僕が好きで話す、
木村泉さんのワープロ作文技術に出てきた文章の補助線という話、木村さんだけじゃなくて他の人も言ってますけど、
わざと完成版には残さないようなことをわざと書くことによって、
ほっとくと出てこないはずのものを引き出すみたいなやり方。
例えばあえて人の悪口を書いてみるとか、悪口を流れで本筋の何かがについて、
その悪口を書いた勢いで本題が出てきたら、悪口の部分は後から消しちゃって本題だけ残すみたいな書き方ですよね。
なんかやっぱりそういう、それをやると熱量が変わるんですよね。
感情が困る。感情なのかわかんないですけど。
tadanori kurashita
まあでも何かが違うんでしょうね。
Tak.
でもやっぱり面白くないなと思いながら、淡々と情報だけを書き連ねていったものとは何か確かに違うものになるっていうか。
tadanori kurashita
呼んだ人が受け取る何かが変わるんでしょうね。それはでも間違いなく。
Tak.
そうでしょうね。
tadanori kurashita
その変化を好ましく感じない人がいるのも、もちろんあるでしょうけど。
うーん、まあそうか。
さっきエディケーション教育って言いましたけど、
真の教育って、例えばある学問を教えるときの真の教育って、
その教える人、教師が、この学問ってこんなに面白いんだよっていう感覚とか感情を受けてが、
もしちょっとでも引き継いだとしたら、多分それが真の教育だと僕は思うわけですけども。
だから逆に言うとアジテイトとも言い換えられますよね。
だからそこなんじゃないかな、やっぱり。
野口さんも含め、その前の人も含め、サッカーの仕事部屋に出てくる人も含め、
やっぱりね、ノウハウについて考え続けてはるんですよね。
何も適当に済まそうとしても、ちょっとでも自分のこの苦しさを減らしたいとか、
ノウハウの広がりと欠点
tadanori kurashita
あるいはもうちょっと効率よく進めないとか何でもいいんですけど、
どうしたらいいかっていうのをずっと考えてはって、
その人が紡ぐ言葉やからやっぱり面白いというのが多分あって。
だからノウハウで読んで面白くないのは多分そんなに考えてない。
ノウハウについてそんなに考えてないんじゃないかなと感じられるから多分面白くないのではないかなと今ちょっと思いましたけども。
だからノウハウを語る語り口に、その人がそれについてどれだけ考えてきたのかっていうのが、
どうしても透けて見えてしまうところがありまして、そこなんじゃないかな、きっと。
Tak.
確かに確かに。あるかもしれないですよね。
例えばそのエバーノート本がたくさんあったとしたときに、
いろんな人がエバーノートの本を書いたと思うんですけど、
tadanori kurashita
エバーノートのことしか伝わってこない本と、
Tak.
要するにエバーノートの機能とその使い方しか伝ってこないものと、
その背後にある、その人がエバーノートを使うということの背後にあるその人の仕事であったり、
その人の仕事だったり、人生であったり、その人がどう生きているかというのがその背後に透けて見えるようなものってのがあるんですよね。
例えば、倉下さんもそうですけど、例えば堀井さんがエバーノートについて語るときって、
tadanori kurashita
堀井さんの仕事なり、研究なりっていうものの存在をその後ろに感じるわけですよね。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
そういうもののあるなしってのはやっぱり大きいんですよね。
この手の本を書いているとよく言われるのが、その読んでる人、いわゆるビジネスパーソンにイメージしやすい事例を入れてくださいみたいなことを言われるわけですね。
それはもちろん合理的な話だけど、でも、ということはそれは僕の話じゃなくなるということなんですね。
例なんですね。
でもそれはもちろん、フリーランスで物書きしている人間よりはデスクワークしている人の方が多いわけで、市場的な判断は全く誤ったんですけど、
でも結局そうやってすればするほど僕の話から逸れていくわけですよね。
全然したことないわけなんですけど、会社のオフィスワークを僕はしたことがないから、そこでどんな問題があって困るかみたいなのは、僕の捏造じゃないですか。
全然実感もないし、情熱もない話になりますわよね、きっと。
きっとそうやって構成されている本って多いんじゃないですかね、きっと。
Tak.
でしょうね。
tadanori kurashita
だいたい本を書いている人って独立している人とか、僕みたいなフリーランスとかが多いわけで、コンサルタントとかそういうのが多いわけですけど、
そういう人が自分のやり方だけ書くと多分ドックショットの距離が空いちゃうから、もっと寄せてくださいみたいなことがあって、
全然よくある風景を描写した結果、情熱とは距離があるものになってしまったっていう、
プロダクトにおけるそういう偏り方っていうのが、なんか面白くなさに繋がっているような気がしますね。
Tak.
それで、あんまりすごく仕事ができるわけではない、主人公的な入社3年目の人と、同期の女性社員とすごく仕事ができる先輩みたいな、そういう中の会話が展開されたりする。
tadanori kurashita
もちろんイメージしやすいのはいいと思うし、読んでいてあるあるって多分なると思うんですよ。
そこには著者の情熱は一味にも含まれていないというか、うまい人だったら含められるかもしれないですけど、
大抵の場合はあるあるっていう共通理解の下で書かれてしまって、
著者のマニアックなこだわりみたいな、そういうところは全て削ぎ落とされてしまっている。
だから、おそらくそれによってそのノウハウがどういうものかっていうのは多分伝わるんですよ。
ノウハウの情報、知識としてのノウハウは伝わるんですけど、実践としてのノウハウに多分繋がっていかない。
ここはノウハウを知識として伝えるのか、ノウハウを実践として伝えるのか、
実践的技術として伝えるのかっていうことの多分位相の違いがここにありそうな気がします。
Tak.
なるほどね、なるほど。
tadanori kurashita
もちろん押し出しファイリングみたいに、誰がやっても絶対同じになる構成は全然いいんですけど、
ノウハウの知識的に伝えれば伝わる。
本を読まなくても押し出しファイリングの説明したPDF3枚ぐらい読めば、
明日から多分実践はできると思うんですよ。
それぐらい汎用性があるものですけど。
でも面白くはないんですよ。PDFを読んでも面白くはないですし。
アレンジとかも多分そこからはできない。ただ実践はできるけどというところで、
とどまってしまいそうな気はしますけど。
Tak.
でもあれ野口さんの押し出しファイリングのところも、
tadanori kurashita
そのノウハウ自体の説明って5、6ページで終わってるんですよね。
PDFで言うと3枚ぐらいで説明自体は成立するんですよね。
Tak.
その後何の話をしてるかというと、
でもこう言うとあなたこう思いますよね。絶対こう言いますよねっていう話を。
手を替え品を替え。こう言うとあなた絶対信じませんよねっていう。
ノウハウの知識と実践
Tak.
でも実はちゃんと考えていくと、
実はこうなんですよ。ちゃんと合理性があるんですよと。
なぜなら使う書類の8割ぐらいは最近使ったものだから、
だいたい押し出しファイリングの手前側の15分ぐらいのファイルの中にあるみたいな。
確かにそうかもしれないなと思わせられるわけですよね。
そこは多分PDFに入ってないんですよね。その部分はね。
なるほど。
tadanori kurashita
でも実は押し出しファイリングの有用性が本当に読者の心に焼き付くのってその部分だったりするんですかね。
僕が多分一番読んでて、ああそうだなと思ったのが、
押し出しファイリングって別にインデックスしないじゃないですか。
右から探していくっていうことで、
イメージとして本当にこれで情報整理できるのかなっていうイメージがあって、
野口さんは一番端から端まで見ていってもせいぜいこれぐらいしかかからないよっていう、
一番最悪のケースを述べてはいるわけですね。
でも、あ、そうか。端から端まで別に探してもいいんやって、僕はその時思ったわけです。
情報っていうのはパッと見つけてサッと取り出せなければダメだとか、
最悪泥臭いことをしても端から端まで出したら必ずあるよっていう話がされてて、
そこが、この方法っていうのはちゃんと実践的なんだなっていうのをちょっと思った記憶があって、
だからノウハウそのものにも、やっぱり彼が実践の中で経験してきたこととか、
他の人に説明して突っ込まれたことみたいなことを含めて始めて、
その方法論の全体に触れられたなっていう感じをちょっと今でも覚えてますね。
Tak.
そうですよね。そこも多分PDFには入らないですよね。
入らないです、きっと。
あ、そうそう。平均アクセスタイムっていうことですね。
tadanori kurashita
そうそう、そういうことですね。
Tak.
その完璧にファイリングで整理された、完璧に整理されたものに比べれば、
パッと出てこない場合はあるかもしれないけど、でも最悪端から端まで探してもこのぐらいしか時間がかかんないし、
何よりもそこで舐めるように全部探してもし見つからなかったら、それはないってことなんですよっていう。
だからもうそれ以上探さないでいいんだっていうことですよね。
tadanori kurashita
だから結局あの本のタイトルが超整理法で、お知らせファイリング法じゃないですね。
で結局その超整理法っていうのがさっき言った、完璧にすべての情報にアクセスする時間を最短にしましょうっていうことではなくて、
ノウハウそのものの視点
tadanori kurashita
情報の普段使う8割を最速で見つけられたらいいじゃないですかっていう整理についての考え方の転換やからこそ、
あの本が超整理法っていうタイトルになってるわけですけど。
だから視点で言うとやっぱりそのノウハウそのものの1個上のことを語ってますよね。
整理とは何かについて語ってるわけですから。
Tak.
確かに確かに。
tadanori kurashita
だからやっぱ視野が広いですね全然。
Tak.
そうか、なんか1個上の階層ですよねそこは。
tadanori kurashita
だから例えばKJ法もあれ発想法ですよねタイトルが。
Tak.
KJ法の本じゃないですね。
tadanori kurashita
発想とは何かを語ってるし、知的整理はカード法じゃないですからね。
知的情報整理法っていう全体像を扱ってるんで。
だから昔の絶対ノウハウを1個上の視点から必ず見てたっていうところがあって、そこはやっぱりその土俵の大きさを感じますよね。
Tak.
なんかこれこの話なんか以前も同じ話をしたような気がするんですけど。
でもその時も1個上の階層っていう話出てきたような気がするんですけど。
あれですよね。
2度3度同じ話をして同じ結論になるってことは多分そうなんですねきっとね。
tadanori kurashita
いやでもこれは重要なことなんですよ。
違う結論が出たらそれで良いですし、同じ結論が出たらそれかなり角度が高まったというか、
おそらくそうだろう度合いが高まったというか。
Tak.
いや多分そうだと思いますよ。
tadanori kurashita
そんな話なかなかするのって結構重要だと思うんですよね。
Tak.
いや重要ですよ。
でもディテールは違うことにしゃべってるんですよ。
tadanori kurashita
でもコッシュは同じことを言ってるし、再確認されたということは。
だから重要度ってそうでないと判断できないですよね。
Tak.
何回も出てくることが重要だという言い方しか多分できないですよね。
tadanori kurashita
そうそうだからあの、僕ちょっと話ずれちゃいますけど、アウトライナーの話でよく重複した項目があっちゃいけませんよねっていう人いるんですけど、
Tak.
いやそれはその最終的に何かのリストにするときは目的によってはその重複しちゃいけないかもしれないけれども、
考え事をしているときに何度も出てくるってのはそれ重要だってことですよね。
何度も違う形で出てくるってのはそれはすごく重要なことじゃないですかっていう話をよくするんですよね。
でもなんか最初からその重複があっちゃいけないから、
これ今思いついたけどこれさっき似たようなこと書いたから書くのやめておこうみたいなことを思う人が結構多いみたいで、
逆なんですよね。
tadanori kurashita
都合の悪い重複があったら後で消せばいい。
そうですね。
Tak.
最終的に消せばいいわけで。
そうそうそう。
tadanori kurashita
同じことを何度も思いついたら何度も書いたほうがいいなと思うんですよね。
書いたほうがいいと思いますね。
別にアナログでも書いてもいいし、デジタルでも書いてももっと困らないわけで、
デジタルこそ何回書いてもいいわけで。
Tak.
そうなんですよね。
tadanori kurashita
その辺の捉え方も結構大きな違いですね。
アイデアメモとかも必ず出てきますからね。
メモを取るようになると自分が以前思いついたことを時間1ヶ月ぐらい経ってから全く同じことを思いつくことを発見しますよってことをよく書かれるんですけど、
まさにその通りで。
でもやっぱり忘れがたい心の中に何回も浮かび上がってくることというのはやっぱり自分の中での重要インデックスが高いわけで、
そうでない限りだってわからないですよね、自分が何を重要視してるか。
人間の心って直近のものを重要と考えがちなので、どんなものでも最近出てきたものが重要だと思いがちなので、
それ以外の指標を別のところに持てるっていうのは結構大きいことですよね。
Tak.
そうですよね。
それこそ客観的に重要だと言い切れるっていうことですもんね、自分自身。
tadanori kurashita
自分の情動というか感情的反応とは別にして、自分の脳のネットワーク的に何か出てくるっていうことは重要だろうって言えるのは大きいですよね。
Tak.
しかも人間ってすごい重要なことを思いついたと思っておきながら1ヶ月後には全然それを覚えてないっていう。
書き手の腕前とノウハウ本の特徴
tadanori kurashita
学生でもまた同じようなことを思いつくっていうね。
だから重要なことっていう感覚は結構当てにならないんですね、それはね。
だから何回も書き直す。
Tak.
バザール執筆法も結局原稿を何回か書き直すわけですけど、逆に言うと毎回どの原稿にも出てくる文章ってのがあって、
tadanori kurashita
それはもう確実に外したらあかんもんねってこともわかりますし。
Tak.
そういうことですよね。
tadanori kurashita
だから同じテーマで何回も語ってもいいし、それで確認できることもあるし。
そうでないと確認できないことがあるから書いていこうというのは言えますね。
だからそのために時間が必要というか、経過するためのスパンが必要で。
だから速攻でできるものってバイアスかかってるんですね、常に。
瞬間的な判断で常に、そのとき重要って思ってるってことだけに左右されるんで。
だからそのスパンを持って取り組むっていうのは、バイアスを中和するための一番効果的な方法ですね。
なるほど、なるほど。
そうか、だからノウハウ本を読んだときにああっていうのは、
多分その瞬間的なやつなんで、時間を置いてもう一回読むことが多分大切ですね、きっと。
Tak.
それは本当にそうだと思いますね。
tadanori kurashita
何回も読んで、やっぱり何回もここそうやなって思うところは取り入れやすいというか、自分の中で重要度が高いとは言えそうですね。
Tak.
本当ね、これ前に読んで線とか引いてあるのに忘れて、全然覚えてなくて。
tadanori kurashita
花丸とかついてたしね。
そうですね、それが多分ナチュラルというか、それでいいというか、ノウハウはそうやって取捨選択を自動的にしてくれる機関なので。
丸つけたから絶対覚えるっていうのは、ノウハウが勝手に絶対覚えてくれたら、逆にそれは不自然なことになっちゃうので。
だから本は何回も読むものだということですよね。
Tak.
そうですね、でも何回も読め…
売る。
tadanori kurashita
売る本。
そこも大変ですよね。
でも現代で本を書くとなれば、何回も読めるものにしたいというか、わざわざ紙にインク使ってプリントアウトして。
Tak.
確かに。
tadanori kurashita
物流で動かしてっていうことをするんであれば、それこそ手に取ってもらって、家に置いてもらって何回も読んでもらえるものにしたいなとは常々思いますけども。
Tak.
プリ本はそういうものでありたいという感じですかね。
tadanori kurashita
教授みたいなのはありますし、電子書籍でもそうですけどね、やっぱり一回読んでパッとパパッと読めて入って次の本っていう、アンリミテッドで言うと多分それが一番効果的な本の書き方?
つまり二回読んでも多分反映されないんできっと。
Tak.
それないんでしょうね。
tadanori kurashita
だから一回読んでいいっていう、ある程度のボリュームで一回読んだら満足っていう方がビジネス効率的には多分いいでしょうけど。
それはあくまで価値観というか教授の問題ですけども。
でもそれやったらちょっと一回読んでも、わからんかったしもう一回読もうかって思ってもらえる本の方が多分バリューはありそうな気がしますが。
そうですね。
でもやっぱりノウハウの書き手にこそ文章力がいるっていうような話をさっきもしましたけど、
ただ書きゃえっていうもんではなくて、どう読んでもらえるかっていうのをそれぞれの著者なりに工夫して書くということは欠かせないかなとは思います。
別にエッセイにする必要も小説にする必要もなくて、さっき言った淡々と書いてもいいんですけど淡々と書く場合ですら、
Tak.
もう一回読むに耐えるような本であったほうがいいでしょうね。
tadanori kurashita
いや、だって覚えてないですよ、一回読んだだけで。
覚えてないかもしれない。
よっぽど緻密に読書メモを取りながら読まんかけりゃ、覚えてないんで。
だから、ざっと読んでパッと分かって、もう一回ちゃんと読んだときに再発見できるような文章になっていればそれでいいかなという気がしますけども。
Tak.
この本は何度も読み返すと思うみたいな感想って一番嬉しいですよね。
tadanori kurashita
そうですね。
ノウハウ本の読み方と再読の重要性
tadanori kurashita
本当に何度も読み返しても分からない。
分からないけど、もう一回読もうと思ってもらえただけでバリューですよ、それはね。
それはそうだと思いますね。
自慢じゃないですけど、スベノウも結構何度も読んでくれてるっていうツイートを見かけて、それはやっぱり嬉しいなと思う。
あの本も別に短い本ではないので、新書自体はちょっと分厚い本なので、それを読んでもらえるということは嬉しいですし、
だからこそ、推考とかに時間をかける価値があるというか、
正直5字脱字があっても、情報は伝わるじゃないですか、別に。
でもやっぱり読むときに苦痛になってくるので、
だからそこはやっぱり、まさにカンナを解くように、滑らかに読めるようにすることで、2回3回読むに耐える本になったらいいなと。
これはノウハウ本に限らないとは思いますけども。
そうですね。
そうですね、そんなところ。
結論は、結論は前に話したときよりはもうちょっとクリアにしますね。
Tak.
どういう終わり方しましたっけね、前。
tadanori kurashita
全然分からないっていう感じで思った気がするんですけど、
前はエッセイ的な本を書き方するのがいいんじゃないかみたいなことは言ってたと思いますけど。
Tak.
エッセイっぽいっていうのもありましたよね。
tadanori kurashita
で、今回出てきたのはアジテーション。
エデュケーションとアジテーションみたいな話が出てきて、
結局情熱を感化させることが主要なんではないかっていうのが今回は出てきた話ですね。
Tak.
はい。
tadanori kurashita
また別に近いうちにまたするかもしれないですけど。
こういうことができるのがポッドキャストのいいところです。
ノウハウ本の批判と注意点
tadanori kurashita
そうだと思います。
Tak.
ちなみに今1個思いましたが、昔のこういう本を読んでると結構ね、人の悪口が書いてありますね。
今書けないんじゃないかって思うような。
tadanori kurashita
今は書けないでしょう。
いやー、そうでもないんかな。
日本の本では書けないんかな。
日本の本じゃないんですけど、
ヘルプっていう人生を何とかしたいあなたのための現実的な提案っていう、
オリバー・バークマンっていうイギリスの人が書いた本で、
いわゆる自己啓発症に潜んでいる疑問っていうのを通列に批判するっていう皮肉混じりの本なんですけど、
がっつりリアルの人の名前が出てて、
いや、これは変だろうって名指しされてるんで。
まあ書けないことはないけど、日本では難しいかなと思いますね。
Tak.
まあもちろん覚悟もいいますよね。
tadanori kurashita
覚悟が多いと思いますよ。
まあね、ちょっと皮肉混じりに言うぐらいならあれですけどね、
あの通会言ってることは間違ってるっていうのは。
でも、たとえば野口さんは論文口調で書いてるんで、
論理の否定なんで、別にそこは人格否定にはなってないから、
別に読んでても気持ち悪い感じはないですけどね。
まあないですね。
まあそれぐらいなら現代でも教養かな。
Tak.
そうそう、だから木村泉先生なんかもやっぱり、
結構よく読むと書いてあるんだけど、やっぱり、
そのなんていうか、著者の人格というかね、
書いても大丈夫な感じなんですよね。
tadanori kurashita
大丈夫な書き方をしてるんですよね。
そこはやっぱり腕前、書き方が腕前次第なんかな。
Tak.
腕前と人間性ですよね、きっとね。
tadanori kurashita
書き手に問われるものが多いわけですが。
でも、相手をこき下ろしてやろうという気持ちで書く悪口は、
基本的には良くない結果になるので。
と思います。
その辺は要注意ですね。
いろいろノンハ文を書くことが多い。
まあでも、既存の方法がダメだからこの方法ですっていうような論理立てをする場合は、
絶対に批判めいたことが出てくるので。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
避けがたいところがあります。
そういうの全く書かないのも、それはそれでなんかちょっと違うかなと思うんでね。
Tak.
そう、方法の批判は当然。
tadanori kurashita
あってもいいですね、そうはね。
Tak.
しなきゃ成立しないとこもありますね。
tadanori kurashita
そこ行き過ぎないように。
基本的にやっぱり、特に自己啓発とか、
自分から見たときにうさんくさいことをしている人たちってけなしたくなるわけですけども。
要注意ですね、そこ。
そんなところですかね。
久しぶりに会ったんですが、何かお知らせしたいこととかございますでしょうか。
Tak.
特にはないですね。ないです。
tadanori kurashita
僕は多分9月の前半分ぐらいに次の新しい本が出るかなという感じで
現在進んでおります。
Tak.
もうすぐですね。
tadanori kurashita
そうです。
僕は今年中にはたぶんあと2冊ぐらい書庫を挙げなさそうということになってますが、
ギリギリ頑張ってまいります。
ということで、こんなノウハウ本が読みたいという感想を
たぶん前のときも募集したと思うんですけど、今回も
ハッシュタグ打ち合わせキャストひらがなで打ち合わせアルファベットキャストまでいただければ
クラスターからチェックしたいと思いますけども、もしかしたら
Twitterもそろそろ危ないんで別の感想の場所も考えたほうがいいと思いますが、
現状はまたハッシュタグでいただければと思います。
というわけで今回はこれまでにしたいと思います。
お疲れ様でした。
Tak.
お疲れ様でした。
01:19:37

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