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2023-06-15 1:12:38

第百二十九回:Tak.さんと優先順位について

Notionの拡張機能について
tadanori kurashita
うちあわせCast第129回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
Tak.
よろしくお願いします。
tadanori kurashita
しばらく時間が空いたんですが、もうちょっとGPTの話題は全部無視しまして、
Notionの拡張機能というのかな、Notion Projectっていうプロジェクトを扱うための機能が増えまして、
Notionの別ツールというよりは、Notionの中でプロジェクトを大規模な物事の仕事の進め方をサポートする機能が追加されたということで、
全タスクをAIで細分化してくれたりとか、全体のタスクを一括にまとめるテーブルが始めからテンプレートに含まれているみたいなやつらしく、
ますます個人の情報ツールというよりはみたいな感じに進化していっているNotionですね。
もうそろそろ追い切れなくなってきました。
エバーノートが最近大体アプリとして名前がかかっているAppNoteというのがありまして、AppNoteを使ってみたんですが、
なかなか使い心地はいいというか、すごいシンプルなエバーノートという感じで、
Appleのメモ帳ではちょっとなという感じの人の選択肢にはなるかなと。
3転乱歩で買い切りらしく、その辺も高評価できると思います。
ただ僕が使ったところ、カードビューがなく、カードビューがないのはダメだということが分かっていますので、
僕は機能というよりはUIの問題で使うのをやめました。
Tak.
そこが大事なんですね、クラッシュタスク。
tadanori kurashita
結局カードだなというところを、そこは必要だなと思ったので、一旦やりますか。
そこを拘らなかったら選択肢としてはいいかなという感じで、
なんていうものかな、スピアーというのかな。
スピアーだと思います。
意味って分かります?
Tak.
分かんないです。
tadanori kurashita
槍を持った人、そのままやな。
オンラインエディターについて
tadanori kurashita
オンラインエディターなんですけど、概要にリンクを貼っておきますのでクリックしてもらうと分かるんですけども、
いわゆる小座寝法ができる感じのエディターで、まずボードがあると。
ボードが横に並んでいくと、そのボードの中に縦に付箋的なものを並べていけると。
だから例えば1章があって、2章があって、3章があってというのが横に並んでいって、
ここのボードも入れ替えられるし、ボードに貼り付けられている付箋も入れ替えられるという感じ。
順番を入れ替えつつ、ビューをボードビューからドキュメントビューにすると、
いわゆる普通のワード的なまっすぐの縦に並ぶ文章になってくれるというツールで、
これ結構気が利いてるんじゃないかなとちょっと注目はしてます。
で、面白いのが、入力欄。新規メモの追加がボードごとにあるんですよね。
第一章がいわゆるLINEとかのチャットツールみたいな感じの表示になっていて、
その下にインプットボックスがあって、そこに入れられるという形になっているので、
なんか新しい感じはするなとは思ってますが、
お金出しで使うことはないんですけども、
こういうのがいわゆるデジタルプラスアナログみたいな感じの使い勝手に近いのかなという印象でした。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
あと、どっちから行こう。
本について
tadanori kurashita
本の話題なんですけど、中古文庫から7月に作家の仕事部屋という本が発売されることになりまして、
これ思考のエンジンで中心的に取り上げられている本なんですね。
そうです。
思考のエンジンを僕が読んだとき、もうこの本は完全に手に入らないようになっていたので、
ずっと読みたいなと思いながらも買ってはいなかったんですが、
とうとう文庫化されるということで、
素晴らしいですね。
結構、独自の人が精力的に働いておられたようなので、そこは大感謝ということです。
Tak.
これすごい面白いですよ。
tadanori kurashita
読んだことはあるんですね、ということは。
Tak.
僕は思考のエンジンを読んだ後に、そのときはまだ入手できたんですよ。
なるほど。
古本屋さんでしたけど、入手できましたね、そのとき。
tadanori kurashita
今からすごい楽しみです。
Tak.
楽しいですよ。
tadanori kurashita
もう1個が、これも発売された本なんですけども、
逆境に負けない学校デラックス物語という本。
大墨純先生さん、どっちかいいかな。
大墨純先生から試験本をいただきまして、
学習出版が出る本なんですけど、読んだんですけど、
すごい本が出たなと。
Tak.
よく書きましたねって感じですよね。
tadanori kurashita
そんなに、ある種のネガティブな要素とかも、
だいぶ滑らかにはされてはいるものの、
そこまで汚く書けるんやというところが驚きだったのと、
やっぱりこういうのを導入するときって大変なんだなというのを、
まざまざと見せてもらったというか。
こういうのって、ライフハックが出たときもそうやったんですね。
企業にライフハック的なものを導入しようとする人がいて、
しかし社内の共同感を得られず、
むしろその人が効率することになってしまったみたいな話があったんですけど、
全然変わってないよなというのが。
Tak.
リアルですね、これ本当に。
tadanori kurashita
そういう小説を読んでるかのような、
そんなことで反対するみたいな感じのことが思ったんですけど、
僕はそれフリーランスでやってるからそう感じるだけで、
社会で働くというよりはこういうことなんだろうなというのは思いました。
Tak.
そうですね。
これね、書評書きかかってたんですけど、
ちょうどそのところから家の状況がとんでもないことになっちゃったんで止まってるんですけど、
なんとでしょうね、これ。
だからこれ同じような立場にある学校でDX進めようとしてる先生。
多分同じようなことになっている人が全国にたくさんいるはずなんで、
多分勇気づけられるんじゃないかなというのと、
多分これね、やっぱり組織で仕事をするという中でやっぱり共感する人はたくさんいるんじゃないだろうかなと思いますね。
ただこれやっぱり会社員が会社員の苦労話を書いても普通本にはならない。
だけどこれがまた、ギガスクール構想とかそういうのがあるっていう中で、
学校のDXを進めていくっていうことに乗っかったためにそういうことが本になったんです。
だからこれ結構絵がたいというか、
優先順位と重要度の違い
Tak.
普通のサラリーマンの同じ立場だったら本にはならないんだけど、
学校で先生だから、
結果的にはなかなか本としては読めないような話が読めるようになってるっていう。
非常に絵がたい本だなという気がしました。
tadanori kurashita
リアルっていう感じが、いわゆるファンタジー的な、こうやったらうまくいきますよ、キラキラ話じゃなくて本当にリアルなことが書いてあって、
Tak.
でも現実的に役立つのはこういう話ですよね、これは間違いなく。
ちゃんと苦労話だけじゃなくて、それを後から振り返って、
やっぱりちょっとここは自分のやり方がまずいかなっていう反省のもとに、
これからやるんだったらこういうふうに進めていくといいよねっていうところまでちゃんと書いてあるんで、
なんというかちょっと読んでるとつらいところもあるんですけど。
そうありますね。
あるんですけど、非常に出ありながら前を向いて。
そうですね。
そういう本だなと思いました。
tadanori kurashita
だからやっぱりこう思うんですけど、たとえば上澄先生が学校の先生という立場じゃなくて、
一企業の中に働いてて、デジタル推進部門とかだったら多分もっとめげると思うんですけど、
やっぱり先生の職業っていうのは子どもと対峙することっていう一番大きな目標があるからこそ、
続けられたんではないかなというのを勝手に思ってましたけども。
Tak.
そうですね。
で、やっぱりここまでじゃないですけど、僕もその会社の中で以前、
やっぱりちょっとエクセル法案してやめましょうよっていう。
そこで結局失敗したっていうのは、
こういうもう大成り章なりあるわけですよね。
そうですね。
tadanori kurashita
だからこの本のいいとこは、自分たちが改善とか改革を進めているから、
正義でやって、それを反対するやつは悪だっていう結論になってないところは、
僕はもう素晴らしいなと思いました。
Tak.
そうですね。その通りだと思います。
tadanori kurashita
というわけで、役立つか役立たないかというよりは、
なんかノンフィクションを読むような感じで。
Tak.
物語ですかね。
tadanori kurashita
と思いますね。
こんなとこかな。
というわけで、この本のテーマなんですけど、優先順位についてなんですが、
優先順位っていうのはタスク管理とか、もっと広く自己啓発の文脈で、
必ずと言って言おうと出てくる話題なんですね。この優先順位というキーワードが。
で、優先順位をつけましょうっていうのが、
どこから始まったのか。
僕が見たことがあるのは、エンジニアのための時間性技術というような本で、
作業をリストアップしてABCDに優先順位をつけましょうと、
Aの方から取り掛かりましょうみたいな分類方法が示されてて、
いわゆるタスクリストを作って上から作りこなしていきましょうとは違うタイプの、
まさにエンジニア的な感じでのタスクの分類方法で、
よくある話、タスク管理ではよくある話がまず一方にあって、
でも実際にそれをやってみると、あんまりうまくいかないんですよね。
なぜうまくいかないかというと、だいたい全部Aになるからなんですけど。
優先順位をつけてやろうって言って、ABCを真似するとだいたいうまくいかなくて、
その反動なんですけど、優先順位なんかないんだという派閥も生まれるわけですね。
逆に。何もかもが重要ないし、何もかもが重要ではないのどちらかのスタンスにおいて、
ただやろうっていう、どう言ったらいいかわからないですけど、
ある種マインドフルネス的に実行していこうみたいな感じが反動として出るんですけど、
それはそれで僕は極端やなと思うんですね。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
結局何か一つの行動をするってことは、それを優先したわけじゃないですか。
それはその部分的には。優先はしてるわけですね。優先順位がないっていうか、
優先順位はないかもしれないけど優先するという行為は取ってるわけですよね。
だから優先するということを無視するのも違うし、
かといってABCで乱骨を消したら全てうまくいくっていうのもやっぱりちょっと違うし、
ということをどう着地するというか、どう解決するのかっていうことは
ちょっと大きなテーマではないかなと思ってちょっと挙げたんですけども、
優先順位って言葉を使ってなくても、たくさんの日常のタスク回しというか段取りとかにおいて
優先順位的なコンセプトっていうのが出てくる場面とかってありますかね。
Tak.
もちろん出てきますね。
ただちょっとそうなんです。僕はいつも思うんですけど、
自分自身もそうなんですけど、この優先順位の話をするときにね、
ちょっと誤解というか、
ちょっとお互いにちょっと違う話をしちゃってることがあるなと感じることがあって、
この人と優先順位の話をするときって。
何かっていうと優先順位と重要度を一緒にしていることがあるんですよ。
要するにABCっていうのは重要度。
tadanori kurashita
そうですね、確かに確かに。
Tak.
優先順位と重要度って同じなのかっていう話で、
同じだと理解して話してる人と、
違うものだと理解して話してる人がいるような気がするんですよ、この話をするときって。
tadanori kurashita
なるほど、確かにそうですね。
Tak.
僕も以前混同していたんですけれども、
要するに重要度、両方とも英語のプライオリティじゃないかな。
tadanori kurashita
プライオリティですね、たぶんそうですね。
そこにね、たぶん両方意味があるんじゃないかと思うんですけど、
Tak.
僕の理解では優先度っていうのは文字通り何を先にやるかという話であって、
重要度っていうのは何が大事かっていう話。
もちろん大事なものを先にやれればいいんだけれども、
必ずしもそうはできないっていうことのあたりでそこが、
人と会話するときもそこが生まれるし、
タスク管理の文脈で仕組みを組み立てるときもそこになるし、
優先順位つけましょうよっていう、そうだね、確かにそれがいいねって言ったときに、
大事なことを先にやろうとしたけどできない、俺はダメだみたいなことになっちゃうこともあるし。
tadanori kurashita
そうか、確かにね。
優先順位と重要度の違いについて
tadanori kurashita
今日ツイートしたんですけど、優先順位をつけましょうっていう、
順位ですかね、当然そうなんですけど、つけるものだと。
そこにあるものじゃないと、もともとあるものじゃないと。
だから指示的な選択であるというニファンスがそこにあるはずなんですけど、
おそらく先ほど沢山の言われた2つの違い、優先順位と重要度の違いが混在されていることによって、
だから当初さっき言ったエジニアのシステムは重要度で割り振って、
その重要度を優先順位にしなさいということかな、要するに。
重要度を優先順位にしなさいっていうようなニファンスやったのが、
そこが消えてしまって、重要度がそのまま優先順位になっている。
だから本来重要度じゃない優先の仕方もあるというようなニファンスがあったのかもしれないですけど、初期には。
そこがもうまるっきり消えてしまって、重要度だけを考える。
Tak.
でも重要だけどやらないことがあるみたいなことになったときに混乱してしまうみたいなことが起きるのかな。
そうですね。
tadanori kurashita
じゃあ他の。
この話をする前にちょっと思ってたのは、優先順位をつけるための基準っていうのがまずいるよねと思ってたんですね。
だって順位をつけるってことは何が上か何か下かを決めるってことじゃないですか。
それが例えば、僕の中では会社のルールみたいな、会社のルールがあって、
例えば上司の言うことは絶対みたいな、あるいは上司よりも取引先の方を優先しなさいみたいな、
暗黙の了解があれば、それに沿ってタスクの優先順位っていうのは多分つけられると思うんですね。
おそらくだから個人の生き方においてはそれがないじゃないですか。ないというか意識されないじゃないですか。
だから混乱するっていうふうに思ってたんですけど、優先順位と重要度を区別せないという考え方を取れば、
それも僕が言ってた話、包括的になるというか、自分の中での重要度をまず決めてない。
決めてない。だから決めてないから優先順位も決められない。
だから重要度を考えずに優先順位をつけようとするからややこしい。
個人の価値観と重要度の問題
Tak.
まず一つはそれありますよね。
tadanori kurashita
そこが多分問題で、重要度はどうやって決めたらいいんですかっていうことになるわけですが、
Tak.
それは個人の価値観です。
tadanori kurashita
ある人はだから会社にの仕事を全不利するかもしれないし、ある人はゴブゴブで仕事とか人生かもしれないし、
ある人は一級で人生とか趣味的なものを取るっていうこともあるでしょうし、
Tak.
その自身に優劣というか高貴さ、高低差みたいのはないですよね。
そうですね。だから基本的に例えば会社にいて仕事をしている時には、
基本的には会社の価値、売上げなら売上げ、契約取るなら契約取るっていうのを重要なことだとしてやるっていうのが
基本だとは思うんですけど。
ただ、じゃあそれに全てを投げ出すのがいいのかというと、
じゃあその会社がどんどん詐欺的な方向に仕事が行った時に、
明らかにこれは例えば何か法律に違反した仕事をやるべしとなった時に、
やるのかやらないのかっていうところは、やるっていう考え方もあるでしょう。
自分はこの会社からお金をもらってるんだからやるっていう考え方もあるでしょうけど、
いや、それだったら自分の中のその価値、自分の中にある価値観にこれはそぐわないから自分はこの会社には従わないっていう考え方もあるだろうし、
僕は後者の方がいいと思いますけど、だからそこは違いますよね。
でもやっぱり何だろうな、会社の仕事をする時は基本的にはその会社の価値にも重要なものとするけれども、
でも多分それより上位に自分の中の価値があるのかないのかみたいなところで、それはレベル差ありますよね、多分人によって。
tadanori kurashita
そうですね、レベル差があって、自分の中でそれを明確にしてない人は上の階段に登れないっていうことが一つ思うのと、
どういうタイミングで上が顔を出すのかっていうところ。
毎回現場レベルでいちいち自分の人生の目的みたいなのを考えて行動するっていうのはさすがにないわけじゃないですか。
大抵の場合は会社の方針に従ってよしとなるわけじゃないですか。それで円滑に回るけれども、
先ほど言われたような特殊な状況においてちらっと顔を出すわけですが、自分の上位概念が。
危機的な状況を出ない。どういうタイミングやったらそれが出てくるのか、出てくるのが望ましいのか。
やっぱりそれは違和感ですかね。
Tak.
違和感だと思うんですよね。
tadanori kurashita
目の前の仕事に対して違和感を感じたときに、一回考え直してみるみたいな。
Tak.
例えば宗教的な価値というものが自分の中で内面化されていたとすれば、
子供の頃から日曜日教会に通って聖書を読む生活をしていた人がいたとするときに、
tadanori kurashita
その人が普段は別に普通に会社の仕事をしているけれども、ある会社の仕事を見たときに、これは神様の教えと明らかに違うって感じるみたいなことって多分あると思うんですね。
Tak.
それと同じように、例えば別に信仰がなかったとしても、
例えば僕は信仰はないですけど、
例えば普段からそういうことを、自分は何を大事にしているのかなっていうことを普段から考えているということがあったときに、
やっぱりそれが内面化されていれば、明らかにそれがそごわないというときに、違和感という形で浮上してくるんじゃないかと思うんですよね。
重要度が優先順位に影響を与える問題
tadanori kurashita
そういうときに、もちろん結論はどう出すにしても、違和感を感じたら一回階段を上位に上ってみて、
会社の中の絶対性っていうものを素材化して一回考え直すのが、
これは優先順位じゃなくて重要度か。
重要度だと思うんですよね。
だから優先順位の問題は基本的に重要度の問題なのか。
優先順位を決めるときに重要度というのはすごく大事な働きをするけれども、優先順位イコール重要度ではないということですよね。
その重要度も、さっき言った会社の中の重要度と自分の人生の中の重要度のように異なるレイヤーがある。
Tak.
あると思います。
tadanori kurashita
そうですよね。
Tak.
僕は個人的には自分が最上位だと思ってるんですよね。
tadanori kurashita
そうですね。多くの人はそうかな。自分が最上位。
場合によっては家族とか、あるいは神みたいなこともあると思いますけど。
Tak.
だからそれは自分が家族なり神なりを自分にとって極めて重要であるということを決めてるということですよね。
tadanori kurashita
確かに。
優先順位がつけられないっていうタスク管理の話とかで、
タスクリストを作って優先順位に並べ替えることをしようとしたときに、うまくできないと混乱するっていうこともあると聞くんですけど。
これもやっぱり優先じゃん。重要度か。自分の中の重要度を決めきれてないってことか。
Tak.
それだけなのかどうか。
tadanori kurashita
ちょっとわからないですけどもちろん。
実際は難しいんですよね。本当に行動が例えば10個あったとして、朝一何するかっていうのは何も物差しがないと多分決められないというか。
ある派閥は決めなくていい。上から全部やればいいっていう話をしちゃうわけですけど。
そんなもんには行かないだろうなと個人的に思うんですけどね。
そうやって自分が何が大切かを決めない態度が僕はあまり良くないと思ってるのかな。
Tak.
そうですね。あともう一つは自分で何が大切かが決まっているがゆえに優先順位がつけられないっていう場合もあると思う。
なぜなら、全く今日やるべきタスクを書き出してみたら、自分が大事だと思っていることは全部全く関係ないことばっかりだったと。
なるほど。はいはいはい。そっかそっかそっか。確かに。
もしくは自分は本当はこれが大切だと思って、例えば家族が大切だと。家族に関することをやりたいと思っているんだけれども、
会社から課せられている仕事が膨大にあってそれができないと。
なんか焦燥感みたい。本当は自分はこっちをやらなきゃっていう焦燥感があるんだけれども、目の前にあるタスクは全然それと違うことばっかりだっていう時に、
これは個人的な経験ですけど、何を先にやっていいのかわからないというか。そういうことも起こる。
tadanori kurashita
矢印がなくてもあれやけど、矢印が2つ以上になると今度は今度それはそれでぶつかりが起こってしまうか。
だから、さっき優先順位をどう考えるかっていう時に結局、ある瞬間には一つのことしかできないわけですよね。
Tak.
マルチタスクといっても、あれは多分高速でシングルタスクというか切り替えているだけなので、実際には本当にマルチタスクじゃないので。
だから結局そういう時って何か一つやるしかない。とりあえず何か一つやるしかないっていう。
優先順位を考えない方が動けるっていうことは確かにある。
自己決定の重要性
tadanori kurashita
うん、それはわかります。もちろん。
Tak.
だからまあ状況による。
tadanori kurashita
状況によるケースバイケースで、そこはさっきほど言葉にできたととりあえずやってみるっていうのは僕はいいと思いますね。
方策として。考えることは必要やけどもとりあえずやってみるっていうのやったら、2つの原理性がそこにはあると思うんで。
考える原理性と考えを止める原理性があると思うんですけど。
何か考えない方が上手くいくんだというのは僕はちょっとさすがに言い過ぎかなという感じがしているところかな。
Tak.
そうですね。難しいですね、これはね。
tadanori kurashita
考えない方が一番楽というか、流されるのが一番力を使わないのは間違いないんですけども。
でもそれと結局、先ほど言われたときに会社がダメなことをしているときにそのまま仕事をするっていうことを選択で。
自分の中に違和感があったとしたときに、何年後が経ったときにきっとその感覚って後悔につながると思うんですよね。
Tak.
そう思いますね。
tadanori kurashita
そう考えると長期的にあまりよろしくない。
そもそもそんなこだわりを持つべきではないという、どんどん価値観を捨てる方向に行けば精神的には楽になりますが、
人間は別に精神的に楽になるために生きているわけではないので。
Tak.
あとそれをやっていると麻痺していきますよね。
そうですね、確かに。
タスク管理の解決策
Tak.
人間の機能として自分を麻痺させないと、自分の意に沿わないことだけをやり続けるっていうのはできないはず。
確かにその通りですね。
だから難しいんですよね。今目の前をとりあえず切り抜けないと何もできないっていうときには、麻痺させてでも切り抜けた方がいいことって確かにあるんですけど、
そこで一旦その山場を切り抜けた後に立ち止まって考えることができるかどうか。
そうですね。
tadanori kurashita
だからそれってもはやタスク管理なのか。
タスク管理、狭い意味でのタスク管理の範囲ではないですね。
だからやっぱりその局所的な問題しか解決できないですね、基本的にタスク管理というのは。
それでいいと言えばいいですけどね。
そういうのを超えたものもタスク管理と言い始めてしまうと、結局生きるっていうことをタスク管理と言ってるだけのことであって、
何の発展性もないので、分野をちゃんと区切ってタスク管理っていうのはこういうものを解決しますけど、
Tak.
これはこういう上位概念の影響を受けてますという方が、ファンクション的というか機能的に見通しが立ちやすいような気がしますけども。
だからやっぱりどうしても僕はやっぱり手動で並び替えるというのが大事だと自分では思っていて、
それは要するに時間上に配置していくということですよね。
それが広い意味での優先順位、要するに何を先にやるかっていう。
tadanori kurashita
そうですね。
Tak.
それが広い意味での優先順位だと思うんですよね。
だからそこで、タスク管理で、例えば締め切りがいつですよっていうのは意味がすごくあると思うんですよね。
絶対的に意味があると思うんですよね。
だけどそれ以外の、それこそ重要度で赤くしてみたりとか、
なんかこうね、タグでこういうタグがついているっていう、
例えばGTT的にこういうコンテクストだからそこにクラッチするものが表示されましたってされても、
あんまりうまくいかないんじゃないかという気が僕はしてるんですけど。
tadanori kurashita
僕もしますね。
Tak.
ただそれでうまくいくという人が世の中にはたくさんいるので。
tadanori kurashita
もしかしたら僕らがマイナリティなのかもしれないですけども。
だからさっきの話で言うと、自分というものに属して上位概念の顔が出すぎているのかもしれないですけど、
優先順位と重要度
tadanori kurashita
もっとそういう顔を出さない方がスムーズにできるというパターンもどうなんかな。
でも本当にスムーズに進められることがいいかどうかちょっとわからないですよね、僕は最近。
生産性がそれで上がるかもしれんけど、誰が幸せになっているのかなっていうのをちょっと最近思うようになってきまして。
Tak.
難しいんですよ。生産性という概念も、ある時間内に高い生産性を立現して、
そこでやるべきことを全部終わっちゃいましたと。
もう家に帰ります。あとは自分の時間です。
その自分の時間で大事なことをします。
っていうための生産性ならいいですね。
tadanori kurashita
いいですね。それはいいと思います。
Tak.
個人にとって生産性が重要だとすれば多分それしかないはずで。
tadanori kurashita
そうですね。
Tak.
だけど、全てのことの生産性を基準にして測るようになってしまうと、おそらく幸福からはどんどん遠のいていっちゃうような気はしますよね。
tadanori kurashita
そうですね。だからさっきの話だと、全部重要なことをしようとするのも似たような話になりますよね。
あるいは重要というものが尺し定義すぎるかな。
例えば、作業の気分転換に外散歩するっていうのは重要じゃないですけど、重要じゃないですか。
前と後ろに重要がちょっと違うフォントで書きましたけど。
重要さっていうものに複数の可能性があるというか、レイヤーがあるというか。
ほにゃらにとって重要ってことか、要するに。
Tak.
要するに自分にとって重要って何かっていうのが確立していなければ意味ないんですよ。
tadanori kurashita
仕事にとって、あるいはこの会社の業績にとって重要っていう価値観があって、その中の重要度の残付もあるし、自分の生活にとって重要っていう、ほにゃらにとっての重要っていうのがいっぱいあって。
いっぱいあることが多分ある種の豊かさですよね、きっと。
Tak.
そうですよね。
tadanori kurashita
単純化するっていうのは簡単やけど、僕から見るとそういう豊かさをどんどん剥ぎ取っているようなイメージがあって、あんまりいい雰囲気を受けない。
優先順位をABCでつけてやりましょうっていうのも結局一つの軸しかないし、何も考えないっていうのも一つの軸しかないんで。
複雑な価値観と重要度
tadanori kurashita
だからやっぱりちょっと複雑やけども複数の価値観を持って、平常、人生の8割ぐらいはデフォルトの会社やった会社の考え方でいいけど、2割ぐらいの時にたまにその上のやつが必要になってくるっていう感じかな、印象としては。
そうですね。だからそれこそOutline Processing Lifeに書いた気がしますけど、いろんなレイヤーの需要ってほとんどお互いに矛盾するんですね。
Tak.
会社の業績を上げようとするほど家族との時間が減るみたいな、そういうわかりやすい例で言えば。
だからじゃあ重要度に、重要なことをやる、重要って一体何なんだっていう話になるんですね。
tadanori kurashita
そうですね。だから何が重要かを自分で決めた後、初めて重要なことができるんであって。
Tak.
でもそれって変化していくわけですよね。
tadanori kurashita
そうですね、確かに。
Tak.
例えば、リアルな自分の話しちゃうと、僕は定職についていなかった時期が長いので、
でもこれは家族が幸せになるためには定職につかなきゃダメだとある時思ったんですよね。
定職につくわけですよ。定職につくと経済的に安定しますよね。
その時にその経済的に安定させることが自分にとって重要だったわけですよね。
ところがその仕事をしているうちにどんどん仕事の膨れ上がっていって、毎月100何十時間残業するみたいなことになってくるわけじゃないですか。
そうすると逆に一切仕事以外のことができなくなってくる。
その時に自分にとっての重要は変化してるわけですよね。
確かに経済的に安定しているけれども、それ以上に大きなものを失っているじゃないですか。
そうすると、会社にかけ合って違う部署にしてもらってないだろうかとか色々考え始める。
その時に自分の中の重要度っていうのは経済的な安定っていうのはもちろんあるけれども、それ以上に例えば家族で
家族が幸せであると。そっちの方がさらに上位にあるわけで、そのために経済的な安定が必要だったんだけれども、
そのせいでさらに重要なものが損なわれるようだったら、基準が変わるわけですよね。
だから、固定できないですよね。
決断と重要度
Tak.
すべきでないというべきかな。
経済的な安定を求めてその仕事をやってたけれども、色々状況を変えようとしてみたけれども、ダメならば何か考えなきゃいけない。
じゃあ転職するかとか例えばですけどね。
っていうことになると思うんですね。
で、その時に仕事をすごいわーってやってた時はもちろんその仕事上の重要度を多く優先してやってましたけど、ある時考えたら
それが最重要でやってるとまずいなっていうことを思って、基準が変わるわけですよね。
だからその切り替えをするきっかけのことを本来レビューというんじゃないかなという。
tadanori kurashita
まあそうでしょうね、きっとね。
Tak.
気はしますよね。後付けですけどもちろんそれは。
tadanori kurashita
だから人生を生きるほど重要度のパラメーターが複雑であるということに気づいていくというか、優先順位も複雑になっていく。
だから若い頃はもっと単純にいけたはずで、きっと。
だから複雑であるということは経験を積んできたということなんでしょうね、きっと。
Tak.
そうですよね。
それもあるし、そうやって立ち止まって考えてなおかつ、いや、でもやっぱり経済的な安定の方が重要なんですね。
そこでリスクを犯すべきではないって考え方もあるだろうし、そこはもうだから正解はないんですよね、きっとね。
tadanori kurashita
でもその決断をしたとしても、やっぱりそこには複雑な重要度があるように匂いがしますけどね。
まあそうだと思うんですよ。
だから、いわゆる決断主義という話がありますが、優先順位とか重要度とかを一度決めたらそれでよしという考え方が多分ご理由なんですね、きっとね。
はいはいはい、そうですね。
もう恣意的に決めてもいいけど、間違ってたら付け直そうということなんですね、要するに。
Tak.
まさにそういうことですよね。
優先順位と変化の関係
tadanori kurashita
そういう動的な価値変化を見据えた優先順位で、実際リビジョンという本でも結局2つクリスト作ってるけどその通りにやりませんって書いてますからね。
わかりやすい例ですけど、それが。
Tak.
いやでも、まさに今の倉下さんの言った言葉がもう全てを尽き尽くしてますよね。
間違ってたら付け直そうって。
tadanori kurashita
間違ってたら付け直そう。だから間違ってたら付け直そうということは、つまり間違ってるかどうかは注意を払っておきましょうってことですよね。
これを作ったらこれが正解だと思い込んでたら間違ってるって気づけないわけですから。
そうですね。
Tak.
時間が経てば、先週あってたものも今週間違ってないということですよね。
だから常に見直そうと。
tadanori kurashita
そうですね。
Tak.
それだけのことでしょうね。
tadanori kurashita
いや結構単純な話、僕らの実感レベルで言うと単純な話なんですけど、逆にある種のノウハウみたいなものが動作を固定してしまうというか、先ほど優先順位というのが動的なものというよりは面子的なものになってしまうっていう弊害はあるのやもしれないです。
Tak.
そうですね。だから、自分の感覚を信じてやっていれば自然にできたものが、なんか下手にノウハウを学んで、ちょっと気まじめにそれに取り組んだりすると、柔軟性がなくなっちゃうみたいなことはありそうですよね。
tadanori kurashita
結構あると思いますね。言語の固定作用というのもあって、言葉っていうのが固着したものとして扱われやすいというのは、言語化することが逆に変化を阻害してしまうっていうこともあり、でも逆に言語っていう言葉の意味っていうのは詩的なものやから、言葉にすることによって実は変化させられるっていう両面性があるんですけど、電車が強くなりすぎると、なんかあんまり良いことにはならないですね。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
何回も難しいって言ってますけど、こういうの。例えば、今こういうのを稼がったことを稼動式優先順位法とかって名付けたら、多分ちょっと違うものになってしまう気がするんですよね。
Tak.
そうですよね。でもやっぱりリビジョンにほとんどを書いているような気もしますね。
tadanori kurashita
あれは日常レベルの話が大体、デイリーの話が主軸ですけど、フラクタルに拡大すれば大体この話になりますね。
Tak.
アウトライン的に言えば上位階層は何かっていうのが多分重要度は何かっていうことに相当するわけですよね。
そのシェイクの話に寄せてしまえば、細かい階層で何をやっているかで上位階層が変わるので、また変わった上位階層に基づいて下位の階層がまた変わるので、自然に変化していくっていうことで。
アウトラインを例にすると言いやすいんですけど、別にアウトラインの上に乗っかってなくても、おそらくあらゆることはそうなんだと思うんですよね。
tadanori kurashita
そうですね。とか、階が上位を変えてしまうということは、さっきの話で言うと、悪いことをしている企業で働いて悪いことをしていくと、自分の上の人生観もそれを肯定するものに変化していくってことですよね。
Tak.
そういうことですね。
tadanori kurashita
そういう怖さは常にありますよね。
Tak.
だからあそこに書きましたけど、結局割り込み、どんどん割り込まれる、割り込みタスクに振り回されるってことは、割り込みっていうのは自分じゃなくて他人の優先順位に基づくタスクということなので、
他人の優先順位を常に優先してやってるってことになるんですよね、割り込まれるっていうのは。
それを続けていると、それに基づいて上位階層が変化してしまう。
tadanori kurashita
いってしまうという、それはありますね。
Tak.
そういうことの怖さをもっと認識したほうがいいということを書いた気がするんですけど、それは本当この30代ぐらいのときからすごい感じてますね。
人生が他人に乗っ取られるみたいなところになりますよ、本当に毎日それやってるって。
tadanori kurashita
全然書くとか違いは、ブログの話なんですけども、
人気のホットなテーマばっかり扱っているブログを書いてると、似たことになりますよね。
要するに自分の好きなものじゃなくて、他社の動向に影響されて書く活動をずっと続けるってことは、
確実に上位階層に影響を与えるんだろうなとちょっと思いましたね。
Tak.
何でもそうですよね。
tadanori kurashita
だから、個人のブログっていうのがランダムであるっていうことは、そこに通じる話かなと聞いてて思いましたね。
個人のブログとローカル性
tadanori kurashita
自分の軸で動いていくっていうようにするっていう、
他に存在する規範性に沿って書くようにすると整うけども、
それってお前にとって大事なのかっていうことと、さっき言ったように人間の価値観って変化していくんで、
しかもそれは大きいレベルだったら時間がかかりますけど、小さいレベルだったら短い時間でも変動していって、
だからやっぱりランダムにならざるを得ないというか、普通に書いていたら。
この統一性のもとでテーマのあるブログっていうのは、ある種自分を固めてしまうことにもなりかねないので、
個人としてのメディアっていうことを考えたら、そんなことは結構どうでもいい話で、書きたいことを書きましょうっていう原初に戻ってくるというか。
Tak.
そうですよね。変わっていって当然ですもんね。
tadanori kurashita
変わっていかないほうが自然ですからね、この場合はね。
そうかな。これは結構真剣な話で。
ブログで書いたのはこっちで言ったかもしれない、忘れましたけど、個人のブログを書くというよりは、個人であるためにブログを書くっていう発見をしたというのをどっかで書きましたけど、
そういう自分の領域を守るために自分のブログを持つっていうのは、現代的な課題というかね、
どうしてもタイムラインとかへと話題に引っ張られがちなので、
そういうのに影響されないちょっとある種、区切られた区間というか、グローバルに対するローカルな場所っていうパソコンの中という意味ではなくて、
インターネットにいるけど、なんか他とちょっと空気が違うよねっていう場所での意味でのローカルさを持つっていうことは、
成功とか失敗とかとは全然別の重要度を持つかなという感じがしますが。
Tak.
そうですね。だから逆に、一つの個人の中にはいろんな要素があるんで、
自己の領域を守る意義
Tak.
思いっきり世の中に、世界に引っ張られたものが入っていても全然いいんですよね。
だけどその次の記事はまた自分ベースのもの。でもそれこそ内容も違う、文体も違う。
多分いわゆる、昨今というかもうちょっと前からですけど、ブログのあり方の規範からすれば、一番やっちゃいけないこと。
間違いないと思います。
だけど、そういういろんな要素がランダムに出てくるというのが個人であるということだと思うんですよね。
tadanori kurashita
そうですね。思いたいだけなのかそうなのかはわからないですけど、そういう感じは共感しますね。
どうせたかがブログやしという感じで、日々なんでもないアピリエイト的なものを書くっていうようなことを、
さまつだと考えない方がいいなというのは思ってて。
それは結局、例えば小説家でも俳優さんでも、ちょっとおかしくなるパターンがあるわけ。精神悩んでしまうパターンがあるわけじゃないですか。
でも、たかが演技、たかが文章を書いているだけでそういうことが起こるわけですよね。
それはその実践のレベルが生きるという相対に影響を与えてしまうからなんですね。
どんだけしょうもないことをしているつもりでも、自分の生き方に無縁ということはないんですから、
そこまで含めた上で、その小遣い稼ぎにどれだけ価値があるのかというのは、ちょっと考えたほうがいいかもしれないですね。
Tak.
そうですね。まさにそれが自分の収入の基盤であると、例えば年間1,200万稼いでいると、
ならもうそれは仕事だからと言いますけど、年間1万6千円になりますっていうブログを書くために、
そうやって自分をねじ曲げて、てか自分にとってどうでもいいことを書き続ける。
わかんないですけど、1万6千円とかわかんないですけど。
でもやっぱり、例えば俳優個人が演技に引っ張られるっていうのと同じで、文章を書くっていうのも同じようなところがあるんですよね。
自分の書いてる文章に引っ張られて自分が変わっちゃうっていうことは本当にあるので、
ある種危険なことですよね。
tadanori kurashita
思います。いわゆるメディアが市民化したというか一般化したことは解放の道具ではありますけど、
それはでも本来武器の使い方をちゃんと覚えてっていうようなものなはずですけどね、本来は。
Tak.
そうですよね。
tadanori kurashita
朝からここ。
僕の中であんまりそんなこと解放的としてもつまらないことだよなぐらいの軽い認識でしたけど、
もっと危うさがあるなというのは思いましたね。
Tak.
思いますよね。だからまさに自分の生活の様子を見せるタイプのYouTuberなんて本当に危険なことをしてると思いますよ、本当に。
tadanori kurashita
トップぐらいのYouTuberやったらそれぐらいのリターンとベネフィットを考えたときにもしかしたら割に合うかもしれないですけど、
本当に98%はそこのラインにはいないですからね。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
解放されたメディアの力というのは反動があって、それは炎上というタイプの反動とは別の反動があるっていうことはちょっと自覚的になったほうがいいかもしれないですね。
Tak.
そういう優先順位とは違うようで。
tadanori kurashita
同じだと思うんですけど、結局そういうしょうもないことをするという自分の優先を取ってるわけですからそこに。
ブログとセルフマネジメント
tadanori kurashita
他のことじゃなくてそれをするっていう行為を決定してしまってるわけで。
しかも自分がしょうもないと思って、特に興味がないと思うことを自分に化してるっていうのは結構ハードなことをしてるはずですけどね。
だから自分を大切にケアするという意味でも自分のブログを自分なりに書いていくっていうことを、そういうメンタルの守り方というかな。
何も書かないって言ってもあるんですけど、それはそれで僕はちょっと物足りなさもあって。
Tak.
文章を書く必要はないですけど、生きることの中に表現っていうのが何かしらあったほうが、なんとなく平和かなという気はします。
tadanori kurashita
そうですね。
だから優先順位が一つしかない場合はたぶん困らなくて、ただその通りに仕事をしたらいいだけですけど、
現代って個人の人生っていうのがあるわけで、完全に一緒っていうことはないわけですから、
2つ以上の大切さをどうバランスしていくか。バランスではないかな。選択ではあるんだけど。
どう決めていくかっていうことがある種セルフマネジメントの主要な鍵で、
それはタスク管理の技法よりは一つ上の階段にあるようには見えるというところですかね。
Tak.
そうですね。基準を更新していくというか。
記事の目的と書き方の更新
tadanori kurashita
基準を更新するというような観点があんまりないんですね、結局。
リビジョンは特別ですけども、ノウハウ本は基本的に決定されたゴールに向かってゴーっていう感じで、
そのゴールを当てるのっていうことを途中で言わないのがお作法というか。
Tak.
ややこしくなっちゃいますね。
tadanori kurashita
ややこしくはなりますけどね。
説得力じゃないな。洗脳感がないというかね。
ある種の高揚感があるんですね、自己啓発上には。
そこがそがれてしまうので、求められる機能を発揮しなくなるから、わからないんでしょうけども。
リアル、例えば何でもいいですけど、何とかプランナーとか使って100%乗り切れる人ってそんなにいないと思うんですよね。
Tak.
いないと思いますね。
なんかどうかなーって思うのもあって、でもそれをなんかこれはちゃんとしたやつだからそのまま従おうみたいな感じで黙らせて進んでいく気がするんですけど。
tadanori kurashita
そこでうんっていう違和感になった時にやっぱ更新できた方が健全かな、健全という感じがしますけども。
定期的にやっぱり考える。ここでいうと考えるというか、僕の場合は書くですけど、文章書いてみる。
そのことについて考えて書いてみるっていうことをやっておくという。
それをできればどこかに置いておいて、たまに見返せたらそれでいいかなという感じですね。
それは別にアウトライナーでもいいですし、紙の手帳でもいいんですけど。
そういうことを書く。ちょっと多分人によっては気恥ずかしいとこもあるかもしれないですけど、そういうのを書いてみるっていうのは。
まあでも結構大切だと思いますね。
Tak.
大切だと思いますね。別に気恥ずかしい書き方を知らなくてもいいんですよね。
タスク管理とビジョン
Tak.
またいう7つの週刊のミッションステートメントみたいなものを書こうとするから気恥ずかしくなるのであって。
そうですね。確かに。
そうか。
そうなんですよね。
例えばブログでもいいんですよ。
tadanori kurashita
と思いますね。
Tak.
ブログに思うことを書いていれば、それ自体が自分のこういうことを思ってるんだっていう基準になり得るものだと思うんですよね。
あとは違和感がないかどうかを敏感になるというか。
tadanori kurashita
そうですね。
そこが難しいか。だからブログの僕がいいところだと思うのは、書いたものが過去に流れるじゃないですか。
だから絶対死しなくなるわけですね。どうせ過去のものだからということで。
で、書いたものが固定されてしまうと逆に感情の固定化が生まれかねないなと思って。
で、アナログの場合は書き換えが難しいですけど、デジタルは書き換えが可能で。
むしろデジタルのほうがいいんじゃないかなっていう感じはしますけども。
何が書いかは分からないですけど、書き換えてもいいんだっていう気持ちで、しかしその考えを変えてみるっていう。
ある種のアンビバレントというか、反固定化と言ってもいいんですが、そういう気持ちでビジョンを書いてみるっていうところ。
大きいレベルでも小さいレベルでも、それって結構効果的なので、やってみるという。
優先順位がそれで、優先順位問題が書くことによってきれいに解決するかって言ったら別にしないわけなんですけど。
考える基準が手に入るだけであって、むしろ悩むことが増えるかもしれないですけど。
でもそうですね、考えないで決めるよりは僕はいいと思いますね。
Tak.
そうですね。あと時間には限度が。
tadanori kurashita
そうですね。
Tak.
どうやったって一定以上入りきらないんで、何か落とす必要が生じたときに基準に照らして、どれをどっちを落とすかっていうのを決めるというのが現実的かなと。
tadanori kurashita
そうですね。それを脳内でやると間違うので、大体は書き足したほうがうまくいくっていうことはありますね。
ところも、かなりシンプルな話に落ち着くんですよね。そのややこしいようなシステムの話では何も出てこなくて。
Tak.
システムとかじゃないんですよね、たぶん。
たぶんすごくシンプルなものであって、自分のタスク管理、システム図を書いちゃう人みたいな。
気持ちはわかるというか、そういうふうにして自分の仕組みを作っていくっていうことで、自分のモチベーションを上げるみたいなことがあるのはよくわかるんですけど。
実際には原理的にはもっとすごくシンプルなものだと思いますよね。
tadanori kurashita
シンプルであったほうがいいですよね、基本的には。
思うんですけど、システムじゃないっていう感覚って、やってることは単純ですけど、たぶん考えてることは複雑なんですよ。
そっちの複雑さが重要なんだけど、僕らは考えることを複雑にしたくないから、システムのほうを複雑にして対応しようとするんですよ。
Tak.
なるほど。
tadanori kurashita
ここが逆転してるんじゃないかなという感じですよね。
Tak.
そうですね。
でもそれでいうと、やっぱりどれだけ複雑なシステムを組んでみたところで、たぶん考えていることの複雑さには到底叶わないと思いますね。
tadanori kurashita
確かに。
よっぽどのことをせんかけてはもう無理でしょうね。
だからシステムはシンプルに、シンプルさによって自分の複雑な考えをある程度補強してくれたらいいというぐらいのことでやって、
さっき言った残っているタスクが残り5つのうち1個しか選べないから選びましょうっていうときって、結構複雑なパラメーターを処理してると思うんですよ、脳内では。
逃げない態度とプロセス
tadanori kurashita
それはもう外部化できないですよね、きっと。
そうですね。
だからそのときの脳にうまく働いてもらうようにツールを使えばいいっていうだけのことでやって、
だからやっぱり僕の中でそれはシステムの話だと思うんですけど、それは機械システムというよりは機械と脳が一つになったシステムという意味のシステムなんですけども、
そういうのとは別に機械的システム、ツール群によって何か僕の考える複雑さが減りますよという捉え方をすると、それが結局ノウハウ論の罠なんですよね、きっとね。
Tak.
なるほど。
tadanori kurashita
自分がやることが単純で済むかのような感じがしてしまう。
Tak.
はいはいはい。
tadanori kurashita
でも前も言いましたけど、KJ法のAからBへ行く流れがあたかも簡単に流れてるけど、そんなに簡単じゃないし、小金法もやり方書いてあるんですけど、どんな順番に並べたらいいのかって書いてないんですよね、あれ。
貴重点決にしなさいとかっていうのはなくて、こういう道具で考えてるよっていうだけを言ってるわけで、その考える中身は教えてもらえないんですけど、でもそれは教えてもらえないものなんですよね。一回一回絶対違うわけですから。
Tak.
そうだと思います。
tadanori kurashita
だから機械システム化するところとそうじゃない部分っていうのがあって、重要なのはそうじゃない部分、常にそうじゃない部分ですからね。
Tak.
だと思いますね。
tadanori kurashita
もし重要な部分がシステム化できるんやったらみんなそれやってるわけで、ある種その個性も差別感もあったもんじゃないですから。
何か価値があるとしたらそれはそれぞれの人が具体的に異なる局面で判断を下してるからであって。
だからもっと考えようというとすごい単純な提前になりますけど、複雑な思考から逃げないというかね、ややこしい問題から逃げないっていう態度が何か必要かなという感じですね。
さっきビジョンを再構築しましょうとか再検討しましょうって言いましたけど、結局簡単じゃないんですよね、どう考えても。
Tak.
そうですよね。
tadanori kurashita
1日で終わらないこともあると思います。文章を書いてみて、こうかなみたいなことで何日か経って、今のところはこうだろうみたいなところで落ち着くみたいな。
そういう面倒くさいプロセスはやっぱり省けないっていうところは何か抑えといた方が良さそうな感じですね。
Tak.
そうですね。
ロジカル思考と目に見えるもの
Tak.
あとそういう変な話、タスク管理とかが好きな人ってどうしてもロジカルに考えようとしちゃうところがあるんですけど、それこそビジョン。
ビジョンってビジョンなんで、目に見えるものですね。
tadanori kurashita
そうですね、ビジョンですからね。
Tak.
それをロジカルに考えるというよりも、例えば一番わかりやすいのは、例えば異性がいたとして、異性じゃなくてもいいんですけど、ある人がいたとして、その人に好意を持ったときに、
例えばその人と一緒に歩いて、一緒に歩いたり生活したりしている風景が頭に浮かぶみたいなことがあるとしたら、それがビジョンだと思うんですよね。
そのビジョンが自分にとって重要だとしたら、それ自体が基準になるというか、難しい文章で書くことじゃなくて、頭に浮かんでいるその風景をどう大事にするかということでしかないような気がするんですよね。
tadanori kurashita
だから、モーナリザーの絵画だとして、美人がちょっとこっち向いて座ってる図って書いても仕方がないみたいな、そういうロジカルな説明には何の説明にもなってないみたいな。
そうなんですよね。
そのイメージにおいて自分が何が大切かっていうのも、ひどく感覚的なものでしかなくて、他の人に完全に説明しきるのも難しいものであって、それはロジカルにはなり得ないですよね。
Tak.
だけど自分にはわかってるわけですね。
そうですね、確かに。
で、それと矛盾する行動はしないようにするわけじゃないですか、たぶん。
tadanori kurashita
そうですね。
Tak.
例えばその人が離れていっちゃうであろうと予想されるような行動は取らなくなるんですよね。
たぶんそれが大事な。
tadanori kurashita
確かに。
Tak.
それはもうすでにビジョンを基準にして行動優先度を変えてるわけですよね。
確かに確かに。
それと同じことだと思うんですよね、全部。
tadanori kurashita
そうですね。
そうか、だからそのビジョンのイメージが弱いと曖昧な部分が増えてくるというのはあるでしょうから、できるだけクリアに描けたほうがいいですね、きっと。
Tak.
そうですね。
それをなんか描写するのに、例えば文章的に描写するに長けた人は文章で描写すればいいかもしれないし、そうじゃない人はそれこそ絵でもいいし、それこそアイキャッチじゃないですけど、画像。
そのイメージを自分に喚起してくれる絵とか写真だって多分いいはずなんですよね。
tadanori kurashita
そうですね。
やっぱりそういう直感的な処理のほうが人間にとっては一番イメージしや喚起しやすいというところはあって、それはもう全然ロジカルの組み立てではないですね。
優先順位の決定は直感に委ねることも必要
tadanori kurashita
うん。
そうか。
うーん。
これはでもこう。
うーん。
何?
うーん。
優先順位の問題は表面的で福寿的には、もちろん判断が難しいのは絶対ありまして、類似の優先順位において3つあってどれかを選ばなあかんのは難しいみたいなスパーズル的な難しさは絶対あるんですけど、
それはもうえいやって決めるしかないというか、そのABCがいいのかBACがいいのかCABがいいのかっていうのって、問題がややこしければややこしいほどどれを選んでもあんまり変わりないっていうのがあって、
そのはっきりわかんないったらはっきりわからないですから。
Tak.
確かにそうですね。
tadanori kurashita
だからそこはもうえいやと決めるみたいなことで、あとはもうそうですね部分部分で自分の価値観に立ち替えられるようにするところに。
まあ会社員の仕事ってそのルーティーンが多いですから、週間の中に埋没されて上の概念が顔を見せなくなってしまうという恐れがあるので。
だから週次レビューみたいな定型的なものって僕はあんまり好きじゃないなと思うんですけど、忘れてしまいそうなものをリマインドさせるという意味で、
市販請求長いな。4月に1回くらいのペースでちょっとやってみるっていうのはありかもしれないですね。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
一番答えのない問題ではあるんですが、少なくとも何が重要かを他人に決められるものではないので、それは自分で決めるしかないというところと、それは簡単には決められないよということでしょうかね。
Tak.
そうですね。でもそれこそさっきの決められない気がしていても、そのビジョンとしても自分の中にあるんじゃないかなってちょっと考えてみるっていうのはなんかあるような気がするんですよね。
決められないっていうのはやっぱりロジカルに考えようとしてるじゃないかな。
価値観やビジョンに基づいた優先順位の見直し
tadanori kurashita
そういうことか。なるほど。
Tak.
っていう気もちょっとしますよね。
tadanori kurashita
どんなものが自分がいいという感じを受けるのかという感覚重視でイメージした方が多分ご本意に浮かびやすいと。
で、あとそれに固執しない。特に若いうちは固執しないほうが良いかなと。
20代から30歳、30歳から40歳においてその価値観の変容っていうのは結構大きく幅でやってくるような気がするので。
だから定期的に考え直したほうがいいかなって。
でも一遍やってみた後に分かることっていうのがたくさんありまして、これも結局リビジョンの話なんですけども。
だから自分がやりたいと思ったことを一回やってみて、そうじゃない新しい価値とか別の価値に触れたときにやっぱりその昔立てた価値観に固執する必要はないぞっていうところは人生訓として覚えておきたいところですね。
Tak.
そうですよね。
で、あとそうやってビジョンに基づいてやってきたけど10年経ってみて、改めて見たら、間違ってたじゃんって。
ありますよね、普通に。
tadanori kurashita
あるでしょうね。それはあると思います。
Tak.
でもしょうがないんですよね、それって。
だって分からないですからね、さっきも言ってた。
それはもう、でもここから見たら間違ってたように思うかもしれないけど、結局そのとき真剣にやってたならそれはしょうがないですよね。
tadanori kurashita
そういうしょうがないというありを受け入れるというのは、日本とか中国の思想的な感じはしますが。
いやでもそういうのは生きていく上では絶対的に必要。
変な話、そうやって自分の過ちというかしゃーなさを許容できることはやっぱり他人に対しての優しさにもなると思うので。
それは本当にそうですよ。
そういう広い意味での優しさになればいいかなという感じかな。
Tak.
でも結局タスク管理みたいなのをディープに考えていくと、結局こういう話になるんですよね。
なりますよね。
tadanori kurashita
タスクリストを作って上からやりましょうでは済まない話になるんですよね。
Tak.
人生論的になってきちゃうね。
タスク管理について
tadanori kurashita
でもそうならざるを得ないというか、僕ら機械ではないわけで、ログラミングされた機械ではないわけでね。
やろうと思ってもどうしてもできないこととか、絶対に先送りしまうこととかっていうのがひょこひょこ顔に出してくる生物なのでね、これは。
Tak.
そうですね。だからタスクっていうのは生活の中でやるわけじゃないですか。
いつも言いますけど、生活というのは英語で言うとライフであると。
ライフというのは人生というのはあるから。つまり生活というのは人生とイコールなので、人生論なんですよ結局ね。
tadanori kurashita
そうですね。生きることに関する活動で、スタートの分野はコンピューターとかそれにまつわる業界で生まれたかもしれないですけど、僕らの日常全体に敷衍していると。
逆にコンピューター的な考え方はあまり持ち込みすぎないほうが良くて、それこそだいぶ前に言いましたけど、段取りぐらいのカジュアルな言葉で捉え直したほうが、もっと自由かなという気はしますね。
そうですね。
やっぱりタスク管理という名前が全体的に固いですからね。
Tak.
そうですね。だから過去を振り返るときにコンピューター的なログであったり検索であったりっていうのはすごく有効だと思うんですよね。
そもそも膨大に保存しておくことができるし、膨大の中から見つけ出すことができるんですけど、今やろうとする行動とか将来のことにあんまりコンピューター的なことを持ち込まないほうがいいんじゃないかなというか、僕はそう思うんですけど。
tadanori kurashita
そうですね。
Tak.
そこはちょっと賛否というか、いやいやっていう人がいるかもしれないですけど。
tadanori kurashita
難しいです。人間はここ違いますけど、でもやっぱり例えばノーションで綺麗に人生的なものを管理して本当にそれをハッピーなのかというのは、本当に余計なおせっかいだとは思うんですけど、ちょっと思いますね。
そんなに釈志行事なものなのかなというのは大体思いますけどね。だからコンピューターであっても、いわゆるアナログ的な使い方をするレベルであれば僕は全然いいと思うんですけど。
Tak.
だから発想がコンピューターっぽくなっちゃうと、何か条件に応じて、朝抽出されたリストが出てくるみたいな。
tadanori kurashita
人間というのは逆にああいうのを好むの、つまり自動化されてそれに従うのって一番ノーが省エネなので、そういうのを好ましいと思うパターンもありますし、それはそれで全然いいんですけど。
タイプ、そういうのが好きな人と好きでない人ってタイプを分けるのは断絶めいてるんであまり好きではないですが。
まあでも好みですね、おそらくはね。
Tak.
そうですね。そういう仕組みを作ること自体が楽しくて、その仕組みを作ってそれを用いて実行していく、すごい効率的になってるなっていう満足感があって、それ自体が生きていくためのモチベーションになるというのも分かる。それはそれで別に全然いいと思うんですよね。
tadanori kurashita
インフルエンサーの方だってそうやって発表してあるじゃないですか、いろいろ自分のやり方を。僕は思うんですけど、例えば1年だったらやり方変わってると思うんですね、その人たちの。それが自然なので。
問題はそういうのやり方を教えられた人がそれを経典のように変えることもなく使い続けると、やっぱり不幸。このやり方でいったらうまくいくっていう感触がある人はいいじゃないですか、それは上位の人たちは。自分で変えていける確かの手応えがあって。
そのカスタマイズそのものが自分のやるがいを支えてるからいいですけど、このやり方でいいって言われた人たちはそういうのがないわけで、距離があるわけで、それはやっぱりちょっと不幸を生みがちやなという感じが、あんまり言うと悪口だから言いませんけど。
この同じ問題で自分たちは何を提示するのかっていうノウハウを書く人の問題としても返ってきますけども。
返ってきますね。
Tak.
テンプレートを示したらいいっていうことは多分違うよなとちょっと思うんですけど。
tadanori kurashita
これは難しい問題ですけど。
何かお知らせしたいこととかございますでしょうか。
Tak.
ございません。
tadanori kurashita
今回はこれまでじゃなかった。ハッシュタグ忘れてたぞ。
ハッシュタグ
tadanori kurashita
優先順位。日頃の日常的なタスク管理とかタスクの実行においてどんなふうに優先順位を考えているのかっていう意見があれば、
ハッシュタグ打ち合わせキャストひらがなで打ち合わせアルファベットのキャストまでいただけばクラスターがチェックしたいと思います。
今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
Tak.
お疲れ様でした。
01:12:38

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