1. うちあわせCast
  2. 第七十二回:Tak.さんと粒度を..
2021-06-10 1:17:49

第七十二回:Tak.さんと粒度を揃えたくなる現象について

00:00
はい、打ち合わせキャスト第72回ということで今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
冒頭のライフ発行ニュースなんですけども、Evernote 10に新機能が追加されまして、タスク機能っていう新しい機能が追加されまして。
ええ。
だからちょっと触ったりとかしました?見ただけですかね?
えっとですね、触ってないです。説明も読んでないです。
いや、僕的には実はこのタスク機能ってすごく評価してまして。
そうなんですか。
一応ベータ版の段階から使わせていただいてたんですけども、
初めてその利用者の立場に立った機能が実装されたなという感じがありまして、細かいところにそうそうこうあってほしいよなっていう実装になってるんですよ。
もちろんEvernoteをただのWebクリッパーとして使っている人には全然不要な機能なんですけども、
プロジェクトの情報とかをEvernoteに入れている人にとっては極めて使いやすいなというところで。
個々のノートの中に普通にテキストを記述しつつ、その間にタスクっていうものを設定できるんですよね。
なので、タスク管理ツールでいわゆる個々のオブジェクトをタスクとして扱うとかいうことではなくて、
例えばアウトライナーとかテキストエディターで文章的に記述していって、
これはタスクにした方がいいなっていう部分だけをタスクとして抽出すると。
そうすると前後の文章が参考情報的に残せるっていう、いわゆるナチュラルな運用スタイルが取れるんですよ。
しかもそのタスクビューっていうのがまた別に増えまして、
全プロジェクト、全ノートに散らばってるタスクをそのタスクビューで閲覧できるんですよね。
そのビューだけ見るといわゆるタスク管理ツールの見かけなんですけど、
その実態はノートにあるんですよね。
ノートに入っているタスクにあるんで、
僕が最近よくやってる文章ベースのタスク管理の使い方に非常にマッチしている方式で、
今までチェックリスト機能とかリマインダー機能みたいなんで、
中場アクロバティックにタスク管理をしてたものが非常にナチュラルにできるようになっているという点で、
僕は大きく評価しております。
なるほど。
これ以前からあったチェックボックスを入れる機能の延長みたいな感じでいただいていいですかね。
03:04
保管する機能、お互いに保管する機能で、
例えばチェックボックスが使わなくなるかというと使わなくなることもなくて、
タスク機能っていうのは、
エバーノート独自の立地テキストフォーマットで表現される、
チェックができる、四角じゃなくて丸なんですけど、
クリックでクリックすることでチェックがつくフォーマットが追加されるんですけど、
まずチェックボックスの場合は、
いわゆるインデントによる親子関係が表現できるんですけど、
現状タスクはそれができないんですよね。単独業で。
もう一個はチェックボックスは単にチェックがつけられるだけでしたけども、
そのタスクは個別にリマインダーが、リマインドが設定できるようになっていて、
その期限は当然エバーノートにも通じてきますし、
先ほど言ったタスクビューで閲覧することもできるんで、
そうした機能はこれまではリマインダーっていう別の機能で実装されていた。
だからそれの両方の機能を統合させたものがタスクとして消化したと感じになっていて、
だから大きな塊をタスクで扱って、
例えばその中に細かい動作が必要な場合はチェックボックスを使って並べておくみたいな使い分けができるようになっております。
チェックボックスとか、チェックボックスとリマインダーがタスク管理の機能だったんですけど、
まずチェックボックスはチェックボックスだけを抽出して検索することはできたんですけど、
そのための検索キーワードをいちいち打たなければならなかったんですね。
理想ですね。
検索するでチェックボックスが含まれているノートを選ぶみたいなことを毎回入れておくか、
それを入れて検索保存として保存しなければならなかったんですけど、
タスクのチェックなんていうのは毎日数回以上行うわけで、
いちいち別コマンドでやるっていうことが不自然なんですね。
今回はタスクビューっていうのが制定されたんで、
もう機能の一部としてタスクを抽出して閲覧することができると。
リマインダーっていう機能もありまして、
それ個々のノートに付く起源設定というもので、
それはノートブックリストごとに一覧はできたんですよね。
Aというノートブックに入っているリマインダーはこれです、
Bというノートブックに入っているリマインダーはこれですってできたんですけど、
プロジェクトを超越した視点を取れなかったんですよ。
なので数々の問題が解消されてて、
しかもその機能優先というよりはまさにユーザーはこういう視点とかこういう操作を求めているねという感じに仕上がっているんですよ。
例えばこのタスク機能の是非っていうのはもちろん別に論じられていいんですけど、
初めてこのユーザー視点に立った機能が出てきたっていう方向性を僕はまず評価したいなと思う。
06:03
一時期機能を増やすことにやっきになりすぎてユーザー不在というか、
アイディア専攻型の実装が多かったんですけど、
初めて実装主導とか実戦ドリブンな機能が出てきているんで、
だから今後の追加機能も多分似たような方向になるでしょうし、
そうなると多分Evernoteというツールの評価も時間をかけて変わっていくんではないかなと。
情報をただ保存して終わりというツールじゃなくて、
そこで動的な動作をしていくための新しい情報ツールに再認知されていくのではないか、
言ってほしいなという希望も込みで思いましたね。
話を聞いていると以前よりも素直な機能になった感じはしますよね。
機能そのものだけに注目するというよりは、
ユーザーがそれをどう使うのかという一つ上の視点からちゃんと実装されているという感じが大変にします。
これまでの機能ってお前これ使っているのかみたいな感じのがちょっと多かったんですけども、
今回は実用に対応するレベルですね。
僕が例えば他の今のタスク管理手法、テキストベースの手法を使っていなかったら、
別に素直にEvernoteのタスク機能を使っていると思います。
なるほど。
クラシタさんとしてはEvernoteにこういうタスク管理機能が実装されることの意味はあるというか、
なんだろうな、Evernoteの中でそれをやる意義はあるという。
そういう評価をはれるということですね。
今後Evernoteもこういうふうに使ってほしいという方向性を打ち出していくんじゃないかなと。
いかなければ多分、保存ツールとして存在感ってますます薄まっていくと思うので、
ある種生き残りをかけたシフトにもなるんじゃないかなと思います。
なるほど。
もう一個が細かい話題なんですけど、
Electronというのがありまして、これはすごいマニアックな話なんですが、
WebブラウザーのChromeという、Google ChromeのWebブラウザーのコアとなるChromiumというのがありまして、
それを使うことで自分でもMacとかWindowsのアプリを簡単に作れるよっていう仕組みがElectronって言うんですけど、
それを使いながらちょっとメモツール、あれ何やろな、ノートツールみたいなのを最近自分で作ってるんですけど、
これも前回の話と通じるんですけど、やっぱり自分で作れるっていいよなっていうのを改めて思うんですけど、
Windowsサイズを極小にできるっていう小さいメリットもあるんですけども、
09:04
ブラウザーって一番小さくなってもかなりでかいんで、横に沿えてちょっとだけ置いておくとか、
本当の意味でWindowsみたいな形に使えないんですけど、
自作のツールってそういうの自由ですし、こういうことをしたいねっていうのに合わせて自分で書いていけばいいんで、
例えば僕は今考えてるのは、ローカルに保存してるテキストファイルをランダムに10秒に1回切り替えて表示するみたいなことを考えてるんですよ。
ランダムに表示する、その中身を表示する。
例えば読書メモとかを取ってた時に漠然と漁るんじゃなくて、そこのちっちゃく開けてるアプリから適当に流れてくるのを眺めるような感じの、
何ツールと言うべきかなんかもう分からないんですけど、カテゴリーのまだないアプリケーションも自分で作れるわけですよね。
だからやっぱりそうですね、プログラミングの壁っていうのはもちろん高いんですけど、
また自分でツールを作れるのは非常に面白いんで、それを何とかみんなでもできるようになったらいいなと思う今日この頃でございます。
今日この頃。
はい。で、細かい話なんですけど、前回の打ち合わせキャスト71回で、
プロジェクト全体を見れなくてもいいよねって話をしたんですけど、
セムさんという方がノートでプロジェクトリストを別に作るっていう記事を書かれていまして、
僕、前回の話を聞いたからそれをやったというよりは、知らんまにというか、言われなくてもやってたっていう話で、
でもやっぱりそうだよなと思うんですよ。
そうなんですよね。
自分に適切な形に着地すると、やっぱり似たようなことになるんですよね、これは。
いや、やっぱこういう問題を真剣に考えると、そうなるんじゃないかと思うんですよね。
自分のものとして真剣に考えると、多分なるんじゃないかと思うんですよね。
だから別に僕の独りよがりとかいうことではなくて、やっぱりそのプロジェクトはたまに見れたらいいっていう、
プロジェクト全体像でたまに見れたらいいよねっていうのは、多少一般的というか、副品性のある話で、
しかも別に、僕はそのワークフォーリーとかテキストエディターでやってますけど、
セムさんは多分ダイナリストでやられてるんですけど、別にツールを選ばないということで、
ごく一般的な話なんだなというのを再確認した次第です。
というのが前振りでして、今回は前回の後半ぐらいに出てきた流動を揃えたくなる現象ということについて考えていきたいんですけど、
おおむね僕が思うに、情報整理ツール、一番大きい意味での情報整理ツールがうまく使えないようになるのは、
人間のこの傾向へと最近踏んでるんですけども。
汎用ツールをうまく使いこなせない背景に結構この問題がある気がしますね。
12:06
自分でカテゴリーを作れちゃうから起こる問題でもあるんですけど、
多分これは変形すると専用ツール、たすかにツールがうまく使えないのもここに起因すると思うんですが、
情報を自分の扱う情報を保存しておくためのもので、
例えばMacのメモ帳みたいにただ保存するだけのものは別として、
何か大分類を作りたりとかタグとかを設定できるようなものの場合に非常に起きがちで、
非常に自分の首を絞めるような現象が度々起こるなっていうのは自己観察の中で発見してるんですけど、
流動を揃えたくなるっていう表現は多義的というかいろんなものを含んでるんですけど、
アウトライナーを使ってるときに一番よく感じるんですよね、これって。
例えばワークフローリーとか最初に使い始めたときは特にそうなんですけど、
同じ階層に違っていると感じるものが並んでいるということに耐えられないっていうことが起こるんですよ。
その原理的に考えてそれを制約するルールっていうのは外的には存在しないわけで、
置いてはいけないっていう法律もないわけですし、ツールが禁止してるわけでもないんで、
発生源は僕自身の中にある心の中の現象なんでしょうけども、
それが極めて強いというか、それが働いていることすら多分最初は気づいてなかったんですよね。
違うものを並べてはいけないって思ってることすら気づかなくて、
その違和感を出さないために、わざわざ別立ての項目を作って流土をきちんと揃えた感じにするっていうことをよくやってたなと。
それによって必要のない構造が生まれて、使い勝手全般が下がっていくっていうのがよくある形の流土を揃えたくなる現象なんですけども、
たくさん体験ってあります?こういうのって。
そうですね。だから僕が一番その問題を感じるのは、いつもいう話ですけど、
アウトラインを事前に作ってもその通りに描けない問題っていうのは、まさに実はこの問題であって、
要するにアウトラインを作った段階ではまだ書いてないわけですよね、文章。
書いていないにもかかわらず、アウトラインをきちんと作ろうとして、
第1章、第2章、第3章とかってこう作って、第1章の1の2の3とかって、
15:08
アウトラインを作るときにその階層ごとに流土を揃えるんですよ、多分。
昭和、昭っぽいタイトルになるし。
ここでもぽいっぽいっていう感じですよね。だからね、おそらく自分その時点を自分が想像する、それに相当するものを描き習われているわけですね、要するに。
そうですね。で、なんかその多分事前に作ったアウトラインの段階で、そこがバラバラに作るような人は、それができるような人は多分アウトラインなんか作らないんですよ。
なるほど、なるほど。
ちゃんと昭和っぽい表題というかタイトルを昭和のレベルに並べて、その次の説なら、説っぽいものをその下に並べてっていうことをやっちゃうんですけど、
実際にはまだ書いてないので、自分の頭の中身はその流土に全然対応してないわけですよね、その段階では。
にもかかわらずアウトラインとして流土が固定されてしまうために、本来だったら出てくる発想が出てこなくなっちゃって、
章を見ていると、章の中身を考えなきゃいけないと思っちゃうし、説はその説、要するにそこに当てはめなきゃいけない。
考えるときにそこに当てはめて考えようとしちゃうために、頭が自由に動かなくなってしまうというような問題が起こるんですけど、
多分それがアウトラインを事前に作ってもその通りに書けない問題の大きな理由だと思うんですよね。
だからそれがやっぱり流土を固定して、まだ形のないアイディアを流土の固定されたその枠組みの中に当てはめようとしてしまうために、
もしくはそれをそこから発想しようとしてしまうために書けなくなるというような問題が起こっているんじゃないかなと想像するんですけれども。
この2つの状況において共通しているところは、流土を揃える場合とアウトラインを揃える場合って、
文章を実際に書いていないっていうところと、その構造を使って情報整理をまだ行っていないという意味で、事前にまず何かしているっていう点が共通で、
もう1個は、それっぽさ。
おそらくそうであろうっていう自分の想像、イメージ、もうちょっと言うと理想に用じた構造をあらかじめ作ってしまっていると。
18:02
それはでも実践には対応していないので困ったことになると。
大まかに言って問題の構造はこんな感じですよね、きっと。
そうですね。
これはでも、非常によくわかるんですが、なぜそのようなことに、いや違うな。
それが起きないようにすればいいのかという問題でもない気はするんですよね。
だから、そもそもどうやったらそれが起きないかっていう問題もあるんですけど。
一番簡単なのはアウトラインを作らないことじゃないですか。そういうのの根本的な解決っていうのは。
でもそれは何か求めているものとは多分違いますよね。
違いますよね。
だからこの今の裸足で言うと、流度を固定してしまう。そしてその固定した枠組みの中で考えようとするからダメなんじゃないかなと。
だから固定っていうことですね、問題になっているのは。
そうですね。
だから流度ごとに分けるというコンセプトは、破棄できないというか、破棄しない方がいい気はするんですよ。
だから多分流度を固定しなきゃいけない段階っていうのは多分来るんですけど。
最初から流度を固定しちゃダメなんですよね。
やっぱり固定したくなるんですよね。
だからそこにある何かが心理的な要求があるはずなんですよ。流度を固定したくなる気持ちっていうのがどこかにあるはずなんですよ。
多分場面によって流度を固定したくなる心理の原因っていろいろあると思うんですけど、
例えば文章のアウトラインで言うと、多分出来上がった文章の目次をイメージしちゃうからなんですよね。
目次っていうのは流度が固定されてなきゃいけないわけです。
それはもちろんそうですね。
出来上がった文章はちゃんと章は章のレベルで作られてなきゃいけないし、説は説のレベルで作られてなきゃいけないんで、
その出来上がった文章の目次をイメージしてアウトラインを作ろうとすると、
当然流度を固定されて出来上がった状態のものをイメージして作ろうとするので、流度を固定したくなってしまうということだと思うんですけど。
たびたびそこで出てくるキーワードとして、ちゃんととかきちんとしたっていうふうなフレーズがよく出てくるんですけど、
それが最大の敵なんでしょうね、きっと。
そうなんです。
目次までいかなくても、例えば何か情報を整理するときも、
それこそ今のキーワードで言うと、きちんと整理したいと思うとき、きちんとした構造を作りたくなるんですよね。
21:07
きちんとした構造って何だって別に定義があるわけじゃないんですけど、
そうすると例えば、またそれがタスク管理で言えば、プロジェクト。
プロジェクトリストにはプロジェクトだけを書きたくなるし、だからプロジェクトリストなんですけど、
要するにプロジェクト的なことが書いてあるリストと、その下にタスクレベルのことを書きたくなる。
あとはメモが別にあって、きちんと流度が切り分けられた完璧なリスト群がそこに出来上がると。
そのプロジェクトの上位には、人生の関心事、家族とか仕事みたいなことが上司として。
そういう枠組みの中に自分の考えたことがきちんと整理されていると、きちんとしてるなっていう感じがするんだと思うんですよね。
だからある種のトップダウン、自分というもの主体としたトップダウンで、
いわゆる人生の目標からプロジェクト、タスクっていう段階、階段構造、ヒエラルキーで、
ヒエラルキーの中に置いたら、ちゃんとした感じがするんですよね。
ちゃんとした感じがする。
一般的なイメージとして、例えばアウトライナーに代表されるツールって、ちゃんとするために使うんじゃないですかっていう発想にも当然なりますよね。
なりますね。
でもここでの一番の問題は、最初からそんな形は生まれないっていう。
そうなんです。最終的にちゃんとするための助けりはすごくなるんですけど、
最初からちゃんとしようとすると、結局狭い箱の中で自分を閉じ込めるみたいな感じになっちゃって、
むしろ苦しいことになっちゃうんですよね。
そういう問題がいろんなところで起こっているように見受けられるという気がしますね。
まず、スクラップボックスっていうツールはそれに対する強力なアンチ提示として提示されてるんですよね。
トップガンの構造なんか作らせないぞっていう強い意思があって。
あれね、全体像を管理するっていうのはもう至難の技なんですよ。
ページ作るごとに全体像を管理するためのページの中にページリンクを付け加えていくと。
そこのページの中の階層構造で全てのページが入っているっていうのを作ったら、
24:02
いわゆる求めているトップダウンの構造が作れるんですけど、そんなことやってられないんですよ、基本的には。
だからどっかの段階でこれはそういうことができないんだと、全体からの管理っていうのはできないんだっていうふうに直面するんですよね。
入力の仕方もノーション的なデータベースになってないんで、
ここの項目にはこれを書きましょう、ここの項目にはこれを書きましょうって枠組みを決めてそこに沿って書くようなんじゃなくて、
文章に書くスタイルでタグとかも付けられないんで、書き方が結構バラバラなんですね、ページごとに。
あれは本当にエヴァノードからスクラップボックスに行った時に最初に感じたのはその気持ち悪さなんですよ。
その記述が揃ってなくても大丈夫、いや違うな、もっと気持ち悪いから、こんなんで生きる、つまりきちんとしてないっていう。
さっきの言い方をすると。きちんとしてないの恐怖っていうのはきちんとしてないと情報を扱えないっていうことが多分どっかにあったんですよ。
で、スクラップボックスを使ってわかるのはきちんとしてなくても使えるんだっていう発見やったんですけど、
逆にそれぐらいの体験をしないときちんと=使えるっていう図式が崩れないんですよね。
きちんとっていうのはさっき言ったようにある自分の中にある自分が認識している階層構造に置いておくっていうことなんで、
だからある種の対象の支配なんですよね。
そうですね。
その支配から外に出ないとさっき沢山の言われたように、自分の中の小さなものしか扱えなくなると。
スクラップボックスでいうとリンクが操作できるようなページの情報しか扱えないけど、
全体の管理っていうのをやめたらそれこそ本当にリンクを思い出せるページはいつでも情報を引っ張り出せるっていう風に、
ある種記憶とか支配の外に出られるんですけど、やっぱりその支配欲なんですよね。
全般的に言えるのは。
支配欲ってモッチョという、ある時点で自分がその対象に思いで抱いている理想とか構造の把握のもとに対象を収めたいっていうことなんですよ。
はい、そうですね。
それが情報整理通においても執筆においても大幅な制約となって働くんですよね。
事前の思いっていうの、理解っていうのが大幅に荒いんですよね。
荒いというか甘いというか。
そうですね。
子供の頃からきちんと整理整頓すると褒められたじゃないですか。
はいはいはい。
なので、良き状態というのはそういうものだっていう感覚がなんとなくあるんじゃないかなと。
27:09
で、プラス自分の思う体系みたいなところにきちっとそれをはめ込めると、さっき倉下さんが言われた支配欲というか、そういうものを満たせるっていう部分もあるだろうし。
多分いくつかの要因はあると思うんですよね。
そういうのを、普通に散らかすよりは片付けてる方が褒められますもんね。
でもそれは結局アナログベースの話なんですね。基本的には。
アナログの情報はそのようにして整理しないといけないんですけど、デジタルはどちらが出てもいいっていう。
でもそのパラダイナミックシフトはなかなか至れない感じがしますね。
だから今でも例えばYouTubeとかの動画を見るじゃないですか。
YouTubeの動画ってほとんどその一期一会というか、その時のおすすめが前回上がってくるっていう感じなんですけど、
やっぱりどこかしら自分が見たものをクリップしておいて、それらのリストを作りたいっていう欲求がすごくあるんですけど、
多分今の若い子はそういうのもないんじゃないかなと思うんですよね。
まあ人によるんですけど、どうでしょうね。でもその一期一会状態が普通だと思っていると。
で、必要になったら検索して見つけたらいいじゃんっていう感じで、自分のあるライブラリーの中に収めておいて、
そこでタグ付けとか管理して、自分が見たものだよっていうリストを作りたいっていう思ってる人が多分、
昔よりはだいぶ少ないような感じ。あのUIを普段に使ってたらそんな風に感じるんじゃないかなと思うんですけども。
そうですね。そもそも最初から整理しきれるはずがないように触れている。
そうそう。
一応ね、アナログ時代から整理できる範囲の自分が持っている、自分が交録がしたビデオテープ35本ぐらいを整理すればよかった時代とは。
まあ違いますよね。
だからだいぶそこの感覚は、いわゆるデジタルネイティブとアナログカラー経由のデジタルユーザーでは違うんだろうなと。
その純デジタルの方向性を開放するとやっぱりスクラップボックスになって、いわゆる回想なんていらないよと。
そのページの中に回想コードがあるのはいいとして、全体像を回想に置く必要はないし、
作ってしまった方が、いわゆるコウモリ問題っていうんですかね。
情報の位置づけが一方的に一箇所に固まって固定化されてしまって、そのAというルート、マルチBというルートもあるというハイパーリンク的ルートっていうのが消えてしまうから、
30:05
その情報の開放度でいうとスクラップボックス的な真のネットワーク構造がよろしいんですけども、
ですけども、さっきも言った、流度が完全になくなったらいいのか問題っていうのが常にありまして、
僕たちはその流度を揃えたくなる現象があるとともに、流度が揃っていて嬉しいよね問題じゃないな、
原理っていうのがあって、結局本が読みやすいのってそこなんですよね。
そうです。
流度が揃っていて順番がその流度ごとに並んでいるからこそ、僕たちはその情報を読み取れるような感じがする。
つまり支配下に自主的に置けるような感じがするんですよね。
実際に本を読むことができるわけじゃないですけど、あのように読める感じがして、
インプットできやすいように整えられているからこそ、本っていうコンテンツに価値があって、
それがWikipediaをただ読んでいくだけとは違う行為だと思うんですよ。
はい。
だからやっぱりね、流度を揃える技術っていうのが、やっぱりある種のパブリッシャーには必要だろうなというのが、
半分の感じですね、僕の。
そうですね。
でもだから、アウトライナーにしても何にしても、言ってみればその流度を揃えていくことを助けてくれるツールなんですけど、
流度の、それがこう、人によっては最初から流度を揃えて構造を作って、そこに当てはめるものっていう認識を
してしまう場合があって、してしまう場合っていうか別にそれは悪いわけじゃないんですけど、
それだと結局使い切れなくなっちゃうというか、やっぱり、そういうなんて言うんでしょうね、
その事前に作れる構造に当てはめられるものっていうのは狭いので、
そうですね。
結局入りきらなくなるんですよね、アウトラインに。
そうですね。だからその他の方が多くなる問題が絶対出てきますよね。
そうなんです。膨大なその他と、あんまり物が入っていない構造みたいなものができちゃって、
で、ダメじゃんってなっちゃうんですよね。
やっぱそれがもったいないなと感じることが。
そうですね。実際それって別にダメじゃないはずなんですけど、ダメって感じますよね、そうなったらきっと。
感じますね。
きっとね。
目的が達成されないんですよね、それだと。
ただそう、勘違いしちゃいけないのは、それは別にダメなわけじゃない。
別にね、それで例えば目的のものを、情報を見つけられる構造がそこにあるんであれば、
本来はそれは肯定できるはずなんですけど、やっぱり最初にあるちゃんとした構造の概念を引きずっていると、
そうなってしまったらもうほぼ失敗っていうものですから。
33:03
だからそれは実際その実行性とか法律性以上に何かこう自尊心を傷つける現象も起きますよね、そこで。
俺はダメだって。
っていうことになりますよね、やっぱり。
いやだからね、これはだから、あの、まあ情報ツール、結局それはアウトライナーが問題というよりは結局思ったんですけど、
僕らのもっと根源に揃えたいっていう、揃えるべきだっていう思いが先にあって、
でそれがもうアウトライナーというツールでは、まざまざにそれが実現されてしまうんで起きるんでしょうけど、
だからアウトライナーそのものが悪いというよりは、僕たちのその整理支配欲求っていうものが一番強く出てしまうのがアウトライナーということだと思うんですけども。
アウトライナーでその問題は起きやすいですね。
起きやすいですね。
だからなんかこの、その問題をその、一番わかりやすく説明する例って何かなと思ったんですけど、やっぱり、
タスク管理だと思うんですよね。
要するにアウトライナーでタスク管理をしましょうと思って、
それを、その、なんだろうな、アウトラインを作るわけじゃないですか、例えば。
タスク管理ってアウトラインを作って、で、プロジェクト、タスク、メモみたいなこう、
見出しを立てるわけですよ。
はい。
そうすると何が起こるかっていうと、プロジェクトでもタスクでもないものを入れる場所がなくなるんですよ。
だけど、そういう項目さえ立ってなければ何を書いてもよかったのに、プロジェクトとタスクっていう入れ場所があるためにプロジェクトとタスク以外のものが書けなくなる。
ものすごい単純化して言うとですけど、そういう現象が起きるんですよね。
起きますね。それは起きちゃいますね、やっぱり。
で、それをどうやって避けるかっていうと、多分アウトライナーは動的なものだっていう視点だと思うんですよね。
はい。
プロジェクトとタスクっていう入れ場所があるから、書くものはプロジェクトかタスクじゃなきゃいけないと思っちゃいがちなんですけど、
そうじゃなくて、書きたいものをとりあえず書いた後でどこに入れるか考える。
入れ場所がなければ入れ場所をその場で作るっていう順番でやると、何を書いても入れられるし、
しかも自分が書いたものが納められる構造が徐々に出来上がっていくっていうことが起こる。
別にそれはアウトライナーじゃなくてもそうなんですけど。
そうですね。
それがまざまざと目に見えるのはアウトライナーですよね。
でも単純に思うのは、スタートの段階っていうのはいわゆるノー構造から始めるわけじゃないですか。
36:00
はい。
多分それが不安なんでしょうね。僕のスクラップボスを最初に使ったとき感じるこれでいいかかんっていうのが、多分つきまとうんだと思うんですよ。
逆に言うと、例えばその人がタスク、プロジェクト、メモみたいな分類を最初になぜ作ったのかっていうと、どっかに書いてあったからなんですよね、きっと。
そうでしょうね。
ゼロベースで思いつくことなんてまずないわけがある。
誰かからのフレームワークを拝借することでその形を作るんですけど、
だからやっぱりそれがないと落ち着かないんでしょうね。始められないというか。
うん。
そこを変えないと、だからメモとタスクとプロジェクトとサブプロジェクトにしたらいいかっていう、そういう問題じゃないじゃないですか、この問題っていうのは。
ないですね。
事前に適切なフレームワークっていうのは考えられないから、それは参考情報でしかないよっていう、いわゆる捉え方をかなり逆転させないといけないんですけど、
これが正解ですんじゃなくて、ここから考えていきましょうになるべきで、だからR-Styleって自分のシステムを作るみたいな話で、
全くゼロベースから今タスクさんが言われたような、とりあえず書いていったあとで考えましょうみたいな方式に提示したんですけど、
やっぱり先にゴールを示すと、それから考えましょうって言ったところで、やっぱりそこから離脱するのってかなり難しい気がするんですよね。
そうでしょうね。
だから、なんて言うんですよね、この情報がどのようなもので、どう扱えばいいのかっていう思考というか考えがパスされてしまうんですよね。
そのタスクとかプロジェクトが先に与えられてしまうと。
それを本来考えないと自分のシステムって作れないんですけど、そこが回避されるパスが繋がってるんで、結局どう使っても使えない。
それってだから自分の頭の中にあったタスクの情報の構造っていうものが切り替わっていかないんですよね。
切り替わるというか、進化って言うとちょっと思理的なんであれですけど、現状に即した変化をしていかないんですよね。
だから、それを促せる何か、アウトライナーはそれをやるたびに非常に適したツールなんですけど、
受け取り方の考え方を変えていかない限りは、ずっとたくさん本で示した構造の通りにやるみたいな人は多分消えないでしょうね、きっとこれは。
だからその通りにやっても全然いいんですけど、多分変わっていくはずなんですよね、本当は。そこから始めたとしても。
違和感が絶対出てくるはずなんですよ。これなんかちょっと変やなっていう時に、
39:03
自分をそれに慣らそうとするか、あそこにある構造を変えようとするかっていうベクトルの際系でその後が変わっていくんですよ。
そうですね。
使っててしんどくなってくるっていうのは、自分とか保存する情報を既存の構造に合わせようとすることで使われるんですけど、
まさにそこで作られる構造っていうのは、その構造に情報を配置するために作られてるっていうスタート地点があるので。
だからそっちに行きやすいんですよね。
それは特別なもんじゃなくて、僕も自分自身でも後で気づきますからね、構造に合わせて無理してたなって気づくことが多々あるので。
僕だってこんなことを言っておきながらそうなるわけですよね。やっぱりそういうふうに考え、頭が動くんですよ、多分。
ただ、構造は変えられるってわかっていれば、あれなんか気がつくと構造に縛られちゃってたなってある日思ったら変えられるわけですよね。
そうですね、確かに確かに。
だからやっぱり枠組みを最初に作りたくなるっていうのは、何なんでしょうね、本能じゃないと思うんだけど。
でもある種、普遍的な性質に近くて、だから、言語を使う動物の性質なのか、文化的にきちんとしなさいっていう教育の下で生まれてきて獲得されるものなのか。
本当にこれ例えば、エイバー・ノーズとかアウトライナーでもいいんですけど、いろんな国の人の使い方の偏りっていうのがすごく文化人類、ツール学的に気になるんですけど。
僕思ったんですけど、アウトライナーって階層構造で左から右に1個深くなっていくじゃないですか。
あれイスラム語圏どうなってるんでしょうね。
あれね、多分逆だと。イスラム語って右左ヘブライ語とか。あれはね、多分逆なんじゃないかな。
因縁とかが左に寄ってくるんじゃないかな。
それ多分僕らが使ったらすげー面白いでしょ、きっと。
確かにそう言われてみたら、確認したことないですけど、イスラエル版のオムニアウトライナーとかとなってるんだろうな。
普通の方向やったら絶対使いにくいですよね、そんな。
イスラエルじゃないか。
でも、Macとかでも言語設定、右から左に書く言語にできるじゃないですか。
できますね、はい。
あれこれを、例えば今使っているアプリでそれを変えたらどうなるんでしょうね。
42:05
オムニアウトライナーとかやったら、カーソルボックスにカーソル合わせたら、その入力文字が逆向きにドジョジョジョって入っていくというような感じな気がしますけども。
だからインデントそのものはその構造になってると思いますけどね。あれは変えられないでしょ、言語設定運動では。
そうですよね、だってバレットのある場所が逆にならないってことなんですね。
でもそれってだから文字の流れとインデントの向きが逆なのはすごく不自然ですよね。
不自然だし気持ち悪いですよね。
だから、たぶんちゃんと対応するとすれば当然それは逆になっているみたいな感じですよね。
だからそれだけのことでもたぶん違いますし、ちゃんと使わなければならない感っていうのが、
実はだから日本とか西洋、特に西洋のいわゆるキリスト教的な考え方が実は強く影響しているのかもしれないですけど、
だからこれは本当に一つ面白いんですよね、この文化圏によってツールがどんなふうに使われているのかっていうことの違いって、
僕は全然見聞きしたことはないんですけど。
そうですよね。でも例えばだから、欧米人の人が「あれ日本語って縦書きするけどアウトライナーどうなっているの?」ってきっと思うと思うんですよね。
確かに。
で、たぶんあれは縦にインデントされるはずなんですよね、縦書きのアウトライナー。
そうですね、縦にインデントされるはずですね。
あんまり見たことないですけど。
しかも使いやすいかどうかすらわからないですが。
でもそうか、一文が長いようなものを扱うときは、ディスプレイの向きから言って一行が縦、長く、どうなの?そうでもないか。
逆か。なんか縦やと、あれも縦やと、いわゆるツリー構造に見えない気がしますね、なんとなく、今想像ですけど。
でもほら縦書きの本でインデントによる構造を表現することはありますよね。
でもなんか、同じものを見てる感じはしないですね、やっぱり。
うん。
いやだからこう、これ不思議なことで。
余談ですけど。
いやだからもしかしたら、例えば東南アジアの人たちって別に初めから構造なんて作らないでっていうようなのが主流なのかもしれないんで、これはだから比較しない。
人間そのものなのか、ある文化圏なのかっていうのはそこを見ないとわからないですが。
でも日本の人は割りかし多いですよね、僕も含めて。
最初にちゃんとした、きちんとした構造とか状態とか、フォーマットを揃えてとかっていうことをすると。
きちんとしたっていうのがイマジネーションというかイディアっていうか予測というか、実体とは乖離してて、こうあってほしいというかこうなるべきだみたいなものに規定されてるんですよね。
45:06
だからある種の規範性なんですけど。
大体だから、さっきも出てきましたけど、必要のないものとかも作るんですよ、その概念で言うと。
前回も言ったんですけど、3つぐらいABCっていう大項目が3つぐらいあったら、これ関連するのもあるからDとCも作っておこうかなみたいなことをよくやるんですよね。
内部構造にもおけて、Aの中に1,2,4みたいなのがあったら、2,3も作っておこうかみたいな感じで揃えるんですよね。
モーションとかでもデータベース作るときに必要そうな項目を大体全部設定しがちなんですよね。
本作るときも、こういう流度があるから、これもいる野郎的に大体項目を立てるんですよ。
後から中身を詰めようとするんですけど、詰めようとした中身を自分が書けるかどうかっていう担保はゼロなんですね。
先ほど言ったデータベースとか構造も、自分が使うかどうかっていう検討はその段階でゼロなんですよ。
ただ、ポサーで作ってるだけなんで。
多分それは思考のスタート地点というか、起点として仮にプロタイプとして作るんであれば、おおむね悪くはないと思うんですけど、
なぜかそれが、しかるべき、こうあるべきっていうレールにガッチャンってなってしまうんですね。
で、うまく使えなくなったりとか、使えない自分を否定してしまう要因になる。
自分の規範性で自分を否定してるという、そういう状況なんですけど。
だから、自分の規範性がツールによって外部化されて、それが固定されるのが問題なんですね、きっと。
そうでしょうね。
過去の自分の規範性に今の自分が否定されるようなことが起きるんですよ。
それがその規範性もあると思うんですけど、何でしょうね。
例えば、数を揃えたいとか。
ありますね。
項目ごとに、3項目のやつと5項目のやつがあると気持ち悪いから全部5項目にしようとか。
なんかそういう感覚ってあるじゃないですか。
そりゃありますね。だからアウトラインの項目、メモしてる項目がダーッと並んでて、
1個が2021年6月って書いたのに、もう1個が2021年06とか書いてあったら、
どっちかに表現を揃えて書きたくなりますからね。
はいはい。そうですよね。
なんかそういう、それも多分流度を揃えたいっていうのと、
ちょっと親戚みたいな感覚だと思うんですよね。
なんなんでしょうね、それって。
48:01
でもやっぱりアウトライナーでよくそれが出るんで、
やっぱりアウトライナーの全項目が同じフォーマットに載ってるっていうことがあるんじゃないですかね、きっと。
多分こう、カードでバラバラに書いてるときはさっきみたいな表記がちょっと違ってて、
もう気にはならない可能性が僕の場合は高いですけど。
カードの書き方はそんなに気にならないかな。
でもね、あれですよ、きっと文献カードとか作る人は、その項目をね。
それはわかります。そうなったら一緒なんですね。
AのカードとBのカードが同じカテゴリーに属するものとして認識されたらフォーマットが揃ってないって気持ち悪いんですけど、
ラフに書いたメモが散らばってるときに記述が揃ってなくても僕はそんなに気になるんですけど、
やっぱりアウトライナーで、ある項目の中に子供の項目がダーッと並んでて、
そこの子供の項目同士で表記が揃ってないとやっぱり気持ち悪いっていうのがあるんで、
やっぱりアウトラインっていうものが流土を揃えるためのある種の強制力というか、アフォーダンスを持ってるっていうことなんやと思いますけども。
ですよね、そうですよね。
だからアウトライナーならそれを使って出来上がったものが流土が揃ったカチッとしたものになるのは目的にかなってると思うんですよね。
はいはいはい。
だけど最初の段階でそれを作ろうとして縛られちゃって書けなくなったりすると非常に本末転倒じゃないですか。
そうですけど。
だから構造とか流土を作ろうとすること自体がいけないわけじゃないですよね。
いけないですけどね、それは間違いないです。
やっぱりそれは。
やっぱり元々ある誰かが提示する構造からスタートしない方が、多分決めつけでも自分で考えた方がいいですね、きっとね。
あとはその構造からスタートしたとしてもそこに合わせなくていいっていう。
そういう開きなりを啓蒙できるのが一番幸せな決着点だと思うんですけど。
そうですね。
これだから難しいかな。
でもやっぱり最初に整理したいっていう欲求が聞いない限りは残るでしょうね、これって。
本当に構造を作るなっていう言い方から始めないとやっぱり作っちゃいますね、きっとね。
51:06
今やったらインターネットでいくらでも検索できるんで、先人の技が。
それの通りにしようとしてしまうっていう、教科書の教えに従うっていうマインドセットと一緒ですけども。
だから本当は最近は、いわゆるドマ式以降はだいぶ気にならなくなったというか、
一般的な意味で流度は揃ってないけど、自分的には揃ってる流度っていう感覚がようやくわかってきたというか。
そこまでいけると全然気にならないんですよね。
気にならないというか、だから僕の中で流度が揃ってるんで、流度が揃ってるんですけど。
揃ってなくても気にならないというか、新たな流度の揃い方を獲得したみたいな感じですけど。
そうですね。流度って結局その、語彙的には大きさが、粒が揃ってるってことじゃないですか。
だけど多分ドマ式の場合は、ドマ式の場合はっていうか、倉下さんが作ってるやつは、
必ずしも同じ階層で粒は揃ってないわけですよね。
だから、ドマが向ける注意、フォーカスの階層が揃ってるというか。
だからそのフォーカスレベルが揃ってるというか。
そういうことです、そういうことです。そういうことです、そう思います。
だけどその粒は別に揃ってないわけですよね、きっと。他の人から見たら。
だからプロジェクトリストと比べたときに、流度のバラバラ感は多分普通にあると思います。
ですよね。
だけどある別の基準から見ると揃ってる。
僕の注意レベルから見るときに、うん、それやなって。
だからよく先週から言ったけど、ワークフローリーで、
強大項目にジャンプできるようになって便利って言ったんですけど、
ちょうどだからそれが、僕が一個一個注意を切り替えてるのにピッタリな感じで移動しているんですよね。
それを移動してるときに、デコボコは感じないんですね。
なんか下に行き過ぎたりとか上に行き過ぎたりって感じがしなくて。
いわゆるさっきGTとかで言われるような、プロジェクトをちょうど切り替えているような感じで、
これが並んでいるのが自分にとってのプロジェクトリストやなと思うんですけど、
そこに至るまでは時間がかかりましたね、やっぱり。
ですよね。だから最初からフォーカスレベルが揃ってるとしても、最初からそれを作ったわけじゃないですよね。
ではないですね。
だからやっぱりフォーカスレベルに、その粒の大きさをフォーカスレベルに置き換えたとしても、
やっぱり最初からそれを作ろうとしちゃうと多分同じことになるんでしょうね。
まあ、でしょうね。
僕の場合は、後から変えていけばいいマインのセットを習得してるんで、
最初はいわゆるプロジェクトリストが並んでて、そこから徐々に変わってきたっていう感じですけども。
はいはいはいはい。
いやー、だからでも、例えば今までやったら、書籍のプロジェクトっていうのがあるじゃないですか。
54:02
で、それ僕の中では結構おっきめの流度なんですよね。
はい。
例えば、しごたのの連載っていうのがあるじゃないですか。
はい。
昔は、書籍プロジェクトの中に書籍の機械を入れてたんですよね。
はいはいはい。
で、しごたのはブログプロジェクト、ブログ大項目か連載大項目か、
あるいはブログの項目の中に連載項目を作って、その中にしごたのっていうのを作ってたんですよね。
はいはいはい。
で、そうするときれい、きちんとたそうなんですけど、どう見てもその階層が、2階層ぐらいしごたのと書籍でずれてるんですよね。
はい。
で、でもそれはおかしいと思ってなかったんですよね。
うーん。
むしろだから同じ流度に、その本の企画の項目としごたの連載の項目が並んでると、
なんか整理できてない感じがやっぱり昔をしてましたね。
うーん。
最初に情報的に分類しようとするんですよ。あれ面白いなと思うんですけど。
なんかあれですよね、収めるべきところに収まってる感というか。
そうそう、収まっていくコードを出したいっていう感じがあって。
例えばいわゆるGTD的な洗い出しで、あれって今、紙にバーって書くじゃないですか。
はい。
で、紙にバーって書くときってあれをいわゆるフラットに書くじゃないですか、大体は。
はい。
でもその後に、それをやっぱりね、アウトライナーとかに転記しようとすると、位置づけようとするんですよね。
しますね、しますね。
しごたのは、なんだ、これはブログだ、だから書籍とは違うから、書籍とは違う場所に置かなければっていう演繹が無意識に発生して。
そうですね。
で、大分類を変えるんですけど、でもよくその長期的にコミットしている対象で文章を書くもので、そこにネタを集めて書くことを考えるっていう流土としては僕の中で一緒やってことに気がついて、ようやく並んでても不思議じゃ、違和感は感じないっていうところまで来たんですけど。
うん。
だから外側にある流土から内側にある流土に切り替えられたという言い方はできると思いますけども。
あー、なるほどなるほど。はいはいはい。
これは多分本当にドマ以降ですね、ここに至れたのは。それまで本当にきちんと分類してましたから。
ですよね、うん。
でもどこかで学んでるんでしょうね、このやり方は。
そうでしょうね。
おそらくは。
面白いのは多分、例えば会社、普通の会社員、僕もそうだったんですけど会社員の人がタスク管理をアウトライナーでやろうとしたときに、多分80%ぐらいの人が仕事とプライベートってまず分けるんですよね。
57:00
分けるんですよね、はい。
分けるんですよ。で、仕事の下に今度例えばプロジェクト別とか顧客別みたいなものを作って、その下に個々の仕事を書いていって、その下にそれぞれの細かいプロジェクトみたいなのを書く。
はいはいはい。
一方でプライベートの下に、こう、なんかこう産業暮らしが書いてないみたいなことが起こるんですけど、なんかこう、そのワークライフバランスっていう言葉もあるし、なんかこうそういうことをしなきゃいけないという感覚になっちゃうのかもしれないんですけど、
多分、自分がやるという意味では同じなんですよね、その仕事も、仕事じゃないことも。
はい。
で、ただその仕事と仕事、えっとプライベートと仕事を分けるってそういう意味ではナンセンスだとずっと昔から思うんですけど、
はい。
ただ逆にそのバランスがいかに取れてないかを確認する目的では多分いい。
うん、なるほど。
いいんですよね。
だから多分一時的にそうやって分類してみて、こんなにアンバランスだよって確認するのはいいと思うんですけど、
あー。
確認した後また、多分ね、その分けたまんまだと、いつまで経ってもそのこう仕事は仕事、プライベートはプライベートってこう分けて考えるようにこう、ひしむけられちゃう感じがして、余計に分断されていく感じがあるんですよね。
構造を作った後に確認して構造を変えるという動線になればいいけども、そうならないとその作った構造に支配されてしまう、より強化されてしまうような。
うーん。
あー、そうか。
いやその、今の話を聞いて思い出したんですけど、例えばさっきのプロジェクト、書籍の執筆とブログを分けたとするじゃないですか、仮にね。
はい。
今そのGTDが荒い話が終わってそれをやったと。で、えーと、例えばブログの中、仕事のっていうのを入れるためにブログっていうのを作って仕事のを入れたとするじゃないですか。
はいはいはい。
で、仕事のしか入ってないから他になんかないかなって考えた。
あー、ありますね、ありますね。
で、別に入れる必要もないものを、あーそうや、例えば本クレアとかコンビニブログやと入れとかないと不自然やっていう感じで入れるんですけど、例えばコンビニブログでネタ確認なんかしないんですね。
はいはいはい。
そこに入ってるEはもうゼロなんですけど、ただもうそこに構造を作っちゃったから入れるっていう。
うーん。
だからもう思考の整理じゃなくなってるんだよね、もうそこからは。だってそれはGTDに荒い出しで書き出したものじゃないんで。
うーん。
だからある種、元の構造に引っ張られて出てきたものではあるんですけど、別に管理しようと思ってないものまで並べてしまってるっていうことがあって。
1:00:05
そうなってくるともう変えられないですね、その構造っていうのが。
そうですね。
その構造を固めるために要素を追加してるんで、だから自己拡張してるようなところがあるんで。
だから本来はさっきの話すると、仕事のしか入ってないやんって気づいたときに、じゃあもうこれやめていいやんってなったらよかったんですね、オススメ。
構造的に。
そう、その場合はそうですよね。
そうじゃなくて、補強したようにいくからだいたいうまくいかないことを何度も繰り返してたんやなっていうのはちょっと思いました。
はいはいはい。
逆にそれを洗い出す目的でそういうふうに整理してみたときに、あれ、ほっといたら仕事のしか思いつかなかったんだけど、そうやって整理してみたら、ああそうだ本クレもある、なんとかコミュニティブログもあるって思いつくっていう、
そういう効果を狙って使う場合はあるんですよね。
もちろんそれはわかると思います。
それはだから最初に目次案作るっていうのと同じコンセプトですけど、
でも結局それはだからその構造を捨ててもいいっていうコマンドと一緒に思い浮かんで、
そうそうそうそう。
始めて意味があることなんでね、やっぱり。
ああ、そうか。そうだよなあ。そう今考えたら、今考えたらすごいことしてますよね。
日本の小達史を考えて、その5章だけ項目1個しか思いつかへんかったけど、なんか頑張ってそこを見澄ましして構造作ってるようなことを自分の情報構造でしてたわけですからね、それ。
それはうまくいかないですよ。
でもそれみんなやりますよね。
やりますよね、きっとね、これは。
だからアウトライナーだとその一度構造を作って考えた後でまたそれを潰せる、
あのフラットに戻しちゃうっていう感覚って結構大事だと思うんですよね。
そうですね、確かに。
一時的な構造化、基本はフラットで、
一時的にさっきのプライベート、仕事とプライベートみたいにこうやって考えるとバランス崩れてるなっていうのを確認したらまた元に戻しちゃうとか、
そういうあり方がもっとあってもいいなあと思うんですよね。そうするとそのなんかこうあんまり構造に縛られない感じがしますけどね。
あー、そうか。
いやその、ちょっと思ったのはデジタルツールであるアウトライナーってその中場、状態中場とこれでいいやろうっていう状態って見た目が一緒じゃないですか。
一緒ですね。
例えば本やったら完成したらプリントアウトする形になって別のプロダクトが生まれるんで自分の発見した見た目も変わるんですけど、
1:03:03
アウトライナーって変わらないんでその変わったらいいんじゃないかなって一瞬思ったんですよね。
自分がこれでいいと思ったら、例えばこう、もっとバレットが濃くなるとかなんでもいいんですけど、変わったらいいかなと思うんですけど、結局そうやって作った構造もまた変えるわけで、
そうするとある種完成形はないっていうことになるんで、姿が変わったらいいっていうもんではないなっていうのはちょっと思ったんですけど。
だからずっと維持するアウトラインとプロセスでしか使わないアウトラインってあって、僕はどっちかっていうとそのプロセスでしか使わないイメージの方が自分の中で強いんで、
ただもちろんアウトラインの形で維持する使い方っていうのも当然あるんで、そこはちょっと違うでしょうけどね。
両方が混ざっているところがあって、先入観が後者の方が強いから前者の方が出てきにくいっていうのはあると思うんですけども。
だから常に変化することが期待されている、常にインプロセスなアウトラインって、構造を作ることが目的じゃないじゃないですか。
構造は常に考えるための材料なんですよね。
だからそうか、それでいいんか。アウトライナーって、アウトラインっていうこの言葉の語幹に構造っていうような意味が入ってあります?
輪郭線ってだけですかね。
輪郭線概要ですよね、アウトライン。
アウトラインを処理するものだから、別に構造を作れとはそこのこの単語には含まれてないわけですね、別に。
まあなんかストラクチャーエディターみたいな言い方をする人もいますけどね。
だからそうなるとなんかやっぱりインプロセスな使い方から外れますよね、きっと。
そうそうそうなんですよ。
アウトラインっていう言葉自体には構造っていう意味はないような気がするんですよね。概要でしかないと思うんですよね。
なるほど。
ただその構造をその概要として示すもの。だからまあその構造と結びつくんでしょうけど。
だからそのやっぱりそのインプロセスな使い方っていうのは、考えるためのアウトラインじゃないですか。
プロダクトとして出すものじゃなくて、そこの先ほど言ったように作った構造を考えてからまた構造を組み替えるっていう、
常に手段でしかないものだっていう認識がやっぱりないというか薄いんでしょうね。
やっぱり構造を作るためのものっていう、それが目的になるという。
まあもちろんそういうためにも使えるんですけども。
そういうためにも使えるからまあややこしいんですけども。
ややこしいんですけどね。
だからこれやっぱり考えるための道具っていうのは多分はっきり、もっとはっきり示した方がいいでしょうね。
いわゆるアウトラインを作るための道具っていう認識の方が、今の呼ばれ方へと非常に強い気がしますね。
1:06:06
まあそうでしょうね。
だからまあ考えるために使うものがイメージとしてはプロセス型ですよね。
で、考えた結果をこうある成果物にするときに、その成果物と結びついたアウトラインを作るのがプロダクト型っていうイメージなんでしょうね。きっと。
そうでしょうね。きっと。
全部を一つのアウトライナーでやっちゃうと見えにくいというか、見えにくいとかやっぱりそうか。見えにくいとか慣れるもんね。
だから本作るときにそのアウトライナーを使っているとリュードを揃えることが絶対命題というか、
揃ってないのおかしいみたいな感じになるんで、
インプロセスなアウトラインについてもそのような力学が働いてしまうというか、働きがちというか。
そこが難しいんですよね。
だんだんリュードの揃った構造に向かっていくわけですよね、多分そのプロセスは。
だから最初は揃ってなくても何か、もちろんその目的にも違いますけど、
本になった段階では普通はリュードが揃った状態になっていないといけないわけで、
だからそのリュードを揃えていくそのプロセスの中でそのアウトライナーの機能を使っていくわけなので、
だからリュードを揃えるためのものっていうのが穴勝ち、間違いじゃないんですけれども、
最初から、揃ったところから始めようとしちゃいけない。
結果として揃ってしまうものというような感じかな。
自分にとって気持ちのいい塩梅をしていると結果的に揃ってしまうようなものみたいな感じですね、何となく。
そうですよね。
あとこの間、ツイッター外の人にちょっと話してて言われたんですけど、
そうするとガチガチの本しかできなくならないって言われたんですよね。
論文っぽい、すごく整理されてるけど、堅苦しいものにしかならないって言われたんですけど、
いやそうじゃないんですよね。構造を見て堅苦しかったら変えたいわけですよ。
そうですね、確かに。
逆に構造が見えるからこそ意図的にそれを崩せるわけで。
なるほど。
だから、わざとリュードを崩すってことも逆にできるわけですよね。
勇気があればね。
勇気があれば、そういう目的があるならば。
1:09:04
だから、結局は使う側の意識の問題なんでしょうけど。
それは間違いなくそうですけどね。
でもね、だから道具に合わせる必要はないんですよね。
それは間違いないですね。本当に自分の感覚に沿って情報を配置してはいけばいいし、
まさに汎用的なアウトライナーで、しかも最適的な構造のアウトライナーで、
あなたのリュードに合わせて構造を作れますよっていうことが一番のメリットなわけですから。
そんなんですよ。
そこはあまり一般的な認識じゃないんでしょうね、きっと。
だいたいどういうふうにノートブックを作ればいいんですかって質問がエバーアウトにもよく来ますからね。
俺が答えられるわけじゃないじゃないですか。そんなものは。
どんな情報を保存しているのか、さっき教えてくださいっていう話なので。
これは答えはないですけど、いろんな形のアウトライナーの使い方が提示されたら、
ちょっとずつ緩和していくのではないかなという気もします。
そうですね。でもあとはそのプロセスを、出来上がった状態だけを見せると、やっぱり揃ったものに見えるんですよね。
それは多分アウトライナーじゃなくても。
多分だいたいそうですよね。途中経過のウオウサオとかアクセンクトは全部カットされますからね、基本的には。
そうなんですよ。
だからスクラップボックスは、それを作らせない、そういうモメントが発生しないようにデザインされていて。
あれは勇気があると思いますけども。でも僕もスクラップボックスに触れてなかったら、揃ってなくても大丈夫感を得たくするのがだいぶ時間がかかった気がしますね、やっぱり。
うーん、そうか。
これは難しい問題ですけど、やっぱり楽しくとか使いやすく使おうと思ったら、やっぱり既存のフレームワーク的に提示される構造っていうのにこだわらないで、
違和感を感じたらその度ごとに直していくっていう使い方の方が、はるかに良いとは言えると思いますね、きっと。
まあでも既存の枠組みって役に立つんで、参考にすることは全然いいと思うんですけど。
それは問題ないですけどね。
なんかそれに自分の考えがうまくはまらなかった時に、自分がダメだと思うんじゃなくて、構造が自分に合ってないと思うことも大事なんじゃないかなという。
そうですね。ではそこから新しい構造を作り出すっていうのは、実はね結構難しい感じがするんで。
1:12:08
まあまあそうですね。
要するに、それ構造が良いやんと思って使い始めるっていうことは評価してるわけじゃないですか、まずその構造そのもの。
はいはいはい。
だからある種地球の重力にとらわれてる状態なんですよね。そこから抜け出すのって第三宇宙速度的なエネルギーが来るってことで。
結構ね、なんか答えは持ち合わせないですけど、なんかねトリックというか別口の力がないと変えていきにくいと思うんですよ。
これは実体験でも感じるんですけど。最初のアイデアに引っ張られるんですよね。
だからアイデアとタスクに何か一個加えたらいいんじゃないかみたいな考え方をしてしまうんですよ。そこの構造を壊すというよりは。
なるほどなるほど。
だからね、そこはなんかコツが欲しいですね。なんか知ってる人がいたら教えて欲しいですけど。
個別にそれぞれ持ってたりするものありそうですけどね。
うんうんうん、確かに。
という結論をね。
これは出ないですけどね。でも本当にだいぶワークフローリーの使い方も僕は変わって。
例えば書籍の企画とかって、最初に受けて項目を作るときって、大体その企画案とか企画アイデアみたいな項目を作って、その下に本文っていう項目を作って、その下にその他みたいに作って。
本文の中には1章2章3章4章みたいな項目を作って、そこに本文を埋めていくみたいな、非常によく一番最初に思いつくような感じのやり方をしてたんですけど。
まあその管理がね、うまくいかないんですよね。特に本文の管理がうまくいかないんですよ。
ですよね。
そういうパターンがバージョンが生まれてしまうんで。だからもう今は、例えば今進めてる次の本の項目の一番最初は、編集者さんと打ち合わせの前に考えておくことっていうのが日付付で残ってて、
次にこんなアイデアにしますっていうパイロターンの項目が日付付で残っててっていう風に、それぞれの期間で自分がやるべきことの項目が日付付に残ってて。
今までやったらもう項目作った段階で5章とか6章の項目はあったんですけど、今はないんですよね。絶対書いてないから。
必要になってから作るっていう使い方。これも今当たり前のこと言ってますけど、必要になってから作るっていう使い方にようやく至れたというか。
事前に作るんですよ。本当に。
いや、わかりますよ。わかりますよ。
結局例えばそれって、章立てが変わることを阻害するんですよね。そうやって先に項目立ててしまうと。
1:15:01
例えばもっと細かくして8章にしようとか、この章削ってっていう考えを、その構造そのものが抑制してしまうんで、基本的に良くないんですよね。
そう考えると、計画をあんまりしない連載ってすごい優れた方法だような気がしてきますね。
だからあれは立つ立つダウンですよね。
そうですよね。
だからあのやり方が一番、その時最適なものを書けるっていう。もちろん全体の構造から見た時に逸脱するものがたくさん出るんですけど、
多分その方が自由に筆は進むんでしょうね。きっと。もちろん連載の苦しさは間違いなくあるんですが。
だからその連載の苦しさから抜け出る度に全体の構造を先作ろうってすると、またそれを別の苦しさを生むだけの話になって、楽な道はどこにもないっていう結論にさす。
どっちみち苦しいという結論にしかないんで。
ただ苦しさが多分連載の方が小っちゃいじゃないですかね、きっと。一個一個のサイズ感が。
構造的苦しさって発想できない苦しさが伴うんで、アイディアが出てこないというよりは、その出そうとしているものと構造が合わない苦しさがあるので、
これはどっちの方がしんどい気がしますね。
それありますね。出そうとしているものの構造とアイディアの構造が合わない。
これは非常に苦しいコートなので、それよりは何かけばいいのか思いつかない苦しさの方が少ないですし、
連載ってあれ本当にね、割り切れば選手と全然違うことがあっても、何も問題ない媒体なんで。
だからやっぱりそっちの方が長期的に何かする上では向いてるでしょうね、きっと。
なるほどね。
なるほど。
今日はそんなところでしょうかね。
とりあえず、流土揃えあるある話を皆さん持っていたら教えてほしいのと、
あと文字の書き方が逆向きのツールはどうなっているのか。
これ知っている方いたら教えてほしいですね。
ぜひ教えてほしいです。これは情報を募集しております。
今回はそんなところかな。
あと今週、今日も木曜日でやってますけど、日曜日にももう一回別の方をゲストに迎えしてやろうと思ってますので、
よろしければご期待くださいというところで、何か沢山お知らせどうございますでしょうか。
特にはないです。
私は7月の後半で本を準備中でございます。
ご意見ご合わせあれば、明日のお知らせキャストをひらがなで打ち合わせアルファベットでキャストまでお送りください。
今回はこの辺りまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
01:17:49

コメント

スクロール