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スピーカー 1
日本の次に聞かれてる国がフランスらしいんですけど、どういうことかなと思って。
スピーカー 2
それはですね、おそらくアマニアドリスさんが聞かれているからではないかと。
スピーカー 1
なるほどね。かもしれません、確かに。
アメリカはかなり5位ぐらいでしたね。
スピーカー 2
ありがとうございます。
スピーカー 1
あと、ブラウザーを分割して使うという話をよくしてましたが、
最近のChromeのアップデートで標準機能で分割できるようになったらしく、
僕、Chrome使ってないんであれなんですけど、
この辺のWebツール系のノートツールは分割できたら非常に強いと思うんで、
Chrome使っている方はいいんじゃないかなと思いますね。
普段は一画面で使ってるけど、リンクを開くときに分割したいみたいなことがあるんですけど、
拡張機能だとそんなスムーズにはいかないんですね。
1回タブ開いてからその2つを1つで表示するみたいなステップが必要で、
それはそれでちょっと不便なんで、できればブラウザレベルの機能で実現してほしいなと思ってたんで、
これChromeに導入されたってことは、相当多くないときに Firefoxにも導入されるんではないかと期待しております。
スピーカー 2
期待したいですね。
Vivaldiのあれもあんまり使いやすくはないんですよね。
スピーカー 1
やっぱりシームレスにパッといって、終わったら戻してまた一画面みたいな感じに機動的に使えたらいいなというところです。
バイク2がこれまでずっとお試し版みたいな、まだ全然動きませんけど使ってみてください版やったんですけど、
今日来たメールやったかな、プレビュー版っていう、いよいよ直前版みたいな感じかな、がダウンロードできるようになってまして、
でもマニアックだなと。
スピーカー 2
マニアックですね。
スピーカー 1
ちょっと使ったんですけど、非常にマニアックで、新しいファイルタイプが増えているのを見つけたんですけど、
マークダウンベースで保存されているものをアウトライン形式で表示するやつで、
フロントマターが入っていて、IDとかフンニャなキャラっていうのをいじるというようになっているらしく、
それもまた拡張性があるのかというところと、あとはやっぱりテーマとか、つまりカラーリングとかフォントとかも、
最終的には自分でセッティングして書けるようになるということで、だんだんEmacsっぽさが増えてきている感じですけど、
どうなんですかね、ちょっとマニア寄りになりすぎて、聞き嫌いはあるかなとはちょっと感じたんですけど。
スピーカー 2
マニア寄りっていうか、どこを目指しているのかがちょっとわからなくなってきた感はありますけど、
どうなんでしょうね、このマニア寄りの機能がもうちょっと違うものの基盤になるのかどうなのかちょっとわからないですけど。
検索あれにならないのかな、ああいうマークフローイ的な検索できるようになってほしいんですけどね。
スピーカー 1
検索機能でいうとかなり奥のほうの機能なので、例えば拡張機能でそれがどうにかできるのかどうかはまだわかりませんが、
できたとしたらすごいことになるんでしょうね。
ちなみに僕、今日例えばワークフローが急にいなくなったら、たぶんバイク使うと思います。
それぐらい好感度が高い。
スピーカー 2
好感度は高いし応援もしてますね。
そうですね。
本当に頑張ってほしいです。
スピーカー 1
皆さんが普通に使えるようになったらまた改めて紹介しようと思います。
12月なんで毎年恒例Webのアドベントカレンダーの時期でして、僕も2つ作ってるんですけど、その話はちょっと後にして。
結構いろいろ面白いカレンダーがありまして、まず個人サイトを語ろうとアドベントカレンダーというのがありまして、
今この時期に個人サイトをやってる人たちの記事とか、あとオブシリアンの使い方のカレンダーとかありまして、
書かれてる記事が面白い面白くないという以前に、ここにこんな人たちがいたんだという発見がありまして、
やっぱりSNSが多項ツボ化してるというか、やっぱり自分の知ってる人たちとか知ってる情報しか目に入ってこない状況になってるなということを改めて確認して、
やっぱりこういう雑多な雑誌的面白さっていうのが、かつてのインターネットだよなという思いをちょっと強めましたね。
一番感謝なのが、知的生産の技術アドベントカレンダー2025というのを僕が作って、大半僕が自分で書いてるんですけども、
スピーカー 2
リンク中に何日やったかな、つい先日7日に記事を投稿してくださった方がいらっしゃりまして、
スピーカー 1
タイトルがGoogle AI Studyを使って、ポイック用のウェブアプリを作ってみたという記事なんですけども、
モーブラさんという方のサイトで、その記事を読んだんですけど、ウェブアプリなんで自分で実際に使えるんですけど、
スピーカー 2
確かにポイックが実装されてるんですよね。これすげえなと思って。
スピーカー 1
一応だから、生成AIとともに実装されたということなんですけど、4種類のカードタイプを記入できて、カードごとに抽出するとか、
ポイックの元々にはないと思うんですけど、それぞれのカードにタグをつけて、タグごとに抽出するとかっていうことができると。
これがポイック的かどうかみたいな話は全く別して、こういうことができちゃうんですよ。
だからやっぱりそういう時代に、前回も多分言ったと思うんですけど、自分がこれ作りたいっていうのがあったときに、
それをパッととって1日2日でできたと思いませんけど、少なくともある程度の期間でできる状況になっている。
スピーカー 2
これがもうライフワークの最前線であるなというのが非常に面白かったですね。
素晴らしいですね。
スピーカー 1
別に他の人も使えるし、ドロップボックス連携で自分のローカルともシンクできるということらしく、
これはこれでちょっと使い出があるかなと思うんですけども。
もっと面白いのが、このモーブラさんのウェブサイト、moobra.github.io。
これね、ワークフローリーがデータ、ワークフローリーのデータから作ったらしいですね。
野良テストのダイナリストからやられていましたけど、
ワークフローリーがつい最近のAPIのアップデートで、
自分が持っているノードの全データをエクスポートするというAPIがありまして、
それは回送とかを抜きにして、ただフラットにデータが返ってきて、
親の情報をそれぞれのノードが持っているのかな。
だからそれに合わせれば回送が再構成できるよっていう話なんですけど、
逆に言うと、フラットに並んでいるデータのうちに、
特定のタグがついているものを中身本部持ってきて、
JSONに変換してGitHubに上げるみたいなプロセスを踏めば、
こういうふうなことができると。
すごいですね。
こういうマニアックなのは大好きですけど。
結構ワークフローリーについて書かれているんですけど、
ダイナリストについても結構書かれていて、
僕はこのサイトを知られていなかったんですね。
スピーカー 2
僕も知らなかったですね。
スピーカー 1
だからやっぱりウェブの不具合があるなということと、
でもやっぱりイベントをすることで、
アドベントカレンダーみたいなある種の祭りをすることで、
普段目に止まらない人から人を見つけることができるみたいなことは、
やっぱりいいなと。こういうのを定期的にやっていく。
毎日やるのはあれとしても、
このアドベントカレンダーの25時間だけワーッと盛り上がるみたいなのは、
多分可能だと思うんで。
スピーカー 2
そうですね。
こういうのはちょっとやっていきたいなと感じました。
森さん、僕、本当存じ上げなかったんですけど、
これは知ってなきゃいけない人ですよね。
と思います、これは。
スピーカー 1
いわゆる昔ながらのライフハック的なことを非常にやっておられて、
しかも壺をついてるんですよね。
ダイナリストの連用日記をビュアーを作ったっていうようなところが
9月にあるんですけど、
そうなんですね、このデイリーを過去の日付とか同じの見たいみたいな要望はあるんですけど、
普通には難しいんですよね、なかなか。
それをAPIを駆使することで何とかするみたいな、
やっぱり自分の要望に合わせてツール側にちょっと無理させる感じのは非常に面白いですね。
スピーカー 2
そうか、この方はダイナリストでずっとやってたワークトロイのAPIが可能になったんで、
映したんですね、きっとね。
スピーカー 1
その辺のことも書いてあるんで、また暇なときにポチポチ読んでください。
このサイトは必読やと思います。
スピーカー 2
これは楽しいですね。
スピーカー 1
なので、これを聞いてる方に、
われもそんなことやってるぞというような、大規模なものじゃなくてもいいんですけど、
いますよね、きっとね。
なんかちょっと他の人がやってないことやってるよみたいなことがあれば、
その知的精神科の技術カレンダーにちょっとでもいいんで記事書いていただけます。
記事そのものよりも、こんなサイトあったんだの発見の方がちょっとバリューが大きいので、
スピーカー 2
投稿していただけるなと思います。
スピーカー 1
その関連するんですけど、
ライフハックの道具箱2025という本を毎年作ってるんですけど、
今年は作らないという話をしたっていうのをしましたっけ?
スピーカー 2
聞いてないです。
スピーカー 1
毎年作ってたんですけど、2024までは。
2025はちょっともうやめとこうかなという思いがありまして、
その思いについてはまたちょっと、それをまた本にするつもりなんですけど、
生成AIの登場によって、そもそもあの本の意義の半分ぐらいがなくなってるなと感じ始めたんですね。
カタログ的情報ってもうあいつらに聞きは十分だなと。
例えば、この前僕自分で聞いたんですけど、
僕が知らないようなツール名まで上げてくるんですね、彼らは。
だとした時に、あの本のカタログスペック的な情報が多分7割ぐらい占めてると思うんですけど、
あれを有料で売ることの意味ってあんまりもうないよなと。
それはもう惰性で仕事を続けることになるなと思った時に、
じゃあもうそれはちょっと一旦やめようと。
でもやめたとしても、なんかその意義があるとしたら、
例えばタスク管理の仕方を紹介している記事とか、
あとたくさんのアウトライナーの記事とか、
読み物としてとか、ある人が自分でやっている方法を紹介するみたいな、
カタログスペック的ではない、いわゆる個人的な俗人的な方法を語るという部分はきっと意義があるだろうし、
今後もしかしたらもっと意義が強まってくるのではないかなと。
だとしたらもう一切カタログスペック的なものやめて、
投稿者の方に自分はこうやってるよと、こんなツールを使ってるよとかっていう具体的な方法とか、
全体的なツールの関係とか、書き方はいろいろあると思うんですけど、
そういうのをまとめた本として生まれ変わるのがいいんじゃないかなと思いまして、
それを思いついたのが11月末やったんで、
それはもう間に合うわけはなく、今から書いてくださいと言って間に合うわけはないんで、
今年は一旦お休みにして、来年また仕切り直して、
こういう本を押しようと思っています、ちょっと記事を集めてくださいっていうことをリニューアルしてやろうかなと思ってて、
結局このアドベントカレンダーがやろうとしてることと、
スピーカー 1
指摘精査の技術とアドベントカレンダーで起きた現象と同じことを、
その小冊子のかたちでまとめられたらなと思ってます。
今年も楽しみにしてたという声も多少はあると思うんですけど、
スピーカー 2
そこはちょっとすいませんと言うしかないかなと。
いや、独人性の時代ですよ。
スピーカー 1
独人性の時代ということで、お金を払うコンテンツは独人性にあるという気はしますね。
スピーカー 2
いや、本当そう思います。
スピーカー 1
あと忘れてましたが、びっくりなニュースがありまして、
2025年に新しいRSSリーダーがiOSアプリから出まして、
すごいGoogleラビティが悪い名前なんですけども、
RSS Todayぐらいでググったら見つかるかなと思うんですけど、
iPadとiOSで多分使えると思いますが、非常にモダンな感じで、
あまりそんなに高機能というわけではないんですけど、
多分これもSSAIと共に作ったタイプのウェブアプリケーションだと思うんですけど、
機能制限の機能は登録使いまして、しかも無料なんですね、現状。
機能制限もなくて普通に使える感じになってまして、
RSSを見に行ってるだけなのかな、きっと。
登録されたRSSを見に行ってるだけ。
データそのものは多分このアプリの中で保存されてるんで、
そんなサーバーが動向してるわけじゃないからきっと、
無料で提供できてるんかなと思うんですけど。
なるほど。
それぐらいでもやっぱりRSSリーダーがそこにあるということ自体がかなり大きいと思うんで。
一応軽く使ったんですけど、機能としてはSAIに要約させるみたいな機能もあるらしいんですが、
そんなの全然使ってないんですけど、
もしフィードリーとかが全然使えなくなったらこれかなという感じとともに、
RSSリーダーぐらいであれば自分で作れるんだろうなという気もしますね、
スピーカー 2
UIとかこだわらないであれば。
スピーカー 1
シンプルにRSS読みに行って表示するだけなら作れるんでしょうね、きっと。
だからこういうある種簡易のものであれば、
このアプリケーションを登録するために開発者登録っていう、
年間何億払うみたいなのがあるらしく、
ストアに並べるのは難しくても、
自分で使う分であればこういうことはできてくるんだろうなと。
スピーカー 2
RSSの興味を持っている人はいまだに現在でもいるんだなというのはちょっと安心を覚えました。
でも俗人性の時代にはまた違う意味を持って、
スピーカー 1
来そうな気がしたくもないですけど、希望的観測ですかね。
個人向けサイトとかも検索で見つからない以上、
何かしらのアドベントカレンダーで見つけて、
以降はRSSを追いかけるというような、
昔ながらの形に回帰せざるを得ないのかなと。
そういうマスとは違う生態系を自分たちで作っていくしかなく、
スピーカー 2
そのための手段としてもRSSが使えるというのはあるでしょうね、きっと。
スピーカー 2
なんかこうRSS自体を手動で流せるような。
デイブ・アイナーが言ってたと思うんですけど、
例えばRSSリーダーでブログの更新を見に行くっていうのが当然あるんですけど、
ブログを更新しなくても直接RSSを更新できれば、
結局それでもうツイッターの代わりになるじゃんみたいなことを。
スピーカー 1
ああ、やっぱり言ってるんですね。僕も全く同じことを言ってました。
スピーカー 2
そうなんですよね。
スピーカー 1
そうなんですよ。
昔のRスタイルはワードプレスでやってたんで、
ワードプレスって記事をパブリッシュボタン押したらRSSも自動で発行されるわけですね。
それはもう当たり前だと思うんですけど、
今僕テキストボックスっていう自作のツールというか装置になってるんで、
RSS自動発行しないんですよね。
どうしてるかというと、手でXMMを新しく書き足して昔のケースみたいなのをしてるわけですよ。
あるとき気づいたんですね。
例えばURLを自分で書き込むんですけど、
URLをRスタイルの記事じゃなくてもいいなって気づいたんですね。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
ということは、例えばこのくらしたただの更新フィードみたいなのを作って、
ありとあらゆる更新履歴をこのフィードにまとめれば、
これをフォローしたらあれになるなと思ったと同時に、
このコンテンツの部分にツイートみたいなのを書けば、
これ一人ツイッターじゃんみたいなことを。
スピーカー 2
そうなんですよね。
スピーカー 1
自分でフィードを操作するってことをして初めて気づいたんですよね。
今までずっと更新ボタンを押すこととフィードの発行が自動化されてたんで、
フィードっていうのは更新とともに付随的に完成するもので、
自分でどうにかできるものではないと思ったんですけど、
よくよく見るとただのXMLなんですよね。
そこに気づいたときにハック性があるなと気づいて、
これはツイッターがもしダメになったら、
こうやってつぶやきを投稿していくのもよかろうというのは思いましたね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
レイヴ・アイナーが最初にツイッターが始まったときに、
これを結局RSSでやればいいんだよってことをずっと言ってた気がするんですよね。
ただそれだと結局誰も商売にならないから。
確かに。
っていうことなんだろうと思うんですけど。
スピーカー 1
一人サーバーのマストドみたいなことは、
リプライとかが概念上難しいんで、
ただ本当につぶやきを流してるだけのことになると思うんですけど、
でもそれはそれでミニブログというか、
もっとちっちゃいようなつぶやきの場としてRSS非常に使えるなと思ってるんで、
なんか似たようなことはできないかなとはずっと考えてるだけで思ってますけど。
スピーカー 2
タイムラインを作るだけなら十分できますよね。
スピーカー 1
それだけなら全然簡単にできると思います。
スピーカー 2
SNSの代わりには本当の意味ではならない。
交流はできないかもしれないけれども。
スピーカー 1
だからWeb、自分のローカルでXMLを更新して、
自分でレンタルサーバーにそれファイルをアップするとか、
ワードプレイスみたいな感じでXMファイルを直接編集、
投稿したらXMファイルが直接編集されるようなツールみたいなのを作れば、
SNSっぽい感じになるし、
多分それで結構使ってる人の満足が満たされる気がしますし。
スピーカー 2
満たされるし、直接のリプライとかをやると、
また結局Twitterとかの問題点も一緒に持ってっちゃうことになるんで、
逆に各個人がそれぞれのフィードを持っていて、
それぞれにフォローし合って並行して流れるみたいな。
直接リプライはしないという。
スピーカー 2
けれども各自がフォローしてる相手の何かに刺激されて、
それに関連することを自分で書くと、
それが並行して流れていくというのって面白いような気がしますね。
スピーカー 1
そうですね。面白いですね。
スピーカー 2
面白いだけ。
スピーカー 1
寂しさも同時にはありますから、
Twitterの不愉快なことが起こる可能性とともに、
びっくりする出会いも当然あるわけで、
悪いとこばかりではないんですけども。
でもSNS的なものをRSSっていうのは、
僕もまた時間があれば考えたいなと思ってます。
というとこでニュースが終わって本編なんですけども、
ライフとワークとツールについてということで、
スピーカー 2
まあ難しい問題ですね。
スピーカー 1
どうなんですかね。
ワーク・ライフ・バランスという言葉があり、
とある某国の首相がそんなものをケチらすような発言をされ、
議論を巻き起こしたというとあれですけども、
いろんな人がこの話題について発言したことがあったと思うんですけども。
たぶんこの打ち合わせキャストでも、
このワーク・ライフ・バランスについては、
この言葉は使ってないにしても、
いろいろ言及してきたとは思うんですけども、
特にワークとライフをバランスするってことは、
この二項が対立してていかに調和するかっていう話に、
概念構造になってくると思うんですけど、
そもそもワークとライフは、
二項対立じゃないよねっていうのがまたスターだったんですね。
要するにライフ、僕たちの生きる相対としてのライフがあると。
明らかにその下に、下位項目にワークっていうのは位置付けられるだろうと。
これは共通的な考え方だと思うんですけど。
逆に言うと、この言葉が僕たち自然に受け取ってるということは、
多くの人はワークとライフは、
二項対立的な概念として日々を生きてるということなんですかね。
スピーカー 2
そういうことなんだと思います。
スピーカー 1
ここで言う、だからライフが人生の相対ということではないのか、
それとも人々にとって働くことは、
人生の相対に非するような大きなものなのか、
どちらかはわからないんですけど、
それはやっぱりライフの観点、
つまり総合としての人生という観点が、
スピーカー 2
あまり持ち合わされてないということなのでしょうかね。
結局ワークというのは何かということになるんですけど、
結局会社に行く。
会社員。公務員でもいいですけど。
通勤して一定時間拘束されて、
仕事が終わったら家に帰ってくるっていう仕事の形態だと、
そういう感覚になりますよね。
仕事に行っている時間は仕事だし、
仕事だし、それが終わったらもう、
こっからライフだみたいな感覚になるのはわかりますね。
スピーカー 1
ということは、
ワークしてる人はその最中ライフしてないっていうことなのかね。
スピーカー 2
してるんですけど、
感覚としては逆に、
プライベートと仕事とプライベートを分ける。
普通に言うじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。はい。言います。
スピーカー 2
なんとなくワークとライフって、
パブリックとプライベートと同じような感覚で捉えられちゃってるような気がしていて。
スピーカー 1
要するに孔子ですよね。
孔子は確かに対立概念。
同じカテゴリーに属して、別のことを指す言葉ですね。
スピーカー 2
それと同じようにワークとライフを捉えちゃってないか。
なんでそういうふうに捉えちゃうかというと、
結局、職場という仕事をする場と、
家庭というか家という、
私的な時間を過ごす場が2つに分かれていて。
こっちのラインを越える通勤という時間があり。
なるほど。はいはいはい。
僕なんかも横浜市内から東京都内に昔通勤してましたけど、
ほんとに山津の川みたいな感じで、浜川が流れてたんですよね。
スピーカー 1
あそこを越えると、もう人生ではなくなるみたいな。
スピーカー 2
そうそうそうそう。
スピーカー 1
別の領域に川を越えて移行するみたいな。
あーそうか。
前回か前々回で、会社の会議とかで、
スピーカー 2
生活者の視点で考えなければいけないみたいな発言がなって。
スピーカー 1
そこの川を越えると生活者ではなくなるということですね。
スピーカー 2
不思議ですよね、その発言もね。
あんたは生活してないのかって思いますよね。
スピーカー 1
そうかー。だからワークの中にライフもないし、
スピーカー 2
ライフの中にワークもないからこういう感じになってるんか。
これはどう?日本独特なのか、あるいは先進国の感じなのか。
スピーカー 1
これはちょっとあれですよね。
逆にですけど、ライフっていうのが頂点にあって、
スピーカー 2
下にふにゃふにゃ並んでいるという感じ?
スピーカー 1
階層的な捉え方?
階層的な捉え方って言いますけど、階層的ですよね。
階層的ですね。
日本人はあんまりそういう階層感を持ってないのではないかなとも思ったんですよ。
それはそうかもしれない。
階層的を一番極端に言うと、起訴強敵じゃないですか。
トップがあってその下に下っていくもので、
スピーカー 2
自分の位置づけとかを捉えるということが、
スピーカー 1
日本人的に言うと薄い。
だから日々と人生って言葉が分かれてますけど、
例えば自分のやろうとしていることをアウトラインにまとめたら、
スピーカー 1
僕らはあれを呼ぶ言葉を持ってない。
人生引く仕事イコールに入る部分を名指すものがあんまりない。
日常生活ですけど、きっと。
スピーカー 2
でも仕事も日常生活ですよね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
でも仕事は日常生活じゃないと思ってるっていうことですね。
意味軸も生活者の視点で考えようっていうのが示している通り、
あそこにいる間は生活者ではないわけですよね。
まあ仕事者、労働者、仕事者。
労働者というよりも仕事者なんですよね。
私の父の言い方で言うと会社人間。
父は会社人間という言葉をよく使ってましたけど、
大学卒業して初めて就活をしたときに、面接に、
OB訪問とかしたんですよね。
OBの会社で働いてる先輩に会うんですけど、
そういうことをしたよっていう話を家でしたところ、
スピーカー 1
そうか、お前は会社人間に会うのは初めてだろうって。
スピーカー 2
会社人間ってなんだ?
なんかね、父の中には会社人間という括弧としたジャンルがあるらしくて。
要するにあのシステムに従って動いてる人ということなんだ。
非常によくわかりますけどね。
スピーカー 1
わかるんですけど。
スピーカー 2
会社人間という言い方にはちょっとネガティブなディファンスも感じますよね。
スピーカー 1
生活者っていう表現にはあんまりネガティブさはないですけど、
会社人間、会社、そうやな。
当人にとっての第一原理、行動の決定の第一原理が会社にあるというようなことだと思うんですけど。
スピーカー 2
そうですね。わかりやすいですね。
スピーカー 1
僕たちはやっぱり生活を下に見てるというよりは、
ワークそのものを人生と独立した領域として捉えてしまっている。
それをその前提のままに、ワークとライフのバランスを取ろうとしても取り切れないということが問題なわけか。
スピーカー 2
そういうことでしょうね。
もちろんワークライフバランスは重要なんですけど、
そもそもワークとライフのバランスを取ろうという発想自体が、
やっぱりワーク中心。
ワーク中心だからそういう発想になるんじゃないかなという気もしていて。
やっぱりワークがライフの一部であるという感覚があれば、
例えば某国首相が、高市さんがね、
ワークライフバランスを取ってああいう発言をしたという。
別にそれが悪いわけじゃないんですよね。
いろんな人が言ってますけど、
スピーカー 1
別に人生の中でそのように働かなきゃいけないと本人が思う時期があったって何の問題もなく、
スピーカー 2
そのようにしかなし得ない仕事だと。
だから高市さんがそうすること自体は別に何も非難されることではないと思いますけど、
当然ながら個人のそれぞれの人生というものがあって、
ある人がその時期だからって別の人がその時期だとは限らないわけで、
それを強要することは個人のライフの破壊につながりかねないわけなので、
個人が今はそうするべきだと考えてそうするということと、
システムとしての仕事の在り方というのは全く別の問題ですよね。
スピーカー 1
だからそこを混同しちゃいけないなと思いますし。
だから、個々人のという概念が成立しない世代があって、
簡単に言うと一億何とかってやつですね、要するに。
スピーカー 1
ある指針が立てられたときに、
それは全国民が批准すべき規範であるみたいな考え方の場合、
特に上の人がそういうことを言うのは非常にまずいと思うんですけど、
空気を作ってしまうというのがあるんで、
そこはやっぱりね、
首相だけじゃなくて社長が言うってことも同じですよね、
スピーカー 1
そういう社長がおったら、
そうじゃないことをするのは相当勇気がいると思うんですけど。
スピーカー 2
だからそこをトップがそういう率先して、
空気を作んなきゃいけないというか、
そういうことを言うとそういう空気ができてしまうからっていうのはもちろんありますし、
逆にトップじゃない人はもう簡単に空気に流されないという。
トップは頑張って下さいっていう。
我々は関係ないけど。関係ないけどじゃないんですよね。
我々はそれぞれのライフの段階に応じて、
状況に応じてそれを選び取るんだという、
その両方が必要かなとは思いますけど。
スピーカー 1
そうですね。間違いなくね。
スピーカー 2
ただ、それを逆らえづらい空気があるっていうのはわかりますよね。
日本では特に、
スピーカー 1
ある人は個人の軸を立てて、
他は上がそうとか周りがそうでも、
自分はこうだって言う練習が少ないというか。
日本人気質とか言うよりも、
生きてきた中でそういうことを言う経験の場が少なかった場合、
やっぱりなかなか言えないと思うんですよね、これは。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
個人ってパーソナルっていうものが片方に立ってたら、
もちろんトップが好きかっていうのは別にいいとして、
こっちが弱いときに上が言うっていうのはやっぱりまずいなと思いますし、
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
まさにパーソナルが立ってないときに、
ワークライフバランスとか言われても取りようがないというか、
パーソナルの視点でライフを回復させていくという試みだと思うので、
だから、このワークライフバランスをどうかする以前に、
パーソナルなライフをいかに立ち上げるかというところからしか、
多分解決しないんじゃないかなという気がしますね。
そうですね。
スピーカー 2
あとごめんなさい、さっきちょっと抜けちゃいましたけど、
首相がそういうふうに働くってことは、
結局それをサポートする官僚の方々だったりが、
当然そこに巻き込まれていくわけなので、
さけがたくそういう問題が自分だけの問題じゃなくなるというところも一つありますよね。
スピーカー 1
だから僕みたいな個人事業主やったら、
僕がどれだけ働いて働いて働いてみるんですけど、
大抵の会社員はそうじゃないし、
上に行けば行くほどそうじゃなくなっていくわけですから。
働くことが社会的なことだということも、
やっぱり認識としてこのワークライフバランスを考える上では、
欠かせないのではないかなと思いますけども。
スピーカー 2
そうですね。
あと、人生の段階で、
ワーク概念のように捉えられているライフが何を示すかっていうのも変わってくるわけで、
スピーカー 2
そういう効能が。
中にはありますね。
スピーカー 1
毎年新年の目標を立てるっていうのもあるじゃないですか。
100人いたら99人は失敗してると思うんですけど、
でもあれもやっぱり意味があると思うんですよね。
あのタイミングでちょっと今年1年どうしようっていうのを、
具体的な行動の次何するよりも少し上の地点で物事を考えるっていう、
ある種の儀式的なものとしてやっぱり効果があると思うんで。
スピーカー 2
あとはどれくらい日常のレベルで入れていくのか。
スピーカー 1
非常に私たちにやりやすいように引き付けていれば、
アウトライナーの一本の中に自分の仕事と自分の人生、
さっき言ったライフに関わることを全部入れておけば、
ふとした瞬間に考えの高度を上げることができるみたいな話ができると思うんですけど。
でも別にもっと手帳とかノートでも、普通にアナログの道具でも、
何かし書き方とか書き残し方であると思うんですよね。
そういう考えのトリガーを上げるようなものっていうのが。
それをある種、自己啓発とか仕事の文脈で語れば、
哲学とかではなくて、
実践している人たちに届くような形で語れれば、
スピーカー 2
意義があるんじゃないかなとはちょっと思いますけどね。
そうですね。
そうなんですよ。
そういうツールがないから、
アウトラインの上に乗っけて、そういうのを作ろうというのがライフアウトラインだったり。
僕の場合はそうしたわけですけど、
別にそうじゃなくたって、手帳の1ページ目に
自分にとってのライフに関わる何かを書いてあってもいいわけですよね。
そうですね。
そのミッションとかじゃなく、
もうちょっと欲望よりというか。
はいはいはい。
欲望、
前も言った気がしますけど、
欲望って悪いものだけじゃないので、
家族と幸せに暮らしたいというのだって欲望なので。
確かに。
そういうことも含めた欲望を確認。
自分の欲望って何だったのか。
何を望んでるのかってことですよね。
何を求めてるのかっていうことが何かということ。
ミッションとか言うとまた、
スピーカー 1
わかりますよ。それはわかります。
スピーカー 2
違う形になるんですよね。
もう一段下なんですよね、ミッションっていうのはね。
スピーカー 1
あれなんですよね。
今言い方の違いを聞いてて思ったんですけど、
欲望というか夢というかって、
表現しようと思っているものが同一だったとしても、
僕らが受けてきた制度の中で、
夢というものを買ったときに、
夢というフォーマットになるんですね。
スピーカー 2
なりますね。
スピーカー 1
だから夢らしい形になってしまうというか、
他の人から見たときに、
それ夢だねって言われるものに変形してしまうんですけど、
欲望という言い方をすると、もっと素朴に出てくる気がしますね。
その素朴に出てくるもののほうがパワーになるというか、
自分との距離が近いという感じがしますね。
スピーカー 2
そうですね。
夢も欲望の一種ではあるんだと思うんですけど、
なんかね、夢というと夢のために馬車馬のように働いちゃったりする。
スピーカー 1
うん、なるほど。
スピーカー 2
してもいいんですよね。もちろんいいんですけど、
その夢の実現のために馬車馬のように働いているとき、
本当にそれは自分の欲望というか望んでいることに、
その状況に今なっているかっていうのを考えるきっかけがないと、
元の極意になってしまうというか。
スピーカー 1
まあそうですね。
会社のためにつくすが別の形にスライドしているだけっていうことは多分あるでしょうね。
スピーカー 2
そうですね。夢っていうのは企業とかになっちゃって、
全然企業が夢でも全然いいんですけど、
でも企業が夢って考えてみれば変ですね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
何かをするのは夢のはずですよね。
スピーカー 1
企業が夢だった場合、企業をして終わってまいりますからね。
スピーカー 2
そうですね。
だから夢とかミッションじゃなく、
確かにそれは言語化するのが難しいという問題があって、
誰にとってもいいかどうかわかんないんですけど、
個人的にはちょっと自分にとってノスタルジックな風景を思い出してみるとか、
そうすると例えばわかんないですけど、
これはものすごい例ですけど、
例えば、
わかんないですけど、
奥さんと結婚した当初に二人でどこかを歩いていて、
こんな時間がいつまでも続いたらいいなと思ったとするじゃないですか。
その記憶。
まさに自分が望んでいることを、
他人にはわからなくてもその風景にまつわる何かがわからないですけど、
例えばそれがなんとか公園の遊歩道を歩いているときだとしたら、
なんとか公園遊歩道って書くだけで自分にはそれが何のことかわかりますよね。
その景色、その風景が頭に浮かんだとき、
そのときに思ったことが今の状況と合っているかどうかっていう、
あまりにもそこから遠くに自分は来ちゃっているんじゃないかっていうのを考えるきっかけになったりはしますよね。
スピーカー 1
比較して判断するためのあるビジョンを持っていくと。
スピーカー 2
持ち通りビジョンですよね。
そうですね。これこそビジョンです。
目に浮かぶ風景ですよね。
かつての自分の何かを思い起こさせてくれる風景、
もしくは自分がこうありたいという風景を考えてみるというのは、
ひとつの方法だと僕は思っていても、
自分にはすごくそれが有効ですが、
人は違うかもしれなくて、
ただそういう何かをトリガーするかけみたいなものってそれぞれにあると思うんですよね。
そういうものは例えば手帳の1ページ目に書いてあるでもいいような気がしていて。
もちろん瞬間的にそこから離れちゃうことはあったとしても、
自分が行きたいのはどっちなのかっていうときに、
基準になるんじゃないかなという気はするんですけどね。
スピーカー 1
どういう形であれ基準点を持っておくというのは非常に有効で、
基準点がないと自分がどこにいるかわからないわけで、
仕事しすぎもわからないというのも結局基準点がないからですね。
常に日々のタスクで埋まっている以上何かと比較しないんで、
ある状態から比較したときにやりすぎやりすぎじゃないということが見えてくるんで、
何かしらの形でそういうものを持っておくと良いでしょうし、
やっぱり手帳の1ページ目とかに書くとか、レプセンで貼っておくみたいなことがあると思うんですけど、
Googleカレンダーはそれができないんですよね。
スピーカー 2
そうなんですよ。
スピーカー 1
カレンダーに特化してるから。
そうなんですよ。
やっぱりそこら辺が総合的なノートと特化したアプリケーションの機能の差。
だから夢を書くツールは夢を書くツールに用意しないといけないことになるんで、
カレンダーの場合。
それは見ないですよね、きっと。
やっぱり手帳の檻に触れて目に入る可能性が担保されているのと、
見に行ってみる。
だから忙しいときはそもそも見に行ってみるっていう行動すらなくなってしまうわけですから。
スピーカー 2
たまに使ってる人に見かけますよ。
スピーカー 1
知ってる営業さんのあれ持ってますね、分厚いやつ。
自己啓発に入れ込みすぎるのはともかくとして、
やっぱり一つ上の視点を持つという観点は非常に有益。
生きる上ではやっぱり有益かなとは感じますね。
そうですね。
スピーカー 2
あれは会社のセミナーかなんかに出してたら受けたかもしれないですけどね。
いや、あると思いますよ、普通に。
長くはね、仕事だけじゃなくてライフ全体をあの中に書いてきてほしいなとは思いますけど。
そうですね。
スピーカー 1
まあね、難しいところはあるんですけど。
会社の枠組みであれ研修で受けた場合は会社ツールとして認識されてしまうでしょうけど。
スピーカー 2
逆にそうじゃないレベルで会社の研修でやってたらそれは素晴らしいことだなとかもしれません。
スピーカー 1
長期的に例えば自分の人生を考えながら働く人はもしかしたら長時間労働はしないかもしれませんけど、
正直スペックというか発揮される能力はそっちの方が高いようにはするんですけどね。
いろいろなことをしあい考えて自分の人生を考える人は、
言ったら、さっきのように言うと消費者視線を持っているということですから、
それは優れた仕事ができると僕は思うんですけど、
さっき田中さんが言われたワークライフバランスを考えるやつは仕事ができひん云々かんのの、
その人が言うできるの定義が僕は気になったんですけど、
長時間労働に耐えられるということを意味しているだけではないかという気がするんですが、
特にホワイトワーカー的になってくると、
柔軟な発想とかの方が仕事ができる感につながってくるような気がするんですけども、
スピーカー 2
働いてないからわかりませんが。
もしくは仕事に対するコミットというか、
自分の仕事の、それこそ仕事上のミッションにフルコミットしてるかどうかっていうことを言いたいのかもしれなくて、
言ってることはわかるんですけど、
また別の問題なんですよね。
ライフ、自分のライフをきちんと保ちながら、
スピーカー 1
保っているからこそ本当はフルコミットできるはず。
スピーカー 2
そうなっていないとしたらそれは、もちろんワーカー本人の問題もあるし、
会社というか職場側の問題もある。
どっかに何か問題があるので、それを考えましょうというのが本当はワークライフ話を考えることのはず。
スピーカー 1
そうですよね。
スピーカー 2
だと思う次第です。
でもこんな偉そうなこと言ってますけど、
全然会社員時代できてませんでしたから、
実験実にそれをやるのがいかに難しいことかもわかりますし、
難しいし、自分はそれをやる力がなかったということも認めなきゃいけないなと思うし、
時代も10年たってきてるんで今とは違うかもしれないですけど、
だから偉そうなこと言ってますけど、できてませんでしたということはちょっと塞いつつ、
でも今言ってること間違ってるとは思わないですが、
恥ずかしいことですけどね。
スピーカー 1
僕か僕より上の世代が明らかに働き過ぎてきた、会社に人生を捧げ過ぎてきたという経験とか歴史が確実にあったとしたときに、
そんなものはなかったんだよというふうに振る舞うのはおかしくて、
僕を含めてはいいかどうかも知れませんが、こういう苦労をしてきたのだから、
スピーカー 2
それを次に生かそうというのがこの発想なわけでして、
できてなかった人がいるからこそ言うべきことですよね。
よく言うワークライフバランスということを主張して、結局怠けるだけみたいなやつがいるということを言う人が。
そうなんですね。
まともに働きもしないくせにワークライフバランスを正当化しようとするみたいなことが、
もし本当にそういう人がいたら、それはそのことについて叱ればいいわけになって叱るというか、
バランスを取った上でワークをきちんとやっていないとしたら、それは当然仕事として評価されないはずだし。
そうですね。
本当にそう?っていう。
スピーカー 1
そんなにパッと見た目でわかることでもないですし。
そもそもサボロ人がいたら、雇う人間間違えてるっていう話であって。
あれわかんないんですよね。
そうなんですけど、労働環境の話ではないかなという気がしますね。
スピーカー 2
雇用上の問題の話であって。
仮にそういうことがあったとしても、それはその個人の問題だけではないということですよね。
口で言うのは簡単ですけど難しいですけど、どうでしょうね。
それでも全体としてはいい方向に向かってる。
スピーカー 1
あとは思いますね、もちろんね。今後逆流があるかどうかはわかりませんけど、
少なくとも今までに関しては労働時間も制限されてましたし、
当然企業側は過労死も問題視してますし、方向的には整いつつあるし、
やっぱり今若い人が仕事市場主義になってないというアンケート結果が多い、よく見かけますけど、
スピーカー 2
それ自身はもうとてもいいことだなと思いますね。
スピーカー 1
60代の人からしたらなんやこいつらという感じはしますけど、
たぶん60代の人の価値観がある時点だけ整理してた非常に尖ったものであって、
スピーカー 2
たぶん全世界、仕事でそんな重視してる文化はあんまりないと思うんですけどね、他の国。
だから私の父が会社人間と言っていたあの文化というのは、
どうやって生まれたのかというのはまた興味深い。
いろいろそういう研究もあるでしょうけど、不思議ですね。
スピーカー 1
そういう人たちが確かに経済成長を支えてきたと言われればありがとうございましたですけども、
そもそも産業関係が全般的に変わってきている中で、
そもそも知的労働者と長時間労働ってめちゃくちゃ相性悪いんですよね。
スピーカー 2
悪いですね。
スピーカー 2
だって見たところで絶望しかないんやったら見ないほうがいいですからね。
スピーカー 1
どっちがいいんでしょうね。
残念か無力感になる人のほうがなんとなく日本の場合はいいような気がしますね、個人的には。
スピーカー 2
そうですね。
そこは難しいな。
これもだから軽々しく言えることじゃないですけど、
かなってそうじゃないバランスを取り直さなければって思うけれどもできないっていう状況はありますよね。
短期的にはすごくそれが難しいのは当然で、
中長期的にいろいろ各方面に働きかけてもそれが絶対にできないとしたら、
軽々しくそんなことを言うべきではないですけど、もしかしたらそこにいるべきではないのかもしれないし。
そういうことも含めてやっぱりライフというのは考えなければいけない。
もちろん自分の体を壊さないということも重要だし。
そうですね。
体的にどうとは言えないし。
スピーカー 1
でも考えるということを起動させてくれる、ビューというかリストというかものの効果ではありますね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
見ないままに過ごして時間が解決するのを待つというのも諸生術ではあるので、
必ずしもそうすることが正解とは限りませんけども、
死体性を発揮するという7つの習慣の第一習慣に従うのであれば、
リストを作るということは死体を発揮するということなので。
スピーカー 2
そうですね。
これは人によっていいかどうかともかく、
一つの考え方として本当はどういう順位でありたいのかというのをリスト上で表現してみるという。
さっきみたいにこれがこんな下にあっちゃまずいって上に持ってくる。
それは一つの方法だと思うし、
自分はそれがすごく自分にとっては良かったと思いますので、
もしそれが有効な人もいるかもしれないし。
そうですね。
ただね、そうやって意識してもできないという、
どうやってもできない、絶望的なということが本当にあるとしたら、
あると思うんですけども。
そういう状況で、そこからそれが終わる見込みがないとしたら、
ちょっとね、厳しいというか、
言葉にするのは難しいですけど、
ちょっと考えなきゃいけないというか。
そうですね。
なかなか厳しいけれども、厳しくても考えなきゃいけないことはありますよね。
そうですね。
スピーカー 1
難しいですね。
思ってることのすべてが従前にいかないとしても、
この線だけは譲りたくないという先ほどの欲望を確認するということは、
自分の人生の意味を確認するという意味では非常に有効というか、
それなしでは欠かせないというような気がするんですよね。
ぼーっと生きてたっていうのは言い過ぎだけど、
意識せずに生きてたら自分の人生の意義が生まれるかというと、
多分そんなことはなくて、
自分なりに何か立てていかないと生まれないとは思うので、
どういう形かは知りませんけど、
だから欲望を確認して、それを過論じないようにする。
重要視までいけなくても、
少なくとも俺はこれを持っているんだということを確認できることは、
スピーカー 2
セルフ維持においては重要かなと思うんですけど。
自分の欲望を大事にする。
意識して大事にするって大事…。
日本語がよくわからない。
欲望大事ですよね。
スピーカー 1
千葉さんの欲望年表とかもそうですけどね。
欲望って精神分析でいうと、
打感的に言うと他人の欲望であるみたいな話があるんですけど、
スピーカー 2
でもやっぱりここで言う欲望はもっと自分のものなんですよね。
スピーカー 1
もしもそれが他人由来なのかもしれないけど、
もっと精神的に自分の実存とくっついてる感じがするのが欲望ですね。
スピーカー 2
そうですね。
他人由来にでも構わない?
スピーカー 1
そうですね。
他人由来でないと生まれない。
人間の精神活動は多分他人由来でないと生まれなくて、
他人由来でたくさん発生した100の欲望のうち残っていくものがあって、
スピーカー 2
それが多分その人の欲望ということなんだと思いますけど。
欲望ってくだらないものもあるし、
非現実的なものもあるし、
とても人様に見せられないものもあるし、
そういうものがいっぱいあるわけですよね。
そういうものも含めて、欲望こそが自分であるというか、
総合的には自分はその欲望を成就するために生きて動いてるんだという感覚って結構大事じゃないかなと思いますね。
アリストテレスで言えば、その欲望はたぶん善ですね。
スピーカー 1
言葉からすると善性が意識されますけど、
たぶんアリストテレスはそんなことは言ってなくて、
当人にとって良いと思うことを追求するというような言い方で彼は言ってますけど、
たぶんニファンスの一種だと思いますね。
スピーカー 2
そうですね。
くだらないものも汚いものも含めて、でもそれが自分の姿ですよね。
その欲望の中には綺麗なものもあるんですよ。
あってもおかしくない。
ないかもしれないけど。
ないかもしれない。
スピーカー 1
どうかな。
人生経験とか置かれた状況によって、
その当人が気づいてないという意味でないというのはあると思います。
スピーカー 2
そうですね。
あと欲望という言葉なりに引っ張られすぎてるということもあるかもしれないですね。
スピーカー 1
ああそうか。他人を助けたいというのは欲望というカテゴリーにならないという場合があるか。
スピーカー 2
そうですね。
あとちょっと、他人を助けたいという欲望、それは結局自分をよく見せたいっていう、
そういうエゴから来てるんだよっていう、いっちゃいがしな男。
若い人がいっちゃいになったりするんですけど、いいんですよ。
それは一体なんですよ。
それも含めて善なんですよ。
まさにそういうことだと思いますよ。
スピーカー 1
あと1点思ったのは、自分にとって大切だと思えることってあるんですけど、
大切さが深いものってそんなにないんですよね。
僕これ、仕事ができない時期に気づいたんですけど、
いろいろなことができなくなって、大抵のことはどうでもよかったんですけど、
でもやりたいことが残ったんですよね。
スピーカー 2
それは文章を書くことなんですけど。
スピーカー 1
その以前まで作ってたやりたいことのリストの大半はほとんど意味がないというとあれかな。
スピーカー 2
意味が低い?薄い?
スピーカー 1
でもやっぱりあるものはあるという感じで、
スピーカー 2
そうですね。
いやー、のばさんのそれが優しさじゃ困る。
スピーカー 1
いやー、あれはちょっとすごいオンですよね、あれ。
スピーカー 2
本当に素晴らしいですね。
スピーカー 1
別に子供がいるわけではないですけど、
人とどう付き合うかというような観点、全般から言えますし、
たぶん会社で働いてる人は心が痛む場面が多いんじゃないかと思うんですけどね。
スピーカー 2
多いでしょうね。
スピーカー 1
会社で働いてないんですけど、すごい心痛みますけど。
当然、子供を持っている方とか、
子供のために心配してみたいなことをやってしまう人ほど、
たぶんああーっていうようなことは多いと思うんで。
スピーカー 2
大人の教科書ですよね、あれは。
介護とかね、
高齢の親に対する一生懸命やってる人もいろいろ感じちゃう。
それ僕なんですけどね。
いろいろ感じますね、これね。
でもそういうことも含めてね、
これを読んだ後、自分の欲望の表現がちょっと変わっちゃいそうな感じがありますね。
スピーカー 1
欲望も固定的なもの、明示的なものじゃなくて、
ある状態というか、あるベクトルなのでね。
普通に時間とともに変わってきますからね。
個人の情報管理という話があるんですけど、
スピーカー 2
やっぱり管理という言葉では収まらない何かがありますね、これは。
管理であってもいいんだけれども、それだけじゃない何か。
なんでしょうね。
スピーカー 1
これは何をしてんのかが。
なざせる何かがしてそうな気がするんですけど。
わからない。
でもさっき出てきた、人ごとでタグ付けするとか項目みたいなの作るっていう話は、
非常にプラクティカルに有効かなという気がしましたね。
考えてみたら、会社の仕事っていうのは、
スピーカー 2
個人っていう関係性のもとで仕事をしてるわけで、
それを敷衍したら対人その他諸々が出てくるわけで、
スピーカー 1
自分独自でやるやつは対自分の関係性ということで、
非常に統合的なというか、シンプルに情報を扱えそうな気がしますね。
スピーカー 2
ややこしい仕組みを作らなくても。
やっぱり、ワークだろうとライフだろうと、大抵人が関わっているという大変さも素晴らしさも。
というのもありますよね。
スピーカー 1
それでもあんまり言われない。
人が出てくるのって顧客?
顧客ごとのデータベースみたいな話はありますけど、
対人の観点で仕事とか私生活を整理じゃないですけど、
スピーカー 2
ある種の理を見つけ出せるっていうのは有効な気がしますね。
人との関係を考える上で、そういう教科書になりうる。
だからあれなんですね。
人との関係のことを考えているから余計そう考えてる。
スピーカー 1
まあそうかもしれないね。
スピーカー 2
人生を進めて、人間が大きく悩むときはたぶん対人のことじゃないですか。きっと。
悩みってほとんど対人ですよね。自分も含めれば。
スピーカー 1
自分自身がどう生きるのかも対自分。
自己意識と自我の対決みたいなところがあるので。
だからそうですよね。
学者さんやったら原子がどう動くかを深刻に悩むかもしれませんけど。
人が、大抵の悩みは人がかかってるんで。
つまり悩みというか考えたいことの多くは一体人なので、
考えることをするツールにおいて、
人というものをプロパティに持ってくるのは有効な気がしますね。
スピーカー 2
人の不在を含めてね。
スピーカー 1
そうですね。自分のことばっかりやなーっていうこともあるじゃないですか。
他人のこと全然出てきてないっていうこともあるでしょうし。
スピーカー 2
でもそういうのはわかりますよね。
カテゴリーから考えるんじゃなくて、考えたことを人ごとに分類してみると、
本当に俺は自分のことしか考えてないみたいな。
スピーカー 1
あるでしょうね。
そう踏まえた上で、以降どうするかは、
このままゴーイングマイウェイで行くと決めてもいいですし、
ちょっと2パーぐらい人生変えようかなと思って変えるとかもいろいろあるでしょうけど、
やっぱりそういうの分かると分からないよね。全然違う。
スピーカー 2
自分が望んでいることは本当に、
この自分のことだけ考えててできるのだろうかということもあるんですよね。
スピーカー 1
そうですね。だからやっぱり自問自答を喚起するんですね、すべて。
今まで出てきた話って。
スピーカー 2
一つ上の視点に上がるってことは多分そういうことだと思うんですよね。
スピーカー 1
そういうのを促すための考えるためのツール。
スピーカー 2
生きることについて考えるためのツールということだよな。
スピーカー 1
そういうことをするツールを持っておけばいいんじゃないかなと。
ツールを持っておくっていうことは実際に使うということですね。
ザラ道具があるということじゃなくて、
スピーカー 2
自分の生活の中でそれを使っていくことがあるといいんではないかということでまとめられるんじゃないかなと思います。
でも本当それ立派なツールじゃなくて、
ノートでもいいし紙のノートでも手帳でもいいしアウトライナーでもいいし、
逆に複雑な機能を持ったタスク管理ツールでもいいし、
どういう視点で使うかですよね。
スピーカー 1
そうですね。どういう視点で使うかですよね。
だからタスクのことだけ考える視点か、
何かもうちょっと上がる視点を持つのかで、
スピーカー 2
全然同じツールを使っても使用感みたいなのが変わってきますから。
でも今タグってほとんどどのツールに限らず使わないんですけど、
さっきの人というのはタグにしやすいのかもしれないですね。
今思いついただけですけど。
スピーカー 1
人はオブジェクトとして固定されてますから、間違えようがないというか、
スピーカー 2
間違った設計になりにくいですね、人にすると。
スピーカー 1
何をタグにするのかも、実はあれ難しいんですね、デジタルにおいて。
スピーカー 2
いやタグね、難しいです。
タグ使いこなせるのは試してみないと。
それは非常に良くあります。
スピーカー 1
というところで、
自分は個人的な情報をこのようにして扱っているというような話があれば、
ハッシュタグ打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせ、
アラベットキャストまでいただければと思います。
何かお知らせしたいこととかございますでしょうか。
スピーカー 2
大丈夫です。
スピーカー 1
では今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
スピーカー 2
お疲れ様でした。