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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
15日土曜日の15時からですね 仕事について考えるという第3シーズンに入る
グッドバイブス勉強会のオンライン版を開催予定です。
多分これはオンラインなので開催されます。
15日、これまで第2シーズンだったんですよ。
10回くらいやったんだと思うんですけど、
シーズン1、シーズン2と終わってシーズン3に入ります。今年からですね。
テーマは仕事について考える。
これまでとちょっとテーマが変わりまして、ライフハック寄りってこともないと思いますけれども仕事術寄りなのかな。
一番最初のグッドバイブスの本、ご機嫌な仕事術というサブタイトルがあったと思うんですけど、
仕事の本なんですよ。
そういう意味ではちょっと怪奇的ということはないのかもしれないんですが、これ仕事であろうと、
仕事ってそもそも仕事術というのは幅広いし、私のように
家でずっと仕事をしている人間、ほとんどコロナ以来100%と言っていいぐらい仕事は家でやってる人間は、
外に出ることが全くないわけじゃないですけど、今は。 職場とは家のことを言いますから。
そういう意味では家の状態というのがそのまま仕事術になっちゃうんですけど、そういう人もいますしね。
今は在宅ワークのこともありますから、多分そういう人は増えているんじゃないかと思うんですよ。
だから、仕事術、
家庭内環境的な、家庭内人間関係の話であっても、
仕事術と、ほとんど直接関わってくる話だと思うので、
今までもそういう観点からウッドワイブスは仕事術でもあったんですけど、
それを15日にやるということになります。
たぶん、私は今まだ、もちろん例によって何も考えていないんですけれども、
仕事環境を少し変えましたからね。
皆さんにお目にかけるわけにはことができなくてあれなんですが、
この収録も初めてですね、
iPhoneスタンドみたいなのを使っているんですよ。
つまり手で持ってないんですね。
手で持っていると振り回す癖が私はあるので、
しかもこの時間にわかったんですけど、
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手で持っていると肩を痛めるんだなということがわかって、
スタンドを使っていて大変良いんですよ。
そういうすごいちょっとした小技になっているんですけど、
これ数日立てかけてたんですがね、
立てかける場所がいまいちこの辺は適当な場所がないので、
タオル拭くところの上に立てかけてたんですけど、
たぶんこれ音の収録上正面に立ってないから良くないだろうなと思ったので買いました。
1200円ぐらいだったんで、
で、さっさと買えばよかったんですけどね、
これは割と重宝してます。
考えてみるとこれでiPadでもミニだったらたぶん収録できるなと。
しないと思うんですけど、わかんないですけど。
まあそういうこともありまして、
若干の環境修正とかの話もそれの意味みたいな話ですかね。
あんまりグッドバイオス的じゃないんですけど、
まあしようかなと思っております。
で、今日なんですが、
最近本を出したじゃないですか。
私の情報整理系のシリーズでですね、
あれ第3弾ということになっているんですよ。
第1弾がタクさんのアウトライン系、
第2弾が情報管理ログさんというブログを書いていらっしゃる方のですね、
あれはすごくGTDを中心としたフロートストックみたいな話で幅広い情報整理の話なんですけど、
そういう意味では私のも幅広いのか。
ただ私はエヴァノートから離れられないですけどっていう人に向かってある程度書いたつもりです。
第3弾として、第2弾はGTD中心の情報整理だから、
そのツールがどうのっていう話よりもGTDのフローに乗せてですね、
どういうふうに情報整理するかという話だったんですけど、
私の話は2つ意味がありまして、
短い本のわりに2つも意味があるんですが、
一つはですね、エヴァノートから離れられないというか、
エヴァノートに回帰するみたいな意味で、
主にですね、私がイメージしてたのは、
結局みんな情報ってインターネットからウェブクリップしてるんじゃないかなと思ってるんです。
その情報は多分エヴァノートに集めるのが一番簡単なんですよ。
理由はウェブクリップが充実してるからですね。
他のNotionとかObsidianとか最近話題になっているものが続々登場してるんですが、
ウェブクリップの機能が微妙で今のところはですね、取り込むのが面倒くさい。
この取り込むのが面倒くさいものに、人は情報をそもそも集められないんじゃないんだろうかっていうのがあるんです。
Notionは多分ユーザーが増えれば急速にその辺は充実させられるでしょうし、
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していかないと多分ユーザー増えていかないんじゃないかと思うんですよね。
なんだかんだ人が見てるのはウェブなんで、今は。
特にこの種のものを使う人は絶対そうだと思うんですよ。
手で入力していかないと思うんですよね、あまり。
そういうことがありますので、これはエヴァノートから離れられないのには訳がある。
実際私その話だけしたかったんだけど、その話だけしても情報整理の話にならないので、
その情報を整理するっていう話もしました。
で、その時に自分が考えたのはですね、考えたというか今回書いたのが認証っていう話だったんですね。
で、認証っていうのはウッドワイブスからヒントを得ているんです。
つまり私たちの情報収集の一つの癖ですね、一つの癖として自分のために集めていると思っているんです。
ところが役に立つ情報というのは必ず何らかの意味で第三者に向かっていく情報に関わらないと多分ですね、
それは大量に集めてほぼ使わずに終わるという、俗に師像を言ってるやつですね。
ああなっていくと思うんですよ。
一番わかりやすいのがこれはノートに行かない情報ですけど、人と約束をしたという時の情報ですね。
いつどこで会うのかと、何時にどこで会うのかと。
それ情報ですよね。この情報はカレンダーに直行することになると大体は思います。
つまりカレンダー情報整理ツールなんだけど、
その情報って自分のためではもちろんありますけれどもですね、
師像はできないですよね。少なくとも約束を守るつもりがあるならば、師像はできないわけです。
師像せずに、どこかに書いておいて、その情報を参照して行動しなければならない。
ということは参照しないとか、見ずに終わるというのはですね、自分だけで完結できる情報だからそうなるんですよ。
つまり私はこれを一人称の情報と呼んでるんだけど、一人称の四段ですね、この本の中で。
一人称の情報を大量に集めてもあんまり意味ないんじゃないかと。
これに対抗するというのか、そうではないという意見があるはずだって思ってるんですよ。
一人称の情報こそが絶対であって、三人称とか二人称は大して意味はないんだという考え方もあると思うんです。
それがつまり私のアイディアとか、私のメモこそを管理対象に、整理対象にしなければいけないと。
この場合はウェブクリップが中心じゃなくてもいいんだとなるんだけれども、私は実はそうはならないんじゃないかと内心では思っています。
ただ、いずれにしても一人称の情報は一番ケアが薄くていいはずだっていうのがあの本の一つの趣旨なんですね。
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なぜならば、それを失って困ることは本当はないから。
ここで意見が割れるはずなんですよ。
私の論文を発表するとか、私の小説のネタにやつくり役立つという意味で、一人称の情報こそ一番大事だっていう意見になる、そういう意見は出てくると思うんです。
ただ、私はここで書き上げ塾の影響もあり、もともと私が本を書いていてもその傾向が顕著だったんですが、
アウトラインやネタや私のアイデアなるものをいくら一生懸命集めて整理しても、ものを書くのには何の役にも立たないんだなということを知ったんですよ。
私は始蔵率が高いんですね。始蔵をどうにかしなきゃというふうに思うのはいつも暇な時だったんです。
このことは本の中では書いていなくて、もっと厚くいろんな本を、いろんな話を盛り込む本としてページ数を増やせば、この辺の話を書くことになったんでしょうけれども、
要は、一人称の情報をいくら、というか、そもそもそれの整理にかまけていられる時は暇なんですよ。
どういうことかというと、本を書いていない時なんですよ。
本を2冊並行して書くような、これが最大級に僕の場合忙しくなるんですけどね。本の原稿を朝書いて、本の原稿を朝書いて、仕事の連載原稿を書いたりして、ブログをアップして、これやるじゃないですか。
絶対日が暮れますよ、はっきり言って。
1つあたり、私は短ければ17、8分で済ませることもあるんですけど、じゃあ17分かける85分で全ての仕事が終わるかというと、そんなことはできないんですよ、やっぱり。
85分、断続的に5つの内容を切り替えて、物を書いて、まともなものにならないんですよ。
だから結局、5本書くということをやってしまうと、それぞれに1時間以上の時間を要して、しかも間に食事を挟むじゃないですか。
絶対に8時間は優に越すんですね。朝の9時から始めても、夕方17時には理想的に言ってもなりますよね。
これでフルタイムですよね。実際にはそれでは済まないんですよ。
この間にさらに、私は毎日やっているので、税務上の書類の整理とか、ちょこちょこやって挟んでいくと、
夕方6時半は過ぎますよね。しかも家庭の用事をその間に差し込まれるので、20時突破しますよね、この感じで。
私は22時には寝ているので、もう寝る時間ですよ、これにお風呂を出せば。
つまり朝から晩まで常に稼働している感覚でいて、初めて本の原稿というのは2冊が並行してギリギリ進むかなと。
それでもちょっと手薄いところが出てくる感じがするんですね。
このような時に一人称の情報整理がやってられるかというと、つまり本の原稿のネタのアイデアをスクラップボックスなりで記入して、
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タグ付けして、全部見返して、参照して、それを本のどこに入れるかを考えながら本を書けるか。
僕は全然できないというか、そんなこと絶対やってないんですよ。
絶対やってないことは人に勧めたくないんですね。一度もやったことないんですよ。
50回くらい本を書いている機会があり、こんなことをやったことないんです。
これをやっている時は本1冊も書いていない時だったりするわけですよ。
暇な時にはできるんですけどね。趣味的にならできるんです。
趣味についてだけ書くというのであれば、それはそれでありかなと思うんですけど、
私最近、ただこの情報整理をやるのと、昨日の駅伝を見るのと、どっちを優先するかというと、間違いなく駅伝を優先しちゃうという自分のことを知っているので、
趣味としての価値も低いなと、私に関して言えばですね。
だからもう嫌になっちゃったんで、そういうことはやらないことに決めています。
やらないようにしたらどうなったかというと、別に何も問題は起こらないんですね。
ということは、これはやらなくていいことだったんじゃないかという風になりまして、
Good Vibesって要するに自己完結的に、倉園さんのよく言うところのカプセルの中に閉じこもったようにして、
いろいろやらない方が良さそうな話なので、そういう言い方もできるので、
私の表現を使うというか、私の表現じゃないけど、
分析的な言い方をすれば、すきぞいて動的なやり方ですよね。
動き。
気持ち良いようで、別に気持ち良くもないんですよ。
どうせカプセルに閉じこもるなら、僕なら駅伝見てるってことですよ。
簡単に言ってしまうと。
なので、いろんなことを加味して考えてみると、
要は情報整理は3人称対象なんだなと。
メインは。
まず、ネットから取ってくる情報って3人称ですよね。
彼ら初です。
私初じゃないですね。
多くの場合。
自分で書いた原稿のクリップってしないですからね、別に。
ウェブクリップは。
するかもしれないけど、それは一応アップしたから取っておくという意味であって、
何かのためにそれを取っておくっていうのとはちょっと違うと思うんですよ。
圧倒的に3人称ですよね、何にしても。
例えば娘の受験が近いと、受験の時間とか会場とか要項とか手順とかの全部ウェブクリップしますが、
それらはもちろん3人称です。
学校が出しているものですからね。
こういうのこそ絶対にいるじゃないですか。
容易に師蔵とかにはいたらないわけですよ。
これこそ使うわけです。
これは娘のために取ってあるし、娘のために使うんですけれども、
つまり3人称を発す情報を2人称に向かって出すと。
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私はそういうようなことを一応イメージはするんですね、本を書くときは。
こういうとき2人称中の娘って意味ですよ。
あるいは学校に出すという意味では3人称に出すと。
この3から3へ行くか、3から2に行くかっていうのはちょっとあるんだけど、
そういうときにとにかくEvernoteというのは大変情報をするわけです。
クリップしやすいですからね。
そしてクリップの形式としてもPDFはPDF、
Webの内容もほぼかなり崩れるケースもあるけど、
かなり崩れずに取れるということになってくると、
ほとんどそれでいいわけです。
一応整理の仕方も書きましたけど、
実際はほとんど整理いらないんですよね。
使いますから、まず。
インボックスに入れっぱなしに参照して使えば済む話だし、
しかも使うのも1年後とかではまずないので、すぐだいたい使いますから。
ほとんどの場合、この3人称情報に絞っていけばですね、
インボックスがそれなりの数には何にしても、
見切れないほど増えるということはまずないんですね。
しかもこれは目検索対象に普通はするんですよ。
本当はキーワード検索した方が早いんでしょうけど、
やっぱり見て探し合いますよね。
だから見て探せるような、
あまり形の崩れない取り込んだ時のですね、
ウェブページで崩れやすいので、
崩れない形で取り込んでくれるエバーノートが
まあまあ重宝すると、そういう話を書いたわけです。
そのヒントには、1人称、1人称、
つまり私が、私発の脳内からアイデアが発生し、
しかも私だけが見て満足するという、
この1人称から1人称への情報であるものは、
基本捨ててしまえばいいと。
だってこれは私の脳内にあったわけだから、
運が良ければまた出てきますよ。
これがノープランライティングで、
書き上げ術でよく言うことなんですけど、
アウトラインやスクラップボックスや
エバーノートを使わなくても、
私の頭から出てくるような話であれば、
私の頭から出てきますよ。
書くということになったり、
喋るということになる場合には、
プレゼンデータ上場したくないから
メモを取っておくという話もよくありますよね。
あれでもメモをいくら取っておいても、
それを見ただけで話が膨らむぐらいであれば、
はっきり言って何であっても話って膨らませられるので、
それを見ないと話が膨らまないという恐怖感で、
人前に立たない方がいいと思うんですよね。
これをやっちゃうと多分、
あまりの恐怖感が強い場合は、
そのメモが目の前にあっても字は見えないはずです。
私は何度かその種のレベルの緊張感を経験したことがあるんですけど、
目を持ってでっかく書いてある字すら見えなくなります。
だからそのような恐怖感を
そもそも持って人前に立たないことなんですよ。
私今はこう喋っていますけど、
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さっきからで18分経ちましたけれども、
いつもこうやって短くもっとまとめようと思っているにも関わらず、
喋ることは出てくるんですよ。
重複して何度も同じことを喋っちゃうことはありますけどね。
出てくるんですよ。脳内にあることなんで。
これを全部書き出しておいて、アウトラインで整形してから、
上から喋っていくという方が、
あるいは間違いはないのかもしれないんだけど、
この間違いがないが微妙なんですよね。
何かの口頭諮問でも受けていて、
先生が聞いていてそれに答えるというなら、
間違いがないということに意味はあるでしょう。
だけど、私がこの脳内で発したものを、
整理してから喋った方が間違いがないなんて言ったって、
誰がその間違いと正解を基準して決めるのかというと、
別にそんなものはないわけじゃないですか。
私がこうやってずるずる喋っていても、
ただ喋っていても、整理してから喋っていても、
整理した方がきれいになっていて、
気分がいいという人はいるでしょう。
そういう人がですね、
グッドモーニング・ウェブスの視聴者として
耐えられるとは到底思えないんですよね。
ポッドキャストっていうのは、
整然と作り上げられたものを聞いて、
楽しいというものではないと思うんです。
私、ラジオってあんまり聞く方法じゃないんで、
わかんない面もあるんですけど、
私が好んで聞くラジオっていうのはですね、
野球中継なんだけど、
野球の駅伝とかもそうなんですけど、
整然としようがないから聞いてて面白いわけです。
野球の試合の展開って整然とは絶対しない。
トップダウンで逆算したんでは、
誰も聞かないですよね。面白くもなんともないです。
結果を上げるかに決まってるわけですから。
そっちの方がいいっていう人がいるとしたら、
よっぽどアメリカの一部プロレスはそうなんですよね。
筋書きが全て決まっていて、
ショーのように進行すると聞いたことがあるんですよ。
日本のようにガチでプロレスはしないんだと。
どっちが勝つか、どこで盛り上がり、
誰がどこで倒れるかも全部決まっていて、
その練習をしてるんだと。
劇ですよね。一種の。
時代劇を見ているような感じだという話です。
本当かどうかは知りませんが。
そういうのをアメリカ人に聞いたことがあるんですよ。
それが面白いというのはあると思うんです。
ただ、野球中継聞くのは絶対そうではないです。
それは全然、それを聞いていたら
全く面白くないと思うので、
ファンの思想は変わるでしょう。
私のこのポッドキャストはデダホットコー勝負で、
野球中継とよく似てるんですよ。
テーマのようなものがおぼろげにあるケースもあるし、
一定の着地点を持っている回も
10回に1回ぐらいはあるんだけれども、
大概はそうではないです。
今回も不意に情報整理の本の話をしようと
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思い立ったんです。
一つには、このゴニを呼んで3桁であるというぐらい
そこそこ動いたんで、極めて意外だったんですけどね。
そこそこ動いたんで、気を良くして喋りたいなと思ったんでしょう。
あとはグッダワイブスと関係なくもないんだよな、
あれはと思ったということもあります。
やっぱり他人からの依頼に応えるために
エヴァノートを使うと。
この辺が私の役割的に
グッダワイブスなライフハック
っていうようなテーマで持っていきたいと。
だからライフハックっていうのは
先般も喋ったばかりですけど、
スキゾイド化しやすいんですよ。
私のためのライフハック、その恩恵を得るのも私自身。
別にそれでいけないっていうわけではないんですけども、
行き詰まってくることはあると思うんです。
私が暇な時にそれが大いにできていたようにですね。
それと暇っていうのはすごく
リンクしやすいじゃないですか。
ところで暇ってことは依頼を受けてないってことなので、
仕事なくなってますよね。
よっぽどお金持ちならいいんですけども、
それに
スキゾイド的な状態というものは
そうやって徹底的に
ライフハック系で強化していくと
ある意味何が自分が面白かったのかが
よくわかんなくなってくることもあると思うんです。
これはもうそれだからどうってことはないし、
人がとにかく言えるような話ではないんですけど、
ただ私はスクラブボックスに
誰がどう使うのかもわからない情報を整理するよりは
駅で見てる方が楽しいなというのは
一つの発見なので、
これライフハック的には何となく価値観的に
よろしくないじゃないですか。
本当はそんなことは知ったことじゃないと思うんですけどね。
つまり消費的な時間の使い方っていう表現があるじゃないですか。
あの辺までいくと私は
行き過ぎだと思うんですよね。
何かをするのは何かの役に立たなきゃいけないのに
何かの役に立つというのが
依頼であってはいけないっていうことになったら
もう自分の
肉体的快感みたいなものに直結する
以外の時間やお金の使い方は
全部ダメだという話に
なりかねないところがあると。
それは私は個人主義っていうレベルを
超えちゃってる気がするんですよね。
それは身体的ナルシズム以外の何物でもない
ずっと自分の体を気持ちよくしている
人みたいになっちゃうんで。
こういう表現とってみると結構あれじゃないですか。
だからそれがいけないとは言えないとは思うんですよ。
それで生きていける人に向かってですね。
ただ少なからず
それでは生きていけなくなる人も出ると思うので
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しかもそういうものを別に目指していたわけでは
ライフハックはないと思うので
普通に仕事術として考えた場合
三人称から三人称という
自分を必ず間に入れますけどね。
入れるから情報整理するんですけども
というのは方向性としてあるんじゃないかなと
思うわけです。
これはタスクシュートの時間
同じ話はよくしているつもりです。
他人からの依頼というものは
自分の身体からの依頼は必ず
私たちの生活上付きものですけど
つまりそっちが一人称だとすると
他人からの依頼は3か2のはずなんですね。
あなたからの依頼。家にずっといると
あなたからの依頼は多くなっていきます。
ここでお金になるかならないかという基準を
盛り込むよりは
人称として分けて人称として考えると
ただこれはグッドバイオス的には
本当はちょっと違うとは思うんですよ。
自分と他人というものが一つという部分が
ほとんど入ってこなくても
この話はできちゃいますからね。
一つ意識の方が何かといい時は
どうせいっぱいあるわけです。
身体という話をしたときに
一番実は感じることではあるんですけど
この身体のケアが本当は自分自身だけでは
完結できていないという
食事ってそうじゃないですか。
自分の身体からの依頼に答えているわけだけれども
食事というのは自分の身体だけで
完結するということはありえないですよね。
それじゃすぐ死んじゃいます。
少なくとも何かを食べるというのは
そういう意味になるはずなんですよ。
他者に依存していない食事というのは根本的にありえない。
これは料理を人がしてくれるという話ではないですよ。
料理を自分がしたって同じことになるはずです。
だって食べているものは自分自身じゃないわけですからね。
ただそういう宗教的な話になっちゃうのも
若干やっぱり行き過ぎ感があるかなと思うので
今のところ自分は
エヴァノートに留めていて
エヴァノートの整理というのは
原則三人称にしてみると
実はとてもスムーズにいきます。
なぜならば数が減るからですよね。
結局この一人称一人称の
私がスキゾイド的と
倉園さんがカプセルの中でというのは
カプセルに対して情報量が
過剰になっていくんですよ。
いくらでも考えついちゃいます。
自分自身が使えばいい自分自身だけのネタというのは
あると思って取っておこうと思ったものは全部ですよね。
本だってそうじゃないですか。
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自分が好きで多くの本の中から
年間10万冊に到達しようという
10万タイトルに到達しようという中で
1冊選んで自分の好きそうなものを選んで
ここに書いてあることは素晴らしいって
人が思うのは当然だと思うんですよ。
それの中でもいいと思ったものをピックアップして
全部写真に撮るなりして
エヴァの日に送るということをやれば
膨大な量になるのは当然だし
その大半が始蔵されるというのも当然ですよね。
起こるべき現象が当然起きているわけです。
こういうのに
取り囲まれて
手に負えなくなる状態
それを何とかするのがナイフハックだという感じになってきているんだけど
私はそうでは全然ないと思うわけです。