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2025-06-18 1:23:06

第百七十五回:Tak.さん&ゆうびんやさんと『棚上げ学習法』について

サマリー

第百七十五回のエピソードでは、ゲストのゆうびんやさんと共に『棚上げ学習法』について議論し、AI学習の影響やハイパーカードの歴史的意義に触れています。ビール・アトキンソンさんの死去についても話題となり、彼の功績を振り返っています。今回のエピソードでは、Tak.さんとゆうびんやさんが『棚上げ学習法』の特徴や執筆プロセスに焦点を当てています。この本は、忙しくて学びが追いつかない人々に向けた内容で、主体的な学びや新しい発見を促すものです。エピソードでは、Tak.さんとゆうびんやさんが『棚上げ学習法』についての考えや執筆の進め方を語り合い、特に棚上げや学習法に関連する思考プロセスや執筆スタイルについて深掘りしています。学習法の価値や意義についても掘り下げられ、コスパ主義に対する反発や、棚上げの哲学が日常生活に与える影響について考察しています。また、棚上げ学習法の必要性や有効性を探求し、個人の生活史を記すことやそれに関連する新たなプロジェクトについての考えも語られています。著作者が感じる作品から得た学びや創作の過程についても触れられ、セルフパブリッシングの重要性や締め切りの影響についての議論が行われています。

セットアップとニュース
スピーカー 2
うちあわせCast第百七十五回ということで、今回はゲストを二方お迎えしております。
まずいつもの通り、たくさんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今回はもう一方、ゆうびんやさんをゲストにお迎えしております。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
今回はゆうびんやさんの新刊発売記念というか、ゲストで来ていただいてるんですけど、
最初に二点ほど簡単に紹介しておきたいニュースがありまして、
一つがノートなんですけども、ノートのコンテンツがAI学習のソースになっちゃう。
その代わり、学習されたソースに対して対価が支払われるというプログラムが始まるらしく、
実際のスタートは最初の8月ぐらいだったかな。今は準備期間というような感じだと思うんですけども、
実験期間があったらしいんですけど、総額500万円を用意して、
一番もらった人が40万円ぐらいもらったみたいな話があったんですけども、
お二方はノートアカウント確か持っておられたような気がするんですけども、
このような動きはどのような感触をお持ちでしょうかね、たくさんとかは。
実験期間があったのは、今回のアナウンスがあって初めて知った感じですね。
もうデフォルトでAIに食われているものだという前提で生み出したんですね。
なるほど。
まあなんというか。
なんというかですね。
40万くれるならいいですけど、きっとくれないでしょうね。
誰がどのぐらいどんな大元のお金があって、それがどう分配されているのかというのがあまりわからないというところはあるんですけど、
少なくともKindleのKDPは、いわゆるページ数に対してというフィーなので、
ページ数そのものは計算上は著者に表示されているので、その割合に文句があるかないかは別にして、
ある種の透明性はあるとは思うんですけど、現状これが全然見えてこないっていうのと、
どのサービスに使われるのかもよくわからない、見えてこないんですけどね、説明を見た限りで言うと。
何でもいいのか、例えばGoogleに限定なのかとかっていうのがちょっと見えてこないなというところなんですけど。
りゅうぎゃあさんはどうですかね、この自分の書いたものがAIに学習されて、ちょっとお金ももらえるよみたいな施策はどうですかね。
スピーカー 1
そうですね、40万であれば同じですけど、多分成立発した金ではないですけど、奨学だとは思うので、
気分的には多分オフにしちゃいそうだなっていう気が今はしていますね。
スピーカー 2
多少冗談を込めて40万円とやったらという話ですけど、金額によって変わりますかね、オンオフは。
スピーカー 1
どうでしょうね。もしかしたら最初試すかもしれないですけど、結局こんなぐらいかこんな感じかっていう感触というか、
こういうふうになるんだなっていうのを体験した後はオフにするかという感じではなると思いますね。
スピーカー 2
例えば経済学的に言うと、人間が利益を継ぎ切る存在であれば、何ももらえないよりはたとえ柱金でももらった方がいいというはずはあるんですけど、
なんかやっぱりそれは損した感じがしますかね、柱金だった場合に。
スピーカー 1
そうでしょうね。ってことは多分自分なりに何かしら価値がある。
価値というかプライドをなんてかしら気づかないうちに持ってるのかもしれないですね。
スピーカー 2
僕はね結構ね、別に無料で学習してもらってもいいし、何ももらえないと別にいいかなという気持ちは結構ありますね。
なんか堂々とパクられてるというわけでもないですし、僕が持ってる知見が誰かの質問に対して答えに役に立った上にちょっとお金もらえるんであれば、別に悪いことではないかなという気はしてますけど、
絵描きの人だったらまた話は別であるでしょうねきっとね。
僕らっていうかノウハウ提供者が持ってる知識ってそれ自身ではそんな大した価値がなくて、むしろ共有されることで世界に対して貢献するという感じがあると思いますけど、
絵描きの人はやっぱりスタイルそのものを売ってるわけですからね、やっぱりそこの感じはその人が何をコンテンツを提供してるかによってちょっと感覚が違ってくるのかなという気はしますね。
というわけでどうなるかは分かりませんが、多分ここ1ヶ月くらいノートは多分荒れると思います。
ハイパーカードの歴史
スピーカー 2
次のニュースなんですけど、ビールアトギンソンさんが死去ということで、これ結構僕のタイムラインの衝撃が走ってまして、
伝説的エンジニアという話で僕はやっぱりハイパーカードの人という感じの印象なんですけど、GUIを可能にした人なんですねこの人って。
このMacとかのコンピューターで簡単に描画することを簡単なアルゴリズムでできるようにしたということで、
描画ができないとアイコンとかって書けないわけですから、だから基礎中の基礎を作った人だったんだなというのをその記事を読みながら思ったんですが、
これは完全に枝の話なんですけど、たまたまインターネット上で使えるハイパーカードっていうアプリケーション、
エミュレーターを触ったんですよこの機械に。
確かによくできてるなという感じがしたんですけど、同時にこれは流行らんなと思ったんですよね。
このハイパーカードというやつが。便利は便利なんですけど、やっぱりちょっとマニアックなところがありまして、
これは一般向けにはならないんだろうなというところと、同時にウェブとインターネットというものがこのハイパーカードのハイパーリンク的なものを実装したがゆえに、
メジャーなツールとしては位置づけられなかったんだろうなという感じなんですけど、お二方ハイパーカードかエミュレーターって使われたことあります?
スピーカー 1
私はないですね。
スピーカー 2
見たことはあります?画面とか。
スピーカー 1
いや、多分ないような気がします。
タクさんはどうです?
スピーカー 2
向こうも全然使ってましたね。
使ってたんですね。
使ってました。最初の3代目ぐらいまでのMacではもう全然かなり実用してましたね。
例えばビジネス用途で使ってたみたいな感じですか?
ビジネス用途もありましたね。
それこそ参考文献整理するみたいなことを、簡単なデータベース的なことに使ってたりもしましたし、
今でいうノート整理的なこととか、住所録みたいなこともやったし、
パーソナルな情報整理みたいなことは全部そこでやってた時期が、アウトライナーを別としてありましたね。
あえて例えば平面の画面にテキストを置いたりとかボタンを置いたりして、ボタンをクリックしたらこういう動作をするっていう処理がかけたっていうのを実際に確認したんですけど、
なんかコリに凝ったスタックとかって作ってもらいました?そういうボタンとかを駆使して。
作ろうとしたんですけど、そこはあんまりコリに凝ったことによってむしろ実用性を損なったみたいなところがあるんですけど、
スタックっていうんですよね。ハイパーカードで作った。それがMacの上だけだとアプリみたいに流通していたんで、パソコン通信でダウンロードできたりとか、雑誌の付録についてたりとかして、
それが結構著名な人が作ったスタックみたいなのを使う機会があって。
きだじゅんいちろうさんが、文芸評論家のきだじゅんいちろうさんが作ったスタックとか、使ったことありますね。
あと忘れちゃいけない、あれですよ。マンダラートのMacマンアプリはハイパーカードで作られてたんで。
ああ、なるほどね。
だからその気になれば相当なものもできるというものでしたね。今の基準で見ちゃうというところももちろんありますけど。
そうですね。例えば著名人が作ったスタックが使えるみたいになって、いまNotionのテンプレートみたいなのと同じ構図だと思うんですけど、
Notionがいくらカスタマイズが可能といえば、平面にいろいろ物を置くっていうことはNotion上は結構難しくて配置になってしまうので、
自由度の高さは全然違うかなという感じですけど。
あれはだからスモールトークかなんかで多分言語を書いて書くことになってたと思うんですけど、難しいんかな。
あれ言語はスモールトークじゃなかったっけ?
スモールトークじゃなくてハイパートーク。独自の言語。
行動が書きやすいのか書きにくいのかもわからないですけど、やっぱりちょっとその辺に通じてないと自分好みの作品が作れないっていうところは普及をちょっと阻害してたんだろうなという感じ。
そうしたらとんでもなくいろんなことができるっていうのはやっぱりその反面マニアックになりがちというのは使ってて思いましたね、あれはね。
そうですね。でもね、僕ぐらいの年代だとハイパートークからプログラミングに入ったっていう人は多分かなり多いはずですよ。
プログラミングとデザイン
スピーカー 2
ということは結構簡易プログラミングな感じなんですかね。
いやもう完全な簡易プログラミングで、何がいいかっていうとその入出力っていうことを考えなくていいんですよね。
例えばカードにボタンとかオブジェクトを配置していくんですけど、ボタンにコードを埋め込んでいく。
ビジュアルベーシック同じ感じですね。
今だとVBを思い浮かべていただければいいんですけど。
なのでそういうものすごくわかりやすくオブジェクト思考的な概念。
確かに。
いわゆる本当のオブジェクト思考とはちょっと違うんですけど。
オブジェクト思考とかイベント駆動とかそういう概念を自然に、割りに文系っぽい角度から理解しやすかったりとか。
このボタンに対してこの機能を割り当てるっていう、そのボタン単位で考えられるんで、大規模に延々コード書かなくていいんですよね。
ちょっとこのボタンなんかが開くとか、みたいなことだけを。
そのカードとかボタンにその部品に一つ一つ埋め込んでいくことで、なんとなく動作するものができていくんで。
入り口としては逆にすごく良かったんじゃないかと思いますね。
まあそうか。でも画面にボタンを置いてクリックしてどうするって、まさにVBAとか逆にJavaScriptもほとんど同じことをするわけですけど。
やっぱりその思想的な流れっていうのは引き継がれてるんですね、形としては。そのものが残ってなくても。
ただ、個人が簡易に使えるデータベースという形にはなってないというところで、ちょっとミスマッチもあるんかなという感じで。
ノーションとかObsidianがさらにそっち方向によればもっとハイパーカードっぽい感じなのかなという気はしますけど。
そこがエビル・ワトキンソンの面白いところで、結構あの人ビジュアル志向なんですね。
ビジュアルっていうか、ビットマップで絵を描くということとプログラミングが融合してるみたいなところがあって。
だから本当に絵を描くみたいにボタンとかを置いていってっていう作り方をするんですよね。
ただ、逆にそこでだんだん習熟していって本格的なものを作ろうとすると、プログラムの機能としては途端に限界にぶつかっちゃうみたいなところもあって。
だからユーマンダラートみたいなかなり実用的で高機能なものは、Xコマンドとかっていう、
ハイパートークからエクステンション的にC言語でCで書いたプログラムを動かすみたいな仕組みを使って、
結局機能のメインの部分はそっちで動いてたりみたいなこともある。
ただ、いうインターフェース部分をハイパーカードで作れるんで。
そうですね。
結構見た目が凝ったものが楽にできるという面もありますよね。
やっぱり見た目がデザインできる有無っていうのは大きいですよね。
そうですね。
お絵かき機能のペイントの延長でカードの上に絵を描いていって、その絵に機能を埋め込めるんで。
本格的なプログラミングでGUIを設計したりするのとは全然お手軽さが違うみたいなところもありますね。
そうですね。
『棚上げ学習法』の紹介
スピーカー 2
今はデータを扱うのは向いてるけど、画面設計、UIはむしろ与えられたものからというところが大きいんで。
エヴァは重視してるところが違うんでしょうね。
とりあえずこれでも一つ時代の伏し目という感じですけど。
でもハイパーカード的なものはいろんなところに偏在はしてても、そのものは欠如してるなという感じは受けましたね。
ああいうものはないですね。
ないですね。
というところで、ニュースはさっさと切り上げまして本編に入りたいんですけども。
それは忘れてましたが、郵便屋さんゲスト2回目なんで今回は自己紹介を省略したんで、もしこの人誰だって気になる場合は第55回の打ち合わせキャストを聞いていただければ。
その時に日記について話したんですけども。
今回取り上げたいピックアップしたい本が忙しくて学べないと焦っているあなたのための棚上げ学習法という本で、Kindleオンリーから出る本で発売が先月でしたっけ。
スピーカー 1
そうですね。先月の5月の上旬ぐらいだったかなと思うんですけど。
スピーカー 2
発売書いてないから完全に。直近出た本でKindleオンリーっていうのも確か読めると思うんですが、どこから行こうかな。何かもう反応とか感想とかっていただいてます?
スピーカー 1
そうですね。何点かはいただいてます。
スピーカー 2
感触はどうですか?自分なりの手応えというか。
スピーカー 1
そうですね。読んでいただいた人にはすごいポジティブな感想というか、学習法だけにとどまらないっていうような形の感想というか、そういうのをちょっといただけたので、感想としては嬉しい感想をいただいております。
スピーカー 2
これ確かに、先に内容というか目次触れておくと、タイトルが棚上げ学習法なんですけど、第一章がわかるとは何かなんですね。
で、おおむね多分ですけど、ノウハウ本の場合、棚上げ学習法とは何かっていうのが第一章だと思うんですけど、そうじゃないんですよね。
執筆の背景とプロセス
スピーカー 2
そうですね。
タクさんは読了されました?この本。
はい。もちろん。
どんな感触を受けました?
実用書の構成アウトラインじゃないなと。いい意味で覚えましたね。
ちょっとね、昔っぽいというか。昔っぽいっていう言い方なんですけど。
昔、資生の知識人が仕事の傍ら、コツコツとカードを掴めて本を出すみたいな。そういう匂いを感じる本ですね。
すごく、なんていうかね、今っぽくない。いい意味で。
なるほど、なるほど。
いや、僕は好きですね、これ。
ゆみやさんは結構年一冊ぐらいのペースでこれまで多分出版されてきたような印象があるんですけど、これ結構期間が空いてますよね、確か。
スピーカー 1
そうですね。3年ぐらい空いてますね。
スピーカー 2
何が理由だったんでしょうか?
スピーカー 1
そうですね。今までが日記っていうジャンルに結構絞って書いていたところがあったので、それでブログとかもそういうことに似たようなことを書いてて、それといろいろ原稿とか行き来しながらいろいろ日記について書いてたので、ある程度なんか下書きじゃないですけど、自分の中でいろいろ頭が整理されてたんですけど。
今回結構新しいジャンルになったので、そこで自分の中で材料をちゃんと下ごしらえじゃないですけど、それをするのにまず時間がかかったっていうのが一つで大きかったですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
あとはそうですね、材料をどうやっておいしくするかっていうところで、またそれで結構何回か書き直してっていうのがあったので、結局丸々書いたわけではないんですけど、書き直したのが結局3、4回目ぐらいでこれができたっていう感じですね。
スピーカー 2
その1回ごとの書き直しではアウトラインが変わってるのか、もうコンセプトそのものが変わってるのか、どれぐらいの変化があったんですかね。
スピーカー 1
そうですね、まず1回目コンセプトとしては棚上げっていうのがまず1回目、2回目ぐらいまでなくてですね。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
はい、2022年から書いたんですけど、記録をこれに備えてというかちょっと見返してたんですけど、1回目、2回目で書いて、それでそれが簡単に目次案とかいろいろ書いて原稿途中まで書いたんですけど、
結局棚上げっていう言葉が初めに出てきたのが2023年とか、2022年10月ですね、10月ぐらいにやっと出始めて、そっからこれ入れようかな入れないかなっていうのを悩み始めて、2023年ぐらいからじゃあこれかなっていう感じで入れ始めたっていう感じですね。
スピーカー 2
ちなみにこれまで日記の本を書いてきたとして、じゃあ今年からまた新しい本を書こうと思った時に、多分それは勉強みたいなキーワードが最初にあったんですかね、きっと。
スピーカー 1
そうです、勉強とか考えるとかそういうところが一応こういうことについて書きたいなって考えることとかについて書きたいなっていうところがちょっとありました。
スピーカー 2
最初の時は棚上げっていうキーワードはなくて、逆に統一的なキーワードはその時点であったんですか、別のオルタナティブな。
スピーカー 1
そうですね、最初と違って、仮のタイトルでしてたのがみんなで学ぶみたいな、っていうタイトルをつけてて、で、例えば棚上げ、振り返りとかあるんですけど、過去の自分からも学ぶし、他の人からとか本からとか色々考えたり学んだりできるようなっていうところで、
そういうふうに最初の1,2回の言語は書いたんですけど、で、何回か書いて読んでみて、ちょっとこれは自分で読んでもちょっと足りないというかつまらないというか、逆に他の人が多分もうこれは書いてるだろうみたいなのがありまして、
もちろんかぶるところは絶対出てくると思うんですけど、自分なりに何かせっかく書くんだったらっていうので、そこで試行錯誤して、で、最終的に出てきたのはこの棚上げ、自分のやってる勉強法にも通じますし、っていうところで棚上げっていうのが出てきました。
スピーカー 2
棚上げっていうのが出てきたのは、例えばアイディア出しとかブレストしてるときに出てきたのか、言語を書いてる中でこのキーワードが浮かび上がってきたのか、どんな感じなんでしょう。
スピーカー 1
そうです。多分出てきたのが、確かなんですけど、言語を書いてるときとかではなくて、なんかこうふとしたときに出てきたっていう感じがあって。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
はい。っていうのは多分前回のときもそうだったんですけど、歩いてたりとか散歩したりとかそういうときに、なんかそうです。
ふと思いついたとき、確かこれと思いついたのが、子供の髪を乾かしてたときだったと思うんですけど。
スピーカー 2
はいはい。
スピーカー 1
そのとき、あれ、これで、これ、この言葉でなんか意外といけるんじゃないかみたいな、棚上げという言葉で意外とあるんじゃない。
そうですね。で、その前がなんかこう、昔の書いたメモを鍛えるじゃないですけど、なんか刀鍛じとかそういうイメージが先にあって、でもなんかそんなかっこいいものでもないだろうなっていう。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
っていうのがあって、その結果ここに棚を上げて、逆にネガティブなポジティブにできれば面白いのかなっていうところとかあって、これになった気がします。
スピーカー 2
いやーいいですね。そういう発見の瞬間の話は大好きなんですけど。いやーいいですね。やっぱりでもこう、なんすか、潜在意識的になんかいろいろ言葉を考えてて、その瞬間にピッピッと捕まえたという感じなんでしょうね、きっと。
スピーカー 1
そうですね。あったり、あとよく風呂場とかでも思いついたりするんですけど、その時に思いつきやすいのはやっぱり誰かに説明してるようなことで結構説明して、こういうとこが足りなかったりとか、こういうとこもっと入れたいなっていうのは結構あったりして。
そうですね。結構説明させてもらう相手、タクさんとか倉下さんとか打ち合わせキャストも聞いてるんで、こうイマジナリーじゃないですけど聞いていただいたりとかして、そういう時に相手が結構出たりしますね。
スピーカー 2
いやーいいですね。ちなみに僕も頭の中でタクさんとかゴリコさんに説明してることが少々ありますけど。
ゆみやさんはお仕事をしながら、会社員で働きながら執筆をされてると思うんですけど、執筆のスタイルというかツールの話をお聞きしたいんですけども、本、文章を書くっていうときに、例えばメモはこのツールでとって、文章はこのツールでとるとか、もう隙間時間からいきなりエディターで書いてるとか、なんかそのツール構成ってどうなってます?
そうですね。基本的にはメモを手書きで書くか、あとは前は1日のメモをログシークでとって、それを結局ログシークが職場とかで結局見れないので、パソコンとかでは。なのでロームリサーチにその日の朝にちょっとコピペしたりとかして。
スピーカー 1
で、ロームリサーチは幸いなことにマイナーなので見れるので。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
そう、記述して。で、そこでメモとか見て、あとは原稿はもう基本、第一行というか構成を読み返しというかそれをするまでは基本もうロームリサーチ上で全部書きましたね。
スピーカー 2
いわゆるアウトライン上に、アウトライナー上にメモと原稿がもう両方あるという感じですか。
スピーカー 1
そうですね。メモがそうです。デイリーノート上にまず行って、そのメモを見て、たとえばここの原稿の第一章だったらここら辺に入るかなみたいなのをメモとしておいたり、その流れで書いちゃったりとかもありますけど、形ですね。
スピーカー 2
細かい質問ですけど、今アウトライン上に本文が並んでるわけじゃないですか。光にね。で、それぞれ別に目次案みたいなアウトラインがあるのか、もうその原稿の並びそのものを一種の目次案として扱っているのかということが気になるんですけど。
私の場合は目次案はもうそのままですね。目次案の中に原稿がそのまま入っているという形です。
構成を考えるときも全部閉じた状態のアウトラインで考えるということですね。
スピーカー 1
そうですね。考えますね。
スピーカー 2
で、一応書き上がりましたで、読み返すときはどうなるんですか。
スピーカー 1
読み返すときはこれはいつもなんですけど、Googleドキュメントとか何かしらに入れて、まずはアウトライナー上で書いているので、コピペするといろいろ構造というか段差が崩れるので、読み返しがてら、
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
少しぼちぼちに回帰したりとかしながら読んで、ある程度読めるような体裁が整ったらあとはひとまずまずPDFでして、iPadが一応あるのでそれで赤入れというか読みながら赤入れしていくという流れでやってました。
スピーカー 2
赤入れした後はその赤色を原稿に反映させる必要があると思うんですけど、それはどっちですか、ドック上?
そっちはもうGoogleドキュメントをコピーして日付を、第2番じゃないですけど、そっちはそっちに赤入れを入れていきます。だから一応構成をするごとにファイルが増えていくような形ですね。
それ以降は基本的にログスキックにあった本文はしばらくはノンタッチってことですか?
スピーカー 1
そうですね、基本的にロームリサーチ上にあったのは基本的にはもうノンタッチですね。
スピーカー 2
でも戻ることはないですか、アウトライナーに戻りたいみたいなことはないですか、作業のどこかで。
スピーカー 1
そうですね、戻りたいっていうとき、基本的に今回は戻らなかったですね。
スピーカー 2
なるほどね。
執筆ツールと作業フロー
スピーカー 2
ということは第1番、第2番、第3番ってその構成が変わっていったのはそれ全部Googleドキュメント上で変わっていったんですか?
スピーカー 1
そうですね、なのでロームリサーチ上で結構まず目次、第1番、第2番、そこらへんまではまだ仮タイトルが違っていて、第3番からタイトルがまた別のロームリサーチ上にノートができて、
そこから第3、第4ぐらいにロームリサーチ上にできて、それでちょっとこれでいけそうだなっていうので、じゃあまずは改めて全体を読み直そうっていうのをGoogleドキュメントにのっちだって感じですね。
スピーカー 2
じゃあもうGoogleドキュメントは結構もうケツのケツということですね、そういうことは。
スピーカー 1
それも最後の最後ですね、はい。
スピーカー 2
なるほどね、そうか。ちなみにたくさん今まで話して、ここらへんちょっと突っ込んで聞きたいみたいなことありました?
そうですね、でも割に自分に似ているというか。
確かに。
Googleドキュメントではなく、僕の場合はワードなんですけど、なんでワードかというと最後までアウトライナーの機能が使えるかなと思ったんですよね。
だからやっぱり今、読み返すわけですよね。
やっぱりロームリサーチなりログシーク上では読みにくいので、特に読み返そうっていうときにはやっぱり読みやすい形式にしたいっていうことで、郵便屋さんの場合はそれがGoogleドキュメントだったと思うんですけど。
やっぱり読み返していると、読み返しながらこちょこちょこ直したりするじゃないですか。
で、そうするとどうしても大幅に構成を入れ替えたくなっちゃったりすることってありませんか?
スピーカー 1
そうですね。ありはするんですけど、意外とこうなんでしょうね。
例えば書の入れ替えだったりしたら、ここの段落とかをiPad上で丸、PDFに丸付けてこれを矢印でこっちみたいな感じでやって、もちろんあんまり複雑じゃないからかもしれないですけど、
スピーカー 2
そういう手作業というか、それで一応なんとかとりあえずなりました。
どのくらい変わってます?Googleドキュメントに移した以降で。
スピーカー 1
以降はそこまで変わってないです。文的に文章を消したりとか、項目をちょっと変えたりとかあるんですけど、大改造みたいなそういう1章、2章を入れ替えるだとか、そういうのまではその上ではやってないですね。
スピーカー 2
確かにこの並びで見たときに大幅に変わることはあんまりいない。だからだいぶ仕上がってからGoogleドキュメントに移ってるということでしょうね。おそらくはね。
そうですね。そうなってると思います。
似てるけどやっぱり微妙に違いがあるというのが面白いですね。
私は多分もうたくさんの参考にして書き始めてるので。
なるほど。空にいるわな。
まあでもやっぱりとはいえ違いますよね。一人一人違うんですよね。
そうですね。逆にPDFにして赤入れるみたいなところが似てるところも面白いですね。
棚上げの概念
スピーカー 2
だからプリントアウトするとかPDFするみたいなメディア変換をかますっていうところはある種ちょっと似てるところもあって。
細かい共通点と差異があって、それぞれの人が方法を組み上げているということなんですが。
おそらくこの本で執筆で一番困ったことは何ですかっていうのはもしかしたら棚上げというキーワードを見つけることだったかもしれないですけど、何か他に困ったことあります?
スピーカー 1
そうですね。難しかったというか、これで上手く書けてるなっていうところはあったんですけど、
一番最初とかに第一章とかなんですけど、分かるっていうことを区分けするときに把握とか理解とか発見とかそういうのを言葉を分けるパターンに分けたんですけど、
一般的な言葉でやってるので、これをこの後に使っていくときに読者が把握が違う、こんがらがらせないようにというか。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
そういう棚上げとかもそうなんですけど、この本の中ではなんとかうまく読みにくくならないようにというか、
スピーカー 2
共通の、ちょっと理解とか把握とか発見をGoogleドキュメント上も検索し直したりとか、そういうことは結構やったのが、ここに書いてる中で今まであんまりなかったところでした。
基本的に、例えば第二章の考えるつつで考えてみるっていう、これも再起的な構造があって、この章全体が特殊な用語を持ち出さずに、僕らが一般的に使ってる言葉をベースにしてるんで、どうしても再起的な難しさっていうのが出てくるわけですけど、
でもその分親しみやすいし、ちょっと言葉遊び的な要素もあって、カジュアルに読めるよう本に仕上がってるかなという印象はありますね。
ありがとうございます。
なんていうか、理論武装で身を守ろうとしてない感じが僕はいいと思うんですけど。
それいい表現ですね。
フェアウスターを沸かせりつつも、ちょっと読者と近づこうという感じがなんかしますよね。
スピーカー 1
そうですね。わりかしなんでしょうね、私が一周ロマンチストじゃないですけど、こういう面がちょっとあるんでしょうね。
特に本を書くとそこが結構顕著に出たりするんですけど。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
っていうのが結構勢いで書いたところあるなみたいな、テンションが上がって書いたところあるなっていう、読み返すとここら辺そうだったなみたいなのが結構あったりとかするんですけど、そういう勢いもあるかもしれないですね。
スピーカー 2
勢いは重要ですね。重要です派が集まってるというか、そうかもしれませんけど。
どうかな、例えば本を書くときに文章が続きの文章が書けずに止まるみたいなことってあります?
スピーカー 1
そうですね。続きの文章、書けない。そうです。たまにあったと思いますね。
スピーカー 2
書けなかったときの対処法とかってお持ちですか?
スピーカー 1
書けなかったときは、対処法って言うと結局やっぱり私の場合は締め切りが自分で選べるので置いとくっていう。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
はい。ひとまず置いておいて、さっきの歩いてるうちに思いついたりとかお風呂場じゃないですけど、そういうのがパッと出てきたりとか、あとはもうひとまず置いといて次の章を書いてみたりとか。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
そういう、ある意味自由というか、締め切りとかないからできるようなことをやってるような気がします。
スピーカー 2
つまり、執筆を棚上げされてるわけね、部分的に。
そうなります。
それができるのがこういう個人出版、あるいは自習学習みたいなものの特徴とは言えるでしょうね、きっと。
そうですね。
さくさん、執筆周りで質問があったらどうぞ。ぜひ。
質問もあるんですけど、僕個人的にですね、締め切りがない場合に、多くの場合、締め切りがないと完成しないんですよ、多くの人は。
はい。
で、ゆみやさんがね、完成する。
うん、たしかに。
で、僕もね、締め切りなくても完成するんですよ、大体。
はい。
で、僕は一つ説があって、締め切りがなくても完成するものには3年かかるという自説がありまして。
なるほど。
大体ね、3年かかるんですよ。
書きたいことを急がずに、でも諦めずに完成するまでやると大体3年でできるという説がありまして。
ちょっとね、ゆみやさんもその説に該当しているという。
なるほど。
でも集中的に書いてる人は多分もっと短いんだと思うんですけど、それこそ棚上げしたりとか、ちょっと一回ガラガラってやってやり直したり、コンセプト変わっちゃったりとかっていうことを経て、3年ぐらいで大体できあがると。
うん。
で、そこを超えるとね、できない。
今度は。
っていう説もあるんですよね。
なるほど。
6年でできたりとかはしないような気がするんですよね。
そうかも。
自分の中で終わっちゃうんですよね。
うん、そうでしょうね。
そのぐらい時間かかると。
それはそう思います。
だから完成するときは3年でできるし、それを超えると次第可能性がだんだん高まってくるという。
そうですね。
でね、締め切りがあればきっと1年でできるんでしょうけどね。
スピーカー 1
確かにそうですね。私も多分この3年のこのタイムに出たさあったら、多分もう1回書き直せばもっと良くなるっていう多分あったと思うんですけど。
はい。
でもその道を選ぶと多分もう出ないだろうなっていうのが。
スピーカー 2
いや、そうだそういう感じだと思うんですよね。
スピーカー 1
それはありましたね。感触というか、ここに出すしかないみたいなとこはありました。
スピーカー 2
でもやっぱりね、会社員として働きながら締め切りのない、誰からも強制されていないものが、しかもこれだけの規模なものが完成するっていうのはすごいことですよ、やっぱり。
うん、確かに。
それはね本当に、自分に対してもよく言い聞かせるんですけど、これは誇りに思っていいことですよね。
スピーカー 1
ありがとうございます。
スピーカー 2
いや、本当に。
学習法の重要性
スピーカー 1
締め切りがあっても書けない人間がここにいますからね。
スピーカー 2
ちょっと違う。そうなんですよね。
でもやっぱりね、締め切りがないと絶対書き終わらないっていう人のほうが多いと思います。
うん、まあそうでしょうね。
なんだっけ。聞こうと思ってたんですけど、なんか今のあれで忘れちゃいましたけど。
あ、そうだ。
棚上げって結構キーワードとして、いいというか強いキーワードだと思うんですよね。
ただその後ろにもう一個キーワードがあって、学習法というのがありまして。
これを学習法にしたのは何でかなってちょっと思ったんですよね。
スピーカー 1
なぜかというと、学習法よりもずいぶん広い内容じゃないですか、本当は。
スピーカー 2
そこをあえて学習法っていうふうにしたのは何でかなという興味を実はちょっと持ってたんですけど、その辺ってどうですか。
スピーカー 1
そうですね、一つ例えば学習法じゃなくて、思考法みたいなことも考えはしたんですね。
ただ考えた中で、名もなきサラリーマンの思考法を読んでもらえるだろうかみたいなところが不安がやっぱりどうしてもあってですね。
で、参考にしたら徳将ザルさんとかが議題みたいなことを言ってたと思うんですけど、
アイディア改善とか問題解決改善とかで、確か人文書を書きたいけどビジネス書風にしたみたいなところがあったので、
そこをちょっと参考にというか、もっと何か読めるようなパッケージというか、
してもらえば一応読めるんじゃないかっていう、読んでもらえるんじゃないかっていうところがまず一つありました。
本当は思考術とか思考法でも全然問題はなかったのかなっていうふうには思うんですけど、学習法にそこにはなりました。
スピーカー 2
学習以外にも類似のキーワードがあると思うんですけど、例えば勉強法とかって。
学習というこのチョイスにはこだわりがあるんだね。
スピーカー 1
勉強よりは学習とか読学も感覚が違うなっていうところがあって、確かにそこは学習法に確かになりましたね。
スピーカー 2
でもやっぱり違いますよね。勉強法でも読学法でも学習法でもニュアンスは変わってきますし、
本書の内容に言うと、これ確かに学習法でいいかなという感じはするのと、
これちょっとネタバレというか、ノウハウ書でネタバレがあるというのもすごいんですけど、
最後のほうに出てくるんですね。この田中学習法には2つの意味がある。
ダブルミングであるっていうことが示されて、僕はそこを読んですごい感動したんですけど、
あのフレーズが生きるにはやっぱり学習っていう言葉のほうがいいなというのは感じましたね、ちょっと。
スピーカー 1
そうですね。そこがあったからっていうのもあるかもしれないですね。
スピーカー 2
あれはもう、結構キーワード思いついたときからあれはあったんですか。それも書いてるうちにこう言えるなみたいな感じですかね。
スピーカー 1
でも多分、棚上げって言葉思いついたときにはまだなかった。そこのフレーズは思いついてなかったと思いますね。
スピーカー 2
で、書いていくうちに、もしかしたらそこを書いてたときに出てきたかもしれないですね、最後のところを。
あそこは確か、下読むときでも印付けて。あそこを読んで僕はちょっと軽く取り離されましたね。
そうですか、本当にありがとうございます。すごい嬉しいです、本当に。
ついでに逆に質問しますけど、下見させていただいてフィードバック送ったんですけど、どうでした。不快感とその高揚のバランスみたいな感じを聞きたいんですけど。
棚上げ学習法の概要
スピーカー 1
私としてはすごいありがたいというか、だって読んでもらえる方ってやっぱりどうしても少ないというか、読んでもらえるだけですごい嬉しいので。
なので、読んで参考にして、たぶん修正を大切に参考にして結構入れたとは思います。
スピーカー 2
なんかこいつムカつくこと言ってるなみたいな。結構フィードバック返しすぎてそれは心配なんですよ。
スピーカー 1
そうですよね、私も会社とかであるので、それはとても分かりますけど、私としては何て言うでしょうね、逆会社でもありますけど、
スピーカー 2
年というか立場が上がるごとにしてもらえるありがたさというか、そういうのを感じるので。
そうですね、反感を覚える人はだいたい若い人ですよね。
それはまあそうやな、確かに。
なるほど、おじさん同士のフィードバックがうまくいく確率が高いということなのか。
一応、あとで執筆周りの話があれば追加で聞くんですけど、一応本の内容に触れておきたいと思うんですが、
今全員読んでる前提で話を進めてたんですけど、棚アンケー学習法って何ですかって聞かれたらどうございます?
スピーカー 1
アンケー学習法はな、そうですね。
そうですね、パッと聞かれて思いついたのは、納得しながら粘り強くやっていくための学習法というか、という答えになるのかなと思います。
スピーカー 2
このコスパ時代にその学習法をする意味は何ですかと聞かれたらどうございます?
スピーカー 1
そうですね、確かコスパっていう言葉をこの本の中にもちょっと入れた気がするんですけど、
結局そこにいたから個人的に美力ながらでも反旗を振り返したいなっていう感じが多分自分の中にあって、
そうですね、それも多分これもこういうのも多分家族というか子供がいなかったらこういう考え方にならなかった、
自分としてはならなかったのかもなあかんって思うんですけど、
子供とかに何ですかね、こう、どういうのを残したいのかなみたいなものが多分その、
自分今回書いた中に一応こういうふうになってほしいなみたいなところが多分この本の中にちょっと入ってるのかなっていうところはありますね。
スピーカー 2
まあそうですね、ある人のコスパ主義に対する反レジスタンスとして、
そういう人たちに手に取ってもらえるかどうかというところが多分一番気になるところで。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
で、多分、もともとこの価値観に合ってる人は多分この本を手に取りますし、おそらく深い感銘を受けるとは思うんですけど、
そこがどうかな、だからまさに読んでほしい人に読んでもらいにくいのかもしれないなとは思いつつも、
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
でもまあこれはこれ以上ないよなという気もするんですけどね。
スピーカー 1
だからこうなんでしょう、泣けなしの努力で学習法にしてみたりとか、
こうちょっとね、少しでも刺さりそうな、だからこう焦らないでいいようなっていうような、そういうタイトルにしてみたりとか、
ちょっとどれだけ効果があったのかは分からないんですけど、一応届いたらいいなとは思うんですけどね。
スピーカー 2
そうですね、確かにね。このサブタイトルじゃなくて上についているタイトルがそういう人たちにキャッチに響いたらいいですね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
いやーでも本当に、要するにこれ4章に棚上げ学習法っていう商題が来るわけですから、
言ったら棚上げ学習法とは何かっていうのを棚上げしながら話を進めるんですよね。
そうですね。
いろんなところで棚上げが動いてるなっていうのを読みながら感じて、
人生ってほとんど棚上げの連続なわけですから、やっぱり棚上げに慣れないとどうなるかっていうと、
目先の作業をひたすらこなしていくっていうのが棚上げできない人の特徴なわけで、
それはもう結局焦り続けるということですからね。
やっぱり棚上げ学習法のこのコンセプトを学ぶということ自体がやっぱり価値があるなとは思うんですが、
どうですかね、たくさんこの内容について。
さっきもちょっと出ましたけど、その他になんかあれば質問。
でも今の話、棚上げ学習法とはいいながら、
この棚上げっていうのが結局一種の人生哲学、生活哲学的に読めるんですよね、これ読んでると。
反コスパっていうのもありますし、逆に、
本当にネミネのコスパパフォーマンスがどうなのかって考えると、
実はこれ棚上げ学習法的な考え方って実は高いんじゃないかとも言えるかもしれないし、
逆にちょっとこうアジテイトする方向にいけば、
それこそ宣伝文庫としては一番コスパの悪い学習法みたいな言い方をあえてしちゃってもいいんじゃないかと。
なるほどね。
そうするとコスパ主義の人がむしろ手に取ってくれるかもしれない。
あれじゃなくて、何でしたっけ、苦しんで覚える新言語ってほうがあるじゃないですか。
ありますね。
あのタイトル本当に僕好きで。
哲学としての棚上げ
スピーカー 2
あれ思わず手に取りますよね。
そうですね。取りますね。
現代の若者が手に取るかは知りませんけど、僕らは手に取りますね。
いや逆に、すごいメッセージ性ありますよね。
苦しみを回避して本当の意味で身につけることはできないんだよというのも含めて。
でももしかしたら最終的に終わってみれば実はこれが一番の近道なのかもしれないっていう、
二重三重のひねったメッセージを感じるところがあるんですけど。
棚上げ学習法にも、郵便屋さんがどのぐらいそれを意図したかわからないですけど、
ちょっとそういうのを感じますね。
コスパってやっぱり棚上げしないっていうことだし、
コスパ重視っていうのは。
多くの自己啓発も、棚上げするなという言い方はしないですけど、
すぐやる、今やる。
うん、すぐ決める。
スピーカー 1
まあ決断主義ですよね、基本的に。
スピーカー 2
昔からあるんですけどね、書類は一回しか目を動かないみたいな。
80年代ぐらいからあるんですよ。
そういうのを良しとする風潮というのは。
ある場合には有効なんですけど、それをすべてに当てはめるとだいたいろんなことにならないっていうことがありまして。
そういう意味で結構メッセージ性があるようだなと思うんですけど、
それをあんまり表に出さずに、郵便屋さんの人柄というか。
なるほど。
品がいいんですかね。
そうですね。品がいいですね、まさに。
スピーカー 1
これ読んでると、俺の文章って下品なんだ。
スピーカー 2
下品ではないと思いますよ。
そこで言う品がいいの反対語は下品ではないと思いますよ、きっと。
下品と対比するのは上品であって、品があるとは違うんですよ。
対立構造が違うんですよ。
なるほど、そうですね。
ちょっとこういう品の良さを身につけるといいなと。
ここまでの話を振り返って思うんですけど、やっぱり考えるという行為そのものが棚上げなんですよね。
つまり行動しないってことじゃないですか、考えるっていうのは。
行動と考えるを再起したときに、考えてる間は行動してないわけで、
行動を棚上げすることで初めて考えられるようになるわけで、棚上げができない人は考えられないということになってしまう。
実際だから決断主義ってそういうことなんですね、要するにね。
決めなさい、行動しなさいっていうのはじっくり落ち着いて考えることをやめなさいということなので。
確かにそれは直感の力を生かす一番良い方法でもあるんですけど、それは結局システム一致に負けてしまうということでもあるんで。
だからやっぱりここは棚上げというよりも最近の流行りの言葉でいうとネガティブ・ケイパビリティーに近いと思うんですけど、
それをむしろ棚上げというバッドなニュアンスの言葉を転倒させているということが、本書の功能というか、博美であるんかなという気がしますね。
ありがとうございます。
スピーカー 1
そうですね、ネガティブ・ケイパビリティーって言っちゃうとなんかね、セクシティが高くなっちゃう気がするので。
スピーカー 2
カッコつきすぎますよね、やっぱりちょっとね、それは。
スピーカー 1
棚上げはみんなやってるっていうのもあって、じゃあ使い道というか使い所なのかなっていうところは思ってます。
スピーカー 2
実際、棚上げってちょっとやっぱり後ろめたさもありますし、その後ろめたさは多分持っといた方がいいと思うんですよね。
なんていうか、開き直ったらダメだと僕は思うんですよ。
例えば行動と考えることにしても、考えてばっかりのやつもダメなわけじゃないですか、やっぱり。
どっかで行動に移す必要があってっていうところで、あくまで棚上げという、そうやな、棚上げは棚戻しが想定されている言葉ですから、結局。
上げっぱなしじゃないわけで。
そういうメタファーが持つ、この棚上げという概念のメタファーが持つ特性と、この本書の内容がフィットしてるんで、
この言葉を見つけられたときは、実に頭にでかい伝統があったと思ったんじゃないかなと。
スピーカー 1
そうですね。
これで結構いろいろ書いてた内容が整理できるなというか、振り返りとかそういうやってることが上げてまた戻して、遠くから見て、そこでまた考えてとか、いろいろ自分の中で整理できる一言でしたね。
スピーカー 2
そうですね。棚に上げると距離を取れるという話もありましたけど、この辺もメタファーにあってますよね。
スピーカー 1
そうですね。やっぱり距離取らないと、まとわりついててよく見えないというか、それで結局焦っちゃうというか、そういうところがどうしてもあるんじゃないかなっていうところですね。
スピーカー 2
だから内容もそうですし、メタファーの勝利というところも感じますね。
そうなんだよな。やっぱりこの手の本はそういうメタファーをいかに捕まえるかがポイントかなという気はいつもしておりまして。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
例えばですけど、富山茂彦という人はそういうのが非常に上手いんですね。メタファーの名手と言ってもいいんですけど、それが科学的に正しいとかそういうのは一旦置いといて、読み手のイメージを喚起するメタファーを作るのが非常に上手い。
例えばアイディアを寝かせることとか、お酒を寝かすこととか、アイディアを組み合わせることとか、カクテルを作るみたいな言い方をするんですけど、一旦実態は置いておいてもなんとなくわかる感じがしてくるし。
あと、ワープロ作品技術という本ではアイディアを異形で魚を釣るという行為に取り入れていて、これも実践でどう応用したらいいのか一旦別にして、確かにそういうことあるよなという感じがするっていう。
結構日本の知的生産技術ってそういうメタファーの上手い人が書いてることが多くて、その系譜に一応つけられるんじゃないかなというふうにはちょっと思いますけど。
スピーカー 1
嬉しいですね。
そうです。寺山さんの方は結構前昔というか読んだりとかしたことも確かにあって、ハングライダーとか人間とかですよね。
スピーカー 2
そうですね。
執筆プロセスと棚上げ
スピーカー 1
そうですね。やっぱり影響はそういう読んだ本から起きてるのかもしれないですね。
スピーカー 2
たくさんがだからちょっと古いって言われてたらそういうニファンスがあるんじゃないかな、きっと。
古いって言うとすごくユニフィラー。クラシカルという言い方がいいですかね。
でもね、ちょっと古き良き姿勢の知識人な感じがします。元々。
なるほど。
棚上げで実際3年かけて書くっていう執筆のプロセスの中でも棚上げをしてるわけですよね。
棚上げってネガティブな響きがあると僕も前に言いましたけど、でも大事なことってこの本は出てるじゃないですか。
確かに。
だから棚上げして、プロセスの中で棚上げするんですけど、どこかの段階で木が熟したときに、その後は棚上げしてないんですよね。
棚上げが必要ない、この先必要ないということをそこではもうちゃんと決断してるわけじゃないですか。
そこで決断ができるっていうのは実は棚上げをして、プロセスの中に棚上げがあったからだと思うんですよね。
3年っていう期間でそういう意味があって。
決断主義と言うけれども、決断をするために必要な決断しない期間みたいなものも実は結構必要で。
だからやっぱりその最初の話で、締め切りがなくても完成させて本を出すということはすごいことだという話をしましたけど、
それ自体がなんというか、有効性も実は語ってるんですよね。
確かに。
ちゃんと出てるじゃないですか。
スピーカー 1
確かに。
延々に棚上げしてるわけじゃない。
スピーカー 2
延々に棚上げするのは棚上げじゃないんですよね。
さっきあげたものは下ろすから棚上げと言うんだよね。
だから下ろすことができるという、下ろす前提の棚上げですよね。
そうですね。
スピーカー 1
でも逆に言うと、後で下ろせるから今上げておこうと思えるのは心の余裕ってことですね、きっと。
棚上げして棚上げから戻せるっていう実感というか、できるんだって自信というかシステムというかわからないですけど、
そういうのがさえあれば棚上げしておけるなっていうのはやっぱりこれはもうタスク管理とかももろもろといろいろと通じると思うんですけど、
そういうところはやっぱりありますよね。
スピーカー 2
そうですね。だから例えばやることをメモしてリストにするっていうのは、これは棚上げなわけですね。
さっき送りという言い方もしますけど、棚上げなんですけど、それがちゃんとできるから一時的に忘れられるわけであって。
だから、物事との付き合い方の基本中の基本で、上げっぱなしでも下げっぱなしとかしたけど、持ちっぱなしでも上げっぱなしでもないというその王冠が肝なんでしょうね、きっとね。
スピーカー 1
そうですね。だからこう、こったような言い方をしてこうなんでしょうね、意外とはなんだ、言い方は当たり前じゃないですけど、いろいろみんなやってるようなことではあるんですけど、
そこを言葉を変えて再認識してもらえると、より使いやすいというか、道具として使いやすくなるのかななんて。
スピーカー 2
そうですね。だから自分なりの棚を作ろうというような指針でやっていければいいし。棚上げしているという感覚を持って各種リストを使うことは、たぶん心のヘルシーさにとって有効じゃないですかね。
タスクリストを、あそこ全てをやるための場所だと考えると、たぶん混乱する、混乱というか、より焦りが強まるんですけど、あそこは一旦預けたほうがいいなみたいな感じだと、もうちょっと心の気圧が下がるんじゃないかなという気はしますけどね。
スピーカー 1
そうですね。なんかちょっと距離を置くじゃないですか、あれはリストは全部やらなくていいんだというか、一回置いておくんだっていう、必ずやらなきゃいけないものはあれですけど、やらなくてもいいものっていうのも結構あると思うので。
スピーカー 2
そうですね。だからあれですね、棚上げ仕事とか、棚上げ思考、発想とかも同じその射程で言えると思いますけどね。
そうですね。たぶん、ただ同じ一生を割いて、簡単に誰でもできると思います。
まあ、ちなみにということは、もちろん次にまた新しいものを書かれると思うんですけど、新しい本へのアイディアみたいなものは既にあるのか、まだ熟成中なのか。
生活史の執筆
スピーカー 2
そうですね。どうしようかっていうのはちょっと考えてまして、同じような学習法とかそれでいくのか、あるいはもう他というか、一度記録とかあっちの方に戻ってというのは、たとえば生活史っていうのがあるじゃないですか。
スピーカー 1
で、ちょうど私の祖母が一応まだ90なんですけど、元気でやってるので、それの生活史を書いて、それをどうやったら書けるのかとか、これは全然アイディア段階なんですけど、生活史をどうやって書くのかとか、まあそういうの、これはたぶん簡単な、すごい短めの本にはなると思うんですけど。
あとは、あるいは本自体も一回置いて、たとえばもっとネット上にサイトを作ってみたいっていうほうがいいのかとか。
スピーカー 2
なるほどね、なるほど。
スピーカー 1
ちょっといろいろ悩み中というか考え中というか、いろいろ選択肢がありそうかなっていうと楽しみますね。
スピーカー 2
なるほどね。結構だから一つのプロジェクトが終わるたびに、さて次どうしようかみたいな新たに考え始めるみたいなスタイルで進まれてるんですかね。
スピーカー 1
そうですね、特に今回はそうですね。
スピーカー 2
まあでもそのライフヒストリー、生活史とか生活文化、個人の綴っていくというのは、当然日記の延長ですし、逆にライフログみたいな観点ともつながりますし。
結構僕の中でホットな話題ですけどね。どういうふうに自分っていうもののあれを残していくのかっていうのは、当然学校教育では教えてもらわないですし、職場で訓練することもないと思うんで。
個人の生活の技術ですよね、まさにね。
スピーカー 1
そうですね。しかも結構断片的に聞いてても、残しておかないと多分、覚えておられないというか、残せないそうなっていうのは結構あって。
そこは結構なんかこう、危機感じゃないですけど、残しておいたほうが絶対いいよなっていう。
はい、わかります。
っていうのがあるんですよね。
スピーカー 2
結構でもそれを本当に今後切実な、つまりデータが生成AIから生成されるような時代に、そこからでは絶対生まれてこない何かっていうのを個人が残していくっていうのは、現代的なニーズになっていきそうかなという予感はしますけどね。
スピーカー 1
そうですね。だから多分生活史のフォントが出てますし、やっぱり興味は結構強い人はいるのかなっていうふうには思いますね。
スピーカー 2
なるほどね。ちなみにそういった、これの本を書こうと思ったとして、というか一番最初に聞きたいんですけど、3年かかったわけですけど、一番最初に1年で出そうとは思ってました?
スピーカー 1
無謀に思ってました。
スピーカー 2
思ってたけど、無理やったら無理やり終わらすんじゃなくて、ちゃんと納得いくレベルまで続けたってことですね。
スピーカー 1
そうですね。半年ぐらいでちょっと危ないなっていうふうに。結局この3年です。もう1年経ってから納得できるところまでやって書こうっていうふうになりました。
スピーカー 2
なるほどね。やっぱりそこは個人やから、個人のプロジェクトから出てきますけど、感性っていうのを棚上げてきたわけで。
あえて聞くまでもないですけど、この本が自分が書いたことに対する満足度みたいなのは高いんじゃないですか、きっと。
そうですね。結構やっぱりいい本が書けたなというふうにはすごい思ってます。
本を3年かけて書いたらいい本ができるという話ではないにしろ。
ある程度納得できるまで、完全じゃなくてもある程度納得できるまで取り組むに時間がかかるっていうのは普遍的には多分言えるでしょうね。
スピーカー 1
そうですね。やっぱり1年で納得、ここまで満足はきっとできなかったと思います。
スピーカー 2
やっぱり新しい学び方そのもののノウハウというのは世の中にあるものだとしても、こうやって一つの新しい概念なシテーゼでまとめあげるっていうのは大きなクリエーションというか、
メイキングなので、時間がかかるし労力もかかるしっていうのは。
だからやっぱり拙速に仕事をしてしまうと、そういう大きな満足感が得にくくなるというのはトレードオフとしてあるわけで。
だとしたらやっぱり人生の満足度を一番上げるには時間をかけるしかないという、結局非コスパ主義になってくるわけですよね、これはね。
スピーカー 1
そうですね。難しいですね。コスパどうしても気にしなきゃいけない時も出てくるんですけど。
スピーカー 2
もちろんね。書き上げて満足度も低くて、読者からの感想もあんまりないってこれ最悪じゃないですか。
その時に自分の満足度を担保しておけば、少なくとも売れ行きとか感想はこっちのコントロール外じゃないですか、基本的には。
だからそこが一番おのれの幸福にとっては必要なことなんじゃないかなという気はしますけど。
スピーカー 1
そうですね。やっぱり書いてる間楽しいタイミングというか、いろいろあって進んでこれたので。
やっぱり書いてる最中も楽しくというか、もちろん書けないなーって時もあったんですけど楽しい。楽しい面も結構あったので。
スピーカー 2
よかったです。
ダッドセルフパブリッシングという感じですね。それがいいと思います、個人的には。
スピーカー 1
そうですね。なので、Kindleで出して。
あと、そうですよね。書いたので次じゃないですけど、今度は文学不利までしたっけ。
そういうのがあったり、ああいう参加したことないので、ああいう即売会みたいな。
ああいうのも紙だったら出してもいいのかなっていうふうにはちょっと思ったりとかはしちゃいますね。
スピーカー 2
先ほどの話で出てきた本があんまりボリュームがない、厚みがない本であれば、印刷して紙に本にしたらちょうどぴったりかもしれませんね、逆に。
そうですね。
中はたくさん残り、追加であります?
いろいろあるんですけど。いや、今の満足ってなんだろうなと思いながら聞いたんですけど。
どうやったら自分で満足できるのかなっていう雰囲気を持ってたんですけど。
たぶん、わかんないですけど、自分の能力の限界ってあるわけじゃないですか。
もちろん。
で、たぶん無理やり終わらせたんだけど、後から。でね、人の評価はコントロールできないじゃないですか。
悪い評価があったときに、まあでも自分の実力じゃこれ以上のものはできなかったなって思えるのと、
いやもうちょっと時間かければもうちょっと良くなったんだけどなっていう感じがしちゃうのってずいぶん違いますよね。
違いますね。
だから、これ以上時間かけることも物理的にはできるけれども、たぶんこれ以上やっても良くならない。
これ以上良くならないなっていう感じってなんかあるんですよね。
で、たぶんそこまでやったということなんじゃないかなっていう気が。
満足ってそういうことなんじゃないかなっていう気がちょっとしましたね。
やっぱ上を見ればキリがないから。
もちろん。
内容的に本当の意味で満足って自分ではなかなかできないと思うんですけど、
自分の能力に対してどこまでいってるかいってないかっていうのはなんとなくわかりますよね。
そうか。内容に対する満足と行為に対する満足があるのか。
ような気がしませんかね。
僕はその内容に対する満足あんまり考えたことがなかったので。
なんでやろうな。わかんないけど。
基本的に僕は満足っていうと行為のほうで。
だからほとんど僕のさっき言った満足は納得に多分置き換えても話は成立するんですけど。
納得できるかどうかというところで。
で、納得できること以上の満足はないと多分僕は考えてるので。
なぜならコントロールしきれるものじゃないと思ってるんやろうな。
書いた内容そのものはもう半分ぐらい僕のものではないという感じがしている。
極端なこと言うと降りてる?降りてきてる?神の降臨の降りるっていうようなものがあるから。
それは直接コントロールできないという感じが多分あって。
だからどんだけ従前に何かを尽くしたかというだけしか多分僕は見てないですね。きっと。
なるほど。
スピーカー 1
幸福論ってありますけど満足論じゃないですよね。
スピーカー 2
満足論か。
満足じゃなくて納得か。
そうだ納得って言葉使ってましたっけさっき。
僕はさっきは満足って言ってました。
でもそれは納得に置き換えても多分成立するいうことで意味として使ってたって感じ。
スピーカー 1
私もそうですね。納得が近いでも内容に納得するような。難しいですね。
著作の学び
スピーカー 2
納得が近いとは思うんですけどもしかしたら倉下さんと私でこの作品に対する最初のAI使わせるかどうかみたいなところがあったと思うけど。
スピーカー 1
私が内容になったら作品じゃないです。ある種自分の作品みたいなところがどっかに多分。
あってなら内容に納得するというかそういう満足するというかそういうところがちょっと違いとしてあるのかもしれないですね。
確かにそれは言われるまでは気づかなかったですね。
だからその表面的をそのコミュニケーションの中で必要に迫られて自分の本みたいな言い方をしますけど実感として自分の本という感覚はあまりないんですよね。
スピーカー 2
一番自分の感覚に沿う言い方としたら自分が書いた本とは言いますけど。
だからここも好意に注目してますねこの場合もやっぱり。
スピーカー 1
ああそうですね。
スピーカー 2
もちろん成果物で分析は僕があって著作権僕が持ってますけど、でも僕のものという感じではかなり薄いというのがありますね確かに。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
たくさんはどうですか?
割にどうでしょうね。ちょっと作品的な意識が強いかもしれないですけど。
だからといって自分のものかというとそうじゃないという感じもよくわかるというか。
結局真っさらの自分の中から出てきたものじゃないわけじゃないですか。
読んできたいろんなものからできているわけで。
だからそういう意味で自分のものかというと自分のものじゃないですよね。
ただこのような形で配置したのは自分という意識はすごく強くあるかもしれない。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
やっぱりね、もっと良くなったはずなのにというのが僕で一番嫌なんですよ。
そうか。
某本でそれがあったんで。
なるほどね。いろいろあった結果としてね。
まあでも僕が聞いた話で感じたとしても、
結構たくさんのコントロールを超えたときの部分の影響が強かったような気はしますが。
そうですね。あんまりそこにありましたくないですけど。
そのほかっていうことよりも、
自分の実力がここまでしかなかったならそれは全然しょうがないことなんですけど。
まあ実力というか、これ以上良くならないと思えるんだったらいいんですけど。
とはいえね、そこまでできるということは世の中にはむしろほとんどないので。
ないと思いますね。
唯一締め切りがないセルフパブリッシングというのは、それができる、でき得る数少ない状況なので。
だから余計そこを追求したくなっちゃうのかもしれないですね。
確かにね。
まあ難しいですね。
少なくとも僕は自分が昔書いた本を読んで、今ならもっと上手く書けるとは思いますけど、
そのときもっと上手く書けただろうみたいな、何ていうの?開墾?後悔?何やろう。
なんか言い難い感じを覚えることはあんまりないですね。
でき不できってそのとき自分の状態がどうやったかも強く影響されるわけじゃないですか。
精神的に健康やったかどうかとかいろいろあって。
結構アウトコントロールのことが多いなと多分思ってるからでしょうね、きっとね。
結局昔の本を読むと自分の文章の下手さをかけるにあきらかることが多いですからね。
本なんで物書きしているなというふうに思いますが。
セルフパブリッシングの考察
スピーカー 2
結構あれですね、いろいろスタンスが違うというのは面白い話ですけど。
でも今回の全体として一つ得られた教訓というか話があって、
セールスパーマレッシングで3年以上かかってる企画はちょっと考え直せっていうのは一つ大きな指針じゃないかなと思う。
再現ないじゃないですか、結局いつまでやろうと思う。
3年過ぎてたら一回ちょっと仕切り直そうっていうのは指標として僕は結構機能する。
だって短すぎないし長すぎないし、いい塩梅じゃないかなと思いますけど。
でもそれを超えると画線長すぎる感がしてきますよね。
多分ですけど3年経つと発想の主体としての事故が、
もう多分別陣ぐらいの感じになってるんで、スタート地点から。
やっぱりその後の方がどんどん大きくなっていく気がしますけどね、それ以上続けたら。
長編作家が数年かけて一冊の本を書くって、僕すごいなと思うんですけど。
よくそんなことできるなと思うんですけど。
精神の強度をずっとその間保っとかなあかんわけで、
事故の変容もそんな大幅に変わったらあかんわけで、
スピーカー 1
なんか並々ならぬ努力あるんだろうなと思いますけど。
そうですよね。
その時体験したことをそのまま入れちゃったりとかもするんですかね。
体験というかテンションというか、それもまあでも長編だったらしないですかね。
スピーカー 2
もっとトーン、書いた後書き直すときにトーンを統一するってことは多分すると思いますけど。
一つのコンセプトから始めて、奥さんのコンセプトがいいと思ってる自分がいるわけじゃないですか。
それをずっと維持してるわけですよね、数年間。それはすごいなと思いますけどね。
スピーカー 1
そうですね、確かに。
しかも締め切りとかそういうのがあれば最初でほとんど固められるわけですもんね。
そうです。それはたぶん私は無理そうですね。私も。
スピーカー 2
はるきさんとかは締め切りなしで好きなように書かれるタイプですから、また話は別でしょうけど。
スピーカー 1
やっぱり物事を長く続けていくっていうのは別種の力がいりますね、なんとなく。
スピーカー 2
文学とかだったらその間の変容自体もその中に取り込んでしまい得るものだと思うんですけど、
たとえばポップミュージックとかのジャンルで、
15年前のヒット曲と似たようなものを今でも求められるのはつらいんだろうなーみたいな。
それはつらいと思いますね。
アーティストによっては違うみたいですけどね。スピッツはむしろ喜んでるみたいですけど、
いくらでもロビンソンを歌っていくって言ってはなりましたけどね。
ハルフィーとかもそうですよね。
そうですね。古典になってますよね、そういう在り方が。
まあまあ一つそれぞれでしょうけど。
僕は秋っぽい人間なんでね。
ほんまに3年どころかという話なんで。
ある程度の自分の付き合えるスパンがあると思うんですけど、
何か尺度は持っていたほうが、セルフパブリッシング的な行為の場合は多分いいだろうなと。
締め切りももちろん重要ですけど、見切りタイミング、考えなすタイミングの線引きを持っていたほうが、
5年10年続けていく上では多分有効かなと思いますね。
そうですね。
作品の価値と告知
スピーカー 2
これも人によりますけどね、最新のニュース集めてきて本にするタイプの人は全然こんなの気にしないでしょうけど、
なんか自分の井戸を掘るタイプの人は結構大きな問題なんでね、これは。
そうでしょうね。
というところで、とりあえずKindle Unlimited読み入れますし、
定価いくらでしたっけ?
スピーカー 1
確か700円。
スピーカー 2
すいません。
ごめんなさい。
スピーカー 1
700円台。
スピーカー 2
700円ですね。
700円なんで、ぜひKindleでチェックしてください。
このポッドキャストを聞いている人は多分普通に面白いと思うので、
間違いないと思います。
僕が言った棚上げのダブルミーニングに驚いてください。
というわけで、どうしようかな。
この本の感想とかございましたら、
ハッシュタグ打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルファベットキャストまでいただければと思います。
2人何か告知しないこととかございますでしょうか、たくさん。
今はないです。
郵便屋さんなんか本以外にあります?
スピーカー 1
もうこの本ね、十分ないです。
スピーカー 2
ぜひ本を読んでいただくというところで、今回はおしまいしたいと思います。
おつかれさまでした。
スピーカー 1
ありがとうございました。
01:23:06

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