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2025-05-08 1:35:24

第百七十三回:Tak.さんと文章はどこで書かれているのか?

サマリー

第百七十三回では、文章制作におけるエディターの役割やマルチウィンドウ機能、オブシリアンといったツールの可能性について議論されています。特に棚揚げ学習法が取り上げられ、その概念と実践方法が紹介されています。GTDの歴史とその変遷を振り返りながら、現代におけるGTDの意義や実践について語られています。特にデジタル環境の変化や日本の組織文化におけるGTDの適用について考察が行われています。 このエピソードでは、文章作成のプロセスとその方法について探求されています。特に梅澤太郎のコザネ法を通じて、文章が実際にどのように頭の中で構築されるのかが議論され、知的生産者が文章を書く際の異なるアプローチについて考察されています。Tak.さんとの会話では、アイデアを出すプロセスと文章を書く過程の違いが議論されており、特に知的生産の技術においてメモやカードを活用することの重要性が深く掘り下げられています。 さまざまな方法論が議論される中で、特にルーマンのカード法とその生産性について詳しく語られており、著述のスタイルや書くプロセスに対する個々のアプローチの重要性も強調されています。著述活動や文章執筆のプロセスについては、特に梅澤のカードとブログの関係が考察され、リニアな文章の重要性やデジタルツールが文章制作に与える影響についても議論されています。 また、スタイルや独自性、情報を受け取る体験の重要性についても触れられています。加えて、現代の文章執筆におけるAI技術の影響についても言及されています。

エディターの役割と機能
スピーカー 1
うちあわせCast第百七十三回ということで、
今回もゲストにたくさんお迎えをしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いくつかたくさんニュースがあるんですけど、
もう細かいところは全部概要ページにリンクを貼っておくんで、
見てもらえたらいいんですけども、
エディターのお話を前回したんですが、
私の理想の文章、ギターという感想を書いていただきまして、
ずらずらと見てもらったらいいんですけども、
だいたい似たようなイメージで、
やっぱり文章を書くときには複数のエディターというか表示領域があって、
いろいろ本文以外にもメモとか資料とかが閲覧できたらいいなというのは共通しているようで、
スピーカー 2
ある程度スクリブナっぽいものにはなっていくんだろうなと思うんですけども。
スピーカー 1
でもあれが完成形と、
Ulyssesも一応複数エディターを開くことはできるんですけども、
やっぱりちょっと2個、3個というようなことにもならず、
多分配置の自由度もそんなに高くはなかったと思うんで、
やっぱり個人的にはマルチウィンドウが必要で、
そのマルチウィンドウはどうもタブが横に並んでいるだけのことではないような気がするんですよね。
複数のウィンドウが自由配置で、
かつ大きさもそれぞれに違う、
あるいは自分でサイズ変更できるようなものが多分このマシンじゃないかなというイメージがありますね。
そうですね。
スピーカー 2
あとその複数の物事が表示できるという面と、同じものの複数のゲームという、
多分その2種類があって、
それを結局、スクリブナーみたいに決まった表示領域に作っちゃうとどんどん各画面が狭くなってきちゃうんですよね。
だからやっぱり先人の知恵としてのごく普通のマルチウィンドウというものにもう一度光を当ててもいいんじゃないかなという気がしてしまうんですけど、
でもそれ嫌いな人結構いますよね。
スピーカー 1
まあ煩わしいというのもあるでしょうし、
まあその本文だけが身に入るほうがいいということももちろんあるでしょうから。
だからシングルで使いたいときはシングルウィンドウだけで、必要に応じてマルチを開けるというタイプがよく、
スピーカー 2
そう考えるとね僕は結構オブシリアンありじゃないかなと最近思うんですよ。
ああ、なるほど。
スピーカー 1
オブシリアンは一応マルチウィンドウで開けるようになってるんで。
僕の使い方やと、メインのウィンドウをインデックス側にして、
そこからポップアップで文章を書く領域を表示させるという形をとっているんで、
スピーカー 2
いわゆるファイルエクスプローラーを使わないんですよね。
ということはどういうことかというと、アウトラインもページの一つなんで、一枚のファイルになっていると。
スピーカー 1
当然それはリンクを使うことで現行ファイルにもアクセスできるし、
アウトラインに直接メモも書けるということで、ファインダーじゃない機能があるわけですから、
スピーカー 2
使い方によってはいけるんじゃないかなと最近試行錯誤しているところです。
あれですもんね、プラグインでちゃんとしたアウトライナーも使えますし。
提示化の必要性
スピーカー 1
そうですね、アウトライナーというのとZoomというのを2つ入れると、
スピーカー 2
いわゆるプロセス型に近い使い方ができるという話は聞いてますね。
実はオブシリアンなんじゃないか疑惑が。
スピーカー 1
しかもファイルがマークダウンMDなので、
いわゆるこれまでのファイルに対するスクリプトが全部活かせるということもあって、
オブシリアン単体でというよりは、オブシリアンプラスプラグインとか自分のスクリプトをうまく駆使することによって、
スクリプトなど同程度とまでは言いませんけども、似たような環境。
ファイルをエンベッドっていうのができるんで、
例えばファイルを分割して書いてても、
統合的にそれを一つのファイルで並べて閲覧っていうことも一応できるんで、
まあ一つ可能性はあるかなっていうのをちょっと考えてますね。
ありますね、あると思うんですね。
感想系で言うと、
ノートでパーマネントノートとは何かという記事が書かれておりまして、
こちらの第163回やから10回前くらいかな。
スピーカー 2
割に最近。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
僕はカード法のカードには定税が書かれなければならないんではないかというような発見をしたみたいな話をした回やと思うんですけど、
スピーカー 1
この記事でもやっぱりそういうことかっていう納得があったということが書かれていたんですけど、
やっぱしね、定税を書くっていうことを誰も教えてくれなかったんですね、やっぱり。
スピーカー 2
まあ論文の文脈でしか言われないですよね。
スピーカー 1
例えばそのテイクノート、ハウトテイクスマートノートでも、
特に翻訳されたテイクノートのほうでも、知的清算な技術でも、
カードを一言で表せるようなタイトルを書けみたいなことはあっても、
スピーカー 2
それが命題になっている必要性っていうのは書かれていないんですね。
スピーカー 1
思うんですけど、研究を実践している人にとって、
問いをどう扱うかっていうのは、前提の前提というか、それが研究ということですから、
その問いに立ち向かうということが研究の活動なわけですから、
スピーカー 2
説明すると、説明の必要があるということすら多分概念にない。
僕らは大学の学生として知的活動を行ってるわけではないので、
スピーカー 1
そうすると、提示が必要ってあるってことを改めて言ってもらわないとわからないということは、
こういう発見を後からする人が多数出てくることを考えても、
スピーカー 2
やっぱりこれ言っとかなあかんことじゃないかなというのはちょっと思いましたね。
その回でもたぶんそういう話になったと思うんですけど、
その提示が必要ということに対して、
確か僕が基本的には同意しつつも100%、
そうですよねっていう感じじゃなかったんですよね、確か。
スピーカー 1
提示以外を書いてはいけないってことではないと思うんですもちろんね。
ただ、カード化する上で提示にできないかどうかを考えてみる。
スピーカー 2
というか、選択肢の中に提示が入ってなかった、それまでに。
スピーカー 1
ある考えをまとめてみて、これを提示としてちょっと主張してみる。
っていう形式を一つ選択肢として加えるためには、
スピーカー 2
少なくともこういうのもあるよということを言わなあかんでしょ。
スピーカー 1
それはあんまり言われてこなかったんじゃないかなという気がしてるんで。
だから、みんな論文を発表しようというのではないですけども、
思考を進める一つのメソッドとして、
提示化してみるというアクション、パターンを取り入れてみるっていうことを提案してみるのは、
アカデミックな人たちが当たり前としている作法を一つ盗むというか、
取り入れるという方策としていいんじゃないかなという感じですね。
僕だけが新たに発見したことじゃなくて、
そうだと気づいてなかった人は他にもいるんじゃないかなというのは、
この記事を書いてもらって思いましたね。
スピーカー 2
そうですね。
でもたぶん、どんどん拡散していっちゃっているときに、
その提示として挙げられないかっていうことを考えることが、
収束させるきっかけの一つになるというか。
棚揚げ学習法の紹介
スピーカー 2
そういう、よくアウトライナーでもそうですけど、
カードでもどんどん拡散するままになっちゃって、
収束できないっていうときに、
この話が頭にあると結構違うかもしれないなとは思います。
スピーカー 1
確かにね。
だからねじ締めとしての提示化というのと、
あと逆に広げていくためのいろいろな状況に応じて、
使えるカード化の技法を複数列挙できたほうが、
知的生産が進みやすいんじゃないかなという感じですね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
でもこういう記事はいいですね。
自己意見出てよかったです。面白かったですね。
出されている結論とか仮定に自分が知っていることが含まれているとしても、
やっぱりそこで流れている施策のプロセスそのものを読むのが楽しいというのがありますね。
そうですね。
前回に対してのコメントをいただきまして、
梅沢太郎とルーマンのカード法をミックスした方法を紹介している
スピーカー 2
ウェブサイトが面白いぞというような話をしたと思うんですけど、
スピーカー 1
同じ方がノートにも記事を書いてますよみたいなコメントをいただいてチェックしたんですけど、
確かにノートに記事があって、
2ヶ月前に1個だけ上がっておって、
その後続くかどうかわからないけど、
情報カード思考術、梅沢太郎の兄弟式カードとニコラスルーマンのゼッテル合戦という記事が1個だけ上がっております。
そういうノートのアカウントがありまして、
そのリンクは貼っておくんで、また気になる方は見ていただいていいんですけど、
2ヶ月前から次の記事が出てないのが気にはなるんですけど、
増えていったらいいんですか。
スピーカー 2
あれ、この記事の方は……。
これ知ってるな。
知ってます?
あれなんかこれ、ツイッターか何かでいただいたような気がする。
スピーカー 1
僕が当てじゃなくてたくさん当てのリプライで見かけたんですけど。
そうですよね、あの人。
スピーカー 2
打ち合わせキャストの英語さんに引っかかったんで、ピックアップさせていただいたんですけど。
じゃあ前回話した記事はこの人だったんですね。
スピーカー 1
たぶん同じ人だと思います。
同じ人で、掲載場所がノートベイのサイトとこっちのノートでも……。
たぶんノートでもやっていこうという感じで書かれてるというのだと思いますけど。
スピーカー 2
あ、そうなんですね。完全に勘違いしてました。
そうだったんだ。
あーわかる。すいませんすいません。
2回3回が出てきたらいいかなと思ってノートでチェックしてるとこですね。
オブシティアンの論文とかたくさん書かれてる方ですよね。
スピーカー 1
それはたぶん違うと思いますよ。
スピーカー 2
違う?
スピーカー 1
たぶん違うと思いますよ。
スピーカー 2
このもともとの記事をあの方が書いた人がこういうことも書いてますよという紹介だと思ってましたけど。
スピーカー 1
やばい、何かを勘違いしてる。
スピーカー 2
このタイトルですから、もともとのウェブサイトを書いてた人がノートでも書いてるよということを教えてくださったというふうに僕は把握しましたから。
そうか。そうとも読めますねって言われてるんですかね。
あーそうか。
スピーカー 1
初めて言いますがちょっと私が始めたのか、あの方も初めて言いますようなのかちょっとわからないですけど、
スピーカー 2
たぶんそういうことだと思うんですね、タイトルの付け方が。
スピーカー 1
なるほど。失礼しました。
そういうとこで。
ニュースがどんどんあるんですけども。
郵便屋さんが新しい本を出されまして、
忙しくて学べないと焦っているあなたのための棚揚げ学習法ということで、
僕もちょっと下読みで軽く前もって読ませていただいたんですけど、
棚揚げ学習法っていう言い方が僕はすごいいいなと思うんですが、
棚揚げって基本的にネガティブなニュアンスで使われる言葉ですけども、
その棚揚げっていう考え方を使いながら学習していこうということなんですけど、
そもそも例えば学ぶとは何かとか分かるとは何かっていうことをちょっと
背中で確認しつつ、
学習していうことをこういうことを意識して進めればいいんじゃないですかっていうことが、
郵便屋さんの視点で論じられているというところで、
文章としては平易ですけど、結構ちゃんと試行され、試作の過程が書かれている面白い本ですし、
僕は棚揚げ学習法の棚揚げっていうのはある種の有言化というか、
諦めというと違いますけど、何もかもを自分一人で抱え込むんじゃないというような、
いわゆるマッチョな自己啓発とは逆の考え方で、
でもかつやっぱり自己を啓発していこうというアンビバレントな様子があるものだと思うんで、
こういうノウハウ書は個人的には好みですね。
リンクにも初めにの全文が公開されているので、
気になる方はそっちの記事を読んでもらうか、
確かKindle Unlimited対応している本なので、そちらでも読めると思います。
スピーカー 2
今だいたい3分の2ぐらいまで読んだようですね。
GTDの進化と現代の意義
スピーカー 1
なかなか落ち着いた感じのある、文庫とか新書とかに入ってそうな内容の良い本だと思いますね。
スピーカー 2
郵便屋さんの人柄が忍ばれる感じですね。
スピーカー 1
結構完成まで時間がかかったっぽいんで、
スピーカー 2
またお話を伺えたらいいなと思ってるんですけども。
スピーカー 1
本なんですけども、この前びっくりしたんですけど、
初めてのGTDストレスフェイの整理図が真相版で出るということで、
真相版って何やねんって思ったんですけど、
まだ田舎の本屋には配本されてないので、実物見てないんですけど、
多分内容はそんなに変わってないと思うんです。
結構時間が経ってますし、
ここの出版社はGTD本、電子書籍で出してないんですよね。
全部紙の本だけなんで。
だからもう入手しようと思っても、入手できないっていうパターンもあるんでしょうし。
改めて人気の本をっていうことだと思うんですが、
読んでないでなんとも言えるんですけど、
やっぱり現代、この2025年において、
GTDの意義をどのくらい認められるのかっていうことは、
本の内容とはまた別に再検討したいなっていうところと、
歴史ですね。GTDが流行ってた頃から今に至るまで、
GTDっていうのがどう扱われて、どう変化してきたのか。
あるいは機能不全に陥ったとしたら、
それが何が問題だったのかっていうところ。
多くの人が指摘するように、スマートフォンの登場の前後で、
GTDの意味合いっていうのは変わったんじゃないかっていう指摘はいろいろ聞きますけど、
その辺の整理もやっぱり必要だろうなと思うんで、
改めて節目として考えるのはいいと思うんですけど、
でも思ってもストレスフリーっていう言葉、
この本が出て以降、いろいろな本でこの言葉を見かけたと思うんですけど、
最近のビジネスで全く見ないんですよね。
ストレスという言葉すら見かけないですね。
スピーカー 2
そう言われてみれば、確かに。
スピーカー 1
なんかもう、関心の軸、そっちじゃなくなってる感じがしませんね、思うの。
スピーカー 2
うーん。
スピーカー 1
どっちに向かってるのかはわからないですけど。
スピーカー 2
そうですね、確かに。
スピーカー 1
でもなんか、すごい忙しいもの、状況を心穏やかに過ごすことは、
ファーストプライミングではなくなってるんだろうなっていうところですね。
スピーカー 2
忙しさの質が変わってしまったということもあるし、
でもこれ今気づいてみたら、もうあれなんですね、
GTD本は改訂版が出てから10年経つんですよね。
スピーカー 1
そうです、改訂版、新しい本の改訂版が出てからもう10年が経つんです。
スピーカー 2
3年ぐらいだと思ってました。
スピーカー 1
いや、本当に間を感じないぐらいに、
何もラディカルな提案がなされていない、10年において、正直なところ。
タスクシューターもほとんど同じ古い時代からあったわけですから、
仲間ぐらいの感じで言うと、GTDの第2、第3世代みたいなものがない。
仕事を体系的にまとめていくノウハウみたいなものの関心がないのか、
知見が育ってないのかちょっとわからないですけど、
多分普通にみんな同じことを失敗して同じことを繰り返すことを、
5年とかの単位で20歳になった人が5年間で失敗したことを、
次の20歳がまた5年間で失敗するっていうことを、
繰り返してるんじゃないかなっていうふうに思うんですけどね。
スピーカー 2
そうですね、それだけずっとこの時代に20年経ってもずっと、
手に取られ続けているという意味での魅力という構成は、
確かにあるんだろうなと思いますし。
スピーカー 2
ただ、そうなんですよね。
そもそもアナログ前提の手法だったということの、
スピーカー 1
それこそ想像力の問題なんですけど、
スピーカー 2
そこを意識せずに今のデジタル環境の中に、
これをまたポーンと放り込んじゃったときに、
むしろストレスを生み出しているみたいなことになりかねないというか、
前も言ったと思うんですけど、
GTDのアプリと称するものが全然、
そのGTDの思想を体現していなかったりとかっていうこともあるんですよね。
典型的なのは、プロジェクトを細分化したものがタスクっていう扱いになっちゃう。
実はデビッドアネはそんなこと言ってないという問題であるとか、
そういう声ってたぶんいろいろあったはずなんで、
その辺が反映されているのかいないのか、
たぶんないんでしょうね。
スピーカー 1
たぶんないと思いますね。
情報が発生する場所がメーラーだけじゃなくなっている以上、
スラックとかGitHubとかフニャララフニャララとかってあってて、
一回じゃあわざわざ一つ集め直してからやるっていうのが、
どこまで整合的なのかもわからないですし、
でも確かにそれぞれになろうという志そのものはもちろんいいと思うんですよね。
知的な作業をするときに負荷が大きいのは困るから何とかしようっていうコンセプトそのものは継承しつつ、
批判的継承っていうのが思想とか哲学でよく言われると思うんですけど、
それがやっぱりなされていない感じがしますね、なんとなく。
スピーカー 2
やっぱGTDがすごかったのって、
このGTDが提唱された1999年頃とか2000年頃の当たり前だとされていた仕事の進め方に対して、
一種のアンチテーゾンを示したわけですよね。
で、結局その仕事の流れじゃなくて、情報の流れに沿ってフローを作れと言ったわけですよね。
そういう言葉は使ってませんけれども。
現実の個人の仕事のフローってこうなってるよねっていう。
実際にはみんなが思ってる流れと現実の仕事のフローが違ってるから大変なんだよね。
だからそっちに合わせた方がいいよっていうことを言ったと思うんですけど、
その時点からまたそのフローは変わったわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
それに対してデビッド・アレンさん本人も何も言ってないわけじゃないんですけど、
依然として現代も有効だとは言い続けという感じはしていて。
GTDの新刊と日本市場への影響
スピーカー 2
だからそうなんですよね。
実際のフローがどう流れているのか考えろよっていうところは永久におそらく有効だと思うんですよね。
そりゃそうです。
だからもはやGTD自体が古典になりつつあるわけで。
確かに。
そうなんですよね。古典だと思って読むのか、新しいものとして現役のものとして読むのか。
現役じゃないことは全然ないんですけど。
スピーカー 1
そうですね。
ちなみに7月にチーム編っていうのが出るんですね。
これからのGTDストレスフリーの仕事術チーム編っていうのは新版です。
新しい本ですね。
スピーカー 2
デビッド・アレンさんが書いた。
スピーカー 1
エドワード・ラモントっていう人の教授らしいんですね。
組織におけるGTDの活用というところが論じられるそうなんですよ。
スピーカー 2
やっぱしGTDって個人のパーソナルな。
スピーカー 1
言ってみれば、プロフェッショナルで一人で自分で仕事をする人向けのタスク管理術、情報整理術という位置づけだと思うんですけど。
その本では私の手はチームとしてどうしていくのかというところが論じられるらしく。
実際的にGTDを使う人、仕事術を使う人っていうのは基本的に組織に属している人の方が数が多いわけですから。
スピーカー 2
実践的に言うとこっちの方がおそらく役立つはずなんですけども。
スピーカー 1
ここで想定されているチームはおそらく欧米のチームなんでしょうね、きっとね。
スピーカー 2
そうでしょうね。
スピーカー 1
日本の組織でそれがどこまで役立つのかは、個人の役立ち方にも違いがあると思いますけど、
たぶん組織のほうが余計に違いがあるというか、
日本ではほとんど役に立たない可能性があるんじゃないかなと思い、
ちょっと内容は気になってますけど。
音声技術と情報消費の変化
スピーカー 2
気になりますね。
スピーカー 1
まあ日本といっても今はさようですけど、どうでしょうね。
職務と責任っていう考え方が日本の職場とアメリカの職場であったら大きく違うと思うんで、
ジョブなんとかが日本はないですから、ジョブディスクリプションかな。
職務規定っていうのが、こういう仕事だけしてくださいっていう規定が日本ではない以上、
割り当てられた仕事をすべてこなしたら新しい仕事がやってくる。
そういう根本的なことを動かさなきゃいけない。
ストレスフリーにはなりようがないと思うんで。
そのとおりですね。
もしもこれがその考え方が日本でも使えるものだったら素晴らしいと思いますが、
中身を見てからですけどね。
だから本当に現代のビジネスパーソンに役立つのは、
職場での自分の仕事の割り振り方っていうのをアレンジメントしていくものであるということが多分必要なんで、
スピーカー 2
そこに役立つ知見が含まれてたらいいなと思いますね。
大手でもかなり仕事の形というのは変わってきていると思うんですけども、
そのあたりもどうでしょうね。
デビッド・アレンさんも動画とかを見る限り、
最近お年を収めされたなという感じが最近しますが。
それ自体は全然内容とは関係ないことですけど、
それこそ日曜問わず、若くて今の最前線にいる人が、
このGTDもしくはデビッド・アレンさん的な発想に対してどう捉えるのかっていうのはちょっと興味もあるし、
どうなんだろうなと思いますよね。
僕もやっぱり今の最新の環境に対して果たして物を言っていいのかという感覚は、
すごい強いんですよね、最近。
ただ普遍的なことは普遍的なことだし。
スピーカー 1
難しいなと思いますよね。
そうですね。
この辺の兼ね合いも、本の中身を見てからまた言うとは思うんですけど、
懐かしい本でいうと、仕事は楽しい兼ねっていう本も新版で出るんですよ。
これ真相版とか書いてないんで、表紙見たらだいぶデザインが変わってたんですね。
普及版というか、昔のほうはおとぎ話の1ページ目みたいな感じの表紙なんですけど、
センターのおじいちゃんみたいな人が表紙に写ってるやつなんですけど、
スピーカー 2
もっとポップな感じになってるんですが、あれと思って見たら版元が変わってるんですね。
スピーカー 1
旧版のほうはキッコ出版というとこから出てて、
自己啓発系の本を複数出してる出版社だったんですけど、
スピーカー 2
キッコ出版のウェブサイトにアクセスできないんですね。
スピーカー 1
実際どうなってるのかわからないですけど、
経営がもしかしてどっかで続いていなかったのかなと思って、
今回はエイジ出版から出るらしいです。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
いろいろキッコ出版が出た自己啓発書の多くはザ自己啓発書なわけですけど、
この本はちょっと軸がずれた自己啓発書なので、
この本だけが引き継がれていくんだなと思いました。
僕はちなみにこの本が大好きですね。
スピーカー 2
ここからそういうものに入ったって人は結構いるでしょう。
スピーカー 1
そうですよね。大いに売れた本だと思いますね。
7つの習慣はだめでもこの本はいけるというタイプの人は多分多いと思います。
軽い話ですけど、GoogleのNotebook LMっていうのがありまして、
自分がドキュメントをあげたらソースに答えを返してくれるというような、
まとめてくれたりするというようなサービスなんですが、
音声でまとめてくれる機能があったんですけど、
今まで英語オンリーだったのかな。
つい最近日本語も解禁されまして、
あげた資料を2人で喋る音声に概要してくれるんですね。
ほぼポッドキャスターなんですよ。
しかもほんまにわからないです。
ちょっと伝わらないポッドキャスターより喋るのがうまいです。
スピーカー 2
聞こえる。
われわれよりうまいです。
スピーカー 1
あいつの打ち方もものすごく自然ですね。
じっくり聞いてたら例えば、
5分に1回ぐらいなんか変やなっていうところはありますけど、
でも普通に例えば喫茶店で流れてきても
ラジオ流れてるような感じぐらいのナチュラルさです。
スピーカー 2
ほんとびっくりしますよ。
スピーカー 1
どう使うかは別にして、
やっぱり文章を読むよりは聞くが
もっと強まっていく傾向にあるんかもしれないですね。
スピーカー 2
そうでしょうね。
文章の書き方の探究
スピーカー 2
びっくりしましたわ。
スピーカー 1
まだまだ話題にあるんですが、
もうさすがにないから読むか。
これまた後回しにして。
今回のメインですが、
文章はどこで書かれているのかというお題を思いつきまして、
それについて喋りたいと思うんですけど、
というのもですね、だいぶ前にノートにたくさん書かれた
梅澤太郎がカードとかについて言及していたみたいなところの話題なんですけど、
梅澤太郎は知的精査の技術において、
カードを使った思考蓄積法、思考展開法みたいなのを前のほうに書いてまして、
後半の文章を書く、原稿を書くっていうところに
コザネという名付けられた紙編を使う方法を2つ開示しているんですね。
僕の観察した印象やと、この2つはごっちゃに知っている方が多いんですよ。
カードに書いて、入れ替えて文章を書くことが書かれているという風に
思われている方が多いんですが、
この2つのカード編を使っているところは一緒ですけど、
頭の中での文章構成
スピーカー 1
この2つの方法って全然違うぐらい違うんですね。
ちなみにもう1個言うと、河北二郎の経済法も何かそれっぽいことをするんですけど、
それも違いますね。
スピーカー 2
違いますね。
スピーカー 1
この3つは全部違うことをやってるんですよ。
それはいいんですけど、その後半のコザネ法っていうのがありまして、
どういうものかというと、名詞かそれより実際ぐらいの紙編に
今これから文章を書こうと思っているその主題について
思いついたことをスラスラと書いていくと。
1枚の紙に1個のフレーズぐらいを書くと。
それをバーって紙編に書き終えた後に、
何か違しいなと思うものをくっつけていって話題の塊にすると。
その塊を今度はまたさらに並び替えて話の流れを整えろって文章を書く
スピーカー 2
というようなテクニックと説明していいと思うんですけども。
スピーカー 1
僕はこれずっとカードを使って文章を書く方法だと思ってたんですけど、
たくさんの記事で実はそうではないのではないかと。
空で書くって言うと日本語で言うと伝わりにくいと思うんですけど、
頭の中で文章を組み立てるということをすることをサポートしているのではないかと。
あくまで文章を書いているのは頭の中であると。
紙編っていうのはそれをサポート、アシストしているものであるという位置づけとして
ここが解釈されていると思うんですけど、
それを聞いてそうやなって思ったんですよ。
僕も実際に似たようなことをするんですけど、結局文章は頭の中にあるんですね。
あれやってるときって。
その外部化されたアウトラインとか原稿用紙とかに文章が存在してるんじゃなくて、
あくまで文章は頭の中にあるんですね。
その組み替えとか補助をするために紙を使っている。
だから文章を紙の上で書いてるわけではないんですね。
紙を並び替えて紙上で文章を構成しているわけではない。
説明がどれだけ分かってもらえるか分からないですけど。
全ては頭の中にあるんですね。
僕の場合で言うと、紙編が3つで済むような量の文章の場合って紙編がいらないんですね。
紙編がいらないってことは、それは頭の中に書いてるってことなんですよね。
だから基本的に頭の中で書けるけども、ちょっとボリュームが多いとか順番がややこしいから、
一回補助的に書き出しておこうというぐらいの位置づけ。
これが小谷法やなと思うんですけど。
僕が仮にその場合、頭の中で基本的に書いてるとして、他の人はどうなんだろうと。
他の人というか、あるいはもっと広く知的生産者の全般は、
どこで文章を書いてるのかというところが疑問になったわけですけど。
ここで言う文章というのがどういうものかはさておき、
スピーカー 2
たくさんが、「文章はどこで書かれてる?」という感じがします。
まさに倉下さんが言われたことなんですけど、
僕は文章そのものを紙編に書くんですよ。もし紙編を使うとすれば。
もちろん頭の中にあるんですけど、
そのあるものを紙に書き出そうとしちゃうんですよ。
だからアウトライナーを使うときもそれをやっている。
書いたことを読んで、読み返して、
これはこっちじゃなくて下じゃなくて上だなとか言いながら、
書かれたことを動かすことによって、
もう一回読んでっていうのを繰り返しながら書いていく感じであって。
それが僕にとっての編集なんですよね。
この梅沙夫さんについての記事を書いたのは、
結局梅沙夫さんがワープロについてどう考えていたのかっていうことを調べているときに、
ワープロ編集機能が大事だと。
80年代の前半に梅沙夫さんは言っていたわけですけども、
さすがだなと思ったんですけど。
でも後に梅沙夫さんは目を悪くされて、
直接自分で画面を見ながら書くということができなくなって、
口述筆記をするようになるんですけど、
そのことについて語っているときに、
自分は昔から空で、頭の中で文章を書いていたんだというふうに言われたんですね。
それを読んだときに、「いや、コザネ法って言ってたじゃないかよ。」って思ったんですよ。
改めてしゅれきせいさんの技術のコザネ法のところを読み返したときに、
異変に文章の断片を書いて組み替えるなんて全然書いてないんですよね。
だからそれを合わせて考えると、
ワープロの編集機能についてもカット&ペーストに相当することをほとんど言っていないんですよね。
スピーカー 1
編集機能が大事だと言いながら、実は削除・訂正が大事だと言っていて、
スピーカー 2
切り張り的なことにほとんど言及していない。ほとんど、全く言及していないということに気がつきまして、
そうか、ワープロの編集機能の話をするときも梅沢太夫は、
頭の中で書くのは頭の中だったんだなと思ったんですよね。
はい、そうでしょうね、きっと。
っていうことはコザネというのは何だったのかっていうのを考えたときに、
頭の中で書いていることを補助するためにそのコザネを使っていた。
外部編集しているわけじゃなかったんだなっていうふうに思ったわけですけれども、
なんで僕は外部編集しているとずっと誤解していたのかというと、
自分が外部編集するタイプだからなんですよね。
スピーカー 1
なるほどね、はい。
スピーカー 2
だから違うんですよね、多分人によって。
スピーカー 1
これはそう指摘されるので全然、僕は梅沢派なんでそのまま受け取ってましたけど、
そこはかなり本質的な違いがあると思うんですけど、
概要ページにコザネ法の説明のページのリンクを貼ったんですけど、
そこに実際に梅沢が使ってたコザネが、
国立民族博物館のウェブサイトに掲載されてた画像があるんですけど、
これ見てもらったらわかるんですけど、フレーズしか書いてないですね。
カードには作品がない、不要だって書いてあるんですよ。
文章でも何でもないんですけど、
おそらくこれはこういうことを書くってイメージが梅沢の頭の中にあるわけですね。
それをただ象徴、サインとしてマーキングするために書き残してるだけ。
これを見たらあれのことやってわかる。
わかるだけじゃなくて文章そのものがもう浮かんでくる。
というようなことを思い出すためだけにピン止めしておくっていうような使い方。
だからもうこの文章を書くっていう術語の内実は難しいですけど、
これはこのコザネ上で文章は一切書かれてないわけですね。
頭の中にある文章をここにちょっと置いたというだけのことなんで。
だから書くことそのものは全てもう頭の中だけで終わってて、
その頭の中に書かれた文章をどう置いていくのかを決めているだけというところをおそらくされていた。
僕もこの本の原稿とかを考えるときにやってのほとんど同じことなんですね。
フレーズしか書かないし、フレーズしか書かないってことは、
考えたことをフレーズ、頭の中にあることをフレーズにして置いておくだけ。
それを並べていくだけ。
だからやっぱり文章を頭の中でしか書いてないんだなというところはやっぱり言われてみて気づきましたね。
実際確かめてみてもそう使っている。
スピーカー 2
だから最初の話ですけど、やっぱりカード法とは全然違いますね。
逆ですね。カード法はむしろそこに文章を書けと言っている。
スピーカー 1
だから同じように例えばカード法で書いたものは、
カード法っていわゆるタイトルと本文があると思うんですけど、
タイトル部分だけを表示して小座念のように扱えるかというとやっぱり扱えないんですね、それは。
扱えないですね。
印象がまるで違うものなので、
あくまでタイトルはそれ自身が内容を表すものになってない。
概要が出ないといけない。
ようやく出ないといけないけど、小座念はなってないですから、そんなものには。
梅竿しかわからない言葉で書かれてるんで。
スピーカー 2
たぶん8割以上の人が誤解してるんじゃないかという印象を僕持ってるんですけど、
よくアウトライナーについて非常に肯定的に捉えている人なんですけど、
これはまさに梅竿の言っていたカード法をデジタルで実現することができる。
アウトライナーについて言っている人ってまず間違いなく誤解してますね。
カード法と脳内操作
スピーカー 2
別に誤解しちゃいけないわけじゃないんですけども、
まんまアウトライナーでやろうとするとたぶんうまくいかないと思いますし、
梅竿は改めて潜入感なしに読むと、
結局カードを狂うことで組み合わせたりしつつ、
それを文章にするとは言ってないわけですよね。
そのことに発想なり構想を得たら、別のところに書くんですよね。
カード自体を文章にするわけではない。
改めて書き起こす。
書き起こすというのは基本的に、梅竿はアナログ時代の人なので、
頭の中で書くんですよね。
ただ頭の中で書くときに一定以上複雑なことを楽にするために、
ピン留めというか仮留めするみたいな感じで、
四辺にちょこちょこっと書いたものを置いておいて並べ替えて、
こんなことをこんな順番で書こうっていうことをヒントにしながら、
頭の中で書くっていうイメージですよね、たぶん。
スピーカー 1
僕もこのふこざね法を自分でやりながら思ってたことがあって、
並び替えしながら、これは自分は一体何をしてるんだろうと思ったことがあって。
つまりカードとかを置き換える、並び替えることは、
どんな知的作業なのか、知的作用が起きているのかっていうのを考えたときに、
やっぱりそれは頭の中で起こる文章の流れを別のパターンに置き換えているだけなんですよね。
頭の中を操作しているだけなんですね、基本的には。
だからカードを並び替えた後に、こういう話の順番やから次こうなってっていう検討は全部頭の中でやってるんですよね。
カードは基本的にトリガーになっているだけであって、
そこに文章があるわけではなくて、全部脳内操作なんですよね。
だから僕も説明するときに、カードを使って考えるっていうことをよく使ってると思うんですけど、
スピーカー 2
それは多分性格ではないような気がしてるんですよね。
スピーカー 1
もちろんカードを使って考えるのも間違ってはいないんですけど、
イメージというのは基本的には脳内で、シミュレーションそのものが脳内で行われている。
文章の流れみたいな、この流れでいいかどうかっていう検討は、
頭の中の感覚しか動いていない。
だから仮に僕が脳内活動が低下していたとして、
その小種法のカードが並んでいるのを見たとしても、多分何もわからないと思うんですよ。
考えられない。考えが進まない。
カードだけを見て、僕の脳内活動が止まっている状況で本の構成を進められるかって言うと、
スピーカー 2
やっぱりそれが進められないと思うんですよね。
スピーカー 1
だからあくまで考えているのは頭の中。
文章を書くっていうことを、だからどっちのパターンでしているのか。
基本的に全部脳内派なのか、文章のレベルを並べ替えるのか。
アイデアと文章の違い
スピーカー 1
面白いのは、僕もおたくさんもどっちかっていうと、ひらめき派ですよね。流れ派ですよね。
カチカチで構成固めてっていうんじゃない。そこの共通点はあるけど、
どこで書かれてるかの地点はずれてるんですよね。違ってるんですよね。
スピーカー 2
そんな違いもあるのかなと思って。
でもその辺り全然違うような気もするんですけど、
一つ考えることと文章を書くことっていうのが多分、分けて考えなきゃいけないんですよね。
当然文章を書くたびに考えるんですけど、
例えば梅澤の場合で言うと、
例えば知的生産の技術の本の構成で言うと、最初に発見の手帳の話が出てくるじゃないですか。
で、その後カードの話が出てくる。
仮に発見があったり、ひらめきがあったりした時に梅澤はカードに書くわけですよね。
だからひらめきや発想をまずカードでキャッチしていると。
でキャッチする時にその発見っていうのはなんかもやもやしたものかもしれないから、
そこでキーワードだけだと多分後で最後にできなくなるんで、きちんと文章に書いて、
タイトルもつけて、予約するタイトルもつけて分かるようにしておく。
その形にしておくわけですよね。
でその発見なりひらめきなりのカードがたくさん溜まっていくと。
そのたくさん溜まったカードを食っているうちに、
何かさらに大きなものの構想が浮かぶと。
つまりそれはカードが素材になって、より大きな断片的なひらめき以上の大きな発想というか構想が浮かぶわけですね。
で構想が浮かんだらそれを例えば文章化しますと。
それは基本的に梅澤の時代はアナログなので、最初の頃は原稿用紙に書いていただろうし、
後には金タイプとかを使っていた時代もあったかもしれないですけど、
基本的には頭で書き下ろすんですよね。
スピーカー 1
そうでしょうね。
スピーカー 2
でその時に書き下ろす、今度その構想とか発想を捉えるんじゃなくて、文章化する補助として小座面があるわけですよね。
だから発想アイディアというものと文章というものは分かれてるんですよね、手法として。
そうですね。
スピーカー 1
それをつい一緒に考えてしまう。僕はもう完全にそれがごっちゃになってましたし。
そもそも空白なんですね。
知的精神の技術の本の中では、カードを送ってどんどん考え進めましょうって言って、
ダイブアウトに原稿を書くときはって言うんですけど、
その発想の中で構想レベルを思いついた後どうしたらいいのかは一切書かれてないんですね。
そうするとやっぱりカードを集めて書きましょうっていう話に穴埋めしちゃうんですけど、
スピーカー 2
梅澤はどうやってたか全くわからないんですけど。
知的生産の技術
スピーカー 1
実は誤解を招く書かれ方をしてるかもしれないんですよ。
だからこういう本のコンセプトが決まったら、それに関連する情報カードを送っていき、
スピーカー 2
一つの箱にまとめてそれを見ながらとかっていう説明があったらこっちも納得するんですけど。
スピーカー 1
全くないですね。急に原稿を書く話になってて。
あの原稿もどうなんでしょうね。論文の原稿というよりは、
依頼された原稿を書き下ろすぐらいのサイズ感の話をしてるようにも読めるんですよ。
論文の執筆よりは連載原稿を書くレベルの話にも読めて、
どうやって大きな論文を成し遂げているのか、それとカードの関係性はどうなのかは、
あの本の中では明示的に明かされておらず、僕らが空想でいろいろ埋めているわけなんですけど。
それが現代のノートツールとか情報ツールを使う上での混乱にも繋がっている気がしますね。
スピーカー 2
逆にそれもGTDで起こったのと同じで、生地デジタルなので、
発想レベルから執筆レベルまで繋がっちゃうんじゃないですか。
テクノロジーの恩恵としてそれができるようになってしまったために、
実は分けた方がいいかもしれないことを連続的なプロセスの中で行おうとしちゃったりとか、
それがいい場合もあるし悪い場合もあるんですけど。
スピーカー 1
プロセス型アウトライナーを使っていると妄想した方がいいみたいな感じはしますけど、
簡単に言うとデイリーに思いついたことを書き留めていき、
それらを複数集めて本にするみたいなプロセスが良さそうな気がしますよね。
それは全然いいと思うんですよね。
スピーカー 2
ただその素材を複数集めるじゃないですか。
集めた、たくさんのものが集まったアウトラインがあったとして、
スピーカー 1
それをそのまんま、そのアウトラインを文章として完成させようとするのはかなり厳しいと思うんですよね。
スピーカー 2
だからそれとは別に文章のアウトラインを作った方がいいっていう。
スピーカー 1
そこはやっぱり切断が入るわけですね。
スピーカー 2
そこで切断した方がおそらく頭の負荷が軽くなる。
だから梅澤さんは別にそんなこと言ってないですけど、
発想とかひらめきとか発想というものをどう扱うのか、
一方で原稿を書くことをどう扱うのかっていうのは別の話として書かれてると思うんですね。
それをツールで表したのがカードとコザメだったと思うんですよね。
スピーカー 1
この接続をもう一段階言って、ケースバイケースなんでしょうけどね。
それはもちろん、この台本だったらこうでいけるみたいなことは言えないとは思うのですが、
スピーカー 2
やっぱりカードはとりあえず貯めてくればいいとおっしゃると。
スピーカー 1
カードをくりさえすればいいぐらいのニュアンスにも聞こえるんですけど、
その後じゃあどうしたらいいのっていうところが放り出されてた感があって、
デジタルの最近のPKMとかもそこの穴を埋めようというような感じがありますし、
アウトラインの重要性
スピーカー 1
ヘプタベースっていうカード型のツールも、
デイリーの着想をカードにして大きなボードに配置してっていう言い方は、
連続性の中だけに置いてて切断がないわけですが、そこはなんとなく危ういような感じもしますね。
そうですね。切断っていう言葉がやっぱり適切なんですかね。
分けると言いたいんですけども、
デイリー、僕も1日にたくさんのメモをしてるわけですが、
そのメモによって1行で終わっているものがあれば、本体を含むようなメモもありまして、
本体を含むようなメモはもうカードが一歩手前ぐらいの勢いがあって、
タイトルさえつけてたらカードになる感じですけど、
1行だけのメモっていうのは、それ自身をビジュアルでカード化したとしても、
スピーカー 2
カードにはなってないわけですね。
スピーカー 1
カードになってないものがただ並んでいるだけのものは、
知的な作用を進めないばかりか、むしろ抑制しかねないわけで、
つまり自分が思いついたことがあるボックスの中に全部ありますと、
これがそのまま本とかの執筆に使えますっていうシームレスな接続はやっぱりダメで、
AからBに移すときに変換みたいなのが必要で、
変換をするためにはその切断的な何かが必要だよなという感じがしておりまして、
それはデジタルだからこそ強く意識しないと、
なんとなくいわゆる一番雑な断片的なものが一番大きなプロダクトに接続したら
効率的やんという考え方にすぐ簡単に流されてしまう気がするんですけど、
やっぱり例えば東山さんがメタノートっていう方法で、
わざわざ2段階でフィルタリングしてるわけですけど、
あれもやっぱり例えばメディアを書いている、ノートを書いているっていうことの意義っていうのは
多分そこに単純にあると思うんですよね。
書き写すときに変換が起こるっていうこともありますし、
だから一つのツールで、
例えば段階ごとに思いつきを、タグをメモ、ノート、メタノートっていうふうに
ノートの記述は変えないでタグを変えることで扱い変えられますよっていうのは
多分違うと思うんですよ。
だから写すっていうことをした方がいい。
容器を写すっていうことでもありまして、書き写すっていうことでもあるんですけど、
写すっていうことを意識した方がいい。
写しの中で変換が起こるっていうことを意識する。
これやっぱりシームラスな接続からすると手間ではあるんですけど、
その手間を書いてしまうと、何かプロセスに決定できない変化が、
あるいは致命的なダメージが起こりそうな気がしますね。
スピーカー 2
まあでもやっぱりわかりやすいのは、
雑多なメモを膨大に放り込んだアウトラインがあったとして、
僕全部アウトラインの話になってますけど、
アウトラインがあったとして、それをボトムアップ的に
アウトラインをそこから作っていって、最終的に、
わかんないですけど、論文とか書籍の原稿にするっていうのは
ものすごく大変だと思うんですよね。
絶対途中で頭がパーンってなるんですよね。
スピーカー 1
あれは何が原因でパーンってなるんですかね。
スピーカー 2
おそらくですけど、もしかしたら同じアウトラインを元に
スピーカー 1
他人がそれやったら意外にできたりするかもしれない。
逆にね。なるほど。
スピーカー 2
結局みんな自分が書いたことなんで、
内容の重要度とか優先度は違うはずなのに、
自分にとっては重みが同じというか、
全部をどこかに位置づけようとしちゃうからが働くんですよね。
当然、しかも文章、そこでハイパーテキストという概念が
その意味があると思うんですけど、
ハイパーテキストだったら多重リンクを張ることで
いかせるわけですよ。
だけど残念ながら、論文とか書籍というのは
一本のリニアな文章にしなきゃいけないので、
スピーカー 1
それを全部位置づけようとすると位置づけられないんですよね。
スピーカー 2
位置づけられないから何か切り落とさなきゃいけないんだけれども、
それが書いた本音にはものすごく難しいし、
そもそも判断ができない場合があるんですよね。
スピーカー 1
特に時間が経ってないと判断できない場合があるじゃないですか。
スピーカー 2
どれだけくだらない断片も実は書いた時にはそう思ってないわけじゃないですか。
すごくいいこと思いついたと思って書いてるケースがあるわけですよね。
それを捨てるってものすごく難しくて。
だけどその時にそれをボトムアップで組み立てようとしないで
別にアウトラインを作って、
そのアウトラインにはまる断片だけ左から右に移してくるようなことをすると、
捨てるんじゃなくて使えるものを移してくるということによって
結果的に捨てるということをすると比較的行いやすいと個人的には思っていて。
それはアウトラインの話ですけど、アウトライナーを使わないとしても
諸々の使っている手法の中で相当したプロセスが実は
スピーカー 1
意識してなくても働いてるんじゃないかと思うんですよね。
スピーカー 2
やっぱりそのリニアな流れ、語りの中に位置づけるということの難しさですよね、そこは。
スピーカー 1
だからボトム、全ての断片を集めたボトムっていうのは
様々なベクトルが集まってるわけですけど
リニアっていうのはベクトルを一つに揃える行為なわけで
乱雑さがひどすぎるわけですね、その完全なボトムアップっていうのは。
それは人間の脳には処理できないし、それを整えるために
ある種トップダウンで1回テーマを決めてしまってから
選別するっていうことをした方がいいと思う。
スピーカー 2
だからそれを最初からトップダウンでやるのとは全然違うんですね、意味合いが。
なぜなら既に内容はたくさん書かれてるわけなんで。
内容をボトムアップでたくさん書いた後に
それとは別にトップダウンで作るっていうのが
今の段階ではあくまでも自分にとってですけれども
自分にもある程度長いものを書くという行為ができ得る唯一の方法だと
個人的にはそう思ったわけなんです。
スピーカー 1
そうか。
知的精査の技術においてメモをする、資料を集めるってことは
ベーシック・オーベーシックだと思うんですけど、その後なんですよね。
たまってきた後どうしたらいいのか、どう組み立てていったらいいのかっていうところまで
スピーカー 2
中級者の話がやっぱり難しいというか。
スピーカー 1
初めから思いつきが偏っている人、数学のことしか思いつかない人の場合
もしかしたらポトラックアップで何かができるのかもしれないですけど
人間は大抵ランダムに思いつきますからね。
リニアな思考の整合性
スピーカー 2
そうですね。でも例えば数学で何とかの定理について俺は書くんだ
って言って書くと思いついたことは全部何とかの定理についてのものだったとしたら
いけるんじゃないですかね。でもやっぱり何とかの定理についていろんなことを思いついちゃうと思うんですよね。
スピーカー 1
まあそうですよね。
やっぱり最終成果物をリニアと捉えたときに
人間の思考のランダムさっていうところをどう整合させるのかっていうことを考えるのが
メモ術、ノート術、カード術のたぶん一つの肝なんでしょうね、これは。
スピーカー 2
そうですね。何回か前の話に戻りますけど、ただしリニアに並べたことによって
思いついちゃうことがあるので。それが以前に浮遊断片問題という。
それはそれでまたどこかに置いておかないといけない。
そうですね。
だから多分いろんな段階ごとにいろんなレクトルを持ったリニアなものとして扱うものと
ランダムに浮かんできて、そこら辺にふらふら浮かんでいるものを扱うことっていうのが
段階ごとに必要とされるというか、そういう感じなんじゃないですかね。
スピーカー 1
そう考えたらルーマンの方法は非常に整合的というか、
もう初めからアウトプットを見据えてカードを並べていくという手法なので、
それは確かに生産力が高まるような気はしますね。
ルーマンのカード法の有効性
スピーカー 2
そうですね。だからルーマンのカードの場合、チェッテルカステンの場合は
あれは梅沢のカードとも小谷とも違います。
スピーカー 1
あれはそのまま使いますよね。
カード法で言及されてるやつ、全部やってくると違うんですよね。
スピーカー 2
だからあれは文章そのものなんです。
スピーカー 1
少なくともその下書きなんですよね、ルーマンのカードに書かれてる。
もうそのまま、個市の流れで本になるような論文を構成するようなものを、
もう初めから、梅沢はマメ論文という言い方をしましたけど、
だから論文パーツを並べている、ルーマンはその時点で。
スピーカー 2
そうですよね。もしかすると一緒に考えちゃいけないんじゃないかという気がしますね。
スピーカー 1
見た感じとフォーマット、つまり同じカードを使っているという点と、
スピーカー 2
一つのカードに書くのは一つだけ、一枚一字を守っているということ以外の共通性って、
スピーカー 1
実はあんまりないんですよね。
スピーカー 2
だから逆にカード法っていう言い方が違うんじゃないかと思うんですよね。
包括的すぎる。
ノート法っておかしいじゃないですか。
スピーカー 1
そりゃそうだよな。
スピーカー 2
カードはあくまでもツールであって、
そのカードの上で行うさまざまな手法があるわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。
どれもこれも情報とか知的なものとか思考を扱うという点では共通してますけど、
ルーマンの議論構築法ですし、
ウェスターノーは思考展開法、思考発展法ですし、
小谷法は原稿執筆法、原稿執筆法もちょっと飛躍がありますが法ですし、
KJ法はブレストの結果をまとめる、あるいは集約の方法論で、
法論性は全然違いますね、どれも。
スピーカー 2
そうですね。あれはみんな違いますね。
うーん。
スピーカー 1
ざっくりと同じものとして集めて、
自分が認識しやすい何か理想的なカード法を
スピーカー 2
イマジネーションの中で作り上げているわけなんですけども。
でも、みんな違いますけど、それぞれの梅竿の中で、ルーマンの中で、川北の中で、
それぞれの中でやっぱり混ざってないわけじゃないですか。
それぞれの方法の中で何をやっているかっていうことは結構大事ですよね。
何をやって何をやってないかっていうのは大事ですよね。
梅竿もカードをたくさん書き溜めて、その書き溜めたカードを全部使って何か書くなんて言ってないわけじゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。少なくとも言ってはいないですね。どうしてだかわからないけど言ってはいないですね。
あれ多分全部使ったりはしてないと思うんですよね。
スピーカー 2
あの無数のカードをバラバラバラっと食っているうちに、
さっきのあのカードとこのカードは関係がある。
たとえば2、3枚ピックアップして並べる。
っていうようなことを繰り返しているうちに、文章の構想が浮かぶと。
スピーカー 1
梅竿は並べたカードを食うのだと、新しい組み合わせを見て何か思いついたらそれもカードに書くことだと言ってますけど、
それはつまり、一つ上の次元レイヤーの発見をカードに書くというわけで、
その一つの上のカードがまた別のカードと組み合わさって、
どんどんレイヤーが上がっていったどこかが、これは本のテーマになるというようなことで、
あとは逆算してそこに関連したようなカードを集めていけば、
本になるというイメージはできますけどね。
そういうふうに書いてたのかどうかはわかりませんけど。
スピーカー 2
そうなんですよね。
でも少なくとも、たくさん書き溜めたカードを部品として並べ替えて構成するなんていうことはたぶんしなかったはずですよね。
スピーカー 1
そうでしょうね。
敵戦車の技術も雑誌の岩波一家に連載してたのを集めた。
もともと連載記事だったものを一つの本にしたもので。
情報の文明史観。タイトルがそんな感じのやつ。
スピーカー 2
情報の文明学。
スピーカー 1
あれも複数の論文を集めた本だったと思うんですけども。
たぶん一つ一つの流度が上がっているというか、
日常レベルでいうとカードが脚本を扱う。
スピーカー 2
ちょっとまとまったものが論文として集まって、それを集めたものが本というふうに段階がちょっとずつ上がっていってアウトプットを作っているという感じがしますね、彼の場合は。
スピーカー 1
複数のカードが一つの記事とか連載とか論文になって、それらが集まってさらに大きな本っていうのを作るという感じ。
だから彼がどうやって本とか論文を書いてるのか誰か教えてほしいんですけども。
個々の著述スタイルの比較
スピーカー 2
僕もこんなこと言ってますけど、すべてを読んだわけじゃないんで。
スピーカー 1
もしかしたらどこかに書いてあるのかどうなんでしょうね。
著作全集を読めということだと思うんですけども。
仮に梅坂がどう書いてたかわかったとしても、僕の役に立つかとか全くわからない話ですか。
近々にはなりますけども、結局それぞれの方法を開発するしかないという、特に自分の文章を書く特性とか癖っていうのに合わせて方法を開発するしかないとは思うんですけどね。
だってさっき言ったように、全員違う、同じ感じですけど、全員やってることは違うわけですから。
僕もどれか似てても異なる何かをするということには最終的になるんでしょうけども。
奥が深いなと思う点と、やっぱりさっき言われたように、
それぞれのカード法が何をしてて何をしてないのかを、ちゃんと批判的にまとめて検討したいなというところはありますね。
スピーカー 2
そうですね。
たぶん他にもあるじゃないですか。
あると思います。
アメリカのジャーナリストというか、アメリカの書き手がよくやる5インチ3インチのカードを使って、
あれは結構並べ書いてるんですね、見ると。
あれも、あの方法自体をきちんと解説した本ってどっかにあるのかもしれないですけども、
読んだことないんですよね。何となくのイメージしかないんですよね。
スピーカー 1
カード法の研究を学者さんのカードを、特に博物学的な膨大な知識を扱うとか、
あの辺の分野の使い方の話を聞いたことありますけど、
ジャーナリストのカードの話は聞いたことはないですね。
橘さんはカード嫌がってましたからね。
スピーカー 2
橘さんはKJ法を念頭に置いてると思うんですよね。
橘さんはやっぱり、頭の中でざめくっていうことを非常に重視していて、
それも一理あるだと思うんですけど、
スピーカー 1
そうじゃない考え方をする人ももちろんいると思うし。
橘さんはやっぱり大量の本と雑誌で書かれているタイプで、
論文を読んで論文を書くタイプの知的生産者じゃないですし、
もっと言うと専門がないというか、ある時期あるテーマについてザーッと本を読んで書く。
それが終わったら次のテーマに行くタイプなので、
蓄積の考え方が違いますよね、きっと。
そうですね。膨大な資料を一挙に集めて、一気に読んで、はい終わりっていう。
使うこともあるかもしれんけど、ほとんど参照されることはないというタイプでしょうけど、
文学研究者とかだったら、例えば10年前に作ったカードを、
10年後の自分が使うってことは多分あり得ると思うんで。
カード化する意義そのものが多分違うんですね、きっと。
スピーカー 2
そうでしょうね。
スピーカー 1
だからそのへんのスタイルも合わせて方法っていうのができてくるという感じよね。
自分なりにやっていくうちに仕上がってくるというところだと思いますけど。
そうですね。
だからやっぱりアウトプットのスタイルとかアウトプット先がない状態で、
知的生産のメソッドを考えようとしてもまとまりきらないというか、
何やってもいいわけじゃないですか、その段階でいうと。
何でも成立してしまうわけですけど、だから逆に決められないんですよね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
市民活動としての知的生産の型っていうのがないので、
たぶんどんな方法も自分に役立とうと思えば役立たせられるけど、
逆に決定打がないという感じがしますね。
まあだから、自分がかける方法が自分にとっての決定打なんですよね。
そういうことですよね。
そこはやっぱり良い方法の探求に足を引っ張られますけど、
もし今やってる方法である程度文職欠けてると言うんやったら、
やっぱりそこを土台にして、
スピーカー 2
そんな遠くまででは探索に行かないほうがいい気がしますね。
そうですね。
スピーカー 1
書く前に理想的な方法を決めようとしてもたぶんだめ。
スピーカー 2
判断材料がないですからね、本で。
ただ難しいですね。
スピーカー 1
方法に憧れて、その方法を使いたいがために書くみたいなこともありますよね。
書けてるんやったら全然いいですけど。
メモを取るレベルだとフォーマットが定式化できますけど、
本を書くっていう階段を4つぐらい上がった後のって、
やっぱり同じ方法が何回も使えるわけじゃないと思うんですよ。
スピーカー 2
でしょうね。
スピーカー 1
少なくとも僕に関しては書いてる本ごときに、
本の書き方で著述される内容が違っているんで。
本の書き方を教えてくださいって言われても、
次回は違う方向を取りますけど、今はこうやってますという教え方しかできないんでね。
基礎レベルは毎回同じことをしてても、
応用発展レベルになってくるとやっぱりパターンが変わってくるなって。
ルーマンとかあの方でずっと同じように書いてたとしたらすごいなと思いますけど。
スピーカー 2
でもそれはやっぱり論文っていう形が決まってるからじゃないですか。
スピーカー 1
内容はもちろん違いますけど。
僕らの場合は編集者とか出版社とか企画によって、
テイストとか内容とかトピックとか語り口が全部違ってきますからね。
スピーカー 2
そうですよね。
あと当然論文であれば専門分野、専門の学問分野というのがあるので、
ここもずっと変わらないわけですよね。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
まあそうですよね。
ルーマンは哲学より社会学みたいな感じですね。
一言で言うと。
スピーカー 1
そうですね。かなり幅の土俵の広い。
社会学そのものに目線を向ける。
社会そのものの社会っていうような観点を持つ人ですからね。
だから自分と似てるような活動をしてる人がたぶん一番参考になる。
アウトプットとか生産のスタイルが近い人のほうが
参考になる確率が高くて。
だから今例えば会社員とか勤めてて何か生産したいなっていう人は
僕よりもたぶん郵便屋さんのほうが参考になる情報を持っておられる気がしますよ。きっと。
スピーカー 2
まあそれはわからないですね。
そうですか。
それはね、例えば暮らした3人憧れてるんだっていう人はやっぱりそのやり方をしたい。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
したいわけですよ。
なるほど。
それはそれで非常に尊いことというか。
スピーカー 1
そうですね。新しいチャレンジを生む動力になっているとしたらそれは本当に素晴らしいことだと思いますね。
文章執筆のモチベーション
スピーカー 2
やっぱりあの人のようにやりたいっていうのってすごくモチベーションとして重要なので。
できないことを思い浮かされたりするわけじゃなくて、そこからいろいろ逆に自分の方法っていう方にいくのかもしれないし。
スピーカー 1
そうですね。最初はモノマネからですし、モノマネするんやったらやっぱり憧れとかかっこいいなとかっていうとこからスタートするのがやっぱり一番いいですね。
スピーカー 2
だから逆に郵便屋さんだったら、郵便屋さんは会社員をされながら子育てもしながら、その時間でコツコツ時間をかけて、
ああいう形でアウトプットをしているという、そのことに対して自分もそういうふうにやりたいっていう人はいますよね、当然。
スピーカー 1
やっぱり実際的に役立つノウハウはそっちの方から吸収できると思いますけど。
スピーカー 2
それはそうかも。特に時間の使い方とか。
スピーカー 1
月に8から10冊くらい本読んでますけど、同じレベルでなしというのは難しい場合も多いじゃないですか。
1冊の本を時間をかけて読めるという段階でも僕は恵まれてるわけで、そのように深読みしなければ生産できませんよって話はつまらないわけですから。
どこを参考にするか。時間の使い方には参考にならないかもしれないけど、観点とかアウトプットの方向性みたいなのは憧れるみたいな塩梅はあるとは思いますけどね。
スピーカー 2
まあそうでしょうね。
スピーカー 1
なかなかね、カード法一つ取っても。カード法やから難しいんかな。
スピーカー 2
メモはもっと話が単純になることが多いですけど、カード法の場合なんか複雑になりますね。
やっぱり、方法があってそのためにカードを使うっていう順番だと思うんですよね。
カードを使うって、そこで最初からボタンがかけ違っちゃうみたいなことが起こるんですよね。
あ、でもあらゆるツールはそうかな。
スピーカー 1
そうですね。そこに逆転というかねじれみたいなアンビバレントさが、酒が多分含まれている気はしますね。
要はカードも至高のOSだと思うんですよね。
スピーカー 2
で、そのOSの上にどんなアプリケーションをインストールするかというときに、梅沢のカードだったりルーマンのカードだったりっていうそれぞれのアプリがあると考えたほうがくりくるような気がしますね。
スピーカー 1
そうですね。で、梅沢の本を読んでアプリを実装すると着想メモを書き留めるっていう機能は実装されるんですけど、
デジタルツールとカード法
スピーカー 1
集めたカードをどうするかのアプリケーションが空っぽのところに行ってしまって、割と混乱している。
特にデジタルであのカードを実装しようってして、カードは書けるけどの、まあカードを書けない段階でつまずく人も多いんですけど、
カードを書けたとしても書けた後どうするのかがやっぱりなんとなくわからんままっていう場合は多分普通に多いと思いますね。
スピーカー 2
そうですね。まあでもそれはそれで発見ですよね。
スピーカー 1
そうですね。確かに。
スピーカー 2
まあでもね、あの梅沢の時代は結局そのカードを送って何か思いついた構想が浮かんだって言ったら原稿用紙を出すんですよ。
スピーカー 1
なるほどね。
スピーカー 2
それしかないんだと思うんですよね。まあタイプライターでもいいですけど。原稿用紙を出して書き始めるんだと思うんですよね。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
だからなんかその途中段階のそのプロセスっていう発想自体がないんじゃないですかね。
スピーカー 1
ないほうが良さそうですけどね。
スピーカー 2
もしかしたらそんなものなまじないほうが書けたのかもしれないんですよ。
考えるとやっぱりその原稿用紙に当たるものは、僕の昔時代のブログやったんですよ。ブログ記事やったんですよね。
スピーカー 1
なんかもう書きたいと思ったらブログに記事を書くっていう感じで。
スピーカー 2
それ自身はやっぱりある程度生産的だったと思うんですけど、途中でややこしくしようとしすぎてるかもしれないですね。
そうですよね。
なんか思いついたらそれを書こう。ブログしかなければ当然ブログを開くわけですよね。
エディターを開いて。
スッと書けるときもあれば書けないときもあるけど、書いたら書いたら考えが進むんで、よしっていうふうに次にいけるっていうのが、実はある種健全な地域生活だったのかもしれないですね。
いやーそうですよね。方法がなさすぎないほうが健全なのかもしれない。
スピーカー 1
健全というか気が散らない、注意が変なとこに向かないのはありますよね。
もちろん環境も昔と全然違いますので、今じゃあそうかと思って何か思い浮かんだら原稿用紙を出して書くようにしてもたぶん書けないと思うんですけど。
マメ論文も言ったら文章なわけで、マイクロな形で書いてる文章なわけで。
Twitterもマメ論文のさらに弱い感じですけど、ブログレベルの文章を思いついたことを書いてしまうのが実は一番ややこしいことをせずに書ける。
でもやっぱり一緒なんですよね。書いていくつか考えが進むけど、書いたものをどうしてもう一個上のステップに進めるのかがやっぱり知識として欠落してるから、
スピーカー 2
僕はやっぱりブログ記事は書きっぱなしが多かったですね。
まとめて本にしたみたいなのもあります。
スピーカー 1
何個かありますね。
だからああいうのをもうちょっと注力していけば、より壮大な施策へ至れたのかもしれないですけど。
スピーカー 2
でもひょっとして、あの頃の毎日更新していたブログが実は梅沢のカードに相当するものだったということかもしれないですよね。
スピーカー 1
もちろん一枚一字は守れてないですけど、彼がそこでやってた知的営みみたいなものの再現はそこにあったのかもしれないですね。
スピーカー 2
そうですよね。
もしそれを送ることができる仕組みがあったら、何かもうちょっと違うのが起こったかもしれない。
スピーカー 1
結局そこなんですね。
スピーカー 2
ワードプレイスは投稿するのは便利なんですけど、投稿したものをもう一段階上でオーガナイズできるかっていうと、これ全くできないんですよ。
スピーカー 1
今、スクリーブラーにかつて書いた言語を集めるという作業をしているんですけど、指してやりやすいとも言えないというところで。
だからやっぱり上の階層の操作っていうものがやっぱりイマジネーションとしても不足しますし、
実際レベルのノウハウとしてもやっぱり足りないなというのはありますね。
スピーカー 2
実際にツールという空間上に上の階層がないからですよね。
スピーカー 1
まあそうですね。そうやって思います、それは。
スピーカー 2
そうなんですよ。そこでデイブ・ワイナーのドラマーとかを思い出すんですけど、
あれはパブリッシュされたものはブログのような見た目をしているけれども、
使う人の書き手の手元ではアウトラインなわけじゃないですか、あれは。
うん、確かに。
そうすると容易にその上の階層というのが想像できるわけですよね。
確かに確かに。
そういうことだと思うんですよね。別にアウトラインが優れてるとかっていう、アウトライナーがいいとか悪いとかというよりも、
スピーカー 1
なんというかツールの思想ってそういうことだと思うんですよね。
常に一つ上にアクセス可能な環境がそこにあるということですね。
スピーカー 2
そうあれば全く違う地平が開ける。
で、アウトライナーはその階層っていうのはそもそも成り立ちからして意識しやすいですけど、
アウトライナーである必要はないわけですよね、たぶんそれは。
例えばそのカードメタファーを使うんだったらなんか違う、わかんないですけど、
それを束ねたカードのイメージでなんか考えられるのかもしれないし、スクロなのかもしれないですけど。
はい。
なんかね、昔は朝袋かなんかに入れるみたいなのもありましたけど、
なんかツールってそういうものであってほしいなという気はしますね。
スピーカー 1
やっぱりね、統合という方向がやっぱり弱いですよね。
分けてつなげるは強いんですけど、デジタル最近の。
つなげるは統合ではないので、統合はレベルアップを意味するんで、
そこの観点、そこの知的作業をやっぱり現状では上手く支えてくれてないなという感じがしますね。
スピーカー 2
だからそこがよりタグとリンクに行ってしまっている。
そうですね。
タグとリンクはもちろんそれぞれ言うようなものなんですけど、それだけじゃ足りないんですよね。
スピーカー 1
うーん、あれはグルーピングで串刺してるだけなので、
それは一つ上の階層には上っていない。
スピーカー 2
兄弟項目を見つけているだけなので。
そうですね。
ハイパーテキストは、パブリッシュの形自体がハイパーテキストで完結するならばすごくいいけれども、
従来のというか旧来のというか、ギニアな文章をそこから生み出そうとするときに、
ハイパーテキスト的なリンクはあんまり有効じゃないんじゃないかと僕は思うんですけど、
スピーカー 1
そこは反対の方がもちろんいるかもしれないですけど。
スピーカー 2
なかなかハイパーリンクから上の階層ってイメージしづらいんですよね。
ただ結果的にマップとして描いたときに大きいクラスターができていたりして、
リンクがたくさん連なった中の中心がすごく光っているみたいな大きな塊ができているっていう、
アウトライナーにあそがたちしてもできないことができるようにするんで、
こっちが良くてこっちが良くないっていうことでは全然ないですが、
これ難しいんですよね。純粋な値の問題として考えるのか、パブリッシュというか、
いわゆる普通の文章として完成させてそれを公開する。
それを完成させるっていうことを目標にするから多分変わってくるんですよね。
スピーカー 1
そうですね、それは。
まあでもやっぱりね、なんとなくの一緒だけどね、
文章っていういわゆるリニアなものを完成させることを目指したほうが良いなという思いはあって、
単純に知恵、ナレッジ、インフォメーションっていうのをこの世界に向けて提供するっていうことだけであれば、
スピーカー 2
エコセンスイコールウィキのようなリンクベースのハイパーテキストっていう形が多分一番お互いにとって楽なんですけど、
スピーカー 1
この前回から始めますけど、やっぱりそれはロンリーの筋が弱いんですよね。
非常にその形というか、そもそも筋がないので。
で、ある人が何かを主張している、言っているっていうことが持つインパクトっていうのがあって、
あの人すごい誤然数のページあるよねーでは有名になれないんですよね。
リニアな文章の重要性
スピーカー 1
有名にならないって言うとおかしいですけど、
あの人は何を言いたいのかっていうのがそれだけでは出てこない。
それはその人の主張が見えてこないっていうことなので。
で、主張イコールロンリーの筋っていうのは文章化を経て発生してくるもので、
やっぱりインターネット上で誰かを認識するのってやっぱりその人の書いた文章を読んだからやと思うんですよ。
その点はやっぱりね、単純な知の共有とはまた別の意味で文章を書くっていうことはやっぱりしたほうがいいなという感じですね。
そうですね。
スピーカー 2
面白いのは、例えば誰かが倉下さんの文章をインターネット上で発見しましたと、
と思うじゃないですか。
それは今倉下さんが言ったような意味でのリニアな文章として書かれてるわけですよね。
その筋が通っている。
それで例えば倉下さんの、例えばファンになりましたと。
倉下さんのことをもっと知りたいと思ったときに、
例えばコセンスの中に膨大なインクによって繋がれたものがあるのを見つけたら、
スピーカー 1
それは宝の山だよね。
それは間違いないと思います。
スピーカー 2
そういう面があるんですよね。
一個後ろの背景にある膨大な何かを膨大なそのまんま保っておくというその凄さっていうのはあるんですよね。
スピーカー 1
それはありますね、確かに。
スピーカー 2
だけどその表に出る言い口になる何かっていうのは、その形のままだけだと成立しないという。
スピーカー 1
弱いでしょうね。
コセンスイコールウィキみたいなんていうのは辞書的に説明するほうが好ましいんで、
スタイル、文体っていうのが前に出ないほうが多分好ましくて、
それは結局その人らしさが減るということなんで。
減ったほうが辞書としては読みやすいわけですね、基本的に。
辞書ってそのように書かれるわけですから。
そこら辺で役割が違うというところがありますね。
スピーカー 2
だからリニアな旧大の文章の重要性というのはなくならないというか、もしかしたらもっと重要になる。
文章のスタイルと魅力
スピーカー 1
そうですね。加えればおそらくリニアな文章でかつスタイルを持ったっていう条件がついてもあるような気がしますね。
スピーカー 2
ここはまた一段階難しさが増えますね。
スピーカー 1
でもそのスタイルは何もキリアリと光る輝くゴールデンスターってなくてもいいんですね、でも。
でもその人のスタイルであるっていうものでないと、
もうバリューっていうか、読んでもらえないか見つけてもらえないかわかりませんけど、
スピーカー 2
そういう価値が宿らない気がしますね。
なんかこう人格性というか、何て言うんでしょうね、そういうの。
スピーカー 1
何て言うのかは。
スピーカー 2
魅力って言うんですかね。
スピーカー 1
そうですね、魅力ですね、まさにそうですね。
魅力、面白さ、あるプラスを感じた何かの要素っていうものが添えてないと、
単にリニアな文章っていうのは別にいくらでも生成できてしまうわけで、
しかも整った分、リニアを作れてしまうわけで、
確かに文章は出すことは必要でも、文章であればそれでいいというものではなくなりつつある。
そうですね。
スピーカー 2
だから個人の中の雑多な知識をリニアな文章にしようとするときに、
葛藤するというか、バタバタして、若干そこのバタバタが文章から伺えるというか、
苦労の跡が忍ばれる文章ってあるじゃないですか。
スピーカー 1
ありますね。
スピーカー 2
まさにそこに魅力を感じたりすることもあったりして、
スピーカー 1
多分AIで書けばもっと滑らかに繋がるんだろうなっていうこともありますよね。
だから文章構成の逆尺もありますし、
やっぱり旗から見たときに、なぜこの人はこんなことにこだわってるんだろうと思うようなこだわりとか、
そういうものがふしぶしに見えてこないような文章は将来的に読まなくなります。
最近でもほとんど情報だけ載ってるような記事って、
もう全部ジェミニに要約してもらってますから、
もうそれでいいなっていう感じ。
もともとだから、読みたいような文章を別の中で少なくなってきたので、
読んでなかったんですけど。
本当に読まなくても情報を得られるという環境になってきてて、
でも文章を読まなくなったかというと別にそういうわけではない。
文章は読んでるんですよね。
やっぱりそれはスタイルを持った文章は、
読むという体験でないと得られない何かがそこにあるから読んでるんだって。
だから情報接種として文章を読むっていうことの価値は、
もうどんどんどんどん下がっていくと思うんで、
なんか読み物として読めるものっていう、
やっぱりスタイルを持ったリニアな文章、
頭から最後まで繋がっていく文章っていうものの価値は、
スピーカー 2
本当に読まれるものとしてしか残らないという感じかな。
独自性と個性
スピーカー 2
独人性ですかね。
スピーカー 1
独人性でしょうね。
プラスとマイナスの意味を両方含んだ独人性かな。
スピーカー 2
個性って両方含んだ、ネガティブとポジティブ両方含んだものが個性ですからね。
なんか独人的ってどっちかというとネガティブで使われる言葉でしたけど。
スピーカー 1
でもやっぱりその人にしか書けないもの。
まあその人にしか書けないものって言うとちょっとハイソな感じがしますが、
そういうもんでもなくて。
そこは難しいですよね。
スピーカー 2
読んだらその人らしさがにじみ出てくるようなものということなんですけど、要するに。
スピーカー 1
あの郵便屋さんの本なんてまさにそうですよね。
スピーカー 2
何回かお会いしたことあるんですけど、
スピーカー 1
郵便屋さんの顔を浮かべますよ。
そうやって声と顔が伴うような文章であれば読もうという気になるし、
読もうという気にならないものは買って読もうという気にはならないわけですから。
これはなりわいとしての執筆家の話ですけど、
やっぱり読もうと思ってもらって、次にお金を払っても読もうと思ってもらって、
この階段を登るためにはまず最初に読もうと思ってもらわなくらいけない。
その文章はそういう形で書かれるもの。
だからそういうスタイルを持った文章を書くために、
例えばカードを書くというのがどう役立つのかを考えないといけないですね。
スピーカー 2
そこに戻るわけですね。
スピーカー 1
そこはちゃんとノウハウに引き戻して考えないと。
だってそれぞれ好きに書きましょうで終わったのは解説にもなってないわけですからね。
スピーカー 2
そこって、いい意味での独人性ってあれですかね、さっきの話で言うと、
発想段階、梅沢を言えばカード段階で宿るものですかね。
それともコサレ段階で宿るものですかね。
スピーカー 1
両方の段階でじわじわ宿ってくるものじゃないですか。
だからあるプロセスを吹っ飛ばしたものはちょっと薄味に感じるということだと思いますね。
スピーカー 2
なるほど、なるほど。
AIと現代の執筆
スピーカー 1
だからもうこれ書いてってGPTに書かせたやつはもうそれがゼロで、
スピーカー 2
ある程度素材出しは自分でやってまとめてもらうんやったらちょっと味がついてみたいな感じだと思いますね。
スピーカー 1
難しい。
せいせいAI時代は書く方も読むことも書くことも変わっていくんで、
地域生産のそのもの全体像が変わってきますね。
スピーカー 2
そうですね。
そこがね、やっぱり動画と違って、
動画ってやっぱり声とかその人の姿が見えるので、
明らかなAI音声をかぶせただけのものと、その人が喋っていたりその人が実際に出てきて喋っている、
明らかな違いを感じるじゃないですか。
そこが文字しかないっていうのがまたちょっと難しさですよね。
スピーカー 1
そうですね。だから僕が今言ったようなことを一切気にしない人もいるでしょうから、おそらくは。
いるでしょうね。
それはもう僕のその範囲外というか、それは別にどうしようもないんですけど。
もちろん人が出てきたら嫌っていうパターンもありますからね、逆に言うと。
あると思いますね。
まあそれはそれなりに対応するしかないんですけども。
まあスクリプトの作り方によっては、実はAI音声だけど面白いっていうこともあるわけですよね。
スピーカー 2
まあそっかそっか。確かにね。
スピーカー 1
それはあり得るか。
スピーカー 2
いっぱいあるんじゃないですかね。
スピーカー 1
たぶんそうですね。
どこに注力するかっていうところが、それぞれによって変わってくるということだと思うんですけど。
でもAIを無視して話をすることはできないでしょうね。どっちにしろ。
文章はどこで書かれているかという話で、頭の中と髪の上というところから始まったんですが、
AIの中という答えも植えつつあるのが、現代ということなんでしょうね。
スピーカー 2
いい感じのオチが。
スピーカー 1
というところで、お知らせしたいこと何かございますでしょうか。
スピーカー 2
大丈夫です。
スピーカー 1
僕がいつまでかわからないんですけど、スクラップボックス情報成立という本が、
Kindle版がセールになってまして、他のCRLのRさんが出ている本もだいたいセールになっているんですけど、Kindleで。
スクラップボックスの本がセールになったのが、たぶん初めてだと思うんですよ。
これまで全然セールになってなかったので。
もうそろそろ賞味期限切れということで値段が下がっているかどうかわかりませんけど、
スピーカー 2
名前は変わっても個選数はほとんど変わらずこの説明で成立する本だと思うので、
よければこの機会にチェックしていただければと思います。
スピーカー 1
文章を書く人がどこで書いているのかというご意見があれば、
ハッシュタグ打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルファベットキャストまでいただければと思います。
では今回はこれまでにしたいと思います。お疲れさまでした。
スピーカー 2
お疲れさまでした。
01:35:24

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