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もう、ミャンマー・ヤンゴンからお伝えします。
今日は、東京大学の小林武彦先生という方がいらっしゃるんですけども、
その方がおっしゃってた死、老いるということですね。老人の老、老いるということ。
この死と老いることについて述べられていらっしゃるんですが、
非常に興味深い内容なので、皆さんとシェアしたいと思います。
そもそも生物に死というものがあるのは、一体何のためなのか。
生物学者でいらっしゃるので、そもそも論の問いなんですけれども、
非常に面白いと思いました。皆さんわかりますか。
それは、進化を遂げるためだそうです。
死があるおかげで進化できているということ。
何十億年というのを遡って研究されているわけですが、
その生の起源も、やはりある意味微小な異様というか、
噴火というか、そういったところから起きているものらしいんですけれども、
すべてのものに死が訪れ、その死を繰り返すことによって進化していく。
RNAという、コロナの時にお聞きお呼びになった方も多いと思うんですけれども、
そこからスタートして、DNA、なかなか死なない、粘り強い、壊れづらい、
そういうものがDNAということらしいんですけれども、
そういうのに進化してきたということらしいです。
要は、死というものは進化のために必要な究極の利他的行動であるというふうにおっしゃっています。
ここで何と、利他的行動というのが出てきました。
もちろん、宗教的なもので言いますと、無常、そして苦、無私、
この3つが禅の世界でも非常に学ぶべき3つだと言われていますが、
死を迎えるという苦ですよね。
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それは究極の利他的な行動である。
この人類、生命というふうにも言ってもいいと思うんですけれども、
その進化のために死があるのだということのようです。
何となく、自分の死もその中の一翼を担っているというふうに考えれば、
人それぞれの姿勢感があろうかと思いますけれども、
死が役に立つんだということなんじゃないでしょうか。
そして、老いですね。
自分は老いていく。
私もそれなりの年齢なので老いていっているわけですけれども、
この年配者という言い方がありますね。
年配者がいる集団というのが、実は生存という名において、
有利な立場にあるという研究がなされ、
過去を分析するとそういうことらしいのです。
なぜ年配者のいらっしゃる集団が有利なのか。
それは老いということ自体が、
利子から利太への意識の変化をもたらすということのようです。
振り返ってみますと、若い頃はとてもとても利子的で、
利太のことを言葉では理解したつもりになっていても、
本当に利太という行動や意識やあり方まで変えていたかというと、
どうも自分でも利子が頭を出していたのではないかと思います。
すなわち老いる、年配になるというのは、
利子から利太への意識の変化のためであると言っても、
過言ではないとおっしゃいます。
社会貢献のために獲得された人だけの特徴。
老いる場合は老いるほど利太的な意識に変化していくということを、
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小林先生はおっしゃっています。
はっとしました。
若いうちからある意味利太ということを、
稲森さんですね、いろんな本で書かれているので、
言葉としては知っていたわけですが、
この老いる、年を取る、年配になるという、
そういう経験が、
自分の在り方を利太の方向に導いてくれているというのは、
はっとさせられました。
さて皆さんいかがでしょうか。
進化のために死というものがあり、
老いるというのは、
利太を心底腹から気づかせるためにあるというふうに、
解釈もできるんじゃないでしょうか。
こういった研究は、とても興味深いものですよね。
ある意味、禅の世界や宗教、
そしてスピリチャルな精神世界も含めてなんですけれども、
学術的にもこういったものがとても重要になってくる、
そこからいろんな導きがあるというのは、
共通のところに向かっているような気がしてなりません。
私も修行のみですから、
利太的な言葉と、利太的な行動と、
利太的な在り方がしっかりとつながっていくようになればと、
いうふうに考えております。
今日は小林先生の死、そして老いについて皆さんと分かち合いました。
身体根、県荘明、利太根、子育体、雷鳴、症候、痔症、目重、加速、水田、
生きとし生けるものに平安を、愛和の世を創る。
今日も一日、健やかにお過ごしください。
ありがとうございました。