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はい、今日のテーマは、死について、命について、命の火を燃やし続けること、ということについてお話ししていきます。
先日有名なYouTuberの方が亡くなったということを知って、まずはご冥福をお祈りいたします。
そこでの、改めて感じたことというか、生きることだったり死ぬことだったり、
命について、ということについてちょっと考えたいなと思ったので、ちょっと考えてたんですけど、
まず、亡くなったことに関しては、本当にマジかという思いで、
亡くなってしまったというか、喪失したということなのかなというか、
亡くなったんだなっていうのがこういう感じなんだなっていうのをちょっと感じたんですけど、
喪失したっていうのは何を亡くなったんだろうっていうことについてなんですけど、
多分これっていうのは、僕が持ってたものがなくなったっていうわけではなくて、
今までここで感じてたものがどこかに行ってしまって、
もうここにないんだなっていうのを多分感じたからこその喪失感なのかなと僕は思うんですよね。
多分でもでもそういうのって、今の僕たちには感じたりできなくなってしまったというか、
そこにある感じというのがもうなくなってしまったんだなっていうのが多分こういう喪失感につながっているのかなと思ったんですよ。
本当に多分前の頭で生きていなかった人たちからしたら、多分肉体がなくなっただけで本当はそこにまだいるし、
だからこそ先祖の祭りだったり、亡くなった方に対しての思いだったりっていうのが、
その先祖供養というか思いを馳せるじゃないですけど、その忍ぶだったりっていう思いもあるし、
なんかそういう肉体はないけどいるよねっていうのを感じるためのものとしてそこに、
喪失というよりかは何というか感じる場所として作ったっていうような意味合いがあるのかなと思ったんですよ。
だからなんかここまでここにいるっていうのを感じてたのがなくなってしまった、
ここになんかあるよねっていうのがなくなってしまったっていうのが多分僕たちが喪失と呼んでいるもの。
でもただそのなくなってしまったっていうのが僕のものっていうのじゃなくて、
ただ風が流れていくようなことだと思うんですよね。風がここにあったけど流れていってしまったっていうような、
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多分そういうニュアンスに近いのかなとも思うんですよ。
だからじゃあそんな風のように流れていくほど軽いんですかっていうのはその重い軽いとかではないんですけど、
ただそのそこにあった風が流れていくっていうのを僕たちはもしかしたら喪失と呼んでいるのかもしれないなっていうのをちょっと感じたんですよね。
話は変わって、
何というか、
自殺をするだったり生きることだったり死ぬことっていうことに関して、
やっぱその今の世の中、世の中というか世界、
多分僕たちの心が映している世界というのが僕たちのもしかしたら感じている心っていうのも、
もしかしたら複雑になりすぎてしまったのかなっていうのを感じたんですよね。
そのなんかそういう複雑さだったりそういう不安とか、
そのマイナスなみんながまあネガティブだよねって言ってるようなことっていうのがもしかしたら人一人では抱えられなくなってしまったんじゃないかなというか、
そういう世界の重みっていうものだったりそういう空気感っていうのが、
その、
なんかただ抱えているわけではないけど、どこかそれを自分のことのようにというか自分の肉のようにこう、
つけていってしまうような気がしたんですよね。
なんかそういう、
なんか世界が、
なんていうのかな、
重い、重いというかなんか、
その漂っている心を、
空気のように吸い込んでしまうと、もしかしたらその、
なんていうのかな、人が脳とか体とかその、
心とかで処理できる範疇をもしかしたら今の世界は超えてしまっているのかもしれないなというか、
なんかその心が映し出しているものというか、
そういったものっていうのがもしかしたら、
僕たちが生きる上でその処理しきれないというか、
手に持つというよりかはなんていうか、
生きるという枠組みに収まることができなくなってしまったのかもしれないなというか、
僕たちがもともと生きるって呼んでたことっていうのがもしかしたら、
もうちょっと軽いというか、
その、
なんていうのかな、もっと単純だったのかなというか、もともと今は単純だと思うんですけど、
なんかそれを僕たちは見失ってしまったというか、感じづらくなってしまったような気がするんですよね。
なんていうか、だからこそその生きているっていう実感よりかはその、
処理しきれなくなってしまったっていう面において、なんかそういう死という感覚に引っ張られてしまっているというか、
その、
生というよりかは死という側面に引っ張られやすくなったが故にその、
なんていうのかな、
もう肉体いらなくね?みたいな感じになっちゃうのかなっていうのはちょっと思ったんですよね。
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だからなんか、じゃあ人間が処理しきれる、生きるっていう枠組みってどういうことなんだろうって考えたら、
なんかすごい軽いシンプルなことというか、なんか今日はいい天気だなとか、
今日は何食べようかなとか、お花を今日はめでようかなっていうくらいの、
もしかしたらそのスタンスというかその、
重いっていうのでもしかしたらいっぱいなのかもしれないなというかむしろそういった面の方が、
なんか、僕たちって生きてるんだというか、生きるってこういうことだよねっていうような、
その、生きるという側面に関してはそういった面が大事になってくるというか、
その死に引っ張られないというか、
その、死とのうまい付き合い方っていうのになってくるのかなと思ったんですよ。
なんか、別にここでその生きることがいいとか、その死ぬことが悪いっていうわけではなくて、
なんかその、僕たちは死にながら生きてるし、生きながらにして死んでると思ってるので、
ただその、肉体への思いだったり命への思いだったりっていう面が人間にはあると思うんですよね。
その感情というか、その、なんていうのかな、なんていうのかな、思いの強さというかその、
なんていうのかな、その思いやりじゃないけど、なんか、なんていうのかな、人間がそこに対して考えたり思ったり、
何か自分と一緒だよねっていうようなこの溶け合いっていうのをやっぱり人間は持ち合わせているがゆえにっていうか、
なんかそういうのがその他者思いやりだったり、他者のことを自分以上に思えるっていう面で強い、
強いというよりかは、人間が得得してきたその生き延びる知恵だったり、
知恵というよりかは、進化なのかなとも思うんですよね。
なんかその、言葉で何かを伝えたり、何か文字にして何かを伝えたりすることについて、やっぱそれができるようになったがゆえに、
伝えやすくなった一方すれ違ってしまうことが多くなったというのもありますけど、
なんか、それができたがゆえに他者に譲ったりとか他者に託したりすることもできるようになったし、
何か思いをつないでいくための一つの奇跡がそこにあるような気がするんですよね。
だからそれに関してはもう本当に生きるのが良い悪いとか死ぬのが良い悪いっていうのじゃなくて、
ただそこにただ風が流れるようにして循環していくっていう、そこに関しての感情が流れることはもちろんあると思うんですよ。
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悲しいだったり嬉しいだったりっていうのはもちろんあるので、
そこに関して自分と同一しすぎないというか、もちろんそれが自分だよねっていうのもあると思うんですけど、
ただそれだけじゃないっていうか自分っていうのは、だから難しいなと思うんですけど、
何が言いたいかっていうと生存史上主義だなっていうのは思うんですよ。
もちろん生きている人が偉いというのが大事っていうのはもちろん、
この世の中で生きてたらやっぱり生きている人が大事っていうのはもちろん大事なんですよ。
だってそこに命があるからっていうか、命が一番大切だっていうのを知ってるんですよね、僕たち人っていうのは。
だからその命を持っている人を最も大切にするとか、命をこの世で最も大切にしていくっていうのを知ってるからこそじゃあ生きなきゃいけない、
その死んじゃいけないんだっていうのをやっぱり生きてるからこそできる。
やっぱりこの世界での最低条件というか、必須条件としては命を燃やし続けることっていうことなんだと思うんですよね。
だからこそやっぱ死んだらいけないよね。
いけないというよりかはやっぱり死んだらもう全てが終わってしまうというか、
もう行き止まりなような感じがしてしまうからこそだと思うんですけど、
でもやっぱり死んでも学べることもあると思うし、生きながらにしてもここでしか学べないことがあると思うので、
生きながらここでしかできないことがあるからこそっていうか、
だからこそそういったことを死にここに来てるっていうのもあるし、
僕がこうやって言葉を出してるっていうのもあると思うんですけど、
ただやっぱりどうしてもその命を続けていくこと、その命の火を燃やし続けるっていうのが難しい人もいるっていうことと、
その命の火を燃やし続けるために木をくべることが苦しくなってしまう人がいるっていうのはもちろんあるわけなんですよね。
家庭環境だったり、そこでの自分がやることに関してだったりっていうか、
それっていうのも僕たちの小さな目から見える、小さな頭で考えられることっていうのはやっぱりお互いに支え合って生きていくっていう部分だと思うんですけど、
そのじゃあ支え合いってどういうことかっていうと、やっぱり一人では生きられないよねっていう大前提なんですよね。
だからこそなんか自分、自分自分っていう生きるんじゃなくて、やっぱ他者に対してできることは何だろうかっていうか、
僕、今の僕が世界に対して何ができるか、何をすることができるかっていうのを考えていったり、
ここで言うのはやっぱ、今日問いにしたいのは、その生きるということだったり死ぬっていうことは簡単なものとして測ることはできないっていうことなんですよね。
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その一方向から見ればこれが正解だよねとかっていうことではないっていうことなんですよ。
その生き死に関することっていうのは、もちろんその命とかどういうふうに生きて人が生きていくこと、人が死んでいくことっていうのが、
まあよしよしじゃないですけど、どういうことなんだろうというか、どういうふうに感じてどういうふうに人は生きていくことがいいんだろうかというか、
どうすることができるのかっていうことというか、僕たちがそこを感じたり考えたりしていかないと、
なんかこの先この世界に飲み込まれてしまうような気がしたんですよね。
例えばAIが進化していったりして、僕たちの脳の外付けハードができたっていうことに関してなると、
じゃあ僕たち脳いらないんですかってなっちゃったりすると思うんですけど、
だってそうなるとじゃあ人が人として生きることってどういうことなんだろうというか、
じゃあ人が死ぬことっていうのはどういうことなんだろうっていうのを、
僕たちは問い続けなきゃいけないし、僕たちがこれから生きていく上にあたってそれが一つの核として、
なんていうか一人一人が持ってないといけない部分なのかなと思うんですよね。
じゃないとなんか、どういうことというよりかは生きるということを感じにくくなってしまうような気がしたんですよね。
その生死だったりっていうか、生きること死ぬことっていう命ってどういうことなんだろうっていうのを、
やっぱり僕たちは考えなきゃいけないし、僕も考えていかないといけないし、
その中でじゃあどういうふうに大切にしていくか、どういうふうに僕たちは思い考え、
お互いに対して渡したり受け渡したりしていくかっていうのはやっぱり考えていかないといけないし、
いけないというよりかは、これから大切になってくるよなっていうのは思ったという。
はい、今日この方でした。
じゃあここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。