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2022-03-14 34:56

第72回 「テナント」バーナード・マラマッド著

【今回の紹介本】 

■『テナント』バーナード・マラマッド著 青山南訳 

ユダヤ人の作家と黒人の作家志望が、廃墟に近しいアパートでぶつかり合う! 

激動の時代にマラマッドが挑戦したサイケデリックな異色作。半世紀の時を経て日本に翻訳された、切れきっれな作品。 

是非、お聴きください。 

【番組内で紹介したトピック】 

■『テナント』バーナード・マラマッド著 青山南訳 みすず書房 https://www.msz.co.jp/book/detail/08975/ 

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【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

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#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

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どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。お相手は、私の好きなダイチと羊を巡るカフェのミエの二人でお送りします。
文学のプロデューサーはナイフ・テディですが、東京と京都をつないでお互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。番組概要欄に詳細情報を記載しているので、初めと気になる方などそちらを見ていただけるとありがたいです。
ありがとうございます。本日はバーナード・マラマッドのテナントという作品をご紹介したいと思っております。これはですね、ミエさんチョイスなんですよね。
そうですね。僕が知っているカフェのお客さんで海外文学好きな人がいまして、その人が去年読んだ中で一番良かったのがこのテナントだというので教えてくれてですね、確かにこれはすごい面白そうな作品だなと思ってちょっと今年どこかのタイミングで紹介したいなと思って今回取り上げてみました。
先週が幼年期の終わりというSF作品で、人類というのが宇宙人に一括りにされてしまうというようなそんな話ではあったんですけども、今回のテナントではアメリカという国の中でも決して一括りにはできない人種の対立というところも描いたりしているので、前回との流れからでもこのテナントというのは面白いんじゃないかなと思っています。
私これ今回テナント全く知らない状態で読んで、名産人にこれやろうって言われて読んでめちゃくちゃ面白くて、久しぶりにちょっとこんなヒリヒリした小説読んで、ちょっとかなり心を動かされましたね。個人的には多分ちょっとまだ2月収録これ2月段階なんですけど、多分今年読んだ本のトップ10には確実に入りそうな感じです。
ちょっとね、これからいろいろ待ってるからちょっとわかんないけど、いやこれ結構すごかったっすね。
確かにラジオ今までやってきた中で一番熱量を感じた作品かもしれないと思いますよね。
これだけの熱さがあるというかですね、ちょっと熱苦しいぐらいの結構力強さがあったので、じゃあ今回紹介するのがバーナード・マラマドのテナントになります。役は青山美奈美さん。ミスズ処分から2021年1月に出版されています。
そういえばラジオでミスズ処分を紹介するのって初めてですね。
そうですね。ミスズ処分、私久しぶりに買いましたね。ミスズ処分の方。
僕もそうです。今までそんなに持ってはいなかったんですけど、本当に久しぶりに買いました。余談なんですけど、ミスズ処分のホームページがですね結構面白くて、新刊の背拍子がずらーっと並んでいる作りになっていてですね、結構それを見るのが楽しくて、たまにホームページを覗いてますね。
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この辺結構出版社のホームページ、やっぱりそれぞれ特徴があったりするんですけど、個人的にはミスズ処分がもしかすると一番好きかもしれないですね。補足をしていこうと思うんですけども、まずこのテナントは原作は1971年に出版されていて、マラマドが小編8作書いてるんですけども、翻訳としては一番最後に翻訳されたものになります。
マラマドはアメリカを代表する作家であって、短編の名手として知られてるんですけども、長編も残しているということで、短編だと魔法の樽というのがよく知られていて、長編だとアシスタントという作品が知られているかなと思います。ただ、絶版本も多い作家であるみたいですね。
で、今回のこのテナントっていうのは結構マラマドさんの中では異色作のような形みたいなので、なんかこれを初めに読んでしまって、ちょっとこのマラマドさんの印象つけちゃうのはちょっとどうなんだろうなぁとは思ったんですが、まぁでもめちゃめちゃ面白かったんで、まぁそこはいいかなとは思いつつですね。
そうですね。
他の作品もやっぱり読んでみたいですね。
いや本当マラマドすごい惹かれましたね。
うん。今回翻訳はですね、青山みなみさんという方がされています。で、私ケルアックのオンザロードがすごい好きで、あの青山みなみさん役の川手書房の文庫で出てるやつですね。すごい好きなんですけど、いや久しぶりにこの青山みなみさんの翻訳を読めたんでちょっと感動もしました。
僕もそうですね。ケルアック、オンザロード、懐かしいですね。昔読んで。それ以来かもしれないですね。確かに。
うまいなと思いましたね。やっぱり翻訳。まぁちょっとその辺も多少後で触れるかもしれませんが。
じゃあこの本、具体的に話していきたいと思います。
我々のラジオ最近ではですね、作品紹介はストーリーの前にちょっと魅力をお伝えしてから話した方が聞いていて楽しいのかなと思ってそういう構成をとっていたんですけれども、この作品はですね、ストーリーをしてから魅力を聞く方がおそらくイメージしやすいんではないかなと思うので、まずストーリーをお先に伝えたいと思います。
では先にですね、ストーリーということで作品紹介していきたいと思います。
まずあらすじなんですけども、1960年代末のマンハッタン再開発。
立ち抜きを迫られながら居座る住人、テナントは新作完成までと粘るユダヤ系作家、張り入れさはただ一人のはずが、他の空き部屋からタイプライターの音が誰かが書いている。
そこから始まる作家志望の黒人ウィリーとの壮絶な心理戦。
シニカルでコミカルで再建、黒人白人男女入り乱れて果てはラップや禁止用語まで問い出すマラマドの異色作を黒人差別問題が再燃する今、名手の翻訳で初紹介となっています。
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ちょっと作品概要のすぐ後ろの方に本であったりホームページで紹介されているんですけども、アレク・サンドルヘモンさんという人のコメントも書かれていて、テナントはアメリカの文学の歴史においてターニングポイントになっており、文学にアイデンティティポリティクスが台頭してきたこと、純粋芸術の可能性への信頼がなくなってきたことの始まりを示しているというのが書かれていて、
その時代性というかですね、そういうのもある作品になっていますね。
なるほど、じゃあざっくりとですね、ストーリーラインを私の方からお話ししたいと思います。
ちょっとあらすじを補強するような形になりますが、このテナントの主人公はユダヤ人の小説家であるハリー・レサーという男が主人公です。
36歳、未婚です。
今住んでいるマンションの取り壊しが決まって立ちのけを迫られているという状況です。
なんですが、現在ですね、このレサーはですね、自身3作目の小説を執筆中であり、どうしてもこの書き続けた場所で完成したいという気持ちが強く、動きたくないという、
動いたら完成できないんじゃないかという強化概念が結構あるんですけど、があって立ちのけというのを断り続けています。
最終的に彼がマンションで、このテナントでただ一人の住人となって居座るという形になります。
これなんですけど、法的にはですね、レサーは居座っても全く問題がなくて、
なので公が説得するしかないという流れになっていて、この公が何度も説得するようにいろんな方法で迫ってくるんですけれども、
このレサーはですね、全く耳を貸さないという状況が続いています。
レサーは20代の時に書いた小説がちょっと映画の権利として売れていて、その時に得たお金というのをやりくりして生活をしています。
なので書くことに専念はしているんですけれども、めちゃくちゃ質素な暮らしをしています。
そんなレサーなんですけども、ある日、もう誰もいないはずのマンションの別の部屋から、自分のフロアの別の部屋からですね、タイプライターの音が聞こえてくるというちょっと怖いシーンが始まります。
で、これ誰がいるんだって探し出すと、彼の隣の部屋に黒人が猛烈な勢いで文章をタイプライターで書いてました。
これが黒人ウィリーとの出会いなんですけれども、同じように小説家、ウィリーはまだ一冊も出版しないんですけれども、小説を書いているという男と出会うというところからこの話が始まります。
この2人はですね、ちょっと憎しみあっているようで、友情を築きながらちょっと関係が深まっていき、ウィリーはレサーの部屋でパーティーでもじゃないかと提案します。
そこでですね、レサーはウィリーの白人の彼女がいて、白人の恋人アイリーンというのが出てくるんですけれども、そのアイリーンにレサーは一目惚れしてしまいます。
この結果ですね、レサーとウィリーとアイリーンのちょっとなんとも言えない三角関係が始まっていきます。
ウィリーは自分が行き詰まっているのでちょっと読んでほしいと言われて、このウィリーの小説なんですけれども、不遇の黒人を描いた内容というのをレサーは評価する一方で、
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技術的にちょっと未熟な部分があると指摘します。
ウィリーはですね、自分のスタイルで機体とカット質も技術の向上を目指して描き直していくんですが、なかなかうまくいきません。
ウィリーはなかなか小説に関して行き詰まっていきます。
ウィリーとレサーとアイリーンのこの三角関係の結末と、この2人の作家の小説がどう完成していくのかということがどんどん絡み合っていって、最後結構大きな事件が起きて終わるというのがこの話の流れでございます。
この小説、作家と作家志望の2人が主役というので、僕は長編小説としてしかも書かれてるんで、読んでて、書いてみたいと思う人にとってもすごい刺激的な内容だったなと思いますね。
個人的には小説を書いたことがあったりとか、今書いてる人にすごい刺さる内容だなと思いましたね。
本当ね、すごいなんか触発されるものがあるなと思いましたね。
ちょっとここから作品の魅力であったり印象に残ったっていうところを話していきたいと思うんですけども、まずは本当にその主役の作家の、あと作家志望のウィリーもそうですけど、その2人の生き様であったり書くことに打ち込む姿勢っていうのがこれがすごく良くて、すごい熱いものを持ってる小説だなと思いました。
主人公のレサは本当疾走な暮らしをしつつ毎日書いてるんですけども、ただ完成が3作目の完成が近いということで、ちょっと集中してて書きたいから環境の変化を嫌ってるんですけども、それによってこの物語が生まれているという、ある意味頑固さによって話ができてるんですけど、
その頑固さというか生き様打ち込む姿勢というのが惹かれるところかなと思いましたね。
そうですね、この作品を支えてるのはそこでしかないようなところもあるんですけど、そこへのこだわりっていうか、みえさんも言ってる熱量みたいなのが本当すごくて、よくここまで書き込められてるなっていう感じるレサとウィリーの人物設定ですね。
やっぱりこの人物設定は本当に人間臭いという、その書くこと以外のところでもわかるなって思うようなところがあって、特にレサなんかすごくストイックなように見えてる、もう書くことしか考えてないみたいなストイックさを発揮してるように見えるんですけど、でもすごい長たりやすくて、
人物設定として多分良くも悪くも小説を書くことしかできず、まあそれにできずというか、小説を書くことしか考えられず、小説を書くことに賭けてしまった人物なんだろうなっていう、多分絵描き方をされてるなと思っていて、そこはすごく惹かれる部分ではありました。
ウィリーも同じなんですけど、ちょっとやっぱりそのアイデンティティのところなのか、やや小説に求めるものっていうのが、同じっちゃ同じなんだけど、なんかうまくその差分を表現できないんですけど、ちょっと違っていて、レサはユダヤだけどユダヤにすごい固執してるわけじゃないけど、
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ウィリーは黒人で黒人に固執しているみたいな、黒人のアイデンティティ、黒人のすごいっていうところを小説を通して見せたいみたいな、表現したいみたいな気持ちがすごく強いけど、レサはそこまでじゃなくて、自分が持っている何かを表現したいみたいな感じなんですよね。
レサがさらに面白いのは、自分が表現したいものを自分が持っていない可能性が高くて、そのあたりがね、結構ね、渇きみたいな、上みたいな感じですごい引き込まれてしまいました。
このレサとウィリーっていうのが、キャラクターとしてもそうだしね、小説として描きたいものというか、目的と言うとあれですけど、なんかその辺も違っていたりしては、その辺面白いところで、やっぱりこの魅力のもう一つというと、2人の作家の友情と対立っていうのも見物かなと思いますね。
レサはユダヤ人で、ウィリーは黒人で、2人やっぱり同じ物書きをしてるんで、友情というのが結ばれていったりするんですけど、ただ対立していく様というのも描かれていると。
これはちょっとテナントを教えてくれたカフェのお客さんに教えてもらったことなんですけど、マラマッド作品に共通して描かれているというのが、到底分かり合えるはずない人間同士が分かり合おうともがく様だそうで、まさにそうだなと思いました。
あ、それ聞くともっと読みたくなりますね。マラマッド作品。
いや、そうですよ。他の作品。
それはちょっと気になっちゃうな。でも確かにそういう視点で見るとね、この作品ちょっと理解しやすくなるとこもあるなと今ちょっと話を聞いて思いましたね。
基本的にはこれレサ側の視点で描かれるので、ウィリー側のことって全て描かれないんですけど、でも要所要所出てくるところで、ウィリー側の葛藤とか思いとか感情っていうのは想像することができて、それに関しては結構共感する部分っていうのは結構ありました。
ウィリーは白人のことを頼りたくもないし、頼ることを考えることさえもきっと嫌ってると思うんですけれども、小説が全くうまくいかないので、でも自分でも全く納得しないままレサに助けを求めてしまうっていう部分が結構描かれていて、この描き方ってなかなか巧みだし、すごい共感してしまう部分ではありましたね。
ちょっと共感の話をさせてもらうと、このメインの登場人物2人っていうのはかなり彼らの内面が描かれるので、共感はめちゃめちゃできるんですけど、なんかいまいち感情移入ができないんですよね。ここがうまい作りだなと思っていて、我々にとって彼ら2人のこの小説に描ける思いとか、なんていうのかな、ちょっとクレイジーな部分があって。
で、それクレイジーになってしまう。そうありますよね。これやばいですよね。本当に一般人には理解できないんですよね。なんかね、このクレイジーになっていくっていう感情の流れはわかるんですよ。でもそこに対して感情移入ができないっていうのは結構思って、まあ何だろうな、彼ら2人が大切にしていること?大切にしなくてはならないと思い込んでいるもの?みたいのがすごいあって。
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で、なんかそれのせいでどんどんどんどん不幸になっていく様もあって、それは見ていてつらいし、現実になんだろうな、これを小説ではなく置き換えることができると思うんですよ。
なんでそんなに大切にしちゃうの?みたいな。なんでそれにこだわっちゃうの?みたいな。コスしちゃうの?みたいなのは誰にでもあると思うんですけど、でもそのそれを差し引いたとしても、この彼ら2人が小説にハマってくる様ってのは普通の感覚ならここまでのめり込まないし、なんか普通人間もっとバランスをとって生きるようなって思うので、そこでね結構共感はできるんだけど感情移入できないっていうのはね。
たまに小説読んでるとあるんですけど、ちょっと私代表的な例で言うと日の名残とかなんですけど、そういうのとかあったりして面白いなって思いましたね。
なるほど。僕も特に黒人のウィリーの方で思ったところとしては、やっぱりウィリーが黒人の本物の精神っていうのを持とうとしていて、そこはなかなか当事者でないと理解できないところかもしれないんですけども、それがどういうことかというと自由を意味してるんですね。
縛り付けるもの、人種的な差別の問題とかで、縛り付けるものっていうのに対して抵抗しないといけない。自由にならないといけないと。それを本物の精神というのを持ったときに、それは小説のスタイルにも同じことが言えて、レッサーはやっぱり小説の完成度を上げるには型というのを学んで、それは技術の向上になるんですけど、技術的にある程度の水準がないとダメだと言うんですけど、
ただ、ウィリーはやっぱり自由でないといけないと。そのためにやっぱり縛り付けるものに対して抵抗しないといけないというのがあるんで、やっぱりどうしてもウィリーももしかすると頭ではわかってたかもしれないんですけども、レッサーの言うことに反発してしまうという、反発するしかないという状況ですね。
なんでレッサーとウィリーって友情は築くんですけど、ただやっぱり対立していくというところは、これは一つはやっぱりウィリーの自分が求めるものを掴もうとすると反発してしまうというそういう差が現れたのかなというの。僕の中ではちょっとそういう思いというのがありましたね。
この描き方すごい上手いですね。振り返ってみると。結局、ちょっとネタバレになっちゃうから最後まで話さないですけど、お互い結構ひどいことし合うじゃないですか。小説以外とは言えないか。お互い結構とんでもないことをお互いに対してしだすんですけど、お互いそうなったら憎しみしかない状況だけど、でもどこか憎しみきれない部分っていうのが見えて。
でもどっちなんだろうな。憎しみ切っちゃってるけど、どこかで自分のように思ってるのかな。この辺は確かにもうちょっといろいろ考えてみないと見えてこないかもしれないな。ちょっと今思っちゃったな。話しながら。
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ウィリーはウィリーで自分の求めるものがあって、レサーもレサーでやっぱり小説に対しての執着っていうのがすごい強くて、そのせいで大切なものを失っていくんですけども、それはもうその大切なものっていうのは、もしかするとウィリーとの友情もそうかもしれないし、もっと他にもたくさん失うものっていうのがレサーには出てくるんですけども。
で、レサーはそこで、一応レサーが書いている小説っていうのが愛をテーマにしているんですけど、ただそのレサー自身がやっぱりその愛を失ってしまったというところがあって、そのためにかわいそうだなと思ったのが、なんかその小説でレサーが本当完成させるっていう執着がありながらも、でも愛を失うために愛のテーマの小説を完成させることが難しくなるっていうですね、そこの不幸ですね。
結構なんかウィリーが自由を求めるけど反発するしかできないっていうと、レサーも完成させたいと思いながら完成から遠くなっていくっていう、なんかこの辺はちょっと二人とも似たもの同士なのかなと。なんかそういう意味ではこの二人の運命っていうのを考えたらやっぱりどっちも悲しいなっていう。
破滅的ですよね。日本の作家の破滅的とはまた違う破滅さを持っているから。
ただこれも個人的な見解なんですけど、ちょっと救いを感じたところもあってですね。それはレサーってずっと小説を書いてきた人間で、それがウィリーと出会って、その後自分が書こうとしていたものを一回ゼロに戻すという、なんかそういうことにもなるんですけども、今までなかった出会いであったり経験っていうのがあったから、もしかするとレサーってずっと書いてはいたんですけど、
なんかその職業としての作家以上のものになったんじゃないかなというのは感じましたね。その作中の中で、なんかその本当の意味でレサーって書くっていうことが人生そのものであったり、もしかするとレサーっていう人間そのものかそれ以上のものかになったんじゃないかなと思ってですね。
そういうのを持ったきっかけがですね、ちょっと作中の中で、詩人のジョン・キーツっていう人の言葉が引用されていてですね。私は日に日に核心を強めていますが、しっかりと文章を書くことは世界で最高のことをしっかりと行うことに匹敵しますというのを作中でレサーがこのセリフをウィリーに教えたりするんですけども、レサーももしかすると世界で最高のことをしっかり行うっていうところ、
そこに匹敵するような人に作中のどこかでなったんじゃないかなって思ってます。これはもうかなりの主観ですけど。
そういう主観を持ってしまうぐらい書き込まれてると思います。この小説は。わかる。
レサーの気迫というか、すごかったんですよね。
でちょっとその気迫の部分につながるかもしれないんですけど、この小説多分大きなポイントとして文章表現がめちゃくちゃ良くて、あとストーリー展開が読めないっていうところが挙げられるんじゃないかなと思います。
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表現がですね、なんていうかもう一言ですごいしか出てこなかったんですけど、読んでて結構イメージさせる力っていうのがすごい比喩表現とか含めてなんですけど出てきます。
これ以前ラジオでも紹介させていただいた、地上で僕らは束の間きらめくっていう本があったんですけど、その時もやっぱり表現力すごいなと思ったんですけど、
それはなんていうか、詩的な感じに寄っていってるすごさで、この作品が持っている文章表現のすごさはまた違うところにあって、個人的にはもう考え抜かれた描写っていうのが連発するところがあって、
読み始めてすぐにこの小説やばいなって思ったんですよね。なんかもう魂こもってんなみたいな。
これはちょっと実際どうだかわかんないですけど、多分一発で出てきた表現じゃないものが多いと思うんですよ。だいぶ考え抜いてこの表現をここに入れようみたいな、この表現をこうしてこうみたいなのになったんじゃないかな。
だからだいぶ書き直しとか、遂行を重ねてるんじゃないかなって個人的には思いますね。
そうですね。なんか言葉の切れだと思うんですけど、それがすごいんですよね。やっぱりこのレサーとかウィリーとかのこの台詞一つ一つが尖ってるというか、あんまりダラダラ書いてなくて、結構本当に切れ味の鋭い文章をスパスパそれを連続で書いていくっていうそんなスタイルかなと思うので。
それで今セリフのところで言うと翻訳もすごくて、多分結構攻めた翻訳してるなって正直思いました。それも感じられましたね。
あとストーリー展開なんですけど、これ本当読めなくて、私はほぼ読めなかったです今回。どうなってくるのこれみたいな。そうなっちゃうのか。
この2人の作家。レサーも何年も本を出版しないので、もう作家志望に近い状況になってると思うんですけど、この満たされてない作家の2人が出会って、おそらく似た匂いを感じながら、でもかなり憎しみあって近づいてきて、
その2人の関係が生み出す話っていうのは、いろんな方向に展開していくっていうのは本当どれも読めなかったので、これどんな風に構成になったのかなってところもすごく気になってしまう。どうやって生み出したんだろうってすごい気になる作品ですね。
結構2百何十ページの量なんですけども、最初の方でレサーとウィリーが出会って小説書いてますってなって、そっから先、この2人でどういう話になるんだってめっちゃ思いましたし、ただすごい読ませる話ではあったので。
この作品なんですけども、ちょっとこれ役者、あと書きで書かれていたところを踏まえてなんですけども、すごくタイムリーな作品でもあるというのがあってですね、テナントというのはマラマンドにとっても野心的な作品だったそうで、時代背景としては1960年代の黒人運動とか、ベトナム戦争への反対行動というのが盛んになって、若者たちの過激な活動とか、それによって事実上な社会風景というのが、
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できて、マラマンドはそこから刺激を受けているのは間違いないんじゃないかと言われていて、そうしたところからもテナントというのが1960年代の混乱から生まれた産物と言えると、そういうふうに役者、あと書きでも書かれていて、これがタイムリーという点では、翻訳が進められた2020年というのが、アメリカでもブラックライブズマターズという黒人差別抗議運動というのがすごく大規模に行われていて、
アメリカ大統領選挙というのもあった年で、そういう混乱というか変化が大きな時代の中で翻訳されたという、そういう作品でもあって、そもそもただそういう時代背景から生まれたものであるというのは間違いないと思うんですけども、ただやっぱりこの作品が持っているそのクオリティというか、レサーとウィリーのこの話というのは、そこのタイムリーなところを抜きにしてもすごく面白いし、
タイムリーなところを踏まえると確かにすごく考えさせるところがあるなというのも一つありましたね。
本国では69年に書かれて70年に発表されたのかなとかだと思うんで、あれなんですけど、やっぱりそこからその時代が変わってないんだなというのがちょっと感じることもちょっとあるので、正直この問題に関して詳しくはないんで何とも言えないんですけど、やっぱりこの昔も今も変わらない、解決されないというか引きずってしまっている問題というのはずっと本当あるんだなって感じましたね。
そうですね。ただ今回僕も大地さんも多分テナントという作品からは書くことっていう、作家というそこが持っている文学の普遍的なテーマですね。結構そこに魅了されたと思うので、これも後書きに書いてある言葉であるんですけど、そこの普遍的な力というのがすごい強いかなというのはありましたね。
確かにそうですね。そこにはちょっとガッツリ心持っていかれましたね。じゃあそんなテナントだったんですけれども、ちょっと最後テーマトーク、ちょっとこれも本編と絡む内容になっちゃうかもしれないですけど、最後このレサーとイリーはなぜ人生を懸けてそこまで書こうとしていたのかっていうところをですね、ちょっと話したいなと思います。
まあでもこれは結構もう私はもう思うのはもう彼らにはもうこれしかないかったんだろうなっていうところにつきちゃうんですけど、でも何でしょうね、まあ2人ともほぼ働かずに他の仕事をせずに小説に向き合って小説を書いてるっていう2人だったんですけど、なかなか現実社会ではこういう人って難しいとは思いますね。
そうですね。しかもこの2人は本当に毎日書くんですけど、一時的にも例えばレサーだったら今住んでるとこから引っ越して別のとこに住めばすごいお金ももらえるんですよ、立ちのき料みたいな。
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なので生活も楽になるはずだし、ちょっとの我慢で普通に考えたらそっちを選ぶんじゃないかなと思うのに、それでももう絶対にもうそんなの1ミリも検討しなくてもう毎日書くっていう、なんかそれがもう人生かけてるなっていう。
人生かけてるとかなんで冷静になれないんだろうみたいな、なんでそんなクレイジーになっちゃうんだろうっていうところですよね。
ウィリーもウィリーで恋人のアイリーンという人がいて、同棲してるんですけど、なんかそこで楽しく生きていくっていうのも1つかもしれないんですけど、ただアイリーンと言うと執筆に専念できないからって言って、それで書ける場所を探していたっていうのはあるんですけども、
ウィリーがそこまでしてでも書くっていうのも、しかも結構ウィリーってパリピなタイプで仲間と楽しくパーティーしてって騒いでっていうタイプなんですけど、それなりに本当に毎日どこか書ける場所を探して猛烈に書くっていう、そこの原動力っていうか。
ウィリーはレサーと出会って自分のスタイルを変えないって言ってるけど、変えちゃってるっていうか、1日4時間しか書かないって決めてたのがね、もうどんどん伸びてて、ずっと1日中書いてるようになっちゃったりとかするから、取り憑かれてしまったなっていう感覚はすごいあるんだけど、でもやっぱりこういうことができる人っていうのがすごい作品を世に残す人たちなのかなとか思ったりもするけど、
こういう人たちばっかりじゃないですね。なんかたぶんしっかり休んでしっかり書いて、しっかり名作を残してる人たちもいらっしゃるので、なんとも言えないんだけど。
そうですね。この2人は確かにズバ抜けても不器用だと思うんですね。むしろ社会のこととか全然目にしないというかですね。自分たちの内側にしか目を向けないというかですね。小説にも生き様にも全て一貫してるっていう。
なんかでもやっぱりそこまでこうなんていうか、なんか若干そんな人物いるの不自然じゃないみたいなこと思われるかもしれないんですけど、でも読んでると結構このやっぱりちゃんとこの流れが描かれてるので、割とこいつらクレイジーだけどこの思いっていうのはすごいなっていうのは受け入れてしまうところがあって、この小説に惹かれちゃうのはそういうところかもしれないなと思いましたね。
人間ってここまでやっぱり打ち込めることってそうないっすもんね。
いやないな。
僕やっぱり思ったのは本当に打ち込めるものがあったから打ち込んでるっていうよりかは、本当に脅迫概念とかあったかと思うんですけど、これしかないと思ってやっていて、もしかするとそれは偽物の打ち込みだったのかもしれないんですけども、でもそれやっていく中でやっぱりレサだったらウィリーと出会って、2人ともそうですけど、それが本物の打ち込みになっていったみたいなんですね。
そういうところはあるんじゃないかなと思いましたね。
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そうですね、お互い描くっていうことに存在意義を求めて、そこに投げちゃってるって言い方だけど依存しちゃってて、そういうことをしてる人物、同じような人に出会ってしまったか故に、自分の方が自分の方がっていう構造になってるよね。
それは上手いよな。なんかちょっとざっくりとした話になっちゃったけど、やっぱりこの作品の魅力というか凄さっていうのは、多分こういうふうにいろんなことを感じさせてくれるところなんでしょうね。今回話してみると見えてきたなってところはありますね。
本当単純な人種の対立の問題とか、決してそうではないなって思いましたね。
これ帯の背拍子にユダヤvsブラックって書いてあるけど、表層だけ見るとそうなっちゃうけど、でもやっぱり深いところではまた違うよね、きっとね。
じゃあこんなところで締めて、最後いつも通りどんな人に読んでもらいたいか感想を交えてお話したいと思います。
いつも通り私からちょっとお話させていただきますと、今回ですね、実はほぼ1日で読んだんですよ。
結構もったいなかったなと思って、ゆっくりいろいろ自分の中に落としながら読みたい一冊だったなと個人的には思ってます。
これなんかうまく言えないんですけど、読書に対して使うようなエネルギーっていうものがあるとしたら、それをゼロにさせられる、空にさせられるようなシーンが多くて、結構読み進めるのは辛いなと思ったところがありましたね。
でもだからといって小分けにして読んでもいいものかっていうのはちょっと違うような気もして、不思議なこの読書体験でした。読みづらさというか、読みづらいわけではないんだけど、自分の中に落とし込むのがどつどつ難しかったりする時があったなと思います。
なんかこう展開と表現がもうめちゃくちゃ面白くて良かったので、それが読みやすさっていうところにもつながりつつも脳への負荷が結構あったなと思っていて、
最終的にはやっぱり心地よい疲労感の残る読書体験だったなと思っています。
これは基本的にはですね、ちょっと変わった小説ではあると思うので、ちょっと誰にも刺さるかどうかちょっと難しいところはあるかなと思うんですけど、結構読んでもらえた一冊ではありますし、
あと確実に読んでもらいたいのは小説を書いている人、書いたことがある人、必ず刺さると思いますね。
よくこれが2021年に翻訳されてくれたと思います。
ちょっと本当青山に感謝するしかないという一冊でございましたね。
僕も2人の作家が真剣に本を書こうとしているすごく熱い小説でやっぱり引き込まれましたね。
ちょっと悲しい部分もあったりはしたんですけども、特に理想と現実というところはそうかもしれないなと思いましたね。
レサとウィリーのこの2人は同じ物書きで、本当に魂が通じ合っていたと思うんですけども、
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ただ現実的な問題が前にあったから、それによって理想からかけ離れてしまう現実になってしまうというですね、
こういう本を読んでいると結構今の目の前の現実というのも意識してしまう、そういう要素もあったなと思いました。
これは確かに大地さんが言ってたみたいに、小説というか物書きの人には本当すごく面白いと思うので、読んでほしいなと思いました。
あとやっぱり文章もすごくいいので、文章からその熱気というかですね、そういうのも感じれるんじゃないかなと思います。
ありがとうございます。すごい本を読ませていただいて、ちょっと三重さんが提案してこなかったから読まなかったから、すごいありがたかったです。
本当にね、全然知らなかったというか、ノーマークだったんで、これは本当に教えてくれた人に感謝です。
本当にすごい良かったね。じゃあ次回告示で終わりますか。
次回はエマ・ドナヒューの星の精にしてをご紹介したいと思います。
こちらはですね、2月末現在日本翻訳大賞の二次選考に残っている作品でございますので、かなり注目作だと思っておりますので、お楽しみにしていただければと思います。
番組の最後になりますが、サポーターというものを募集しております。
詳細は番組概要欄をご覧ください。
番組の関数やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました。
読み返しましたのでございましたら、ハッシュタグそろとび猫たちをつけて教えていただけると嬉しいです。
TwitterやインスタのDMや投稿などでもお待ちしております。
メッセージ本も番組情報欄に載せておりますので、そちらから直接いただいても大丈夫です。
この番組気に入っていただけましたら積極的に拡散共有して広げていただけると大変嬉しいです。
ではまた来週。ありがとうございました。
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