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  2. 第79回 世界が組み変わる遊歩..
2022-05-16 54:34

第79回 世界が組み変わる遊歩(フラヌール)小説「10:04」ベン・ラーナー著

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【今回の紹介本】 

■『10:04』ベン・ラーナー著 全ては今と変わらない、ただほんの少し違うだけで。 

遊歩(フラヌール)小説と呼ばれる奇妙な小説、 語りにくい魅力が詰まったこの作品を、案内人2人が感じたまま話しています。

 是非、お聴きください。 

【番組内で紹介したトピック】 

■『10:04』ベン・ラーナー著 木原義彦訳 白水社 

https://www.hakusuisha.co.jp/book/b278925.html 

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【文学ラジオ空飛び猫たちとは】

硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。

案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ

京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ

文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、

読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!

毎週月曜日朝7時に配信しています。

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#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

00:02
空飛び猫たち。
全ては今と変わらない。
ただ、ほんの少し違うだけで、
主人公の主人を通じて語られる、
世界が組み変わるいくつもの瞬間。
身体感覚は失われ、
過去と未来、事実と虚構、
あらゆる境界が閃き出す。
ポール・オースター・ジョナサンフランゼンが才能を評価する
アメリカの若手作家による
フラヌール小説をご紹介します。
どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、
いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、
文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。
お相手は私小説が好きの飼いの大地と、
羊を巡るカフェの三重の二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、
お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
番組概要欄に詳細情報を記載しているので、
初めてお聞きになる方などそちらを見ていただけるとありがたいです。
本日紹介するのは、十字四分弁ラーナ帳で、
木原義彦さん役白水社から2017年に出版された本になります。
こちらなんですけれども、十字四分という間違いなく名作なんですが、
結構説明するのが難しい本なので、
なかなか今日どう話していこうかなと悩んでいます。
端的に言うと、おそらく読まないと本当の価値が全くわからない小説ではないかなと思っているので、
今日はどんな話をしていくか色々考えてはいるんですけれども、
いい意味でネタバレしても全く何の影響もない本なので、
言いたいことというかネタバレを気にせずに話していこうとは思っています。
そうですよね。この後ストーリーにも触れるんですけれども、
それだけで小説の面白さが判断できるものではないと思っていて、
もっと別のところに、ストーリー以外のところに魅力がある小説だと思うので、
そのところを話していけたらなと思いますよね。
ネットで評判とか見るとですね、結構この十字四分はストーリーが面白くないというですね、
そういうので低評価をされることがあるみたいで、
そういうストーリー中心の見方で読むと面白くないと思われることもあるみたいなんですけれども、
でもそこは違った読み方というかですね、
もっとストーリー以外のところでも楽しむことができる小説かなと思いますので。
これストーリーなんだろうな、
ストーリーを説明してもこの小説の良さは伝わらない気がするけど、
かといってストーリーが面白くないわけはない感じはするけどな、なんだろう。
03:02
一本道ではないっていうこと?
ああ、そっかそっか。
分かりにくいっていう。
うん、分かりにくいはあるよね。
こういう話にしたって一言じゃ言えないもんね。
そうですね、何かその目的に向かって進むとかそういうものではないと思うんで。
でも正直読んでて、これなんかもう最初からやべえ名作だっていう感じがすごいしたんで、
確かにこれ最初の30ページ読んで合わないと思ったらもうあるかもしれない。
その人には合わない小説なのかもしれない。
最初多分読んで名作だなって思ったのは本当このベンラーナーの文章というか文体というか、
そこかなとは思うんですよね。
すごい詩人でもあるし、
すごい物事を考えてる内省的な人というかですね。
それがいきなりビシッて書かれてますしね。
最初からそこにちょっと痺れましたね。
この作品が書こうとしていることは帯にも書いてあるんですけど、
ほんの少し違う世界があるとしたらみたいなところが主題で置かれていて、
読んでると存在した過去が揺らいでいったり、
来ると思っていた未来が消えていくようなほんの少しだけ違う世界が顔を覗かせるそんな不思議な小説なので、
試行実験とまでは行かないけど、
行ったり来たりするのが好きな人にはめちゃめちゃハマる小説だなと思ってます。
なんか独特な読み応えありますよね。
他にはないね。
読んでて、さっき一本道って言いましたけど、
同じところ行ってきたりしてるのかもって多いようなところがあったりして、
その独特な感じも後で触れていけたらなと思ったりしてます。
ちょっと先に作者のベン・ラーナーさんについてなんですけども、
ベン・ラーナーさんは20代から主人として活躍して有名だったという人で、
初めて書いた小説が絶賛されて、その小説も書くようになっていくんですけども、
ニューヨークワシがベン・ラーナーさんに短編を書いてほしいという依頼をして、
その短編を書いたんですけども、
さらにそれをもっと膨らまして長編にできないかという話になっていて、
その短編をベースに作られたのがこの10時4分という作品で、
なのでこの10時4分はこのために作られたと言いますか、
結構作られるまでに過程があったというのが実際みたいでした。
ベン・ラーナーさんの小説はポール・オースターやジョナサン・フランゼンという
アメリカの文学界の大御所の人たちが絶賛しているというですね。
その絶賛当時は若立作家であったと。
今はニューヨーク私立大学の英語学科の教授も務めていて、
以前このラジオで紹介した地上で僕らは束の間煌めくという小説を書いた
オーシャンボンという作家さんをゼミで指導していたということもあるという、
06:00
そういう方になります。
ありがとうございます。
これタイトルの意味なんですけれども、
10時4分というのはバック・トゥ・ザ・フューチャー、
映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーを多くの人が見たことがあると思うんですけれども、
名作の映画の主人公のマーティがですね、
バック・トゥ・ザ・フューチャーの第一作で、
最後、過去から現在へ戻るシーンがあると思うんですけれども、
その時に雷と時計台を使って飛ぶ時の時刻が10時4分となっています。
この小説で繰り返しバック・トゥ・ザ・フューチャーの話が出てきたり、
10時4分にやたらこだわる描写が出てきて、
ここを起点にしているというか、
起点にしているわけではないか、
ちょっと変わってしまうというところを主題に置いている小説なので、
ここに対する妙なこだわりみたいなのがたくさん出てきますね、この本を読んでいると。
バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいに過去に戻って何かをしてみたいな話ではないんですけど、
メタファーなのかなというか、
イメージとしてずっとこの10時4分というのが出てきて。
バック・トゥ・ザ・フューチャーは本当に作品の最初から最後まで、
結構まんべんなく出てきているなというのが読んでいて思ったんですけども、
それだけすごくその映画から影響を受けているんだろうなというのをすごく感じましたし、
実は僕はバック・トゥ・ザ・フューチャーを見たことがないんです。
マジですか?嘘でしょ?
見ずに大人になってしまった。
今結構衝撃だった。
私DVDボックス持ってますよ。
すごいじゃないですか。
これは何回も見返すだろうなと思って。
永遠の名作だって。
見ないといけないなと思いつつも時間が経っていったんですね。
今からでも遅くないと思います。
分かりました。
マジか。なるほど。
その共通項がない状態で十字音符を話すことになるとは思わなかった。
でも正直バック・トゥ・フューチャー見てなくても楽しめますけどね。
そう思います。
なんとなく認識間違っているのかもしれないんですけど、
なんとなくは分かるので、こういうことを言っているのかなって思いました。
作中でも。感じ取るって言いましたね。
たぶん映画見てない人は大丈夫かなとは思います。
そうですね。確かに。
ざっくり言うと、過去に行ったり未来に行ったりして歴史が変わっていく話ではあるんですけど。
そんなところは知っている。
トラブルもですね。
そんな余談を置いておいて、具体的にちょっと入っていきましょうか。
ではですね、ここからまず十字音符のあらすじを説明していきたいと思いまして、
これはウェブサイトで掲載されていたものを引用しているんですけども、説明しますと、
09:05
全ては今と変わらない。ただほんの少し違うだけで、主人公の主人を通じて語られる世界が組み替わるいくつもの瞬間。
身体感覚は失われ、過去と未来、史実と虚構、あらゆる境界が閃き出す。
モンスター・フランゼンが才能を評価するアメリカの若手作家によるフラヌール小説。
フラヌールというのは和装部に歩くと書いてUFOという漢字があるんですけども、それのフラヌールと呼ぶみたいです。
UFO小説、フラヌール小説と呼ばれます。
続けて、ハリケーンの上陸が迫るニューヨーク・ブルックリン。
詩人である語り手の僕は、前年に発表した小説デビュー作で思いもよらぬ評価を受けていた。
新たにニューヨーク話に掲載された短編を組み込んで長編を書くと約束すれば、六桁経の原稿料が前払いでもらえるという。
その一方で、帰りの可能性があると診断された僕の大動脈。
人工受精のために僕の精子を提供してほしいと言い出した親友の女性アレックス。
ニューヨークの街を歩き回ったり、テキサス州マーファーで芸術家としてレジデンス生活を送ったりしながら、
僕は長編の構想を練る。
そして自分が買って雑誌を編集していたときに著名な詩人たちとの間で交わしたやりとりを偽造し、小説に取り組むことを思いつく。
作者は1979年生まれの若手。
詩人としての評価も高く、本作の自意識的な主人公の語り手もその独特のリズムを存分に味わえる。
同時に複数の未来に自分を投影してみようと思うと、冒頭で宣言するこの語り手を通じて私たちはいくつもの現実とはほんの少し違う世界を目撃する。
図版多数収録というあらすじになっています。
そうですね。これがこのあらすじの通りといえばあらすじの通りなんですけど、もう全員ちょっとよくわかんなくなっていると思うんですが、
本筋はまたちょっと後で説明しますが、結構この最後の図版多数収録っていうのもなんだって思われた方あると思うんですけど、
小説なんですけど途中で話している内容を補足するような図版がいくつかできます。
結構それが面白かったりするんで、その辺もですね、もし本屋さんで見かけたらパラパラ見てみると面白いかなと思います。
あと先ほどの10時4分が書かれた背景というのと、この作品の中のあらすじというのが結構一致していてですね、
この辺も作品のフィクションでありながら自伝的な要素も生まれているという、そういった内容になっています。
ちょっとストーリーを話す前にですね、この本の魅力みたいな部分を話していきたいんですけど、
まずこの本なんですけど、さっきから繰り返しお話しているようにやや仕掛けが奇妙というか変わっていて、
12:05
読んでいるとですね、何が小説の中でこの小説の現実なのか、それともこの主人公の僕が起きてほしいと願っただけのことなのか、
それとも何かの妄想なのか、ちょっと一瞬判断がつかなくなることが多いんですけど、
正直読んでいると、どっちでもいいかなと思ってきてしまって、最終的には不思議な感覚に陥りながら、
この主人公の視点についついついていってしまうという、本当に不思議な小説だなと思いました。
僕が読んでいたときの感覚としては、主人公に動詞化しているというかですね、
本当に主人公目線になるし、主人公の人生を追体験しているような、
ちょっとライブ感もあるかのような、このライブ感というのがですね、
本当に主人公がやっぱりあちこちに話が展開していてですね、結構先が読めないというか、
先まで言っていたことと実際起きることが全然違っているとかですね、
そんなのばっかりで、そこが結構面白い追体験みたいな感覚になりましたね。
これは結構計算されている感はすごいあるね、本当そこは。
ただ単に起きたことを羅列しているわけではなく、
出す順番とか読み手がどう印象をつけるだろうかみたいなところは、
ちゃんと考えて書かれているんで。
そうですよ。話は決して破綻とかしているわけではなくて、
多分材料をすごい上手いこと散りばめて書かれているんだろうなというのは感じましたね。
冒頭でもちょっと話したんですけど、読んですぐ名作だって思ったんですけど、
さっき三枝さんが言ってた通り、文体とかなんだと思うんですけど、
正直最初自分がこれ何がいいのか全くわからないけどいいなって思っている自分がいて、
これはすごいぞと思いながら何がすごいんだろうみたいな、
自分の中で上手く言語化できないままちょっと最初読み進めてたんですけど、
確かにおそらくこの作品が持つ語り口とか文章のリズムとか、
心情やこの情景を細かく表現していくところが良かったんだろうなと思います。
上手く言えないんですけど、読んでて心の芯が興奮していくような感覚がすごい最初あったんですよ。
なんかすげえいいもの読んでるみたいな、何なんだみたいな。
心の芯が興奮していくようなっていうのはちょっと珍しい表現ですよね。
大地さんから初めて聞いたようなことまで。
なんだろう、でもなんかすごく興奮しましたね最初。なんかすごいいいって思って。
でもなんかその良さが全然自分の中で何がいいんだか全くわからなくて、
ちょっと今心の芯が興奮していくようなって言っちゃったけど、
まあでも上手く言えないんだと思います。
結局まだ上手く言えないままちょっと収録を迎えちゃってる感じがしますけどね。
まあでも文体なのかな、やっぱり。
確かにね、この文体の魅力ってすごいあると思いますね。
例えばなんですが、すごい最初ここの表現良かったなって思ったのが、
15:03
これは出だしすぐの12ページ。
主人公の作家が親友の女性のアレックスと美術館に行くんですけど、
そこで美術館に行ってアレックスから人工受精したいから精子提供してほしいという話題を切り出されるんですけども、
そこに至るまでのちょっとした説明ですね。
なんで美術館なのかっていうところの話がなかなかいいこと書いてるなと思ってですね。
ちょっと読み上げるとですね、彼女がコーヒーを飲んでいる時とかではなく、
美術館でその話題を切り出したのはひょっとするとそういう場所だとお互いに向き合うのではなく、
目の前のキャンバスを一緒に見るせいで散歩の時みたいに視線が平行になる線で区切って、
それは最も親密なやり取りをする時の必要条件だからかもしれない。
目の前にある文字通りの風景を共同構築しながら、2人で見方を話し合うのだ。
僕たちは互いの視線を避けていたわけではないし、
僕は影のある彼女の目を線で区切って、透き通った光彩ストラマと色の濃い上皮が大好きだったが、
2人は目が合うと黙り込むことが多かった。
例えばランチの間はずっと黙っているか、可愛いのない話をしているかだったのに、
歩いて帰る途中で彼女の母親が真っ気と診断されたりと聞かされたり、
その後僕たちが線で区切って、彼女は涙を流しながら、僕はその肩を抱きながら、
それでも2人とも前を向いたまま、アトランティック通りを歩く姿をあなたは見かけたかもしれない。
あるいはひょっとして、ブルックリンブリッジの途中で最近ますます涙もろくなってきた僕を、
逆に彼女が慰めている場面をあなたは見たことがあるかもしれない。
うん、わかります。私もここすごい印象に残った。これ上手いですよね、ここね。
主人公と彼女の関係とかどうなのかって、ちょっとなかなかユニークな、
この男女の友達の設定なんでわかりづらいんですけど、
すごくその2人のユニークな設定だった。ちょっと読むとそれが馴染んでくるというかですね。
そんなふうに思いましたし、美術館に何でわざわざ入って、
そんな性質提供の話をするのかというところも、ちゃんとそこに理由があってというところで、
これいい文章だなというのを思いましたね。
こういうところが上手いですよね、なんか書き方が。
うん、そうですよね。あとは、これも文章の魅力の一つだと思うんですけど、
主人公、それはつまりベンラーナーのことなんですけども、
おそらくカッコつけてなくてですね、本当にあるがままに書いてる部分があるのかなと思って、
結構恥ずかしいことも書いてるところがあると思っていて、
なんかね、そこを自覚的に、しかもユーマーを交えて書いているので、
結構そういうのを読んでると面白くてですね。
これも例えば、ちょっとこれ小説内小説の中で出てきた部分で、
この主人公がめっちゃ、なんていうんですかね、
この小説内小説の主人公も同じくベンラーナーというか主人公。
18:02
ややこしいんですけど、主人公なんで、作家であり詩人なんですけど、
その人がですね、結構気動た、周りくどい喋り方をして、
相手に物事を伝えるタイプの人間なんですけど、良かれと思って、
それに対して女性ですね、愛嬌というふうに話を聞いて受け止めて、
で、他の小説と同じ喋り方をなさるんですねって言って、
これが皮肉と言えば皮肉になるんですけど、
それで一気にその主人公がもう、なんかね、凶が覚めてしまって、
なんかすぐにしょんぷりしてしまうという、そんな一幕があったりして、
もしかすると、詩人とか作家さんならではならないかもしれないんですけど、
こんな面白い絵っていうのがあったりしましたし。
僕はやっぱりこの文体というところは、すごい文章を書いてるなと思う一方で、
やっぱり慣れるまでは読みにくいなと感じていてですね、
実は100ページぐらいまで読んで、全然頭に入ってこなくて、
もう一回一から読み直したんです。
それぐらいちょっとね、何の話をしてるのかって、
もう分かんなくなってくることがあって、
あと慣れたら、やっぱり2回読み直すとちょっと頭に入ってきたんですけども、
やっぱり作者の人が芸術家派だというか、感性が豊かなので、
情報量が多い文章を書かれているなというのは、
そのため集中しないとなかなか頭に入ってこない文体でもあるかなというのは思いましたね。
私実はですね、最初全然大丈夫だったんですけど、逆に途中で集中力が途切れた瞬間があって、
全然頭に入らないまま2、30ページ読んでた時がありました。
で、「あれ?」って思って、「何だっけな?」って思ってちょっと戻るみたいなことは結構やってましたね。
最初の100ページぐらいは結構私すんなり逆に。
コロナが2回目読み直した時からは比較的スムーズにいけましたけども。
最初のページの方がすごい楽しいと思いながら読んでるんだ。
あとこの小説の特徴で、さっき大地さんの話でも文字情報だけではなくて、
例えば画像が入っていたり、あと小説内小説も入っているし、
詩であったり、あと実は自動書も中に挿入されているんですね。
すごく表現手法が多彩というのが特徴としてあって、
これは面白いのが、作中で実際そういう話をしてるんですね。
例えばバックトゥーザーフィーチャーのこういうシーンがあってとかですね、
バックトゥーザーフィーチャーのその画像が入っているし、
主人公の作家がこんな小説を書こうと思っているみたいな話になったら、
それが小説内小説として出てきたり、詩とか自動書もそうですね。
ロベルトという少年にこんな恐竜の物語を作ったよって言ったら、
それが実際に4ページぐらいかな、自動書が挟まれていたり。
21:03
この辺はすごいことやってるなっていうのは感じましたね。
ロベルトのやつ好きなんですけど、後でちょっと触れますな。
思ったより面白かったですね。
あのね、この表現手法で言うと詩についてですね、
やはり元々ベンラーナーという人は詩人であったので、
作中にも詩が出てくるんですけども、その印象、
読んだ上での印象で思ったこととしては、すごく平坦な言葉で書かれていて、
読みやすい詩ですし、優しい印象があるというかですね、
言葉遣いがすごく優しいなというのを感じました。
詩からすごく作者の感情というのが伝わってきて、
詩の中にも主人公というかベンラーナーという人のアイデンティティというのが
すごく含まれているんじゃないかなというのは読みながら感じましたね。
全体的に文章で極端に難しい言葉が使われていない印象ですね。
それが結構配慮されている感じがする。
ちょっと情報量がめっちゃ多いっていうぐらいで、
言葉遣い自体は難しくないし、
むしろ優しく書いているところもあるんじゃないかなとは思ったりしましたね。
正直ですね、最初に話した作品の魅力みたいなのが、
正直この10時4分で話したいことの中心ではあったような気がするんですけど、
この後はストーリーに少し触れたいと思います。
ストーリーだけを話しても結構突拍子もなかったりするし、
ある意味一人の人間に起こる生活のトピックを拾っていっているような感覚なので、
一貫性はないです。
なんですけれども、描き方が上手いので、
描かれていることがどれも印象に残っていくような感じになっています。
とはいえ、ここでは最低限この10時4分という小説を知る上で、
抑えるべきところを話したいと思います。
冒頭でまず、主人公は作家であるということが分かって、
何回も出ていると思うんですけど、
ある短編を長編にすることで、
前笑いで結構多額の原稿料がもらえるという状況になっているという話が出ます。
エージェントから、どうやってその短編を膨らませるの?
ということを聞かれるんですけれども、
主人公はいくつもの未来を作品の中に投影してみようと思うというところから言い出して始まります。
これが前置きみたいな感じですね。
実際には、またこの主人公に多額の原稿料が入るかもしれないみたいな話は、
この小説の半ばぐらいでまた出てくるので、
これは本当前提だったんだなということが後で分かります。
最初ですね、主人公には大両脈流という、
大両脈の中で一部大きくなってきたりしていて、
破裂したら死ぬ可能性があるというところが示されます。
診断されるところから始まりますね。
これがどれくらいの危険性を持っているかというのが、
ちょっとこの最初の段階では全く分からなくて、
手術しなくてもいいかもしれないし、
手術しなきゃいけないかもしれないし、
24:00
もしかしたら急に破裂するかもしれないとかいうこともあって、
なんというか、いきなり命の危険性みたいな話が出てくるときに、
この主人公の自分の存在が由来できるような設定から始まっていきます。
結構この小説で超重要人物になってくるのが、
主人公の親友アレックスという女性がいます。
この人は子供が欲しいので、主人公に生死を提供してくれと言ってきます。
主人公と関係が長いので、改めてセックスするというのはちょっと気恥ずかしいというか、
変な感じがするというので、
人工受精をしてほしいという話が出てきます。
その結果、できた子供に対して父親として振る舞うかどうかは、
おいおい考えてくれればいいけれども、生死を提供してほしいという話が出てきて、
正直主人公はこれに対してどう判断していいかわからない状態で話が進んでいきます。
もう一人そこそこ出てくる重要人物で、アリーナという女性がいるんですけど、
これは現在の主人公の恋人みたいな位置づけなんですが、
この人はですね、破損した美術作品を集めて展示するという不思議な行動というか企画をしている人です。
実際にその展示会のシーンとかも出てきます。
いろんな話があって、尊敬した主人が骨折して入院していたりとか、
そこにお見舞いに行ったりとか、
あとちょっと個人的に面倒を見ている男の子とのやり取りとか、
いろんな流れがあったりするんですが、
最終的に物語の仲間で彼はこの多額の原稿料が入る予定の短編を長編にするという仕事をするという決意をして、
ちょうど5週間ぐらいですね、テキサス州マーファーという街で、
ある財団が芸術活動を支援するために滞在させてくれるという企画に彼は選ばれていたのかなっていう状態で、
そこで一人しばらく滞在するということになります。
そこで執筆するのかと思いきや、
行ってもその長編集図全然書かずにですね、ホイットマンの詩や著作を読んだり、
アローコとかドラッグパーティーとかに行ってしまって、ドラッグを決めてしまったりとかするっていう、
ちょっとですね、やばい展開とかもちょっと見せてきます。
でなんやかんやって戻ってくるんですけど、
その後はアレックスと子供を作るということにちょっと励んでいくような流れになっていき、
最終的には物語の最後か、
その辺の描写があって終わるっていう小説になっています。
今話したとおりですね、結構筋がもう行ったり来たりしててよくわからなくなるというような小説なんですけれども、
変わった出来事っていうのは結構起こってるんですけども、
一貫した筋みたいのは全くなくて、
ただこの主人公の生活を描写していくような小説になっています。
ただそこで描かれていることが印象に残っていくというような感じですね。
ストーリーというと本当今の流れで何か特別ドラマチックな展開とかっていうのがあるわけではないんですけども、
僕がちょっとストーリーについて思ったことがちょっと二つありまして、
一つがですね、これが現実とフィクションが入り混じったようなストーリーかなと、
27:03
自伝的な要素が非常に強いベンダーな作品というので、
これは小説を読んでいて思ったんですけども、
この作者は詩人であって、頼まれて長編小説を書いているというところもあるので、
本当はフィクション、ストーリーというのを書きたいんじゃないのかな、
ただそれが思うようにできなくて詩を書いてしまったり、
全然違う行動をしてしまったりして、
最終的にこのような形というか、自伝的な自分の人生と少し違う曲法の部分というのを織り混ぜて、
この小説を仕上げたんじゃないかなというのはちょっと読んでて、
そうかもしれないというのを感じましたね。
確かになるほど、そうかもしれないですね。
最後まで読むとね、やっぱり作者が結構もうがけっぷちにいるなという状況があってですね、
何ががけっぷちかというと、ちょっとボロボロはあるんですけども、
すごい売れっ子作家で、大学でも教えていて、
余裕のある暮らしをしているインテリとかが決してそういう人ではないなというのがですね、
読んでいくとわかってきて、本当にそういう意味では最終手段として、
この小説をこの形で書いたんだなというのがあって、
ちょっとその辺は感慨深いところが大事なのでは。
ある意味すごくセキュララだなと、
この本を主人公の著者と同一化しすぎるのは良くないのかもしれないけど、
セキュララだなって思うところはいくつかあって、
5週間ね、芸術活動のために滞在した場所で小説を書かないっていうところがもう。
そうですね。
正直めちゃめちゃ共感してしまう部分でした。
そう、滞在目的とやってることが全然違う。
そんな話が結構いっぱいあって面白いんですけど。
そうですね、そんなところで結構逆的な話、
これもし自分だったらこれはちょっと恥ずかしいなっていう話がやっぱりいっぱい書かれていて、
でもそこに世界との繋がりを感じているところがあってですね、
それが人間味というところなのかもしれないんですけども。
あと脱線も多い小説なんですけど、
脱線した先、本筋とは関係ない話と思っていたところにもやっぱりそこと主人公との繋がりっていうのも感じれて、
そういったところではストーリー性と言っていいかどうかあれなんですけど、
ストーリーの中にある人との繋がりとか世界との繋がりみたいなところがすごく書かれているなっていうのを感じて、
そういうところは面白かったです。
この中でちょっと登場人物について触れたいんですけれども、
さっき言ったときに三井さんが言った人間味っていう部分がですね、
正直すごく小説を支えているなと思ってまして、
話の筋の無さや唐突さに比べてですね、出てくる登場人物が異様にリアルなんですよ。
30:04
この漢字がすごく良くて、それがこの小説を読ませてくれる力にもなっているなと思ってます。
文体もすごくいいんですけど、この登場人物のリアルさっていうのが、
この本を読む上ですごく支えになっているなと思ってます。
登場人物数、実は結構多くて、想像何人か分からないけど結構出てくるんですよ。
誰もがですね、結構その人柄とかその人の感情、また背景が分かるような表現をされていて、
すごく鋭くてリアルだなって思いました。
この辺って、どこまでがモデルの人物がいて、その人をそのまま描いていて、
どこからがフィクションな人物描写なのかっていうのがちょっと気になりましたね。
そのくらいリアリティを感じましたし。
多分結構リアルなんじゃないかなと思わせ、
でも多分一部だけ拾ってきて膨らませる可能性もあるなっていうのはちょっと判断がつかないところですね。
アレックスとかアリーナとかっていう女性キャラは本当にこういう人いるのだろうかっていうのはちょっと気になるところではありましたけど、
そういう意味ではそういう人たちの描き方もすごくリアルだなって感じましたし。
ちょっと例えばなんですけど、さっき話したアレックスとかアリーナ以外で、
結構私印象に残ってるのがロベルトという少年なんですけれども、
おそらく南アメリカの方から来ている一家の子供だと思うんですよ。
スペイン語を話している、スペイン語と英語を2号併用学校みたいなところに通っている子供で、
主人公がスペイン語の練習のためにちょっと面倒みたいということで、
ちょっと関係が始まっていく男の子なんですけれども、
この少年とのやりとりの中で、本筋は全く関係ないんですけど、
恐竜でアポトサウルスという恐竜が、いないんだけどいたというか、
間違いから生まれてしまった実在しない恐竜のことを話していたりするんですけれども、
そこがこの小説のテーマである、実在するのか実在しないのかみたいなところに絡んでくるところではあるんですけど、
そもそもこのロベルトという少年とのやりとりも結構リアルで、
博物館連れて行ったら、すごく自由に動き回ったりするし、
それに対して主人公がすげえイライラするっていうシーンもあったりして、
結構そういうあたりがリアルだし、
あとこれ、最後にこのロベルトのために本を作るんですよね、主人公が。
自費出版で、その前払いされた原稿料を使って、
なんですけど、2人で作った本だぜみたいな感じで持ってくと、
ちゃんと製法してね、持ってくと、
そのロベルトはですね、なんか違うことに興味が移っていて、
あんまり感動してくれないっていう悲しいシーンがあったりとかして、
この辺ってなんかちょっとリアルだなって思ったりして、
個人的にはすごく印象に残ったところですね。
あと個人的にめちゃくちゃ、これ多分ね、すごくね、話の本質からはですね、
どうでもいいっていうかあんまり関係ない部分で、
すごく印象に残ったのは、なんかこれ主人公が、
33:01
政教でちょっと働くんですよ。
あのこれっていうのは、政教で働くと、
その政教のものは安く買えるみたいな組織があって、
で、そこで働いた人しか買えない、
簡易性のスーパーみたいなのがあって、
月に一度そこで労働しなきゃいけないっていう決まりがあって、
で、その時たまたま一緒になんか袋を詰めてる時に、
一緒にいた隣で作業した女の子と話すんですけど、
この女の子はヌールっていう名前の女の子なんですけど、
この子の話がですね、なんか急にできた終わりには、
この子の話をめちゃくちゃ深掘りして、
で、なんかすごい深いっていうか、
彼女の反省みたいなのが明るみに出て、
すごく印象に残る話でした。
これだけで一個短編かけちゃうような話が一個出てきて。
そうですね、このヌールのところだけ切り取ったら、
それだけでも一個短編になるなって本当に思いましたね。
ヌールっていう人がお父さんがレバノン人ということで、
アラブ系アメリカ人なんですけども、
話の流れの中で自分をアラブ系アメリカ人だと思っているのかって聞かれたりした時に、
自分は宗教、信条ですね、
なんか信条として信じているところはあるけど、
かといって宗教的なものを押し付けたり、
そういうつもりはしないとかですね、
そういう受け答えのところとか読んでいると、
結構アメリカ社会の中でもすごい複雑なんだなっていうのを感じまして、
やっぱりこの全集の本編か宗教の本編とか、
そういったところが急に提示されたような気がして、
確かに本題とはちょっと知らないんですけど、
すごい印象に残りましたね。
でもなんかすごいリアルっていうか、
たまたまちょっと作業をしている時に、
たまたま一瞬、考えないで作業できる時で、
誰かがいると結構いろんな話をしちゃうと思うんですけど、
そこで出てきた話ってやたら印象に残る時がありますよね。
急にそいつの人生の話をしだすみたいな。
そんなことを考えたんだ、みたいな瞬間とかあって、
なんかそこはすごく考え深いものがあるな。
あと僕もちょっと登場人物のところで面白いなと思ったのが、
さっき話に出てきたアリーナというですね、
アリーナって芸術家なんですけども、
大地さんが説明していたみたいに、
破損した美術作品というのを集めていて、
それを展示するというですね、
そういうプロジェクトというのを、
友人と一緒に行っているという人で、
実際このプロジェクトというのが、
実在するモデルとなる協会というのがあって、
それをベースに描かれていてですね、
そういったところでもすごい具体的な話だなと思って、
小説を読んでいたんですけど、
破損した美術品を集めた展示会、
そういう傷物作品とか、
それが物流の段階とかで傷がついたりとか、
ちょっと水で浸水してしまったとか、
そういうものであったりするんですけど、
そういうのってどうなのかというのを、
小説の中でこの作者というか主人公が評論していたりして、
36:02
ここも結構面白いところでしたね。
これ面白いですよ。
これは何が破損されたのか全くわからないみたいな、
おかしいとか。
そうそう。
その話の流れで、
画像、写真2枚がページに掲載されるんですけども、
私たちの世界と来たるべき世界っていう、
これパッと見全く同じ写真が交互に並んで付けられたりして、
確かに面白かったですね。
そういう破損することによってまた、
何て言うんですかね、
アート作品としての市場的な価値って、
やっぱなくなってしまうんですね、そういうのって。
でもそういう市場的な価値からある意味開放された作品があるっていう、
ポジティブに捉えるような評論とかも書いていたりして、
面白かったですね。
じゃあその他ですね、
ちょっと印象に残った部分の話をして、
終わりにしていきたいなと思ってるんですけど、
正直でもどこも印象に残ってるんで何とも言えないところがあるんですけど、
私の方からちょっと話すと、
面白かったのがこの小説内小説というか、
元になった短編みたいのが一個あって、
そこの短編の中に話に出てくる内容で、
主人公が歯医者に行かなきゃいけない状況になったりとかしてて、
歯医者で極麻酔となんとか麻酔みたいなのが選べるみたいな、
それは痛みを感じるのかじゃないかみたいな、
その辺の選択肢の話が、
実はこれ結構前半でアレックスから入ってて、
それがその内容が小説内小説で使われていてみたいな、
もちろんそれはこの小説の中では、
主人公が書いたっていうことにされている小説なんですけど、
そうなると結構主人公が聞いたり、
会った人のことを小説に取り込むっていうのが見せられていて、
あるときアレックスが飲んでるときに、
アレックスが両親について結構語るシーンがあるんですよ。
でも語った後に、
アレックスが絶対両親については本に書かないでね、
どんな形に書いてもみたいな、
どんなメタファーにしてもみたいな感じのことを言ってきて、
結局そこはアレックスが両親について語ったということだけしか描写されないところになって、
なんかこのあたりが結構私うまいなと思いましたね。
小説の中で何を書くか書かないっていうのは、
基本的にはめちゃめちゃいろんなことを取り入れてるけれども、
このアレックスが絶対にこのことだけ書かないでねってことを書かないっていうのを見せるっていうのが、
すごく面白い、作りとして面白いなと思いましたね。
アレックス自体がそもそも自分についてもできれば書かないでほしいっていうスタートやったのに、
内緒で書いてしまって、
なんか嫌な気分。
主人公がアレックスに嫌われてしまうとかで、
そんなのもあったりして。
あとちょっと、
これ私結構すごい個人的なアレなんですけど、
138ページぐらいに、
この公演した後の飲み会か、
この時かな。
ちょっとその主人公がいろんな作家の人たちと話して、
公演に出てその後なんか打ち上げみたいなとこで話してる時に、
笑うことに関してちょっと出てきて、
なんか結構シリアスなシーンなんですけど、
39:01
自分がなんか笑ってしまったっていう話をしてる女性が出てきて、
最初に聞いた時、
自分の体から発された声だと思わなかった。
自分の意思とは全く無関係な笑い。
心の奥から湧いてくる神経質な反応。
最初の数秒間笑っているのは私だけだったのだけれど、
その後みんなが笑い出した。
教室の全員がヒステリックに大声で笑って、
先生は泣きながら教室から逃げ出した。
っていうのがあるんですけど、
これちょっと経験があるっていうか。
そうなんですか?
なんか自分も、
小学校の時だと思うんですけど、
すごく笑っちゃいけないような瞬間で、
教室の全員が笑っちゃったんですよね。
絶対今それ笑っちゃいけないでしょみたいな。
なんだっけな。
なんか誰かの親が、
クラスメイトの誰かの親が、
なんかあって、
詳細には覚えてないんですけど、
なんかあって、
私たち全員に感謝をしに来た時があったんですよ。
で、感謝を述べて、
その人が、
そのお母さんが、
教室から出た瞬間に、
みんな笑い出したんですよね。
なんか笑うとこじゃ全くないのに、
でもすごいみんな全員で笑って、
なんだったんだろうあれはって、
未だに思う。
笑いはって思うことがあって、
それを思い出したんですけど、
笑っちゃいけないところで、
伝染して笑っていくっていうのが、
すごい分かるなと思って、
すごくリアリティがある話だったな、
ちょっと思いました。
小学校1年生の時のエピソードとして、
語ってますと、
小学校確かに、
なんだろう。
あるのかもしれないですね。
よく分かんないですよね。
記憶に、
僕にはそういうのないんですけど、
もしかすると、
なんだかもしれないって、
思っちゃうよ、
そんなエピソードでした。
これね、不思議な。
すごくリアルだなと。
昔読んだ、
スティーブン・キングの
アトラントスの心っていう小説にも、
こういうシーンがあるんですよ。
それ大学生が、
溺れてるクラスメイトを、
みんなでポーカーかな、
バーってやってる時に、
ふと外見たら、
クラスメイトが溺れてて、
で、みんなで大笑いしながら、
助けるってシーンがあるんですよ。
あいつ溺れてて、
わーとか言いながら、
ずっと笑いながら、
助けるっていう。
でもすごくリアルだなと思ったし、
なんかそういうのって、
なんだろう、
無神経さみたいな、
変なところが、
人間的だなと思って、
すごくリアルだなと思って、
ちょっと読んでました。
周りがそうなったら、
何も考えてなく、
そうしちゃうっていうところ、
確かにありそう。
ここはちょっと、
妙に印象に残りましたね。
すごい超細かいところなんだけど。
そうですね。
言われると確かに、
こんな場面あったなって思いましたね。
こういう引っかかるところが、
いくつもあるんですよね。
そうですね。
僕もそんなに説明はしないですけど、
印象的な場面として、
主人公のお父さんの母親と、
42:01
お父さんが付き合っていた恋人が、
同じ日に亡くなって、
お父さんが恋人のお父さんの葬式の方に、
行ってしまうと。
それは、
自分のお母さんが亡くなったっていうのは、
恋人には内緒にしていて、
本当は自分たちが悲しいのに、
恋人のお父さんが亡くなって、
悲しんでいる人たちのケアをしたりして、
帰りの電車、
確かに電車がちょっと、
日本は終電に乗るしかなくて、
終電もすごい列が並んでいて、
乗れなくて、
駅員さんから始発まで待ってくださいって、
言われたんですけど、
ただ、
主人公はその当時男の子なんですよ。
男の子。
主人公は納得いかなくて、
泣き叫んだっていうですね。
そんな結構印象的な話があったりして、
ここもやたら強烈なエピソードだった。
これだけで確かに、
反転できるんじゃないかなって、
思ったりしましたね、そこも。
面白いよね。
あとは小説の本当に最後の方なんですけども、
10時4分の拍子の写真が、
夜のニューヨーク・ブルックリンの写真なんですけども、
これの写真、
拍子の写真についても言及されていてですね、
結構これがすごい良いエピソードで、
もう最後まで読んでここにたどり着いたらですね、
何かちょっと感じるものがあるんじゃないかなと、
思うような、
いや本当最後ですごい終わりか、
終わりの方の文章がすごい良くて、
拍子の写真について言及されているのを、
読んでいるあたりで、
これもう僕の個人的な感想になると思うんですけど、
小説っていうのが本当に、
フィクションの崖っぷちで書いた本っていうのが、
本文の中で書かれているんですけども、
それを読んで、
作者の人は、
本当ストーリーを架空の物語を作るというよりかは、
本当に追い込まれて、
自分の人生に曲を織り混ぜた、
この形を失格して書いたんだなっていうのを、
ちょっと感じましたね。
調子めっちゃいいからね。
そうなんですよね。
調子めっちゃかっこいいですよね。
調子めっちゃかっこいいんで、
この意味が分かるとすごいいいですよね。
最後の何ページかはすごい良かったですね。
この締めくくり。
じゃあちょっと、
こんなところにして、
多分印象に残ったところを語り出すと、
止まらなくなるんで。
そうですね。
そういえばタコについて触れてなかったですけど、
確かにタコ。
タコもね、ずっと出てくるんですよね。
タコ重要なんだよね。
そうですね。
それはちょっと読んだ人に。
この後ちょっとテーマトークを一個挟んで、
終わりたいと思うんですけれども、
今回のテーマは、
この小説を読んで思い出したこと、
みたいなことにしたいと思います。
結構いろんなことが書かれているので、
自分の記憶に触れたりすることとか、
あとちょっとよく分からなかったけど、
あれは意味が自分の人生にあったんだろうか、
45:00
みたいなことも多分、
いろいろあると思うので、
その辺りをちょっと思い出したことを、
話してみたいなと思います。
私でもさっきちょっと話した、
笑いのところは結構、
読んでて思い出したことですね。
僕一つ思い浮かんだのが、
この小説との文脈というか、
そういうのがちょっと見出せないんですけども、
小学校の頃の修学旅行で、
広島に行ったんですね。
団体行動をするんですけども、
そのホテルから出て、
ホテルに行く途中か出てか、
ちょっと忘れたんですけども、
結構歩いている途中に、
多分僕がお腹痛くなって、
ちょっとはぐれたんですね。
そのまま、
一瞬、瞬間的に迷子になってしまったんですけども、
みんな一応ホテルには戻ってるっていうのは、
分かっててですね。
ホテルに向かって歩いてたという状況が分かっていて、
もちろん地理的なもの全く分からないし、
どこにホテルがあるかも分かんないのに、
僕なぜか知らないんですけど、
全然不安にならなくてですね。
そのまま歩いて、
普通にホテルに帰っていったんですね。
それがどうしても思い出せないのが、
ホテルの場所とか知らないはずなのに、
名前は分かってるんですよ。
マコトっていう名前のホテルだったっていうのが
覚えてるんですけども、
なんでそこに当たり前のように
たどり着けたのかっていうのが
全然覚えてなくて、
でも当時の自分は、
お腹痛い中でも、
全然不安にならずにホテルにたどり着いてしまっていて、
これって人生に何か別に意味とかってあるのかっていうと、
多分ない気がするんですけども、
何か自分っていう人っていうか、
そういうのが一番目に現れてるのかもしれないなっていうですね。
もしかすると、
僕が辞伝とかを書くときに、
小学校のくだり、
この話ありそうな気がしてる。
そういう意味では、
生きてきた人生の中で、
多分ね、
本題的な部分には全然関係ないと思うんですけども、
何かちょっとした話として、
こんなのあったなっていうのがですね、
何か知らないんですけど、
このベンラーナに。
もしかすると、
ちょっと子供時代の話とか読んでて、
自分もそうだったかもっていうのが、
思い出してるのかもしれないと思いましたね。
なんかその、
恐怖心を抱くべきときで、
恐怖心を抱いてないって感覚は、
ちょっと特殊ですよね。
そうですね。
本来だったらね、
不安に思う状況のはずなのに、
何かでもちょっと分かるなって。
私、何かいくつかあるんですけど、
高校の若いとこで、
アルバイト、
これでもちょっとさっきの、
ルールの話って思い出しちゃったんだと思うんですけど、
何かアルバイトしてる時に、
大学生でアルバイトしてる時に、
何か中国人の留学生みたいな方が、
48:03
バイトで入ってきたんですけど、
何か1ヶ月しないうちに辞めちゃったんですよ。
で、それもちょっと何か、
何で辞めたんだろうっていうのも分かんないし、
単純に会わなかったのかなとか、
あるんですけど、
確かそんな子がいたような記憶があって、
その子のことを、
今まで一回も出したことなかったのに、
この本を読んで、
ちょっと思い出してしまった。
とかあるし、
すごくささいなこと。
あとすごくミニオムな話というと、
269ページに、
ちょっとこれ停電とかしてて、
ちょっと危ないエリアを、
主人公とアレックス二人が歩いてて、
二人の男が近づいてきて、
金をせびるっていうシーンがあるんですけど、
なんかこれ、
主人公は金がないと答えたけれども、
粘ってきたので、
アレックスが2ドルを渡して、
そいつの男たちは消えるっていうシーンがあるんですけど、
これ、
いつか新宿で夜、
一人で歩いてる時に、
そんな遅い時間じゃなくて、
7時とか8時ぐらいだと思うんですけど、
外国人の方に道を聞かれて、
ちょっと案内したんですよ。
で、
あそこ行けば着けますよ、
みたいな話をしたら、
最後、
さりげないに、
さらっと1000円くださいって言われて、
え?って思って、
なんで?って思って、
ちょっとお金ないんです、
みたいな話をされて、
で、
その時すごい怖かったんですよ。
これ、
どうしようと思って、
お金を渡したら、
お金をくれる人だと思ったら、
後からまた付けられちゃうんじゃないかとか、
財布出した瞬間に取られるんじゃないかとか、
すっげえいろんなこと考えて、
断ろうかと思ったけど、
なんとなく断れない空気に、
別に断ってもよかったと思うんですけど、
何かしてないけど、
1000円渡しちゃって、
で、
その後すっげえ怖くなって、
近くの店にとりあえず入るっていう、
なんだろう、
っていう行動を取ったことを、
269ページのくだりを読んだ時に、
思い出したりしましたね。
全然、
自分の人生に意味はなかったと思うんですけど、
その瞬間のことを思い出したりしましたね。
そういうのってね、
突然パッて出てくる怖さみたいなものって、
なんかあるかもしれないですね、
人生の中で。
ちょっとパッとは出てこないですけど、
でも確かに、
全く予期してないのに、
急にね、
ちょっと現れるというか、
状況が変わってしまうっていうの。
それはね、
この小説でも、
そういう場面いっぱいありますし。
なんかやたら、
その瞬間のことは、
さっきの中国人のバイトの女の子の話は、
全く忘れてたんですけど、
結構なんか思い、
結構自分の中で印象深く残っていて、
本を読んだ引き金になって結構、
あーそういえばあんなことあったって、
強烈に思い出した感じですね。
まぁちょっと取り留めなくなってきてますが、
こんな感じにしときましょうか。
うん、そうですね。
まぁちょっとやっぱり、
51:00
いろんな記憶が引っかかる小説ではあったなとは思うんで、
多分、もっと話せばいろいろ出てくると思うんですけど。
振り返ってみると、
ベンガーナみたいに、
周りにこんな個性的な人は、
そうそういないなっていうのは、
気づきましたね。
アレックスとかアリーナとか、
そんな女性はいないなっていうのは、
やっぱり改めて気づきました。
じゃあちょっと最後、
感想とどんな人に読んでもらいたいか、
言って終わりにしたいと思います。
まぁ今回、話を聞いてもらって、
皆さん感じてると思うんですけども、
めちゃめちゃ面白かったんですけど、
なんか上手く言語ができないので、
是非ともですね、
我々の話を今回聞いて、
少しでも引っかかったなら読んでほしい一冊です。
全然上手く話せないんですけど、
今年読んだ本の中では、
トップ5ぐらいには絶対入ってくる、
感じが今しています。
で、なんだろう、
ドラマチックな展開がすごい好きで、
一貫した話が好きな人には、
おそらく向いてない話、
作品なんだろうなっていうのは思うんで、
合う合わないは結構ある小説かもしれないので、
その辺を見極めながら、
是非好きになれそうだなと思った人は、
読んでもらえたらありがたいです。
僕もすごい小説だと思いました。
オビとかでフラヌール小説って紹介されてるんで、
イメージから、
インテリとかちょっと余裕のある暮らしの中で書いた、
作品なのかなと思っていたら、
全然違っていて、
最後まで読むと本当に分かってくるんですけども、
作者、主人公、
エンラーナーでありなんですけど、
がケプチーで小説なんだなっていうのがすごく感じましたし、
そういう追い込んだ中で作られた作品だなって思うと、
やっぱり考え深いものがありましたし、
あと多分作者にも焦りとか、
そういうのもあったと思うんですけども、
でも詩人ということもあって、
やっぱりこの表現の資格がとんでもなく上手いなと、
そういう力があるから、
普通の自伝小説とかじゃなくて、
このフラヌール小説になったのかなというのは思いました。
読むのが大変だとは思うんですけども、
ちょっと読むのに集中力入れると思うんですけど、
でもゆっくり読んでいくと、
やっぱり主人公イコール、
作者、エンラーナーと何か同質化するような感覚になってきて、
面白い読書体験ができたので、
なんかそんな体験をしてみたいとかですね。
あとはやはり文章に興味があると言いますか、
好きな人にはすごくたまらない文章を書いている作家さんだなと思うので、
読んでみてほしいなと思いました。
じゃあそのところで、
次回予告して終わりたいと思います。
次回ですが、レベッカマー会の
戦時の音楽という小説をご紹介いたします。
こちらは年末客でリスナーリクエストで選ばれた作品になりますので、
楽しみにしていただければなと思います。
番組の最後になりますが、
メルマが会員を募集しています。
土曜日に配信しておりまして、
我々のいろんな話をちょっとしているので、
54:02
気になる方は概要欄チェックしていただければと思います。
無料版、有料版ございます。
番組の完成やリクエスト、
またこのラジオを聞いて紹介された方を
読み返しましたのでございましたら、
ハッシュタグさらとび猫たちを付けて
教えていただけると大変嬉しいです。
TwitterやインスタのDM投稿などでお待ちしておりますので、
よろしくお願いします。
メッセージ本も番組情報欄に載っておりますので、
そちらからいただいても大丈夫です。
積極的に拡散共有してあげると助かります。
ではまた来週。
ありがとうございました。
54:34

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