この話はですね、結構ノスタルジーを感じるような話なのかなと思っていたんですけれども、どちらかっていうと、なんか自分が子供の時にこういうふうに大人を見ていたようなみたいなのとか、
あの時に体験した、ちょっとこう一瞬理解できなかったけど今ならわかるみたいな、そういう幼い時の感情っていうのを思い出すような、ちょっとなんかノスタルジーとまたちょっと違う形で思い出せる、味わい深い作品だなと思いました。
ちょっと今日いろいろ話していきたいなと思っています。
そうですよね。台湾文学の祖母として知られているみたいなんですけど、今回初めて知りまして、中国語圏の学校の教科書にすごくたくさん載っている作品みたいでして、城南教授が。
それで教科書に載る作品ということで、本当に読むと何でしょうね、そういったのがちょっとわかるようなすごくいい作品が多かったので、ちょっとそれも紹介していけたらなと思いますね。
そうですね。で、これが著者の子供時代の自伝的小説として紹介されていたんですけども、主人公の女の子が、著者の子供時代ですね、出会った人たちのドラマが書かれていて、なんか中には狂った人とか、なんか悪いことをした人とかですね、出てきて、社会の表だけじゃなくて、ちょっと社会の裏側というか、そういう暗いところにも触れられていて。
本当に実際、現実にそれがあったのかなって思うような話もちらほらあってですね、なんかその辺面白かったですね。なので中国語圏の教科書によく載るような小説ではあるんですけども、いい話だけで終わるのではなくて、結構ですね、なんか光もあればもう影もあるみたいな作品かなと思いましたね。
これですね、この著者が1920年代、北京に住んでいたときが舞台になるんですけれども、その著者のお話をちょっとしていきたいと思います。
で、著者の林寛さんですね、この方なんですけれども、まずですね、これ面白いのは生まれが大阪なんですね。これ、ご両親が台湾の方なんですけれども、日本に統治されている時の時代だったので、一度大阪にですね、これ出稼ぎみたいな感じなのかな、仕事を得るためかなに大阪に出てきました。
でも、ちょっとこれ解説でもあるんですけども、あまり上手く、あそこでの商売が上手くいかなくて、台湾に戻り、さらにそこから北京に、まず父親が仕事を見つけて、仕事が安定したので、妻子を北京に呼び寄せるという形で、この林寛さんは北京の方に移り住んでいきます。
最終的には北京で過ごしていたんですが、林寛さん自体は結婚して、夫と3人の子供とともに台湾に戻り、台北に定住したという形になっています。で、その時ですね、林寛さんの夫も林寛さんも編集者として活躍していて、エッセイや小説、児童文学などの創作活動を行っていたと。
この台湾文学のですね、盛り上がりというか、設立というか、それにすごく貢献した方になっています。この時ですね、そもそも文字が読めるっていう人が少なかったりしたので、文字が読めて、文字が書けてっていう人が、やっぱりこういう文化を作っていたという形になります。
それで1967年に文学雑誌純文学を創刊、作家の抜擢や育成に携わり、台湾文学に多大な貢献をしたと。数多くの作品を発表していて、多くの作品が中国語圏で広く読まれており、特にこの城南九字は多くの教科書に採用された作品となっています。
っていうとこですね。なので、日本の知名度はちょっとイカほどなのかってところはあるんですけど。ちなみにこれ新訳でして、1997年に新著者から出てるんですが、今は絶版となっておりますというところです。そんなところで、先に紹介入っていきたいと思います。
1920年代、北京。台湾から引っ越してきたばかりの少女、インズは北京の伝統的な街並み、封筒の中を駆け回る。近所に住む友達、飽き地で会う若いお兄さん、家に転がり込んできた魅力的なお姉さん、田舎からやってきたウバ、そして最愛の父。出会えた別れの中で嫌悪なしに大人になっていく姿を描いた中国語文学の傑作。
李嘉蔭は台湾文学の祖母と称され、城南九二をはじめ多くの作品を残しただけではなく、後進の作家の育成にも携わり、台湾文学の再構築に貢献した。代表作の城南九二は幼少期を過ごした北京での思い出を元にした自伝的小説。
激しく変化する時代に翻弄されながら、ささやかな生活を送る人々を温かく描いた本書は高く評価されており、中国圏では小学生向けから高校生向けまで幅広い年齢に向けた教科書に掲載され、広く親しまれている。本舗発翻訳、序章に回転を含む完全版新訳となっております。
さっき伝えましたが、97年には新調写から翻訳書が出ているが今全版でして、中国では映画化されて日本でも1983年に北京の思い出というタイトルで公開されていました。
そうですね。この本の副題が一応北京の思い出なんですよね。常南牛寺、北京の思い出ということで。
そうですね。そんな作品ですが、紹介していきましょうか。まずちょっとどういう作品なのかっていうところ特徴を話してから、連作短編集みたいな感じなので、ちょっといくつかのお話を紹介したいと思います。
まず、1920年代の北京というのが舞台というところですね。これが今から約100年前の北京が舞台になっているんですけれども、当たり前ですが価値観も文化もかなり違っていて、読んでいるとですね、何というか昔の話だなって思う瞬間はあります。
もちろん現代風に訳されているので読みやすい部分はあるんですが、特に男女の関係のところとか、あとウバですね。ウバがいるところとか、田舎から出てきて文字が読めない。そもそも言語が田舎によって違って、発音がちょっと違うとか、そのあたりもちょっと描かれていくので、
日本では見られないような部分、中国だからこそ見られるような部分と、日本でもあっただろうなという部分も描かれていて、この100年という時間は感じる作品になっています。ただ先ほども伝えたんですけれども、私ちょっと読んで感じたのは、結構昔の話なので読みにくいんじゃないかなって最初思ったんですよ。
なんですけど、これ多分翻訳がうまいのか、読むには全く違和感がなくスラスラ入ってきます。現代的な文章というか、かなり読みやすい訳だなと思いました。なので1920年代北京だからといって、そこに対するハードルっていうのはあんまりないかなと思います。
逆に昔の、でも97年だから、そんなに最近、最近って最近だからその新調者の役も気になるんですけど、そんなに読みにくい話じゃないんだろうなと思いましたっていうところですかね。
そうですね。読みやすいですよね、作品が。1920年代北京ということで、その前ですね、1911年に中国では250年続いた新王朝が終わって中華民国になったんですけども、すごい激動の時代のその当時になってまして、
なので役者解説にも書いてるんですけども、その当時こんな制度があったとかですね、いうことはあるんですけど、じゃあ実際それがどのように運用されていたかとかですね、人々にどう思われていたかとか、あと例外としてこういうこともあったとかですね。
なので、一言では説明できない時代と書かれていて、その外すごくいろんなものが変化をしようとしていたり混じり合ったりしていたっていう、そんな激動の時代っていうところで、話は読みやすいんですけども、所々こういう名詞があったりして、これはどういうことなんだろうっていうのがあるんですけども、その辺は結構注釈があったり解説があったりするんで、読んでいけるかなというところですね。
この作品の結構大きなポイントでもあると思うんですけど、解説の量がめちゃめちゃ多いです。ページ数で言うとこれ全体で300ページぐらいの小説なんですけど、本なんですけど、解説が260から始まっているんで40ページ近く解説に割いてますね。
なので、しかも1話1話、ちゃんとこの時代背景のことをちゃんと伝えてくれているので、この話はこういう背景、情報を知っていた方が理解できるよみたいな、かなり丁寧な本です。これはちょっと私は読み終わってから解説読んだんで、なるほどなって感じだったんですけど、場合によっては解説読んでからの方が話が入ってきやすかったかなとはちょっと思いましたね。
僕は先に解説大枠はちょっと目を通していてですね。単語レベルではちょっと知ってる状態にしておいて、じっくりは読んでないですけど、作品読んだ後にもう1回この解説の中に翻訳資料っていう、作品ごとに出てくる言葉とか出来事とかを解説しているところがあって、そこをじっくり読むとすごい面白くて、作品への思い入れがかなり増したりしました。
ミエさんのスタイルが一番いいんだろうなって今聞いて思いました。ちょっと全部読んでから全部解説読んだから、リンクがちょっと途切れちゃったとかもあるなと思っていて、自分の中で。
そうですね、僕は1つ作品読むと翻訳資料ですね、作品ごとの。それをまたすぐ読みに行ったりしたんで、それで1個読んでちょっと解説の翻訳資料読んで、また作品次に行ってっていう。それが読んでいきやすいかなと思いますね。
そうですね、私は初めから読んじゃったんで、作品解説にこんなに1つの話ごとにちゃんとあるっていうのは知らなかったので、ぜひこれから読まれる方はちょっとミエさんのスタイルを踏襲した方が多分いいんだなって思いました。
あと今注釈の話もあったんですけど、注釈がですね、都度都度入ってくれていて、これは非常に読みやすいですね。解説だったかなに書いてあったんですけども、原文に忠実というか原書のままの言葉を割と使っていて、あえて日本の言葉に変換してない言葉が多いらしいですね。やっぱりこれはちゃんとこの意味を伝えるってことを重視してるんだなと思いました。
ありがたいのが、漢字の横に振り仮名が振ってあって、これがめっちゃ読みやすかったですね。
そうだね。
人物名とかですね、1つだけじゃなくて全部の文字にちゃんと振り仮名が振ってあるんで、これは次のページに読んだ時に、この人物なんて読むんだっけっていう、そこの心配がなくなるっていう。
そうですね、ちょっとありがたいよね。
あとこの小説のメインの部分なんですけれども、これですね、主人公、著者の自伝的な小説なので実体験が多そうな話なんですけれども、6歳から小学校を卒業する時だから12、13ぐらいのイメージ。
実際に7歳、整理すると7歳の時に小学校に入っていて、卒業式があるって話があって、それが6年後だったんで、大体今の小学校と同じタームだなと思ったんで、6、7、8、9か12、13の5つの時が描かれます。
で、その中でこの主人公、インズという名前になってますけれども、リン・カインと同一人物だと思うんですけれども、インズのですね、この感情のキビとか成長が見事に描かれているなと思っています。自分はすごくみずみずしい小説だなと思いました。
僕もそうですね、この子供時代のことが描かれているんですけども、やっぱりこの時代的なものがあって、なんかそのお母さんとか周囲の大人とこの子供、お子さんとやっぱりちょっと価値観のギャップというか、物の見方のギャップみたいなところがあったりして、
そういった当時の子供の心の中というのを描いていると思うので、すごいなんか新鮮に思いましたね。
表紙をぜひですね、皆さん見ていただきたいんですけれども、5人の女の子が並んでるんですけどね、これがそれぞれインズの6、7、8、9と12、13だと思います。
12、13歳の最後の卒業する時の彼女は、これね、紙が編んでない状態っていうのがね、ちょっとこれ、読み終わったとこの絵を見るとちょっと切なくなると思います。
今気づきました。これ5人ともインズだったんだって。
これそうでしょ。そうだよね。
そうですね。
あの5は入ってるから、5人のインズだよね。
でも一番大きなインズですね、紙を編んでいない。この顔がすごくリリーしくて、いいですね。
これ逆じゃないのがいいよね。なんか普通だったらさ、小さい方から上に、右から左にかけて、どんどん大きくしていくじゃん。
はいはい。
一番先頭に、一番若い時の自分がいるっていうのが、なんかいいよね。
本当ですね。
小説のイラストの、表紙の。ついでに言うと、この表紙のイラストめちゃめちゃ可愛くて、良くて。
で、各章にも、なんか扉絵みたいなのが入るんですけど、その絵も味わい深いので、ぜひそこも読むときは見て味わっていただけたらなと思いますね。
ちょっとそんな風な、本当少女の日々を描いた作品、ストーリーのお話ししていきたいと思います。
大枠の話なんですけど、これは北京で暮らしていた家族の話です。1920年代に北京で暮らしていた家族の話です。
ちょっとですね、あらすじに出てきた封筒っていう単語があったと思うんですけど、これがですね、北京の伝統的な街並みというか、路地みたいなものかな。
の名称でして、封筒と呼ばれている、なんとか通りみたいな感じで、なんとか封筒みたいな感じにこの中で言われているんですけども、その封筒で暮らしていた家族。
この話の中でもたびたび引っ越しを繰り返していきます。で、暮らしているのはまず両親ですね。父と母と、そして、うばの孫母になります。
最初は弟だけだったかな。だけどどんどん妹が増えていったりしますね。結構大家族になってきますね。
で、話がですね、ホイヤングワンの話っていうのと、海を見に行こう、ランイーニャン、ルーダー群、そして父の花が散った、最後ですね、冬の太陽、子供時代、ラクトのキャラバンっていう話が入ってるんですけど。
メインはですね、5つの話ですね。父の花が散ったまでの5つの話がメインになっています。それぞれ成長が描かれているところなんですけれども、ちょっと全部紹介するとあれなので、ちょっとまず最初の1つの話を紹介したいと思います。
ホイヤングワンの話というのが一番最初に入っているんですけど、このホイヤングワンっていうのは、近所に住んでいる狂人、気が狂ってしまった人がいて、そこが住んでいる家のことをちょっとこの周りではいろんな呼び方をしていたんですけれども、
お父さんがですね、ここをホイヤングワンと呼んでたんですね。それからちょっと撮ってるお話なんですけれども、この時、主人公のインズは6歳です。
全てこれ1年生でするんですけれども、私が見たこの狂人、狂った人ですね、との話になっています。この時ですね、インズはこのホイヤングワンに住んでいるシュージョンという女性のちょっと気が狂ってしまった人と仲良くなっていきます。
なんか気が狂ったっていうのがちょっと今全面に出ちゃってるからなんですけど、悪い人ではないんですね。悪い人ではないというか。で、もちろんですね、インズの親はそこには行ってもらいたくないので、かつシュージョンもですね、両親と一緒に住んでいて、その両親もですね、インズがですね、ここに通ってるってことをですね、なんか他にあんまり知られたくない。
隠した方がいいだろうと思っているので、こそこそこそこそ会いに行ってました。で、徐々に仲良くなっていくんですけれども、それと同時にですね、この時インズはこのフートのさっき言った通り路地みたいなところの別のところに住んでいる、ちょっと井戸に水を汲みに行くんですけど、その近くに住んでいる同い年ぐらいのニューと仲良くなっていました。
で、そんな感じで話は進んでくるんですけれども、ある日ですね、シュージョンと過ごしている時に、シュージョンがなぜ自分はこんなことになってしまったのかという話を聞かされることになります。で、彼女にはですね、かつて結婚を誓った相手がいたんですが、その人は結婚しないまま去ってしまい、その後ですね、自分が妊娠していたということに気づきます。
で、シュージョンはその人の子を産んだんですが、両親がですね、どっかに連れて行ってしまって、産んだ後会ってないっていう状態になっています。で、シュージョンはですね、その子を未だに探していると。で、インズにですね、もし私の娘を見たら、私のところに連れてきてと言っていました。
一方ですね、その井戸の近くで仲良くなったニューですが、ニューはですね、両親とうまくいっていないんですね。で、このニューの両親、お父さんとお母さんはニューのことをちゃんと扱おうとしてなくて、乱暴したりしています。
で、ある日ですね、ニューはこの二人が本当の親、自分が今住んでいる親は本当の親ではないということを知ってしまうという形で話が展開していくので、感が鋭い人だったら、もうどういう話になっていくかっていうのはここで分かると思うんですけども、もう私もああって思いました。
で、割とこういうふうにですね、結構シンプルで分かりやすい構図をしてるんですけれども、この話はですね、この後二転三転してちょっと悲しかったりするのか、もしくは良かったのかちょっと分からない状態だなと思って終わってきますね。
個人的には良い最後だったんだろうな、最後というかまあ良い話だったなと思うんですけれども、ちょっとインズとしてはね、一体何が本当だったのかみたいな感じになってくるので、ちょっとその辺はちょっとこの幼さの中で見た記憶の曖昧さみたいなのがちょっと最後の方出てくるお話になってますね。
この最初の作品ですけど、これ読んで主人公のインズがなんと空気の読める女の子なんだっていうので、すごい感心しましたね、読んでいて。
巨人と呼ばれるショージョンという女性がいて、周りはその人にはもう近づくなと言うんですけども、でもインズは実際会ってみるとこのショージョンというのはすごくいい人で、友達みたいになれるというので仲良くしていたんですけども、
ショージョンは自分がかつて産んだ子供、育っていたらインズぐらいなのかなという。子供とインズを結構重ねて見てしまっているところがあって、それでその現実の人がいるのに今はいない人のことを重ねて見ちゃうんで、ちょっと周りから狂ってるって思われてしまうところがあるんですけども、でもインズはすごく思いやりがあって。
なんで、ショージョンからそのインズについて、例えばですけど、あなた何月に生まれたのって聞かれた時も、自分の話はいついつ生まれたって言うんですけど、でもショージョンはかつて産んだ自分の子供のことをインズと重ねて見ているところもあるから、子供のことについてすぐ聞くんですよね。
その子供はいつ、逆にね、子供はいつ生まれたの。そしたらね、このショージョンがね、もう嬉しくて、この子供の話をね、しだすんですけど、というすごいもう気が利くというか思いやりにすごく溢れる女の子で、結構ね、なんかこのインズの人柄に呼んでて感動しましたね。
そうですね、まあ確かにちょっと怖いと感じる部分もあると思うんですよ。このショージョンがね、おかしくなっている部分もあるので、まあでもそこに対してね、自分の娘を見つけたら連れてきてっていう約束を守るところとかね、インズもインズでちょっとその辺がこう乗り移っちゃってるというかなんていうか、ちょっとニューに対しても途中からニューが混乱するような接し方をしてしまったりとかするんだけれども、これはすごくいい話だなと思いましたね。
ただの悪人とかっていうわけじゃなくて、あとはこの死刑員にちょっと食料とかですね、身につけるものとかを渡すのが得を積むということっていうそういう価値観が当時あって、
なんで周りのヤジウマというか、この町で暮らす人たちも結構死刑員の人たちに何か施しをしようという、なんかそんな意識が持ってたりとかで、
この辺はかなり今のなんていうか、僕からするとこういうことが当時あったのかっていうのはすごい、ちょっと初めて知るような、なんかね、そんな光景でしたね。
あとはあれですね、家で普通にアヘンを吸ってるとかですね。
なんかこの辺はちょっと時代を感じてるよね。
そうですね。お父さんとか、それが本当には今で言うとタバコ吸うみたいな感覚で、アヘン吸ってたりとか。
あと個人的にね、この死刑の中で好きだったのは、ラン・イーニャンという女の子と、大学生の男の子。
まあその学力に差っていうか、教育の差ってだいぶあったと思うんですけど、男の子がね、女の子にこのイプセンの人形の家ですね、小説を。
これを読むといいよって言って渡したら、ラン・イーニャンがですね、そこからもう夢中になってそれをね、読んでるっていうそんな描写があって、だからそういうことがすごい好きでしたね。
まあ映画を見るシーンとかも結構いいんで。
そうですね。
次がルーダー群っていうお話で、このルーダー群っていうのは、北京を代表するお菓子だそうです。注釈に書いてあるんですけども。
話の内容としては、これはですね、ずっと出てきているウバのソンマっていう人物がこの隣家には住んでるんですけれども、
彼女が、もちろん父をあげてくれていた時もあれば、その後もですね、弟の面倒をすごい見たりとか、家族の面倒を見てくれているっていう、本当に隣家にとってですね、ソンマという存在がもうなくてはならない存在になっていると。
で、このソンマがなぜ隣家に雇われるようになったのか、最終的にちょっとこれ、この話の中で去っていくことになるんですけれども、なぜ去っていくのか、そのあたりの経緯がちょっと描かれる作品です。
で、結構、何処を切り取ってもちょっとやるせなさとか悲しみがあるなっていう話で、当時のこういう生き方をせざるを得なかった人とか、子供と離れ離れになってしまうことがもう余儀なくされていたとか、余儀なくというか、子供と離れ離れになってしまったこととか、結構悲しいなと思うような作品ですね。
で、このソンマなんですけれども、元々地方に住んでいてとか、地方に家があるんですね。で、ソンマの夫がですね、ソンマが隣家に雇われるようになった時に、まずは1年4ヶ月かな、契約をしました。
で、それでソンマの夫が、その後、息子と娘ですね、息子と生まれたばかりの娘を連れて田舎に帰る、帰りますね。で、その契約が終わる時に迎えに来たんですけども、契約が更新というか、まだもうちょっと働くとなって、お金だけ持って夫はまた田舎に帰っていったと。
で、そういうことが繰り返されているうちに、ソンマが嫌な予感がすると、息子に会いたいっていう気持ちになって、息子を今度来る時は連れてきてくれって夫に頼むんですけれども、夫は連れてこずに、どこどこに預けたんだっていうことになる。で、話の通じず間が合わなくて、息子が実は死んでいたということがわかります。
で、これもですね、おそらく夫が放置したから死んでしまったと思われていて、もうなかなかちょっと最悪な状況です。で、娘なんですけど、娘なんかもうすでにこのソンマが雇われた帰り道に売ったそうなんですね。
で、そのことを知ったソンマはこの売られた娘をもう北京で栄えさせようとするんですけれども、もうそんな最初の時に、もうほんと赤子の時に、その時に誰々に売ったっていう情報を元に動くんですけども、全然見つかるわけがないという形になってきます。
で、最終的にはもうソンマはですね、もう結構自暴自棄にはなるんですが、この田舎に夫のところに戻って、またちょっと新しい子供を作ろうっていう形で話が終わっていくという話になっていて、結構これ本当になんていうか、その夫のところに戻るっていうのもなかなかこの最後の結末もちょっと話しちゃいましたけど、結構衝撃的で戻るんだみたいな。
でもこれってやっぱこの時の価値観ってこうなのかなとか、そういうのも感じる。非常になんていうか、どこ来てもなんかこうやる人はいいなって思うような話でしたね。
これもすごく格差を感じる話で、ちょっと思ったのは、このソンマが田舎で生まれて、経済格差とか教育格差っていうのはあるとして、なんかその家族まで犠牲にしないといけないのかっていうところは結構そこまでになってしまうのかっていうところはなんかすごいちょっとね、痛み感じるところではありましたね。
なんかそのソンマが馬として働くっていうので、夫と子供と別れないといけないし、なんか自分の子供の世話をまた自分ができないっていうそこですよね。
一方でソンマはこのインズの家庭では子育て、インズの弟とか妹とかの世話をするのに本当に必要不可欠な存在で、すごく家族から慕われていて、なかなかもうちょっと上手いことができなかったのかなってすごい思うところはありましたし。
本当にそうなんですよね。そもそもこのね、ウバっていう職業がね、ちょっと前まではあったのかな、日本でもあったと思うんですけど、やっぱりこの自分の子供を自分で一緒に育てるパターンもあると思うんだけど、雇われた人の子供と。
でも多分亡くなっちゃったけどお父が出るみたいな状況とか、出生した後の死亡率っていうのも昔は高かったと思うので、特に貧困層なんか高いはずなので、そういうところでそういう職業というかそういう役割が生まれてくるっていうのは、これはでもちょっと前まであったっていうことは日本でもそうだと思うんですけど、ちょっと考えさせられてしまう部分でもあるし。
そうですね、あとこれロバが出てくる話なんですけど。
そうだね、タイトルにもなってるからね。
ロバがですね、面白くて可愛い芸が全くないんですよね。
そうだね。
ちょっと可愛いところあるのかなと思いきや、あくまでこれは主人公のインズの視点ではですけど、本当にもうロバなのに何も可愛い芸がなくて、それに乗ってるこのソンマの旦那さんもいいところも全くなくて、
本当に薬病神みたいな感じで描かれていたんで、この辺はちょっとインズから見て、ちょっと許せない存在として許せないというか、なんでソンマはその人と結婚したんだろうかっていう。
思うよね、普通に思うよね。
そうそうね、思うような感じで描かれていて、これも当時の何かやっぱり背景とかがあったんだろうなという。
いろいろと思うところはありましたね。
最後じゃないか、父の花が散ったという話が続くんですけれども、ちょっと序章で語られている部分はあるんですが、ここはちょっとあまり語らず。
でも一番インズが大人になる話で、小学校卒業式の時の話なんですけれども、この時は彼女はもう小さな大人なんだという自覚を自分で持って終わっていくというところで、すごくいい締まりというか終わりの話ですね。
この後エピローグ的な形で、冬の太陽、子供時代、楽団のキャラバンっていう、これ別のアーチじゃなくて一つの話なんですけども、エピソードが入っていて、この作品のエピローグ的な話です。
ここでですね、この本を書こうと思ったということが語られていくという形で終わっていきます。すごく綺麗に締まっていく作品だなと思いました。
そうですね。
読み終えて思ったところなんですけども、これ今だっと話してしまったんですが、一つ一つの話がかなりしっかりとした構成をしていて、読み応えが本当にあります。
結構心に残っていく話なので、本当にこれ教科書に乗るなっていう、そんなに長くない話ですし、教科書で読んでやっぱり考えさせられる。
特に同世代の時の感情が描かれていると思うので、すごくみずみずしい感情が描かれていると思うので、確かにこれは小学校とか中学生に読んでもらいたいなって思いましたね。
そうですよね。僕も読んでみて、こんなに感情引入ができるんだっていうので、読んでみて、一つ以外に思ったところでもあって、1920年代北京ですけど、何かちょっとこの主人公のインズに親近感というか、そういうのを持っているところがあったなと思いますし。
でもこれは多分役の上手さは絶対あると思うね。読みやすさっていうのはすごくあったし。
あとこういった、だからこの著者の子供の時代を描いている小説として、去年ラジオでもトーベ・ディトルエーセンの結婚読を紹介したんですけども。
子供時代。
子供時代。まさにタイトルの3部作の中の一つが子供時代で。トーベ・ディトルエーセンの場合は、子供の時から夢があって、詩人になりたいということで、将来作家になるその何て言うんですかね、筋道みたいなところがやっぱり子供時代からちょっと感じれて。
またこのリン・カインさんはいつ作家になろうと思ったのかなっていうのは気になりましたね。この縄文九字の中ではあくまで一人の子供としてっていうので、なんかその自分の夢が追いかけるとかですね、そういったところは特に触れてなかったと思うので。
確かにそうですね、言われてみれば。
なんで結構面白いなと思ったのは、自分の夢を追うとか自分がやりたいことを追うというよりかは、やっぱりその時代、その街の中で見た人々とか出来事とか、そこの記憶、その中で思ったこと、そこをまつづった作品なのかなという。
そうですね。
まあそこは感じましたね。
最後ですね、感想とどんな人に読んでもらいたいかお話しして終わりたいと思います。今回の縄文九字なんですけれども、ちょっとさっき6歳、7歳、8歳とかの話が出てくるんで、小学生にとか中学生にとかって話をしたんですけど、
これはやっぱり大人が読んでも、子供の時の自分の大人を見てた時の目線、視点っていうのを思い出せる作品だと思うので、結構この冒頭で見ましたけどノスタルジーとは違うこの子供に帰っていくような感覚が味わえると思うので、ぜひですね、いろんな世代の方に読んでもらいたいなと思います。
本当1920年代北京って聞くと読みにくさ感じるかもしれないですけど、全然読みやすい話なので、これ多分300ページ、実質に160ページなんですけど、1日あれば読めちゃうかなっていう感じの読みやすさだったりするので、読書時間3、4時間ぐらいかな、確保できれば、もしかしたら読めちゃうかもしれないので、ぜひですね、ちょっと気軽に手を出していただけたらなと思いますので、気になったらぜひ書店で見てみてください。
そうですね、読みやすかったんですけど、充実感もすごくありましたし、本当に読めてよかったなと思いましたね。確かに自分も振り返ったら子供の時、こんな大人がいたなっていうですね、ちょっと印象深い思い出ってあったので、そういうのをやっぱり思い出しましたし、
あとは100年前の北京が舞台で、確かに今とは全然違う暮らしぶりとか価値観とかそういうのがあるなと思うんですけども、でもそうした中で、インズは自分の見たものとか、自分が接した人とかを信じようとしていて、そういったところはすごく読んでいて、読んでいると、このインズに力を分け与えてもらえるような気持ちにもなれるので、