量子力学、ブラックホール、大数奇科学、世界の歴史が変わった二十世紀における科学や数学の世紀の大発見が想像豊かに語られる。
科学者たちの物語が現代の我々に突きつけるものは、地理の深淵による前代未聞の科学小説、ベンハミン・ラバトゥッツの恐るべき緑を紹介します。
どうも皆さんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人が緩くトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私、ダイチとミエの二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
番組始まる前に告知を一点させてください。次の日曜日、1月19日、文学フリマ京都に終点いたします。
初出展ですね、東京以外のところでは。
そうですね、関西圏初めての出展となりますので、ぜひ大阪、京都、奈良、神戸、そのあたりからは関西圏かな、の方はぜひお会いできたら嬉しいのでよろしくお願いします。
会場はミヤコメッセというところで平安神宮の前になるんですけども、ブースはUUUの55番になります。
当日は11時から16時がイベントしているということで、文学フリマ東京が12時スタートが多いので、それよりちょっと早くスタートしていますので、来られたらぜひブースに寄っていただけるとありがたいなと思っています。
はい、よろしくお願いします。
詳細はまた概要欄に載せているので見ていただけたらと思います。
じゃあ本編いきますか。
今回紹介するのは、ベンハミ・ラバーツの恐るべき緑です。松本賢治さん役で白水社から2024年に出版された本になります。
今回はですね、科学者と数学者を取り上げた小説になってまして、前回前々回とコーマック・マッカー氏最後の2部作を紹介したんですが、そこで主人公たちの父親が原爆の開発に携わっていたということも結構ストーリーで語られていて、
そのタイミングでずっとずっと紹介しようと思っていた恐るべき緑、紹介しようかなとなって、今回読ませていただいて紹介させていただきますと。
この小説は私はですね、多分発売した当初ぐらいに買ってて、ずっと眠ってましたね。
僕もそうです。比較的発売されてすぐ買って、ラジオで紹介しようっていうのは決めてたんです。
ずっとなってたんだよね。
ちょうどオッペンハイマーの映画が公開されて、この恐るべき緑もちょっとだけオッペンハイマーが出てきたりするんで、タイミング的にはいいかもと思ってたんですけど、なかなかちょっとこれもマッカー氏の最後の2部作と同じで、ちょっと読むタイミングが白倒しになってしまったんですけども。
えっと年末、2024年年末にですね、書評家の豊崎由美さんがやっている外文のイベントがあったんですよね。名前なんだっけあれ。ちょっと今ここに必殺の資料があるけど。読んでいいと思う。外文の和だ。第90回年末特別企画。
俺たち外文リーガーの地震の一休と来年の隠し玉っていうタイトルのですね、超熱いイベントがこれ長かったよね。4時間半ぐらい。やってたような。3時間半、4時間半。5時半にスタートして9時に終わったから、3時間半か。だったんですけど。これ私は現地に行って。みなさんオンライン?
あれリアタイで見てたもん。
僕はそうですね、リアルで見てました。ただアーカイブでも見ることができるんで。この配信タイミングでもまだチケット気になれば多分あれってチケットがあってアーカイブで見ることができるかと思いますね。ちょっと期限はいつまでっていうのはあると思うんですけども。
なるほどなるほど。結構ね、熱い回でしたよ。
そうですね。
現地で私聞いてて、各出版社の編集者の方が登壇されていて、その中で白水社の方がですね、今年の一押し本、あ、今年じゃないか、2024年の一押し本としてこの恐るべき緑を上げてましたね。
そうでしたね。
ああやっぱすごかったんだなっていうのと、あと科学の話だっていうのはうっすら認識があって、話題になったんで、あ、そう科学の話なんだなっていうのはあったんですけど、読んでみると思ったよりも何というか不思議な一冊で何とも言えない、物理学とかね、数学の話とかすごく出てくるんだけれども、
それだけじゃなくて、いろんな物語が展開して、不思議な短編集でしたね。
そうですね。なんかこの概要とかを聞くと、科学小説で理系の人向けの話かなってイメージ、僕は最初はちょっと知っていたんですけど、読んでみるとやっぱり海外文学でしたね。
そうだね。
科学者とか出てくるんですけども、すごく文章が詩的で、車の役者の松本賢治さんもこのポエティックな表現で書かれていると、内容は宇宙の話とか物理の話とかなんですけども、ポエティックな文章で書かれていて、こんなの書けるのはチリ人の作家しかいないっていう。
この作家のね、ラバットッツっていう人はチリの作家なんですけども、そう言っていて、確かにすごい面白くてですね。
ちょっと文学作品読んでるし、科学のその分野のこともわかるしっていうので、僕はなんか正月に一気読みしてしまいましたね。
ああ、なるほど。
それを書いているみたいで、これも後書きの方にちょっと。1930年代に自殺したオーストリアの科学者が、エピソードから始まってマンハンター計画とジョン・フォン・ノイマンという天才物理学者の話があって、最後は韓国の天才異語騎士の人が人工知能とその語の対決をするというですね。
そんな長編小説という、そんなマニアックという作品が出ていると。2023年に出ているというか、これもすごく面白そうだなと思います。
しかも英語で書かれているらしいですね。
ちょっと翻訳どうなっていくんでしょうね。
確かに。恐るべき実りはスペイン語で書かれているんですけども。
英語になっちゃうと違う人になるのかなやっぱり。
どうなるんですかね。
どうなんだろうね。翻訳されるのか否かも含めてね。
確かに。ではここからですね、恐るべき実りのちょっと作品に触れていきたいと思います。
まず版元ホームページからちょっと概要読みをさせていただくと、科学の常識を塗り替えた学者たちの奇妙な人生とそれぞれに訪れた発見・啓示の瞬間。
塵の深淵による前代未聞の科学小説と紹介されていて、小説なんですよね。科学の話が中心なんですけども。
あと科学の歴史ですね。科学史というのが題材にはなっているんですけども。
そこにはもちろん事実の部分もあるんですけども、結構フィクション要素ですね。そこも含まれている小説になっていると。
あとちょっとホームページの中で紹介されている文の中で、科学の中に詩を見出し、宇宙の背後にある論理や数式が天才たちの前におのつと姿を表すかのような比喩が随所に光る。
既存のジャンルを軽々と飛び越える国際的な話題作となっていて、小説であると同時に、このラバ・トゥッチさんがもともと詩人であったので、
詩人から出発して今小説を書かれているんですけども、すごく文章が詩的で、論理とか数式とかそういったのが題材になっているんですけど、
そういったのを表現するのにすごく比喩を使って詩的な文章が書かれていて、文章っていうんですか、表現もすごく楽しめる小説かなと思いますね。
そうですね。
これ、作中でもそんな話がちょっと入っていて、デンマークの出身のニールス・ボーアという物理学者がいてですね、
もうすごい世界的な大物理学者で、20世紀を前半を代表する、その人がハイゼンベルクっていう人。
このハイゼンベルクもすごい著名な物理学者なんですけども、言った言葉の中に原子について語るとき、
その量子力学につながっていく研究をしていて、その原子について語るとき、言語は使徒ならざるを得ないというふうにですね、
このボーアをハイゼンベルクに言い聞かせていて、まさにそんなような感じでですね、原子についてとかそれ以外にも数式とかですね、
そういったのを語るときにすごく詩的な表現の、この作者のラバウトッツも取り入れていてっていう、その試みがすごく面白い。
それが作中にもそういう考えを持った物理学者が出ているっていうのもありますし。
そうですね。この辺りは本当にいろんな物理とか科学の話がたくさん出てくるんですけど、
ほぼほぼ史実なのか、それともフィクションなのかっていうのは本当に判断に迷うというか、
電気とか情報とかを収集すれば判断つくと思うんですけど、たぶんそんなことを一般的に読んでいる人はできないと思うので、
この辺りは本当にこんなこと言ったのかなとか、本当にこんなことあったのかなとかちょっと思いながら読むのが、
ちょっとこの本の楽しみの一つではあるかなとは思いますね。
そうですね。そういったすごい面白い小説なんですけども、ちなみにちょっと補足というかですね、
最高情報で役者の松本賢治さんがこの作品について話している動画、対談動画がありまして、
それが内沼慎太郎さんがされている本チャンネルというですね、YouTubeポッドキャスト番組ですね。
ここから作品の特徴をですね、触れていきたいと思います。
まず最初がですね、この作品は史実ですね、科学史とフィクションを混ぜて描かれているんですけども、
そこにはですね、戦争と科学を結びつきを描いているところもあって、そのような物語という点ですね。
役者跡書きでも書かれているんですけども、恐るべき緑の作品はやはりそれぞれの主人公角の科学者がいるんで、
そういった人物の表伝というスタイルにはなっているんですけども、それを採用しつつも情報を圧縮して、
すごいたくさんの本当に触れないといけない情報ってやはりあると思うんですけども、表伝の中で。
それをすごく短編という中に収めているんで圧縮して、フィクションに。
さらにですね、そこにフィクションによる拡張も加えて出来上がっていて、密度の高い物語になっているというので、
なんとも言えない新しい小説が出来上がっているというふうにですね、ちょっとニュアンスとしてそのように紹介されていて、
読んでいくと作品によってこれはもうフィクションだなって分かるところがあって、
例えば日本の数学者が出てくる作品があるんですけども、この人でもそんなことはしないなというのは読んですぐ分かってですね、
そういったこれは明らかにフィクションだなって思うところはあるんですけども、
でも他のエピソードとかだとどこがフィクションでどこが事実かっていうのもよく分からないけどもでも面白いと。
確かに数学者とか科学者とかってちょっと変わった人がいるんで、こういうエピソード実際ありそうだなって思うようなですね、
そういったすごく上手いことを話をしていて、しかも出てくる人みんなすごい天才的な研究者で、
すごい歴史に残るような実績を残している人たちがほとんどなんですけども、
そういった天才がもう本当にすごいプロセスを得て、すごい発見とか証明をしていってっていうのを描いてるんですけど、
一方でそれが戦争につながっていくっていう、そこの結びつきですね。
そこがあるっていうのもなかなか詩作深いこの小説になっているところですね。
そうですね。この詩作深いというか、その詩作の部分なんだけど、これが多分書くなんだけど、この小説の。
でもそのディティールっていうかその周辺情報っていうか、その人物に対しても結構いろんな描かれ方をするんですよ。
その人物に対してこういう病を持っていたとか、こういう趣味、性癖も含めてかなとか、
こういう側面があったみたいなものとかはいろんな角度から描かれていて、
これはもしかしたらこのいろんな情報を集めた結果出てきたことなのかもしれないんですけど、
フィクションの部分も相当あると思うんですけど、人物は結構描かれると。
科学のとか物理学とかの流れも描かれるんですよね。
この理論に対して反対する人がいる、納得しなかった人がいる、違うかこっちの方が正しいって言ってる人がいるとか、
そういう科学学会の様子とかも描かれるし、公演のシーンとかもあったりするんで、
その科学の流れとか、もちろんこれが最終的にガス兵器になったとか、殺戮兵器になったみたいなことももちろん描かれるんですけど、
こういう人物や事柄っていうのをメインに扱ってはない感じがして、
さっきちょっと三枝さんが言った、たぶん資産みたいなのが核になってるような一貫してる部分だなと思っていて、
いろんな登場人物がいて、いろんな登場人物がいろんな主張して、いろんなことを科学を前に進めたりするわけですよ。
でもその科学を前に進めたことによって、人間が恐ろしい存在になってしまうんじゃないかとか、
物理学は恐ろしいものだとか、数学は恐ろしいものだみたいなものを受け取ったりもする瞬間も描かれていて、
何というか、その解説でも松本健さんが書いてるけど、新しい小説がここにはあるっていうことなんだけれども、
それは間違いないんだけど、この新しさって何だろう、他の小説でも人物や事柄をメインじゃなくて、
違うものをメインに描いて、例えば街とか、ガルシアマルケスの100年の孤独だったら家だと思うんだけど、
そういうのって今までいろんな試みがあって、そういうある意味一貫したものが、人とか物に紐づいてない感じがして、
このスタイルの小説はすごい面白いなって思ったのは、読み終えた後のすごい感覚だったんですよね。
これ今ダラダラ話したけど、あんまり上手く原稿化できてる自信がなくて、でもそういうものっていう感じ。
これで伝わればいいなって思うんだけれども、何かしら一貫したものはあるんだけれども、それが上手くつかめない。
資産、科学の恐ろしさっていうことの資産なのか、人間の恐ろしさっていう部分なのか、それとも物理学とか、そもそもの世界のありようなのかとかちょっとわからないんだけれども、
それはすごく感じたんだよな。
こういう科学とかってずっと連なっているものかなと思うんですよね。何千年も前からいろんな科学に対しての発展みたいなものがあって、
近代でそれがどんどん加速していって、ある発見があった時に予想外のまた別の発見とそれが繋がってとか、
そういったかなり偶然の要素も絡んで恐るぶきスピードで発展していってという科学の歴史の中で、この作品の中で触れられているのはその瞬間瞬間のドラマかなと思うんです。
この瞬間ではこの登場人物が主役となって、すごい世紀の発見をして、また別の瞬間ではこの登場人物が宇宙論ですごい発見をして、また別の瞬間では数学者がすごい発見をしてっていう。
それらが連なっていって、その先にあるのが何なのかっていうところで、結構この時代的には1900年代前半が主な時代になってるんですけども、その先には第二次世界大戦、原発がありましたし、
そうですね、ほぼ同時期にアナチスがアウシュビッツでガスで大量殺戮っていうのもしてますし、そういったものに連なっているという、なかなか恐ろしいことも描いているというか示唆しているというか。
そうですね、この小説の主役というか、それは一体何なんだろうかっていう、瞬間瞬間では主人公が作品の中にいるんですけど、作品全部をつなげた時の主役は何かっていうところは結構、読むと感じるところがあるかなと思いましたね。
この短編集って形をとってるけど、明らかに一貫して連なったものは何かあるんだよね。そこを感じる、感じ取るしかないっていうか、そんな感じをしましたね。
そうですね、試みとしてすごい壮大なものを感じて、面白いなとですね。でもね、この作品のすごい面白いところが、そういう壮大なことを試みているのかなという印象は受けるんですけど、実際読んでみるとディテールがたくさん描かれていて、そこの面白さをすごく感じたんです。
なんかその題材を、一つの短編に一つか二つかの題材はあるんですけども、そこにまつわる逸話であったり、脱線した話とか、それに関わってくる様々な人物が絡んでいたりとか、っていうので人間臭さみたいなものもそのディテールの中に含まれていて、特にそれ感じたのは最初に収録されているプルシアンブルーという作品で、
そのプルシアンブルーというのは青色顔料なんですけども、それをめぐって第二次世界大戦中の話もあったと思いきや、中世の歴史の話もあったり、あと開発者のエピソードがあったりっていうので、視点も飛んで、その青色顔料に関わった人たちの様々な出来事とかも語られたりしてっていうので、それが一つの物語じゃなくて、いろんな視点から物語が絡み合ってくるっていう、しかも結構細かい話もしているので。
この情報量が多いし、しかもそれぞれ面白いっていうところがあるなって思いますね。
今その三枝さんが言ったこのプルシアンブルーに関しては結構事実的なベースだなっていう感じはすごくして、そこは読んでても多分こういうこと本当にあったんだろうなっていうか、そういうこういう流れなんだろうなみたいなのはすごく顔料のこととか含めて、ちょっと事実ベース多いんだろうなと思うんですよね。
後半になるとね、これ本当にどこまで事実ベースなんだろうみたいなのがわかんなくなってきて、トーリーでも話すかもしれないですけど、一番最後じゃないか、一番長い話で、私たちが世界を理解しなくなった時っていう話が割と長く展開するんですけど、ここには何名かのですね、物理学者の話が織り込まれてるんですけれども、それぞれちょっとよくわかんない部分があるんですけど、
わかんないというか、これは本当なのかみたいなところがあるんですけど、例えばシュレーディンガーが出てくるんですよ。シュレーディンガーの猫で有名なシュレーディンガーですね。
シュレーディンガーが30代後半ですかね、血格が再発して、療養所に入るんですね。治療を受けると思うんですけど、そこの医師の娘さんと、10代、16歳の娘さんと、この子も血格なんですけど、この子の勉強を見ることになって、結構年が離れてるんですけど、シュレーディンガーはこの子に惚れちゃうんですよね。
で、結果ですね、ちょっと告白をするっていうシーンがあるんですけれども、その時のこの若い娘の16歳と思えないこの、なんていうのか。
なんか浮世離れしてますね、この女の子が。
川鹿だというか、なんかもう血格上ずらってて死が近いのかな。死を身近に感じてるからかもしれないですけど、ちょっとこの16歳とは思えないぐらい、10代とは思えないような言動があって、結果シュレーディンガーが逃げるようにしてまた都市に帰っていくんですけど、この辺の話って本当にあったことなんだろうかみたいな。
ウィキペディアにはこういう記事はなかったかな。
シュレーディンガーちょっと調べたら、たくさんの女性と関係を持ってた。で、中には10代の人もいたっていうのは、なんかネット情報ではあったんですけども。
その少数派の中に出てくる、その病弱な16歳とっていうところはフィクションなんじゃないかなと。
うんだよね。って思ったりもするし。
でもそれがすごいリアリティがありますね。
そう、リアリティっていうかそう。フィクションだとしても、かなりそれこそね、詳細にいろんなことが書かれているので。
本当に、本当読んでるとちょっと信じてしまいそうなぐらい。リアリティがあって書かれてるっていうのは。
これがいろんな史実が混ざってるというか、ベースにしてる部分もあるから、どこまで本当なんだろうみたいなスタンスでどうしても読んでしまうので。
このあたりがなんかこう読んでると、自分の中でこれはどっちなんだっていう。なんだろうね、なんて言い方したらいいか。疑いというか疑って読んでるというか。
常に考えながら読んでるので、その体験も他ではこういう体験たまに味わえるけど、この小説は結構うまく混ぜ込めてきてる感じはするよね。
それも私はこの本を読む楽しみの一つだったなと思いましたね。
そういった楽しみの部分では、ちょっと近いかもしれないですけど、この登場する科学者、近畿数学者の人たちみんな奇人変人っていうところが、単純にこの小説の面白いところかなと思いますね。
ワフリッツ・ハーバーという人とかですね、シュヴァルツ・シルトという人とか、グロタン・リューク、モチズキ・シンギンという日本人の数学生。
あとハイゼンベルク、ルイド・ブロイ、シルディンガーという人たちが主な登場人物でいるんですけども、全員もWikipediaで結構紹介されているすごい研究者たちで、
結構この小説の中では性格がかなり変わっている人たちばかりで、それがぶっ飛んだことをしていて面白くて、
Wikipediaではやっぱり見ると写真とかも載っているんで、人によっては確かにこれは小説で書かれている人はこんなイメージの人物像だなっていうのが写真からも見えたりして、
そういったところも読んでいる。ちょっと楽しみではありましたね。
そうですね。変人、奇人ばっかりで。それこそこれメインではないけれどもアインシュタイム出てくるし。
そうですね。オッペン・ハイワーもちょろっと出てきますし。
ちょっと変わってるよね。
確かに確かに。みんな変わり者なんですけど情熱はでもすごくて、この研究というかその対象に対しての、結構この小説はシニカルに物語るって書いてるんですけど、
そういったすごい研究者、変わった性格の人が多いんですけど、本当に情熱を出して研究を取り組んで、ライバルとも争ってやっていくんですけど、
それに比例するかのように大量殺戮の記憶が浮かんでくるというかですね、そういったことも後書きに書かれていて、
そういった単純な面白さのところと、最初の方でもちょっと喋ってらっしゃったけど、戦争というところの結びつきっていうところが、ちょっと皮肉で感じられるところもあるっていうところですね。
ここからですね、5つ短編が入っているんですけども、それぞれのストーリーを紹介していきたいなと思います。
この中でちょっとメインで紹介するのが、最初に収録されているプルシアンブルーという作品ですね。
ちょっとどんな作品かというのを簡単に述べるとですね、プルシアンブルーというのは青色顔料のことで、すごく鮮やかで綺麗な色の顔料で、
プルシアンというのはプロイセンですね、ドイツ、北東部やポーランドにかけての地域で、そういったところから発祥したということで、プルシアンブルーという名前が作られていました。
これが化学反応、毒にもなるということで、生産狩りとして知られると。生産狩りの瀬っていうのは青色なんですけども、
それが第二次世界大戦の終わりのナチの好漢の人たちが自殺を、いざという時に自殺するために生産狩りを処置していて、
そういったプルシアンブルー、そういった毒物ですね、のちょっとその歴史が語られている小説になります。ナチ好漢が処置していたっていう毒なんですけども、
もともとの始まりは18世紀、頭はですね、1700年代かに、とある顔料職人の人が開発をして、このプルシアンブルー、青色顔料っていうのができて、
こんなに鮮やかな色のものが、しかも今まで使っていたものよりも低価格で買えるっていうので、特にヨーロッパの美術界で普及していってっていうですね、
そこから青色顔料の歴史っていうのが始まっていって、中にはですね、フランケンシュタインの小説、フランケンシュタインを作った人のモデルになっている、
リッペルっていうフランケンシュタイン城の主と言っていいんですかね、その人がですね、もうなかなかのちょっとヤバい人で死体とかですね、
そういうのを漁って、そこで実験とかをするような人だったんですけども、実はですね、この青色顔料の開発で、そこにはですね、このフランケンシュタインのモデルになった人物も、
いたりとかで入っていたりとかですね、とかあとナポレオンですね、ナポレオンもこのフルシアンブルーっていうのはすごい綺麗な色なんで、家の壁紙に使ったりしていると、
あの毒性というのも持っていたんですけども、そこには気づかずに使っていて、実はですね、毒に当たっていたんじゃないかとかっていう、なんかそんなですね、ちょっと噂名とかでも書かれていたりとか、
あとロシアのラスプーチっていうですね、海藻ラスプーチっていうのが知られたりするんですけど、その人に暗殺にもフルシアンブルー使われてたけど、なぜかラスプーチにその体制を持っていたから効かなかったとかですね、
そんな面白い話があったりとか、アラン・チューリングが自殺を後にするんですけど、その時にもですね、この毒が使われたりとかですね、そんないろんなもう歴史的なそれにまつわる話があって、
さらに視点が変わって、開発者の人間ですね、これがフリッツ・ハーバーという人の物語になっているんですけども、第一次世界大戦、1915年に史上初めてその毒ガス兵器が使われたという場面がありまして、
そしてドイツ軍がフランス軍を相手に、このハーバーという人が科学者なんですけど、その人の計画で毒ガスをフランス人に巻いて1500人を全滅させるっていうですね、このハーバーの人がフルシアンブルー、シアン化合物と呼ばれているんですけど、
それを使って毒をね、毒ガス兵器か、それを開発したそのハーバーの物語が入っています。このハーバー面白いのが、それとは別で、その前ですね、第一次世界大戦の前に植物の成長に必要な栄養素である窒素を初めて空気中から直接抽出する方法というのを発見した人物でもあって、
それでノーベル賞ももらってるんですよね、ノーベル科学賞、それはハーバーボッシュ法として、ハーバーが発見してボッシュという人が大量生産を繋いだんですけども、ハーバーボッシュ法として知られる方法なんですけども、それでこの世界的な食糧問題がですね、もう本当一夜にして解決できて、今の人類の人口爆発というのもそれがかなり寄与してるんじゃないかと。
すごいもう歴史的な大発見をした人で、そんなハーバーが、実は毒ガス兵器も開発計画もやってて、それが後にアイシュビッツのガス室ですね、ナチが作った、そこにも使われたりもするようになってしまったという、すごく後のドラマもあるようなそんな物語ですね。
というですね、第二次世界大戦青色顔料の18世紀からの歴史で、この第一次世界大戦のハーバーという科学者の話という3つの話が入った、このブルシアンブルーというのが最初の収録作品ですね。
そうですね、これはこの小説らしいなって思うのは、まずこのハーバーの話が出てくるまでに、短編集これ20ページから30ページぐらい、25から30ページぐらいの短編なんですけど、多分半分ぐらい、10何ページはハーバーの話が出てくる通りに展開して、ようやくハーバーが出てきたなっていう感じが、ちょっと裏拍子にブルシアンブルーのあらすじみたいなのがちょっと載ってたんで、それを読んでいたので、
こういう話なんだなって思ってたけど、全然ハーバーの話出てこないなって思ったら、半分ぐらいから出てきて、この前段のディティールっていうかね、ディティールというか流れみたいなのをすごく重視してるなって思っていて、すごくそこは面白かったなってところと、
あとやっぱこのハーバーが最後の方であれですけど、やっぱり世界の食料問題を解決する技術を発見をしている、けれどもそれと同時に大量殺戮のためのガスも作っているっていうか、時系列はいろいろあるけれどもあって、
で、ノーベル賞を取った人物が、もう毒ガスも作ってるっていう、この2面をどう受け取っていいのかみたいなところもちょっと突きつけてくる作品で、ほんと短いけどね、30ページ以内ぐらいなのにね、すごい濃厚な情報量も圧縮されてるし
そうですね、情報量とんでもないですね、この30ページの中の。最初はちょっと読むときに話がわかりにくい、入ってきづらいところあるかもしれないですけど、でもじっくり読んでいけば大丈夫と思いますし、話が入ってくるとめちゃめちゃ面白く読めると思いますね。
でもこのハーバー、奥さんも同じことが化学の学者さんで、で、その毒ガスを開発したときに奥さんから結構責められるんですよね、なんてことをしてるんだっていうので。で、奥さんがそうやって抗議するんですけど、ハーバーはそれを無視していて。
そしたら奥さんね、ちょっと途中で自殺をしてしまうんですけども、後々ですね、ハーバーがこれ最後年になって死ぬとき、この亡き奥さんにあてた手紙があって、そこには罪悪感を感じているという記載があったんですけど、その罪悪感というのが毒ガスを作ったとかっていうわけじゃなくて、その前の研究ですね。
窒素から、空気から窒素を抽出する方法、ハーバー没収法ですね。それ発見をしてしまったことで、自然、地球の自然の均衡を崩すんじゃないかと。で、簡単に植物が成長できるようになってしまうんで、2、30年後には世界は人類じゃなくて、植物に支配されるんじゃないかっていうですね。
だからその、そこにちょっと恐れを抱いてしまったっていう、そんな罪悪感について書いていて、この辺のなんて、ずらい具合ですね。なんかこの辺もかなりひねくめいて書かれていて、なかなかちょっと考えられるところがありましたね、最後の方が。
まあちょっとここの点はね、ちょっとなんかたどり着くときにちょっといろいろ感じてもらいたい部分はありますけれども。これもどうなんだろうな、本当にこんなこと思ってたのかなとか。フィクションなのか、フィクションなんだろうなとか思いながら。
人物を深掘っていった結果、こういう思想があるんじゃないかとか、そこにたどり着いたのかもしれないけど、なんとも言えないよね。
そうですね。次にですね、ちょっとこれ触れておきたいなという作品が、最後から2つ目ですね、さっき大地さんも少し言われていた、私たちが世界を理解しなくなった時という、この短編集の中で一番長い作品になっていて、登場人物、主に3名いるんですけども、
ハイゼンベルク・ド・ブロイ・シュレーディンガーというですね、それぞれ名前は聞いたことなくても、調べると実はすごい人物だったという3名になっていて、まずハイゼンベルクの話からちょっと始まるんですけども、このハイゼンベルクという人がですね、
量子力学研究をしていて、そこのアイデアというのをちょっと閃いて、その論文を作るっていうのが、それが1925年当時ですね、ちょっと花粉症にかかってしまって、そこから逃げるためにちょっととある島に行って、そこで避難生活の中でその論文というのを書いて、
量子力学の、この師匠であるボーアという物理学者に一緒にそれを学会で発表していくみたいなんですね。そんなハイゼンベルクの話があって、このハイゼンベルクというのが結構人物像としては面白くて、かなり挑戦的で何ていうか生意気な若者みたいな感じの描かれ方をしています。
その時はどっちかというと若手研究者の時代ですね。若手研究者の時代が描かれていて、ハイゼンベルクというのが生意気な研究者なんですけども、すごいぶっ飛んだアイデアを持っていて、それが結構アインシュタインの思想とは相入れない考え方をしていて、
ハイゼンベルクがすごい画期的な論文というんですかね、その量子力学の発表をするんですけど、アインシュタインはそんなの物理学ではありえないというので反発するような、そんなですね、ちょっと話になっていきます。もう一方ですね、二人目の人物がルイド・ブロイというですね、フランスの研究者で、すごく規則階級の生まれの人ですごい優秀正しい白石になるんですかね。
ただ、研究者の道に進んで、お兄さんも研究者で、弟の子のルイド・ブロイという人も研究者の道に進んで、そっちですごく実績を残していきます。このハイゼンベルクが出した量子力学についての研究がちょっとアインシュタインが受け入れられない、従来の物理学の価値観から常識からは相入れないものだっていうのに対して、
で、このルイド・ブロイがそれへの反論材料となるような、そんな研究成果を発表して、それがですね、その後のシュレーディンガーという人の研究につながっていくんですけども、このルイド・ブロイという人もすごい繊細な人で芸術家の友人がいたんですけども、なくなったらですね、訳はわからないぐらいとんでもない行動をしてしまったりとかですね、そういうような人物なんですけども、
そんなルイド・ブロイの研究を受けてシュレーディンガーが登場してくるんですけども、この当時シュレーディンガーというのは30代ですかね、ちょっとどっちかというと研究者としてのキャリアがうまくいっていなくて、かつ結婚生活もそんなうまくいっていなくてっていうですね、ちょっとパッとしないような状況だったんですけども、ルイド・ブロイの理論に関するセミナーを大学からですね、ちょっとセミナーやってみないかと言われて、
これ打ち込むと、実はこのルイド・ブロイが作ったこの研究成果というんですかね、なんかそこにはすごい可能性があって、その方程式を発見する、それを生かすというかですね、実際に使えるようにするような、そんな方程式を発見するためにスイスの療養所に入院して、ちょっと実際、結核ですかね、ちょっと状態が悪かったっていうのもあるんですけど、研究に打ち込んでいきます。
そこでさっきの話で、女の子に恋をしてしまったりしてっていうので、途中脇道にそれたりもするんですけども、なんかもう入院中の本当になんていうんですかね、このうなされている中でその方程式というのを見つけ出して、本当にひらめくようにして、なんか夢の中で見つけるみたいな感じの、なんか訳がわからないまま方程式というのを見つけて、論文に仕上げて発表すると。
それがハイゼンブルクが提唱していた論文、それは従来の物理学の価値観に入れないもので、それを打ち消す。それとはまた別の理論でシルエーディンカーがルイド・ブロイの成果をもとに実用化するような方程式を作って発表して、そしたらシルエーディンカーの方は従来の物理学の常識の中でそれができていてっていうので、
ハイゼンブルクとシルエーディンカーはどっちの発表もすごく量子力学の中では画期的なものであったんですけども、シルエーディンカーの方がより従来の価値観の中でできるもので、すごく賞賛を浴びるんですよね、このシルエーディンカーが。
最初はそうだったんですけども、ただハイゼンブルクがこのボーアと、師匠であるボーアと一緒にまたこのままではダメというか、もっとこの理論というのを磨き上げたら、このシルエーディンカーの理論では説明できないこともできるっていうので、後にハイゼンブルクとボーアが一緒にコペンハーゲン解釈として知られる量子力学の考え方というのを披露して、
最後アインシュタインと戦うというか、激論もするんですけども、アインシュタインに今日認めさせたっていうですね、それが何かというとハイゼンブルクの不確定性原理というですね、そういった名前がついてるんですけども、そこの原理につながっていくという一連のプロセスの話ですね。
これが3人の人物のそれぞれのドラマ研究プロセスを得て、ハイゼンブルクの不確定性原理につながってくるという数十ページの長い話なんですけども、面白おかしく書かれているという。
そうですね、これ今ちょっと聞いてるとだいぶ混乱すると思うんですけど、読んでると割とそれぞれ専門的な話は展開するんですけど、この人がこういう主張してて、これキーがアインシュタインだと思ってて、アインシュタインに対して相対性理論に対してどういう意見を持っているのか、そもそもちょっとわからなくても、アインシュタインの相対性理論と相入れないんだなとか、うまく両立しないんだな、この物理学の中でこの2つが両立しないんだなとか、
結果的には両立するのかみたいな、そういう話がちょっと色々展開するんで、アインシュタイン自体はメインにはならないんだけれども、結構割とそのクッションというか、コペンハーゲン解釈っていうのは事実だと思うので、アインシュタインがボーアという人物に負けたというか言いまかされたというか、理論的にはちょっとアインシュタインの方が劣勢だったんだなっていうのは多分あると思うんですけど、
そのあたりはこれちょっと難しそうに聞こえるかもしれないですけど、このアインシュタインの相対性理論に対してどうだったのかっていうので見ていくと割ともしかしたら、筋道的には読みやすくなってくるかもしれないなと思います。
その本当に当時何をどう証明するのかとか、何が物理学的にここが今証明されきってないけれども真実だろうと思われてるのかとか、多分そういうのがめちゃくちゃごちゃごちゃした時代、今も続いてると思うんですけど、でもすごくいろんな人がいろんな研究して、わーわー言ってたんだろうなっていう雰囲気もちょっと伝わってくる小説だったなと思いますね。
そうですよね、今でこそそういった法定式というか原理みたいなものが確立されていると思うんですけど、当時はその辺が一体どうなるのかっていう、こっちが正しいのか、あっちが正しいのかみたいな、そんなすごいバトルがあった時の激動のこの3人の主張し合っての物語があって。
この辺りは多分いろいろ今も、現代思考系でいくと多分AIの話とかも一緒で、AIの技術もそれぞれ今あるけれども、どれが一番いい技術というか、どれが一番いいとかはないかもしれないですけど、場合によると思うので、でも多分積み上げ方が多分それぞれ違うはず、ちょっと詳しくないんでわかんないですけど、そういうのも多分あると思うので、多分時代が動く時ってのはこういうふうにいろんな同じ物理っていうものに対しても同じ物理のこの領域、
粒子力学っていうところに対してもいろんな意見が出てくるんだろうなとか、いろんな理論が出てくるんだろうなとはちょっと思いましたね。
そうですね、これもね、やっぱり読んでいくと最後の方は結構ね、このハイゼンベルクとか、ハイゼンベルクも原爆開発にちょっと関わっていくようになるんですけども、そんなですね、ちょっと戦争の暗いところ、なんかそこの示唆するようなちょっと描写もあったりして、なんか面白おかしくね、この3人の争いを読んでいけるんですけど、最後の方はなかなかやっぱりちょっとしんみりするところも感じたりはしましたね。
今ちょっといろいろ話してきましたけれども、この小説だいぶ特殊であるなっていうのはちょっとわかってもらえたんじゃないかなと思うので、最後やっぱりもうちょっと繰り返しになっちゃうかもしれないですけど、やっぱり自分としてはこの史実とフィクションが混じったようなスタイルっていうのは、いくつか今までも読んできたんですけれども、こんな形でこう入り乱れてるというか作られてる小説っていうのは初めてで、
もうちょっとなんか人物にグッと寄ったり物事にグッと寄ったりすると思うんですけど、なんかこう全体として科学の方向性っていうか、それがもたらしたものみたいなのが結構描かれてるような気がしていて、ここはなんというかね、すごく不思議な独語感が残ったなとは思いますね。
他では絶対味わえない唯一無二の作品であるのは間違いないなとは思います。
そうですね。本当に読みごたえがあって、すごく考えさせられることも多い作品だなと思いましたし、この前に読んでいたマッカー氏の最後の2部作までは主人公のお父さんもそうだし、主人公と妹もやはりその学者であったり数学者であったりっていうのをしていたっていうところもあって、
科学者の人が自分たちが開発したことについてどう思っているのかみたいなところを直接的には述べられてなかったと思うんですけども、やっぱりこの原発の開発をマッカー氏の作品の主人公のお父さんはしていて、そこにかなり罪悪感を抱えていたんじゃないかなと読み取れるところもあって、
一方でこの恐るべき緑の出てくる科学者たちで、自分たちが開発していったその先にあるところへの何か人類にもたらした死害の部分ですね。毒発であったり、原発であったり、そこに対しての追い目みたいな罪の意識というか、そういうのは果たしてどれだけあったんだろうかなっていうとですね、あんまりいなかったのかなと。
ちょっとそういう怖い夢を見るみたいな描写をハイゼンベルクがするっていうようなですね、そんなシーンはありましたけど、その辺なんかちょっとマッカー氏作品に出てくる科学者たちの意識とこの恐るべき緑で出てくる、これは1900年代前半の話が多かったのであれですけど、
この科学者たちの意識で、それぞれの人類にもたらしたものに対しての風の部分ですね。そこへの意識って結構違いはあったんじゃないかなっていうのは感じましたね。
でもそうだよね、その最終的にどう世界がなっていくかみたいな、見えた瞬間の話とかにあったけど、科学としては前に進むしかないんだろうなとちょっと思った、全体としては。
そうですよね。なんか俯瞰で見た時と無責の研究に夢中になっている時っていうのと全然状況は違うと思うんですけど。
そこに世界の真理があると思ってさ、突き進んでるわけだもんね。もちろんもっと意図的に殺戮っていうのに意識が行ってたこともあったと思うんだけどね。
じゃあそんなところにしておきましょうか。
そうですね、科学者を題材にした小説でも描かれ方っていうか、感じるものは作品によって違うんだなっていう。
じゃあちょっとそのところにして、今回ちょっと終わりにしましょうか。すごい作品だったなと思うので、ぜひ皆さん読んでいただければなと思います。
じゃあ次回告示で終わりたいと思います。次回はですね、林会員の城南九二という作品をお送りします。
北京を舞台にした台湾の方の小説になります。お楽しみに。
番組の最後になりますが、メルマー会員募集しております。こちら無料版、有料版でございまして、無料版の方ではカットした音源があればそれをお届けしたりとか、
あと海外文学ニュースという形で海外文学の新刊情報なんかをお届けしております。ぜひ興味がある方はご登録してみてください。
有料版の方はサポーター特典というか、我々をちょっと応援したい方が一定数ありがたいことにいらっしゃるので、その方たちのためにちょっとやっているメルマー会になります。
こちら毎週土曜日どちらも配信してまして、詳しいことは番組概要欄に記載しておりますのでご確認ください。
番組の感想やリクエスト、またこの番組を聞いて紹介された本を読みました。読み返しましたとございましたら、ハッシュタグ空飛猫たちをつけて教えていただけると大変うれしいです。
Xやインスタの投稿などでお待ちしております。お便り本も番組情報欄に載せておりますのでそちらからいただけると大変ありがたいです。
この番組気に入っていただけましたら積極的に拡散共有していただけると助かります。ではまた来週。ありがとうございました。