現実のプラハに隠された、もうひとつの街に迷い込む主人公。幻想的で神秘的で哲学的なモチーフから、夢のような不思議な読書体験を味わえる、ミハル・アイヴァスのもうひとつの街を紹介します。
どうもみなさんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは、私大地と三重の二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ミハル・アイヴァスのもうひとつの街です。安倍健一さん役で川出処方針社から2024年に文庫が出ています。
今回のミハル・アイヴァスのもうひとつの街なんですが、1993年にチェコで原書が発売されていて、2013年に単行本が出ていて、2024年、今年ですね、文庫化したという流れになっています。
ミハル・アイヴァスさんはですね、あれは10月かな、10月のヨーロッパ文芸フェスティバル2024に来日されていて、安倍健一さんとですね、翻訳された安倍健一さんと登壇されていた、いろいろお話しされていました。
三枝さんはサイン本?
そうです。この講演の直前に文庫が発売されてたんで、買って、当日講演の後、安倍健一さんとミハル・アイヴァスさん、2人にサインをもらいましたね。
うん、そうですよね。私もちょっとサイン欲しかったんですが、講演だけ聞いて、ちょっとすぐ帰らなきゃいけなかったんで、あと本もその時手元になかったのかな、だったのですぐ帰っちゃいました。
で、その翌日か翌翌日くらいにはちょっと買いましたね。
あ、そうだったんですか。
めちゃめちゃ面白そうだと思って、講演聞いて、画前興味持ったので。
で、今回のもう一つのマチなんですけれども、これですね、そうか、冷静に考えると結構昔の本なんだよね。30年以上。
うん、そうですね。30年以上。
前の本でもね、書かれたので。
確かにそうか、ちょっと今改めて、なんか認識はしていたけれども、改めて今書かれた年をもと、確かにいわゆる携帯電話みたいなのも出てこないし、テレビもなんか古臭そうなテレビが出てきたんですけど、
1993年の時代だったんだなーって、ちょっと改めて今。
で、これですね、読んでみたら結構、私好きなイタリアの作家でイタロ・カルビーノっていう、もうまあなかなかトリッキーな作家で有名なイタリアの作家がいるんですけれども、
それのですね、冬の夜を一人の旅人がみたいな話で、結構速攻で自分の中でスイッチが、読書スイッチが入った感じがあって、
いやこれやばい、面白いと思って、画前読み進め始めたんですけど、ただこれ200ページぐらいだなと思ってて、結構短い話かなと思っていたら、
結構読むのに時間かかってですね、あのめちゃめちゃ200ページなのに骨太だなって思いながら、ちょっと読んでいて、読み終わるのにですね、
6時間はかかったかな、7時間ぐらいかかってるのかな、多分1ページ1分以上かかってる感覚がありますね。
みえさんどうだった?結構時間かかってたよね。
みえさん いや6時間以上かかってるとおりですね。
かかってるよね、やっぱね、そうだよね。
みえさん 体感的には1時間で20ページぐらいしか進まなかったですね。
やっぱ途中ね、なんか乗ってきた時はもうちょっと早く読めるとこもあったんですけど。
最初の3時間とか確か20ページぐらいだった感じがするな。
みえさん そう、なんかね、開業があんまりなくて、文章がびっしりページに入っていて、しかも話がね、なんかあっち行ったりこっち行ったりって、なかなかちょっと読むの苦労しましたね。
でも僕はやっぱり読むと、伊太郎・カルビーノをまず思い浮かびましたし、読みにくさはもう同じく伊太郎・カルビーノ級だなって思いましたし、でも本当好きな人はこれはハマる小説ですよね。
これ好きな人は絶対好きですよね。
みえさん 本当、すごい幻想的な小説でもあるんですけど、なんでしょうね、この脈絡の無さというんですかね、なんかもう予想がつかないというか、
その辺はもう、なんか突然こんなシーンが出てくるみたいな、そういうのは夢の中を覗いているような感覚を味わえる小説でもあったなと思いましたし、
ではもう一つの街というタイトルの通り、主人公がプラハにいるんですけど、そのもう一つの街を旅するような話でもあって、
この主人公とともにもう一つの街に行って、でまたちょっと現実に戻ってくるようなですね、なんかそんな、なんかその戻ってきた時のちょっと寂しさを感じるような、そんな読語感もありましたね。
確かに、そうね、この脈絡の無さっていうのが文章でうまく表現されてて、確か夢感はあるよね。
みえさん そうですよね、なんかね、動物が急に現れたりとか。
そういえば、チェコの小説は今年同じく安部健一さんが訳されたフラヴァルの、ボブ・ミル・フラヴァルの定発式に続く今年2冊目の小説だったんですけども、
チェコという土地感というんですかね、そういったのが現れていて、で定発式とはまた全然違ったテイストで、
だからどっちもその国とか都市とかを感じれる作品なんですけども、テイストは全然違うんで、なんかそれぞれ面白いなと思いましたし、
ちなみにそうなんですよね、11月にちょうど双子玉川でチェコフェスティバルというのがやっていてですね、
そこでようやくチェコビールが飲めたんですよね。
あ、そうか、定発式の時は飲んでなかったって話をしてましたもんね。
あれ定発式の話してたのが秋ぐらいかな。
そうだね。
まあ2、3ヶ月してなんかチェコビールがようやくチェコフェスティバルでチェコから直輸入されたという。
あ、そうなんですね。
ビールを買って。
あれ、そのお土産にいただいた私、三枝さんからチェコビールをお土産でいただいたんですけど、あれはその直輸入のやつかな。
だったと思います。
あ、分かりました。まだね、飲んでないんですよ。
あ、そうなんですね。
もう冷蔵庫に今眠ってます。
ポッドキャストウィークエンド以降ちょっと体調があんまり良くなくて、家でお酒は飲んでないっていう。
ああ、そうだったんですね。
もうちょっと整ったら、ちょっと飲もうかなと思っております。
あのね、チェコはビールの国でもあると思うので。
ね、いや本当だよね。
で、今回の小説ではあんまりそのビールとか、バーは出てきましたよね。
いや、でもさ、よくビール飲んでたよね。居酒屋入ってビール飲んだりとか、よくしてたよね、主人公。
そうですよね。結構ね、バーが出てきましたもんね、居酒屋がバー。
結構のんきにビール飲み出すなとか、ちょっと思っておりましたが。
うん。で、しかも重要人物がね、そのバーの救出というかね。
ああね。
そう、なんか、後からね、そんな重要人物だったのかってね、ちょっと気づくんですけど。
うんうん。
その辺のなんか、このお酒文化みたいなものもちょっと、作品にもちょっと出てるなと思いましたし。
そうですね。じゃあちょっとここで、著者の三原愛馬さんについてご説明したいと思います。
三原愛馬さんですが、1949年プラハ生まれ、作家・詩人・哲学者。ロシアからの亡命一家で育ち、カレル大学で美学を修学。
幻想文学の系譜を推理小説SF・旅行記と融合させた比類なき作品を発表する一方、理論研究センターでデリタ・フッサールについての研究を行う。
で、数々の文学賞を受賞してますね。
三原愛馬さん、公演で見た印象だと、結構やっぱりユーモアが結構ありそうな感じの方だったので、
このもう一つの街ですね、哲学の文脈もめちゃめちゃ強いんですけど、それと同じくらいやっぱりユーモアも結構入ってる気はしていて、
ちょっと突拍子の無さみたいなところですけどね、人柄が現れてる小説だなと思っております。
では、作品紹介いきたいと思います。
刊物のホームページの言葉、ちょっと読み上げさせていただきます。
プラハの古書店で見つけたスミレロの本に導かれ、私はもう一つの街に迷い込む。
魚の祭典、ガラスの像の地下儀式、悪魔のような動物たち、哲学的挑発に貫かれた傑作幻想冒険団とあります。
まあ、かなり短いですが端的な説明ですね。
で、まあこれだけじゃ何のことだと思うんですけれども、でも言ってしまえばこれだけのことだったりするっていうのがこの本の内容なんですけれども、
具体的にちょっといろいろ特徴について話していきたいと思います。
そうですよね。今の話であったみたいに、プラハの古書店でスミレロの本を見つけたところから始まるんですけれども、
そこからもうすでに現実のプラハの街とはまた違うもう一つの街っていうのに片足を踏み入れているかのような状況になっていくという、
プラハの中にもう一つ作れた場所が出てくるという、そういった設定になっています。
で、ちょっとファンタジーな設定ではあるんですけども、小説自体はよくあるファンタジー小説とはまた違うような感じですよね。
冒険ありきというわけでもなく、何でしょうね、ちょっとイタロウ・カルビーノ的な感じではあるんですけども、
主人公の冒険がよくあるファンタジーの、だとメインだとしたら、どっちかというとこの隠されたもう一つの街がどういう街なのかっていう、
そこを表すっていうところがメインなのかなっていう。
ただその隠された街っていうのも、何かわかりやすく描かれているわけではないですし、
おそらくそれを全部描いているわけではないと思うので、一体何なんだろうかと思うところがあってですね。
そこも特徴かなと、何かそういったので結構幻想的な話というか設定ではあるんですけども、神秘的でもあるし、
ちょっと悪魔的なっていうのもあったり、哲学的っていうのもあったり、夢の中を覗いているようなっていうのもあったりして、
すごく糖水的なですね、読んでいると余裕を感じるような、そんなところもあるっていうですね、
かなり現実ともう一つの世界が溶け合うような、そんな感覚を味わえる、そんなちょっと幻想的な作品なのかなとも思いますね。
そうですね、結構最初の方に本棚の裏とかクローゼットの奥とか、
もう一つの街に繋がってそうな場所みたいなところが出てくるんですけど、すごくわかるっていうかベッドの下の空間とか、
夜とか覗いてみるとちょっと何か怖かったりする場所とかあるじゃないですか。
だし、ふとした瞬間に整理してて、あれ本棚久しぶりに動かしたらこの裏なんかすげえ埃溜まってんなみたいなのとか、
ここがなんか違う世界に繋がっているんじゃないかみたいなことを、ちょっと考えてしまう時とかあると思うんですけど、
そういう感じで本当にちょっとしたところからなんか繋がってそうな全く違う世界、空間みたいなのが結構描かれていて、
これはなんか子供の時とかに持ってた想像力とか、そういうのにすごく結びつくなって思うのと、
あと個人的には日本でこういう感じにやると、なんかすごくホラー色が強くなっていくっていうか、屋根裏とかさ。
天井裏とかさ、そのあたりに妖怪がいるとかお化けがいるみたいな、そんな感覚でなんか違う世界が広がっているみたいな。
塔の物語とかなんかちょっとそういう文明があると思うんだけど、これをプラ波でやるとね、なんかすごく神秘的になるんだなっていう。
そうですよね、なんかピッタリですよね、このプラ波のイメージと作品でのこの描かれ方っていうか。
ちょっとこの幻想の度合いがね、話が進むにつれてどんどん当たり前のようになっていくんだけれども、当たり前のようになんかいろんなことが起きていくんだけど、
なんか主人公がね、ある薬を飲むと空を飛ぶことができるようになったりするんですけど、その時になったっけ、
どっかの聖堂かなんかの上に腰掛けてだったっけ、そこでまたある男と出会って話し始めるみたいなシーンがあるんだけど、
すごく絵になるというか面白いなと思ったりしましたね。
そうですよね。あとこの三原愛馬さんが哲学者でもあるという一面があるので、役者跡書きでも書かれているんですけども、
この作品は結構哲学的なモチーフが散りばめられているというですね。
それは例えば雪ですね、この小説の始まりはこの雪が降っている冬になるんですけども、雪もいろいろな場面で描かれていますし、都市であったり、
あとはこの中心という概念ですかね、そういったのも一つの作品の中ではテーマみたいになっていますし、哲学者とかそういったのを知っている方だったらですね、
この作品に散りばめられているこの哲学的なモチーフというのはですね、読んでいくと楽しめるところなのかなと思いますね。
ちなみに僕はですね、その辺は全然わからないのでですね、そうなんですよね。
でもこの中心という概念は何なのかとかですね、そういうすごくちょっと考えさせられるようなところは読んでいて、ちょっと立ち止まって一体これは何なんだろうかってね、
なんか思うようなところでしたし、そういったところもこの作品の物語性とか、幻想的なところとかだけではなくて、
作品が解いているようなところですね、であったり散りばめられているところ、そこを読み解いていくというのも面白い点かなと思います。
確かに。でも私も今回出てきているような哲学的な要素っていうのは多分あまり感じ取れていないのかなと思っているんですけど、
でもただそれでも全然楽しいというか、訳わからなくても楽しめるっていうこのたまにあるタイプの小説なので、
なんか全部が全部読み取れなくても理解できなくても、この状況なんだろうみたいな、なんでこんなことになっちゃってんだろうとか思いながら読み進める楽しみもあるので、
結構この確かに雪とか都市中心というのは繰り返し出てくる話で、絶対何か意味あるだろうなって思いながら、雪も大体降り積もったばかりで、
誰の足跡もないっていうのも強調されすぎているぐらい出てくるし、そういうの絶対意味あるんだろうなとか思いながら読むことにはなるんですけど、
でもそこもちょっと想像力を使いながらだと思うんですけど、本当ジェットコースターのようにですね、
身を任せていれば、なかなか結構すごいところにたどり着くので、難しいなと思って途中でやめずに読み進めると、わけのわからない楽しさにたどり着けるような気はしていますね。
そうっすね、突然話が楽しくなったり、突然わからなくなったりっていうね、そんな確かにジェットコースター感はありましたね。文章のところはもういいかなと。
じゃあちょっとざっくりとですね、ここでストーリーをですね、紹介したいと思います。今回ですね、細かく話すといろいろあるんですけど、
ただそれはあまり細かく話したところでというところもあって、この本はですね、やっぱりこの展開から文章表現、言葉選び、出てくるものとかも含めてですね、
やっぱりすごく混乱の中で、読書の楽しみを生み出していくみたいなところは絶対あると思うので、結構ざっくりとしたこの本の流れを少しお話ししたいと思います。
その後ちょっと我々が印象に残ったところを語っていきたいなと思っています。この本はですね、まず古本屋で主人公がですね、ある一冊の本と出会うところから始まります。
その本にですね、もう手触りに強烈に惹かれて開いてみると、これスミレイロの本なんですけれども、手触りが良くて、開いてみるとそこに書かれているのは知らない文字、全く読めない文字でした。
もう著者も署名もわからないし、何が書いているかわからないけれども、その本を買って、主人公はですね、この文字、この本の書かれている言葉は何なのかというのをですね、調べていこうとします。
その過程ですね、主人公はいつの間にかある境界の上に自分がいるということに気づきます。それがもう一つの町と彼が本来今まで住んだプラ、自分の町の境界ですね。
そこで今まで見たことのないようなものが見えてきたり、気づかなかったようなことが気づいていったりする、その境界をですね、ちょっとずつ彼は越えてしまって、そしてずっとその世界がプラ派の隣にあったということに気づきます。
主人公はですね、その境界を越えて、もう一つの町について知っていきたい、多くを知りたいと望み、その中心に近づこうとしていきます。
ただ、越境行為だということで、もう一つの町の住人たちに危険人物とされ追われることになっていきます。
この辺がちょっと冒険なんですけど、緑色の路面電車が町の中に突然現れたり、巨大なサメと死闘したり、ベッドシーツの平原や山を逃げ回るという、ちょっとよくわからない状況が連続してきますね。
彼はですね、このもう一つの町の真実、彼が元から住んでいる町の真実にたどり着けるのか、みたいな感じで話はどんどん進んでいくという感じの小説になっています。
ちょっとこれを聞くと、結構冒険色が強そうだと思うんですけど、前ちょっと前段で話した通り、結構町が中心になっていくので、もうわけでわからない現象ばっかりたくさん起こるんですね。
それで結構、主人公を振り回されたり、追い込まれたり、逃げ回ったりするっていう感じですね。
そうですよね。なんかこの緑色の路面電車がね、現れるっていうのが、結構最初の方にの漏洩があるんですけど、これもね、なんか読んでてびっくりしました。
なんかいきなり笑われて、なんだこれはってなりましたし。
主人公と話した男が運び込まれて連れ去られていくっていう。
そうそうそうそう。そういうところが面白い。
慌ててタクシーで追いかけるっていうね。あの緑色の路面電車を追ってくれって。
そうで巨大なサメも、小楼っていうあれはなんか聖堂教会みたいな建物なんですかね。のなんか一番てっぺんのところの空間の中に水というかがあって、そこにサメがなんか凶暴なサメが漂っていて、主人公を襲ってくるみたいなんですね。
なんとも言えないシチュエーションがすごい良かったですし。
主人公がね、そのサメと戦うっていうのが実はですね、テレビでこの街の人たちがみんな見て、それでね、なんだこのバカな奴はっていう笑いものにされていたっていう。
もう一つの街の住人が見ることができるテレビにテレビ放送に載ってるっていうね。
そうなんですよね。
翌日新聞の一面にもなっているっていう。
そうですよね。なんかその辺はちょっとなんかね、SFチックなところを感じましたね。
確かにね。そんなちょっとなんか口頭向けに聞こえるかもしれないけど、結構これ真面目にみんなやってて、真面目に戦って、サメもね、あのちょっと場合によっては殺されてたからね。
本当すごい強かったので、命からからってとこですね。
そうですよね。で、なんか主人公はそんなもう一つの街に結構ね魅了されていくというか、なんかそうそっち側に一体何があるんだろうかっていうので、どんどん真実というかなんていうか、そこにのめり込んでいってしまうんですよね。
そうですね。これがなぜ彼をこんなにドライブしていくのかっていうのは、まああえてやっぱ書いてないのかな。書いてないのかな。
そうですね。なんかすごくでもなんか自然にもう一つの街に向かおうってしてますよね。なんか動機とかあんまそういうのはあんまりね、描かれてなかった気がするんですけど。
にも関わらずめちゃめちゃ危険な目にあいながらも、危険な目にあってもまた行くからさ。
でもなんかちょっと魅力的なとこありましたよね。その若い女の子とね、なんか一緒になれたりとか、なんとも言えないこの、そうこの冒険たんならではの要素というんですかね。そんなところもありましたし。
一応もう一つの街から抜けてきて、自分の街に戻っている、プラハに戻っているとき。まあ同じプラハなんだけれども自分のプラハに戻っているときか。
一応安全っちゃ安全なんだよね。もう一つの街の住人たちは手を出してこなかったりするのかな。
ここもあれこれ章がめちゃめちゃ細かく分かれてて、200ページなのに22章まであるんですよね。結構細かく分かれてるんですけど、その時間が章の間で結構経過するんですよ。
一晩経っちゃったりとか、午前3時に待ち合わせしましょうと言ったときに、結構昼だったのがもうすぐ午前3時になったりとか、時間経過がパパッとその章の間で行くんですけど、この間結構主人公何したんだろうみたいなのが、自分は結構気にはなりました。
この辺りのなんか生活感の無さみたいなのが、ちょっと気にはなったんですけど、やっぱあえてその辺を削ぎ落としているのかなっていう。
主人公にその個性みたいなものとか、主人公のバックグラウンドみたいなものってなかったと思いますし、あえてそういうなんかちょっと透明感のある主人公というかにしたんだろうなと思いましたね。
なんかその主人公がちょっと記号的というか。
そうだよね。
そんな気はしましたね。
これは読み手が重ね合わせやすいようにしているのか、それとも逆にそういうなんでもない人物がドライブしていく様を見せたかったのか、ちょっとわからないところはあるけど。
まあでも絶対狙い持ってそうしてるっていうのはわかりますし。
そうですね。さっき200ページの中で22章あるっていう話があったんですけども、結構細かい話がやっぱり散りばめられていてですね。
とある地区とか、とあるカフェとか、とある祭典、お祭りみたいなところとかっていう、なんかシーンごとに一章咲かれていて、僕がちょっと気になったのは図書館ですね。
図書館の章ですね。ジャングルという20章なんですけども、クレメンティウムの図書館という実際にチェコにある図書館で、すごくもう歴史的な図書館だと思うんですけども、
なんかね、そこの中ですね、実は奥に進んでいくと図書館のジャングルになっているというですね、一体図書館とジャングルってどういうことだって思うんですけども、
本とか紙とかが植物のようにうじゃうじゃなっていて、そこに行くともうかなり危険で、その図書館の奥に行くと図書会員がですね、もうそこで捕まって失踪してしまうというので、年に何人もの図書会員がもういなくなってしまうんで、
それが結構不思議な感じはするんですけども。
いろんな起源の話をされて結構混乱するというか、おそらくもう一つの街の中でもう一つではないんだなということはわかるっていうんですかね。
なんかね、こういうちょっと不思議な小説なんですけども、本当ね、プラハというこの都市とのイメージとのこの合致具合っていうのはすごいやっぱりあると思っていてですね。
神秘的なだし、幻想的なこの話とこの都市とのね、その雰囲気を味わえるっていうところがまずすごく良かったと思いましたし、
この合致具合ですかね、その都市が持っている雰囲気とこの話の要素、神秘的なところとか幻想的なところ。
それちょっと思ったのは、日本だったら例えば京都が舞台で妖怪が出てくるとかですね。
そのくらいガッチドはあるんじゃないかなと思う。
イメージ通りみたいな。
イメージ通り、そうそう。しっくりくるような現実離れした話だけども、でもなんかついつい自然とそれを受け入れてしまうような、そんな感じはありましたし。
たしかにね。立ってる像の中になんかお店が入ってたりとかね。なんかちょっと不思議な感じだけど、でもなんとなくイメージはすごくできるよね。
小さなあの中にすごい広い世界が広がってるみたいな。
そうですよね。
すごいわかる。この話は最後の方ね、よく出てくるんだけど、紀元と同じくらい話が最後盛り上がっていくのが中心とはなんだみたいな。中心は中心ではないみたいな。
それを意識しようとすると掴むことができないとか、意識することができれば立ち去ることができるみたいな。いろんな話がちょっと出てくるんですけど、この話も結局最後落としどころはね、ちょっとこの中心とは一体何だったのかっていうね。
この主人公がね、この中心をすごく追い求めていたんだけれども、それはあったのかっていう。
うん、確かに。町についてもね、先住民の町などなくて、町という町が無限に連なる鎖でしかないとかですね。
なんかその紀元も、紀元であると同時に終わりであるとか、町もう1回ありますね、母なる町であると同時に植民地であるとかですね。
だから本当に中心とか始まりとか、そういったものはないんだと。逆にそれはもう、紀元と終わりがイコールみたいなもので、中心であり辺境というかね、周辺であるみたいな。
そんなことが述べられていて、ここは結構ね、もう読みながらちょっと考えてしまったところですね。
なんか結局掴みどころがないんですけど、でもそもそも言われてみれば、例えば東京の町の中心ってなんだって言われるときにわかんなくなるよね。都庁なのか。
行政的に言ったら都庁とかになっちゃうけどさ、東京タワーとかさ、そういうモチーフになっているようなものとかさ、いろいろあるけれど。
いや、人物だって言われたったらそれまでだしさ、このもう一つの町で言うと司祭かな、中心だって言われたら、ああそうなのかってなっちゃうしさ。
中心だって思うこと自体が、よく認識をどこに持っていくのがいいのかとかね。
そうですね。その中心も本当にいろんな中心があって、物理的な場所っていう中心もあれば、例えば自分だったら現実の生きている世界か、もしくは夢がどっちを中心と捉えるかとかですね。
中心に対しての考え方みたいなものがあって。
そうですね、確かに。だから逆に言うとあれなのかもね、なんかもう本当、ああそうか、そういうことになっちゃうのか。やっぱ中心はないってことになっちゃうんだね。
この本の言う通りだ。
そうなんですね。この本だと自分が狂ったのか、宇宙の謎を理解できたのか、それさえわからないだろうって。それもそうなんですよね、中心というか。
どれか片方、これが正解みたいなものがもうないって言ってるようなことかなと思いますし。
そうだよね。でもそうだよね、そういうもんだよね。なんかもう一つの街もさ、主人公に対してすごく越境してきたみたいな感じで攻め始めるけどさ。
でもそれだって別になんか越境してきたからって言って何かを壊そうとしてるわけではないもんね、主人公はね。
そこに対してその攻撃性は何なんだろうとかちょっと思ったりはするけれども、そのお互いの中心がずれてるだろうなとか。
まあ、だと思うし。結局難しい話だなと思って。
そうですよね。ちょっと話が3体に飛んでしまいますけど。3体の第2部で宇宙論みたいな話で。
暗黒森林論かなくて。
地球とは別で宇宙には宇宙の法則がある。それと同じようなもので、この現実の世界では現実の法則みたいなものがあるとして、
もう一つの街では一見脈絡がないような出来事とか、理解不可能なこととか、周りが攻撃的であるとかっていうのももう一つの街の中ではもう絶対的な法則としてそういうのがあるんだろうなと。
何かその自分がいる世界、自分が見ている世界が一つの法則で当てはめてはいけないんじゃないかとかですね。
なんかそんなことも考えさせられるような話かなと思いました。
そうですね。それはあるかも。
そうですね。それとこのチェコの神秘的なイメージ、何でもありな、そういうファンタジックなことが起こってもいいんじゃないかなっていう。
プラハがプラハの持っているこのイメージというか、何かそういったのがいい具合に混ざり合っているなと思いますし。
それもあって、このもう一つの街で描かれていることも、一見読むと一体これはどういうことかなと。
中心が中心だけど中心ではないってどういうことかなっていうのも、でも実は何かその現実というか世界というか、そういったのも一つの見方では何かできないのかなとかっていうのも何か妙に納得したりとかするっていう。
なるほど、確かに。最後、いつも通りどんな人に読んでもらいたいか感想を交えてお話ししていきたいと思います。
ちょっとここまで話してきてあれなんですけど、これ会わない人に会わない自治体病症だと思っていて。
結構そのイタロウ・カルミーノとかちょっと少しなんかトリッキーだったりぶっ飛んでたり、幻想的だけれどもなんか脈々がないとか、そういうのが好きな人にはめちゃくちゃハマる本だなと思ってるんですけど。
逆に苦手な人って結構一定数というかいると思っていて、なんか展開がもう読めなすぎたりとか、着地がちょっと理解ができない部分。
この小説で多分完全に理解されようとして書かれてるとは思えないので、もちろん理解しようとする試みってのはすごく重要だと思うんですけれども、とはいえ全員が全員分かってもらおうと書いてるような小説ではないと思うので、
そういうですねちょっと意味のわからさみたいのが楽しめない人っていうのは多分一定数いると思っていて、そういうのがちょっと苦手だな自分ってちょっと認識がある方はもしかしたら会わないかもしれないなと思っています。
今回我々の話聞いてちょっと我々が楽しめたような部分で、結構その脈々がなくてもなんか混乱しながらも読めるみたいなところがあったので、なんかそういうのが全然すごく好きでハマってくるっていう人にはもう多分ですねめちゃめちゃこの本はぴったりだと思うので、
ぜひ読んでいただきたいなと思います。以上ですかね。
僕も同じようなことは思っていてですね、でもわからないなりに僕は読んでいったんですけども、結構やっぱりこのお茶目なシーンがいくつもあって、図書館のジャングルもそうですし、人間がコートと一体化してしまう話とかですね。
意味不明なんですけど、そこのシーン読むとめっちゃ面白いとかですよ。
主人公が急に女の子に言い寄られて、身体の関係を持つかもしれないっていう時に、女の子が死んだと思っていた恋人が実は生きていて、主人公の半分身体の関係を持とうとしているのにその恋人と女の子が急にまた仲が戻ってしまうみたいなんですね。
かなり置いてけぼりを喰らわされるような滑稽なシーンがあったりとかですね。
まあそんな笑えるような話もあれば、中心とは何なのかって考えされるようなところもあればっていうので、すごく思考をするような小説かなと思うので、しかも文庫で読めるのでちょっとね。
ああ、そうですね。文庫で読めるんですよ。
そうですね。表紙とかねすごくお洒落でいいですし、ちょっと興味があってトライするにはいいかもしれないなと思いますね。
そうですね。読むのに時間がかかるって言ったけどやっぱり200ページなので、そんなに挫折する前に読み切ることもできる文章量だなと思うので、多分ね後半に行けば結構ハマってくる気はするんですよね。
最初の私30ページぐらい結構読むの遅かったんですけど、50ページ100ページぐらい超えたぐらいかな。結構スピード上がってきたんで。
そうですね。後半でもね最初の方があれですね、この作中に出てきたチェコの固有名詞ですね。ちょっと検索しながら読んだりするとイメージが。
確かに場所の位置関係とか。
場所とかそう、あと建物ですね。聖サルバトーレ教会とか、あとペトシーンっていう。