今日ある意味僕の夢が叶った。
おめでとう。
夢いいですね。
ゲストさんが今日お越しいただいておりますので、この後たっぷりお話の方を聞いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
この番組はレディクルー神戸ステーションよりお届けいたします。
地球のあそび方。
それではじゅんちゃん、早速ゲストさんの方、ご紹介の方よろしくお願いします。
自分がこういった番組でね、ご紹介をぜひしたいって思った夢が叶うようなね、とっても素敵なゲストさんです。
えーとですね、幼少期の頃から野球をされて、もう体育大学まで出られた後ですね、
どうもアフリカで体育の先生までされて、今はですね、若干28歳という、本当にお若いんですけれども、
年齢言ってよかったん?これ。
じゃないですか、むしろこれは強みとしか思いようがないんですが、
あのアパレルブランドも経営されていたりとか、本当に夢を引き出す講演家として大活躍されています、
棚原さやかさんです。
こんにちは。
今日は来ていただいてありがとうございます。
ジャンボです。
あってます?
あってますよ。ジャンボはちょっとオフィシャルな感じ。
オフィシャル?
私たちにしてはどっちも同じように聞こえますけどね。
わかりました、ジャンボの方がオフィシャル。
今日ボケ担当するの?
そんなことないけど。
そもそも俺やからね。
そんなことないけど。
はい。
じゃあお話を戻させていただいて、さやかさん本当にいろんなことをね、されてるんですけれども、
大学出てからの道のり、アフリカへの道のりっていうのを簡単に聞かせていただいていいですか?
はい、ありがとうございます。
大学まではですね、私野球をやってたんですけれども、12年間野球をやってて、
12年?
満年補欠やったね。
満点補欠やった。
もうずっと試合に出れない。
ちなみに、私あんまり野球は詳しくないですけど、ポジションとかそういうのはどこ守ってたとかあるんですか?
ポジションは一応サードだったんですが、主にサードランナーコーチをやってたぐらい。
コーチの方で?
そうなんです、コーチの方でやってたぐらいでして、
そんな感じで自分に全然自信がなかったんですね。
でもその時にJICA海外協力隊っていうのに出会って、大学の時に。
そしたらここだったら、もしかしたらこんな自信もなくて何もできない私だけど、
役に立てるんじゃないかなって思ったのがきっかけで、
そのアフリカのタンザニアっていう国に体育の先生として行って、野球の指導をしてほしいっていうことなんで。
野球の指導もやってた。
これでもこのタンザニアっていうのはもともと意識的にあったのか、たまたまタンザニアやったのかってどんな感じやったんですかね?
アフリカには一番行きたくなかったですよ。
行きたくなかった。
選べたりするんですか?そのJICAからの。
結果的に選んだんです、タンザニアは。第一志望で受かったんですね。
でもなんでタンザニア選んだのかっていうと、そのアフリカ一番行きたくなかったけど、
ちょうどアフリカから帰ってこられた方の話を聞いたときに、
もう大阪のおばちゃんが、いっぱいおるような国やれって言われたんですよ。
ちょっと待って。
それにやられて。
それにやられたんだ。
それにギャップに惹かれて、あれこんな怖いとこじゃない?みたいな。
最初のお話を聞く前の鞘賀さんのイメージってどんなのだったんですか?
もうね、暗い。なんかほんとダークって感じで、暗いし怖いし危ないっていう。
確かに知らなかったら治安とかはちょっと不安になりますよね。
確かに治安は良くはないけどってその人も言ってて。
けど大阪のおばちゃんが、いっぱいおるような国やれって。
見てみた。
メディカラすごいね、鞘賀さん。
見してあげたもん。
絶対これは公演劇に行ってください。
それにやられて。
アフリカを探してたら、タンザニアだけ体育の先生と野球部のコーチも探してる。
私やんって思って。
だからこういう人求むみたいなのがあるんですね。
一応いろんなところに。
それで第一志望で書いたらそれが浮かんで。
だって大阪体育大学出身ですもんね。
そうなんです。
任しとけって。経験はないけど任しとけって。
すごい。
実際行ってみてどうでした?
行ってみて、体育が体操服も何も着ないで机と一緒に座って、黒板を眺めてるのが体育だったんですよ。タンザニアの体育。
何?
スポーツのルールを覚えてるのがタンザニアの体育だったんですよ。
意外。
ルールを勉強するっていう。
そうなんです。
すごい。
それやったら私じゃなくてよくない?みたいな。
まして喋られへんしみたいな。
着任したときはそれをやらなあかんかった。
改革したんですか?
それを改革していってほしい、みたいな。でもね、してほしいって言ってるけどタンザニアはそれを体育だと思ってるから、なんかそれを変えるのも違うっていういろんな劣等感でやられて、
で、ほんま変えたろーって結局変えたろーって思ったんですよ。私はその体育の授業には出ず、他でタンザニアって日本と違ってすっごい子どもが多いんですよ。
で、何が問題って先生足りてなくて。
で、先生授業してない、自習時間みたいなのがめっちゃ多いんですよね。
それやったらここで、ほんまに私が習ってきたような体育を教えて、そこで生きる力を身につけたりとか。
そういうのをやっていこうって言ったんですよね。校長先生にも同僚にも。
やれやれ言われて、その2日後ですよ。
コロナが発生しましたので、全世界の隊員が日本に帰国しますよ。
叶ったっていうことなんですけど、そのアパレルのブランドを経営していくっていうことと同時進行でね、
さやかさんすっごい公演活動されててね、学校から企業さんから。
今や公演家なんですよね。
公演家です。
一番のメインは。
そうなんですよ。
どんなことをお伝えされてるんですか?
これはもうさっきしゃべったみたいな感じで、アフリカで気づいたこの日本の素敵さとか。
もう私たち実は何でもできるんじゃないかなって。
制限が外れていった経験家が、私もずっと夢を追う人生を送ってるんで、そのエピソードを話したりとかして。
聞いてるみんなの制限も解いていくっていうような、そんな公演をさせてもらってます。
学生さん、高校生とか大学生さんとか、そういった方の反応どうですか?
なんかね、一番嬉しかったのは、こんな人生ってイージーなんですね。
え!?
なんかすっごい難しく考えてたし。
そうだね、たぶん。
そうだね。
コネクってコネクって固められて固められてにされてるんですよ、みんな。
ギュギュギュってね。
こんな羽ばたいていいんですね。
でもそれは、さやかさんの話を聞いている間に、少しギューってなった脳みそが、ゆるやかに空気が、酸素が入るようになってきたりとか。
私もこんなことやりたかったかも、みたいなのを思い出されるっていうことですよね。
そうですね、その声が一番多いです。
やっていいんだって。
そうそうそう。
やってる人がいるから。
やっていいんだ。こんな夢見てる大人いるんだ。みたいな。
大事ですね。
そういう新しい価値観に触れる。
そういう実際、それで生きておられる方に触れるとか。
すっごい大事ですね。
すっごい各地で大好評やってくれる。
聞いてますんで。
逆に、これからの、5年先とか10年先とか何十年先でも全然いいんですけれども。
今、さやかさんが見てるね。
こうなったらいいな、私とか世界とかって思ってる夢はありますか?
あります。
世界中で公演をして、本当エネルギー溢れてるけど、なかなか自分の殻破れてないみたいな人たちをどんどん破っていって、
その人たちをスターにさせていくっていうような公演会になりたい。
自分もスターでありながら、スターを続出していくっていう。
みんな光ってる。
世界中ね。
世界中で。
でもね、そうやって勇気で自分でアフリカタンザニアまで行けるわけだから、
見ててもどこでも行けそうやもんね。
さやかちゃん。
行きたいですね。どこでもね。
やっぱりここまで気持ちよくストレートに自分の思いをパーンと放出していただけると、
応援したいなとか、あの人にもつながってほしいなとか思っちゃいますよね。
でもね、戻ってきてから、僕がSNSでつながってもらってて見てる限りでは、何度かまたタンザニア戻ってるじゃないですか。
戻りました。2回戻りました。
戻った時にまた感じることとかありました?
あるんですよね。1回目行った時に、タンザニアの野球の火って、もうほんとろうそくの火みたいに、
ふってちょっとでも行きかけたらシュッて消えちゃうぐらい、ほんと野球の火ってめっちゃちっちゃいんですよ。
まだ文化がないってことですか?
文化が全然ない。もう野球道具も買えるところもないから、手に入れることが全くできない。
そうですね。
そうそう。その時に3年ぶりに行ったタンザニアで、ずっと野球を続けてくれてた生徒が4人、5人ぐらいいたんですよ。
みんな成長されてたんじゃないですか。
そうそう。もう卒業もして成長してるのに、それでも野球やってて。で、なんやったら、もう目キラキラさせながら、
俺はベースボールマンだぜ!とか言って。
嬉しいよね。
めっちゃ嬉しかった。
なんか映画みたいやね。
で、そのやつを見た時に、初めてこの子たちに何かできることはないかなって、その時に思って。野球ショップを作ろうって。
1回目のタンザニアで思って。で、2回目はそれを作りに行ったんですよ。
作りに行った?
今どんな感じなんですか?
今はですね、2年前に作ったんですけど、1年間でやった結果、売れたのはボール3球やったんですよね。
で、やっぱり、私結局やりたかったのは、その寄付だけで野球をやらせたくなかったんですよ。
彼ら本当に現実的なことを言うと、私たちアジア人を見ると、両手を差し出して、何かちょうだい?みたいに言っちゃうんですよね。
道具もどちらかというと全然大事にもしてないし、もらえるのが当然だから、ボールが草むらに行っても見つけに行かないみたいな。
私それに何回もキレてたんですよ、タンザニアで。
おい!って言って。もうボール1球でも見つからなかったら絶対返さないからな!みたいな感じで、すっごい道具大事にしようっていうのをずっとやって。
最終的に自分たちに並べたりとか、道具すごい大事にするようになってたんですよね。
で、そんなのもあったから、寄付じゃなくて、寄付で色々集めるけど、でもそれを彼らが買える値段にして、彼らは服も帽子も買ってるんで。
それくらいの値段にして道具を売ったら、もっと彼ら自身で野球を広げれるんじゃないかなって思ったんですよ。
で、やった結果、やっぱり寄付の文化があったから、ボール3球やって、もう締める決意をしたんですよね。
もう締めていいやって。でも道具は残しとくから、もし買いたいって言った子がいたら買わせてあげてほしいってすごい信頼してるタンザニア人に言って。
やってたら、本当ね、去年の年末ですね。一人の子が、さやかまだあの道具買えるんかって言ってきて。
でも僕は、さやか立ち上げた時から、ここの道具も全部買いたいと思ってたって。
僕が今からタンザニアの野球引っ張っていくから、ちょっと買わせてくれて、その時はボール20球買ってくれて。
で、ついこの前また連絡が来て、次はグローブたちも買っていきたい。なんなら僕から買いたいって子も出てきたみたいな。
だから野球のショップはもう潰れちゃったんですけど、でも買うとか野球道具を買うみたいな。
流れは止まらずに。
その思いを受け継いでくれた子がね。
素敵やね。
本当にやってよかったなって。
すごいなんかね、タンザニアにいろんな意味での野球の、野球ってスポーツやけど、日本で徹底的にやられてるスポーツってただのスポーツじゃないじゃないですか。
心の面も含めての大切なところをここでぼっと引き付けて、すごいよ。
すごいね、言葉の壁もあるやろうに。
受け取ってくれたのがすごいありがたかったですね、その思いを。
他に実現したいなっていう夢はありますか?
実現したいなだったら、そうですね、世界中、これ3年後に掲げてるんですよ。
もうちゃんとあるじゃないですか。
もうちゃんとあるじゃないですか。
その先確かにあんま考えてなかったかもしれないですね。
もう3年後叶えて、いろんなところから声がかかって、しかもそれ日本語でやりたいんですよ。