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2022-04-04 30:00

ゲスト : ヴィヴィアン佐藤 「むんぱれTuesday / by ナオエレーヌ」前編 : 2021年11月2日放送分

アーティスト、ドラァグクイーン、建てない建築家、映画・美術・演劇・ダンス批評家、大学客員教授、町興しアドバイザー、と幅広い活動をされてるヴィヴィアン佐藤さんをゲストに迎えたトークをお届けします。

活動の全てにおいて独自の美意識と哲学を貫かれているヴィヴィアンさんですが、番組では、本来の自分を取り戻す装置である「ヘッドドレス」を作るワークショップ、地域の隠れた魅力を地元の人達と掘り起こす町興し、人間も都市も多面体であるという視点で街文化形成を考察する大学での授業等、独自の見解と分析を通した人や町の潜在的魅力の引き出し方など、ナオエレーヌが2回に分けて掘り下げます!ぜひ両放送ともお聴きください!


ヴィヴィアンさんの最新情報は下もこちら。↓

https://www.instagram.com/viviennesato/

00:01
RadiCro, RadiCro, リアルにつながろう、RadiCro
むんぱれTuesday その日の天使
皆さんこんばんは、ナビゲーターでアートコミュニケーターのナオエレーヌです。
むんぱれTuesday その日の天使
この番組では、様々な分野で活躍している、私が気になるゲストをお迎えしています。
新たな視点や考え方を知ることで、リスナーの皆様の世界観が広がって、より人生を楽しむきっかけにしていただけたら嬉しいです。
ということで、今回の私が気になるゲストは、
ビビアン・佐藤さんです。
こんにちは。どうも。
こんにちは。
お久しぶりです。
お久しぶりです。
でも、超嬉しいです。ありがとうございます。来ていただいて。
呼んでいただきました。ありがとうございます。
ビビアンさん、早速なんですけども、
すいません、自己紹介お願いしてもよろしいですか?
自己紹介、本当に長くなっちゃって、
私、よく映画館とかでトークショーやるんですけれども、
自分の紹介を全部省いて、いきなり本題から話し出すんですよ。
私のことを話すと、全部終わっちゃって時間がなくなっちゃうんですけれども、
簡単に言えば、派手なお化粧をしているドラッグプリンでもあり、
それからアーティストでもあり、建てない建築家、
映画評論家であったり、美術とかアート、演劇のダンス、そういったものの批評もやってたり、
あと最近では、町おこしのお仕事であったり、
それから大学で教えたり、いろんなことをやっております。
ちょっと今聞いただけでも、すごい活動でも、
でも何だろう、かつてテラームシュージが何してるんですかって聞かれたら、
職業テラームシュージですって言ったけど、
ビビアンさんもそんな感じの存在ですよね、職業ビビアンさんと。
だって他にこんなことをしてる人いないなって、今聞いただけでも思ったんですけれども。
03:00
今日は私、世田谷まで来たんですけれども、
私は新宿をこよなく愛している人間なんですね。
新宿っていうものは、いろんなものが混在していて、そういったものが混ざらない、
共存してるってところが新宿の面白さだと思うんですよね。
都庁もあれば、いろんな大学もあるし、高級デパートもあるし、
例えば歌舞伎町もあれば、新宿2丁目ゴールデン街、それから四つ屋みたいな下品館もあるし、
それから神楽坂みたいな色町もあったり、
それから大久保、新大久保みたいなエスニックタウンもあったり、
そういったものが全部混在していて、混ざらないのが新宿。
私は自分のことは、自分が新宿です。新宿は私のことです。
なるほど。それでもすごいいい例えですよね。
でもこれだけのすごいことを、いろんなことをやって、新宿というふうに名乗っているビビアンさんが、
そもそもどうして今の活動にきついたのかなってことに、まずはとっても興味があるんですけれども、
さっき建てない建築家というふうにおっしゃっていましたけれども、そもそもやっぱりそういう勉強は建築から始められたって感じですか?
そうでしたね。忘れてましたけど。そういうことをやっていった気もしました。
それはご両親が建築関係の仕事をしていたのか?
全然関係ないんですよ。高校の時は美大に行きたかったんですよね。美術大学。
だけど美術大学とかはうちはダメだったんですよ。
どうして?
やっぱり長男だったし。
ご兄弟いらっしゃるんですね。
長男というかね、男の子だったし。
でも勉強していったら絵画も彫刻も、最初は建築の一部だった。建物の一部に絵画とか彫刻があって、
それが例えば戦争とか略奪とかで剥がされて、いろんなところに持っていって美術館とか博物館になったり。
そういった歴史。今はインスタレーションといってね、それが建物に吸収されていったり。
そういうふうに考えると建築というものが割と土台にある。美術の土台にあるんじゃないか。そういうふうに思ったわけですね。
だから建築を勉強した方が早いのかなって思ったわけです。
建築を勉強されて、普通に建築関係の仕事に最初って言ってたんですか。
そうですね。建築事務所で働いてました。今思い出しました。
なるほど。昔の記憶を引っ張り出してしまいました。すみません。
でもなんかちょっとやっぱり違うなという感じだったんですかね。
でも有名な建築事務所、磯崎新田さんという建築事務所で働いてたんですよ。
そこでもやっぱり自分の時間が取れないので辞めてしまったということで。
自分の想像的な活動に打ち込めるような方向に行きたいなって。
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みんな磯崎新田事務所って言うとすごく優秀でとかって思うんだけれども、そこしか行けなかったんですよ。
そうなの。
で消去法で。大学時代とか、それからその後に作ってたポートフォーリオが、いわゆる建築事務所向けのものではなくて、非常にアート思考が強かったというか、だと思ったんですよ。
今思えばね。いいふうに解釈すれば。だからそこはもう磯崎事務所ぐらいしか拾ってくれなかったっていうのが正直なところですね。
でもそれ逆にあったってことなんじゃないですか。
そうですね。模型ばっかり作ってましたけど。
そうなんですね。みみやさんが模型作ってた時代があったんですね。それでいろんな変歴を得て今やってるわけですけども、その建てない建築ってさっき教えてたこともちょっと詳しく知りたいなと思ったんです。
建てない建築ね。これちょっと専門的な話になるんですけれども、例えばこう、そうですね。いろんな建物と建築っていうものを別に考えてるんですよ。こんな顔ってね。今日も厚化粧で。あれですけど。こんな真面目な話して大丈夫ですか。
もちろんです。
時間的に見ると一番最後に建物ができるので、建物自体が図面とか模型を見ながら作るから模型の模型なのではないか。要するに模型っていう言葉を使われていても何もしていない。
要するに出来上がったものですら、鉄やコンクリートを使った壮大な模型なのではない。そういうふうに考えていくと、一体どこがオリジナルなのか。それからそれぞれの平面図とか断面図とかそういった平面のものと、それから紙とか模型とか、そういったプラスチックで作ったようなちっちゃな模型と言われているものと、それから出来上がったコンクリートの大きな模型というかね、そういった建物と。
それがこう同一性を保っているのか。一体どこがオリジナルなのか。そういったものが問題になっていくんですよね。それが私のテーマです。
全てがオリジナルってことかな。 全てがオリジナルだし、オリジナルがもうないのかもしれない。
なるほど。 例えばね、今日は私お化粧してますけれども、ドラッグクイーンっていうのは2丁目にたくさんいるんですよ。
新宿2丁目の隣に新宿3丁目、駅に近いところが3丁目っていうところがあって、3丁目は昔からドラッグクイーンじゃなくて女装バーがたくさんあるんですね。女装している人たちが女装でお酒を楽しむ。
09:05
要するに普通の会社であったり家庭を持っているような人たちが内緒でお化粧してお酒を楽しむみたいなお店が昔からあるんですね。ちょっと似てて非なるものなんですけれども、女装の人たち、私はドラッグクイーンと女装をまず分けて考える。
2丁目派と3丁目派というふうに私が弁儀上言ってるんですけども、3丁目派の人たちは要するに自分たちが若い頃、少年時代とか青年時代に憧れていた女性像、例えば憧れてた女優さんとかアイドルとかお母さんかもしれないし好きなCMのワンシーンかもしれない。そういった時の登場してきた女性を真似るんですよ。
要するにそこを真似て反復するということが行われるんですよね。だから今の女性はそういう髪型とかそういう格好しないでしょ。だけどもそうじゃなくて当時憧れてたものになりたい。そういう欲望があるんですよね。なので絵画で言うと写実主義なんですよ。
要するにリンゴがあったり富士山があったら富士山をなるべくうまくそこで真似てそこに映しとるっていうことなんですよね。例えばニューハウスさんとかも様々な方がいるんですけども、一般的ってか一般ってことはないんだけれども、例えば女性の中に入って紛れたいとかね。一般の女性として生活したいって方もたくさんいたりするわけですけども。
例えばその中では超写実主義になっていくわけですよね。要するに女性像に真似るというか何かを映しとるという。写実主義なんですよね。超写実主義かもしれない。ドラッグクイーンの場合はオリジナルというか何も厳然するものがないんですよ。
浮いてるリンゴとか真っ二つに割れてるアルプスとかそういったもの目の前にあるような光景じゃないものを毎日やってる。だからシュールリアリズムなんですね。ドラッグクイーンっていうのは。
三丁目派はギリシャとかルネッサンスとかそっちの方に自然主義とか。かっこよく言えばね。かっこよく言って。
なんかシュールリアリズムとか、そもそも目の前にあるものを見せるんじゃなくて、ない何か新しいものを。そこに厳然しないものを反復しちゃうということがドラッグクイーンかな。何かモデルがあるわけではないんですよね。
そうなんですね。今日ちょっとね何かビジュアル見せできないんですけど、ビビアンさんちょっと今日は目の周りにキュッキュッと何て言えばいいんだろうな。
ビビアン 一応アイメイクですけど。 そうアイメイクなんだけど、これは造形的にどう表現しようかな。
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ビビアン 金魚がいるみたいな。 そうそう金魚なんですね。すごい素敵なんで目元にちょっとなんかあの口目には青いスパークリング素敵な感じで、セーターもそれに合わせてね。
素敵なコーディネートしていただいてありがとうございます。しかもニキュアもしっかり青っていうことで、なんかすごい素敵なんですけど。そうかこれ別に何かそれがこういうのになりたいわっていうわけじゃなくて、
どういう風にメイクしてるんですか?インスピレーションは何か。
ビビアン だいたい一緒ですけど。
面白い。全然そこの細かい違いがよくわからなかったんですけど、今のこのアートの表現ですごくなんかしっくりきました。シュリアリズムとシャリシュリっていうところで。
ビビアン リアリズムとシュリアリズム。
立てない建築っていうことで、そこと絡むところもあるかと思うんですけど、ビビアンさんがよくやってるヘッドドレスワークショップというのがあるということで、これはどういった内容なのかご紹介いただいてもよろしいですか。
ビビアン ドラッグクイーンやってもうどれぐらいですか?30年ぐらい。
そうなんですか。
ビビアン 言い過ぎですけど、29年ぐらい。変わんないけど。ずっと大きなヘッドドレスというかカツラを作って自分で被ってたんですけども。
ドラッグクイーンとして被ってたと。
ビビアン 私、さっき言ったように立てない建築っていうことをずっとこだわっていて、要するに頭という敷地にどういったものが立てられるかっていうことが私のヘッドドレスなんですよ。
もともとの私のヘッドドレスはエポキシっていって、接着剤とかグルーガンとかそういったものは一切使わないんですよ。
へー。
ビビアン 全部ネジで。
ネジ?
ビビアン ネジなんですよ。
ビビアン 要するにネジって物は物理的なもので、グルーガンも物理的なんだけども、要するにどの方向にどれぐらいの長さのものをネジで使うかどの場所で。
ビビアン 要するに全部それ力学の話になってくる。それを頭の上にどう立てるかっていうことが大事なんですよ。
へー。
ビビアン だからグルーガンっていうと根も葉もないところに何でも物が付く。
ビビアン っていうのは非常に一番私は嫌な、許せないものだったんですよ。
へー。
ビビアン だけども何年もやっていくと、さまざまな選択肢の中でグルーガンっていう使い方もあり得るっていうふうに解釈すれば、グルーガンを使って自由に作ることもできますっていうことに落ち着いて。
ビビアン それだったら一般の人にもそれを伝授できるかなっていうことでやりだしたのがこのワークショップです。
じゃあ作り方としては今どんな感じになってるんですか?
ビビアン 今はだいたい針とか糸を使って作っていくんですけども、そもそもの私のヘッドドレスは先ほど言ったみたいに構造が大事なんですよ。
ビビアン だから例えば見た目とか色とかそういった形ではなくて、いかに頭の上に立つかとか、そういった構造物の方が大事。
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ビビアン 要するにエクスレイとかで撮ると形が見えるっていうか構造がよく映る。要するに衣服で言えばコルセットであったりハイヒールであったり、自分の体を少し変形させたり変えたり、そういったレントゲンで撮っても映るようなもの、そういったものに興味があったんですよね。
ビビアン みんなに伝授しているヘッドドレスはレントゲンには映らないものですよ。そういうものはあまり興味はなかったんですけども、みんなに教えるのはそれでもいいかなと思ってます。
司会 今日もビビアンさんの素敵なヘッドドレスを持っていただいたので、番組のホームページの方では後で写真でアップさせていただきますけども、ぜひぜひ。ヘッドドレスを体験できる機会っていうのはあるんですか。
ビビアン いっぱいあるんですよ。ここ世田谷でもすぐあります。11月6日ですね。5時の駅前にあるストーブというカフェがあるんですけれども、そこでランチ付きのワークショップがあります。
司会 ありがとうございます。他に東京都内でご予定していることとかありますか。
ビビアン 東京都内はありますよ。11月の26と27日。これはホームグラウンドなんですけれども、青山の骨董通りですね。骨董通りにあるグルニエというアートサロンがあるんですけれども、そこで行っております。
司会 じゃあぜひリスナーの皆様も興味があったら参加いただいて。これ結構長いんですよね。
ビビアン ヘッドドレスのワークショップ6時間なんですよ。死後厳禁です。
司会 そんな真剣にみんな作って。
ビビアン お化粧とか、これ喋ってて大丈夫ですか。お化粧とかそれから着飾ることっていうものが何かに変身する。
ビビアン 要するにハロウィン、この間ありましたけども、ハロウィンだとみんな何かに変身できる。自分じゃないものになれるから楽しいっていうふうに思ってるんですけれども、そうじゃなくてお化粧はすればするほどどんどん裸になっていく。
着飾ることもどんどんどんどん裸になっていき、最終的には全裸になり、それを通り越すと自分の皮膚を完全に裏返しにしちゃうようなこと。それがお化粧。
要するに本来自分が持ってたものに戻ることがお化粧であったり着飾ることなんじゃないか。ヘッドドレスもただ被って楽しいとか変身するんではなくて、自分の真相であったり、もともと自分が持ってるところ、そういったところに戻ることがヘッドドレスのワークショップの醍醐味である。
だから普段私たちがやってるメイクと全く全然違うアプローチですよね。やっぱり自分の欠点を隠したりとか、少しでも見た目を良くしたいって気持ちでやってますけど、ヘッドドレスとかミビアンさんのメイクに対するアプローチっていうのはむしろなんだろう。自分の内在的なものっていうのを。
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まあでもねみんなそうなんですよお化粧は。例えばこうシワを隠したりシミを隠したりするんじゃなくて、これはねボードレールとかも言ってるんですけども、要するにお化粧は若返りとかそういった何かを隠すことではなくて、自分は例えば彫刻が好きとか絵画が好きであるとか、そういった美意識とか美学に自分は従属しているっていうことを表明していること。それがお化粧をしていることだ。
要するに何かを人のためとか若返りとかそういうことじゃなくて、自分はこういう美学を持ってますっていうことを表すことがお化粧だっていう定義なんですよね。
でもなかなかそれを美学を表せない社会的な縛りとか、なんかそういうのもちょっとやっぱり組織に属している人っていうのはその場ではそこまで自分の美学を貫けなかったりもするのかなってちょっと思ってたんですけどね。
ヘッドドレスも作るってもうつかぶったらいいの?とかね、かぶる機会がないとかね、みんな言う人多いんですよ。かぶる機会がないのは当然ですよ。その人の人生、それまでの人生ではね。だけどワークショップによってかぶる機会を作る。自分の人生の中にそれをねじ込むこと。その機会を。それがやっぱりワークショップの一つの目的だと思うんですよね。
なんかね、ある意味そういったところで自分を開放していくというか。
そうですね。
なるほどね。じゃあなんかちょっとすごい、12月6日のワークショップ、高徳寺で開催しますけど、私もちょっと参加したいなと思ってますので、ぜひリスナーの皆さんもご興味あったら、
番組ホームページの方にも情報の掲載しますので、参加申し込みしていただければと思います。
ビビアンさんがね、こういうワークショップをやりつつも、実は大学でも教えてらっしゃるということで。
そうなんですよ。
大正大学。これなんか私見たら、菅野で育む日本の未来っていうふうにキャッチがついてて。
表現学部、表現文化学科の都市工学?
そうですね。まち文化というかね。
これまち文化プランニングコースでよかったでしたっけ?
これもすごく興味があるんですけども、これはどういった内容で教えてらっしゃるんですか?
私、ここ7,8年とか10年近く、日本各地のそういった街おこしの授業をしていたり、大なり小なりしてるんですけれども、そういった事例を紹介したり、
それから例えば、先ほど言ったヘッドドレスとかお化粧論もそうなんだけれども、人間も、それから社会も、それからある特定の地域とかそういった都市もそうだし、
それから毎日ニュースとか、そういった報道で逃げ合わせてるそういった出来事、そういったものも全部多面性があるんじゃないか、そういうふうに思ってるんですよね。
例えばその人間でも、結婚しているパートナーであったり、それから付き合っている人であったり、家族であったり、毎日顔を合わせているテーブル、机が隣同士の人であったり、兄弟であったり、
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そういった時間をたくさん過ごしている人のことが、自分のことを一番よく理解しているとは限らないんですよね。
要するにそれは広い面でもあり、もっと小さい面とか点滅しているような面とか、点みたいな面とか、要するに人間がそもそも多面体である。
要するにそれも歪な多面体である。要するに広い面だけが重要で大事なわけではなくて、狭い面とか小さい面とか、そういった面も大事である。
全部そういった面が合わさって像が形成されてるんじゃないか。
要するに、例えばインターネットでしか会ったことない人とか、好きな趣味、アートの展覧会とかコンサート会場とか、
そういった同じ趣味の会場でしか会わない人とか、例えば5年に1回ぐらいしか会わない人とか、小学校から会ってない人とか、そういった人の方が自分のことをよく理解しているかもしれない。
そのように広い面だけが大事ではない。
要するに今日、例えば私の情報で、例えばWikipediaとか載ってますけれども、Wikipediaは結構嘘がたくさん載ってるんですよ。
私のWikipediaはね。要するに、今は例えば地方でもどこでも、テレビもそれからインターネットも繋がるところでは同じ情報量が得られるというふうにみんな思うんだけども、
テレビは見れば見るほど一つの価値観、特に最近そうだと思いますけれども、価値観に凝り固まっていくんですよね。
インターネットも道具なので、使い方次第で最初に検索した最初に出てくるもの、WikipediaとかGoogleとかで出てくるような情報、
そういったものは割と民意ではあるけれども、権力のある情報だと思うんですよね。
そうじゃなくて、例えば2ページ目、3ページ目、4ページ目とか、それからリンクにしか載ってない情報とか、それからネットに載ってないような情報、そういったものも全部含めてそのものを語ってるというか像を作ってるのではないか。
それは人間もそうだし、例えばそのある市町村とか街とか都市のものでも、例えば人口とかみんなそういうふうに調べるけれども、そうじゃなくてその括り自体も実はすごく曖昧なものでもあるし、
様々な面がそこに存在している。それから先ほど言ったみたいに報道で流れているようなニュースとか出来事、そういったものも様々な解釈というか面が存在している。そういうふうに考えるんですよね。
それで、大正大学の街プランニングでは、様々なものが、事物には様々な面が同時に存在しているというふうに考えるんですよね。
だから私が今まで行ってきた街おこしの事例とかも紹介しつつ、例えばある映画を鑑賞させて、私映画の批評もやってるんですけれども、映画を見せてそれをディスカッションさせるという授業もやったりしてるんですね。
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それは何かというと、この映画が素晴らしいとか、この映画はこんなに感動しますとか、そういうことではなくて、それはどのように解釈できるか。
要するに映画で言えば作り手側、それから鑑賞者というふうに分かれるかもしれない。映画だったらば監督であったりプロデューサー、それから見てる側だったらば鑑賞者か批評家かもしれない。
そういったものが二項対立しているものではなくて、作り手側が例えば自分が思いのあること、それから自分が自己表現とか自己実現とか、そういったものをバッと出して、何か自分を褒めて欲しいとか、売って欲しい、買って欲しい、評価して欲しいという表質だけではなくて、
作り手側こそが自己言及的に、自己批評的に責任を持って作るべきなんですよね。例えば作った後にそれをどういうふうに提示することでも責任が生じてくるし、それがどういう意味があるのか。
例えば見てる側もそれによってつまらなかった、泣けた、感動したとか感情移入ができたとか、そういったつまらない単純なことではなくて、それぞれの人生、例えば双子ですらも同じ人格ではないし経験も違うわけですよ。
同じものを見ても、例えば同じ20歳の子たちだけでも経験が、今までのそこに至る経験が違うわけで、その何か作品を見た時に自分のその固有の体験のどこと反応し、それをどういうふうに感じたのか、それをどのように自分の言葉で表現できるか、意見を言えるか、アウトプットまでさせるんですよね。
要するに見てる側がつまらないとか泣けたとか、おしがいくつとかそういうことではなくて、そこからもっとクリエイティブなこと、もう一歩進んでできるのではないか。要するにそうなると作り手側とそれから鑑賞者、もしくは批評家というものが対立するものではなくて、全く同じことでパワーバランスも崩れたり、場所がこう変わったり、同じことをやっているのではないかというふうに思うんですよね。
そのように一つの作品でも、例えばプロデューサーとか監督が思いもしなかったようなそういった文脈、筋を見つけてきて、そこでどういうふうに語れるか。要するに監督やプロデューサーが思っても見ないような見方。自分たちの作品をこのように批評するのか、こういうふうな見方があるのかというような驚くような見方をさせる。
要するにそれは一つの訓練であって、そういうやり方を一度取得してもらって、それを現実の社会であったり都市とか街に応用させるという、そういう事業。
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応用させるというのはどういうふうに応用できるんですかね。
例えばこういろんな資料とか調べ物に載っていることだけではなくて、もっと自分で歩いて何かを作るとか。例えばその街おこしの一つの事例では、自分の地図を作ろう。要するに地図ってものが国土地理院とかね、ああいった地図ってものは世界が全部均一な空間でできていて、それを同じような記号で誰が見ても分かるような地図を作るということが大前提なんだけども、
そうじゃなくてなるべく不均一な地図を作ろう。要するに地図っていうものはその世界と自分との関係図なんですよね。
誰でも分かるような最大公約数の世界との関係ではなくて、なるべく自分と固有の世界の関係図を作ってみよう。
そういうことをやらせるんですけれども、そういう映画の様々な固有の見方、自分だけの見方から発展していき、そういった地図を作る。それから世界の見方を、様々な見方をそこで見てもらうということをやってます。
すごいですね。ヴィビアンさんの学問ですよね、これって。
ヴィビアン そうかも。
それはやっぱり美学として、体系的にまとめて教科書とかないのかしら。学びたいんですけど。ぜひぜひ、そういうのをやってほしいなというふうに思いますけれども。
なんかすごい、いろいろお話をまだまだしたいなと思っているので、次回にまたその待ち起こしの具体的な事例とか、どういった形で生徒さんとか反応しているのかなとかも含め、またお話聞きたいと思うんですけれども、よろしいですかね。
ありがとうございます。そうしましたら、今回はまだまだお話聞き足りないところなんですけれども、このあたりで一度番組の方は一回目終了して、また次回続きをお楽しみにしていけると思います。
ヴィビアンさん、今日は本当にお忙しい中お時間作っていただきまして、ありがとうございます。
ヴィビアン ありがとうございます。
どうもおやすみなさい。
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