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むんぱれTuesday その日の天使
皆さん、こんばんは。ナビゲーターのナオエレーヌです。
むんぱれTuesday 第一週 その日の天使
この番組では、様々な分野で活躍している、私が気になるゲストをお迎えしています。
新たな視点や考え方を知ることで、リスナーの皆さんの世界観が広がり、人生をより楽しむきっかけにしていただければ嬉しいです。
ということで、前回に引き続き、今回も編集者の都築響一さんをお迎えしています。
はい、よろしくお願いします。都築響一です。
よろしくお願いいたします。
簡単に私の方から、都築さんのプロフィールを改めてリスナーの方にご紹介させていただければと思います。
都築さんは、1976年から、ポパイブルータスといった雑誌で、主に現代美術、建築、デザイン、都市生活などの記事を担当されて、
その後も、この分野で執筆活動とか書籍編集をされて、100冊以上の本をこれまで出されたということで、
その中には、ロードサイドジャパンという写真界の畠川賞といわれる決めない秘弊書を授与された本もあるということですね。
これは日本だけじゃなくて、ヨーロッパとかアメリカの新コーメーションを取材して出されているということで、
なかなか主要メディアに取り上げられない場所や人々、それから現象ですかね、こういったものにずっと光を当ててきたということで、
前回の放送では、都築さんがキレーションをされていて、現在も渋谷の公園通りギャラリーで開催している、
ミュージアムオブマムスアート、日本国オカンアート村についてお話しいただきました。
こちら、4月10日まで開催しているということなので、リスナーの皆さまにぜひ行っていただけると嬉しいなというふうに思います。
今回は、鈴木さんのいろいろご経歴について深掘りしたいなというふうに思っているんですけども、
鈴木さん、本当に私、東京スタイルって本でもすごいブレイクされたんですけど、
私が鈴木さんのことを気になり始めたのは、実は2001年宇宙の旅、人体宇宙がすごい、ここに書いてた全文がすごいかっこよくて、
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フェラーリを乗り回しても、ママチャリを漕いでも、同じくらいに頬に当たる風が気持ちよくて、
ルール好きの邸宅でも、三条一間尾の下宿でも、同じくらい爽やかに目覚められたら、
もしかしたら、それが悟りというものかもしれないというふうに書いてあって、
いやもうかっこいいって、もうこれで私、痺れてしまい、
それからもうすごい、鈴木さんの動向が気になり始めたというような感じなんですけども。
そうなんです。でも今なんかね、この頃っていうのは20年以上前だと思いますけど、それ書いたの。
今なんかもっとそうなってるっていうか、一見お金持ちなんだか貧乏なんだかわからない人っていますよね、いっぱい。
そうなんですよ。
特に日本って世界で2番目か3番目ぐらいに富裕層が多い国なんですけど、実は。
だから何千億円って思ってる人結構いるわけですよ。だけど層は見えない人多いでしょ。
多いです。
だからね、僕の周りでも超富裕層みたいな人は何人かいますけれども、
毎日銀座で合流したりギラギラかっていうとそんなことはなかったりするわけ。
普通にその辺の居酒屋で楽しんでたりとかするわけ。だからそういう人が増えてきましたよね、すごくね。
富裕層だからといって富裕層らしい暮らしをしてると限らないっていうか、
バブルの頃より頭良くなってる感じがするっていうかね。
そうですね、8周年でもっとあからさまでしたよね。
昔からそうだと思うんですけれども、今はそういう必要がなくなってきたのかなっていう気もしますね。
なるほど。
だから富裕かどうかは目に見えなくなってきた時代なのかもね。
確かにそうですね。何ですかね、それは。あまりあからさまにそういったものを見せることが格好悪いみたいな。
そういう美学もできてきたと思うし、年収10億円とかある人でもユニクロとか着てたりするわけだし、
でも年収100万の人もユニクロ着たりするわけなので、分かんないですよね。
分かんないですね。
そういうのが逆に都市生活の面白さかもしれないですね。地方に行くともうちょっとあからさまにどうしてもなっちゃうじゃないですか、家が。
例えば巨大なお屋敷が見えたりしたらそうなっちゃうでしょ。
でも東京だってものすごいマンションの隣には安いマンションがあったりすると、もう分かんないですよね。
家賃100万のとこに住んでるのか家賃10万のとこに住んでるのかなってね。
だからみんな混じって暮らす都市の暮らしっていうのはそういう面白さもあるのかなって気がしますね。
そうですよね。で、富木さんご自身は東京生まれ東京育ち。
そうですね。僕はね、ずっと祖父の代ぐらいから薬局をやってまして、うちは都心なんですよ。
千代田工事町っていうところで、本当は東京まで徒歩2分みたいなところなんですけど、
だから都心って言えば都心なんですけど、逆に都心って過疎なんですよ。
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どういう意味ですか?
つまりあんまり住んでる人がいないわけ。都心だから。
だから小学校とかもちっちゃいし、僕の頃から減ってますしね。
学校自体がすごい限界集落みたいに東海オンエアみたいになっちゃったりとかして。
だからみんなで放課後集まって野球でワイワイみたいなことすらできないわけ。
みんな越境入学で来ちゃうから。
なるほどね。
そうして終わるとみんなバスとか電車で帰っちゃったりするわけ。
そうなんだ。
だから都心に住んでる人が子供がすごい少ない中で育ったんですね。
だから自然と家で本読んだりとか、そういうことが多かったのかなっていう気がしますね。
それでそれがやっぱり今の仕事につながる素地というか。
つながってる部分もあると思います。
でもさまざまななかなかスポットライトが当たってないところに目を向けるっていうその感性がどういう環境で育ったのかなって前から知りたくて。
僕はこの間のあれでは岡本さんの話をしましたけども、都心なので岡本を見る機会すらないっていうか。
例えばみんなが昭和っぽいと思うようなね。
例えば駄菓子屋さんとか大きな祭りとかそういうのもないっていうような。
本当にエアポケットみたいな感じが都心にはあって。
そういうところで育ったので、土地柄を反映した感覚では全然ないですね。
だから余計惹かれるってことですか?土着的なものとか。
だからこそいろんなところに行くのが楽しいなと思うんでしょうね。
東京には東京、それこそ広島には広島の暮らしがあると思うので。
そういうところで土地に根付いて暮らしてる人たちっていうのが僕にとっては新鮮な感覚ですね。
あれですよね、つゆきさん実は常地大学の英米文学科卒っていうのが書いてあって。
っていうことは何かそういう最初は何を目指してたんですか?
最初はですね、とにかく大学進学。こんな話でいいんですか?
もう全然一緒じゃないです。
大学進学するにはだって歩いて通える大学っていうのがまず第一条件で。
そうすると常地のほかは大妻とかですね、行けないじゃんみたいな感じっていうのもあったんですけども。
現代文学とか好きだったし、映画を見るのとか本当に普通にいろいろそういうことが好きで、気楽に選んだだけなんですけどね。
アメリカ文学っていうのに入ったんですけど、すぐつまんなくなっちゃったんですよね。
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やっぱり感覚が古いわけですよ、大学ってものすごく。
現代アメリカ文学っていったって、いまだにだいたいそうだと思いますけど、ヘミングウェイとかジェラルドとか、もう死んでんじゃんみたいな。
現代じゃないですね。
現代じゃないでしょ、近代なんですけどっていうようなことをずっとやってると。
その2年ぐらいから、できたばっかりの雑誌のポパイでバイトを始めて、海外取材とかするようになって、
当時初期のポパイっていうのはアメリカ文化をすごく集中的に取材したので、連れてってもらうようになって、
そうすると同い年のアメリカの子たちが読んでる本と、日本の大学で読ませられてる本って全然違うわけ。
もう1世紀ぐらい違うと。これ何なんだろうっていう気がだんだん芽生えてきたんですね。
だからそうやって雑誌の取材を通してっていうことがものすごく僕にとっては大きかった。
つまりその後、美術とか興味ないってことはないけど、ただ普通に好きだったんだけれども、
例えばニューヨークの友達ができて、家に行ったり一緒にどっか店に行ったりすると、そこに描かれてる絵とかがかっこいいわけですよ。
アーティストに紹介されたりして、じゃあそのことを書いてきて雑誌に書こうかなと思うけれども、
アートのことなんか全然わからないから、まず専門の雑誌とかを見るわけですよね。
何にも書いてないわけ、そういうことが。だから最初はそういうのって自分が外したと思うんですよ。
こっちは素人だから、建築デザインでもそうだし、いろんなことで現地で僕が見てることと、
専門家が日本で描いてることとすごい違うなっていうことがすごくあって、いきなり自信を失うんですけれども、
でもずっと見てるうちに、こっちの方が正しいっていうのは変だけど、こっちは知識はないが金はあるというかですね。
知識はないけど、現地にちょこちょこ行って見てるのはこっちだと思ったわけ。
だから、それからあまり物応じしないでですね、外してもいいから、僕が見てきたものを書くっていうことにして、
そうするとやっぱり専門家からすごい反発が来ましたよね。
何言ってんのみたいな、素人黙っとけみたいなのがすごいありましたけれども、
美術でも建築インテリアデザインとかでいろんなところでそういうの言われましたけれども、
でももう関係ないというのが、だんだんその反抗的な態度が20代を通じて熟成されていったという感じですね。
つづきさん、実はあれですよね、バスケ屋とかキースヒーリングとお友達だったって。
完全同年代だし、まだ彼らが本当に貧しかった頃に、それはポップアイからブルータスになるくらいだったと思いますけれども、
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共通の友達がいっぱいできて、取材させてもらったり、彼らも東京に来たりしてたので、
ひっそり遊びに行ったりとか、いろいろしてましたね。
すごいですよね。
あの時ね、バスケ屋の家を買っておけばね。
そうよ。
そうですよ。1枚20万円でしたからね。今20億円ですもんね。
そうですよ、前沢さんが。
本当ですよ。あの辺みんな本当に100万しないで最初売ってましたからね。
本当ですか。
でもまあそんなのはいいんだけど、そんなのを買ってたらダメなんでしょうけど。
でも当時それはいいって人があまりいなかったってことですかね。
そうですね。当時はやっぱりそれはニューペインティングと呼ばれた流れだったんですけども、
当時の現代美術の潮流っていうのは全然そういうのじゃなくて、コンセプチュアルアートでモノ派と呼ばれていたような、
木とか石とかボンと置いてあるような感じのやつで、こんなのただの描きでしょみたいな感じでしか思われてなくて。
だからそういう特集、いろんな若い新しいアートの特集って、美術の専門誌よりブルータ誌とかのが全然早かったですね。
早くて認められてなかったんですけど、専門家から。
早すぎた?
いや早すぎたっていうか、やっぱり別に専門家をバカにするわけじゃないけれど、
やっぱりアカデミックに内側で仕事をしていると風通し悪くなるじゃないですか。
そうですね。
だからフィールドワークをする人も第一だと思うんですよね。
そうですね。
だからその辺をこっちが引き受けてきたっていう感じはあります。
私、鈴木さんの本の中で県外編集者という本が大好きで、この中ですごい鈴木さんが今までやってた、
取材にかけるすごい時間とか、熱意というのがピチピチ伝わってきたんですけれども、
それ以外にもですね、いろいろやっぱりビジネスに関する考察を今おっしゃったようなことをおっしゃって、
以前から美術雑誌でやりたい企画として、何回提案しても拒否られているんだけども、
アートを滅ぼすな美術大学だって企画をやりたいっておっしゃってて。
そんな話でいいんですか。
それちょっとすごく気になっているんですけれども。
本当ですか。
やっぱり僕の周りでも美大で教えてる人とかいっぱいいるし、
トークとかすると美大生なんですけどっていう悩みを打ち明けてくれる人いっぱいいるんですよね。
もともと美術って学問とは違うので、美術史は学問だけど、歴史を学ぶんじゃなくて創作に学問は必要ないので。
だって例えば本当にね、僕がバンドをやりたかったら本題は目指さないじゃないですか。
まずギター買って、曲書いて歌詞スタジオで練習すればいいだけでしょ。
僕がラッパーになりたいとしたら文学部国文化目指さないと思うわけですよ。
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自分でノート買ってリリックを書けばいいだけでしょ。
あらゆる分野がそうのはずなのに、アートだけは未だに美大に行かなきゃいけないっていう考え方がすごく支配的で、
美大が悪いとは言わないけど、すごく偏っていると思うんですよ。
美大に行かないと一人前じゃないみたいな。
しかも昔はね、僕が若い頃は美大中が滑り止めみたいな部分もあったんですよ。
だけど今はもう芸大はもちろんだけど、たまびぶさびみたいなところで何卒もするのが当たり前になっちゃっていて、
しかも学費もすごい高いと。
それっておかしいなと思うし、やっぱり勉強ができなくてどうにもならないけど、
絵を描いているときだけはハッピーな子供とかっていっぱいいると思うんですよ。
音楽でも何でもそうだけど、歌を歌っているときだけとかね。
いじめてられていることを忘れられるとか。
でもそういう人がじゃあどうしようってなって、絵を描いてられるんだったら美大に行こうかなと思うんですよ。
普通の大学は無理だし。
だけどそこでまずぶち当たるのが、美大に行くには美大の予備校に行かなきゃいけないってことですよね。
美大の予備校に行って好きに絵を描かせてくれるかと思うと、3000年ぐらい前のギリシャ人の顔とか描かされるわけです。
あと円柱とか描かされる。何これみたいなの描かされて。
それでようやく運良く入れたとして、じゃあこれで好きな絵を描けるなと思うと、先生からちょっと待てみたいな感じで、
そういう前に自分の絵のコンセプトを説明しろみたいな感じになるわけ。
人前できちんと理論を話せるような人はアーティストにならないんですよ。
もっとそんなことはできないけど、絵を描いてる時だけは生きてる感じがするみたいな人たちを育んでいくのが本来の教育の役目だと僕は思うけれども、
それとは正反対のシステムがすごいお金をベースになり立っちゃってるっていうところが本当に歪んでると思いますね。
制度としてそういったものが出来上がってしまって、そこで働く人たちも含めてですけど。
そうですね。だから日本の美術界は、もちろん柏郎みたいな人もそうですけれども、すごく歪んでる部分がいっぱいありますね。
これでもどうですか?美術雑誌企画は実現しそうな気配は。
ゼロですゼロ。
今、聖さん、ロードサイダーズウィークリーという月4回でしたっけ?配信されて、ユーロメールマガジンなんですけど、心の中ではやらないですか?
全然やってもいいんですけれども、やりたいことがいっぱいあって、ずっと雑誌に原稿を書いてそれを単行本にまとめてみたいな仕事が僕のメインだったんだけど、
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だんだん雑誌って今、低調じゃないですか。ページ数も少なくなってきたし。だから若い編集者と、僕なんか使いにくいと思うので、うるさいこと言うし、言うこと聞かないしみたいな。
だんだん面白いなと思うものがあっても、そこにページをもらえることが減ってきたんですよ、すごく。
そうすると、編集者を飲みに連れてって説得みたいな工作が始まるんですけど、だんだん馬鹿らしくなってきて。
だって本当は自分で普通の雑誌を一番作りたかったんですよね。でもそれには何億円というお金がかかっちゃうんでしょ。
ウェブだったらいいなと思うのをずっと思ってきて、ただ前はちょっと前までっていうか、10年ちょっと前までは、
例えば週刊のウェブ雑誌を作るとして、僕個人がね、じゃあ月に500円ください1000円をくださいっていうシステムを作ることが無理だったんですよ。
クレジットカードで小額決済、定期的な小額決済っていうのはなかなか難しかったんですよね。
でもそれがだんだんできるようになってきたので始めて、そしたら出版社にごちゃごちゃ言われることもないし、好きなことを好きなだけ書けて、
ものとしてはできないけれども、情報量は全然ウェブの方がいっぱい出せるし、例えば写真と文章だけじゃなくて動画も入れられれば、
いろんな可能性が開けてくるし、あえてメールマガジンっていう形をとっていて、プロジェクトを書けてないので、どんどんコピペとか引用転載できるようにしてるんですよ。
だから作品じゃなくて情報なので、まず広まってほしいっていう思いがすごくあるので、普通よくウェブサイトで写真でもウォーターマークって書いてあるの嫌いなんですよ。
だからどんどん使っていいよ。拡散してくれた方がいいの。報道だから、作品じゃないので。という思いがいろいろ重なって、メールマガジンっていうのがいいなっていうようなことで、始めて2012年から10年、11年目になりましたね。
すごいですね。あれですよね、そこのメールマガジンで配信していろんなものを、今、御庁所にまとめられているものもあって、最近です、ネバーランドダイナーっていう、あれの連載でしたよね。
連載で、二度と行けないお店でっていうので、みんなすごく記憶に残ってる店あるだろうと。大好きだったのになくなっちゃった店とか、今コロナの特にそうですよね。
それとか、すごい良かった思い出はあるんだけど、停水していただけに二度と見つからないとかね。大騒ぎしすぎて出禁になったとか、いろんな意味でもう行けない店ってだいたいあるんじゃないのみたいなのを話しているうちに、それはそうだよねって感じになって、みんなに書いてもらおうと。自分で書いてもらおうと思って募ってたんですよ。
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それで毎週毎週、いろんな人の原稿をメールマガジンに出して、週刊誌ですから、2年間やって100個ぐらい集まって、その話が、それを本にしたんですね。だから、書いてる人の中で文筆業の人なんて少ないので、素人の人ばっかりですよね。
でもあれね、4センチ以上ありますよね、穴厚さ。すごいんですよ。なんか私思ってたんですけど、お母と村も1000点以上じゃないですか。このロードサイダーウィークリーンも、私も高得させていただいて、メールマガジンが2通なんですよね。1通じゃないんですよね。
終わっても、スクロールしてもしてもしても終わんないみたいな。 このボリューム感に対する、ついその考え方、この量ってなんなのかなって。 量が説得力を生むっていうところもあるんですよ。報道の場合は。でも、そのネバーランドダイナーに関して、お母と村もそうですけれども、一回出すじゃないですか。
そうすると必ずやってくる反応が、なんで私に声をかけなかったと。うちにもあるしみたいな。私もそういう思い出があるしっていう。それはそのネバーランドダイナーの前に出した、その前身っていう感じなんですけれども、捨てられないTシャツっていうのがあって、もう着ないけど捨てられないTシャツってあるでしょみたいな話だったんですが、みんなそうなんですよ。やっぱうちにもあるからみたいな。なんで声かけてくれないのみたいな。
それで捨てられないTシャツの時は、ハッシュタグでインスタで募集したらすごい来て、そうするとみんなそのインスタ上で勝手に読めるっていう風になってたんですけど、今回ネバダイの場合はですね、いろんな地方の小さな本屋さん、今新しいところがいっぱいできているので、そういう人たちが協力してくれて、ネバダイローカル編っていうのを作っちゃうんですよ。
本当に各地、大阪とか京都とか神戸とかいろんなところで、自分の土地のネバーランド大二度と行けないあの店でっていうのを、その土地の本屋さんが主体となって編集してくれて集めて、例えば常連さんとかから集めて、同じフォーマットで作ってるんですよ。
それがちょうど2、3日前に台湾編っていうのができてきて、この後まだ国立編っていうのが出てきてまた出てくるみたいな金沢編も出ますし、もう10個ぐらいになってるんですよ。
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それどこで読めるんですか?
それはその土地の本屋さんで買う。そういうところは通販もしてるので、今そういう小さな新しい感覚の本屋さんって日本中にものすごい増えてるので、そういうところの通販で買ってもらえるようになってますけれども。
ウェブではないんですね?
ウェブではないです。小冊子みたいな本です。でもそうやって、僕が今目指してるのは、一冊で完結する作品とかではなくてきっかけなんですよね。これをもとに広がっていってくれるものの方がずっと楽しい。
ネバランダイナっていう本を出したけれども、それによってみんなが刺激を受けて、じゃあ自分の土地のネバダイを作ろうとか、そういうふうに思ってくれる方がはるかに楽しいですよね。だから今回それができてすごい嬉しいし、もっとどんどんどんどん、すでにもう一冊できるくらいのボリュームになってるんですけど。
そんなにあるんですか?
だって10冊とかできたらもうそんなになっちゃうから。
そうですよね。
だからそうやって日本の各地のネバダイが集まってきたら、みんなどこも行けないんですよ。全然知らないし。もうないし。だけども楽しい。記憶の方がタベログとかで読むより全然おいしく思えるっていうのは面白いところだなと思いますね。
そうですよね。お料理っていうのは割と今までの鈴木さんのジャンルの中でも新しい分野かなっていうふうに思ってますけど。
酒もメインですけどね。
でも食べることって私たち毎日やってて非常に幸福感に直結している大事な行為だなって改めて思ったんですけどもね。やっぱり鈴木さんも書いてらっしゃいましたけど、おいしい感覚っていうのは何を食べるかじゃなくて、やっぱり誰と食べるかとかね。
そうですよ。
どういう状況で食べるかっていうことで大きく左右されるっていうね。
そっちのほうが全然大きいと思いますけどね。
そうですよね。だからお値段とか、どういうシェフがいるかっていうことよりもそういうことのほうが大事なんじゃないかってことで。
そうですよ。なんかね、タベログとか読んでると1回ランチ行っただけで欲しいおつとかごちゃごちゃ書いてるやついるじゃないですか。うるせえって話になりますよね。
だからそんなことよりも本当に自分の思い出を大切にしてほしいですね。
ちょっともうそろそろお時間も迫ってきてしまったので、ちょっとお聞きしたかったんですけども。もう十分ね、やりたいことをやり尽くした人生かなと思うんですけども。
本当ですね。
生きてるうちに実現したいこととか、これから出かけてみたい展示とか、本とか。
まだいっぱいありますよ。というか本当にメルマガなんか10年も続くと思っていなかったので、今すぐやめたいんですけど。
なんですか。ちょっと。
やっぱりどうしてもやらざるを得ない。例えば話したように、もっと絶対知られてほしいけど取り上げられない作家とかね。
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3日間で終わってしまう貴重なイベントとかね。それから誰も行こうとしないけれど行ったらすごい面白いところとかね。
それこそ秘宝館みたいとか古いラブホテルみたいにどんどんなくなってしまうものとかね。
今取り上げないとダメなものがいっぱいあるわけ。そういうのを大きなメディアがやってくれないわけですよ。
例えば旅行雑誌が秘宝館のことをやってくれたり、建築雑誌がラブホテルのことをやってくれたら、僕は一読者で済むわけ。
だけどそういうのをやってくれないから仕方なくやってるっていうことで、僕の創作の動機は、制作というか仕事の動機は本当に喜びじゃないですね。
焦りと不安と怒りしかないですよ。そうですよ。だからなんでやってくれないんだろう。でも誰かがやらないと消えちゃうっていうことが一番大きいモチベーションですね。
なんかでも津月さんのレトロスペクティブとかね、もうそろそろ50年近いからなんかやってほしい。そういう話来ませんか?
津月 死んでからね、何にも来ないです。
おかしい。私企画しちゃう。
津月 ぜひぜひ。
その他に何かちょっと告知したいこととか何かご紹介したい本とかあったらぜひお願いします。
津月 この間その前の回でオカマアートの話をしてもらいましたけれども、ちょっと回帰に間に合うか微妙ですけれども、今作品集も作っているので、
素晴らしい。
津月 それもオカマアートにおけるきちんとした写真集みたいなのも多分最初になるかと思うので、それも5月には少なくとも出ると思いますから、見ていただければと思いますし、
楽しみです。
津月 いろいろ出てきますから今年も。
そうなんですね。すごいですね。津月さんしかも必ずバイリンガルで出しているところがすごいなと思って。
津月 必ずでもないんですけれども、分厚い良いものとかはそういうわけにいかないけれども、やっぱり日本のことって外国の人はなかなか知れないですよね。
そうそうそう。
津月 表面的なことは知れるけど、本当に僕たちがどんな部屋に住んでいるのとか、どんなものを食べているのかって予想以上に伝わっていないところがあるので、そういうものを正確に伝えていきたい思いはすごいありますね。
そうですよね。本当に日本独特の文化なので、今後も楽しみにしておりますので、本当に2回あたりありがとうございました。
津月 本当にありがとうございました。
ありがとうございました。