皆さん、こんばんは。むんぱれTuesday第一週を担当している、ナビゲーターのエレーヌです。
今回から番組名を、アートワンダーランドと変更してお届けしていきます。 これまで私はですね、アートがある様々な場を放浪してきたんですね。
放浪というのは、英語ではワンダーと言いますけども、これからもですね、その先々で出会った気になる方たちをゲストに迎えして、その方たちの声をお届けしていきたいと思っています。
人生ってね、一歩の道だけを見つめてひたすらまっすぐ進むっていうのも、ひとつの歩み方だと思うんですけども、いろいろと分け道にそれながら、新たな視点を得たりとか、発見を体験することで、実は豊かになるのではないかと個人的には考えています。
実難の皆さんの視点を少しずつずらしてくれる、そういう個性的な生き方をしているゲストを、これからも紹介していければと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ということで、今回ゲストにお迎えしたのは、森岡由悠季さんです。 こんばんは。
森岡さんも、大変ユニークな人生を生まれたからだと思うんですけども、今回は森岡さんのですね、活動を深掘りしていければと考えております。
早速ですけど、森岡さん、いろんな取材もたくさん受けられている方なので、よくこれはされていると思うんですけども、改めてちょっと自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
森岡由悠季と申します。
森岡書店という野号で、銀座で書店をしています。 そのコンセプトがちょっと変わっていて、一冊の本を売る書店となっています。
正確に言いますと、一種類の本から派生する展覧会を行いながら、その本を販売しています。
書者や編集者、カメラマンやデザイナー、本にまつわる方々をお招きしまして、
お客さんに手渡しするようなイメージを持っています。 トークイベントやワークショップなどを開催しています。
これ、もう始められたのがいつぐらいでしたっけ?
一冊の本を売る書店の森岡書店が始まったのは、2015年の5月5日でした。
そうですよね。ですので、配信されている日の2日前がちょうど9年目ということで、おめでとうございます。
ありがとうございます。来てくださっているお客様、作家の皆様、出版社の方々、スタッフの方々、ご協力いただきまして、続けることができました。ありがとうございます。
ただ、森岡さんは何ですかね、書店のオーナーという以外にも非常に活動が幅広くて、文筆業もされていますし、あと誤聴書も多数出されていて、それに加えてモデルもやってますよね。
時々ちょっと素敵なお飯物で映っている、非常にかっこいい森岡さんを拝見することも多く、
キュレーターとしてもご活躍されたりとか、非常に幅広く活躍されててすごいなって見てます。私、初めてお会いしたのが2017年の時に、ある団体がやっていたレクチャーで森岡さんが、
その時、ちょうど銀座で一冊の書店のコンセプト始め、2年目くらいだったんですかね、お話しされたんですけど、その時はすごく森岡さん、よだめなく喋るというよりも、すごく丁寧にお話しされてたんですよ。
私、そこのレクチャーではすごく滑らかに喋る人ばっかり聞いてたから、でも森岡さんがとっても一生懸命伝えようとしているというのが伝わってきて、しかも自分が好きなものを本当に幸せそうな顔してお話しされたんですよね。
古い建築物が好きだったりとか、なんで自分が今住んでいるところに住んでいるかとか、そういった話をすごく熱を込めて話してくださったんで、私はその時に人に何か物を伝えるというのは、うまく喋るとこじゃないんだなということを学ばせていただきました。
なんで今日はちょっと本当に久しぶりにお話しできて嬉しいです。
はい、私もすごい嬉しいです。
早速なんですけど、初めて森岡さんを知るという、なんか珍しい方もいるかもしれないのですが、その方には、そもそもこのコンセプトを思いついた経緯ですとか、ちょっと遡ってお話いただいてもいいですかね。
はい、思いついたのは2007年だったと思います。
当時は銀座ではなくて、香山町に店舗がありまして、そこでも書店とギャラリーをやっていました。
新刊のローンチのイベントも時々行っていたんですが、そうしますとその1冊の本にお客さんが来てくださる。
ある時に他の本はなくても、もしかしたら経営が成り立つのではないだろうかと思ったことがきっかけでした。
ただ、そのアイデアはすぐに実行に移すことはなかったんですけれども、香山町の店舗が10年目を迎えようとしていた時に、次の10年、何か新しいことをしてみたいなという気持ちも芽生えまして、
じゃあ、最初思った1冊の本を売る書店というものを真剣に考えてみようと。
このようになりまして、たまたま銀座1丁目に物件が出てきましたので、そこで形にしようと。
その時にスマイルズの、今は会長になられましたですかね、東山正道さんと知り合うこともできまして、
やっぱりこのアイデア、他にはなかったので、ちょっと考え直してみた方がいいのではないかという意見もあったんですけれども、
東山さんが、これはやったほうがいいと、強くサポートしてくれまして、それで形にしていくことができたという面もあります。
あれですよね、だから、森岡書店っていうのは個人事業にじゃないんですよね。会社法人。
株式会社森岡書店という風になっております。
今、東山正道さんと、あとそれからタクラムっていうデザイン会社って言っていいんですかね。
一応株主になっているという感じでやっているということですよね。
もう一人株主が、自分の担当編集者がいるんですけれども、その3名と、あと自分が株を持っているので、4組っていうんですかね。
4組の株主が。
そうなんですね。だから、それ前やってた会社のときは個人事業に人としてやってて、今はもう携帯がすごく変わって、でもある意味最強のチームじゃないですか。
普通に東山さんに何かお願いしたら、それはなかなかハードルが高いと思うんですけど、やっぱりそういった方の全面サポートとか、それからタクラムというデザイン面で素晴らしい仕事をしている方たちもバックについているっていうのは。
それは2014年、だからちょうど10年前ですかね、の7月だったかな。
当時、尾元賛同にあったタクラムのオフィスで、東山さんの本の出版記念イベントとして、何か一緒に仕事をやりましょうという会がありました。
そこに私は参加したんですけれども、なぜそこに参加することになったかと言いますと、レナード・コーレンさんという作家が、わびさびを読み解くという本を出されてて、
それの日本語版が、BNN新社という出版社から出ました。その後書きを書いたのが、私とタクラムのディレクターであった渡辺幸太郎さんだったんです。
私と渡辺幸太郎さんは面識がなかったんですけれども、紙面上で知り合うことができまして、渡辺幸太郎さんに会いたいと編集者に伝えました。
そうしましたところ、会合が持たれまして。渡辺さんと話ししてたんですけども、今度東山さんのさっき言ったようなイベントがあるから来てみてはどうだと。
その時に、じゃあそこで一冊の本を売る書店っていうのをちょっとプレゼンしてみようかなというふうに思いまして。
で、渡辺さんとのタクラムの事務所ができました。
どういう会合だったかと言いますと、7つか8つぐらいテーブルがありまして、そこには4,5人座ってるんですけども、最初にそこでアイディアを出し合って、
テーブルの中でこのアイディアが実現可能なのではないかというものが決まりまして、で一人ずつ発表してくるんですけども、私がそのテーブルで
一冊の本を売る書店を行いたいですというふうに言いましたところ、渡辺さんがそれはいいと、
今日の日付も書いておいてくれというふうなことで。
ご縁が生まれまして、進んでいったという頑張りになります。
でも最初はあれなんですかね、最初からこの現在の形態の、私から見るとどちらかというと森岡書店ってギャラリーに近いかなと思ってるんですけども、
そのアイディアをそのまま最初からプレゼンされたってことなんですかね。
そうなんですよ、最初はねもう一つあったんです。
もう一つは、アトム処方という本屋が1945年の広島の原爆等が直後にありまして、
広島の復興を書店という立ち位置で担っていこうということだったのではないかなと思いますけれども、
そのアトム処方というのを復活してみてはどうかというビジョンも私の中にありまして、
アトム処方を復活するのであれば、そのコンテンツを一冊のフル本屋にすると、こういうことだったんです。
なるほど。
アトム処方を何で復活させようかと思ったかというと、随分以前の出来事になってしまいましたけれども、
東日本大震災のときに福島第一原子力発電所が爆発しまして、放射能が拡散されたと。
その時に、とはいっても私たちここの東日本というか関東で生活していかないといけないと。
その時にアトム処方というものがかつてあり、今はないと。
それを復興させることによって、何か気持ちの支えになるのではないかというふうな自分の考えがありまして。
なるほど。
で、その一冊の本をこれまで売ってきて。
しかもあれですよね、1週間ごとに変わるんですか?
そうです。一週間、一冊というのが最初テーマとして掲げましたので、それを続けております。
それでもすごいですよね。だから1年間に50近い企画が回っているってことで、
通常の感覚で言うと目まぐらしく動いている感じですね。大変じゃないですか?
長年書店で働いているっていうこともあって、書店の特設本コーナーが変わっていくようなイメージでもあるんです。
自分がギャラリー出身であったら、おそらく全くこういうスピード感っていうのは持たないと思うんですけれども。
また本を一冊完成させるタイミングって、展覧会をしやすい状況にもなっているなというふうに思っていまして。
うちに込められた制作のエネルギーが外に走っていくようなイメージなんですけれども。
東京の豊かな出版文化と言っていいと思うんですけれども、その土壌に支えられて、年間50タイトルを続けているという状況です。
すごいと思います。そのエネルギー自体もすごいですし、毎回毎回斬新な方たちを見つけていくっていうのもすごいなと思うんですけれども。
今度実はあれですよね。
普段は一冊の本を何冊か、一種類の本を何冊か売っているんだけども、本当に一冊の本を売る企画をやられるということで。
もうすでに始まってますけどもね。そのことについてちょっと教えていただいてもいいですか。
同じ銀座1丁目にありますギャラリー小柳。
ギャラリー小柳の小柳敦子さんと相談しまして、ギャラリー小柳で本屋をやってみようと。
そのタイトルはOne Single Book。
ギャラリー小柳に所属する15名のアーティスト、森岡書店でお世話になっている16名のアーティスト。
それぞれ1点ずつ本を作ってもらう。
それをギャラリー小柳の空間で展示販売する。
その意味において一冊の本を売る書店。
インコエギャラリー小柳となっておりまして、このような書店はあまりなかったのではないかなというふうに思うんですけれども。
そうですよね。これだから世界に一つしかない本ってことですよね。
だいたい31冊並べるというふうになります。
これは今おっしゃってた31名の作家の方がそれぞれ1点だけの本を作って、それをギャラリー小柳で展示される。
森岡書店の方でもまた別に。
普段の営業は続けていくんですけども、関連企画として。
例えば、ワンシングルブックの展覧会には朝吹丸子さんであったり、牧野勲さんであったり、本が並ぶんですけれども。
森岡書店の方でも朝吹丸子さんの本を販売したり、牧野勲さんが関係した本を販売したりと。
関係性を持った展覧会をやっていくことになっています。
そうですよね。だから森岡書店の方では1点ものではなくて、それぞれの作家の方の本を複数、2つそこに置いてあるので。
ただその扱っている本は1種類だけっていう、そういう感じですね。
そういうことです。ありがとうございます。
なるほど。これはギャラリー小柳の方で6月22日までやっていらっしゃるということで。
森岡書店の方も6月、これは16日までですかね。やっていらっしゃるということで。
そうです。関連の展覧会を6月16日まで。毎週ではないんですけれども、いくつか用意しています。
これがあれですよね。その週によって扱う作家さんが変わるということで。
今回、ちなみにこの作家さんたちを選ばれた理由っていうのは何か関連性があるんですか皆さん。
ここ数年で森岡書店で展覧会をしてくださっている作家の中から、ギャラリー小柳の方々とも相談しまして、お願いしたということになりますね。
ちょっと何かご紹介いただいてもいいですかね。どんな作家さんなのかちなみに。
例えばです。例えば、諏訪篤史さんという画家がいます。
諏訪さんとは芸術新聴で芸術探検隊というグループを組んでいるんです。
そうなんですか。
そういう関係もありまして、諏訪篤史さんにお願いしています。
もう一人、猿山治さん、プロダクトデザイナー、グラフィックデザインも担当するんですけれども、猿山治さんにも本を出してもらっています。
実は猿山治さんも芸術探検隊の一人です。
芸術探検隊って何をやってるんですか。
芸術探検隊はですね、元はといえば諏訪篤史さんに課せられた課題。
すなわち200年前のガラスと今のガラスをどう描き分けるか、これを考える探検隊だったんです。
どういうことだ。
200年前のガラスと今のガラス、生物画になるんですけれども、そもそも諏訪さんが生物画を描く理由がない。
生物画とは一体何なんだということを調べて、そこからテーマを抽出して描いていくという一連の流れだったんですけれども、
生物画ってお話を聞きに行ったりすると、国立西洋美術館の渡辺鑫介さんという学芸の方に聞きに行ったりしますと、
キリスト教の世界観を表彰するようなもともとものだったというような話を細かくお聞きすることができたんです。
だけど、自分、あるいは探検隊のメンバー、キリスト教徒ではないし、おそらく多くの日本人、あるいはこれまで油絵を担当してきた方々、
経験なキリスト教徒というわけではないと思うんです。あるいは信仰心が何かあるかというと、そうではないような気がするんです。
明治の頃に生物画を油絵を輸入したんだけれども、おそらく技法だけで、あるいは抽出に描くとか、そういうところに重きがあったのではないかなと。
キリストが作った世界の尊さを表彰するためとか、そういうところではないような気がするんですよ。
そういう状況の中で、どのような生物画が説得力があるのか。
プラス、日本という文化圏で、どのような新規性をそこに見出すことができるのか。
というのがテーマになってまして。
それをクリアにするための探検隊を組んだと。
それを芸術探検隊と、ちょっとガクッとくるような名前なんですけれども、つけまして。
それでリサーチをしていったところ、見事、諏訪さんはその2つのテーマをクリアすることができまして。
生物画を描いたと。それは府中市美術館で昨年展覧会で行われたんですけれども。
諏訪さんにとって、実は200年前のガラスと今のガラスを描き分けるということは非常に簡単だった。
朝飯前ぐらいだったんですけど。
よりその動機、さっきの2つのことをクリアすることが大切だったということでして。
そのようなことをやってました。
まだ探検隊続いてるんですか。
続いてます。
なるほど。
はい。
いろんなテーマがあって。
そうですね。これからまた続けていきたいなというふうに思ってるんですけれども。
じゃあ諏訪さんどんな感じの本になるんですかね。
諏訪さんのですか。
はい。