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始まりました、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。
この番組は、アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、
トークを繰り広げるボットキャスト番組です。
ということで、第3回目はですね、
ゲストに横浜市民ギャラリーアザミの主席学芸員、
札幌国際芸術祭2020統括ディレクター、
過去には横浜トリエナレのキュレーターを務めた、
天野太郎学芸員をお迎えして、今回は天野さんのお仕事についてお聞きしたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
最初はそれだけ聞いていいですか?
なかなか聞く機会ないですけど、
天野さんが横浜美術館で僕が最初に行った時に見ててくれたじゃないですか、
お前なんかおもろいことやるのかって言って、
これをレギュラー化しようって言ってくれて、
横浜美術館で何度かやったじゃないですか。
その時に僕が今こんな人になると思ってました、あの時。
それは、いや、それはさすがにね、
そもそも継続っていうか、続くのかどうかっていうのはね、
もう予想できなかったですよね。
だから、いわゆる美術館の関係者じゃなくてね、
あるいは大学の専門家ではなくてっていう人が美術を語るっていうのは、
例えばヨーロッパなんかあるんですよ。
美術館に行ったらそういう人が案内したりっていうのは。
役者さんみたいな人がやってるってことですね。
いろいろね。
すごくよく知ってられたり。
でも日本はそんなに、実は、どういうのかな。
それこそ美術館のね、文句とかしけど、
割とアマチュアの人に対するはあまりみたいなっていうのはあるんでね。
例えばボランティアの方がしゃべるとかっていうのはあるけども、
それもやっぱり一応研修受けたりっていうのは多いじゃないですか。
だから、分かりやすく言うと、すごく硬い感じがあったんで、
大学も同じようなもんだと思うんですけど。
だから、こういう人いるんだいっていうのは知らなかったし、
ただ将来的に今こうなるかいっていうとこまで見越せたかいっていうと、
それはちょっと俺もさすがにわからなかった。
でも本当この業界で天野さんだけですもんね。
いまだに僕にダメ出ししてくれる人というか。
しゃべりがまだまだやなとか。
あんまり他のところでなかなか言われないんですけど、
本当に一回だから天野さんに、一番最初に人前に出たときに、
全然やっぱりしゃべれなかったんですよね、当時。
緊張してた。
緊張してしまって。
だからお笑いでコンビで相方がいるときはしゃべれるんだけど、
一人になったらこんなしゃべれないんだって。
ピンだからね。
そう、ピンで。
そしたら吉本の先輩にも怒られたことないぐらいに、
03:01
お笑い舐めてんのかってすげえ説教されて、
お笑いの代表家のような説教されたのはすごい覚えてますけど。
それはね、ものすごく単純な理由でさ、
多分僕が大阪生まれで、
要するにああいう関西でね、
UVを使ってさ、
要するに精神形成っていうの。
もう完全に関西で出来上がっちゃったりとかあるからね。
落語も好きですね。
もあるし、だからお笑いには厳しいんですか。
厳しいっていうか、日常的な会話がもうほとんど、
どっちかというと、
おばさんが喋ってるとかいうのもそうだし、
それの延長みたいじゃない?
確かに。
漫才なんて。
阿部さん今さらですけど、いつこっちに来られたんですか。
こっちっていうか、東は僕いきなり札幌に行ったので、
それがね、1900、もう言うと年バレるな。
1980年なんですよ。
僕が生まれた年ぐらい。
80年以降ね。
80年から数えると、今2020でしょ。
僕は37の年、38の年です。
38年じゃないですか。
それで関西弁って治んないもんなんですか。
あのね、関西の人って2パターンあってね。
全く治らない人と、
治らないというか、治さないか治らないかわからないけどね。
だけど、自分では関西弁を喋ってるつもりなんだけど、
どんどん劣化していくのね。
関西弁が。
阿部さんどっちなんですか。
劣化してる方だよね。
地元に行くとお前その関西弁。
いやもうそれはボロクソだよね。
あの、乗りつっこみがとにかく遅すぎるとか。
そんな会話があるんですか。
そういうのがすごく批判されるよね。
そうなんですか。
もうダメだね。
ダメだね。
まあダメだけど、あかんないって言われるね。
なるほど。
もう悪いけどお前はあかんないって言われるね。
地元に帰るとですね。
戻んないもんなんですね、そういうの劣化しちゃうと。
でも使ってますよね、言っても関西弁は。
使ってるけど、でもなんかしちゃってとか言ってるやん。
笑っちゃうよね。
あれでも札幌が何年でしたっけそこから。
札幌はね、5年かな。
準備室北海道。
いやいやもう準備室じゃなくて。
もう美術館できてる。
徳之島に開館してて、結構な先輩っていうのがすごい人ばっかりです、当時は。
北海道立美術館。
道立近代美術館っていうのがあってね。
皆さんよくご存知かどうかわかんないんだけど、
道立の美術館って北海道広いでしょ。
広いから札幌に北海道立近代美術館っていうのがあって、
もう一つに三石小太郎美術館っていうね。
06:02
三石瀬子さんの旦那さん。
そうそうそうそう、小太郎と瀬子さん。
なんか若くしてなくなっちゃった。
31でね。
三石の個人美術館があるのと、
それから串尾と大尾広と朝日川と函館にもあるのよ。
6カ所。
だからその学芸員も転勤でぐるぐる回るっていう。
でもだいぶ遠いですよね、串尾とかに。
いやもうそれはすごいですよ。
串尾なんて札幌からいわゆる電車というか汽車というか、
4時間半かかるからね。
だからもう関東から名古屋行く?
遠い遠い遠い遠い、全然遠い。
広島くらいじゃん。
串尾さんはでも結局札幌だったんですか、当時は。
不思議とね、他の人は転勤多かったんだけど、
なぜか札幌だけだった。
もうなんか動かしたくなかったんじゃないですか。
あのね、よく言われるの。
これを。
要するに監視の中に置かないと、ちょっとねって。
やんちゃしてたんですね、当時から。
いえいえ、なんもないですよ。
でもその札幌から横浜に来たきっかけはいつ?
横浜に来たきっかけはまさに準備室。
まだ横浜美術館できてない頃ってことですね。
そうそう、に誘われてというかね。
横浜美術館何年くらいだったんですか、結局。
結局何年くらい、横浜美術館は。
横浜美術館に移ったのが87年かな、1987年で、
89年に開館したので、だからもう30年ちょっと。
ですよね。
そのときに出会ってるんですもんね。
2008年くらい。
そうだと思います、2008年だと思います。
で、気づいたら今今日収録してるこのギャラリー浅見の。
そうそう、ここは移動させてもらって、希望で。
左遷とかじゃないですもんね、来たかったんですもんね。
ちょっと左遷って言うと。
希望してきたんですもんね。
世間的には相当、やらかして左遷や。
そうそう、そう思いまして。
だからだって横浜美術館にずっといて、
落ち込んでるのかなと思って来たら全然元気そうで、むしろ。
なんでここに来たかったんですか、そのとき。
いいんか、そういう意味じゃ。
やっぱり大きな美術館ってね、大状態でしょ。
始まるのが時間かかるし、それから自分のやりたい展覧会っていうのも
なかなかいろんな意味で難しいっていうか時間かかるでしょ。
だけどここは年に2回展覧会が企画展があって。
春と秋ですかね。
秋と冬ですね。
それで毎年できるわけですよ。
そんな大きくないんだけど、好きなことができるっていうのがあるじゃない。
09:04
後で話しますけど、カレッジっていう座学も
講師をいろんな人呼んできたりとかいうのもね、
これもあんまり言うとお客さんに怒られるんだけど、
だいたい自分が聞きたい人呼ぶのね。
なるほど、まずはってことですね。
カレッジも全部天野さんがキャスティングしてるってことですか。
僕だけじゃなくてもちろん担当の人もいるし、
担当の人は担当の人で呼びたい人もいるんでね。
だから別に僕が独断でやってるわけではないんだけど、
ただいろいろ相談できるし、面白そうな人を呼んで話聞きたいっていうね。
だからそれは美術に限らず。
このカレッジじゃあ先に話しますけど、
熱海のカレッジというのがあるんですよね、座学の。
これはお客さんが何人ぐらい参加されるものなんですか。
まあそれこそ今コロナなので、
いくらでもいいというわけにはいかないんでね。
40人ぐらいちょっと広げて。
だから今ここ展示室なんですけど、
展示室もなかなか今市民の人が借りるっていうのが難しいでしょ。
実際にはここあんまり使ったことないんだけど、
こういう展示室でも広く使えるんですよ。
だけど普段であれば、
3階にレクチャーができる部屋があって。
講堂みたいなのがあって。
講堂というかね、アトリエみたいな部屋があって、
ユーティリティー、いろんなもの使えるっていうね。
そこで一番よく入れたら、
80人か90人入れることができるんですよ。
今それをやると完全にミスになっちゃうんで。
そうですね。
このカレーチ自体いつからやってるものなんですか?
これはもう僕が来る前から始まってるし、
一応校長先生みたいなのを立てて、
前任者がね、ご存知だと思いますけど三山。
三山さんが横浜の副官庁をやらされて。
あれが校長で、俺が2代目の校長かなんかで、
2代目か3代目かわからないけど。
これは本当に名ばかりですけど、
引き継いでやってると。
年間いくつぐらい講座があるんですか?
風見野カレーチは。
数がきっちり決まってるわけじゃないんですけど、
大体、どうですかね。
校長?校長?
いろいろ大小あるので。
でも年間に5回やるときもあれば。
5回以上やりますね。
せっかくなんで、今年2020年の企画はどういうのか。
これは一つはですね、校長自らっていうのもあるんですけど、
先ほど冒頭紹介いただいた札幌国際芸術祭2020が、
実は7月に中止が決まりましたよね、開催が。
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それを受けて、結局今年に入って、
2月とか3月以降かな。
国内外でいろんな国際展とか、
美術館の展覧会が延期になったり中止になったりする中の
一つってことになるんですけど、
ちょっと特殊な環境だったんだけど、
コロナ禍で芸術祭を作る仕事という、
実は中止は中止なんですけど、
それで解散するわけではなくて、
ほぼその内容はもう作り上げてたので、
それをアーティストとかと一緒に、
こんなことをやろうとしてましたという発信をしようと。
だからそういう方法論も含めて、
単に中止になって残念でしたではなくて、
人が動けないとかね。
あるいは下手すると、
実は今年、今回札幌は3回目なんですよ。
2014、17、2020でね。
1回目も2回目も夏場だったんですよ。
北海道、夏はなかなか気持ちがいいんでね。
だけど3回目で、もう一つ北海道の魅力は何と言っても冬なんで。
実は冬開催。
初の冬開催だったんですね。
ところがこの状況だと下手すると、
インフルエンザと合わせ技を。
第二波のすごいのが来るかもって言ってますもんね。
だからそれもあるんだけど、
ただその冬に取り組もうとしてたプロジェクトをね。
冬は雪祭りで有名じゃないですか。
札幌といえば。
だからああいう雪祭りみたいなものを皆さんがイメージして、
20歳もああいうものっていうか雪像とかね。
っていうふうなことを思ってられるかもしれないんだけど、
やっぱりそこはちょっと角度の違うプロジェクトとか作品があるんでね。
それを紹介をしたいなと。
今だからその準備も始まってるので。
展覧会やらないけど、これでも解散だから終わりってわけじゃなくて。
そういう紹介とともにテキストでちょっとした冊子を作って、
こんなことをやろうと思ってましたっていう報告書っていうの。
それも今から制作に入ろうとしてるところなんですけど。
そういうとにかく中止って最近あんまりないじゃないですか。
中止になる要因がよほどのことがないときには。
だから中止になったときに芸術祭の前後の話っていう準備から中止になったけれども、
報告をしますとか言って。
そういう話をちょっとしようかなと。
後ほど多分札幌国際芸術団についてはもう少し掘り下げようと思ってますけども。
あとは結局コロナっていうのは今のところ人類にとって未知のウイルスなんだけど、
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そういう割とウイルスと人間の関係っていうのは当たり前なんですけど、
人間の大げさに言うと人類の歴史と密接に関わってるし、ペストのこと。
実は疫病っていうかな。
疫病と美術ってすごい関連性があるんですよ。
それは日本でもあるんだけど、
特にヨーロッパの疫病と美術についての専門、専門にされてる小池さん、小池幸里さんっていうね。
工学院大学の教授なんですけど、美術師家ですけど。
こういう時期っていうかな。
まさにコロナと向き合わなきゃいけないという時期にね。
過去っていうかな。
ペストもそうだし、それからスペイン風なんかもそうなんですけど。
そういう単に疫病が流行ってたくさんの人が亡くなっちゃったというのみならず、
それが実は美術の主題になってるっていうね。モチーフになってるっていう。
この辺をぜひ語っていただこうと。
これは僕ももちろん、うちの担当を通じてお願いしたりしてっていうのがありますね。
結構だからいろんなジャンルがやるんですね、このアザミのカレッジという意味で言ったら。
やりますよ。もちろんもちろん。
だから今回は、少なくとも9月は、これまた後で何月何日っていうのをお知らせしますけれども、
9月はその一つ、横浜トリエナーレっていうね。横浜トリエナーレは実は開催してるんですけど、
出品作家の飯山幸さんっていうアーティストに来ていただいて、
これは一種応援企画っていうわけでもないんですけど、
アザミのは北部にあるので、中心部の横浜美術館からちょっと離れてるんですけど、
実際にアーティスト、物を作ってる人の話って意外と聞けないんだよね。
だからお一人ですけれども、どういう作品を出品されてるかっていうのを皆さん聞いてもらって、聞いてから行ってもらうと。
なるほどなるほど。そういう企画もあるわけですね。
そうですね。あとこれは10月に入ってからですけれども、
地元との密着っていうかな、密接な関係みたいなことも作っていかなきゃいけないっていうこともあったね。
これは地元に実はオーディオのメーカーさんがあって、
ハイエンドオーディオの世界っていう名を言って、
本当にね、スピーカーからかもし出すっていうか出てくる音がすごいんですよ。
やっぱ違うんですか?
18:00
全く違うんです。
全く違うっていうか、こういうことについて詳しい人はよくご存知かもしれないけど、
これ実は2回目でね、また最新のオーディオの世界をということで。
これはアートにそんなに直接関係あるわけじゃないですか。
まあでも音楽ですよね。
まあまあ確かに。
まあもちろん音楽のジャンルは問いませんけど、
でもまあ、再生された音の世界っていうのが、
意外とそれこそこんなに深いものかいっていうのがあるじゃないですか。
まあそういうこともあったりとか、
あるいは10月になるとアザミのコンテンポラリーって、
先ほど話した企画展の一つが秋にあるっていう。
これは基本的には現代美術をね、紹介する展覧会なんですけど、
今回は関川光平さんっていう作家の個展なんですけど、
それに合わせてトークを対談をしていただこうと。
おお、そういうのもあるんですね。
あります。
あれですよね、この展覧会は天野さんがもう全部キャスティングとかも全て企画する?
もちろんそれはそうなんですけど、
ここにも学院が2人いますしね。
チームで一応話し合いながらやってますけど。
話し合いなんです。
でも展覧会は年間2本ですよ。写真展もやってますもんね。
展覧会を横浜美術館でやってたときとこっちでやるときの違いみたいなのってあるんですか?
いや、それはね、これ言うとちょっとあれですけど、横浜美術館に限らずね、
やっぱり美術館と名のつくところって、ある程度評価が決まったというかな。
そんなに聞いたこともないとか、あるいは若手の新人を大々的に取り上げるっていうのは、
あの横浜美術館でも取り上げてはいますけど、
メインの会場で展示室で個展したりとか、大規模なグループ展というのは、
そうなかなかハードルが高いんですけど、
ここは逆にこれからっていうか、今面白そうなっていうかな。
そういう作家を取り上げることができるっていうのは最大の魅力ですよね。
だから褒め言葉として聞いてほしいんですけど、
なんか深夜番組みたいな感じがするんですよ。
ここでブレイクした人が横浜美術館に行ってるなって思うんですよ。
そういうことを横浜トリエンナーレで新井さん写真家の、
ここでやってましたもんね、数年前に天野さんが取り上げて。
なんかそういう感じだなって思ってるんですけど、
天野さんがこの人行こうって思う。
戦飛とかってあるんですか、若手の作家って、
展覧会やってない人をここでやってみようかなってときに。
若手っていっぱいいるわけじゃないですよ、他にも。
天野さん的にこの展覧会でこいつちょっと押してみようって思う、
最終ライン的なのあるんですか。
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それは横浜美術館のときもそうだったんですけど、
横浜美術館だと例えば十何人とか十五人とか二十人ぐらい
選べることができるんですよね。
予算の規模が違うんだけど。
でもそれでもたかたか二十人ぐらいで世の中を切るみたいなね。
それはなかなか難しいわけですよ。
だっていっぱいいるもん、いい作家は。
だからやむなくでもないんだけど、絞んなきゃいけないってこともあるんでね。
だから伝えたい人はたくさんいるし、
だから先ほど言いましたけどやっぱり規模はそんなに大きくないので、
国内外っていうところまでやるのはなかなか難しいので、
どうしても国内のアーティストってことになるんですけど、
だから別に基準っていうことでもないんですけど、
例えば絵画なら絵画とか、写真なら写真とかっていう風な、
一応そのジャンルで新しいと思われるような表現されてる方とか
っていうのが基本的なやり方かもしれないですよね。
だからいろんなメディアを混ぜてっていうのもやってますけど、それは。
これで作家さん見たときにパッとわかるものなんですか?
それとも例えば新人を初めて見たときに、こいつはいけるなっていうのか、
もしくはそのときは思わないけど、数年たってこいつどんどん伸びてきたから、
いよいよいけるなっていうパターンとどっちが多いんですか?
いろいろですよね、それは。
最初から光ってる人ってやっぱりいるんですか?
新人というか卒典のあたりでもうこいついけるぜみたいな。
難しいな。
これはあくまで個人的な意見ですけど、
例えば絵とか、いわゆる彫刻とかあるでしょ?漫画とか。
これはね、やっぱり一定のトレーニングがね、訓練がないとちょっと難しいかな。
つまり全く何にもしてない人がいきなり絵を描き始めて、
すごい都会ってなかなか難しいかな。
やっぱり技術的な裏付けがないと厳しいっていうのはありますね。
だからさすがに僕も全然大学もそんなとこ行ってないしね。
30歳の時に突然絵を描きたいと思って描いてるんですけど、
っていう人の中でそういう人を見出すっていうのは難しかったりっていうのはあるんですよ。
ところがね、写真は、これもあくまで個人的な意見なんでね。
ですけど、訓練いらないんですよ。
ある程度訓練するのも悪くはないんですけど、
カメラを渡してさあ撮ってきてくださいって言って撮ってきてもらった写真の中に
すごいのがある確率は先ほどの確率よりもすごく高いと思ってて。
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だからそれはすごい面白いなと思ってるんですけどね、写真って。
写真のその良し悪しのアバナスの基準はどこなんですか。
みんなだってスマホでも撮れるし、いっぱい写真がいっぱいあるじゃないですか。
でもこれが芸術、だから展覧会で紹介したいって思うものと、
いい写真だねっていうのとあるわけじゃないですか。
線引きというか、どこで決めてるんですか。
線引きというか、よくよく考えたら、別に示し合わせたわけじゃないんだけど、
何人かの写真家がね、それこそ別に国内外含めてですけど、
別にお互い連絡取ってるわけでもないんだけど、
実は同じような傾向の写真を撮り始めるようなことがあるんですよ。
例えばね、風景写真ってあるでしょ。
富士山、きれいな富士山との風景写真だし、
それからどっちかっていうと、見る人がね、
ここは奈良県ですよねとかっていう風な特徴のある写真ってあるじゃないですか。
それに対して、本当になってことない、
そこらへんの原っぱで撮ったような、
意味があるんだかないんだかよくわからないんで、
しかもそれがどこなんだかもよくわかんないっていう風な写真ってあるんですよね。
それはね、横浜のときにそういう展覧会したことあるんですけど、
本当に面白いっていうか、日本だけじゃなくていろんな国の中で、
つまりこの美しい風景をめがけて撮るんだじゃなくて、
本当にその場所には何かが起こったこともないしね、
何か事件があったわけでもないし、
本当にどってことない風景を撮ることで、
実は結構見落としてるんですよ、僕らは。
そういう景色を。
普段の風景をね。
意味のあるものが風景になると思い込んでんだけど、
実はそうでもないっていうようなことがわかったりとか。
例えばそういうことですけどね。
コンセプト的な部分ですか。
ただただ撮ってきましたって言って、何も考えてない人じゃなくて、
やっぱりある程度こういうの撮りたいっていうコンセプトの部分に共感というか。
いうのもありますしね。
もちろん数というか、これだけおびただしい写真を撮るっていうのはなかなか大変だ。
そういう傾向の写真はもちろんあるんですけどね。
でもとにかく写真って、先ほどの話に戻ると、
プロの人とアマチュアの人というふうに分けるのがはなはな難しい。
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つまり絵画とか彫刻に比べるとですね。
つまりアマチュアの人でも優れたというか、みんなが感動するような写真いくらでもあるんで。
だけど本人は別にプロの人っていうことを考えてないんだけど、
いわゆるいい写真ってあるじゃないですか。
そうするとなかなか絵画、いわゆる訓練が必要な分野とちょっとやっぱり違うなっていうね。
だから今ふと思った疑問なんですけど、もう天野さんそれこそ僕よりも人生の先輩ですから、
いっぱい作品見てきてるわけじゃないですか。今数としては写真も。
まだ感動とかってあります?
しますよ。
本当ですか?
感動というか。
驚きというか。
そうですね。
こんなものがあったんだみたいなことってありますか?
ありますありますあります。
それはどれぐらいの割合ですか?パーセンテージでいうと。
100見て1あるかなぐらい。それでももっと見てますか?普段。
それはね、そういう感受性豊かな人だったらね。
次から次と素晴らしいとか言うかもしれないけど。
まあでもどれぐらいの割合で言われるとちょっとしんどいけど、
でもまあ日ごろいろんな展覧会見に行ったりしてる中で言えばまあいますよね必ず。
逆に売り込みとかないんですか?
だって天野さんがここで展覧会やった人がみんな木村伊兵術を撮ってるみたいな。
あったじゃないですか。ジンクス的な。
これもすごく面白いんだけど、絵とか彫刻って売り込み用がないのよ。
だって作品持ってくるわけにいかないでしょ。
はいはいはい。
だって写真で見てもわかんないもん。
本物じゃないからってことですね。実物じゃないから。
逆に写真の方はあります。
こんなのあるよって。
見てほしいっていうのは。だからそのプリントでしょ。
そのプリントが仮に大きくしてもイメージは変わらないので。
だけど絵とか彫刻ってやっぱりスタジオに行って、スタジオっていうか現物を見ないことには。
だからお互いそう思ってるわけですよ。アーティストの方も。
なるほどなるほど。実物見てないし。
ファイルだけじゃ、写真撮ったやつだけじゃわかんないんで。
だから売り込みっていうかな。
まあ一番手っ取り早いって言うと怒られるけど、
画廊なんかが若手を発掘してやってるわけでしょ。
だから画廊なんかで見るのは割とありがたいですけどね。
その色を紹介してくれてるんで。
現物が見れるでしょ。
展覧会まで考えるとか、いろんな理由があればね。
いろんな理由ってか例えばカトログの原稿を頼まれたりとかってことであればね。
もちろん見に行きますけどね。
ちょっとコロナの影響あると思いますけど、結構通ってる方ですか?浜野さんって。
30:00
なんかフェイスブック見てると料理の話しか載ってないから、
いつこの人アート見に行ってんだろうって思うんですよ。
なんか料理仕込んだみたいなニュースが。
なんかね、ちょっとやらしいんですけどね。
ここ見に行ったとかここ見に行ったとか言ってあげるとね、
その時に行ってないところあるんですよ。
せっかく札幌まで行ったのにとか。
東京でも東京でも、あれだけ来てくださいって言って、
はいはいとか言ってたのに、行けてないとか言ってあるでしょ。
近くまでは行ってるのがバレちゃうんですね。
だからああいう、いかにも家で飯ばっかり作ってます。
飯かラーメンの話ですよ。
飯といたほうがいいかなって。
だから新宿御苑の四角のラーメン屋のね、あれあるでしょ。
あります。最近見ました。
あれはあれで関係者は、あああれ行ったないってわかんない。
あの店の中で行ったないっていうのは。
バレてるんですね。
だからもうここでラーメン食べてるってことは。
そんなラーメン、こんな時期にそれだけのために行かないでしょ。
まあそりゃそうっすけど。
そうっすけど、ほんとラーメンか、
もうほんと自分が仕込んだ料理の話ばっかだなと思って見てますよ。
もうそれがね、喜びですからね。
喜び。
でもお元気だなと思ってます。まだラーメン食ってんだなって。
大盛りですけど。
そうそう、いつもですよね。
ちょっと芸術祭の話に行ってことなんですけど、
横浜トリエンナーレについてっていう話もちょっとあったんですけど、
それよりもあれですね、札幌国際芸術祭の話をぜひぜひ聞きたいなと思うので、
改めてですけど、
3回目なんですよね、予定としては。
でも1回目が坂本隆史さんですよね。
1回目が大友芳ですよね。
アマちゃんのオープン。
そうそうそうそう。
2回目も音楽プロデューサーだったんで、
なんとなく僕は札幌国際芸術祭イコール音楽の人って思ってたんですけど、
なんで天野さんが3回目に。
不思議ですよね。
不思議ですね。
僕も同じ質問しましたけどね。
坂本隆史、大友芳で天野太郎ってどういうこと?
そうそう、どういう経緯でなったんですか?
これは元より僕のネームバリューの話ではなくて、
1回目も2回目も音楽関係っていうこともあったし、
それからどちらかというと、
いわゆる美術館のような展覧会というよりは、
もう少しそういう枠を取っ払ったような仕掛けというかな、
プログラムが2回ついたんですけど、
3回目はどちらかというと、
会場でがっつりしっかり作品を見るような内容にしたかったりというのがあったので、
美術館関係者ですよね。
だから展覧会を組み立てていくっていうことが。
人がもう選ばれた。
だからもう一人ディレクター、
ニアグニシカイっていうポーランドのアートセンターのキュレーターもいるんですけど、
この人も一緒で、
33:00
彼女の場合はメディアアートが専門なんですけど、
いわゆる展覧会を組み立てていくっていうのが。
だから3回目は各会場でしっかりと展覧会を見てもらおうという風な方針だったんです。
だからその方針の中で、その意味で選ばれたかもしれないですね。
それはやっぱり北海道に勤務してたことも。
それも理由としてはあったみたいですよ。
少しは北海道のことも分かっているというか知っているということもあったかもしれないですね。
営業者はやっぱり嬉しかったものなんですか?
オファー来たときに。
そりゃ嬉しいでしょ。
お役に立てますけどっていうね。
っていうのもあるし、
言ってしまえば北海道ってずっと関西で育って、
初めて東行くわけです。
東どころが全部飛ばしていきなりでしょ。
そこで本当にお世話もらったしね。
ありがちな話ですけど、恩返しじゃないですか。
お役に立てるの嬉しいなっていうのはありましたけどね。
そのときでも最初のコンセプトみたいなのもいつ決まってたんですか?
やろうっていう。
北海道は、いろんな言い方があるんですけど、
日本の国って、もちろん日本人が住んでる日本の国についての解釈っていうのはね、
一つの国っていうかな、一つの歴史を共有するみたいな考え方もあるんだけど、
でも別の考え方に立てば、日本って、
例えば沖縄はそもそも王朝があったんだよね。
琉球王国。
だから沖縄っていう歴史っていうのは、
単に地方の歴史というよりはまた違う意味の歴史があるでしょ。
北海道は、もちろん北海道、明明150周年っていうのが去年あったのかな。
松浦さんですよね。
竹島。
150周年なんだけど、北海道の歴史ってじゃあ150年っていう。
つまりアメリカの歴史と一緒でね。
独立記念日としてのアメリカの歴史を捉えるという考え方もありますが、
それまでに北海道の場合はああいう歴史があるし、アメリカもね、
アメリカ・インディアの歴史もあるじゃないですか。
そういう意味で言うと、意外とちっちゃい国とは言われてるんだけど、
36:01
歴史が割と多層的っていうの。
人種的ってはおかしいけど、同じ日本人っていうような言い方とは別に、
もうちょっと多様性のある文化とか歴史を持ってるっていう。
それが前提で、この仕事を受けたときも、そういうことをくわだてたいなと思ってましたけどね。
これ大体どれくらい準備かかるものなの?
これはね、結構だから時間取れたんですよね。
だから2018年、今から2年前かな。
だから実質1年半ぐらいかな。
は準備してたってことですね。
最初にやることって、例えばアーティストっていつのタイミングで選ぶんですか?
ニワトリが咲くか卵が咲くかってことがあるんだけど、
こういうチラシにはないか。
コンセプトってあるじゃないですか。
種子というかな。
あれを本を最初に書いたかな。
それ2018年の段階でですか?もう決まった段階で。
最初の記者発表、決まった。いつか忘れたな。
これちょっと出ます?
いやいやいや。
2回目がね。
2回目っていうか、これは参加アーティスト第1弾発表というのが。
これだから結構前の今チラシがあるんですね。
そうそうそう。そうなんですよ。
このときは回帰が出てるでしょ。2020年12月19日。
これがね、今年の2月の4日だと思いますね。
発表したのが。
その前にテーマとか、さっき言った趣旨みたいなことを発表した。
あるいはこういう陣容でやりますとか言っている。
それがね、調べるの忘れた。
でも去年ですよね。
それこそでも第1弾だから、第2弾、第3弾、結局参加アーティスト何人になったんでした?
それがね、本当は9月に全員を追おうということだったんですけど。
先に中止が決まっちゃったわけですよね。
全48組。8組なんで、1人の人もいるし、1組2人の人もいる。
あるいは3人の人もいるんだけど。
海外が15組で、国内が28組っていう。
これなんで一発で発表しなかったんですか?
まだ決まってないから。
まだ本決定ではないってことなんですか?
いやいや、そうじゃなくて、いきなり例えば50人のアーティストを
第1回目の記者発表のときに用意してたわけじゃないので。
だからもちろんその陣容量は少しありましたけどね。
39:03
確実決定な人を発表したって感じですね。
うん。
なるほどなるほど。
でもこの人たちにはどのタイミングで、すいません今回ちょっとなくなりましたよっていうのは。
それは皆さん一緒で、7月に入ってからですよね。
22日が発表したので。
どんなリアクションだったんですか?
いやそれは、いやいや残念っていう。
いやそれはそうで、そんな感じは。
まあでもそれはそうですよね。
今回初って人もいたんですか?
この国際芸術のトリエンのあれ的なのに初参加、そもそもっていう人もいたんですか?
札幌に来らず。
もちろんもちろん。
そういう人はやっぱり気合い入ってたんでしょうしね。
もう作品制作しちゃってる人っていたんですか?
うん。
それはどうするんですか?
いや作品制作、そうですね。
まあサイン後のフィニッシュのところのちょっと手前の人は何人かいますし、
それから既に発表した作品を選んでるのもあるし、
それからまさに新作をこれからという人もいますので、
それは今実は個々、それぞれアーティストと相談してて、
どういう形で発表するかっていう。
つまり最後までやり上げたやつを何らかの形で、
何らかの形っていうのは例えばもしそれが絵であるとすると、
きちっと写真を撮ってこんな作品を実は展示しようと思ってましたという風なところまでやるか、
あるいはドローイングとかスケッチとか、
そういうもので収めるかという。
まあそれはちょっといろいろあるんですけどね。
だからもうこれ延期じゃないですもんね。
もう完全に中止。
もちろん、もちろん。
だから次の2023年にやるとしたらまたゼロから。
ゼロからというかもちろんディレクターも全然違うし、
そうですね。
だから全く新しくスタートするっていう。
じゃあこれ、天野さんの今回の仕事のゴールはどこになるんですか?
基本はもし開催してたらやっぱりクロージングで終わるわけじゃないですか、一応は。
今回のこの一応。
今回はだからその報告をして、その報告書というか、
まあカタログみたいなもんですけど、それができるまで。
じゃあそれいつぐらい目標なんですか?
いや、一応ね、この回帰に合わせようと思ってるんですよ。
2月24日。
じゃあここに出来上がるんですね。
この間を使うんですよ。
ほうほうほう。
回帰を使ってやろうかなと。
それは買えるんですか、東京でも?
何がですか?
そのカタログは。
もちろん、もちろん。
でも札幌まで行っても。
手に入ります、それはもちろん。
ほんとですか。
ちょっとぜひぜひ皆さんに。
ちなみに山田さん、横浜トリエンダーレも立ち上げからやってたってことですか?
いやいや、横浜トリエンダーレってね、2001年が第1回だったんですよ。
42:00
第2回目が、ほんとあれトリエンダーレだから3年だった。
2004年にやんなきゃいけなかったんだけど、ちょっといろいろあって2005年になってね。
3回目が2008年なんですけど、実は3回目まで横浜美術館は何の関係もなかったんですよ。
そうなんですか。今では横浜美術館がメイン会場になってますけど。
メイン会場になったのが4回目の2011年。
そんなもんなんですか。最近なんですね。
それまでの3回は横浜美術館は絡んでもなかったんですか。
全く絡んでない。
誰がやってたんですか、あれ。
いやだからそれは横浜トリエンダーレ組織委員会っていうのがあって、別の組織があって、それをやったんですね。
一応言えば横浜市なんですか。市のイベントなんですか。
市もいますし、それから国際交流基金とかね。
南西新聞とNHKとか、それから美術関係者の委員の人たちが決めたわけですよ。
だから1回目も2回目も3回目も当たり前なんだけど会場にもならなかったのでね。
ただ僕は2回目の2005年のときにキュレーターで参加したんですよ。
だから美術館から出向するみたいな。
それは自ら手を挙げていったんですか。
それはね、さすがに指名されたね。
いやそれも結構時間がなくて、突然、突如。
行ってくれと。
磯崎新田さんだったんですよ、実は。
はいはい、建築家の。
それがね、キャンセルになっちゃったの。
え、磯崎さんがもともとは上の人。
いやいや、ディレクターだった。
ディレクター、はいはい。
2004年にいろいろ準備してね。
2005年の、あれも夏だったと思うけど。
本当に2004年の年末ギリギリでキャンセルになって。
誰だったんですか、その時のディレクターは。
え、その時のディレクターが磯崎さんになるってことですか。
いやいや、それで急遽ディレクターが河又忠さんになって。
はいはいはい。
彼はアーティストでもあるし、ディレクションはできるかもしれないけど、
キュレーターがいないっていうんで。
だから今でも思い出しますけど、2004年のね、
クリスマスイブぐらいに連絡が来て。
はいはいはい。
やってくれと。
大変。
やってくれって言っても、もうクリスマスイブってことは年末年始でしょ。
はいはいはい。
ってことは、1月7日ぐらいは何も動けないじゃないですか。
え、でも桑本さんも動いてたのはいつから動いてたんですか、そのイベント。
年明け。
年明けから動いてて、もう磯崎さんがやってるわけじゃないですか。
いやいや、もう磯崎さんと全く関係のないものをやらなきゃいけない。
はいはいはい。
1年ないんですよ、半年もないんですよ。
その磯崎さんの時にはもう作家とかは決まってなかったんですか。
そのの全然、5話さんで。
ゼロからの、えーって半年で作り上げなきゃいけなかったんですか。
それはそれでね、面白かったですけどね。
そういう時、有名な作家でいうと、例えば誰が出展されたんですか。
皆さんが知ってそう。
45:01
誰が出展されたんですか、有名。
まあ一番メイン、ビジュアルで使われた作家さんとかね。
奈良さん出してもらったけどね。
あ、本当ですか。
それを急遽でも連絡入れたんですか。
それよりも、海外のね。
ちょっと正確に覚えてるかな。
大体ね、30何人選んだよね。
急遽、1月にも。
それは海外のビエンナーレやトリエンナーレに行って、
オープニングに行って、作品見て、
君、君、君、君、君。
そんな選び方できるんですか。
出てくれるみたいな。
誰ぐらいの人が断んなかったんですか。
みんな断る人もいたでしょ、それやっぱり。
よっぽど出ないと断んないよ。
本当ですか。
よっぽど条件が合わないと。
結構みんな喜んで引き受けてくれるもんなんですか、トリエンナーレって。
発表の場所はね。
断られるってあんまり少ないんですか。
みんな嬉しいもんなんですね、選ばれるっていうのは。
断られるってほとんどないですよ。
じゃあみんな君ねって言ったらOKだったんですか。
そこから準備して。
エジプト、メキシコ、国ばらばらだったし、
短期でやったりってこともあるんですけど。
それはちなみに第3回の横浜トリエンナーレはどれぐらい人が入ったんですか。
あれはね、実は不当の倉庫でやったんですよ。
結構来たと思うな。
見たら今約19万人。
ほぼ毎日何回やったと思う。
当初目標20万人って書いてあったけど、ほぼそれに近いわけですもんね。
大体川松さんのテーマの一つがワークインプログレスって言ってね。
ワークインプログレスって聞こえはいいんですけど、
要するに全然完成してませんけど、まだ制作中っていうのがずっと続くみたいな。
もちろん完成した作品もありますけどね。
でもちょうどよかったですよね。半年しか準備なかったから。
ちょうどよかった。
これちなみになんですけど、プロデューサーがぜひ聞いてくれって言ってたんですけど、
トリエンナーレとか国際芸術祭的なものの成功ってどこをもって成功。
要するに人数が来たことを成功とするのかとか、経済効果とか、
何をもって展覧、これは今回成功だったなっていうのってあるんですか、一般論として。
一般論としてはね、特に日本の場合はね、
とにかく僕も知らないトリエンナーレがたくさんあって、
増えましたもんね、今。
覚えきれないぐらいあるんですよ。
それは、そういう一種の契機っていうかな、
まちづくりって言葉が流行って、
48:00
流行るっていうかな、結局今もそうだけど、人口が減っていってるでしょ。
子供の数が少ない。
年寄りが多いっていうか、要するに少子高齢化っていうのと、
そうなってくると、昔コミュニティっていうかな、成立してたような、
例えばお祭りするんでもさ、人出がたくさんあったりとかいうような、
だからなかなかそれが立ち行かなくなるとかいうようなことも起き出してたので、
それがね、大体2008年ぐらいじゃないかな。
そこに単に産業を誘致するとかいうよりも、
美術とまちづくりみたいなのがキーワードになったんですよ。
新潟のとか。
新潟もそうですけど、そうするとね、
当然新しい美術を見れてよかったねじゃなくて、
じゃなくてっていうかそれもあるんだけど、
当然経済公開っていうのが期待されるわけですよね。
町にどれだけ。
町っていうか、エリアにね。
だから何をもって成功としたかっていうふうに言えば、
僕の立場からというよりは、組織してる自治体、大体自治体やってるんだけど、
自治体としての成功の一種のクライテリアというか、
価値基準は経済公開ですね。
でも横浜トリエンナーレってたぶん立ち上げのときにはそんなイメージじゃなかったわけじゃないですか。
一番最初って。
たぶん横浜市を活性化させようで始まってないと思うんですけど、
今って横浜トリエンナーレってそういう考え方になってきてるの?
いやいや、それはね、いろんなトリエンナーレとかビエンナーレとか呼ばれてるものの中の、
いくつかの、あえて分類をすればね。
例えば愛知とか横浜にっていうのは、いわゆる都市型なんですよ。
だから、例えばさっきおっしゃった、
つまりなんかはむしろ都市というよりは農村だったりとかいうね。
そういう地方の、そもそも自分たちが持ってるような産業形態みたいなものを
バックグラウンドにしてる場合があってね。
つまりその都市型のものとどっちかっていうと、
そういう言い方してるかな。
例えば自然とか、あるいはコミュニティとか言い方をしてるところがあってね。
だから、つまりと横浜トリエンナーレとは全然性格が違うじゃないですか。
だけど、そうは言ってもね、周辺の、愛知もそうだけどね。
街中の、例えば豚野街だったんだけども、
今もとにかく商店街もなかなか立ち行かなくなってるとかいうのは、
その地域連携みたいなことはきちっとやってるじゃないですか。
横浜も、例えば小金町とかね。
そういう形で、単独で国際展として単独で始まって単独で終わるというよりは、
51:08
できるだけその地域にも活性化するようなっていうのはあったんですけどね。
それをもってまだ成功っていうのは、ちょっとそういうところで見てるってことなんですね。
企画当たったなみたいな。
あと、これはちょっと多少個人的な意見ですけど、
2001年の頃ってね、本格的に国際展がまだなかったので、
昔東京ヴェネラリーっていうのがあったけども、あんまり継続しなかったんですけど、
つまりそういう国際展の使命というのは、どちらかというと最新のね、
これが今最新の美術です、とか言っていうものを紹介するのが、
どちらかというと大きなミッションだったんです。
ベネチア・ビエンナーレみたいな。
ベニスもそうですよね。
ベニスの場合は国単位ですけど、
ドクメンタもそういう嫌いはあったんだけど、
ところが、これもやっぱり2000年の半ば過ぎぐらいから、
様相が変わってきたのは、
美術マーケットっていう美術市場ってあるんですけど、
これがね、ものすごく肥大化していくんですよ。
肥大化していくっていうのはどういうことかっていうと、
美術市場ってどういうことかっていうと、
例えば皆さんが映画が好きとか美術が好きなんで、買いたい。
伊東洋華堂行っても売ってないでしょ。
そりゃそうですね。
とか市場行っても売ってないじゃないですか。
どこに行ったら買えるんだろうって考えたとき、
いろいろ聞いてみたらどうも、
画廊っていうところで売ってるっていうのを知るわけでしょ。
それが一つの美術のマーケットなんですけど、
それが大小いろいろいろな画廊が世界中にあったんですけど、
今はもうちょっと極端なことになってんだけど、
だんだん画廊が巨大化していって、
抽象がほとんどいまなくなってるんです。
大画廊ばっかってことですか、会社でいうところの。
それが、これをこれで話すると面白いんですけど、
そういう画廊がね、
僕らのようなキュレーターと一緒に展覧会を組織するんですけど、
それも8億とか10億くらい使って、
大規模な展覧会をやるんですよ。
画廊は日本ですか、海外の方ですか。
ものすごく広いスペースも持ってんの。
リノベーションして。
ちゃんと借りるのよ。
たとえばオルセーからも借りるし、ルーブルからも借りるし。
54:01
でも単純に普通に考えたら、
画廊っていう作品を自分のものを売るところじゃないですか。
展覧会を開いてる。
今、展覧会を開いてるんですよ。
それがヨーロッパもアメリカもものすごく今増えてて、
皆さん、誰だって見に行けんだけど、
一般の人もですか。
もちろん見に行く。
普通にパブリックにオープンしてるんだけど、
入場料が無料なんですよ。
美術館行くよりそっち行ったほうがいいってことですよね。
つまりニューヨークはね、
もし皆さんがニューヨークの近代美術館とかね、
メトロポリタンに行こうと思うと、
1館あたり25ドル払わなきゃいけないんですよ。
そうですよね。結構値段してるんですよね。
メトロポリタンも2年前までは、
メトロ行くとね、
どこでチケット買ったらいいんだろうっていうときに
一度書いてあって、up to youって言って、
もうあなた次第。
だから1ドルでもいいし、別に100ドル払ってもいいし。
1ドル払ってもいいし、
ただでも入れたんだけど、
今一律25ドルになったのね。
ヨーロッパは、
イギリスでね、28ポンドなんてだいたい3000円。
だから全然日本より高いんですね。
なんか日本の展覧会1500円で高い高いってみんな言うけど、
もう今そんなレベルじゃないと思うんですよね。
そうそうね。
今ちょっと円高なんであれなんだけど、
まあ日銭、限りなく3000円近いわけね。
ともかく型や商業画廊がやってる展覧会は、
結構な内容なんだけど、
ただなんですよ。
しかもキュレーターさんがやってるわけですもんね。
もちろんキュレーターを立てるわけ。
で、そういう傾向が一つと、
それからその後ね、
アートフェアっていうのがあるのね。
アートフェアの前に1個だけ質問いいですか。
その展覧会やって、
画廊は何を、だってお金儲かんないじゃないですか。
画廊はそれだけ集めて、
どういう仕掛けかというと、
出品してる作品のうちね、
特にプライベートの人からも借りてるんですけど、
プライベートの人が売りたいんですよ。
本当は。
本当じゃなくて、
売りたいんだけど、
展覧会にも出しても構わない。
展覧会終わった後に、
3、4点売ると、
さっき言ったように1個の展覧会がだいたい14くらいかかるんだけど、
軽く40くらいで売れるので、
展覧会をやったことによってってことですか。
いやいや。
やったことによってっていうか、
実際にそれをそこで別に売買するわけじゃないんだけど、
それを売買することで、
むしろお釣りが来るんですよね。
元が取れちゃうんですね。
お釣りが来る上に、
企業イメージが上がるよね。
パブリックサービスしてるわけですからね。
つまりモマよりパブリックサービスしてるわけで、
それが今どれくらいかな。
ちょっと正確に言えないけど、
おそらく10か15くらいの画廊にも今集約されようとしてるんでね。
57:02
統合してってるんですか、ちっちゃいのが。
もう僕の知ってる画廊、ほとんど店畳んでるもんね。
へえ、それ今アメリカとかヨーロッパで起きてる?
うん。
日本はまだそんなあんまなってないですよね。
近いうちにですか。
時間の問題かなというのはありますね。
じゃあ今だから僕ら展覧会高い高いって言ってる人もいるじゃないですか。
もしかしたら今後ちょっとギャラリーで
それくらい展覧会が見れる日が来るってことですか。
かもしれないってことですか。
日本で見れるかどうか分かんないけど、
今少なくともヨーロッパとかアメリカで
例えばタイムアウトとかいう情報紙があったりするんだけど、
あれ情報紙はちゃんと見てると記事と出てるんでね。
そういう展覧会を見てればというか。
例えばヨーロッパでイギリスが28ポンドって言ったけど、
依然としてはコレクションは無料なんですよ。
企画展。
展覧会企画展やってるんでね。
それを見ようと思うと、
例えば3本くらい平気でやってるんで向こうは。
1個あたり28、28、28払わなきゃいけない。
確かに。
でもそうやっていったら逆に美術館企画展やんなくなるんじゃないですか今後。
だってみんな見なくないですか。わざわざ3000払って。
位置というか価値というか、どういう立ち位置で今向こうに向かってるんですか。
皆さんもご存知だと思いますけどね。
ヨーロッパとかアメリカの美術館と日本の美術館の一番の大きな違いはね、
僕らもそうだけど、コレクション見に行くよね。
ルーブル美術館にルーブル美術館が今どんな展覧会してるだろうなんて
誰も調べないよねほとんど。
とにかくモナリザ行こうと。
日本、残念ながらね、日本でももちろんそういう美術館はもうなくはないんだけど、
例えばネズ美術館に降臨の柿つばたるに行こうとか。
っていうのはあるっちゃあるんだけど、全然量が違う。
だってルーブルで今39万点コレクション持ってるし、
テイトーでも19万点持ってるんで。
だからとにかくそのコレクションが最大の武器なんですよね。
向こうがあって。
で、そのコレクションを使ったような新しい展開が、
例えばルーブルがね、アブダビにルーブル作っちゃった。
で、アブダビにタイを貸すんですけど、
もう何千億いって入ってくるの。
それだけでってことですか。
それで新しいウィング作ったりしてるので、
だからその企画展をやって儲からない儲からないの、そういうような話ではないのね。
ギャラリーとは集約が全然別なんですよね。
全然違うんですね。
もっと言うと去年森美術館にニューヨークの近代美術館の館長が来たときに、
もうおそらく早ければ10年、遅くとも20年ぐらいの間に
もうコレクションをやめるっていう話がある。
ニューヨーク側ですか。
近代美術館側。
それはニューヨークの近代美術館だけじゃなくてね。
1:00:00
さっきも言ったけど、とにかく大体10万点以上みんなコレクション持ってるわけですよ。
例えば日本にも来たけど、バーベルの塔。
ボーイマンス。
ボーイマンスね。
ボーイマンスはやっぱり20万点ぐらい持ってんのね。
ボーイマンスは今度デポって言って、ものすごく面白い修造工の建物今建設中で
ちょっといろんな理由があって遅れてんだけど、
それは20万点近く作品持ってんだけど、
なんか全部見せられないのね。
当たり前だけど。
修造工にしまってるから。
今度できる修造工は皆さん入れるんですよ。
修造工なのに。
入ってガラガラっと開けると。
レール引っ張ると。
そういう視覚因数。
かかってるやつが見れるんですか。
それ一般のお客さんが見ていいと思うんですよ。
多分いろいろセキュリティーは入るかもしれないけど、
それは今ロンドンのビクトリー&アルバートの新館を作ろうとしてるんだけど、
そこも基本的にアーカイブとか作品が見れるっていう風なことにしてるのね。
そのメリットは何なんですか、その見せることに。
だってたくさんのコレクション持ってて、
一つの美術館だったらなかなか見せられないのを、
他の場所使ってどんどん見せられるでしょ。
それやっぱり有料になるんですか。
もちろん。
なるほど。
それは、例えば去年僕、韓国の国立現代美術館。
国立現代美術館って韓国今1,2,3,4つあるの。
もともとはソウルの市内というかちょっと離れた公園にあったのが最初なんで、
2つ目が市内の病院跡をリノベーションして作ったのね。
もう1つ、他3つもちょっと忘れたけど、
ソウルから電車で1時間ちょっとぐらいのところに、
青州っていって、チョン州っていうところがあってね。
そこに現代美術館の施設があってね。
そこは収蔵庫と、それからすべてのジャンルの、つまり絵画、彫刻から版画から紙の作品。
古史とか古いね。
日本で言うと日本画みたいなもんですけど。
それからメディアート。
それから材料の分析とかいう、すごい施設ができたの。
それはもうナムジンパイクみたいな、メディアートみたいな作品も修復できるようなね。
そこの収蔵庫がトランスフェアレンシーって言って、外から見えるんです。
それからもう一つは、まるで収蔵庫に収蔵してる風な展示をした展示室があるの。
もうできてるんですか?
もうできてるの。
だから世界中の傾向はコレクション、つまり秘めて、昔は誰にも見せない。
1:03:04
守ってたわけよ。
それをどんどん改進するようになってんの。
日本もね、九州に国立博物館があったりするんだけど。
あるっちゃあるんだけど、窓の奥からちょっと見るとかね。
いうぐらいで、とにかくもっと本格的にコレクションを見せていくっていう風なことに今シフトしてるんですよ。
日本はでもまだそこになりそうなところもないですか?
ちょっと残念ながらなってないんだけど。
それでね、何が言いたかったかというと、マーケットの話をしたんですけど、
つまり小道土作業に商業画廊が大きな展覧会もするし、
それからアートフェアというのもこれぐらいの距離だっていう、つまり規模がものすごく飛大化してて、
つまりそういうアートフェアに行けば最新の現代美術がもうそこで分かっちゃうんだ。
なるほど、なるほど。
つまりあえて莫大なお金を使って国際展をやって、最新の美術作品を集めるっていうことの意味が
それほど強くなくなってきたんですよ。
昔と比べるとっていう。
そうするとね、ドクメンタもそうですし、その他の国際展の一部は
どっちかというといろいろ調査をして古い作品も出してきて、
それが今とどんな関係があるかという風な、単なる新しいトレンディな作品を見せるっていうよりは
もうちょっと組み立てていくような展覧会にシフトしてるっていうところもあってね。
だから二極化してるっていうのがあるんですよ。
なるほど、なるほど。
それが変わってきちゃってはいるんですね。
だからスタッフの話に戻ると、できたらそういう予算もすごくかかるっていうこともあるんだけど、
世界中から有名な作家を持ってくると。
むしろリサーチしたりとか、もう一つはコレクションも使ったりとかいう風な内容にはしたんですけど。
そうですね、参加アーティストの中にそれこそ三木氏さんと小太郎さんとか神田日照とか、
だからもう物個作家もあったってことなんですね。
それと現代美術と組み合わせるっていうことと、
あとはもう一つは、どちらかというと一回目、二回目も
札幌の国際芸術祭って札幌市が主祭なのね。
だから道じゃない。
だから横浜で言うと横浜市がやってる横浜鳥居のあれは神奈川県とは別なのね。
だけど主会場として、北海道立近代美術館とか三石小太郎美術館って今までも会場としては使ってきたんですけど、
歌詞会場だったんですよ。
はい、はい、はい。
借りてやったのね。
そうするとちゃんと関係がいいんだけど、関係があんまり関係がないっていう。
それはちょっと嫌だったので、仕事をするにあたってね、
1:06:00
学芸の人を出してもらいたいっていうので、
地元の学芸の人と一緒に仕事をするっていうのがしたかったんですよ。
なるほど、なるほど。
そういうチームになりたいっていうのはありがたかったんですけど、かつての同僚なんですけどね。
だからそれが実現すればよかったですよね、そこは。
それはね、自分で言うのもなんですけどね、素晴らしい天羅会だったんですよ。
いやもう残念、でも伝説の天羅会になる、これはじゃあ。
ピースサインをされても、ラジオで伝わらないんですけど。
いやでも惜しかったですけども。
まあちょっとその話も含めてですけど、ちょっと一旦ね、3回目をこれで。
ちょっともういっぱいお話いただいたんですが。
そうですね、僕もああ聞いたって思いました。
はい、ということで。
昼間ビールを飲むなんて、よう喋ってるな。
思いますよね、本当に。
すいません、気が利かなくて。
ちょっとビールを今度用意しておけばよかったですけども。
まあ今回はちょっとこの3回目ということで。
じゃあでも。
次回はですね、天羅さんって何者なのかというパーソナリティの部分についてお聞きしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。