00:06
はい、みなさんこんにちは。さらばラバウルカンパニーです。はい。
今日はですね、昨日、お騒がせしました。 私のおばあちゃんが施設からもう出てってくださいと言われた問題ですけれども、
今朝ね、母の方に電話ありまして、ケアマネージャーさんから、
母はね、手続きだけ今日済ませてくれれば施設の移動はこっちでやりますということで、
無事ね、なんとかそういう方向でまとまりそうで、無事計画通り旅行に行けそうです。
よかった。はい、よかったですね。
加藤先生の言うところの、そっちでやってくださいっていう、電話で、向こうでそっちで話してもらった方がスムーズですよね。
下手に介在しない方がいいと思うんですけど、そういうことになったそうです。
よかったでーす。はい。
そう、そして、今ね、手元にあるのは、私のおじいさんについての本なんですけど、
私のおじいさん、55歳で亡くなってしまったので、その時、お仲間の皆さんがとても驚いたり悲しんだりして、
本を書いてくれてます。
で、おじいさんはね、理系だったんですよね。
で、最後は北大の博士課程を出てですね、
最初、
帯広中学出て、小樽にちょっと転校してですね、
で、陸軍士官学校入って、陸軍士官学校の航空学校に入って、
中国戦線に、戦線、中国戦線というかね、中国のまあ、多分満州の方に行って、訓練してたんですよね、特攻の。
ただ特攻する前に戦争が終わり、
思いをね、果たさぬまま帰ってきたんですよね。
その後、北大の理系のところに入り直して、博士課程まで通り、
無機化学についての研究をして、
その室蘭にある製鉄所でですね、働いておりました。
なので、その製鉄所の仲間とかが、
後輩の指導とかもかなりしていたようで、
後輩の皆さんからのメッセージとかがすごい寄せられた本があります。
03:02
この本に、
加藤先生が今ハマっている原稿の話がありまして、
私のおじいさんも原稿のことを読んでいました。
それは終戦でですね、私のおじいさんが
帰ってきて中国から、その時立ち寄ったのが博多なんですね。
その時の歌を、私のおじいさんのお母さん、ひいおばあさんがですね、
先に息子が亡くなってしまったんですけど、この本にその時来た歌を書いてます。
まずちょっと歌の前に、
私のおじいさんがひいおばあさんに送ったお手紙の文面があるので読んでみます。
肉に燃ゆる春秋の心あり。
満々たる党史。
身体あり。
しかして大勢いかんともなりがたし。
すいません、間違えた。
しかして大勢いかんともなりがたし。
血類をのみて故郷に帰らんとす。
遅くも九月十日までに帰宅しゅうべし。
早ければ八月末日。
われ今博多にあり。
明朝宗部代におもむかんとす。
父母上健在たるを信ず。
将来に関しては百姓にでもなりて三中に一生過ごさんとす。
よろしく準備を願いあげます。
我が今日中再会の上。
で、二つ歌を読んでいます。
一つ目。
博多湾東。
原稿のいにしえをしのび。
血類新たなり。
八月二十五日の歌です。
もう一つ。
肉に燃ゆるものあり。
しかして冷静。
御安心をこう。
九月五日ですね。
この一つ目の博多湾東。
原稿のいにしえをしのび。
血類新たなりというのは、
博多のですね、
多分湾東だから博多湾を望みながら、
原稿がね、ここであったんだなーっていうのを思って、
血類、
血の涙ですよね。
がまた出てくるなーということですね。
まあ戦争に負けてね、
なんかこう、思いを果たせなかったような感じが残ってますね。
もう一つは、
肉に燃ゆるものあり。
しかして冷静。
御安心をこう。
ということで、
06:00
まあ、
闘志はあるっていうか、
戦いたいんだけど、
なんか悔しさがすごいあるんだけど、
でも冷静なので安心してくださいということですかね。
そういうことらしいです。
でね、なんかね、
みんなおじいさんのこといろいろ立派に書いてくれるんですけど、
おじいさんの自分の話はなんかもうちょっと、
なんか面白いコミカルなところもある。
このおじいさんの子供時代ですけど、
夏休みも終わり、
等価親しむ季節になりましたが、
僕は小学校を通じ夏休みの終わった翌日から、
正確に学校に出席したことは一度もない。
理由は夏休み中の宿題にある。
海岸に育ったため夏休みは、
雨が降ろうが風が吹こうが、
毎日朝早くから夕方遅くまで泳ぎに行くので、
勉強する暇がないのと、
将来の怠け心とで休みの終わりの日になっても、
宿題は出来上がっていない。
このため先生に会うのが怖いから、
頭やお腹が痛いと言って休む。
親も最初は本当にしたが、
3、4年になるともう本当にしなくなる。
それでも座り込んで動かない。
2、3日休むと必ず受け持ちの老先生が迎えに来てくれる。
もちろん夏休みの宿題は長消しで、
そのまま出さないで済ましてしまう。
6年生になって受け持ちの先生が後退になり、
その上中学校の入学試験も迫ったため、
夏休み中1週間ごとに先生の自宅に出向いて、
宿題の進行状況の点検を受けたり、
質問したりしなければならなくなった。
しかも先生は今までの老先生より
はるかに厳しい若い先生に変わっている。
渋々宿題をやり、どうやら第3週までは無事通過したが、
その後は続かず、
第2学期の1日目は例年の通り休むことにした。
先生が変わっていたので、
うまくいくかどうかわからない。
心配しながら先生のお出を待っていたが現れず、
友達が先生からの手紙を持ってきた。
それには宿題は良いから休まずに出席しなさい。
と書かれていた。
僕は悠々と投稿した。
きっと優しかった老先生が申し送り事項の端に
僕のことを書いてくださったのだろう。
僕たちの子供の頃は先生も親ものんびりしたもの。
僕は自分の子供にはのんびりした夏休みを
過ごさせてやろうと思っている。
昭和37年10月1日。
鋼の友。
鉄工業界の雑誌に書いてある。
だからね、私のおじいさんは実はね、
子供時代は夏休みの宿題をね、
溜め込んだ挙句、
帳消しにしてもらっていたっていうね。
そういうエピソードもあるみたいです。
すごいね。
09:00
いつから真面目になったんだろう。
よくわかんないですけど。
はい。
なんかそれはね、私にも映っているようで。
なんかよく小学校はね、
小4ぐらいのときなんかよくサボってましたね。
なんか急に学校に行きたくなくなってね。
そんなことはもしかしたらあるのかもしれない。
そう思いました。
はい、そんな感じです。
ありがとうございました。
ありがとうございました。