1. 拝啓、3000年の人類へ
  2. #31 思い出の場所に帰りたい人..
2022-08-30 21:16

#31 思い出の場所に帰りたい人たち

Anchor 8月のトークテーマ回です


今週のキーワード

どうやってトークテーマを曲解するか/3テーマを含むエピソードを話す/おじいちゃんは鬼軍曹/初めて学問と向き合う我が孫/初めて知る、我が孫の愚かさ/祖父、初めての憤怒/おじいちゃんの家はもうない/居なくなった実感がない/記憶が人を構成している/記憶に生き続ける/まだ家にいるのでは?/母校/作文/始業式の朝/T字路での事故/無敵状態/その後の恐怖体験/思い出っていいよね/思い出の集合体が現在/死ぬ前にいい人生と思えるように今を生きるのは嫌い/今を全力で楽しめば、結果としていい人生になる

西暦3000年の人類に向けて、日々感じたことをゆるく垂れ流している二人。果たして、未来に届けることができるのか。

BGM素材:魔王魂

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00:02
拝啓、3000年の人類へ。私はこう考えます。
思い出の場所に帰りたい。
今回は、8月のアンカーさんからいただいた8月のトークテーマに沿って、お話ししていきたいと思っております。
アンカーさん、毎度3つのトークテーマですね、くださっておりまして、
今回も毎度おなじみ、どうやって下に構えようかと、どういうふうに曲解しようかというところで、
今回のやり方としては、3テーマいくと。
3テーマを含めたエピソードを話すと。
そうです。
なるほど。
そこで攻めたいというところで、今回、夏休みの宿題の思い出、私の恐怖体験、次に行ってみたい○○、
この3つを含むエピソードを話したいと思います。
夏休みの宿題の思い出というところを振り返ってみると、
僕はとにかく最終日、宿題は最終日の夜というか、もはや定日の朝みたいなタイプの人間でした。
家族はもうこいつはこれでしょうがないなという感じで割と許容してくれていたんですけれども、
そんな僕が母方の実家に行った時にですね、
すごいおじいちゃんとおばあちゃん、優しいおじいちゃんとおばあちゃんでいつも好きなものを作ってくれているという感じだったんですけれども、
その読書感想文だけ、文章を書くのってコンテンツとして楽しい部分もあるじゃないですか、大人からしたら。
だから楽しみながらおじいちゃんとやろうやみたいな。
おじいちゃんも今は優しいけれども、もともとは軍人みたいな感じで。
鬼子は鬼軍装みたいな。
鬼軍装みたいな感じで、だから文章をたしなむのいいみたいな感じの思想はあるような方で。
初めて学問と向き合う我が孫というところにおじいちゃん自身も向き合ったと。
そこで初めて知る孫の愚かさと。
愚かさ。
基本的には孫のかわいいところだけ見てるから、かわいいなって遊んでるところだけ見てるから良好な関係築けるんですが、
初めて子供が学問と向き合っている姿を見て絶望すると。
どういう風に?
なんでこんなものもできないの?
ちなみに読書感想文原稿用紙4枚とかやって、
原稿用紙半ページくらい実力を当時持っていたので、絶望しますと。
03:02
僕がだだこね出すから、祖父初めての怒りみたいな感じ。
唯一、僕3人兄弟で末っ子なんですが、
ちなみにいとこも合わせると、おじいちゃんからしたら孫は5人いて、初めてふんぬ。
ということで、僕自身恐怖体験をね、味わいましたと。
鬼軍装に宿題で絞られたと。
そうです。最終的には宿題はやらなかったんですけど。
やらなかったんかい。
それはやらなかったんですけど。
そんな恐怖体験があったんですが、そんな祖父も気づけばもう亡くなって10年とかかな、
経つような感じで、この話を話そうと思った時に、
やっぱり祖父の実家というか、いつも行ってたおじいちゃんの家に行きたいなと。
柱とかにね、僕の身長とか刻んでてみたいな。
でも残念ながらおじいちゃんの家は取り壊されてて、あるあるだと思うんですけど、
いつまでも置いてても仕方ないっていうところで。
でも割とその実感がないなっていうのを、ふとこの話をしようと思った時に思って。
今おじいちゃんも亡くなってとか言ったけれども、その実感も正直あんまりなくて。
結局思い出というか、記憶が人を構成していると思ってて。
僕が何か協議非決定するっていう時も、
たぶんおじいちゃんが僕に対して怒ったっていうことが一部影響をしているっていうのは絶対あって。
そういう意味では、やっぱりすごいありがちな話で重たい話かもしれないけど、
記憶に生き続けるなというか。
正直僕自身も、例えば今生きてる誰かの発言っていうのと、
今もう亡くなってしまったおじいちゃんの発言っていうのが同じ重さで存在してるし、
その二人の存在価値というか、僕の中にどれだけの比率を占めてるかっていうところで言うと、
割と生きてるか死んでるかってあんまり関係ないなっていうのを思いました。
だからそういう意味ですごいありがちなのかもしれないけど、
人の記憶に残るみたいなのはすごい大事というか、
大事というか、それは自分の自己満足の話ですけれども、
より多くの人にとっての価値のある発言というか言葉をかけれたり、
そういうのをこのラジオの中でもやっていけたらなっていうのを思いました。
で、結局次に行きたい○○っていうのは?
それはおじいちゃんの家。
06:00
おじいちゃんのあった…
行かないですよ。
行かない?
ないんで。だからそれはあくまで行きたいなんですよ。
あーなるほど。
だってこれは行くっていう話である必要はなくて、
思い出の中にあるあのおじいちゃんの家、あの瞬間に行きたいけど、それは行けないです。
まあでも行けないけど、もう行けてるんじゃないかなっていう記憶の中に行けてるんで。
っていう話でした。
生きると…あ、行くみたいなのかけたってことですか?それは。
全然かけてないですけど。
あーなるほどなるほど。
それが一応テーマトークの話でいくと。
すみません。最後ぐちゃぐちゃってなっちゃって申し訳ないです。
なるほどね。
確かに我々このご時世になって、多分人によっては身近な人の死っていうのを経験できずに過ぎ去ってしまった人たちもいるかなと思っていて、
そういった人たちっていうのは何となくまだ実家とかその人がかつて住んでいた生家にいるんじゃないかっていう、
なんか自分の心にも生きるようになったし、一方でその元々いた生家にまだ残留してるんじゃないかっていう、
なんかちょっと不思議なふわっとした感覚っていうのを持っている人はもしかしたらいるかなと思うんですけど、
そういった意味では一度会った場所に行って、その場で思い出をかみしめるっていうのも一つはいいのかなと思ってます。
やっぱり現実を受け止めるっていうところとその人の言葉を大事にするっていうのは両方あるのかなと思っていて、やってもいいのかなと思ったりしましたね。
確かに一つコンテンツとして自分自身に対するコンテンツとしてやってもいいのかなと思う一方で、わりとやらなくてもいいんじゃないかと思う。今の聞いて思って。
行かなくてもいいってこと?
行き続けてて、現実をかみしめないっていう、今僕その状態で、なんかわりといいんじゃないかなって。一生思い出の家は残ってるし、そこでおじいちゃんとおばあちゃんは、僕がおじいちゃんになってもおじいちゃんとおばあちゃんはいるっていう。
なるほどなるほど。限りなく現実と切り離した世界が向こうにあると。
そう。
自分の生活圏とは外れてるからこそできるあらわさというか。
確かに確かに。
妄想術というか。
行ってないだけっていう。
確かに確かに。
そういうおじいちゃんおばあちゃんの家とかっていう話で言うと、僕の話に入りますけど、次に行ってみたいところでしたっけ?次に行ってみたい○○ってことだったんですけど、やはりここ2,3年ですか、なかなか実家に帰る機会とか地元に帰る機会っていうのがだいぶなくなってるというところだったと思うんですけど、
毎回地元に帰ったりとか実家に帰って行くところっていうのはだいたい決まってるんですね。
まあ本当にさっきも言ったけどおじいちゃんおばあちゃんは僕まだ存命なのでおじいちゃんおばあちゃんの家に行ったりとか普通に実家に帰ったりとか友達の家に行くとかそういうところなんですけど、よくよく考えたら母校って呼ばれでもしない限り行かないなっていうのをふと思いました。
09:13
まあ家の近くに母校がないっていうのはもちろんですけど、なんかそういった意味で母校に1回帰って、俺ここで勉強してたんだっていう、なんか当時とやっぱり身長とか考え方も変わってるので、次に帰省したら母校の様子を見に行きたいなっていうのはちょっと思いました。
そんな中で夏のテーマが2つ上にあったと思うんですけど、夏の宿題の思い出でしたっけ?宿題の思い出と恐怖体験っていう話があって、それでそこにつながる話が1個あるんですけど、あれはどうだったかな?僕が中学生だったかな?高校生だったかな?
ちょっと記憶が最近早くなってきていて、あまりちょっと詳細には語れないんですけども、当時9月の修行式の日に全校生徒の前で学年代表で作文を読んでほしいという依頼が来ましたと。
で、それも一応宿題じゃないですか。その宿題をプラスで与えられて、作文を書いてきて、実際に見てもらって、音読練習したりっていうのをやったんですけど、修行式の朝ですね、いつもと勝手が違うわけですよ。そんな全校生徒の前に行って、作文読まなきゃいけないということは、もしかしたら朝先生とちょっと話をしないといけないかもしれないとか、当日の式ってどういうふうにやるんですか?みたいなのを聞かなきゃいけないかもしれないということで、
少し早めに30分かな、ちょっと早めに家を出たんですね。
できる中学生。
まあ、その時はそれなりにちゃんとやってたんで。もちろん今はちゃんとやってますけどね。その時なんですけど、当時僕は自転車通勤だったわけなんですね。
通学ね。
社会人になってるから通勤って言ってましたけど、はい通学ですね。ちょっと今物語に入ってたので、自然と出てきちゃったんですけども、僕が通学した時っていうのはだいたい4、5キロぐらい学校まで自転車を漕いで行ってたわけなんですよ。
で、いつもよりちょっと早めに朝家を出たというところと、頭の中が僕人前でそんな喋るっていうのは当時得意ではなかった。大勢の前で話すとめちゃくちゃ緊張するタイプだったので、そのことで頭がいっぱいだったわけですね。
で、そんな中自転車を学校に向かって漕いでいる時に、とあるT字路に差し掛かったわけなんですよ。
で、そのT字路っていうのは割と車通りの多い方なんですが、片道車線のT字路でして、そのT字路の右後ろって言ったらいいんですか、本当にTの字の下のブロック、右下のブロックって言ったらわかるかな、そこの部分にお墓がいっぱいあるところだったんですね。
で、もちろんT字路なのでミラーはついているわけなんですよ、T字路のところに。ミラーを確認して。
12:04
あっちゃんは下の方から行く?
そう、T字路の下の方から上の二股のところに向かって行くわけなんですけど、そこに向かって停車というか、止まれ止まるじゃないですか。
停まって、いないなと思って行こうとする瞬間、墓の方の右の道の方から車が来て、車とぶつかって軽く転んだという出来事がありました。
まず一つ恐怖体験ですよね。そもそも車が来ているのに気づかない、その原因がお墓の影に車が隠れていて見えなかったというところが恐怖体験なんですけど。
ラッキーなことにほぼ無傷の状態だったので、車も特に問題なかった記憶があるんですけど、本当は良くないんですよ。
今の時代では本当は良くないんですけど、ドライバーさんが出てきて、大丈夫なんで大丈夫なんでって言って、すぐに学校に向かうわけですね。
僕の頭の中では全校生徒の前で、僕は作文を読まなきゃいけないというプレッシャーと精神的な高ぶりがかっていて、アドレナリンが出ていたのがわかるんですけど。
車に軽くぶつかったということは全然無敵状態ではなきかなかったと。
で、学校に行くわけなんですね。
無事にそんなこともあったなという程度で、何事もなく僕はこっちをやり遂げなきゃダメだというところで、無事に作文を全校生徒の前で読み終えるというミッションをクリアしたというところがあったんですね。
ここで終われば一つ、途中で危ないこともあったねというところなんですけど、後日なんですけど、どこからともなく学校で先生に呼び出されたんですね。
当時、あっちゃんとは言われてないですよ。
担任の先生に、君、交通事故とかあってない?みたいなことを言われたわけですよ。
何日の日です?って言われて。
僕は先生に一言も言ってない。当時そんな大事になるとは思ってなくて言ってなかったし、もうちょっと忘れかけたくらいだったんですけど、そこからはいって言う風にバレていて、なんでなん?ってなったんですけど。
中学生からしたら怖いな。
怖いよね。いきなり呼び出されて、誰にもバレてない子にバレるわけですよ。
よくよく聞くと、そこの学区の中の学校にドライバーの方が心配になって電話をしていたということで、事故がバレたというところなんですけど、その事故がバレた。
あと、今度は現場検証なのか、実際に自転車を見てもらわなきゃいけないのかわからないですけど、自宅にパトカーが来まして、お巡りさんがパトカーに降りてきて、事故の状況を軽く説明するっていう、家の周りにパトカーが止まるという恐怖体験があったという。
15:05
家にパトカー持っとるじゃない。
という感じで、僕はその時に、家の周りにもちろん家があるので、近所の人はちょっと心配してるみたいな感じだったので、恐怖体験を覚えたわけなんですけど、そんな話があったという形ですね。
思い出の学校ということで。
そんな感じですね。ちょうど夏の出来事ですし、当時僕は運動部バリバリだったので、もう少し僕の特徴を挙げると、外の運動部だったので真っ黒焦げになってるわけですよ。
真っ黒焦げでスポーツ狩りしてる少年がそういったところをやってるとイメージしていただければ、もう少しリアリティーが出るのかなと思いますけど。
あとちなみに学校までめちゃくちゃ遠いんだよな。
そうね。交通手段としては一番楽なのは自転車っていう形でしたね。
自転車で30分とかですか?
自転車で、どのくらいだったかな。25分とか20分とか。そんなもんかな。
そんな感じの出来事がありました。
いいですね。
お墓の近くでそういうのがあったから、そういうものに引っ張られたんじゃないかっていうのも思いつくには思いつくじゃないですか。
でも僕自身、これまでの人生で一度も幽霊は見たことがないし、そこで霊体験に芽生えたみたいなのはないので、たまたまかなという形でいますけど。
焦らず、すぐに保険会社じゃなくて警察か。
警察とかやるべきなんですけど、僕はその時自分の大義名分。
いやいや、まあそうそう。じゃなくて、このエピソードから学ぶこととしては、やっぱり警察なんか隠せないので、すぐ警察に電話しましょうというのがこのエピソードの一番の学びかなと。
そうね。どれだけちゃんと一時停止して出ようとした時にも、もしかしたら直前に車が曲がってきている可能性もあるし、やっぱりこのご時世というか、ここ何年か見ていると横断歩道って本当は停車しないといけないんだけど止まらない車もいるので、交通ルールをちゃんと守りつつ、自分も何か起こった時にはすぐに電話をするというのを徹底してほしいですね。
なんかまとめはいりますか。
まとめはいりますかと言われると、まあでも思い出っていいよねっていう話でもしますか。
そうですね。思い出っていうのは何年経っても季節ごとに思い出すものとか、ことあるごとに思い出す幸せな記憶ってありますよね。
意外とこの歳になっても、たぶん二人とも自分の人生の半分より前の、今まで生きてきた人生の半分より前の話っていうのを、いまだにやっぱりいくつかは持ってて、なんやかんや。
18:02
で、やっぱり思い出の集合体が現在というか、僕らは構成しているわけで、ちょっと話飛んでいい?
はい。
死ぬ前に自分の人生振り返って、いい人生だったなって思うように生きてるみたいにさ、いう話ってよく聞くと思うんやけど、あの話は今のこの流れで言うと好きっていう話しそうやけど、嫌いで。
あの話嫌いで、そっちから見る必要僕ないと思ってて。
そっちからって何?
要はその未来目線で、現代の自分が未来の自分の目線で現代を見るっていう風にする必要ないと思ってて、現在の自分が一人称で見た世界の中で楽しい選択をすればいいんかなと思ってます。
で、例えば僕がおじいちゃんに怒られたっていう話で、全くもって未来の自分から自分を振り返って見ていない。ただただその時の意思決定で作文書きたくなかったし、で、おじいちゃんに怒られたしっていうのはあったし、それでよくて、それは他の楽しいことに関してもそれでいいと思ってて、とにかく全力で今を生きてると。
で、当時も生きてたと。それを未来になった今振り返ると結果として全力やったから、全力で自分の好きなことをして、だから僕は学校に作文を書けと言われても書きたくなかったから書かなかったし、で、その自分を今未来の自分から振り返るとかっこいいやん、俺って思うし。
だからその時々今この瞬間を全力で楽しく生きれば結果としていい人生なんじゃないかなっていう話で締まるかな。
目的と手段を間違えるなということですね。
そうですね。おっしゃる通り。
未来でこの人生良かったなって言いたいがために今を頑張るのではなく、そんなこと関係なく今頑張れやと。
素晴らしい。全て言ってくれてる。
僕らが死ぬより先にいる人たちにも聞いてもらっているということだと僕は思っているので、我々の生き様がちゃんと今の自分たちに即して生きようとしているという姿をこれからどんどん晒していきたいなと思いますので、ぜひぜひ西暦2100年、2500年、3000年の皆さんもぜひぜひ応援よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
そんなところですか。
はい。
ということで今回はアンカーさんの8月のトークテーマ3つをそれぞれが全てひっくるめた形でお話しさせていただきました。
皆さん楽しんでいただけましたらぜひぜひコメント等をお願いいたします。
21:00
はい、ということで今回のラジオは以上としたいと思います。
皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。
21:16

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