この手のね、話ね、やっぱり、
お前はどうなんだ、お前はどう思ってんだを、みんなが教えてほしいっていうか、
みんながどうじゃなくって、いやあなたが不快ならやめときます、あなたに対しては、と思うんですけど、
みんながどうって言われても知らんよって言うんですよね。
みんなで誰だよってなっちゃいますよね、それこそね。
そうやって、使われなくなったというよりは、使ってはいけなくなった言葉たちってことですよね。
に名前を付けるのか。
使ってはいけなくなった言葉たちか。
そうだね。
この番組は、身の回りのものや現象など、あらゆる対象の本質を探究し、
それにふさわしい名前を命名します。
さまざまな視点で対象を捉え直し、新たな発見を一緒に楽しんで参りましょう。
本日はどんな命名が誕生するのでしょうか。
こんにちは、カンタです。
こんにちは、植水由紀です。
今日も命題が来ておりますので、張り切って命名を生み出していきましょう。
はい。
それでは命題をお願いします。
命名
キャベツさんからの命題です。
自分から、私の進行方向に舞い降りたくせに、
まるで追い立てられるように被害者ずらして逃げ惑うハト。
勝手に舞い降りて勝手に逃げ惑ってるのに、なんでこっちが悪者みたいになってるの。
面白いですね。
キャベツさん、前ゲイチャーマッキーさんのお感想をくれていたりとか、
他の命題もいただいていましたよね。
面白い命題が多いですね。
面白い、面白い。
逃げ惑ってますよね、あいつら。
確かに。
確かにな。
しかも、なんかあれですよね。
飛び立っていけばいいのにみたいな。
離れればいいのにみたいな。
なんかすごい走って逃げ惑ってるから、なんなんだみたいになるときありますよね。
逃げ惑うっていうのは本当に適切な表現です。
確かにな。
ちょっとなんかね、それにイラついてるのいいですね。
なんでこっちが悪者みたいになってるのって、ちょっとイラついてますよね。
確かにね、なんかハトを追い立てた人みたいに、勝手にさせられてですね。
なる、なる、なる。
こっちはじっとせるのにさ、みたいなのありますよね。
でもこういうことありますよね、人間関係でもね。
あるある。
なんか、子供がふざけて、なんていうんですか、戦いごっこみたいな感じで挑んできて、
何にもしてないんだけど、なんか自分でこけて泣いてるみたいな。
で、パパひどいみたいになるんだけど、いやいや何もしてないからみたいな。
自業自得でしょっていう話なんですけど。
そういうのにも同じような感じですよね。
うーん。
まあでも、これのちょっとジャークバージョンでいくとあれですよね。
SNSとかで、なんかわざわざ絡みに行って、批判するんだ、批判とかやっぱり雑言を浴びせて、それを引用されて、なんかこう批判されると、さらされたひどいみたいになる人いるじゃないですか。
あー、いますね。
うん。あれも似た感じですよね。
そうね。勝手に前に降りて勝手に見るんですよね。勝手に逃げ惑ってる。
何なら怒ってるみたいな。
ネガティブなリプとかって本当勝手に前に降りてる系ですね。
そうそう。クソリプですね。
ポジティブなやつとかだとね、何か言った人がプラスの気持ちになれる、なんかね、アプローチな気がするけど、わざわざ直接無関係の人が言うっていう、すごいよね。
鳩感あるね。
で、なんかね、別にそれで批判され返しても、まあ議論になるならいいんですけど、なんかさらされたひどいみたいになるじゃないですか。
被害者面してね、逃げ惑う鳩ですよ。
嘘、被害者面してんじゃねえよ。
勝手に前に降りてきて相手したらなんでこっちが悪者になってんのみたいなやつ。
これは自然界で自然に起こってることなのかな。
勝手に前に降りて被害者面するみたいなムーブって。
あとね、やっぱり鳩の側もちょっと舐めてるとこあると思うんですよ。
ここで前に降りてもやられねえみたいなとこあると思うんですよね。
本当にそこで、肉食獣だったら、前に降りた瞬間に本当に捕まえて食べるみたいなこともあり得るわけじゃないですか。
大丈夫ってちょっと舐めてるのに、向かってきたらビビって逃げるみたいな。
それもさっきのクソリップの行動と結構似てますよね。
確かに。
鳩を追い立ててる人とかいるじゃないですか、パーンと脅かす人。
うんうん。
あれ見てると鳩一斉に飛ぶじゃないですか、パーンって。
本当は逃げ惑わなくて逃げれるみたいな。
確かに。
あの時にうろたえてるんだったらわかるけど、うろたえてないもんね。一斉に飛び立つじゃないですか。
うん、確かに。
だから本当の危機じゃないんですよね。
ねえねえねえ。被害者ずらしてやっぱなんかちょっとやってるような。
そうそうそうそう。やってんなこいつ感ありますよね。
確かにね。
そうなんですよ。逃げたいなら一瞬で逃げれるんですよ、こいつら。
うんうんうん。
なんかだんだん鳩が肉らしく思えてきた。
わざとやってる。
煽ってますね、これ。
うん、煽り、煽りですね。
煽りですよ、これ。
煽り鳩。
煽り鳩。煽り鳩。煽り鳩ですよ。いいじゃないですか。電車バトル的な感じでね。煽り鳩。
いいと思う。
それでいきましょう。
はい。
あとなんだろう、メイメイの中でたまに思いつくけど言わないようにしてる系とかだと、
あの戦争系のアナロジーとかなんとか地雷。
地雷とか爆弾とか。
地雷言っちゃいますよね、でもね。
結構ね、言っちゃうな。
地雷とか爆弾とかね、そっち系は思いついちゃうけど、
なんかあんま言わない方がいいなと思って。
分かる。言ってね、これどうかなってなりますよね。
特にね、最近どんどん戦争が増えてきてる。
そうそうそう。
今、なんか生々しくなっちゃいますよね。
そうそうそう。
でもなんか、地雷みたいな表現を日常会話でするときって、
地雷の構造と同じようなことっていうことの構造だけ抜き取ってるじゃないですか。
本当の地雷というものの悲惨さみたいなこと、
そこのコンテクストじゃなくて、無視して、
そこの見えないような、見えない感じで仕掛けられていて、
踏むと被害を受けるみたいな。
そこの構造だけ抜き取って別のシチュエーションに当てはめてるから、
割と使いやすいんですよね。
使いやすいけど、確かにその本物の地雷の話をそんな軽く扱っていいのかみたいな価値観の中で、
良くないからやめとこうみたいになるみたいなのがやっぱりありますよね。
でもそれを厳密にやっていくと、
結構熟語の中で戦から来てるものとかってあるじゃないですか。
それこそ戦略とかそうじゃないですか。
どこまでOKでどこまでNGかってね、線引きむずいですよね。
僕はあんまり個人の感覚としては、社会無視してね、
個人の感覚としてはあんまり言葉に罪はないって思っちゃうタイプで、
それはどう運用されてるかとどう受け取るかの問題だろうって、
包丁とかに近くてどう使うかだろうって思っちゃうんだけど、
社会がそうじゃなくなってきてますよね。
言葉と包丁の違いって、刺してなくても傷つく人いるじゃないですか。
包丁はやっぱり刺さないと傷つかないけど、
受け取り手側で傷ついちゃったりするから、
対面のコミュニケーションで相手のことを知ってれば、
相手との共有しているものの中で、
ちょっと過激な表現しても傷つかないとか大丈夫みたいな時には普通に言いますけど、
こういう配信とかして誰が聞いてるか分からないとやっぱり気使いますよね。
そう、だから誰もが簡単に世界に発信できる時代において、
何の言葉を選ぶのかってめちゃくちゃ難しい問題ですよね。
何を選ぼうが誰か傷つくみたいなとこあるじゃないですか。
だから、自分でどこに線引くかみたいな、
自分の線引きの問題だなぁと思いますけどね、最終的には。
全部、全方位に気をつけて何も言ってないみたいな状態にムカつくこともありますからね。
そうそうそうそう。
そうなんですよね。
何も引き受ける気がない人みたいになりますからね。
引き受ける覚悟ですよね、結局ね。
地雷っていう表現を例えばしてる人がいても僕は不快にはならないんですよ。
構造を抜き取ったアナロジーとして言ってるだけで、
本当の地雷とか地雷による被害を別に軽視してるわけじゃないっていう、
そこに意図がないと僕は思うから、
全然不快にはならないんですけど、
不快になる人もいることは知っているし、
確かに不謹慎だよねって言われた時にあんまり反論の余地もないから、
極力こういう配信とかで残るところでは使わないようにとは思ってはいるんですけど、
その配慮をするかしないかって自分の選択じゃないですか。
そこで嫌な人とか怒る人がいても、
使うって自分で結果を引き受ける覚悟を持って使う分にはいいんじゃないかと思います。
それが本当に何だろう、
使われなくなった言葉たちの中で、
例えば基地街みたいな言葉とか昔は普通に使ってたじゃないですか。
歌の歌詞とかでも出てくるぐらい普通に使ってたじゃないですか。
でも今はさすがに誰も使わないけど、
それを覚悟を持って使う人がいたら、
それはそれでいいんじゃないと思うんですよね。
そうですね、確かにね。
僕は近づかないけどみたいな。
たぶんね。
基地街って元々そういう、
基地街って言葉があるんですかね。
それとも何か気が狂っているみたいなのを、
基地街って言えるみたいな。
そう、たぶんそっちだと思いますよ。
気が違ってるのを基地街だと思う。
増語みたいになってそれがどんどん差別的な意味合いを持ってってことか。
元々精神疾患のある人とかに対する、
コミュニティから排除すべき対象であるみたいなのは
昔からたぶんあるから、
最初から差別的なニュアンスはあったと思うんですけど。
ただ名前を変えてマイルドにしたからいいのかっていうと、
そこに差別意識があって使ってたら結局一緒やんとか思うんで。
僕、あんまり好きじゃない表現が、
例えば障害者の話をするときに、
障害の害をひらがなにするみたいなやつ。
好きじゃないっていうかもう嫌いで、
障害者に害っていう有事があると、
その人が社会にとって害だみたいなふうな取られ方をするからみたいなのが、
たぶんひらがなに開くときの最初の理由だったと思うんですけど、
じゃあ障害の障は触るっていう字やけどいいかいみたいな話とか。
障害って、
その本人が障害なんじゃなくて、
その本人にとって世界に障害があるって話。
そこをその人を害じゃないとかっていう、
僕からするとよくわからない理屈で、
社会の側である障害を隠蔽するの逆に良くないだろうとか思ってて。
確かにそう思う。
障害の話をするときには触る害っていう漢字を使うみたいな、
自分なりにそこはポリシーを持っていて、
それで誰かに今どきそんなひどい表現をするなんて言って、
たとえ批判されたとしても、
今みたいに僕はこういう意味でこう使っていて、
それによって傷ついたんだごめんねだけど、
自分はそのスタンス変えるつもりないんで嫌なら離れてくださいねっていう、
スタンスは持っておこうみたいな感じで言葉は考えてます。
それと同じかかないと、僕がよくやっているのは、
きちがいみたいなのだと急にラベル感があるけど、
でも僕から見てその対象が別に精神的ななんとかとかじゃないんでしょ?
何か到底理解不能であるみたいなことを指すときに、
気が狂っているみたいな感じで固定されてから、
説明的にすることによって、
要はきちがいみたいなことを言ってるんだけど、
きちがいってワードだとまたそういった今のね、
いろんな意味合い、違う意味合いになってくるから、
そうではなくて、僕から見てちょっと気が狂っているように感じますがっていうときに、
開いて言うみたいなことはある。説明的に。
頭がおかしいように僕からは見えるという意味で言うことはある。
ラベルとして貼るというよりは、僕から観測してそのように見えるというときに、
ラベルを使うんじゃなくて、文章的に説明するという形で言うようにはしていますね。
頭がおかしいのかもしれないみたいなことは言うようにしてますね。
それで怒られてもしょうがないと思ってる。
そう、なんかあるじゃないですか。自分からするとどう考えてもそうはならんやろみたいなことを
言ったり考えたりしたりする人を表したいときってやっぱあるじゃないですか。
あるある。
で、最近頭がおかしい、あたおかみたいな言い方したりするのもよく見かけるんですけど、
それもまあアウトっちゃアウトじゃないですか。さっきのきちがいと同じ理論って。
あたおかになった瞬間、急にそういう属性があるみたいになるじゃないですか。
メイメイのやってることの良くないバージョンですよね。
ラベルを作ることによって、こういうカテゴリーの人はもうあたおかの箱に入れちゃおうみたいになるから。
だからその箱に入れるのはやっぱ違うと思うんですよ。
でもなんかみんな箱をリニューアルしたがりますよね。
たしかに。
だからきちがいはダメだからあたおかみたいに。あたおかも赤いんやろみたいな。
一生のことですよね。きちがいと同じっていうやってることはみたいな。
で、それがまたやっぱダメってなったらまた別のラベルを作るんだと思うんですけど、
ずっと箱だけ変えてるみたいな。箱やめようよみたいな話ですよね、そもそもね。
そうですね。
そうなんだよな。
なんか自分の価値観の変化によって自分が使わなくなった言葉みたいなのは別にいいと思うんですけど、
今どきの価値観、これは言っちゃいけないみたいな。
結局箱問題にする風潮は僕あんま好きじゃないですね。
箱の問題じゃなくてそこの意識の問題やんとかね。
障害者差別があるみたいなときに、
障害っていう表記の問題じゃなくて差別をするということが問題なのに、
なんか表記のところで価値忠実とかフラットっぽくするみたいなことで、
なんかすごいごまかしてるような感覚はやっぱ思っちゃいますね。
実際そうですよね。それが生まれている構造だとかその環境みたいなのは変わってないのに、
名前だけ変えてなかったことにしようとしてる感じがありますよね。
一方でそういう表現で傷つくからやめてくださいって当事者が言っているのであれば、
確かにそこは尊重すべきだと思うから、
でも当事者って言ってもそれぞれ当事者の中でも意見違うわけで、
当事者を代表する意見なんて誰も持てないわけだから、
そうすると、傷つくと言った人がいたらそれはNGみたいに、
なんかそういう極端な方向に触れない限りは、
みんなが納得するものってなかなか作れなくなりますよね。
すごい難しい問題だなって思うから。
そうでもなんかやっぱりそのラッピングだけ変えていいことした気になってるのにすごいよく嫌なんですよね。
むかついちゃうんですよね。
漢字を平仮名にしただけじゃないかってね。何をしてるんだって。何も状況変わっとらんぞと。
そうそう、状況変えろって思う。
まあでも言葉が変わることで認識が変わるみたいなことも起きなくはないと思うから、
だから全部は否定しないんだけど、なんかやっぱ本質じゃない中は感じちゃいますよね。
何なんだろうな。価値観のアップデートにより使われなくなった言葉たち。
ちょっと引っ張っちゃうけど、禁止されていく感じがやっぱり嫌なんだろうなって思った。
捨てる、捨たれるのは、それは使われなくなったから捨たれていくって。
あ、そんな言葉もあったね。もう今誰も使わないねは全然いいかなって思うんですけど、
なんかこれ使うの良くないよねみたいな感じでみんなで急に禁止し始める感じは、
あんまり僕も好きじゃないなって今思いましたね。
それによって傷つく当事者に自分がリアリティがあると、
なんかやめとこって自分の判断として思うんですけど、
嫌な人いるからやめようよ、それが道徳だよねみたいに言われると、
うるせえって思っちゃいがちですね。
でもある程度そこにフォローしさがっておかないと、
単純に非常識な人になっちゃうから、社会の中であんまり良くない、損は多いから。
一旦みんながそうだってことになっているものに関して、
自分の意思がなければ従うけど、意思があるところは断固拒否みたいな感じですね。
さっきの障害とかは割と多くが意思を持って抗っているみたいなところがあるんですけど、
じゃあそのキチガイって言葉を使わないとかは、それは使わない方がいいよねって思うみたいな感じだし、
地雷っていう表現も確かに自分的にも多分あんまり公の場で使うのがいいなって思うから、
使うべきだっていうことに特に意見がないから、いっかみたいになるみたいな、そこの差はありますね。
あとなんかその、例えばさっきの地雷表現とかもそうなんですけど、
そういうのを見たときに遅れてる人みたいな評価をする人いるじゃないですか。
今どっきり。あれが僕すごい嫌なんですよね。
確かに、そういう見方を、一つの例えば軸、そういう人権みたいなものの中で、
それを尊重するという軸の中で見たときに、進歩と捉えれるという観点はわかるんですけど、
一つの軸での進歩みたいなものっていうのを信じる、進歩主義的なものが、
過去にいろんな不幸を生んできてるわけじゃないですか。
でもなんか、そのときそのときはみんな進歩するために、
植民地主義だってね、世界を進歩主義的な価値観のもとに進歩させてあげるんだみたいなことを本気で信じた人はそこそこいるわけじゃないですか。
その延長線上に何か良いこと進歩だっていうのを無批判に受け、
内面化しているのも結構危なくないかみたいなのは見てて思いますね。
そうね。進歩っていう言葉嫌いですね、僕は。
うん、絶対嫌いですね。
変化でしかないだろうって思いますね。
そうそうそう。進んでるか後退してるかはね、どっちが前かの決めの問題だから。
変わってはいると思うけど、みたいな。
僕も進歩って言葉を使うの嫌ですね。
むしろそれこそこの価値観のアップデートによって使われなくなるべきだと思うけど、未だに使われてますよね。
そうね。個人のね、自分の中の進歩みたいなことを言う分には、その人の中でそれが前に進んでるってことで進歩でいいけど、
集団のこととか社会のこととかでそれを使うのが危ういなと思うんですよね。
で、まあ進歩と言わなくても遅れてるみたいな言い方も。
結局その進歩主義的な、どっちかが進行方向があって前と後ろっていうのを決めてる時点で、
正しさみたいなものの普遍性をすごく前提としてるじゃないですか。
すごい嫌だなって思います。
でもまあなんか、今時そんなこと言っちゃうんだみたいに思うことも自分もあるから、
完全にフラットかって言われるとそうでもないけどっていうのが悩ましいですけどね。
そうですね。絶妙な言葉を聞いてヒヤヒヤはしますよね。
大丈夫?大丈夫?って。
まあでもその変化に適応できてないっていう意味なのかな、でもそれは。
そっちな気がする。遅れてるなって感じじゃないと思う。
変化がもう変わっちゃってるからそれは危険な言葉だぞみたいな。
しかも覚悟して言ってるようには見えんぞみたいな時とかに。
真冬に半袖で歩いてるみたいな感じですよね。見え方としてね。
そうですね。しかも冬ってことも気づいてないみたいな。
そうですね。
家の中にいて半袖で出かけようとしてるみたいな感じが。
外寒いぞみたいな。大丈夫か?みたいな。
もうもう季節が変わったぞみたいな。
その感覚はあるけど、やっぱりそれが自分の価値観とも合ってるから前に進んでるような感覚を持ちがちだけど、
それはたまたま価値観と合ってるから前に進んでるだけで、
違う価値観の人からしたら後ろに後退してるかもしれないし、横に連れてるかもしれないわけですからね、その変化自体は。
そこはちゃんと相対化しておかないとやらかしちゃうんだろうなって思いますよね。
何でも相対化してフラットに横に並べようとするのも良くないみたいな話もあるじゃないですか、この手の議論で。
でもだからといって内面化して信じすぎるのも良くないと思うんで、相対化して自分で選ぶみたいなところまでセットなんだろうなって思うんですよね。
この手の話ね、やっぱりお前はどう思ってんだをみんな教えてほしいっていうか、
みんながどうじゃなくて、いやあなたが不快ならやめときます、あなたに対してはって思うんですけど、
みんながどうって言われても知らんよって思うんですよね。
みんなで誰だよってなっちゃいますよね、それこそね。
そうやって使われなくなったというよりは使ってはいけなくなった言葉たちってことですよね。
に名前を付けるの。
使ってはいけなくなった言葉たちか。
そうだね。
またちょっと話、名前付けに行こうって自分でしといてまた全然名前化すれるんですけど。
その言葉の意味をあまり知らずに使っちゃうみたいな、背景を知らずにナイフ振り回しちゃうパターンもあるから、
それもそれで気をつけないといけないなと思ってて。
例えば、こないだランチの話してる時にジプシーっていう表現を使ってたけど、
最近あんまり使わなくなったみたいなのも、歴史的にジプシーっていう言葉がどういう風に使われてきたかとか、
それを知ってるったり、知ると確かに使わない方がいいなって思うみたいなことってあるじゃないですか。
そういう意味でも単純に価値観のアップデートよりは背景をちゃんと知るとか、
ちゃんとどういう意味か、自分の振り回してるナイフが何なのかを知らずに使って傷つけちゃうみたいなことはやらない方がいいなと思うんですよね。
いやーでもむずいってそれは。だって地雷とかもさ、
もともとは当たり前のように普通に飛び交ってた言葉として地雷だよねとかって言ってたのが、
やっぱりよく考えるとって言って、今はそういうここに敏感になるような変化が社会に起こっているっていうだけだから、
難しいよ、その元がこうだったから使っちゃいけない言葉ってめっちゃいっぱいある気がするし。
知らない言葉、全部の語源知ってるわけじゃないから、ほとんどやべえやつみたいなのがありそうじゃないですか。
だいたい語源たどるとね、語源たどるとだいたいやべえやつなんですよね。
だって昔は今の時代から見るとやべえ時代だったわけじゃないですか。おそらくは。
普通にいろんなものが整備されてなかったりするから、今と比べれば。
だから、そんな中で生まれたいろんなことってあると思うんで。語源がそれですなとする瞬間、だいたい野蛮だったりとか危なかったりとかするから。
そうなんですよ。語源っていくとそうなっちゃうんだよな。
でもなんかちょっと前にゲイチャーゲストで来てくれた時に、シスヘトロの話したじゃないですか。
シスジェンダーヘトロセクシャルの呼び方があんまり価値中立的なものがないよねみたいな話。
あそこで当事者の人たちと話すってすごい大事だなって思ったんですよね。
どう感じるのかみたいなことを、一般論として良い悪いじゃなくて、その人がどう感じるかみたいなことで、
この表現、僕は傷つくなって言われたときに、その表現をその人いないとこでもその人の顔が思い浮かんで、
この人は傷つく表現なんだなって思うと言わなくなるっていうことってあるじゃないですか。
他の代替表現があるならそっちを選ぼうとするみたいなことってあると思うんですけど、
世の中がどうっていうよりはやっぱりいろんな人と話して、
その人たちの価値観だったり感じ方みたいなことをちゃんとこう、なんていうんすかな、
ちゃんと対話して理解するっていうことの積み重ねの方が本質的なんだろうなとは、
あの時思ったのに今ふと思い出しましたね。
本当にそう思いますね。
自分が関わっているいろんな人たちの顔を思い浮かべてこの言葉を使えるかっていう、
そういう基準がありますよね。
特になんか自分の価値観だと判断つかない系あるじゃないですか。
さっきのセクシャルマイノリティの話もそうだし、自分は当事者じゃないからどう感じるかって言われたら何も感じないって言葉たちいっぱいあるじゃないですか。
例えばジプシーとか地雷もそうですけど。
だからやっぱりそういうものに、こういう言葉に対する自分の感覚とか自分のスタンスを決めるためにも、
なんかやっぱりいろんな人のいろんな価値観に触れないとむずいんだろうなとは思いますね。
それで言うとやっぱりこう、なんていうの、100万人規模とか、
100万人じゃなくても50万人とか20万人とかでもいいけど、
そういう人数にリーチしてるような発信してる人って結構大変ですね。
大変だと思う。
もう顔は見えないが、明らかに繰り返しそれぐらいの人たちに影響している上で、
でも質感がわからない、どういうことを使えばいいんだみたいな、なんか難しいですよね。
なんかたまにタイムラインで流れてくるんですけど、ヒカキンってYouTuberいるじゃないですか。
昔の動画で、ゲームのキャラクターのスキンの肌の色を選ぶときに、
いろんな色を見て、こんな色あるんだ、こんな色あるんだ、普通にしとくかって言って肌色というか、肌色っていう表現も今は良くないですよね。
日本人的な肌の色を選んだときに、普通の肌の色っていうところに引っかかって結構炎上したみたいなことがあって、
いまだにその切り抜きの動画とかで、差別主義者だみたいな流れてきたりすることがあって、
でもなんか良くないんだけど、確かに。
多分その意図はないし、悪意はないけど態度に欠けるとか、つい出てしまった言葉みたいなのってあるじゃないですか。
そういうのも全部、悪意で解釈されるじゃないですか、この点の言葉って。
差別をしている、確かに内面化されている無意識レベルの差別意識みたいなものがあったり、
普通っていう言葉の中にそういうニュアンスが含まれるっていうことは確かにあるんだけど、
意図的にこの人を排除してやろうみたいな悪意ではもちろんないと思うんですよね。
でもなんかすごく悪意で取られちゃうみたいなのも良くないなって思うんですよね。
おそらくは自分にとってより身近な色を選びましょうみたいなレベルで使った言葉だったけど、
解釈がそのようにできちゃうよねっていうことですよね。
ある文化圏、ある文脈においては本当にそれが攻撃として使われるったりとか、
攻撃として本当に受け取ったり傷ついたりする人がいるっていうことも事実だと思うんで、
それがイチャモンだとは思わないんだけど、でもその人にはその人の意図があって、
その意図の中でその悪意なく出てしまったものに対して、
なんかすごい攻撃するのも違うなみたいな感じがありますよね。
確かにね。
今、ソワさんから、奥さん、嫁、ご主人、旦那さんあたりはどう思う?って。
これはね、めちゃくちゃ困ってますよね。
これどこで話したんだっけ?ここで話したことあるっけ?ないんだっけ?
わかんないよね。僕もでもこれはいつも困ってます。
奥さんっていうのはね、本当に言っちゃダメだっていう話だと思うんですよ、最近。
けど、なんかね、一番説明上つきやすくて、
使っていい相手だったら言うみたいな。
妻さん、夫さんとかいう言葉があるらしいんですけど、
意識して使えるときは使うけど、なんかそれがあんまり浸透してなくて、
うまく言えないとか。連れ合いの方とか言えばいいよとか言われるけど、
連れ合いの方って言って確かになんか凝々しい感じもするし、
パートナーって言っても何でパートナー、なんでカタカナにしたのとか言われることもあるしみたいな。
相手に合わせて選ぶと相手の求めてる言葉が奥さんだったりする時があって、
こっちがそれを伝えるみたいなのがありますよね。
僕は悩むんだけど、自分の妻のことは奥さんって呼ぶんですけど。
ポッドキャストとかではね、そこではそう言ってますよね。
奥さんって言ってて、それが良くないっていう価値観があるのは知ってるけど、
なんかそんなこと言ったらどれも全部そうだから。
五元卓取ると妻だっていっちゃもんつけれるし。
パートナーが一番中立的っていう顔をしてますけど、
パートナーってもっと広い概念じゃないですか。
ビジネスのパートナーだって。何かをこういう共にする人という意味では、
別に配偶者に限定されないものを配偶者に限定するとか、
あと結婚してるしてないみたいな区別とかもパートナーだと。
なくていい文脈もあるけど、そこがそがれるから、
文脈上使いにくいこともたくさんあるから、
価値中立的でこれが正解でしょみたいな感じで言われても、
それは文脈によりますよなとしか思わなかったりするんですよね。
奥さんは自分が奥さんって呼ばれることに対して不快感を覚えていないから、
別に他の呼び方の中で一番しっくりきてるから、
二人の合意の下でそれがいいんだったら、
誰がどう思うが関係ないなと思って奥さんっていう表現をしてるんですけど。
ただ、相手の配偶者みたいなことを呼ぶときには悩みますよね。
悩みますよね。難しいよね。
僕、かんたさんの奥さんっていうのか妻さんっていうのか、
お連れ合いのパートナー、なんやねん。
相手が呼んでるのに合わせますけどね、奥さんと奥さん。
そうなりますよね。
情報がないときに困るとか、
あと一般論として語るときに具体的な対象がいないというか、
妻と夫みたいな概念として語るときはちょっとむずいなと思いますけど。
本当にクイズみたいになるんですよ。
その情報がないときに、
まず相手が普段しっくりきてる言葉がどれかっていうのもあるし、
今のこの社会の感じを含めてどういう言葉を、
例えばそこで奥さんっていう言葉を選んだら、
奥さんとか言っちゃうんだ、この人って。
ジャッジされないかとか何重かのチェックが入る中で何を選ぶかって難しくて。
登場できない。
割と自分の配偶者の話をするとき、奥さんっていう表現を割と意図して使ってるというか、
奥さんとか言っちゃうんだ、この人って思う人多分いるだろうなってことを想像した上で、
知るかと思って使ってるみたいなところがあるんですよね。
思えばいいと思ってるんですけど、思いたければ。
別にそこの文脈とかそういうの踏まえず、
一つの価値観でジャッジする人と僕はあんまり関係を築きたくないから、
そういうことで嫌だなって思う人は近づかなければいいと思うし、
そういう意味でもある意味フィルターというか、
そして機能するからそれでいいかなって思ってるんですけど。
という中でスタンスをどう取るかの話に結局なるなと思うんですよね。
そうですね。僕もこういうポッドキャストとか、
不特定多数に発信してる分はフィルターだと思ってて、
それが合わないんだったら無理だからしょうがないかなっていう感じで、
あんまり全方位配慮して何も言えなくなるよりは、
自分なりのこのラインって決めてやるってことですよね。
目の前の人と一対一だったらその人が使ってほしいことがあるべくっていう、
そういう使い分けかなっていう感じでやってますね。
そう、このテーマいくらでも話しちゃいますけど、
やっぱり価値観のアップデートにより使われなくなった言葉達っていう、
使われなくなったっていう表現がずっと引っかかるんですよね。
なんていうのか、自分が使わなくなったじゃないじゃないですか。
使わないって決めた言葉とか、確かにそれは使わないはいいなって、
自分で腹落ちした言葉を使わないとかは、
自分もやりますけど。
社会の中の価値観の中で、
こういう価値観を持った人たちにはこう響くだろうなっていう、
想像することは大事だと思うんですけど、
その上で何を選ぶかは自分の意思と選択の問題とか、
覚悟の問題だなと思ってるんで。
今時これってあんまり言っちゃいけないんだよねって、
自分でも思うし言うことあるけど、
その感覚で言葉を選んでる自分は嫌だなって思いますね。
ちゃんと覚悟が乗ってないみたいな言葉に。
一時期そういうポツキャストをいっぱいやってるから、
どこまで言うんだっけみたいな、
迷走してる時期は何も言えなくなりましたもんね。
何も言えねえなみたいな。
どうしようか、どこに線を引けばいいんだろうみたいな。
定まらない時期とかは。
結構その時何も言えない感じがしましたね。
何も言えねえって言うと、
お前が差別を内面化してるからだみたいな批判をする人たちもいるし、
一定それも正論だと思うんですけど。
でも本当に言葉さっきのナイフの話でいくと、
振り回して言ってもいなくても言葉を発した時点でナイフではあるわけだから、
誰かに傷つけるっていう、原理的に100%防ぐことは不可能だから、
本当にそれをしないようにしようと思ったら、
何も喋らない以外できないでしょうとは思います。
そうだと思う。
本当に言葉にしない努力をしてくださいみたいな話になるし、
ポツキャストにおいては包丁を振り回すというメディアなので、
包丁を振り回してる、どの包丁使いを見ますかみたいな話になるから。
自分のところに刺さるやつ。
言ってるんだったら、その番組じゃなかったんだと思うみたいな。
別の包丁使いの方を見てくださいみたいな話になる。
いい加減名前つけましょうかね。
言葉使いで言葉をやってますから。
結局、さっきのもいい側面も悪い側面もあるなと思うんですけど、
やっぱり配慮の塊だと思うんですよね。
価値観のアップデートと言いつつ。
その言葉を選ぶと傷つく人がいるとか、
それは倫理的に道徳的に良くないことになっているみたいな。
そういうニュアンスの言葉っていうのと、
自分の価値観とか自分の道徳倫理に
基づいて選んでいるものみたいなことを区別した方がいいなって話でちょっと思ったんですよ。
この命題は前者の方。
自分がどうとかじゃなくて、
世の中的にこうだからこうだよねってなってるやつに特化した名前にして、
自分で選択しているものとは別物として捉えた方が良さそうだなって思った。
そうですね。
使われなくなった言葉たちですからね。
使わなくなった言葉たちは別物ですね。
ちょっと言いにくいですけど、死後って死んだ言葉だと思うんですけど、
それで言うとこれは殺した言葉たちですよね。
確かに。
確かにね。
死んでない、自然死じゃないですもんね。
確かに。
斬る語ですか?
いい?
斬る語。
斬る語で。
今日は2つでしたけど、結構しゃべったんでまとめに入りますかね。
そうですね。
1つ目。自分から私の進行方向に前をいったくせに、
まるで追い立てられているように被害者面して逃げ惑う鳩。
煽り鳩。
2つ目。価値観のアップデートにより使われなくなった言葉たち。
斬る語。
言葉を扱う番組としての言葉に対するスタンスの話ができてよかった気がしますね。
言葉系ポッドキャストの言葉に関するエピソードということで。
言葉を扱う番組ですね。
言葉を扱う番組なんで。
一回話したいなって思ったんですよ。さっきの奥さんの話とかも。
言葉に対するスタンスみたいなことは話してみたいなって思ったんです。
すごいよかったです。話せると。
結構ね、出たね。価値観のね。割と深い部分みたいなことね。
ここからはマイフェイバリットメイメイをご紹介していきます。
毎週火曜日の夜にXで命題をポストしています。
そこにリプライで命名していただいたものの中から、
僕たちそれぞれからですね、マイフェイバリットメイメイを選択して発表したいと思います。
82回目の野良命題。
親がよそ見している隙に赤ちゃんに変顔をして遊ぶ人。
やりますよね。
うみさんやります?
うみさんもやってるイメージないな。
変顔はないけど、絡んじゃいますね。話しかけちゃったりとかする。
やっぱね、不審者じゃないですか。普通に。
だからやっぱ親が見てないところでこっそりやりがちですよね。
猫うさぎさんの子育てヘルパーっていうか、子育てと書かれて、
ヘルパーなんですけど、自分は子育て当事者として思うのは、
やっぱり子供を連れてるときに、子供に対してベルカムな人とかがいると、
社会で子供を育ててもらってるな感は若干あるんですよね。
それってあんまり踏み込んでこられても嫌なんだけど、
これぐらいの距離感で子供のことを気にしてくれてたりとか、
社会の中の子供という存在に対して好意的に受け取ってくれてるみたいなこと自体が、
確かに子育てをヘルプしてもらってる感覚が若干あるんで、
そういうのも含めていい命名だなって思いました。
僕は香里さんのあやしですね。
あやしいっていうのとあやしているっていうのが分かりやすいってことだね。
師匠の師であやしですね。
ダジャレからやらせていただきました。
なんだっけ、ダジャレフリーク。まだ覚えてた。
ダジャフリーで今日も選抜させていただきました。
ありがとうございます。
命名ではリスナーさんからの命題をお待ちしております。
概要欄の応募フォームリンクから送っていただくか、
Xでハッシュタグ命名しますをつけてポストしてください。
みんなで命名していきましょう。
それでは本日もありがとうございました。
ありがとうございました。