2025/08/03
サマリー
このエピソードでは、著者が父親の器用さと不器用さに関する思い出を語っています。父親が学校の先生として成長する中で、周囲からの評価が彼の自己肯定感にどのように影響しているのかを探ります。
父の器用さと不器用さ
おはようございます。 花火鑑賞士、商用報紙の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。 今日は、父の明日です。
例年ならお墓参りに行くんですけれども、今年はとにかく暑さが厳しいということと、直近のことではないんですけれども、熊の目撃情報もあったということで、
無理をせずにお墓参りはお盆に主役することにしました。 お盆の時期なら人の行き来も多いですし、安全面も安心ではあるんですが、
目に散ってどうしても私たち家族だけになりますから、そうなると熱中症だったり、 熊への備えも心配になってきます。
ですから今年は仏壇にお花を飾って手を合わせて、 あとは秋田県の宇吾町というところの甘くておいしいスイカをお供えしようということになりました。
父は学校の先生でした。 書道家でもあったんですけれども、とても器用な人で、何をやらせても手際よくこなします。
仕事が非常に丁寧な人でした。 私たち家族はみんなそう思っていましたし、周囲からもそういう評価を受けていました。
ところが一周忌か、あるいは三回忌の時だったと思います。 父の兄弟が集まった中で、
不器用だったよねって言うんですよ。ぽつりと口にした人がいました。 そうしたら、そうだったそうだったと口々に言うので、それはうちの父のことでしょうかと耳を疑いました。
でも話を聞いていくと彼らは本気でそう言っているんですね。 不器用という単語が父に当てはまるとは思わない。
でも非常に不器用だったから、宿題を手伝ってやったことがあるなんていうものですから、それを聞いて私たちはにわかに信じられないし、逆に大笑いをしてしまいました。
周囲の評価と自己の認識
考えてみると父の兄弟は本当に器用な人たちばかりで、そういえば絵を描くのが上手だなとか、あるいは手作りの洋服を作っているなとか、そう考えるとこの兄弟間の基準でいくと父は不器用であるという評価になっちゃったんでしょうね。
父は8人兄弟の中で育ったんですが、周りには何でもそうやって器用にこなす兄弟たちがいたんですね。なのでその中で父は自分は不器用だと感じながら生活していたんだろうなと思うんです。
でも社会に出て教員として働くようになった時にきっとこう感じていったんじゃないかなと思うんです。あれ意外とみんな不器用なんだなと。あれ意外とみんなできないんだなと。意外と自分はできるんだなと。
そうやって少しずつ自信をつけていって、最終的には器用な人として周囲からも私たち家族からも評価されるようになった。そうやって見られるようになった。自己肯定感を取り戻していったんだろうなって思うんです。
私たちは育った環境だったり比べられた相手によって自分のことをできないとか、父の場合は不器用だという、そうやって思い込んでしまうものだと思うんですね。
例えば、まもなく甲子園が始まりますけども、あるチームでトップ選手として、レギュラーでずっと活躍をしているっていう選手が、別のチームでいくとレギュラーの端っこにも入れないみたいな、そういう集団の中、自分がいる集団の中でのポジションが決まって、それが自分の姿だと思いながら生きてしまうっていうことがあると思うんです。
でも、もっともっと全体の甲子園に出場する人たち全部集めた中のその集団で見るとどうなんだろうとか、世界で見るとどうなんだろうかっていうと、本当の姿って自分が思っていることとは違うところにあるかもしれませんよね。
なので、今今見えているところだけで自分のことを評価してしまわずに、もっと広い目で見て、案外自分ってできるとか、そうやって自信を取り戻していく、自信を持っていくっていうことで、見えてくる世界はずいぶん変わるのかもしれないなと思います。
本当に父のことを不器用だと言える人たちっていうのは、父の兄弟たちだけなんですよ。本当にそこを飛び出したところから、たぶん父は自信を持って前に進めたと思うんですね。
そして自信を持ったら、もっともっといろんなことを頑張れるぞっていう風になっていったろうなって想像します。そんなことを思いながら今日は静かに父のことを思い出して仏壇に手を合わせたいと思います。
この配信はアップルポッドキャスト他各種プラットフォームでお届けしています。それではまた明日。
05:33
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