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はい、ほのです。 1月23日、本日はですね
私の父の命日になります。 でですね
父の命日ということで、 ちょっと心新たにお話ししたいなと思って、この収録を撮りました。
はい でですね
何を思ったかというと、 父のような強い親になりたいなって思いました。
でね どういうことかというと
父は難病を抱えていたけども、 いつも前向きに生きていたなというふうに思います。
あとは、どんなことにも とっても意欲的だったんです。
はい そして
これは多分父は敵わなかったと思うんですけども
私はなるべく自分の命を使い切りたいなというふうに思いました。
こういうこと聞くとね、どうしたの?と思われるかもしれないんですけども もし気になる方がいらっしゃいましたら、このまま聞いてもらえると嬉しいです。
はい でですね
難病を抱えていたけども、いつも前向きっていうことなんですけども 父はですね
私が生まれる前から心臓に難病を抱えていました。
父の難病を発症した当時の年齢が確かの30前半だったんですよね。
私もね今まあそのくらいの年代なんですけども そのくらいの年代っていうのは
大体の方がご結婚とかされて初代を持っていらっしゃるかなって思うんですよね。
小さいお子様がいらっしゃって、さてこれから
バリバリ働いて家族を養っていくぞとかね 自分のやりたいことを実現していくぞっていう
時期だと思うんですよ。
その父がね難病発症していた時っていうのは、私は兄がいるんですけども、兄が生まれていたし、そして私も生まれていました。
今私も実際親になってみて思うのが子育てってものすごく大変じゃないですか。
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その子育てがものすごく大変っていうのもあるし、そしてあの我が家の場合は父親が大黒柱だったんですよね。
母が専業主婦という形で生計を立てていたんですよね。
だから父もおそらく家族を養っていかなきゃいけないっていうプレッシャーもあったと思うんですよ。
それは実際私も家庭を持ってみて、今ものすごく思っていますし直面しています。
そんな中でやっぱり難病を抱えていて、その病気のコントロールもすごく難しいんですよ。
心臓の難病だったから、季節によって気候にも結構体調が左右されるんですよね。
それだけで左右されるんです。
プラスそこに会社員としてお勤めをしていたので、仕事のプレッシャーであったり、人間関係のいろいろと大変なことってあるじゃないですか。
だからそういうところも大変だったろうなと思っています。
父はですね、そのありがたいことに、父の努力ももちろんあったと思うんですよ。
いろんな勉強をしていたし、そういったことが認められて、役職に就かせていただいているっていう人だったんですね。
そんな役職に就いていた父だったんですけども、やっぱりその難病のところで体調不良になると、どうしても入院をしなきゃいけない人だったんです。
長期的なことで言うと3ヶ月ぐらい入院していることもざらにありました。
それがね、父が30代前半の頃に発症したから、亡くなるまでの間に40何回、検査入院も含めてあったんですけども。
もう、いつ入院するんだよみたいなぐらいだったんですよ。
で、おそらくなんですけども、これを聞いた方々は、そもそも持病を持っている方があんまり、もしかしたら身近にいないかもしれないし、入院するっていうのもね、あんまり縁がない方が多いかなと思うんですけども。
父が亡くなるまでの間、20何年間、検査入院も含めて40何回入隊員を繰り返していました。
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これだけ聞くだけでも、普通だったら心が折れるんじゃないかなって思うんですけども、でも父はあまりクヨクヨしたところを見せたことがないんですよね。
父が泣いている顔なんて、祖父が亡くなったとき以外、たぶん見たことないと思います。
なので、そうですね、私は父のようにね、家族の前で涙を見せないってことはおそらくできないと思うんです。
ただ、少しでも前向きに、クヨクヨしてしまうことはあっても、それはなるべく短時間に済ませられるように強くなっていきたいなって思いました。
どんなことにも欲的ってことなんですけども、お仕事もプライベートも何か興味があると必ず調べていました。
その上で自分で計画を立てて、何をやるにも、楽しんでやってたんですよ。
お仕事の資料とか、あとは自分が学ぶことが好きだったから、父がですね。
だからですね、そういう勉強した後、ノートがたくさん出てきたんですよ、その遺品整理をしていたら。
まあこう細かに調べて、楽しそうなコメントとか書かれてたりとか、
あとはパソコンのデータを見た時も、動画みたいなのを作っていたんですよ。
それも楽しそうにやってるなぁみたいなのが、後で見て分かってたので。
だから、そういうどんなことにも意欲的に自分から進んでやるみたいなことを、私ももっと強化したいなというふうに思いました。
はい、あとはですね、命を使い切りたいってことですね。
なんかあんまりこの使い切りたいっていう表現、良くないかなというふうには思うんですけども。
まあ全うしたいって言った方がいいのかな。ちょっと言葉選びがね、下手くそで申し訳ないんですけども。
なぜかというと、父はですね、いつも前向きだったっていうことと、どんなことにも意欲的だったっていうお話をしたんですが、
そういうね、父でもやっぱり難病には勝てなかったんですよね。
で、確か満57歳だったんですよね。亡くなったのが。現役ですよ。
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そんな若さで亡くなってしまったんですよね。
で、おそらく父自身は、もっと行きたいと思っていたと思うし、もうお仕事ももっとやりたかった。
そしてプライベートも釣りとか、あとキャンプとか、アウトドアも大好きだったし、芸術も好きで、絵を描くことも好きでした。
芸術鑑賞も好きです。本当にいろんなことに興味がある方だったんですよね。
で、何よりも食べることも好きだったから、もしかしたらね、定年後は自分で何か料理を作っていたかもしれないなぁなんて思いながら、
思っているんですけども、でも結局、57歳っていう若さでね、亡くなってしまったっていう、やりたいことあったんだろうなっていうふうにすごく思うんですね。
だからこそ、私は自分が死ぬってなった時は、何だろう、100%に近いくらいで、やり切ったぞって思えるように、最後を迎えられるようにしたいなって思いました。
おそらく難しいと思うんですよ。私だって今、持病を抱えていて、季節ごとのコントロールが年々ちょっと難しいなっていうふうに思っているんですよ。
今でこそ大変なんですよ。 ってけども、その中でもやっぱり、命を終える時に、何だろう、100%ではないけども、とりあえず今やることはやり切ったなって思って、迎えられるようにしたいなって思いました。
はい、今回のお話はここまで。
皆様、自分が今どういうふうになりたいかとか、これからどういうふうになりたいかなっていう、そういう思いはありますでしょうか。
今回はね、1月23日っていう、私の父の命日だったので、私も何かこう思うことがあって、お話ししてみました。
はい、それではまた次の放送でお会いしましょう。
小野でした。