2025/10/02
サマリー
他人の結婚に対する反応や祝いの意味について考察しています。結婚祝いは義務ではなく、人との繋がりを大切にすることの重要性について語っています。
結婚祝いの意味
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
新聞にこんな投稿がありました。
20代の女子学生、友人が結婚することになり、私を含む数人で結婚祝いをあげようという流れになりました。
でも私は正直、結婚祝いを友人にあげる意味がわかりません。
今回結婚する友人をよく思っていないというわけではなく、ずっと仲良くしてくれた人です。
ただ結婚は勝手にするものだし、友人である私には関係がないことなのになぜ祝わなければならないのかよくわかりません。
今の時代、結婚や出産は全員がするものでもないし、それぞれの生き方があると思います。
お祝いとは気持ちを表すものだということもわかっていますが、それは一緒に食事をするなどでもいいのではないでしょうか。
他人の結婚式で感動したとか言っている人にももやもやします。
私はケチで冷たい人間なのでしょうか。
という投稿です。
人との絆の大切さ
私はケチで冷たい人間なのかという結びですけれども、いやそこなのかなという気がします。
結婚祝いって義務じゃないと思うんですけど、お仕事ですけれども婚礼の司会をする時に1週間前に初めましてで新郎新婦に出会います。
そして打ち合わせを経て当日迎えるわけなんですけど、
当日新郎新婦入場ですと言ってドアが開いて2人が入場してくる瞬間胸がいっぱいになります。
いつもそうです。
他人の結婚式で感動したとか言っている人にももやもやしますというくだりもありますけど、
大切な人の嬉しいことは自分も嬉しいですし、大切な人の幸せは自分の幸せだなと私は思っているので、
大事な人が新しい人生の第一歩を踏み出すんだなっていう、そういう瞬間に立ち会えること自体がとても感動的なことだなって私は思っているんですね。
なので他人の結婚式で感動するかどうかというのは、その演出がどうとかっていうことよりも自分がそこにその瞬間に立ち会えているっていうことが喜びじゃないかなって私は思います。
婚礼司会も葬儀司会もするんですけれども、どちらもその人の人生のネットワークが如実に現れる時間なんですね。
結婚式は人生の喜びを分かち合うために人が集まりますし、葬儀は人生の悲しみを分かち合うために人が集まります。
もし人の幸せは自分に関係ないと思っていたら、逆にその人が悲しみに直面したとき、その悲しみも自分には関係ないと切り捨てられてしまうんじゃないかなって思うんです。
結局見返りを求めるような関係というのは、所詮それまでだと思うんですね。
これだけしたんだから返してねというような発想では、本当に信頼できる関係というのは育っていきませんよね。
あなたが嬉しいと私も嬉しい、あなたの悲しみは私の悲しみというような、そういう気持ちを分かち合えるかどうか、それが人間関係の本質なんじゃないかなって思います。
投稿主は結婚は勝手にするものだし、私には関係ないことって言っています。
本当に関係のないことなんですかね。
私は大事な人の大事な人は大事な人だと思いますし、大事な人の人生は応援したいって思っています。
投稿主さんは学生さんなので、高価なお祝いは無理だという気持ちが裏側に隠れていてこそのこういう表現になっているのかもしれないんですが、
関係のないという気持ちの周りにはやっぱり関係ないと考える人たちがいるだけになってしまうと思うんです。
私たちは一人では生きていけません。
友達100人作る必要はなくて、数は多くなくていいとは思うんですけれども、でもちゃんと絆を育んでいくっていうことはとても大事なことだなって思います。
例えば結婚式とか葬儀のような特別な場に限らず、日々の生活の中でいつも気にかけ合える関係こそ大事だなって思うんです。
災害が起きた時に無事?と声をかけてくれる人がいるでしょうか。
そんな人が一人でも二人でもいてくれるようなそういう関係性をこれからも築いていきたいなと私自身も思いますし、
この投稿主さんにもそういう形で周りの方々と絆を深めてほしいなと思いました。
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それではまた明日。
05:10
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