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2025-06-16 05:46

【1109】2025/06/16 喪主弔辞

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2025/06/16
 

サマリー

葬儀における喪主の長寿や伝えられたお悔やみの言葉について考察され、その深い意味が語られています。家族の喪失感や惜しまれる存在の優しさが、葬儀全体に影響を与えている様子が伝わります。

葬儀の中での思い
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
毎朝更新している恋の日記です。今日も最後までお付き合いください。
今日は、葬儀の司会を担当した中で、心に残ったことをお話しします。
昨日担当したんですけど、まずいただいた伝報の文面に、こう書かれてありました。
ご生協を痛み、慎んでお悔やみ申し上げます。
突然の不法に、通婚根石の思いで、あんやに灯火を失ったご家族の心中をお察し申し上げます。
こんな文面です。
通婚根石の思い。
これは初めて私は聞いたんですけれども、辞書を調べてみると、正式に辞書に載っている四字熟語ではありません。
ただ、通婚というのは深く心を痛めることですよね。通婚のミスなんていう使われ方をします。
もう一つの根石というのは、残された後です。
つまり、通婚根石の思いというところに載せた感情というのは、非常に強い喪失感だなぁと思いました。
ただの悲しみだけじゃなくて、深い後悔だったりとか、言えない心の傷だったりとか、
それが心に後を残しているというような、そういう思いを表していることですよね。
もう一つ、あんやに灯火を失ったご家族の心中をお察し申し上げるという部分。
これも非常に詩的ですよね。
漆黒の闇の中で、唯一の光を失ってしまったようである。
その悲しみが静かに、でも深く伝わってくるような、そんな思いがする伝法でした。
さらに今回、タイトルにもありますけれども、喪主である長男が長寿をお読みになったんです。
喪主が長寿を読むというのは非常に珍しいことです。
ご本人は異例なんですけどね、と恐縮されていたんですが、
宗教的な儀式の場面以外、つまりお寺さんがお経を読んだりとか、
それを変えてくださいというのは難しいことですよね。
宗教的な儀式の場面というのはその伝統があり、その意味が一つ一つありますから、
そこを変えてくださいというのは難しいことなんですけど、
それ以外の場面では、どんな形であってもいいと私は思っていて、
大事なことってご遺族あるいは近い人が気が済むことだと思っているんですね。
なので喪主が長寿を読む、非常に珍しいことではあるんですが、
そこでちゃんと思いを遂げられるっていうことが非常に大事だなって思うんですね。
だからどうぞどうぞやってくださいって思う存分お話してくださいねっていう話をしました。
その中で印象的だったのは、父が亡くなってという言い方をしなかったんです。
優しい儀式の影響
お寺さんはずっと何回も繰り返してましたが、父を失ってという言葉を使ったんです。
父が亡くなってということと父を失ってということ、これは同じ意味なんですけど、主語が違うんですよね。
父を失っている、その失ったのは自分なので、主語が自分になっていることで、さらに喪失感がリアルにそして強く伝わってきました。
長寿の途中、喪主さんはお越ししながらお話しなさるんですね。
でも書き綴った手紙を最後まで読み切ったこと、そして儀式の最後には喪主挨拶があるわけです。
これは回想された方、参列された方に対して謝辞を述べるということなんですけど、非常に落ち着いてお話をされていました。
そこ全然違ったんですね。その姿にまたグッと胸を打たれました。
昨日のお寺さん、母大寺のお寺さんも非常に丁寧な方々で、始まる前にお経にはこういう意味がありますよとか、
この開明にはこういう願いが込められていますよといったような解説をしてくださったんです。
解説をしてから儀式に入りますので、その一言があるだけで、回想者、参列された方々が手を合わせる時の思いがまるで違って見えました。
昨日はお寺様が3人いらっしゃって、実は同士の方って風邪をひいてたんですね。
なので開明の解説はサブの方がされました。
なのに葬儀後、母寺のおそらく頂上聴いてだったんでしょうけれども、
同士様、風邪をひいている同士さんが思わずお声をかけられたんですね。
母寺さん最後までよくお話をされましたね。頑張りましたねって言ったんです。
そのお話がまた会場中を優しさで包み込んだっていう感じでした。
本当にそれにまた泣いている人が多かったです。
こういう優しい儀式になったっていうのは、亡くなられたそのお父様、75歳まだ若かったんですけど、その方が優しかったからなんだなって思います。
城内に流れた生演奏の少年時代がまた心にしみました。
それではまた明日。
05:46

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