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2021-11-20 06:02

#090 父が慕われていたことを知らなかった件。

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Mo
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書いてみて、読んでみた。人付き合いやら、コミュニティやら、贈与やら、を考えるのは、やはり、生き様を考えているからかもしれません。
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こんにちは、Moです。おはようございます。こんばんは。
今日はちょっと急に思ったので、
なんかちょっと、父がどうしていつも多めに出したがるのかっていうことについていつも考えていて、
それがどういうことだったのか、いつも思ってます。
それで、生きている時の周りにいる人たちの大切さとか、
そういうことになんとなくつながっているような気がするので、
ちょっと書いたものを読んでみて、
途中とかいろいろもっと付け加えた方がいいこともあると思うんだけど、
とりあえず今日はこれを配信しておいて、また思い出した時に書こうかなとか思ってます。
だから題名は、父はどうしていつも多めに出したがるのかです。
父は終戦時3歳でした。
じゃがいもがお味噌汁に入っているのがどうしても嫌いで、いつも母を困らせていました。
戦後、芋ばかり食べさせられていたからだそうです。
マックのポテトも食べませんでした。
いつか父が東方距離圏内にセブンイレブンができた時に、
そこが大好きだったのかはどうしてかということも考察したいと思います。
父はいつからか、近所、コミュニティとか、
コミュニティ、後で説明しないといけないですけど、
の人たちとカラオケだったり飲みに行ったり、
あと私の友達、大人になってから、
多分父より収入が多そうな人たちとお食事に行ったりすると、
割り勘をした後で、必ず最後に1万円、
だいたい1万円だったんですが、とかを多めに出しました。
私はそれは良いことだと思っていて、
なぜかというと、出したいならば出せばいいと思っていたからです。
出したいから出せば気持ちがいいし、
他の人は出したくないから出さないのだから、
それでいいのではないかと思いました。
この後ちょっと中略というか、
ここは後で書き足したいんですけど、
父が食動癌だと分かったのは、
すでにステージ3だったそうで、
もう何も食べれなくなってからでした。
父が病院にいると知って、
多くの人がパパは寂しがり屋だからと言って訪れてくれました。
みんなもパパと呼んでいたんです。
父は用意している小銭入れを持って、
お友達を自動販売機、
病院の自動販売機はなかなかいいのが揃っているんですけど、
のところに連れて行き、
飲み物を買って飲んで飲んでと言います。
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自分は飲めないんだけどね。
天敵のスタンドを片手に引っ張りながら、
嬉しそうに一緒に行くわけです。
だいたい入院が3ヶ月目になると、
いよいよ歩くことも間なくなるのだけれど、
小銭入れだけは用意されていて、
私が行っても、とりあえず飲み物を買ってくればと言いました。
どういう心理なのか、
いつものことなのであまり考えなかったけれど、
いつも家族で、
自分が歩けなくても人の飲み物を気にしてるね、
と笑いのネタにしていました。
父も笑っていました。
それからしばらくして亡くなってしまったわけなんですけれど、
お葬式は父が生前にお願いをしてあった、
子どもにとってはありがたかったんですけど、
お願いしてあったので葬儀場の方がよくしてくださって、
そこの葬儀場の中では一番大きなホールを貸してくださいました。
また、父の年と交流関係、退職してからの年数などを考えて、
聴聞客の数を検討してくださいました。
お香伝返しや千葉振舞いの準備も、
その人数に合わせてしていただきました。
受付の方々は生前にお世話になっていた
コミュニティの方々が手際よくやってくださって、
本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
母が濃厚促をして認知症介護一員で受けてますので、
昔の知り合いとか全くわからないので、
本当に困ったものでした。
母はたくさんの方にお世話になりながら、
今は笑顔で毎日過ごしておりますのでご安心ください。
話がずれました。
その夜、大変なことが起こりました。
葬儀場のプロの方が検討してくださった数を
大きく上回る数の方が聴聞にいらして、
お祝行するのに葬儀場の外まで並ばないといけない事態になりました。
ごった返しの中、千葉振舞いの席も足りなくなり、
お祝行だけでお帰りになった方もたくさんいたと後から聞きました。
妹と二人でこれはどういったものなんだろう、
会社の関係の方に慕ってほとんどが退職されているはずだし、
普通のサラリーマンだった父が退職後仲良くさせていただいた方は、
6人だけお名前を存じ上げていただけでした。
父がたくさんの方に慕っていただいていたことを、
この出来事でよく分かりました。
この文章はまだ途中ですが、
父がいつも多めに出したがっていたことと、
聴聞客が多かったということはつながらないかもしれません。
もう少し考えていきたいと思います。
またねー
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