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おはようございます。鶴岡慶子です。 この配信では花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
司会やナレーションを通じて日々感じたことなどを語る声の日記です。 日本の秋田県から毎朝更新しています。
今日は私が担当した葬儀のお話です。 当たり前だと思っていたことが実はとてもありがたいことだったと思ったんです。
と、喪主様がお話ししていました。 これは司会者との打ち合わせを一通り終えた時に喪主様がお話をなさったことです。
司会者との打ち合わせは、弔電っていう電報の確認と、それから個人のプロフィール紹介のための取材をするんですけど、それがちょうど終わったあたりでこんなお話を喪主様がされたんですね。
個人のお人柄などをお話ししながら、それまで気丈に振る舞っていた喪主様が、ふとそんなご自分の気持ちをお話ししてくださったんです。
それを聞いて、喪主様の言葉として、喪主挨拶のところでお話しするのがいいような気がして、そのようにお話をしました。
ただすっごく喪主様も頑張っていて、何かきっかけがあれば倒れてしまいそうな感じにも見えましたので、でも頑張らなくてもいいですよっていうふうにお声をかけました。
もしかしたら緊張がその言葉でふっと溶けたのか、大きな瞳から涙があふれ出てきたんですね。
そうして次にこんなことをお話しをなさいました。
どうしていなくなっちゃったのか、整理がつかないんです。行ってきますと言って帰ってくるはずなのに、亡くなったという知らせが来るなんて、とそんなお話をなさってました。
普段私たち司会者は、その方がどのように亡くなられたかということをお話を聞くことはほとんどありません。
なので喪主様がそのようなお話をなさった時に、もうなんて声をかけたらいいのかわからなくて、失礼ながら喪主様の肩にポンポンポンと手を置いてしまいました。
葬儀は儀式なんですけれども、頑張らなくていいよと、たくさん泣いていいし取り乱してもいいですからねって言いながら、喪主様が落ち着くまでお隣にいさせてもらいました。
喪主様から改造者へのメッセージの一部を抜粋して紹介します。
ぬくもりに満ちた日々に感謝を込めて、亡くなる3日前、夫婦でカラオケに行きました。
それは独身時代以来のことだったかもしれません。 二人で時間を忘れて歌ったひととき、
青春時代に聴いていた曲や、結婚式の時に流したロマン飛行、気づけば4時間も経っていました。
また来ようと言っていたにもかかわらず、急な別れを迎えることとなりました。
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あまり多くを語らない、寡黙な夫でしたが、家族を愛してくれていたのはわかっています。
歌が上手だったことや、スキーやサッカー、重剣道とスポーツが得意だったことも思い出されます。
不器用ながらも子供たちと私のことをいつも思ってくれていた優しい人。
我が家の暮らしを守るため、仕事にも励んでくれました。 宝物のような娘と息子に恵まれたのも、何不自由なく日々を送れたのも、全て夫のおかげです。
夫は温かな面影を残し、生涯を終えました。
皆様とのご縁に恵まれ、幸多き人生をあえませていただいた夫に代わり、生前のご向上に深く感謝申し上げます。
個人は50代の現役世代で突然のお別れでした。 生演奏のエレクトン奏者がいたので、映像には結婚式の時の入場曲だったという
コメコメクラブの君がいるだけでを弾いてもらいました。 奏技が終わった後、またもし様が私の近くまで来てくださいました。
そしてやっぱり私の顔を見たら、またちょっと緊張が解けたのか、また涙をいっぱいに大きな瞳から流すんですね。
で、やっぱりその時もなんて声をかけていいかわからなかったので、 大丈夫、大丈夫って、なんか私も訳のわからない声をかけるのが精一杯でした。
当たり前の毎日は、ありがとうの毎日なんだなって思います。 この配信はアップルボットキャスト他各種プラットフォームでお届けしています。
ではまた明日もお会いしましょう。