2025-04-12 06:24

#1140 藤子不二雄A先生と笹川ひろし監督の組み合わせという話

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藤子不二雄A先生と笹川ひろし監督の組み合わせというとアニメの『忍者ハットリくん』が思い浮かぶけど、他にも『ウルトラB』『ビリ犬なんでも商会』などがあります。

藤子不二雄さんたちの『おばけのQ太郎』に大ヒットを分析して、タツノコプロで『おらぁグズラだど』を作ってギャグアニメの監督として笹川ひろしさんは有名になります。のちに、1981年にアニメ『忍者ハットリくん』で組んでヒットさせるんですよね。

子どもたちの日常に非日常なものが同居する、という今や当たり前のマンガ、アニメのパターン。それに、お二人はかなり貢献されたなと思うんですよね。

サマリー

藤子不二雄A先生と笹川ひろし監督の関係について深く掘り下げられ、アニメ化作品における彼らの貢献が語られています。特に、忍者ハトリ君やおばけのキュー太郎の成功が、日常に異質な要素を取り入れることでもたらされた影響について考察されています。

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はい、おはようございまーす。本日の放送は2025年の4月12日土曜日です。
本日は第1140回目のお話となりまーす。 このチャンネルは福島県小山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことを
だだーと話をしていくという番組です。 よろしくお願い致します。
実はね、収録失敗してね、「おはようございます」じゃなくてね、「こんにちは」になってますねー。
藤子不二雄Aと笹川ひろしの関係
2年前のですね、4月6日にですね、藤子不二雄A先生、アビ子本夫さんがですね、亡くなられたんですね。早いですね。2年経ちました。
今回はね、その藤子A先生の作品を支えたもう一人の巨匠、笹川ひろし監督、その知らずある関係について深掘りしていきたいと思います。
藤子A先生のアニメ化作品といえば、忍者ハトリ君、ウルトラB、ビリケンなんでも紹介などが挙げられますが、
実はこれの作品の総監督を務めたのは笹川ひろしさんなんですね。 藤子A先生の作品がアニメという新たな形で多くの人に愛された背景には、
笹川ひろし監督の貢献が大きかったと思うんですよ。 笹川ひろしさん、1965年、伝説のアニメスタジオ、
たつのこプロの設立に貢献しまして、自身もアニメーターとして活躍することになりました。 そして1967年、笹川ひろしさん原作のアニメ、
オラーグズラだど、を制作しまして、これが大ヒットしたんですね。 これね、同時期に放映されていた他社の藤子さんたちのね、
おばけのキュウタロウとそのヒットを分析した結果、子供たちの日常生活にですね、 グズラという怪獣を存在させるというのがヒットするとね、感じたんでしょうね。
まあ多分前年のね、1966年に放映されました、つぶやプロの怪獣ブースからの影響が一番大きかったと思うんですけどね。
その後ですね、笹川ひろしさんはね、同系統のね、ドカチンだとか、ハクション大魔王、カバトット、解決タマゴンなどね、
タツノゴプロのギャグ路線を確立していくんですね。 一方ですね、藤子さんたちはですね、少年サンデーから依頼を受けましてね、
1963年末にですね、おばけがね、主人公の爆笑漫画はどうかとね、提案されるんですね。 編集者の人からですね、あの当時放送されていましたアメリカ製のアニメ、
デデコキャスパー、幽霊のおばけのね、あの可愛いおばけのね、キャスパーですね。 そういうのがあったと言われております。
藤子さんのね、おばけの話は大好きだったんでね。 ですからすぐにその話に乗りましてね、その場でその原稿料、スタジオゼロに払ってもらうことできますか?と頼んだそうなんですよ。
スタジオゼロっていうのはね、藤子さんたちお二人の他ですね、石森翔太郎さん、赤塚富士夫さん、 角田二郎さんなどがね、いました。アニメストジアなんですよ。
こうしてね、あの藤子さんたちお二人、あと石森翔太郎さんによるですね、 藤子富士夫名義のね、おばけのキュー太郎が誕生したんですね。
アニメ化作品の影響
これが大ヒットして、先ほど言いましたようにね、ぐずやの誕生に繋がるわけですね。 この藤子富士夫さんたちのキュー太郎、笹川さんのね、ぐずやの大ヒットですね。
この当時、石森がね、自分の家に来るかもっていうのがね、 子供たちのね、定備を通じてね、当たり前になっていたんですね。
それ以前にもですね、漫画の方ではあったわけですよ。 例えばあの、白鳥三平さんの忍者漫画はブームでしたんでね。
1964年に忍者が家にやってくるという斬新な設定のね、 忍者ハトリ君を作るんですね。
石森翔太郎さんもね、猿飛さつきを元にした、おかしなあの子は誰? のうちの猿飛えっちゃんを作るんですね。
また横浜三瀬さんもね、奥様魔女を見ましてね、その影響を受けたと言われます、 魔法使いサリーなどを作っています。
また富士子F富士夫さん、そちらの方もですね、 スーパーマンモチーフにしたパーマンなどをね、作るんですね。
いずれも子供たちの日常に、異質なものが飛び込んでくるという設定の漫画なんですね。 その大人気になって取り付けしていくんですね。
で、これまで話しました、沢川さんと富士子富士夫A氏、 その関係なんですが、その1981年にね、
忍者ハトリックがアニメ化になるんですね。 それまで実写化はあったんですけどね、アニメ化されていなかったんですね。
で、その時ですね、ハトリックがね、原作になかったズッコケる時、 ズコーっていう効果音をね、口で言っちゃうとかね、それをやるんですよ。
パーマンもヘコーと言いますし、三代目のおばけのキュー太郎もね、 オターって言うんですけどね、佐々川監督ならではのギャグ演出なんですね、これね。
ハトリック忍者にね、お助けマンでブレーってやってましたし、 雇い手マンでコケーってやってましたからね。
ですから、これ佐々川監督発案の効果音、口で言うやつですね。 それをやってたんですよ。
口でズッコケる効果音がね、子供達の間で流行しました。 また、原作にはね、忍者姿のカラスのキャラクター、ソレカラっていうやつですね。
ソレカラスって言うんですが、それを登場させています。 あの、ハクション大魔王の時ですね、相川錦谷さんの声でね、ソレカラどうしたってやつね、ソレカラおじさんね。
それもありましたよね。またタイムボカンシリーズでね、ボヤッキー達がね、 ブタもおだて焼きに登るっていう、あの、あのね、メカも作ったようにですね、
原作にないオリジナル要素を盛り込むのをね、 佐々川氷監督の得意とするところでした。
このようにですね、佐々川氷監督はですね、自身の名前でね、作品を作ったわけではないんですが、 ですが、日本のアニメ化にね、大きな影響を与えたこと、それは間違いないなと思ってですね。
もっとね、評価されてもいいんじゃないかなと個人的に思っております。 というわけでね、今回は藤子英二先生と佐々川氷監督さんの関係という話でした。
はい、それではまた次回よろしく。ペンキちゃんお宝の端をつけくださいね。 本日もお聞き下さいまして誠にありがとうございました。
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