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2023-04-14 08:19

#411 相馬市在住の漫画家の村松孝一さんの話

本日はショートバージョン。相馬市在住で、二足のわらじを履きながら4コママンガや政治1コママンガを描き続けている村松孝一さんという方がいるみたい。こういうスタンスでマンガを描いていく生活というのもいいですね。

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はい、おはようございます。本日の放送は2023年の4月14日、金曜日です。
本日は第411回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをだらだら話をしていくという番組です。
そんな親父の一言をお聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪気がなかったんです。
不幸にこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご悲劇のほどよろしくお願いいたします。
昨日はですね、ツイッターの方を見ていましたね。とある人のツイートが流れてきたんですよ。
先日64歳同人誌やってますってつぶやいたら、64歳?同人?つながらなかった返事が来たっていう嘆きのツイートなんですね。
するとですね、大勢のですね、60代70代のね、ジジババのね、同人の人がね、何を言ってるんだって、俺もやってる、私もやってるっていうね、ツイートがね、たくさん流れてきたんですね。
それを読みましてね、うわぁ先輩たちがたくさんおられる、自分もまだまだだなぁと思ったわけですね。
中庭でですね、青焼きコピーの時代がやってるぞーとかね、あぁそういうコピー本もありましたよね。アンモニア臭いんですよね。
さすがにですね、あのガリバンダとかね、ボールペン原始家やってますよって人は出てこなかったですけどね、多分やってる人いますよね。
コミュニケーションのような大手の同人誌即売会でですね、年齢が高い人も多いのかですね、30年以上もね、いつも同じメンバーで継げていてね。
終えた後にですね、鏡より映る自分の顔見てね、驚くっていうツイートもありました。
30年間もね、同じメンバーで変わらない雰囲気なんでしょうね。なんかわかるような気がします。
自分もね、パソコン通信のオフ会やってるんですよね。もう30年間続けてるんですよ、これ。
同じメンバーでね、オフ会続けてるんでね、時たまってびっくりするときありますからね。
それかと、地方に行くとですね、若い人が多いんでね、ちょっと片目が狭いっていうツイートも流れてきました。
これも同感ですね。実を言いますとね、今度の5月にですね、とある方とですね、同人誌即売会に行きましてね、そこに出展しようと計画してるんですよ。
地元はね、ちょっと色々とね、きついんでね、県外に行ってね、やろうかなって思っております。
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同人誌即売会っていうのはね、誕生する以前からですね、漫画をね、使って物事を表現したいっていう人はね、大勢いたわけですよね。
もう60代、70代でもね、今でもですね、漫画とかそういうのを使ってね、発表し続けてる人は大勢いるんですよね。
たまたま昨日ですね、相馬市に漫画家さんがいるっていうツイートがね、あったのでね、へーと思ってですね、気になってね、ちょっとね、調べてみたんですよ。
ファミリー向けの4コマ漫画のね、漫画家さんだとかね、そういう人だったらですね、なんかいそうな気がするじゃないですか。
そんな人なのかなーと思ってね、調べたんですが、すぐさまね、どうなったかわかったんですね。
村松浩一さんって方だったんですよ。村松浩一さん。
フルートの演奏で有名な方とね、同姓同名の方なんですね。
村松さんですかね、日本漫画家協会の方にはね、参加していないみたいなんですけども、日本漫画家会議っていうのにね、所属していますしね、日本漫画の会っていう会にもね、所属してみたいですね。
1950年生まれでね、現在73歳くらいですかね、福島県相馬市出身で小高工業高校を卒業したそうです。
そしてね、国鉄、現在のJRですかね、そちらの方に勤務されたそうです。
1996年からね、漫画を描き始めたっていうことですから、計算すると46歳からですね、かなりですね、漫画が始まったのが遅いですね。
当時ですね、JR千石線、そちらの方のね、乗務員だったそうなんですよ。
というんで、あの労働組合情報誌にですね、千石くんっていうね、漫画を描いたらしいんですね。
というんで、それがデビューという形になります。職場公認がデビューですね。
そしてあと、登山が趣味でね、山を歩く会、相馬山、散歩会、散歩会というね、会を作りましてね、現在も会長として歩いているみたいです。
そんな縁でね、1997年から101回にわたってね、スポーツ広場というですね、スポーツの広報誌、そちらの方でですね、ヨンコン漫画を連載したそうなんですね。
登山が趣味のね、女性の鬼ちゃんという名前のね、人を主人公にした漫画らしいです。
これはですね、その101回まで集めてましてね、単行本にしたそうなんですね。
またと、福島県革新婚期間誌だとか、地元相馬市球場の話題だとかね、そういった風の月間誌、そちらの方にですね、一コマの風刺漫画、政治漫画ですね、そちらの方を描いていったみたいですね。
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2009年にですね、フェイスメーカーを埋め込むような手術をすることになったらしいんですね。
奥さんがね、介護の仕事をされてるっていうね、手伝う意味もありますっていうんでね、介護託資を始めることにしましたね。
っていうので一心上出合でね、JRの方は退社したそうです。
でも現在もね、日本勤労者産学連盟期間誌、登山時報というのね、そちらの方でヨンコン漫画、夫婦母というのを連載してるみたいですね。
また2018年からですね、農民運動全国連合会の農民っていうね、期間誌、そちらの方でね、ヨンコン漫画の種ちゃんというのを連載してるそうです。
介護託資のね、運転手以外にもですね、東日本大震災後ですね、津波跡とかね、原発事故、そういった被災地、そちらの方を案内するような仕事、それもしてるみたいですね。
またあと、福島県の第一原発事故のね、成り終わり裁判っていうね、そちらの方の原告団としても活動してみたいですね。
またそういった時の活動のね、冊子を作る時はね、自分でね、漫画をね、イラストとして描いてみたいです。
JRでね、働きながら、介護託資をしながらとね、二足の同じですけどね、自分の興味ある分野でね、漫画を描き続けてらっしゃるということですね。
73歳、非常に素晴らしいなと思います。この姿勢ね、見習わなきゃいけないなと思っております。
はい、それではまた次回よろしくお願いします。本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。
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