1. ピョン吉の航星日誌
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2022-07-17 09:21

#140 伊達市出身で60年以上も一コママンガを描き続けているすずき大和さんの話

伊達市出身で1960年のデビューから一コママンガを描き続けているすずき大和さん。「漫画集団」に所属していてご健在な漫画家さん。福島民報での連載が終了し残念に思っております。

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はい、おはようございます。本日の放送は、2022年7月17日、日曜日です。
本日は、第140回目のお話となります。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が、
響きになったことをダラダラと話をしていくという番組です。
そんな親父の一言をお聞きになりまして、
もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪くはなかったんです。
不幸にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
先週ですね、赤松健さんがですね、今回の選挙で当選いたしましたね。
比例区で52万8千票というですね、非常に多い票数を集めて当選いたしました。
漫画などの表現の自由を守るという公約でね、当選したわけですね。
実は漫画などに規制する活動する議員が多いのが自民党なんでね、
あえてそこで自民党から出たということでね、
ぜひともね、規制されることはないような表現の自由を守る活動をね、やっていてほしいなと思っております。
というわけで赤松健さんは日本漫画家協会の常務理事もされてるんですね。
日本漫画家協会というのは、健全なる漫画の普及に関する事業を行うとともに、
漫画創作活動を奨励し、合わせて諸外国との漫画文化との交流を図り、
もって我が国文化の発展に寄与することを目的にした漫画に関係した人による団体です。
会長が千葉哲也さん、理事長が里中町子さん、その他7人の常務理事がいらっしゃいます。
その中にね、先ほど言った赤松健さんもいますし、一本木晩さんとかね、長野則子さんだとか森川定司さんとかいらっしゃいます。
そしてその他12人の理事もいましてね、植田雅史さんだとか倉田芳美さんだとかね、
島本和彦さんだとか竹宮圭子さんだとかね、永井豪さんだとか永井本さんとかいらっしゃいます。
そして57人の産業の方々がいるんですが、その中に鈴木大和さんがいらっしゃるんです。
というわけでね、鈴木大和さんの話です。
鈴木大和さんはね、1938年生まれの漫画家さんです。
で、住んで現在84歳ぐらいですかね。
現在はですね、埼玉県に住んでいらっしゃるそうです。
漫画というと今はですね、ストーリー漫画、手塚治虫さんがね、からスタートしたストーリー漫画集になってますけども、
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そうではなくてね、イラストに近い人工漫画ね、これが多いです。
一枚もの漫画で知られている方なんですが、単純な優しい絵ながらですね、社会を優しく風刺する絵柄というふうに表されています。
この方はね、福島県伊達郡の伊達町、現在の伊達市の出身の方なんです。
3歳の時にですね、軍人だった父親の不倫に伴ってね、一家で中国の天津に渡って終戦まで過ごした後に戦後伊達町に戻ったわけです。
そして短期間ですね、自衛官を勤めた後ですね、1950年代頃にですね、福島民放と福島民有の漫画欄に投稿するんですね。
漫画といってもですね、現在自分たちがよく知っている手塚さんによって作られたストーリー漫画ではなくてね、四コモ漫画とか一コモ漫画が主流の時代の話です。
劇画なんてはね、ずっと後の話ですよ。
この頃ですからね、時はそう中心にですね、現在の漫画がね、作られていた頃なんです。
その頃ですからね、福島県内でですね、漫画を自己表現の手段と選んだ人たちがね、いたんですね。
そういう人たちがね、福島民放、福島民有の漫画欄、そこを通じて連絡取り合ってたんですね。
というわけで1958年にですね、漫画欄の投稿仲間が呼び合いまして、福島市のデパート、中川郷ですね、そちらの方のデパートでですね、漫画展を開催したんです。
地方の方でね、漫画仲間がね、交流があったんですね。
1960年になりましてね、週刊漫画タイムズっていうふうに投稿していた作品がですね、杉浦幸男さんにね、漫画界のヌーベルバーグと激称されてね、プロになる自信を得て上京したんですね。
そして、漫画サンデーに持ち込んだ原稿がね、さえ掲載が決定し、デビューを果たしたわけです。
漫画サンデーというのは現在の週刊少年サンデーとは違います。
風刺漫画やね、いわゆる大人向け漫画、乱説漫画といわれるね、その漫画のほうの出ている雑誌だったんですね。
そこで作品を発表していきます。
その漫画を描く方はですね、1962年からですね、NHKの美術センターでね、専属のイラストレーターとしても採用されまして、さまざまな作品に携わるわけですね。
で、9年間在籍して、その時にはね、室池博士だとかね、横井ひょうたんじまなどのね、背景などに従事したわけですね。
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1967年にね、漫画集団に加入となっております。風刺漫画のね、漫画家さんの団体なんですね。
うちにこれがですね、著作権の問題とかを考えまして、一般のストーリー漫画家たちも入っていきまして、日本漫画協会になったわけですね。
というわけで、さっき言いましたように、日本漫画協会の参与になっているのは、そういう歴史からです。
そして1982年に自費出版した曖昧展覧会というので、文芸春秋の漫画賞を受賞します。
1993年にはですね、山梨県の川口湖にね、鈴木山と漫画館を開館いたします。
現在日本のあちこちにある漫画館のね、端ですね。ですが現在は閉館しています。
2004年にはですね、描いていた漫画機構、奥野細道。
これがですね、朝日新聞が主催する手塚治文化賞の候補となります。
佐藤修宝さんのブラックジャックによろしくだとか、矢沢愛さんのナナナとか、荒川博士さんの羽根の錬金術師、海の地下さんのハチミツとクローバーなどと競ったんですよ。
ちょっとびっくりですよね。その結果ですがね、羽根の錬金術師、ハチミツのクローバーと同点の点数を取ったんですね。
ですが残念ながら、まあね、文化賞を受賞することができなかったですね。
翌年の2005年には、先ほど言った漫画機構奥野細道で日本漫画協会特別賞を受賞します。
伊達市の柳川美術館でね、原画展が7年前に開催されて、私も見に行きました。
非常にほろぼろんとした絵画でね、心癒される感じの絵でしたね。
福島民放の方で子どもの成長発達についてのコーナーがあって、そこで毎週1枚イラストを発表されていたんですよ。
お現在かな?というような毎週発表されるイラストを見てね、あ、元気だ!という風に見ていたんですが、
それがですね、残念ながらですね、そのコーナー自身がね、半年くらい前から終わっちゃったんですね。
定期的に見ていたね、鈴木大和さんのその作品を見ることができなかったので、非常にちょっと残念に思っております。
若い人から見るとね、これってイラストじゃねえの?と思うかもしれませんけども、これがまあ本来の漫画なんですよね。
できるだけね、長く活動されていってほしいなと思っております。
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はい、それではまた次回よろしくはピョンキさん男の話をお付き合いくださいね。本日もお聞きくださいまして、本当にありがとうございました。
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