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はい、おはようございます。本日の放送は、2024年の1月7日、日曜日です。本日は、第679回目のお話となりまーす。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをダダダッと話をしていくという番組です。
そんな親父の一言が大きくなりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪気がなかったんです。
不幸にこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご贔屓の程宜しくお願い致します。
本日はショートバージョンです。この10年ぐらいの音楽関係はですね、アニソンでも不得意なんで、なんかね、
情報がお得とね、勘違いしているところがあったら申し訳ないです。
山内真翔優さんの活動
藍澤貴松出身ですね。山内真翔優さんっていうですね、アニソン声優さんの歌、あとゲーム音楽でね、
を得意とするですね、ドラマー姿、ドラマーがいたそうなんですね。
本名はね、山内優さんだそうです。
いたそうです。だそうです。とね、過去形なのはですね、
2019年12月4日にですね、亡くなられたんですね。
亡くなられたシーンはですね、旧姓新婦前です。
1982年の10月26日生まれってことでね、37歳というですね、若さでね、亡くなられたわけですね。
早すぎますね。
自分、バンド関係は全然詳しくなくてですね、
ドラマーがですね、ミュージアムに合わせて演奏をするっていう認識がなかったんですね。
いや、
イメージ的に、どっかのバンドにね、ドラマーっていうのは所属していて、
そのバンドごとですね、ミュージシャンに呼ばれてね、参加するもんだと思ってたんですよ。
個人的にですね、ドラマーがね、ミュージシャンと参加する、ね、そういうイメージなかったんですね。
ギターとかだったらね、持ち運べるからね、ちょっとね、他のバンドに呼ばれて参加するとかね、
まあ、そういうのあるのかなという気がするんですけども、
ドラマーって持ち歩けないからね、他に参加するってね、へーと思ったんですね。
でも逆に、
スタジオにドラマーくっついているからね、用意されているから、
ミュージシャン、ギターとかね、移動してもですね、
やっぱドラマーは様々なミュージシャンとね、一緒に行うことが多いのかもしれませんね。
山内さんですね、個人活動でですね、事務所に所属しないですね、フリーのドラマーだったそうです。
事務所に所属しない人すごく多いですよね。
で、主にですね、ミュージシャンのライブサポート、
あと、ミュージシャンがね、スタジオで収録するときにね、そこに参加するっていう活動をしていて、
そうです。
例えば、中川翔子さん、ショコタン、ね、
ショコタンのバンド、ギザレンジャーバンドでもですね、
10年近くドラマーとしてね、参加していたそうなんですね。
それからと、アニメローサマーライブ、略してアニサマー、ね、よく聞きありますよね。
ドワンゴ、文化放送、文化放送開発センター、日本BSが主催する世界最大のアニメソングのライブです。
毎年、埼玉アリーナでね、3日間使って開催されているライブです。
そこでね、アニサマーバンドのね、ドラマーとしてですね、2014年からね、2019年までね、毎年参加していたんですね。
で、その、先ほど言いましたね、ライブのサポートするミュージシャン、アンジェラさん、
大石正義さん、遠山直さん、中川翔子さん、りささんとかね、そういう風にね、参加していたんですね。
また、レコーディングにね、対策をしていたんですけどね、
そういう風にね、参加していたんですね。
そういう風にね、参加していたんですね。
参加した人は、アンジェラ、生き物がかり、ウェイクアップガールズ、内澤もれさん、
あとは大石正義さん、あとは西川貴則さん、水木奈々さん、三羽さん、メインさん、
モーニング娘。桃色クローバーZ、あとはりささん、スマップ、セクシーゾーン、などなどなどですね。
多数のね、方々、それにね、バンドでね、レコーディングに参加しているんですね。
そのね、ドラマーとしての天才を振りなさい。
山内真翔優さんの人物像
すごく有名なんですね。
曲を暗記する時間がね、非常に短くてね、そして楽譜がいらなかったとかね、
また、作曲者の要求するね、どんな風なイメージなのか、
その短時間で理解したとか、通話ができたとかね、
噛み合わせた時のエピソードがたくさんある方なんですよね。
そんな風にね、亡くなられたときはですね、
ツイッターの方でね、大勢のミュージシャンがね、悲しいことをね、伝えていましたね。
そういう風にですね、たくさんの噛み合わせた時の伝説が聞こえてくるんですが、
まあ、一方ですね、詳しい経験などは不明なんですよ。
まあ、事務所にね、所属していなかったこともあるかもしれませんけどね。
藍津若松出身ということでね、実際の葬儀もね、藍津若松で行われたようなんですよね。
それは確かなんですよね。
ですけども、詳しいことは全然わからないですね。
いつまでね、藍津若松にいたのかとかね、
またとも、音楽学校に通われていたということなんですけども、
どこの音楽学校なのかというのもちょっとわからなかったですね。
で、ドラマーとしてね、活動を始めたのは19歳という年齢かららしいんです。
都内各地にあったらハウスバンド、そこでね、
ひさずみ時代を送ったことはわかっているんですかね。
でも、そこから先がわからないんですね。
何しようですね。
なぜ、名前ですね、山内真正雄ってですね、
真正雄って言葉がつくのかすらも不明なんですよ。
そんなわけですね、これもですね、不明なことが多いんでね、
こちらの方でね、お題にできないなと思っていたんですけどね。
で、
ですがもう、流れてもう丸4年になってしまいました。
逆にですね、お題にしないとね、どんどん埋もれていってしまうかなと思いましてね、
今回ね、話させていただきました。
もしもね、詳しい過去のこと、詳しく知っている方がいましたね、
ぜひお教えいただきたいと思っております。
今日はですね、今回はですね、
藍澤若松出身でね、たくさんのアニソン、ゲームソング、それに参加しました。
山内真正雄、
という先生、天才ドラマがいたんだよ、という話でした。
詳しい過去のことなどね、もしご存知の方がいたら、ぜひね、お聞きしたいと思ってます。
よろしくお願いします。
はい。
それではまた次回、よろしくお楽しみくださいね。
本日もお聞きくださいまして、まことにありがとうございました。