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2025-04-09 07:04

#1137 アニメ「アン・シャーリー」が炎上しているのがわからないという話

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アニメ「アン・シャーリー」がX界隈で、一部炎上しているのがわからない、という話をしています。小説とまったく同じにアニメを作るのは不可能だし、高畑勲監督の「赤毛のアン」と比較するのもほとんど意味がない。まずは先入観なしに、アニメを観てから語ってはどうかしら、と思っております。

サマリー

アニメ「アン・シャーリー」は、原作との相違点が原因で一部で炎上していますが、それは多くの愛情から生まれる議論でもあります。炎上の要因としては、翻訳者の意見や過去のアニメ作品との比較が挙げられます。

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はい、おはようございます。本日の放送は2025年の4月9日、水曜日です。本日は第1137回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをだだ話をしていくという番組です。
よろしくお願いいたします。
アン・シャーリーの炎上
昨日はですね、巷でいろいろとザワザワしているNHKアニメ「アン・シャーリー」の第1話放映というのでね、早速視聴してみました。
なかなかどうしてこれは面白い。第1話からさらに庵野美宥が炸裂していましてね、ついつい引き込まれてしまいました。
今回はね、その話題の中心となっているアン・シャーリーについてあれやこれやと語らせていただきます。
話題になっているというかですね、一部で炎上気味なのはね、主に2つの点があるんですよ。炎上気味なのはね。
一つはですね、赤毛のアンの翻訳者であり、赤毛のアンの関連書籍を多数出版されています。
赤毛のアンのね、住人松本優子先生がですね、XQツイッターでアニメと原作との相違点をね、いろいろと指摘しましてね。
私に声させてってね、熱烈アピールされたことなんですね。
これはね、同化戦となりましてね、赤毛のアンといえばね、翻訳は村岡花子先生の役でしょう、という村岡花子版アンをね、これらく愛する人々が賛成してきましてね。
アニメとは全然関係ない方向でね、村岡は役を施行し、他は邪道みたいな論争が勃発したりとかしてるんですね。
まあ、X界ではね、グリーン・ゲイブルズのね、岩﨑で繰り広げられます。
マリラ・カスパードとね、レイチェル・リンガー。その長々発信の口喧嘩の様子を呈しております。
そしてね、2点目はですね、1979年放送の巨匠、高畑勲監督によるアニメ、赤毛のアンとの比較なんですよ。
世界名作劇場ですよね。昔のアニメの方は丁寧に作られていたのにね、
今回の作品はですね、原作を深く理解していないという声がですね、一部から上がっているんですね。
皆さんね、高畑勲監督素晴らしいという名前を連呼されているんですが、実はね、脚本はですね、福島県の福島市出身でね、キリスト教にも造詞が深いですね、映画監督、千葉茂さんが脚本として参加されているんですね。
千葉茂さんについてもね、触れてほしいなと思うんですけどね。
この2つの炎上ポイントはですね、X中心に盛り上がっておりまして、どちらの意見もね、根底にあるのね、自分の愛するアンが違う形になってしまうのではないかというね、アンへの深い愛情と不安の現れなんでしょうね。
アニメと原作の違い
原作とアニメの違い、高畑勲監督と今回の作品の違い、みんなそれぞれ自分のアンの像をね、守りたいんだなと思ったんですね。
しかしですね、もともと文字で描かれた素晴らしい作品ですよね、それをね、絵と動き、音声と音楽、加わったアニメというか別の表現方法に落とし込む時ですね、完全に原作通りにするのはね、物理的に不可能に近いのではないでしょうかね。
もちろんですね、原作の精神とかね、魅力、それを最大限に尊重すべきだとは思うんですが、キャラクターの瞳の色とかね、美容が違うとかね、アニメならではの色設定の都合とかもいろいろあるわけですよ。
そういうことも考えるとね、あんまり細かいことは言わなくてもいいんじゃないかなと思ったりするんですがね。昔ですね、NHKでね、キャプテンヒューチャーがアニメ化された時なんてね、もう原作と笑っちゃうほど全く別の話でね、もはやキャプテンヒューチャーという名前をかけたら別の話だったんですよ。
スプレーヤープロもね、スターウルフもそうだったんですね。スターウルフ。さらに劇場版アニメ、SF新世紀レンズ版もですね、それからその定番のね、ギャラクティックパトロールレンズ版、これもね、もうはやパラレルワールドって感じでしたね。原作と違いすぎるんですよ。
でもね、当時は特に怒りも沸かずにですね、「まあそういうこともあるよね。」って客観していたんですよね。原作に忠実っぽいと思われても、世界名作劇場のシリーズだってですね、結構大胆なアレンジが加えられてるんですよね。
母を訪ねた三世になんて、ほぼオリジナルストーリーなんです。当時は一年間アニメをするために、いろいろと無理がしていたんですね。だから高畑勲版の赤髪のアンダって、オリジナルエピソードが結構あったんですよね。
原作の素晴らしさを広めるために、アニメと原作の違いを指摘するのは良いことだと思うんですよ。原作のほうが好意なんですよ。でも原作通りじゃないと許さないっていうのはね、あんまりも結局せっかくの新しい作品の可能性を潰しているような気がするんですけどね。自分はね、そう思うんです。
赤髪のアンという、普遍的な魅力を持つ物語を使って、新しい世代に向けて、新しいアンシャーリーを作ろうとする人たちの創造性を頭ごなしに否定するのがどうなのかななんて、個人的には思っておるわけです。
正直、以前の高畑版の赤髪のアンはですね、話の展開がゆっくり過ぎましてね、子供の頃の私にはちょっと退屈に感じた部分もあったんですが、今回のアンシャーリーはスッと物語が張り込みまして、テンポが非常に良いんですよね。
海底二万マイリーというタイトルで、中身が不思議な海のナディアだったら、それは全然違う、怒ってもしょうがないと思いますけどね、今回のアンシャーリーは個人的には全然気になりませんでした。むしろ新しいアンの魅力が発見できてワクワクとしました。
というわけでね、皆さんね、先入観なしにアンシャーリーのアニメ、ぜひ見てみましょうよ。見てからそれぞれのアンについて熱く語りましょう。それはね、アンシャーリーを愛する者たちの新しいスタンスではないのかなと思っております。
というわけでね、今回はね、アンシャーリーを純粋な目で見てみましょうっていう話でした。
はい、それではまた次回よろしく。ピョン吉のお宝の話にお付き合いくださいね。本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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