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2025-09-27 06:31

#138.5 ポッドキャスト配信リレーで話したドラマの話

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「ポッドキャスト配信リレー2025」に17時15分に配信された自分の話した円谷プロが作った「恐怖劇場アンバランス」についてを、NotebookLMでポッドキャスト化したものです。人名、地名が多い話だったのでNotebookLMには難しいですね。円谷が「えんたに」とか、須賀川が「すがかわ」とか誤読だらけで、配信してはいけないレベルですね。

サマリー

1970年代の特撮番組『恐怖劇場アンバランス』は、制作経緯や福島との深いつながりを通じて、独特の魅力を持つ作品として再評価されています。番組は当時の誤解を超え、実験的な精神がその魅力を形作っています。

恐怖劇場アンバランスの制作
こんにちは。こんにちは。ピョン吉さんようこそ。今回はですね、ピョン吉さんからいただいた資料をもとにして、1970年代の特撮番組、恐怖劇場アンバランスについて、こう深く掘り下げていきたいと思います。
この番組、資料を読むと、タイトルが示す通り、本当にアンバランスな好きな運命をたどってきたみたいで。
そうですね。単なるカルト作品というだけじゃなくて、その制作の経緯ですとか、あと福島とのつながり、これがまた興味深いんですよね。ピョン吉さんの資料をよくまとまってます。
ですよね。じゃあそのアンバランスさ、一緒にひも解いていきましょうか。
はい、ぜひ。
まず基本情報から、恐怖劇場アンバランス、これはエンタニープロが制作して1973年に放送された1話完結のホラードラマシリーズってことでいいんでしょうね。
その通りです。コンセプトとしては、日常のバランスが崩れた時に起こる回を描くという。
なるほど。
でもですね、ピョン吉さんの資料で特に面白いのが、このアンバランスっていうタイトル、企画自体はもっと古いっていう点なんですよ。
えっとそうなんですか。
1960年代にアメリカのトワイライトゾーン、あれに影響を受けてエンタニープロが大人向けのSFドラマとして最初に企画したのが実はアンバランスだったんです。
へー、じゃあその最初の企画はどうなったんですか、資料によると。
それがですね、放送の直前になってタイトルが変わって、結果的に国民的な番組、ウルトラQとして世に出たんですね。
えっとウルトラQが元々アンバランス?
そういうことなんです。だからもし最初の企画のままだったら、その後のウルトラマンシリーズもどうなっていたか、ちょっと歴史が変わっていたかもしれないっていう。
うわー、それはすごい分岐点ですね。ウルトラQの源流にアンバランスがあったとは。
ええ。
それから時が経って満をもってというか、2度目のアンバランス、つまり今回取り上げている恐怖劇場アンバランスが企画されて1969年から制作が始まったと。
そうなんです。でもその2度目の挑戦もまた順調にはいかなくてですね。
ああそうなんですか。
福島とのつながりと再評価
はい。13本観戦したらしいんですけど、内容が陰鬱すぎるとか救いがない怖すぎるみたいな理由ですぐには放送されなかったんです。お蔵入りですね。
怖すぎてお蔵入り。今見るとそこまで過激には感じないかもしれないけど、当時のテレビとしてはかなり衝撃的だったんでしょうね。
そうだったんでしょうね。それで結局完成してから3年ぐらい経ったのかな。1973年になってようやく深夜枠で。
ああ深夜で。
フジテレビ系でしかもなんていうか心臓の弱い方はご遠慮ください的なそういう注意書き付きで放送されたという。
すごい扱いですね。ますますカルト感が増しますね。
異例だったと思います。
そしてですねピョン吉さんの資料でこれもまた驚いたんですけど、この作品と福島県とのその深いつながり。
ああこれですよね。これは本当に注目すべき点だと思います。
まず監修の円谷英二監督はもちろん菅川市のご出身ですけど。
はい有名ですよね。
それだけじゃないんですよね。カメラマンの森いひろしさんこの方はなおめ町出身とされているとこ。
ええ。あと受監督だった東条翔平監督は北方市。第4話の監督の山際英三さんは藍津若松に疎開経験が終わりで。
ああそうなんですか。
さらに三田和穂監督の奥様も菅川市出身でしかも円谷監督の親戚筋にあたる方だとか。
へえすごいですねスタッフに福島ゆかりの方がこんなに。
多いですよね。単なる偶然とはちょっと考えにくいぐらい。
本当ですね福島ゆかりの作品って言ってもいいぐらいですよね。
まさに。
客音にも小山内美恵子さんあの後の金髪先生の。
ええ。
それから市川盛智さんもいらっしゃるし監督にはなんとあの映画監督の鈴木基準さんまで。
そうなんです鈴木基準監督が撮った回もあるんですよね。
出演者もすごい藤浦さんとかあと子役時代の鶴広美さん。
ああ後のドキンちゃんですね。
そうですそうですいやーこれだけの才能が集まってたんですね。
ええ本当に良く作だったんだと思います。
でもこれだけのメンバーが集まってなんで放送当時はそこまで大きなヒットにはならなかったんでしょうかね。
資料によりますとちょうど同じ1973年エンタリープロはウルトラマンタロウとか。
ああタロウ。
ええあとファイヤーマンとかジャンボーグAとかもっと子供向けの派手なヒーローものをたくさん作ってた時期だったんですね。
なるほどそっちがメインだったんですね。
ええなので世間の注目とかまあ社内のリソースなんかもそちらに集中してしまってアンバランスみたいなちょっと異色な作品は埋もれてしまいがちだったんじゃないかと。
なるほどな時代の流れとかまあ会社の中での立ち位置もある意味アンバランスだったのかもしれませんね。
そうかもしれないですね。
でもだからこそ今こうやって見直すと面白いのかもしれないですね。
主流からは外れてたかもしれないけどその実験的な精神とか独特の雰囲気っていうのはまさにタイトル通りすごく魅力的に感じます。
えーそう思います。
ピョン吉さんからいただいた資料をこういろいろ見てくると恐怖劇場アンバランスっていうのは単なる古い特撮ってだけじゃなくてその好きな運命それから福島との深い縁そして時代の中でちょっと異彩を放ってた実験性
なんかそういうすべてが合わさって作品自体のアンバランスな魅力を形作ってるんだなぁと感じますね。
当時はなかなか受け入れられなくても後になってその価値が見直されるっていうそういう時間差の評価っていうのもまたこの作品のアンバランスさを象徴しているのかもしれないですね。
ピョン吉さん今日この一連の話を聞いてみてご自身としてはこの恐怖劇場アンバランスのどんなところに一番アンバランスで惹かれる魅力を感じましたがぜひちょっと考えてみていただけると嬉しいです。
次回の配信もお楽しみね。
さようならー。
06:31

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