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2025-09-27 07:32

#138 新地町でトキワ荘に関係するマンガ家横山孝雄さんの原画展開催

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ピョン吉の航星日誌「#1308 新地町で開催中の「横山孝雄原画展」と横山さんの話」をNotebookLMでポッドキャスト化したものです。

サマリー

福島県新地町で開催されている横山孝雄の原画展を通じて、彼の独特なキャリアやトキワ荘との関係が探求されています。このエピソードでは、横山さんの初期の作品や彼の文化継承活動についても触れられ、貴重な歴史や記録の重要性が強調されています。

横山孝雄の背景とトキワ荘
こんにちは。さて今回はですね、送ってくれた方のレポートを一緒に見ていきたいと思います。
福島県の新地町で開催された横山孝雄原画展、こちらのレポートですね。
横山孝雄さん。このレポートをもとに横山さんのユニークな足跡についてちょっと深く掘り下げてみましょうか。
横山孝雄さんというと、トキワ荘のレジェンドたち、手塚はじめさんとか石ノ森翔太郎さん、赤塚富次雄さん、そういう方たちと交流がありつつも通い組だったんですよね。
そうですね、住んではいなかった。
赤塚さんの最初のアシスタントで、その後富次雄プロのマネージャーも務めて、晩年はアイヌ文化の研究とか紹介に力を注がれた方で。
非常に興味深い経歴ですよね。
ですよね。このレポートから、漫画界の終身にいた時期とその後の文化継承活動っていう、一見ちょっと違う世界を結びつける横山さんの人物像、それからこの原画展が持つ意味に迫っていければなと。
はい。
送ってくれた方、どうもありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ早速見ていきましょうか。
まずレポートにある横山さんの出世なんですけど。
中国生まれで、戦後お父さんの故郷の福島県新地町に引き上げてきたと。
あー、引き上げ者だったんですね。
そうなんです。高校までここで過ごされた。
あのー、赤塚富次雄さんとか千葉哲也さんも引き上げ者だったっていうのはなんか面白い繋がりですよね。
ね。レポートでも、それがもしかしたら後の赤塚さんとの縁の一員かもなんて書いてありましたね。
富次雄プロには他にも高井健一郎さんとか北見健一さんとかいらっしゃったようですし。
あー、なるほど。当時の時代背景みたいなものも感じますね。
感じますね。
それで、時場層には住んでいなかった通い組。
えー。
角田二郎さんなんかもそうだったとか。
原画展の内容と影響
あ、そうなんですか。えー。
で、その繋がりっていうのが結構早くから始まってるんですよね。高校時代に。
と言いますと?
隣の宮城県にいた石ノ森翔太郎さんが主催してた東日本マンガ研究会。
あー、ありましたね。
これに参加してて。で、この頃からもう赤塚富次雄さんとは分通してたっていう。
えっと、分通ですか?高校時代に。
そうなんですよ。
それであの、修学旅行で松島に行った時に抜け出して石ノ森さんに会いに行ったっていうエピソードが。
これすごいですよね。
いや、すごい行動力ですよ。
だって当時もう天才高校生漫画家として連載持ってたわけじゃないですか。
そうなんですよ。
時はそうで会うよりも前だったっていうのがまたね。
うーん、若い頃からの情熱がすごい。
で、さらに高校時代の就職圧倒で上京した時にも赤塚さんとか横田徳雄さん、長谷邦雄さん、あと手塚はじめさんにも会ってるっていう。
えー、もう想像たるメンバーに。
この行動力がほんとすごいなと。
それで東京の玩具メーカーに就職されて、その後休日に石ノ森さんとか赤塚さんがいる時はそうへ遊びに行くようになったと。
あー、まあ自然な流れだったのかもしれないですね。
でしょうね。
さてそれでその新庁町での原画展の内容なんですけど、レポート読んでておっと思ったのが横山さんが石ノ森翔太郎さんのアシスタントも一時期やってたっていう記述があったんですよ。
あー、はいはい。赤塚さんのアシスタント第一号っていうのは有名ですけど。
有名ですよね。でも石ノ森さんの足も。
ええ、赤塚さんがこう売れっ子になってものすごく忙しくなった後で石ノ森さんの方にバトンタッチしたみたいな。
なるほど、そういう流れがあったんですね。いやー多彩というか。
うん。展示の中心は1979年に秋田書店のひとみっていう少女漫画雑誌ですね。
はいはい、ひとみ。
これに連載されたアニマちゃんの原稿だったそうです。
アニマちゃん。
レポートによると動物の絵はいかにも横山さんらしい温かいタッチなんだけど、主人公のアニマちゃんの絵柄がなんかかなり違って見えたと。
えーそうなんですか。
だからもしかしたら誤作だったのかなっていう可能性も。
あーなるほど、誤作。
70年代には水嶋真嗣さんと里中万智子さんの誤作もあったなんて例も挙がってましたね。
あーありましたね、そういう時代。
他にはカラー原稿でキノコ裁判っていうのとか。
キノコ裁判。ユニークですね。
あとはやっぱり後半戦のテーマになるアイヌを題材にしたイラストもたくさん。
それと東日本漫画研究会のメンバーで作ったエクボっていう歌詞本漫画。
あーそれは貴重ですね。現物が見られたっていうのは。
これは大きいですよね。
でそのアニマちゃんが連載された1979年。
これがちょうど横山さんがフジオプロのマネージャーで、しかもアイヌの女性と結婚された年でもあるんですね。
あーそうなんですか。まさに転機。
そうなんです。レポートでも指摘されてますけど、孔子ともに節目となる年だったんじゃないかと。
人気プロのマネージャー業と作家活動と、そして人生のパートナーとの出会い。
いやーなんかいろいろ重なってますね。
文化の継承と記録の重要性
キャリアを考える上でも、なんかすごく資産に富む時期ですよね。
それでレポートの筆者の方は、もっとフジオプロ時代のこう逸話とか知りたかったなーという思いも書かれてて。
あーそうですね。
やっぱり、いわき市出身の寺島刑事さんとか、鳥井和義さんとか、フジオプロ関係者の方も最近亡くなられる方が多くて。
そうですね。2022年でしたか。
ええ。だから当時の横山さんを知る人がだんだん少なくなっていくっていうその寂しさも綴られていて。
うーん、これは仕方ないことかもしれないですけど、やっぱり文化とか歴史を記録していくことの難しさとか大切さっていうのはあらくめて考えさせられますね。
本当に。
まあご本人がご存命のうちにっていう思いはそれはあったかもしれないですけど、でも今回こうして故郷の新地町で原画展が開催されたこと自体がすごく大きな一歩ですよね。
そうですね。開催された意義は大きい。
ええ。レポートの結びにもあるように、今後の調査とか研究への期待につながっていくんじゃないかと。
うーん、送ってくれた方もきっとそういう文化の記録とか継承の意義っていうのを感じられたのかもしれませんね。
ええ、そう思います。大手なプロダクションのマネージャーとして漫画界の中心にいた方が、やがて愛の文化の保護とか紹介にこう情熱を注いでいくっていう、この大きな転換っていうのは一体何を物語っているのかなってちょっと考えさせられますよね。
ええ。クリエイターの内面にあるその価値観の変化なのか、それとももしかしたら最初からこう秘めていた思いがあったのか。横山さんの人生っていうのは、なんか我々にそういう問いを投げかけているような気もしますね。
本当ですね。いやー深い。今回の探究のきっかけになるあの貴重なレポートを送ってくれた方、本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
次回の配信もお楽しみに。
さよならー。
さよならー。
07:32

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