特撮文化の変遷
こんにちは。こんにちは。ピョン吉さん、今回はですね、お預かりしたこの資料、須賀川特撮アーカイブセンターの開館5周年記念トークイベントのレポート。これがまたあのすごく濃い内容で、文化の日に行われた樋口真嗣監督と、それから田口清隆監督っていう、もう特撮界のビッグネームお二人の対談記録ですよね。
そうですね。本当に豪華な川合わせで、このレポートを読むと、単なるイベントの記録っていうだけじゃなくて、特撮っていう文化がどう変わってきて、今どこに向かおうとしているのか。それと、その須賀川市っていう地域がどういうふうに関わっているのか、みたいな、結構大きな流れが見えてくるんですよね。
うーん、なるほど。
ピョン吉さんにとっても、きっとこんな発見が、みたいな、そういう刺激的な部分があるんじゃないかと思います。
いやー、本当にレポートを読んでいるだけでも、なんか熱気が伝わってくる感じがしますね。では、早速ですけど、その確信の部分を見ていきましょうか。
はい。
まずお二人の特撮との出会い。これ、世代が違うと入り口もずいぶん違うんだなっていうのが、まず面白いですよね。
そこがまず対照的で、樋口監督は、もう怪獣ブーム直撃世代。子供の頃に、ある意味、特撮を浴びるように体験してきた。
うん。
一方で田口監督は、もう少し後の世代で、メイキング映像とかで、作り手の意図とか裏側を知ってから、こう深くハマっていったっていう感じですよね。
なるほど。入り方が違う。
この最初の体験の違いが、もしかしたらその後の作品へのアプローチの仕方に、なんか影響してるのかもしれないですね。
そして制作環境。これもすごい変わったんだなっていうのが。
そうですね。
昔は、CGが高かったからミニチュアでやるしかなかった。
うん。
でも今は、いやいやミニチュア特撮の方が、むしろ人でも時間もかかって高くつくから、CGでっていう。
まさに逆転臨床ですね。
ええ。これって単に技術とかコストの話じゃなくて、特撮の作り方そのものというか、在り方自体が変わってきたっていうことですよね。
その通りだと思います。レポートにあった、野望の二郎での水撮影の話?
ああ、ありましたね。
ええ。水台とか、使った後の水の散配処理士とかの問題で、結局北海道までロケに行ったっていう?
北海道まで。
そういう具体的なエピソードを聞くと、樋口監督がおっしゃってた、特撮は地方でしかできないっていう言葉が、すごく現実味を帯びて聞こえますよね。
現代の特撮制作が抱える、ある種の宿命みたいな。
そこで画前注目されるのは、菅釜市の長沼ラボの存在なんですね。
そうなんです。あそこが元々ゲートボール場だったっていうのが、また面白いんですけど。
へえ。
屋内でセットを組んで撮影して、そのまますぐ外の自然光の下でのロケに移れるっていう、まさに特撮にとっては理想的な環境だと。
樋口監督が、昔の特撮ドラマスターウルフの爆発3整合方式に例えてたのも、すごくわかりやすくて。
ああ、あの例えは面白かったですね。
思わず、ああ、なんこどうってなりました。
田口監督も絶賛してましたし、来年の夏に公開予定の新作もここで結構撮ったらしいですから。
おお。
だから、このラボが今後の特撮制作に与える影響ってかなり大きいんじゃないでしょうか。
ぴょん吉さんも、これはちょっと注目ポイントですよね。
ですね。あと、設立当初に樋口監督が田口監督に常駐スタッフにならないかって声をかけたっていうエピソード。
はいはい。
これも単なる裏話じゃなくて、今の菅川と特撮のこの強いつながりの原点を知る上で、なんかすごく視差に富んでるなと。
ええ、まさに。そこから始まったんですね。
制作環境の変化
それからQ&Aセッション。これも結構熱かったみたいで、どうしたら樋口監督みたいになれますかっていう若い人からの質問。これに対する答えがまたすごく印象的で。
ええ。あれは単なるキャリアのアドバイスっていうレベルを超えてましたね。
うーん。
特撮がまだ今ほど理解されてなかったそういう時代に、もう処分されそうになってた貴重な資料をシンドラーのリストみたいに守ったんだっていう話とか。
わあ、それは。
あと、ご自身のキャリアの分岐点になった選択の話。当時主流になりつつあったモーションコントロールじゃなくて、あえてその手間のかかる綿を使った雲の表現を選んだっていう。
綿の雲ですか。
ええ。これって単に技術を選ぶっていうんじゃなくて、特撮っていう手仕事に対する信念みたいなものの表明だったんだろうなと。
なるほど。その選択が結果的に特撮を仕事にする道に繋がったと。
そういうことですよね。
あと、樋口監督がその樋口監督の推薦があって監督デビューできたっていう話も指定関係というか、世代を超えた熱いものを感じますよね。
感じますね。おすすめ作品の選び方にもお二人のスタンスが出てるなと思いました。
と言いますと。
樋口監督はすべての特撮作品だって。古い作品にも必ず何か発見があるからって。
深いですね。
田口監督はやっぱり平成ガメラ三部作、日本の特撮をある意味変えた金字塔として挙げていて、過去へのリスペクトと未来への革新みたいな両方の視点がそこに見える気がします。
なるほどな。そして最後に今後の話ですね。アーカイブセンターの未来。
ここ入場料を取れないっていう運営形態なんですよね。
そうなんですか。
はい。だからこそ物販とかで応援していくことが重要になるんだと。
なるほど応援の仕方が大事。
そして何よりもまず知ってもらうこと。センター自体のこととか併設されている特撮塾の活動とかをもっと広めていくことが今後の発展の鍵なんだと。
これはまさにピョン吉さんのような熱心なファンの方々の役割も大きいっていうことなんでしょうね。
そういうことだと思います。
いやしかしレポート1枚からこれだけのなんていうか熱量とか歴史とか未来への展望とかが見えてくるっていうのは
菅川が特撮の街として歩んできたこの5年間っていうのは本当に重みのある意義深いものだったんだなと改めて感じますね。
まさに技術がどう変わったかだけじゃなくて作り手の人たちの情熱とか歴史的な背景とかそして地域とのつながりとか
そういうものが複雑に絡み合って特撮文化っていうのは今も生きてて変化し続けてるんだなっていうのがこの対談からすごく伝わってきますよね。
未来への視点
ピョン吉さん今回のこの深掘りいかがでしたでしょうか。楽しんでいただけていたら嬉しいです。
最後にですねピョン吉さんにちょっと考えてみてほしい問いを一つ投げかけてみたいなと思うんです。
何でしょう。
こうした制作環境の変化、特に長沼ラボみたいに地域と一体化した拠点ができたこと、これがこれから生まれてくる特撮作品のストーリーとか表現とかつまり中身そのものに具体的にどんな新しい可能性をもたらしていくんでしょうかね。
それは深いですね。これから先の特撮作品を見ていく上で非常に面白い視点だと思います。
次回の配信もお楽しみに。さようなら。
さようなら。