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よくある話なのかもしれないですけど。
はい、なんでしょう、こうふうくん。
パズルのその時味みたいなものと関係するのかもしれないですけど、いわゆるアハ的な要素っていうんですかね。
ありますね。
オッてなる、ひらめき要素っていうんですかね。
そういうものってまあ、少なくないと結構あるし。
そうですね。
僕らもそれが好きな部分もあるし、それはもう一度見るんですけど。
そうですね、結構好きですね。それが好きでやってるみたいなところがあります。
まあその、なんていうんですかね、爽快感っていうんですかね、一瞬の。その心地よさみたいなものがあるよね、と思うんですけど。
長いこと関わってきて、いろんなひらめきに出会って、こっちも耐性がついてきて、多少のびっくりでは同時だがなるっていう。
いや、そんなことないんですけども、もちろん驚くことはあるんですけど。
そうなる怖さっていうのかな。ひらめき要素は楽しいし嬉しいんですけど、そればっかり来ると結構、そのうち全然感じなくなってくるんじゃないかなみたいなことを思ったりもするんですよね。
まあでもアハってね、最初のアレだから、新しいアハはやっぱりアハなんじゃないですかね。
まあそうなんですよね。
アハ慣れしちゃいます?
あと作る側の観点から言っても、新しいタイプの何かを作り出すっていうのは、いつか限界が来るんだろうなって思うこともあるんですよね。
難しくなってくるかもしれない。
やたらに悲観的に思ってるわけじゃないんですけど、実際誰かが新しいの作ってきたりとか、それによって新しい分野が開拓されるようなこともあるので、全く何も起きないとか嫌だっていうわけじゃないんですけど、
前に学校の先生とかが授業の研究みたいなことをしてる人が言ってた話で、刺激的な、わーっとびっくりするような授業とかって、やっていくとだんだん受ける方も同じことですよね。
体制がついてきて、ちょっとやそっとのびっくりでは何か何か同時なくなってくるっていう。
そうかもしれないですけどね。
そういうような話をしてて、同じなのかわかんないですしね、ちょっと遊びなんで、それは全く同じではないかもしれないですけど、楽しいと思いつつ困ったものっていうかね、難しいものがあるなとちょっとこう思ったと。
なるほど。あはーなれしてきましたか、ついに。
例えば似たようなことでいくと、これはパズル関係の人ですけどね、不可能物体ってあるじゃないですか、できるはずのないものができてて、穴になぜか通ってるとかそういうやつですよね、いわゆるね。
でそれを見て、最初の頃はお、これはすごいなとか、不可能物体だと思うんですけど、大体ひとしきりそういうものを見てしまった上で、改めてどっかで出会ったりすると、あ、不可能物体ねっていう受け取りで終わるっていうか。
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まあまあ。
でそこにこう気づく、自分がいるっていう、愛外観っていうのは、そういうなんかあの、まあ寂しさとも違うんだけど、なんかやっぱり新鮮味が失われてしまうっていう、何でもそうかもしれないですけど、そういうのってのはどうしたらいいのかなと思うことがありますけどね。
まあまあ何でも慣れてくるもんですよ。まあそうですよね。
こうやってでもこのところでやってるんで続いてるから全然そういうの飽きてないんだろうと思うんですけど。
まあでも手品みたいなもんでもそうですよね。やっぱり最初は何でもびっくりしますけど、そうですね。ひとつなんかネタを知ってしまうと、ああこれはあれの応用だなとか、だんだんね手品もわかってきちゃいますしね。
そうするとだんだん確かに純粋に楽しめてないかもしれない。
まああのね、よく言うその知識はあった方がいいけど有りつけると邪魔になるっていう話ですよね。
まあもちろんそれはそれで今度作るとかどういう仕組みになってるかなっていうような観点で見るようになるんで、まあ別の楽しみ方というか楽しむフェーズが変わったんだというふうに今見れば悲しいことも全然ないんですけども。
あの前にね、溶けてしまうとある種なんか何かを失ってしまったような寂しさがあるっていう確かそんなツイートがあったと思うんですけど、それもなんかちょっと通じるものがあるんですよね。結局知ってしまったということですね。
それはありますね。確かにアハ系のものってもう一発芸みたいなところありますから、それさえ知っていればすぐ溶けるっていうものも結構多いんで、知ってしまうともう自分自身はほとんど楽しめなくなっちゃいますね。
だから私なんかはアハ系のパズルは自分がアハと思って気に入ったパズルはやっぱりそれを人にやらせてみるっていう遊び方というか使い方を結構しますね。私の感じたアハを皆さんにも体験してもらいたいという思いで、そういう使い方というか遊び方が多いですね。
まあそうですよね。延々新しい。だから小説とか映画とかと結局同じ話になるんだと思うんですけど、この類のものはその種というかその結末というか何かを知ってしまったらもうそれは戻れないということで、どうしようもなくてないんで。
確かにその時にずっと味わうことができないんで、次はって時に例えば作る側に回るのか、紹介する側に回るのかみたいになるんでしょうねこれはね。
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そうですね。
まあ仕方ないし分かっちゃいるんだけど、何か生むのそうなんだよなと思ったりはしますね。だからその知らないで遊ぶ人とかそれは羨ましいと思いますしね。
常にいいなと思いながら見たりしてるわけですけどね。
なるほど。
別に何かこうしたいとああしたいっていうのがあるわけじゃないんですけどね。
ある時ふと伝える立場になってるけど、これはだから味わう立場からだいぶ離れてきてるかなと思ったりもするんですよね。
なるほどね。
だから逆にパズル外の何か別の方面の何か新しいものとかおおって思うものを見てみようとかっていう感じで。
なるほど。次にね。
一旦ちょっとパズルは置いといてっていう別のを見て、逆にでもそれで何か思いついたりすることももちろんあるんですけど。
それはそれでいい動きじゃないですか。
なんかこうね、純粋楽しむって何を言うのか分かんないんですけど、純粋楽しみたいなと思うこともあるんですね。
贅沢なお悩みですね。
そうなんですよね。でもそれは今考えてみたら、自分で作るっていう過程の中でそれを味わってるとも言いますよね。
全く同じもの誰も作ってないとは思わないですけど、作ったらこの瞬間に自分が味わうのは初めてだっていう意味で。
新鮮というかね。
そうですよね。作る人っていうのはそれを解いた人とはまた違う感じなんでしょうね。
そうですね。
解いたことにはならないですよね。
種類にもよるかもしれないですね。
機械的に何か例えばセレクション的な意味で調べて見つけたっていうのはそれは解いた感じなのかもしれないのでちょっと分かんないですけど。
自分の中にいくつかチャンネルがある感じですかね。そういう解いたっていう風な思える部分もあれば、
作る側に回って、でもこのためにはちょっとここら辺を変えたりとかっていう、道順を知りつつでもその道も歩いてるみたいな、そういう感じですかね。
そうですね。
今更そのね、純粋にただ遊ぶだけの人に戻れないのはもう十々承知なんで、しょうがないんですけどね。
どんな分野の人でもきっとそんな感じになるんでしょうねっていうことですよね。
だからやっぱり自分以外の作る人とか遊ぶ人を見つけるってことが大事なのかなと思うんですよね。
どうしようもないんですけど、パズルって一人遊びが基本なんで、つるむ必要は必ずしもないって言われたらそうだし、別に自分で完結してる世界だと思うんですね本来は。
でも今みたいなその、ある程度ですけど進んでいくと、なんか全部やった気になってしまう、そんなわけないんですけど、
なんかなんていうのかな、変な全能感というかちょっと違うんだけど、なんか新鮮味を感じたくなるみたいな、すごい変な世界ですけどやっぱり来ることは当然あって、
その時になんでしょうね、自分がよっぽど強力に新しいものを作る側に回るか、もしくは新しい作ってる人とか新しい遊んでる人を見つけるかしないと、すっとこう熱が消えてしまう部分がなんかあんのかなって。
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そういうわけでやってる分に限界がありますよね。だからなんか人じゃなくてもいいんですけどね、その情報なり、本とかそういうサイトとかそういうのかもしれませんし、
なんかこう自分以外のところからもらってくるものがないとなんかやっぱり続かないんだなって。
なるほど。
たまに例外もありますけどね、本当に一人だけで天才的にずっと作ってる人とか。
いますね。
いますよね。そういう人は意外と逆に有名なものを知らなかったりするんで。
それはそれで、それが強さになるというか変な思い込みがないっていうのがあったりするので、だからそれはすごい例外な気がしてて僕は。
まあまあ人生ですからね、どっかでこうなんだろうパズルに集中したり離れたり緩くなったり、まあいろんな機会があってもいいんじゃないですかね。
まあそうですね。
私なんか結構何年もパズルから離れたりいろんなことしてますから、それぐらいでいいと思えば気楽です。
まあ遊びですからね。
そうです。
楽にやろうっていうのはなんか分かる気がします。とか言いながら結局は続いてるっていうか関わってるってことはまあなんざるでもないというかね。
少なめの回があった方がいいって言ったら本当に少なくなってしまった。
まあ編集する関係上なんていうかね、あんまりむちゃくちゃ長いのは大変なんですけど、
浸出しすぎて短くなるのもちょっとあれだな、大丈夫かな。
いやーこれでも真面目なパズルのお悩み相談みたいな感じだね。
そうですね。
いやーまあでも確かに僕から見ると幸福くんはもう劣機としたパズル家ですから、
そうですか。
やっぱりそういう悩みになっちゃうんですね。
私なんかはもうちょっとこうライトな感じでやってるから、どういうつもりなのか。
僕もあんまりね、そんなに深くは考えないようにしてるんですけどもね。
考えることがなくなってくるとそうなっちゃう部分もあるかもしれないですよね。
あとこのパズル家って言葉あるじゃないですか、今のパズル家って書く。
これ最近気付いたんですけど、例えば音楽家とか建築家みたいな意味でパズル家っていう言葉を編み出してるんだと思うんですね。
なんとなく我々の界隈で。
でもそういう時のパズル家って遊ぶ人も作る人も集める人もとかいろいろ含むじゃないですか。
そうですね。
でも建築家って建築を味わう人とか建築を集める人とかっていうのは多分入ってない気がして、建築物を作る人を建築家って言いますよね。
そうですね。遊ぶ人のパズル家なのかな。
音楽家って場合に音楽を作る、作曲とかする人も音楽家でしょうけど、演奏する人も音楽家?
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聴く人は音楽家ですかって言われると、音楽家は聴く人かもしれないけど、聴く人は音楽家って言えるのかなってちょっと思って。
言わないですね。
これパズル家ってなんか不思議な広さ持ってるなと思ったんですけどね。
どうでしょう。パズル家って作る人はもちろんそうでありますけど、遊ぶ人をパズル家って言いますかね。
遊ぶ一般って言うよりは、コレクションも含めて熱狂的に遊んでる。
コレクションか。
コレクションとかそういうのも、ソルバーとかいうのもそうですけど。
ソルバー、ソルバーいますね。
得人ですよね。
だからそれっていうのは結局パズルに深く関わってるっていう意味ではそうなんですけど、建築に深く関わってるのは建築家だとかそういう観点で言ってそうなんですけど。
そうか。
なんかでもちょっと特殊な感じが。
何かっていう、他のと比べるとちょっと違いますかね。
ちょっと不思議だなと思ったんですよね。
そうです。
他のがおかしいのかもしんない、分かんないですけどね。
そう考えるとソルバーはパズル家ではないと。
そんな危ない発言してないですよ。ちょっと怒られちゃうんで、変なところ。
いや、そんなことはないですよ。他のジャンルの定義を持ってくると、ソルバーは違うことになるのかなとか。
なるかもしれないというね。
あれは収集家って言っちゃいましたね。
そうですよね。
収集家はパズル家じゃないのかなって言うとどうなんでしょうねっていう。
言う話だとちょっと思いましたね。
関わってる人、深めに関わってる人、強めに関わってる人をなんとなくパズル家って呼んでるのかなと。
のかな。でも他のジャンルで言っても作る人はパズル家ですから、コウホーはパズル家でいいと思いますよ。
そうですか。
でもそうか、建築や音楽っていうのは趣味でもあるけど職業にでもなるから、ちょっとそこら辺の使い方が違うのかな。
パズル家はかなり遊び的な要素を強く言ってる。あんまりね、職業的なイメージとして弱いかもしれないですね。
それはあるかもしれないですね。
職業はパズル作家とかって言いますよね、しっかりと。だからそういう意味で言うと音楽家建築家とはやや違うのかな。
なるほど。
音楽家も、中にピアニストとかギタリストみたいな、また細分化されたのいますしね。
その中にソルバや何やらがいると思えば、そんな変ではないのかな。
なるほど。その辺りも割と昔からパズル家っていう言葉にコウホーくん特に敏感に感じてるような気がしますね、そういえば。
こうあるべきっていうのはないんですけど、こういうんだとか、こういう使い方するんだって眺めるっていうのは結構多くて。
なるほど、なるほど。
だんだん僕の認識も変わるんですけどね。
そっか。
結構ありますよ、あんまり話題してないのかな、わかんないけど。
パズルのデザインっていう、デザインっていう風に使う時のデザインみたいなのが何なのかなとかね、いろいろ。
デザインは、設計することもデザインとも言いますし。
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そうなんですよね。
ですよね。
あと、カタカナ用語としてのデザイナー、パズルデザイナーですっていう言い方に、なんかこう変な感じがちょっとあるんですよね、僕は今なに。
英語で書くのはね、別にパズルデザイナーって書くのは全然そうだろうなと思うんですけど、カタカナでパズルデザイナーですってなんか違和感があるような、なんか引っかかる感じがあるんですけど、何なのかが今なによくわかんないですね。
デザイナー。
なんか気恥かしさみたいなのがあるのかもしれない。
それはそうなのかもしれないね。
そういうね、本質じゃないんだけど、そこに代わる言い方とかっていうのが、あれ、これは何なのかなって思うこと結構ありますね。
なるほど。
喧嘩にならないように雰囲気で適当に言ってますけどね。
こういうところでたまに言うぐらいにね、あんまり言わないですけど、こういうの始めてから言うようになったかもしれないですけどね。
別になんかそういうね、こういう考え方で統一しようとかいう考えもないので、まあいいんですけどね、好きに言ってもらっていいんですけど。
結構独特なんですよね、やっぱりね。それぞれの世界の言葉っていう感じで。
シルエットパズルって言葉がなんかね、ありますけど、あれってあんまり実は海外で言わないよなーとかね。
どっかで。
割と昔から言ってるけど、
そうですね、日本では。
日本のパズル家はよく言うけど、そんなに海外でシルエットパズルっていう括りしないよねっていう。
シルエットってフランス語ですか?
そうですね。
英語じゃないからあんまり英語で言わないのか?
かもしれないですね。シルエットはスペリングを見てもフランス語っぽいですよね。
そうですね。英語ではなんて言いますか?
英語でっていうか、括り方が、組み合わせるパズルとか、いわばアセンブリとか、プットギャザーとか、それの平面版2Dだとか、
あとざっくりフィギュアパズルだみたいな、そういう図形のパズルっていうような言い方ですかね、シェイプパズルとか。
シルエットパズルっていう、認識はしてるかもしれないんですけど、そういうものがなんとなくあるようなタグラムとか中心に。
でもシルエットパズルっていう分類名としては持ってる感じがしなくて、いろいろ本とか残されたものを見てて。
でも最近ちょっと変わってきてるよって話を最近あるところで書いたんですけどね。
プットギャザーの中の、そうですね、独特かな2本でシルエットって言っちゃいますよね。
どこから始まったのかなと思う。追えないっていうかどうっていうかわかんないんですけど、結構不思議な使い方だなとなんとなく思ってますね。
当たり前のように使ってる、すごく狭いパズルの世界の中ではさらに狭い話ですけど。
なんとなく言ってるけど、これどこから出てきたのとか。
なるほど。ちょっと気になりますね。どこから始まったか調べると面白いかもしれない。