狩猟への興味の再燃
わりと久しぶりのみみともですね。
うん、そうだね。
なんか先週、ご飯を食べに行った時に、鹿肉のパスタを食べて、
美味しかったね。
美味しかったんだけど、思いのほか子どもも鹿肉をパクパク食べていて、
これはやっぱりちょっと狩猟に足を、狩猟の世界に足を踏み入れようかなっていう熱がね、
また再燃してきた。
再燃してきた。
今なんだよ。
前ね、一回興味持ってたよね。
そう。
ね。興味は引き続き持ってたけど、ちょっといよいよかな、みたいな。
なんかいいな。
どの辺がいいなって思ってるポイント?
もともとはあまり深い理由はなくて、
去年だったっけな、あのうちにね、来てくださった方が、
資格を持たれてる方で、
あー、そうだったね。
っていう話がそうそう。
お聞きして、
いや、いいなーって、ただ思った。
その好奇心からいいなーって思ったっていうのがスタートなんだけど、
まあ、移住してきて暮らしていく中で、
なんていうのかな、この生活の手触り感みたいなものが結構いいなって思ってるのね、今。
で、それって、日々暮らしてて気候とか季節の変化みたいなのを感じるっていう、
それを体感するみたいなこともそうだし、
体の中に入れるもの、野菜とか例えばそういうものを、
自分の手で何か作るとか、そこから得ていただくみたいなものとか、
あとは必要なものを必要な時に自分の手で作るみたいなこととかね、そういうのも含めて、
お金を払うことによって手に入れることは簡単にできるものばかりなのかもしれないんだけど、
それを手触り感を得るというか、そういうものが結構いいなと思うようになってきていて、
で、お肉ってなかなか、野菜はね、結構庭でちょっと小さく畑やってますとか、
そういうこともやりやすいしやってる人も多いんだけど、
お肉ってあんまり自力で取っていただくっていうのないなと思ってて、
でもなんかその手触り感の一環なんだよな、私の中では。
なるほどね。確かにそのリアリティみたいなものがこう、分からないよね、スーパーとかで。
分かんないね。
陳列されてる時にさ、形が変わってるっていうのもあるし、
食品になって加工されてから売られてるから、
なんか手触り感っていう意味では確かに少し遠いところにある感じがするよね。
そうそう。
まあちょっとその、なぜ手触り感が、みたいなところを掘りたい感じなんだけど、
ちょっと今あまり言語化できない感じだから、
まあでもなんかそういうものを今欲してるんだなっていうことを、
自分もね、欲してるんだなっていうことは理解してて、
まあそれの一環って感じかな、狩猟は。
でもなんかなんとなく、そこの手触り感から狩猟までの距離がある気がしたけど、
そこはなんかすごい軽やかに飛び越えていかなかった。
狩猟もいろいろあるじゃん。
罠とかさ、銃。
一番惹かれてるのは銃なんだけど、銃はちょっと恐怖心もあって、
恐怖心もありつつも銃に興味が、銃に惹かれてるのは、そこはなんなの?
そこはね、好奇心。
そこは好奇心。
やってみたいっていう。
銃って私触ったことなくてまだ生まれてから、
トライしたことがないから、
なんかその未知の領域っていうか、未経験のものに対する興味だね。
すっごいね、いい顔してたから銃がいいと思った。
一瞬子どもの顔してたからいま。
好奇心の顔だと思うんだけど。
銃はでもね、銃の猟はやってみたいな。
ねえ。
そうそうそう。
なんかちょっと話がね、ずれるかもしれないんだけど、
今思ったことが、
なんかその、動物の命をいただいているって、
頭で理解してるじゃん。
別にこの年齢になったからって意味じゃなくて、
もっと昔からわかってることなんだけど、
生き物の命をいただいて、
スーパーに並んでいるような形で私たちは手に入れて食べてるんだなってことは理解してるんだけど、
なんかやっぱりすごい抽象的な世界で理解してるなって思ってる。
人から聞いた話とかさ、テキストとかで見た話とかさ、
だからある種自分と違う世界のような、
自分と違う世界で語られているようなことを抽象的に理解してるみたいな感じだなと思ってて、
それはなんかわかる気がするな。
で、それを、その手触り感みたいな話でいくと、
より自分の具体的な体験として理解したいってことなのかなーみたいなことを思ってて、
なんていうのかな、ほら、モンテッソーリ教育って、
0から6とかの子、すごく小さい時に結構具体的な体験をしてから、
人間って次、6歳以降とかになってくと徐々に抽象的な世界に行くよーみたいな発達段階になるんだけど、
なんかそこへ抽象的な世界を生きてきた私が、またその具体に今戻ってるみたいな、
そういう戻りたがってるっていうか、そういう感覚かな。
それはでもすごくいろんな側面で面白いよね。
いろんなことが思い浮かんでいるけど、
一つの側面でいくと、こっちに移住をしてきて、
そこを、なんていうのかな、具体が理解しやすくなったっていうのがあるかなと思う。
それこそさっきの野菜の話でいくと。
東京にいると、本当に世界中から集まってきてるから、
なんかこう、それが前提としてさ、見るじゃない、野菜を。
なんだけど、長野にいると、長野の野菜は安い。
遠いところのものは高い。
みたいなものっていうことのリアリティがわかるっていう。
狩猟を通じた理解
地産地消みたいなものとか。
確かに近くで採れたものは安いよね。
海外のものは高いよね、みたいなものが、
何ていうのかな、より具体となって現れているっていう。
そういうものは確かに感じやすいよね。
あと今畑で収穫したりもしてるけど、
季節的な概念とかもそうだよね。
今はこの季節に採れるものってこういうことだとか、
あとその畑をやってる人と、
秋はこういうのを植えようと思ってるみたいな話とかを聞かせてもらうと、
あ、そうか、次の時期はこれなんだね、みたいなこととかね。
なんか最近さ、オーディブルでさ、
『獲る 食べる 生きる』っていう本のね、
黒田未来雄さんっていう方が書いている本を聞いたのよ。
ある人がその本いいよって教えてくれてさ。
それはまさに狩猟の話なんだけど。
読みます。
多分すごい面白い。
で、それこそアメリカの方の狩猟の話も出てくるし、
北海道の狩猟の話も出てくるんだけど、
精神性みたいなものも語られるわけ。
その中で語られたりとかもするし、色語られるんだけど、
さっきの手触り感みたいな話とか生きるみたいな話のところでいくと、
なんていうのかな、やっぱり具体を狩猟ってわかり、
それを自分で猟をし、それをさばき、食べるというのと、
それがわからずに食べるというのは全く違う体験だっていう話があって、
それを感じたいあるいは感じることを欲しているってどういうことなんだろうね。
別に感じなくても生きていけるからね。
必要性はないのかもしれないんだけど、
なんでなんだろうな。
ちょっと答えになってないかもしれない。
人間ってさ、自分でいろんなことができるようになって、
自分の力で生きてるような感じがするんだけど、
だんだん生かされてるなって思ってて、この世界に。
自分はどう生かされてるんだろうっていうのを知りたいのかもしれないな。
ちょっと今ふと思い浮かんだことだから、
もしかすると本当は別のところにあるのかもしれないんだけど、理由はね。
今パッと思い浮かんだのはなんとなくそういうことで、
なんか大きく言うと、この地球っていう環境とか、
日々体の中に取り入れるための食べ物とか生き物たちとかが、
そういうものがないと生きていけないっていう意味でいくと、
そういうものすべてに生かされている存在なんだなって思ったときに、
どういうものによって自分がいられるんだろうみたいなことを、
自分の体験として理解したいっていうことなのかもしれない。
ちょっとうまく説明できないんだけど。
なんかでも、なんていうのかな、
世界の認知の仕方とか、自分自身の認知の仕方を新たにしたいというか、
手にしたいというか、なんかそういうふうにも聞こえたかな。
そうかもしれない。
自分の具体的な経験を通して、それを捉え直したいっていうことなのかもしれない。
なんかこう、今のところすごく抽象的に知った気になっているみたいなことが多い気がしてて、自分がね。
なんかそれは今自分に紐を付けてそう思ったな。
結構知らないんじゃない?みたいな。
そう。
なるほど。でもそうだと思う。
今はさ、お金っていうものを使ってさ、いろんなものを手に入れられるし、知識も得られるし、みたいなことってできちゃうわけだけど、
でもそれはさ、あそこでもちろん知ることができる。
でも自分の実体験とはまだそれって距離があって、
だから知ってるつもりなんだけど、知った気になっているだけで、
あんまよくわかってないみたいなこと多いんじゃない?
いやー、そうかもね。
それを知りたいという欲求みたいなものもあるかもね。
最高じゃないですか。
いや楽しいよね、それが。
それ楽しいよね。
こういうことだったんだってなるんだと思うんだよね。
体験がそこにくっつくと。
そうだよね。
くっついたところからまた何かが生まれ、またわからないことがわかるみたいな感じの。
でもそれはなんかこう、いいよね。
なんかその、何をこう、そう未知だよね。
そこで何を感じ、狩猟で何を感じるかってね。
未知だね。
でも今ちょっとその熱がさ、せっかく再燃してるので。
動き出してみたいな。
あ、でもさっきの本読んでみるよ。
うん、いいと。それ読んだらまたさらに熱が高まると。
どうしようかな、けいちゃん。
なんかこう、北海道とかに移住し始めた。狩猟の。
ちょっと狩猟の期間行ってくるね。
でもね、そういう感じらしいよ。
夏はユーコンっていうアメリカかな。
日本の作者の人が行って。
あー、そうなんだ。
あれ夏だったかわかんない。
もう片方の季節は北海道みたいな感じらしいので。
行ってくるね。
そんな生活になるかもしれない。
そんなことも楽しみにしながら、またちょっと聴きたいと思います。
はーい。