2人以上が同じことを褒められたとき
こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェインよわおでーす。
この前あの、ツイッターにね、宇宙兄弟という漫画の、何て言ったらいいんだろうか、スクリーンショットというか、漫画のうちの一部分がタイムラインに流れてきたんですね。
で、そこでこう、取り上げられていたセリフというのが、ちょっとこう、引っかかりましてですね。
悪い意味じゃなくてね、ちょっとこう、引っかかりまして、紹介させていただきたいんだけれど。
2人以上が同じことを褒めてくれたなら、それは間違いなくお前の真実だ、信じていいんだ、っていうセリフ付きのコマが流れてきたんです。
僕、宇宙兄弟という漫画自体は全く読んだことがなくてですね、このセリフの前後に確か1ページずつぐらいあって、
なんとなくそのそこのところの話の流れだけ、宇宙に出向く自信がない登場人物を励ますために、たぶん上司の人なのかな、がこのセリフを送ったわけですね。
2人以上が同じことを褒めてくれたら、それは間違いなくお前の真実だ、ということらしいんですよ。
でね、なるほどと。2人以上が同じことを褒めてくれたなら、それは僕の真実と思っていいのか、って思ったんだけど。
あのー、この理屈をそのまま適用するのであれば、
もう、自分で言うのも恥ずかしい話なんだけどさ、もう僕、たぶんパーフェクトヒューマンなのよ。
あのー、なんていうのかなぁ、
僕ね、僕ね、なんつーかこう、ありがたいことに、それなりに褒められる頻度が多いんですよ。
わかんないよ、わかんないよ、その世界一般の人がどれだけ褒められてるかは知らないけど、
なんだ、その僕の心の中の基準と比べると、なんかやけに褒めてもらえるなと思っているのね。
で、その、仮にね、その2人以上が同じことを褒めてくれたなら、それが僕の真実であるとするならばよ、するならば、僕は、その、
僕はイケメンだし、声がいいし、文章を書くのがうまいし、一人喋りがうまいし、
地頭がいいし、細かいところに気が利くし、独立したとしてもうまくやっていけるし、
いい夫だし、いい父親だし、みたいなさ、
自分への評価と褒められることについて
パーフェクトヒューマンになっちまうわけ、この言葉を鵜呑みにするとね。
で、そう、ってなってしまったんですよ。
わかんないけどね、あの、自分では全くもってそう思っていないけれども、
この言葉を鵜呑みにするのだとするならば、僕はどうやらパーフェクトヒューマンらしいわけ。
でよ、でね、あの、僕、その、今回の話の本題はこんな、なんか恥ずかしい自慢をしたいわけではなくてですね、
今、僕の心は、2人以上に同じことを褒められたのは、お前の真実だと言われても、いやいやそんなことねえよっていうふうに思ってるわけ。
じゃあ、なんて僕は褒められたら嬉しいんだろうなっていうことが、単純に気になったんですね。
その、さっき僕があげたようなものものというのは、
まあなんつーか、こう褒めてくださった方々というのは、まあ友人であったりとか、上司であったりとか、後輩であったりとか、まあその患者さんであったりとか、まあいろんな人が、なんつーか、まあ褒められたり嫌いされたりとかいろんなことがあったけれども、
でもまあその褒められたところを抜粋すると、そういうふうなことを褒められたりとかしたわけ。
なんだけれども、同時にね、なんだろうな、その2人以上から同じことをその、けなされたりバカにされた経験とかの方が、多分僕の人生、これまでの人生の中の比率ではすごく多いように感じているわけですよ。
なんかこう、顔立ちだったりとか立ち振る舞いが気持ち悪いって言われたような記憶もなんか鮮明に残ってるし、ダウンジャケット着てたらお相撲さんみたいだねって言われてバカにされたこともなんか覚えてるし、なんかそういう、一個一個考えるとすげえしょうもない話なんだけどさ、
あの、そういうところもすごくよく頭に残っているわけ。だから、なんか多分僕の頭の中のメモリーには、先にその2人以上から同じことをけなされたバカにされたメモリーがすぐに入ってしまっているから、その後から入ってきた同じことを褒められた経験っていうのが、なんかこう、うまく脳内に入ってくれないようになっている気がするんですよね。
嬉しい褒められ方
だから、まぁ一旦そういうね、その、仮に僕が今後その同じ内容で、あの、まぁ誰かから褒められたとしても、どうかな、まぁその褒めてくださる人によるかもしれないけれども、受け入れがたいものがあるわけですよ。そこにはね。
じゃあ、僕はどんな褒められ方を誰からされたら嬉しいのだろうかということについて考えたいなと思ったわけです。
なんですけど、でね、あの、そういう話をじゃあ今度そのポッドキャストで撮ろうかなーって思って、じゃあ何を褒められたら嬉しいんだろうかということについて、まぁそれなりに考えてみたんだけれども、なんかそもそも、俺褒められても嬉しくないかもしんないなって思ったんですよね。
僕がその、ここ最近でね、その僕のその割合パーソナルに近い部分で嬉しかったことって何だろうなっていうふうに考えると、それは何回か前にあの話題に出した、「隣の雑談」というポッドキャストの中で、桜林直子さんという方が、
僕の心の内面みたいなところをあまりにも的確に言語化してくれていたことに触れた瞬間が、そのパーソナルに近いところだと多分一番嬉しかったんですよね。
だから何だろうな、こう、引いてたところを褒められることよりも、何つーかこう、足りない部分であったりとか、劣っている部分であったりとか、そこを認めてもらう方が、多分僕素直に嬉しく受け止められるような気がするんですよね。
でも、それって多分さ、万人がそうじゃないじゃないですか、やったー褒められたー嬉しいーって言う人の方が多分多数派なんだろうなと思うんですよ。
それって、何によって分かれることなんですかね?
多分なんだけど、いわゆるその長所を伸ばしていった人、自分はここが得意である、自分はここが人よりも引い出ているというふうに認識している物事を磨き上げていったことによって、磨き上げていったものに対して、これはすごい優れているみたいなことを言われたとするならば、きっとその人は嬉しく感じる。
と思うんですよ。
で、僕のこれまでの人生を思い返すと、そういう類のことって正直あんまないんだよなぁ。
どっちかっていうと、何かが得意だったり、引い出ていたりすることを磨き上げていった結果として今があるというよりは、
なんていうか、穴だらけの地面をひたすら地道にちょっとずつ、こうして、ここをこういうふうに埋め立てていったら、ちょっと皆様に迷惑かけないで済むかもしんねーなーとかさ、
誰かに嫌われずに済むかもしんねーなーとか、怒られずに済むかもしんねーなーとか、そういう埋め立てをやってきたような気がするんですよね。
上に向かって伸びていったんじゃなくて、そもそもへこんでいる地面をひたすら必死に埋めていった。
どっちかって言ったら、下に伸びていっているような感覚ですよね。
っていうふうな過ごし方をしている気がするわけ。
っていうことを思うと、
多分、「あなたは優れていますね。」っていうふうに褒められるよりも、
よくぞ、あなたはこんな立派な穴が開いていたのに、ここまで埋め立てましたね。っていうさぁ。
わかりますか?ここのニュアンスの違い。
こんなにヘナチョコだったのに、よくぞここまで、一般的なレベルまでどうにか到達できましたね。とかさぁ。
そういう、だからそうだ、マイナスだった部分をゼロにした底の努力を褒められると嬉しいのかもしれないな。
今この瞬間に、外から僕の姿がどう映っているかわからないけれども、
僕のことを外から見た時に、「あなたはこの点が人よりも優れてますね。」というふうに認識される部分っていうのは、
多分僕自身にとっては、特に何か磨き上げもしていないし、
人からの褒め言葉に対する感想
そこに何か執着をしていたわけでもないし、結果的にそうなったかもしれないけれども、
でもその僕の人生において重きを置いてきたのはそこではないというか、
なんかちょっと本筋とはずれていることを言われている。しかもなんかそれは丸々受け入れたら、
なんかちょっと調子乗ってる奴になりそう。 だからなんか褒められても、「え、なんか裏で何か企まれてるんじゃないですか?」みたいな、
そういう気持ちになって嬉しくない。
それは、その、そういう冒頭で挙げたような僕が褒められた物事に対して、そこをどうにかしようと、
その僕がゼロをプラスの方向に持っていくために努力した点ではないから、
まあなんか考えてみたら、そういうところを自分では特にこう、そこに対して努力を注ぎ込んだわけではない点に対して褒めてもらえるっていうのは、そんな贅沢な話はないんだけど、
改めて言うとね、そんな贅沢な話はないんですけど、
でも、僕が頑張ってきたところっていうのは、ゼロをプラスに持っていく努力ではなくて、
マイナスをなんとかゼロに限りなく近づけていく努力をしているから、
あなたはこんなにダメなところがいっぱいあるけれど、それをどうにかこうにかうまくごまかしながら頑張りながら、
なんとかここまでたどり着いたのねって言われるのが嬉しい気がしますわ。
それかも。
どうでしょうかね。
あの、多分この配信を聞いていらっしゃる方々は、
これがえっと27回?26回かな?
割合なんていうか、コンスタントに聞き続けていただいている皆様だと思うんだけれども、
ここまでの配信を聞いていて、今の僕の話を聞いて、
確かにこいつはそうかもってなるのかな?
確かにこいつはそういう考え方そうだわっていう風に映るのだろうか。
それはちょっと気になりますね。
実際どうなの?実際どうなんだろう?
世の中の人々は、みんな褒められたことをなんていうか、
その文面通りに素直に受け取れるものなのですか?
人からの褒め言葉の真偽について
仮に2人以上から同じことを褒められたら、それは真実であるというのが真だったとしてよ。
真だったとして、皆様の過去の経験の中で2人以上から同じことについて褒められたことを思い返して、
そういう風な考え方で言ったら、確かに受け入れられるなって思えるものなのでしょうか。
なんか僕自身の話というよりも、そっちの方がよっぽど気になるなぁ。
ね、どうなんですかね?
ただまぁ最近で言うとですね、
文章力、言語化力があるって言われたのは、結構嬉しかったかもしれないな、そういえば。
僕、その配聴しているポッドキャスト様にね、
何回かこうお便りを出したことがありまして、
そのお便りを取り上げていただいた時に、
2つの番組様の中で、文章力がある、言語化力がある、みたいな票をいただいたんです。
それはね、なんか結構嬉しかった気がするな、そういえば。
なんでだろう?なんであれ嬉しいなって素直に思えたんだろうな。
文章を書くことについての自己肯定感
そこはなんか、いやいや全然そんなことないですよ、みたいな感じにならずに、素直に、
あ、褒められた、やったー、なったような気がする。
なんでだろう?
まぁでもそうか、文章を書くときはね、結構気使ってるんですよね、多分。
その僕なりに、同じことを繰り返し書いてないかどうかとか、
他の言葉で言い換えたらもうちょっと短い文章でまとまるんじゃねーかとか、
なんかそういうことは結構意識して書いている気がするんですよね。
僕は別のアカウントで、一時期ほぼ毎日ノートを更新するみたいなのをやっていた時期があって、
3ヶ月かそんぐらい確か続いたんですけど、
そう、なんかそれをやりながら、文章をすっきり見せる術とか、
なんかそんなのを完全にいろんなところから拾ってきたのを見よ見まねでやりながら、
ちょっと意識していた時期があったので、
それは多分ゼロをプラスにする努力をしていって、そこを褒められたから嬉しいっていうことなんだろうな。
うーん。
そういうことだな。
そうかも。
ということで、僕は他の様々過去に褒められたやつに関してはちょっとよくわかりませんが、
ちょっと文章を書くのが得意な人として、自信を持ってこれからも頑張っていきたいと思います。
やだなぁ。
エピソードの収録について
もうさっきから、
このエピソードを撮ろうって決めた時から絶対その収録中変な感じになるんだろうなと思ってたんだけど、
もうなんか嫌な汗が止まらないですね。
でもなんかそれぐらいのやつの方がさ、なんとなく全体に面白く仕上がるかなと思って頑張って収録に踏み切ったんだけど、
すげー嫌な汗かいてる。
早く寝よう。
ということで、今日はこの辺で終わります。ありがとうございました。
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では、また。ありがとうございました。