1. 口は背中よりモノを言う。
  2. #28 理学療法士する前にやるこ..
2023-06-20 33:51

#28 理学療法士する前にやることがありそうな話。

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なんかいろいろ嫌になっちゃったのです。
ほんとの本音を言えば、やる気ある人に腕を振るう場が欲しいのですけどね。それは環境的に贅沢なのかも。
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サマリー

理学療法士の仕事に悩んでいるカフェインよわおは、リハビリを受ける患者のやる気について考えています。彼は、理学療法士として働く前にやることがあるのではないかと思います。

褒められ方とやる気
こんにちは、こんばんは、おはようございまーす。カフェインよわおでーす。
この前、前回か、前回ね、あのー、褒められ方の話、みたいなのをしたんですけど、
で、結論のところだけまっすぐにすると、僕はありがたいことに、いろんな方から褒めていただいたりするわけですけど、
その褒められている中でも、響かない褒められ方と、響く褒められ方があるという話なんですね。
前回のシャープ27、あわやパーフェクトヒューマンというのは。
で、自分が意図して努力して伸ばしてきたわけではない部分、
自分の中でその人を判断する時に、そんなにこう価値を感じていない部分に対して褒められると、
別に、うら読みしてしまうというか、素直に受け入れられない。
一方、自分が明確にこういう風になりたいなという風なビジョンを持って、
努力した結果の部分を褒められると嬉しいし、素直に受け入れられる。
みたいな、そんな感じの結論に至ったんですね。前回はね。
で、改めてね、その自分が出した結論に対して考えてみたんですけど、
いい父親ですねとか、いい旦那さんですねと言われることがそれなりな頻度であるわけです。
それはその僕のどういうところを拾われているのかは、
まあちょっとよく人によって違うので何とも言いづらいですけれども、
まあ何というか、それなりに家事をやっているし、
育児もやっているしという部分を多分よく見ていただいて、
いい旦那さんですね、いい父親ですねという風に言ってくださっているんだろうと思うんですね。
で、考えてみたら、僕その家事をね、やるためにそれなりに意図して労力を割いているし、
その育児をやるためにそれなりに意図して労力を割いているわけです。
だから何というか、頑張ってるわけよ。
言ったら。
その頑張って家事もやってるし、頑張って育児もやってるんですね。
だからそのさっきの僕が響く褒められ方の基準で言うのであれば、
頑張って家事や育児に取り組んでいるのだから、
そのいい父親ですね、いい旦那さんですねと言われるのは、
響いていいんじゃねえかなって思ったんですよ。
なんていうか、それを誇らしく感じてもいいような気がするし、
それを、「ああ、よかった。やってきた甲斐あった。」みたいな感じで受け入れてもいいような気がするんですよね。
それが受け入れられないのは何でだろうなって思って、
ちょっとまだ結論出てないんですけど、僕の頭の中で。
何なんですかね。
僕の中で可能性高そうだけどなんか違うっぽいなって思ったのは、
なんていうか、最終的にね、
家事育児に対する参加量をパートナーとの間で半々ないし、
俺がちょっと多いくらいのところを目指しているんです。
そこが最低のベースラインだと思っているんですね。
例えば、僕が年収1000万、2000万稼いでますぐらいの話だったら、
ちょっと話変わってくるかなと思うんですけど、
少なくとも今、僕とパートナーは収入面がほぼトントンぐらいなので、
そこがトントンなんだったら、家事育児も当然トントンないし、
それを超えるぐらいの意気込みで頑張って、
結果的にトントンに落ち着くぐらいなところを目指さねばならんだろうっていう風に、
僕は思っているんだけど。
そう、なのでね。
家事育児を半々で分担するところが、
夫婦生活を送る上でのベースラインであると仮にするならば、
そのベースラインに到達するために、
もちろん頑張ってるんだけど、
ベースラインに到達するまでに頑張ってるとか言ってたらいけないんじゃないの?
みたいな気持ちがあるわけですね。
言ったら、世の中にはシングルの家庭の方とかがいらっしゃって、
シングルの方はトントンどころじゃないですよね。
全部100でやってるわけじゃないですか。
もちろんそれにはいろいろな過不足が出たりするんだろうけど、
でも結果的には全部100で何とかどうにかしてらっしゃる方がいらっしゃるわけですよね。
っていうことを思うと、
トントンにするために僕が頑張ってますっていうのは、
なんだろうな、誠実ではないんじゃないかとか、
ちょっとうまく表現できないんですけど、
そういう気持ちがあって、
多分それで誇れないんじゃないかな?
っていうふうに思うんですよね。
今のトンバタラキで収入がトントンの状況で、
俺が100やってますってなったら、
それは誇っていいような気もするし、
同時に誇ってる場合でもないような気もするんだけど、
そういう話なのかな?
なんかちょっとまだ僕の中で整理する時間が続きそうな気がしますね。
この褒め方の問題を発端とした、
僕の感情を知っていく工程みたいなものは、
なんかまだしばらくかかりそうな感じがします。
ちょっと前置きが長くなりましたけれども、
今日は全然別の話をしようと思っておりまして、
リハビリへの意気込み
僕、仕事で理学療法士をしております。
理学療法士というのは、
何かしらそのご病気だったりとか事故だったりとかで、
体の調子を崩してしまった方々に対して、
リハビリテーションというものを提供して、
その方が充実した生活を送れるようになること、
いわゆるQOL、クオリティオブライフを高めた生活を送れるようなところを目指していく、
みたいな仕事なんですけれども、
最近ちょっとね、
僕、その理学療法士と一人の人間という狭間のところで、
ちょっとバトルが勃発しておりまして、
ちょっと悩んでるんですよね。
今後の好みの振り方というか、
果たして今後も理学療法士なのかどうかみたいな部分について。
もともと理学療法士を続けるかどうかみたいなところは、
結構悩む場面が多々あってね。
それは理学療法士の社会的な立場だったりとか、
国の保険制度で収入上限が決められていることへの不安であったりとか、
まあ諸々ね、そういう風な事情があって、
それは別にこの場で話しても面白くない話だからちょっと省くんですけど、
端的に言うと、
リハビリに対する患者のやる気
やる気ない人にリハビリ提供したくないなっていう気持ちが、
僕の中で最近すごく高まっているんです。
どういうことかというと、
僕は今、理学療法士として訪問リハビリという分野で働いているんですね。
訪問リハビリっていうのは、
具合が悪い人たちに対して、
僕がその具合が悪い方のところに直接出向いて、
そこでリハビリを提供して帰ってくるっていう仕事なんですけど、
うーんと、そうだな。
そのリハビリを受ける方々には、
そのいろんな事情があるわけですよね。
当たり前ですけれども、
そのリハビリを受ける方自体が困っている場合もあれば、
困ってない場合もあるし、
リハビリに対してやる気がある場合もあれば、
やる気がない場合もあるわけです。
例えば、具合が悪い人がいます。
僕の仕事的には、やっぱりご高齢の方ですかね。
その80前後とか90前後とか、
それぐらいの年代の方が大体ターゲットになって、
リハビリをさせていただくわけですけど、
例えば、あるご高齢の方が具合が悪いですと。
具合が悪くて、なかなか自分一人では歩けなくて、
基本的には家にいらっしゃる。
足腰が悪くて、例えば家事もなかなかできないので、
同居されているご家族の方がそれを補っている。
で、そういう風な環境にいらっしゃる方々の中には、
じゃあ私はリハビリを頑張って良くなって、
家事に参加できるようになりたいわ。
外に出れるようになりたいわっていう思いで、
積極的にリハビリに取り組んでくださる方もいらっしゃれば、
もう私は年だから、こんなもんはできなくなってしょうがないわ。
子供に世話してもらってるし、
なんとなく今自宅での生活も楽しいし、
別にこれ以上よくもならないだろうから、
リハビリなんてしなくていいわ。
って思ってる人もいらっしゃるわけですね。
で、前者のご本人が良くなりたいことを望んでいる。
良くなった結果として、
家事に参加する、外出をするとか、
そういう風な目的がある方っていうのは、
そのご本人の意思でリハビリを申し込んで来られるわけです。
私は良くなりたいからリハビリを受けたいです。
一方、後者の方の、
いやもう私はこんなもんでいいわという風に考えてらっしゃる方っていうのは、
ご本人は当然リハビリを希望しないわけ。
だってこれでいいと思ってるから。
ただご家族からするとそうではないわけですよね。
じゃあこの先、
そういうリハビリとかのことをやらなかったとするならば、
当事者の方はどんどん悪くなっていくであろうと。
悪くなっていった時に、
じゃあご家族の方が面倒を見切れるのだろうか。
家でそのまま生活をできるのだろうか。
そんなことを考えて、
このままじゃ困るからリハビリした方がいいんじゃないみたいなことで、
リハビリが提供されるわけですよね。
これが非常に難しくてですね、
前者の方はやる気があるから、
例えば我々の話に耳を傾けていただけるし、
こんなことに注意してくださいね。
こんなことをご自宅でやってみてくださいねって言ったら、
やったりやってくれなかったりしてくれるわけです。
できる範囲内でね。
これがその後者の人たちは、
当たり前ですけど、やらないわけですよね。
やらないし、やる気がないから話も聞いてくれないわけです。
それはだって、やっても意味がないと思ってるし、
そもそもやって良くなろうという風な意思がないから、
やる理由がないわけですよね、その人には。
ってなった時に、
我々理学療法士の理想的な話としては、
そういう風な方に対しても、
なるべくその人が、
リハビリに対してやる気を持ってくださるような、
例えば声かけをするだとか、
良くなっていく実感を与えていくことによって、
ちょっと前向きになってもらうとか、
いろんな手法を取ることが、
理学療法士としてあるべき姿ではあるんですよね。
本来はね。
本来はそうなんだけど、
ちょっと最近ね、
無理になってきてしまった
そういうのがもう無理になってきてしまったんですよね。
僕。
なんかもう本当無理になってきてしまって、
もう本人やりたくないんだから、
もういいじゃん。
好きにさせてやればいいじゃんみたいな、
そういう風な思いに、
ちょっとなってきてしまっている。
わけですよ。
有識自体ですね、これは。
これね、ちょっと、
つまりさっきの話で言うところの、
後者にあたる人たち。
ご本人的にはあんまりリハビリやりたくないけれども、
ご家族の方が不安だから、
リハビリをしてくださいという風に頼まれて、
我々が行くっていうケースが、
ちょっと最近ね、ぐぐぐぐっと、
なんか僕の業務の8割型を占めるようになってきてしまって、
すごいね、
嫌なんですよね、今のこの環境が。
なんというか、その、
理学療法士としてこう立ち、
こう立ち振る舞うべきであるとか、
そういうところは、
もちろん理解はしているわけですよ。
その、やる気を出せるような声かけをする、
達成しやすいような、
短い目線での目標を設定して、
それをこう達成させることによって、
ご本人が前向きになれるようにしていくとかね。
それはまあ理屈ではわかるんですよね。
理屈ではわかるし、
これまでもそうしたりしなかったりしてきたわけですけれど、
一方でリハビリに対して、
やる気になれない人たちの気持ちも、
なんていうか、
ものすごくわかってしまうんですよね。
もうなんかすげーわかってしまうんだよな。
自分がさ、
今後それこそ80代90代とかになってさ、
足腰が弱くなってね、
満足に歩けなくなって、
リハビリに対しての気持ち
一人では外出もできなくて、
家のことも満足にできなくなって、
家族の人に助けてもらっていて、
家族が不安だからって言って、
そのリハビリを申し込んでね、
あなた運動しないと悪くなっちゃうから、
頑張って運動しなよとかさ、
たまにはラジオ体操でもしなよとかさ、
施設に行って人と交流してきなよとか、
いろんなことを言われるわけでしょう。
きっとね、
それぐらいの年代になったら。
この年齢まで頑張ったからさ、
適当に生涯応援させてくれよっていうふうな気持ちに、
ちょっとなる気がするんですよね、僕は。
適当なところで生涯応援させてくれりゃいいじゃん。
そんなもうここまで来たら頑張らんでもいいじゃん。
しんどい思いして運動しなくてもいいじゃん。
みたいなさ、
なっちゃうと思うんですよね、きっと。
だからなんていうか、
割と僕はここまでね、
意外とやらない理由を探すほうが得意な人間だったので、
やらない理由のほうが、
ベターに見えてしまう人たちの気持ちというものが
本当に痛いほどよくわかってしまって、
まあそうは言っても一応やることはやるんだけど、
でもしょうがないよなーってさ、思っちゃうんですよね。
どうしようかな、どうしたらいいんだろうな。
そういう思いがあるのと同時に、
ご本人に対しては、
いやもうそうだよね、しょうがないよね、気持ちはわかりますよ。
好きにさせてほしいですよねって思ったりするんだけれども、
同時に家族の人がめちゃ不安になるのもわかるし、
リハビリぐらいしてくれんと困るわっていう気持ちも同時にわかるわけです。
僕は介護の現場で働いているから、
介護というジャンルで話しますけど、
介護と育児っていうのは根本的に相当似通っている部分があると思うんですね。
つまり、自分が手をかけなければ失われてしまう命があり、
その手をかけるべき相手は自分と同じように動くことができず、
人によってはその考えることもできず、
時には転ぶし怪我をするし、
その怪我とかがまた命に関わるかもしれないし、
今後の生活に多大なる影響を及ぼすかもしれない。
人が常に家にいる状況っていうのはさ、
ゴリゴリ神経がすり減るしさ、
そうでない時の生活と比べると、
負荷量がえげつないんですよね。
僕はまだ自分の親族の介護とかに立ち会ったわけではないからわからないけれども、
リハビリの効果と心の変化
少なくともやってる行為自体は育児やってるのとほぼ同列なように思うんですよ。
なんだったら、育児の方に比べるとね、
介護で相手にする人っていうのは、
その人はその人なりのこれまでの人生経験を積んできていて、
どうしてもその人の中で折れないものものとかがあって、
そこがネックになって思うようにうまく運ばないケースっていうのは多々あったりとか、
育児の場合は、ゆくゆくは育児が必要になっていくことが、
プラス方面の変化によってある程度は約束されているけれども、
介護の場合は基本的にはじわじわ悪くなっていって、
最終的にそのマイナス方面の多大なる変化によって終わりを迎えるわけですよね。
いつかは解放されるという点ではかなり似通っている。
そのベクトルはだいぶ違うけれど。
っていうふうなことがあって、
すごく想像できるわけです。
ご家族の方の辛労および肉体的疲労、
日常生活の時間の圧迫とか、いろんなものごとがね。
なので、ご本人のためというよりは、
ご家族の方のため、その方のお世話をしていらっしゃる方のために対してであれば、
積極的にリハビリは提供したいし、
自分が力になれることはいくらでもやりたいなというふうに思うわけです。
ただ、現状の僕の理学療法士という立場の中でできることというのは、
結局その当事者の具合が悪くなっている人に対してリハビリを提供すること、
またはその人の生活が生活しやすくなるように、
例えば家に手すりをつけましょうとか、
杖を使いましょう、歩行器使いましょう、シルバーカー使いましょうみたいな提案をするとか、
他のリハビリ以外のサービスへの意向を促すとかなわけです。
せいぜいね。
僕の感覚としてね、
さっき例に挙げたような当人であったりとか、
ご家族の方に少しでも救いの手を差し伸べるためには、
それでは足りないんじゃないかと思っているわけ。
そういった僕が理学療法士という立場で手が出せる範疇では、
役に立てない人がまだまだいっぱいいるなというふうに感じるわけですね。
本心としては、
やっぱりリハビリを提供することによって多少なりとも良くなってほしいわけですよ。
本心としてはね。
そこの技術を僕は主に磨いてきたわけで、
やっぱりそこをしっかり提供していきたいなというふうに思う。
で、それを成すためには、
リハビリに対して否定的な人に対してリハビリの効果を上げるっていうのはね、
もう無理なんですよ。
これはね、100無理だと思う。
少なくとも僕が経験した中で、
これまでにリハビリに否定的だけど効果が上がった人っていうのには、
今のところは出くわしたことがないわけ。
だから、少なくとも僕がその人に対して行う行為に対して肯定的になる、
リハビリを行うというご自身の行動に対して肯定的になるとか、
そういった心の変化が絶対に必要だと思うのね。
で、その心の変化を起こすためには、
さっき言ったリハビリをする、
家の調整をする、
他のサービスを提供するとか、
その手札ではね、足りないと思うんだよな。
なんていうか、
いわゆるカウンセリング的なことをしなければならないと思うんですね。
もうこれでいいやと思うに至った理由は何なのか、
本当に良くなりたいという意思がないのか、
良くはなりたいけれども、
リハビリによって良くなるとは思っていないのか、
あるいは良くなる良くならない以前に、
日々の生活にもう一杯一杯でゆとりがないのか、
ご家族との関係性とかで心霊を抱えていたりしないのかとかね、
そういう部分のところを掘り下げ掘り下げ、
本当に私がリハビリしたくないのはここが原因なんですよっていうところに、
どうにかこうにかたどり着いて、
それに対する対処をして、
そこからようやくリハビリスタートだと思うんですね。
僕はね。
でもそんなことやってる時間はないわけですよ。
だって僕はリハビリをしに行っているから。
僕はあくまでリハビリをしに行っている人だから、
その方のお宅に伺って1時間おしゃべりして帰ってきましたっていうわけにはさすがにいかないわけです。
でも、そうしないとどうにもならないんじゃないの?
っていうことがね、
多いんですよね。
最近ね。
っていう話なんですよね。
今僕がぐるぐると考え続けているのは。
だからちょっと話がとっちらかっちゃったけれども、
僕は理学療法士である。
で、リハビリを提供して人を良くする仕事である。
そのための技術はそれなりにあるとは思っている。
が、リハビリを受ける本人にやる気がない場合は、
いくら技術があっても超えられない壁が確実にある。
理学療法士としては、
その人にやる気を出させるというふうなもろもろの手段を講じなければならないとは思うけれども、
内心僕は、そんなんやらんでも好きに過ごさせてあげたらいいじゃんと思っている。
と同時に、その方の身辺の世話をしている方々のもろもろの負担を思うと、
その当人というよりは、その周辺の方々を助けるためには、
僕は喜んで力になりたいと思っている。
そこまでひっくるめて面倒を見るためには、
理学療法士という立場では限界があるのではないか。
さあ、どうしよう。
みたいな話かな。
つまりね。
わかんないんですよね。
ただまあ、そういうところまで考えられるようになったというのは、
僕がその今訪問リハビリという仕事について良かったなと思うところでもあって。
僕は当初その外来のリハビリの方でね。
働いていたんですよ。結構長いこと。
で、外来のリハビリの方ではそのリハビリに対して、
まあ単的に言うとそのやる気がない人は、
やる気ないならしょうがないね。お疲れ様でしたって言って、
終わらせることができたんですよ。
まあもちろんそのご本人の同意とかね。
ご本人の同意とか、そのリハビリの指示を出した意思の同意とかを取ってね。
この方一応リハビリ始まったけど、
リハビリによって同行する気は一切ないようです。
やっても意味ないと思います。
リハビリ終了でいいと思います。
みたいなこういう同意をちゃんと取って、
リハビリ終了っていう手をそれなりに使っていたわけですよ。
当時はそれで良かったんですけど、
今にして思うと、
そういう人たちがリハビリ終了になりましたよってなった時に、
でもその人の周辺には必ず他の人がいて、
他の人はその当事者の方が良くならないことによって、
何かしらの弊害を負っていたかもしれないなというふうに思うわけですね。
つまりその人が動けなくなった、働けなくなったことによって、
家ではあれやこれやしっちゃかめっちゃかみたいなことになっていたかもしれないわけですよ。
そういうことを思うと、
反意にやる気がないから、
じゃあもうリハビリやらないでいいんじゃないですかっていうのは、
かなり無責任な行為でもあったなっていうふうに今は思えるようになったわけ。
そこはまあ良かった気がする。
ただ、さっき言ったような、
家族の人を助けるためには力は尽くしたいと思う。
そのための手段は理学療法士という立場ではちょっと難しい、
別の手を取る必要がありそう。
じゃあその家族の人たちをひっくるめて、
ある意味その人生を預かるみたいな話になってくれるじゃないですか。
そのリハビリ以上にね、
そこまでこう深いところまで踏み込んで、
その人の問題を解決したりできなかったりするぐらいまで入り込むっていうのは、
その人の人生を背負う。
どころか、その周辺の人々の人生もちょっと背負うような話になりますよね。
そんな重いことできるか?と思って。
そんな重いところまで踏み込めるのか?
俺は今この環境の中、家事育児があって残業がほぼできない環境の中で、
そんなところまで踏み込める状況なのか?自分は。
と思ったりとかしてね。
そんなことやってる場合じゃないんじゃない?
とりあえず一旦、一旦今の感じで、
そんなにアクセル踏まずにダラダラ進んでいればいいんじゃない?
っていう気持ちもある。
けど、この感じでダラダラ進みたくないという気持ちもあるわけですね。
どうしよっかなー。
コーチングの勉強と制限
とりあえず僕、先日ね、
医学療法士とはちょっと別の方向性で、
在宅ワークとかできないかなと思って、
コーチングの勉強をちょっとしたんですよ。
一応その一通りの講座が終わったんですね。
それは別に認定資格がもらえるとかではなくて、
ネット上に公開されている動画を一通り見る権利を買って、
そこで公開されている動画を全部見た。
で、何となく振り返った。みたいなところで止まってるんだけど、
多分今俺が目指しているところに必要なものって、
コーチングとはまたちょっと別種なような気がするんですよね。
それこそ本当そのカウンセリングとかそっちの方が内容としては近いんだろうなとは思うんだけれども、
そっちの勉強できるほどのキャパもないし、
結局全部そこに落ち着いちゃうんだよな。
キャパがないんだよな。もう本当に。
キャパというか、そういう諸々に対して注ぎ込めるだけのリソースがないというか、
時間がないというかね。
どうしましょうね。
もうなんか一生一生悩み続けているような気がするな。
理学療法士としての行動についての悩み
この理学療法士としてどう振る舞っていくか問題というのは、
訪問リハビリなのか外来リハビリなのか、
なんとか在宅にできる手段はないものかとか、
いろんな諸々を含めてずっと考え続けているような気がしますね。
まあなんか早々正解が出るもんでもないような気もしますけれども、
何かしらの区切りがついたら、またこのポッドキャストでも一応ご報告はしようかなというふうに思います。
今はもう結論なし、悩んでますよっていう話でした。
今日はここまでありがとうございました。
番組概要欄に答えるフォームが用意してありますので、
番組の質問・意見・感想をそんなことぐちゃぐちゃ考えないで、
歯車のように働けよ!等々の意見など、
もしございましたら送っていただけると大変嬉しいです。
よろしくお願いします。
またツイッターで感想などつぶやいてくださる際には、
ハッシュタグカタカナでパピで、
パパでBTデビューリストの頭文字取って、
ハッシュタグパピででつぶやいてくださいますとチェックしておりますので、
こちらもとても嬉しいです。よろしくお願いします。
ではまたありがとうございました。
33:51

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