こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェインよわおです。 この番組は、夫婦とのお働きで日々の小沢手に立ち向かう父親カフェインよわおが、小沢手のある生活の中でぶち当たる立ちゆかなさを、背中で語らず言葉にしていくポッドキャストです。
よろしくお願いします。
ご無沙汰しております。毎度のことながら。 1ヶ月ぐらい
空きましたかね、間がね。ちょうどあのうちの上野子小学2年生の夏休みが始まって、夏休みがあともう片手で数えられるぐらいの日数残っているぐらいのタイミングと本日はなっております。
ねえ、長かったですね。夏休みね。大変ですね。
いろいろいろいろあるんですけど、夏休みに関しては。
いろいろあるんですけど。 我が家はですね、この夏休みに上野子8歳小学2年生の部屋を作ったんですね。
今までは特段、個別の部屋というのは設けていなくてですね。
リビングがあって寝室があって、我々夫婦の私物が置いてある部屋があって、子供たちの洋服とかがまとめて置いてある部屋があって、みたいなそんな感じだったんですけど。
我々の私物が置いてあった部屋を別の倉庫的なポジションになってた部屋に移動して、上野子個人の部屋を作ったというような感じなんですね。
結構大掛かりなことになりましてですね。
もともとあった本棚とかをガサッと移動して、一応フロアマット的なものを敷いて、ロフトベッドを置いて、机を置いて、彼の分の洋服とか彼が大事にしているぬいぐるみとか漫画とかをその部屋に向かって移動させて、みたいなことを結構かかりましたね。
トータルで2ヶ月3ヶ月ぐらい、物品の移動をしながら作ったんです。
だいたい夏休みが始まるか始まらないかぐらいのタイミングで、確かその部屋が完成したんですよね。
君はこれからこの部屋で寝ても良いし、この部屋で勉強をしたりしても良いし、ただバカグータラ過ごしても良いし、この部屋は好きに使って良い。
ただし、ゲームとかスイッチとかそういうものを持ち込むのであれば、できれば親に一声かけるようにして欲しい。
ゴミがしっちゃかめっちゃかになると困るから、定期的に声をかけた上で、ちょっと中は覗きに来るよ、みたいな感じでね。
ある程度の部屋を使うルールみたいなのを説明して与えたんですよ。
まあ喜んで、まあ喜んでくれてですね、その上の八歳児がですね。
もう意味もなくその部屋に行くんですね。別に何をするでもなくて、行くだけ行ってすぐ戻ってくることもあるんです。
中で何をしているかもはや知らないんだけど、別に何かを持っていくとか何かを持って帰るとかではなくて、
ただ行くだけ行って、まあいわゆるこうカームダウンスペースみたいなちょっと一人になる時間とかを自ら作りに行ってるのかなとも思うんですけど、
普通にこう家でみんなで過ごしていても出たり戻ったり、まあ時によっては断りを入れた上でスイッチをその部屋に持ち込んでそのベッドの上でゴロゴロしながらゲームをするみたいなこともある程度は許容をしているわけですね。
これまではずっとそのリビングにへばりつく格好だったんですよ、子供たちは、当然その子供たちのものが基本的にはリビングに集まっているから、まあ自然そうなるんですけど。
リビングにずっといた子供が瞬間我々の目を離れて自分一人での時間を過ごしているっていうのはね、それこそ子育て、子供がいる生活っていうのが始まってもう8年間になりますけど、
初めてだったんじゃないか、たぶん。同じ家の中にはいるけど違う空間にいてで預かり知らないことをしているっていうのは、そういえば今までなかったなというふうに思ってですね。
なんかね、感慨深いものがあるなというふうに思いますね。
僕としてはですね、かねてより彼がゲームに没頭するようになってから、彼の運動不足問題であったりとか、ゲームをする時間が延びていることによっての手の関節可動域の若干の低下とかを感じていたので、
僕の職業からそういうものが、部屋とイビングを行き来するっていうふうな行為がそこに生まれたことによって勝手に運動量が上がってくれることになるから、そういう意味でも部屋を作るメリットってあるんだなっていうふうなのを感じたりしている日々でございます。
もちろん我々が関与できる場所でないところで、彼が時間を過ごすことが増えることによってのトラブルみたいなものね、今後当然のように起こり得るとは思うんですけど、もうそれは何ていうかね、必要経費っていうか、そういうもんでしょっていうふうな感じですよね。
なので上の子は体操、部屋を気に入ってくれておりまして、下の6歳児も喜んでるんですね。
そういう空間ができたことから、大体上の子が部屋に行くときには、下の子もひょこひょこ後ろをついていって、一緒にベッドの上でグータラしたりだとか、漫画読んだりだとか、それなりに楽しんでいるようなんですね。
僕も早く部屋が欲しいよって言ったりとかしてるんですけど、そうやって子供が喜んでくれたのはとても良かったなぁと思うのと同時に、よく子育ては自らのインナーチャイルドと向き合う行為であるとか、インナーチャイルドを刺激してくる行為であるとか、
あるいは子育てによってインナーチャイルドを癒されるみたいな、そういう論があると思うんですけどね。
そもそもインナーチャイルドとはっていう話だなぁ、多分なぁ。
インナーチャイルドとは、私たちの心の中に今も生き続けている子供の頃の自分のことです。
特に幼い頃に十分に愛されなかった部分、理解されなかった気持ち、我慢を強いられた思いが大人になった今でもあなたの心の奥で静かに影響を与え続けています。
インナーチャイルドには健全な側面と傷ついた側面があります。
健全なインナーチャイルドは、好奇心や創造性、素直な感情表現など、大人になっても私たちの生活を豊かにしてくれる特性です。
一方、傷ついたインナーチャイルドは幼少期の否定的な体験によって形成され、現在の生きづらさや子育ての困難に関係しています。
子供学びラボというサイトにある子育てがうまくいかない、それ小さなあなた、インナーチャイルドが原因かも、タイプ1症状と癒し方を臨床心理士が解説。
うさんくせー!
うさんくせーが、それなりに学問というか体系だったものとして臨床心理士さんも取り組んでくださる問題ということですかね。
僕にとっては子供に部屋を与えることが結構自らのインナーチャイルドを癒す行為になったなっていうふうに感じたんですよね。
この子がこの部屋を与えられたことによってこんなに喜んでくれるってことは、当時の自分も部屋をもらえていたとするならばこれぐらい同じぐらいに喜んでいたのだろうか。
その部屋があるっていうことによって何か人生難しかったところがうまくいくように転じていたのだろうかどうなんだろうなーっていうことを考えたわけです。
喜んでいる我が子をよそにね。ちゃんと接しているけれど子供たちとはちゃんと接しているけれどそんなに部屋もらうって嬉しいことだったんだなーってことはっていうことをねなんかとても考えてしまったんですよね。
これもなかなかこう贅沢な話というか、普通に実家を出るまで自分の部屋がなかった人とかも世の中にはそう少なくないとは思うんですけれど、
僕は自分がその実家にいた時には中3か高1かぐらいのタイミングでその自分の部屋を得たんですよね。
それまでは僕はリビングに学習机があって、リビングに布団を敷いて寝る生活をしていたんです。
なので明確なプライバシーが確保される空間っていうのが家の中にはなくて、リビングはかなりごちゃついていて主に父親側の荷物であふれていたので、
リビングの中でもさらに固みが狭く、ギリギリ自分の机の上だけは自分だけの空間としてなんとか確保している。
ただまあみんなが通る動線上にその机もあるので、何か置いておいたら絶対に人に見られるからさ、
なかなか何も気にせずそこに物を置いたりとか、ちょっと散らかった状態にしておいたりとかっていう風なこともなかなかしづらい環境だったんですよね。
それで姉が一人実家から出るよっていうタイミングになって、姉がいた部屋が空いたので、じゃあそこに入ればっていうふうなことになって、僕は部屋を得ることになったんですね。
ただその得た部屋は部屋で、姉の荷物がそこそこ残っている状態だったので、100%自分だけの空間っていうふうな感じはなかったんだよな。
ずっと借り物の家っていうか賃貸に住んでる感じっていうのかな。
完全にこの部屋は安心できる空間ですよ、自分だけの空間ですよっていう風な感じにはなっておらず、
何かのきっかけに姉が帰ってきたらまた自分はこの部屋を分け渡さなきゃいけないんだろうなと思ったりとか、
うちの特に母親の方がノックせずに部屋に入ってくるだ、いない間に勝手に入ってガサガサされてる形跡があるだっていうふうな感じだったので、
あんまりね、部屋を得たとてプライバシーが確保されたかっていうと、なんかちょっと怪しい感じだったような気がするんですよね。
っていう風な感じのね、僕がちゃんと子供に今後そのプライバシーのあり方というか、
どこまで掃除周りとかを彼に託していいのかみたいな話にもなってくるので、
どのラインまで彼個人の空間として守っていくかっていうのは本当に難しい問題で、
これからいっぱい彼と相談していかなきゃいけないかなというふうには思うんですけれど、
当時の自分が欲しくても手に入らなかったものを彼に与えてあげられた喜びみたいな、
なんかそういうものをね、確かに感じたんだよな。
どうだったんだろうな?
もっと早くに部屋を得ていたりとか、部屋に勝手に入ってこられなかったりとかしたら、
なんか当時の僕の心持ちはちょっと変わったりしていたのかな?
わかんないですね、こればっかりはね。
今、この部屋の中で明確なプライバシーが守られている空間を持っているのって、
逆に上の子だけなんですよね、今って。
我々夫婦のものが置いてあるスペースは、もうかなりごっちゃごちゃになっているので、
ここまでが僕で、ここからは妻でみたいな、そういう区分けもあんまり明確にされてないんですよ。
2人のものっていうふうな感じで、まとまりがいい感じで置いてあるっていうふうな格好なんで、
僕個人のものみたいなものを分離して置いてあるわけではないんですよね。
当然、それぞれがそこには出入りするので、
ここの扉を閉めれば、ここは自分だけの空間っていうのは、今、うちの上の子しか持っていないんですよね。
だからそれが今後、多分来年か再来年かぐらいには、
もう一部屋、その下の子に与えるようになるから、
本当に一人の空間作りみたいなのは、
多分子供たちが家を出るまでは、この家の中では起き得ないと思うんだよな。
すごいことじゃない?そう思うと。
家のサイズっていうか、部屋の数の問題っちゃそれまでなんですけど、
僕これからだから、ざっくり最短で考えても、
10年から15年ぐらいは、個人の空間がこの家には存在しないっていうふうなことになるよね。
すごいことじゃないですか、それって。地味に。
なかなか大変だな、そうやって口にすると。
なんか本当、そういうことばっかなんだよな。
子育てしてると、今、我が家には子供たち向けにジュースがあるんですね。
薄めるタイプのカルピスがだいたい常に冷蔵庫に入ってるようになってるんです。
上の子が学校終わって、学童、キッズクラブに行って帰ってきて、
ちょっと家で一人の時間が生まれるリズムになってるので、
その間にちょっと何かしらつまめるように、
個包装のお菓子みたいなものが常に一定数ストックされていて、
季節によっては冷凍庫にアイスが入ってて、みたいな感じなんですね。
僕は当時そういうのがあんまりなかったんですよ。
冷蔵庫には麦茶か牛乳が入っていたけど、
ジュースの類っていうのは、家の外でしか飲んだ記憶がなくて、
長らく、僕実家出てからしばらくするまでは、
自分の家で水以外の液体を飲むっていう習慣が全然なくて、
コーヒーを飲むとかジュースを飲むとか、贅沢じゃない?飲んで大丈夫?
みたいな気持ちにずっとなったんですね。
お菓子も同じように。
お菓子とかアイスとかも同じように、
基本的には買ってはならないもので、
買う時には相当の、いわゆる自分へのご褒美みたいなやつですよね。
それぐらいのそこそこ良いことがあった時でなければ、
お菓子、アイスの類は買ってはならないっていう風に長らく思ってたんですよね。
僕の子供の頃の生活とお菓子、ジュースなどは全然接点がなかったんです。
それが今では当たり前に、
1日1杯ぐらいは彼らはジュースを飲み、
1日1袋ぐらいはそのご包装のお菓子を食べたりしてるわけですよね。
すごいここの感覚は言葉にしづらいんですけど、
僕はそれを彼らに与えられていて、
部屋を与えた時の喜びと同じように、
良かったって思ってるんですね。
僕みたいに水以外のものは贅沢品であるとか、
お菓子は贅沢品であるとか、
そういうようわからない基準ではなくて、
当たり前に世の中にはお菓子であったりジュースであったり、
美味しいものが世の中にはたくさんあるよっていう風なのを、
ちゃんと彼らに学ばせてあげられているのは、
とても良いことだなっていう風に思うんです。
それはそういう風なものが当たり前に、
ある環境で育ってきている妻が隣にいてくれるからで、
仮に僕一人で子育てしていたとしたら、
どうしたって僕基準で育てることになっていただろうと思うんですよね。
基本は水で、お菓子はなくて、
テストで100点取ったんだ、
じゃあ今日はご褒美にアイスを買おうとか、
それくらいのタイミングでしか、
甘いものを摂取できるタイミングがないみたいなね、
そういう感じになった可能性が多いなと思うんです。
そこは本当に普通の感覚を持ってくれている妻に、
非常に感謝しているところなんですが、
そういう世間とのズレを僕が認識して、
別に好きなものを食べていいし、
好きなものを飲んだっていいんだよっていう風なことを、
僕が認識して、
僕のかつての僕のインナーチャイルドと、
そこのズレを照らし合わせて、
じゃあ実際子供たちにはどっちになってほしいかしら?
っていう風なのを判断した上で、
ジュースなりお菓子なり、ある程度は与えていいんじゃない?
っていう風な方に、今は僕は触れているんですね。
それで良いんだろうと思っているのですが、