まゆみと兄の関係
小島ちひりのプリズム劇場
この番組は、小島ちひり脚本によるラジオドラマです。
プリズムを通した光のように、さまざまな人がいることをテーマにお送りいたします。
親からのメッセージを見て、私はつい大きなため息をついてしまった。
どったの?
同僚の平野美月は、パスタが巻かれたフォークを持ったまま聞いてきた。
親がまた仕送りしてくれって。
また?なんで?
兄貴がニートだからさ。
お兄ちゃん?大丈夫なの?
大丈夫はないよ。
美月が彼氏と別れて引っ越して以来、こうして仕事帰りに一緒に食事をすることが増えた。
美月は彼氏と別れた後、少しやつれていたが、最近ようやくしっかり食べられるようになったらしく、少しふっくらとした。
なんか、シンガーソングライターになるって言って、ずっと家に引きこもってる。
はぁ?今、いくつよ?
38。
え?就職経験は?
派遣のバイトをちょっと。
やっば。
やばいよね。
え?どうすんの?将来、まゆみが養うの?
まさか。
お兄ちゃんはさ、このまま何の努力もせず実家に住み続けるの?
まぁ、そうなるんだろうね。
え?不公平じゃん。
まゆみはちゃんと働いて家賃払ってるのに、お兄ちゃんは家賃払わずに生きてくの?
いつか生きていけなくなって、実家を売ることになるのかもね。
まゆみの実家なのに?お兄ちゃんのせいで売るの?
しょうがないじゃん。それしかないんだから。
まゆみはやるべきことをやっているのに、やるべきことをやっていない人のために、なぜ持っているものを手放さなくちゃいけないの?
政治家に言ってよ。
小島ちひりの困惑
家に帰ってからスマホで銀行のアプリを開く。
残高54万6,849円。保育士になって11年。
その時間をかけて貯まった金額がたったこれだけだ。
贅沢なんかしてない。旅行にだって行ってない。
しかし、2、3ヶ月に一度仕送りの依頼が来て、そのたびに送金した結果がこれだ。
水木には兄を養ったりしないと言ったけど、現実問題。
本来私の貯金になるはずだったお金は兄の生活費へと消えたのだろう。
母さんが結婚やめたほうがいいんじゃないかって。
え?
その時私は銀座のカフェにいた。
お店はカップルや女性グループであふれている。
バエを狙ったレモネードが有名なお店だ。
それは延期ってこと?誰か具合悪いとか?
いや、そうじゃなくて。
どういうこと?
真由美とは別れたほうがいいって言われた。
は?なんで?私ちゃんと綺麗めな格好して行ったし、お母さんのお手伝いもしたし。
あ、手土産が合わなかった?
違う。真由美のことはすごく褒めてた。
気立てのいいお嬢さんだって。
じゃあなんで?
お兄さんがさ、引きこもりでしょ?
引きこもりってわけじゃないよ。出かけることはあるし、友達もいるし。
うん。でも働いてないじゃない。
まあね。
それがさ、母さん的には後々厄介なことになるんじゃないかって。
厄介?
ほら、引きこもりの人がさ、人殺しちゃった事件とかあったじゃん。
あったね。
そういう危ないことをするんじゃないかって。
お兄ちゃんが?
俺はね、もちろんそんな人じゃないって言ったけど、
でも正直まだ数回しか会ったことないしさ。
うちのお兄ちゃんが将来人を殺すかもしれないから結婚できないって言ってるの?
そこまでは言ってないよ。
そこまでは言ってないよ。
でも現実問題さ、お兄さんはどうするつもりなの?
真由美のご両親が亡くなったらどうやって生きていくつもりなのさ。
私はうつむくしかなかった。
両親が亡くなり遺産も食いつぶしたら、兄はどうするつもりなのだろう。
当然私が生活費を出すと思っているのか、それとも福祉の世話になるつもりなのか。
いずれにせよ他人に乗っかって生きていくつもりなのだろうか。
とりあえずさ、一旦距離を置いてみない?離れてみて分かることもあるしさ。
私は知っている。距離を置くというのは失恋の執行猶予のことだ。
連絡せずに実家に帰ったのは初めてだったかもしれない。
母は、「行ってくれれば真由美の好きなものを用意しておいたのに。」
とニコニコしながら言った。
父は、「もうお前の家じゃないんだから連絡よこすぐらい常識だろう。」
とビールで真っ赤になった顔で言った。
兄はリビングでソファーに寝すべりながらテレビを見ていた。
「ただいま。」
「おう、おかえり。」
兄はちらりともこちらを見ずに言った。
「あのね、裕作と別れることになった。」
「え?」
母は手に持っていた缶ビールを床に落とした。
缶からしみ出したビールが床に広がっていくが、誰も気にかけなかった。
「どうして?喧嘩でもしたのか?」
珍しく父が動揺している。
「お兄ちゃんが引きこもりだからだって。」
「は?」
兄はようやく私の方を見た。
「俺は引きこもりじゃねえし、シンガーソングライターだし。」
「いつか人を殺すかもしれないから、そんな家族がいるやつとは結婚できないって。」
「俺が?何のために?」
「あんたは世間的にはそう思われてる存在だってことよ。」
「ふざけんなよ。ただちょっと人と違うことしてるだけで、
なんで殺人犯扱いされなきゃいけねえんだよ。」
「誰にも迷惑かけてねえだろうがよ。」
200万円。
「は?」
「お兄ちゃんが働かないから生活費が足りないって言われて私が出した仕送りよ。」
「この10年で200万を超えたの。」
「は?仕送り?」
兄が母の方を見ると、母は罰が悪そうに目をそらした。
「返してよ。私の200万。」
「あー、わかったよ。局が当たったら利子つけて返してやるよ。」
「は?当たる?本気で言ってんの?」
「本気だよ。俺はずっと本気だよ。」
「このろくでなしが!」
私は手に持っていたスマホを兄に投げつけた。
「いって!」
スマホは兄の額に当たり、血が流れ始めた。
スマホは兄の額に当たり、血がポタリと垂れてきた。
「真由美、やめなさい!」
「甲太、大丈夫?」
その後のことはよく覚えていない。
私はわんわん泣きじゃくり、兄は月光し何かを叫び、
父は兄を止めようととっくみ合いになり、母はただおろおろしていた。
気がつくと、私はパトカーで自分のアパートまで送ってもらうことになっていた。
パトカーの後部座席では、隣に女性の警察官が乗っていた。
家族って大変ですよね。
彼女はただ一言だけそうつぶやいた。
その声が妙に耳に残ったまま、私はその日眠りに落ちた。
いかがでしたでしょうか。
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それでは、あなたの一日が素敵なものでありますように、小島千尋でした。