母の手を握る
小島ちひりのプリズム劇場
この番組は、小島ちひり脚本によるラジオドラマです。
プリズムを通した光のように、様々な人がいることをテーマにお送りいたします。
俺の手はカタカタと小刻みに震えていた。
きっとあと1時間もすれば、俺がいなくなったことに劇団のメンバーは気づくだろう。
吉田さんはきっとブチ切れて大暴れするに違いない。
その辺にいる劇団員に無差別に殴りかかるかもしれない。
それでも俺は、行くしかない。
震える手でスマホを取り出し、電源を切った。
失礼します。
俺は恐れ恐る病室の扉を開けた。
中では6台のベッドが並んでおり、それぞれテレビを見たり、見舞い客と談笑したりしている。
一番奥のベッドだけ、周りと比べひっそりとしていた。
母さん。
母はスースーと寝息を立てている。
特に苦しそうな様子はない。
それだけは良かった。
ベッドのそばの椅子に腰をかける。
カバンを開けて、分厚い封筒を握りしめる。
売上300万円。
全部ここにある。
ノリヒロ。
母さん。
俺だよ。
俺は母の手をぎゅっと握る。
母はゆっくり起き上がる。
来てたの?
公演は?
劇団のみんなが何とかしてくれるから大丈夫だよ。
そう。
ちゃんとご飯食べてるの?
お金足りてる?
大丈夫だよ。
大丈夫。
母さんの入院代は俺が持ってきたから。
母は驚いた顔をした。
大丈夫よ。保険があるし、退院したらまた働くから。
いいんだよ、もう。
そんな体で働かなくて、これからは俺がいるから。
そんなこと言ったって、
あんたこれまでまともな仕事に就いたことないのに、
一体何の仕事するの?
俺は何も言えなかった。
心配を話し合う
18で家を飛び出して役者を目指した。
いろんな研究所を渡り歩いたが目が出ることはなく、
吉田さんに裏方とした声をかけられた。
それでも芝居に関われるならと、
制作として20年、劇団に尽くしてきた。
劇団から給料をもらったことはない。
深夜の清掃のバイトで何とか食いつないできた。
いや、正確には食いつなげていない。
公演のたびにバイトを休み収入が足りなくなり、
特息状が届き、母に泣きついた。
そのたびに母は仕送りをしてくれた。
実家を売ったことを知ったのは、
母が引っ越してから2年後だった。
あんたの顔見るのもなんだか久しぶりね。
母は俺の手をぎゅっと握り返してきた。
母は昼は工場で、夜は介護施設の警備の仕事で金を稼ぎ、
ずっと俺に仕送りをしてくれた。
俺は劇団員から団員費を徴収し、
公演のたびに赤字にならないようにノルマを貸した。
劇団員が借金まみれになっていると知っていた。
自分は母のすねをかじっているくせに、
金を払えない劇団員を責め立てた。
いつかきっと報われると思ってた。
あんたは東京に戻って芝居を続けな。
俺は首を横に振った。
いいんだ。いいんだよ。
俺はうなだれていく。
あたしはあんたがやりたいことやって、幸せならいいんだよ。
母さん、幸せって何?
あたしはあんたが元気でいてくれたら幸せだよ。
俺も母さんが元気だったら幸せだよ。
じゃあ、悪いことしちまったね。
そうじゃない。そういうことじゃない。
安心して入院すらさせてやれないことに嫌気がさしているだけだ。
俺は45にもなって、母にすがりついて泣いた。
いかがでしたでしょうか。
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それでは、あなたの一日が素敵なものでありますように。
小島千尋でした。