さっき言ってて、あ、そういえばって印象に残ったのが、意味付けをするっていう話ですね。
ちょうど今朝、寝起きのまどろみの時に、なんかふーって思ったのが、
あらゆることに意味などなくて良いのだなぁ、みたいなことを思った記憶があって、ちょうど。
でも意味をすごく付けたくなるのは、すごいわかります。
納得感を持たせたいとか、なんか今の自分に安心、安心っていうのはあれだな、なんか頭で考えての安心を得たいっていう意味。
だけど、まさにこう、生きていることに意味って別にない。
よく、こう、コーチングとかでかつて言う、今も言われてるのかわかんないけど、かつて言われていたのが、やっぱこう、使命とか。
裏のために、みたいな、あるけれど、究極やっぱりそれはないと思ってて。
で、マジでほんと死んだ後に答え合わせになるんだろうなーって思った時に、
ちょっと前に、なりたゆうすけさんが、なんだっけ、令和の虎かなんかで、
これからの時代は、人生はただ踊るだけ、みたいなことを確かしゃべっていたと思うんですけど、
それの感覚が私結構近い。
なんか、踊り続けてたら、あれなんだっけ、嫌われる勇気かなんかにも書いてあった気がするんですけど、
人生はダンスを踊っているようなものだで、
これは多分最後、俯瞰したり死んだ時とかに、踊ってた軌道がこうだったねーみたいな感じなんだろうなーっていうところで、
あらゆることに意味付けはあんまり、意味付けに意味はないし、
逆に意味付けがされすぎているものは、私はちょっと、それってほんま?みたいなこととか感じるなーっていうのをちょっと思い出したので、
事後なんですけど、しゃべらせてもらいました。
でもめっちゃ覚えます。
ないださんの、踊って祭りで遊んでみたいな世界線ですよね。
でも、そうならざるを得ないですよね。
昔の人間はそうだったかもしれないし、
狩猟して、ご飯食べて寝て、祭りしてみたいな。
それだけだったはずなのに、気がついたら競争し始めて、
誰より稼いだか稼いでないかみたいな話になる。
苦しい方向に気がついたら進んでたっていう。
なんかね、ベースが不足ですよね。
今の自分では、何かが足りていないみたいな。
自分というものの根源には、自分はいつも何か欠けている存在だみたいな。
っていう感じなのかなって気がするけれど、
かつての狩猟だ、祭りだみたいな時とかは、
あるっていうことに都度都度感謝してたんだろうなって思ってて。
特に狩猟とか自然界って、誰もコントロールができない中で、
不作だ、法作だみたいなものとかも、もちろん決められないじゃないですか。
だから、ありがたさみたいなものがより際立つんだろうなって。
感謝がなくなっちゃったっていうのが大きそうですよね。
物事がありふれすぎてね。
あるが当たり前になりすぎて、ないの方がすごく際立っちゃっているのかもしれない。
5年10年はすごいと思います。
すごいと思う。
なんかそうなってくると、たりき本願でいざるをえないですよね。
うん、いやまさに。
世がどうなるかわからなすぎて。
うんうん。
そうだよね。
ほんとわからなすぎる、最近。
なんかこのたりき本願度合いが、個人レベル?個人の意識の変化の意味で、もうたりき本願にならざるをえませんみたいなものと、平行して世の中がもう誰もこう意図的に設計するものではございませんみたいな。
ある意味、地球全体がタオイストになるのかもしれないんですけど、何を我々は経験するのかなーみたいな、地球とか宇宙とかのリズムプロセスと調和をしながら、共同関係を築いていくみたいな、
すごい雑に見ても2層のたりき本願っていうのはすごいあるだろうなー。
その中でもね、乗るしかねえこのビッグウェーブにみたいなものがやっぱりマスターなんだろうなと思いました。
ひもの。
ビッグウェーブ、そうね。乗ってる感覚すらあるのかな。
最近私の中でね、マスターのペルソナができたので、すごいイメージしやすく、最近のお食事会で出会った方の中に勝手ながらマスター認定させていただいた方がね。
本人乗ってる感はなさそうだな。
調整してるって言ってましたよね。波というか、いろんなもののバランスを調整して、一番心地よいポイントを探してる。
あー言ってたかもしれない。いやー、確かに。やっぱあれだな。
もう何なら波の一部かもしれないと思いました。乗ってるどころか。
自然の一部。普通でしょうね。
そうですね。自然、抗議的な意味の自然に抗ったりとか、コントロールしたり規定したりするのではなく、その一部となって、
自らの命が使われていくというか、運ばれていく?生かされていくみたいな。そういう質感もしれないな。
そしてその自然の一部として、絶対的に守られながら、どのタイミングで何という、花を開かせる、果実が生まれる、もしくは植物が成長するかは、
もう誰も予期できず、すべては起きてからのお楽しみみたいな。
それでいくと、もう共鳴だけしてればいいなって最近ちょっと思うんですよ。
いやー、そう。
共鳴してるもの同士が集まる場を作ってれば、自然と何か生まれるよねっていう。
生まれる生まれる。
自分が紐の一部であるってことをちゃんと体感覚で持った上で、同じ紐バイブスで共鳴し合っていれば、波に乗ってるというか、自分自身が波で、波と波が倍音で広がっていくみたいな。
うんうん。
そんな感覚がいいんだろうな。
あれはいいですよね。
平坦な楽とは違う、自然であるという意味での楽なイメージですね。
もう一個、人生というか生きる上で共鳴さえしていれば良いのではないかみたいなことに、もう一個最近感じているのが、
その都度その都度起こってくる感覚とか感情を、ただいじくったりせずに、あるなーって思っているだけで、人生は完結するんじゃないかなっていうのもちょっと思ってまして、
これちょっと私もまだわからんっていう前提で感じていることなんですけれど、結局なんか死んだときに、なんだやっぱり自分ってめちゃめちゃ愛されてたやんけーみたいなっていうゴール、人生のシナリオのゴールを感じたときに、
そこに向かっていく上で、それこそ無価値でもええやんとか、そういう感じのものを発火させるイベントってやっぱり感情だなーと思っているんです。
出来事はあくまでも感情のトリガーでしかなくて。
なんかその過去の自分とかだったら、こう受け入れがたい出来事とか、こう逃げたくなるような出来事があったときに、やっぱりこう別ルートで頑張って働くみたいな、そういう克服的なスタイルで人生を、物語を紡いできたけれども、
案外やっぱその、楽になっていくというか、なんかこう、私の命の形ってこうだよねーみたいなものを許していく上で、起きた感情をただただあると、自分自身が受け入れていく責任を持っていくだけで、
なんか人生は開かれていくのかなーって。
で、それがだんだんこう、感情ってやっぱりこう、未消化のものって重力があると思っているので、それが、もうそれでいいんだよみたいな風にされていくと、よりその共鳴度合いみたいなものが、自然由来、自分の自然由来のバイブレーションで共鳴する方と、
よりこう繋がりやすくなったりとかも、していくのかもしれない。これ、鶏卵な気はしているんですけれど。
なんかね、最近すごくそれを思うんです。
でも、そう思います。
思います。これまでは、私、感情の取り扱いとか認知に、苦手意識を自分の自己認識では持ってたんですけれど、
今となって思うのは、むしろ逆に感情の感じるセンサーが過敏すぎて、受けすぎちゃって処理できなかっただけだったなーと思ったので、
それも含めて、許そうと。
ワンピースの白ひげです。
ワンピースの白ひげみたいに、そんなバカとは言いません。
そんな弱々しい自分を愛そうというふうに、ハグハグね、しながら最近そんなことを思いました。
そうですよ。確かに。
そうですか、やはり。
いや、でも本当に感情の取り扱い、最近の僕のイメージは、肉体ある以上感情は絶対あるんで。
そうですね。
瞑想とかだと、それを手放せみたいな話、なかったことにするみたいな感覚もあるけど、やっぱりその感情は燃料みたいなイメージなんですよね、最近。
そういう。
もちろんその感情に留まってしまうと、やっぱ重力でどんと下のほう行っちゃうけど、
ちゃんとその感情を味わってあげて、毎回だったら怒りをちゃんと味わい切って、怒り切って、蒸発させることで、
そのエネルギーが、もっと感謝とか愛とかディタとか、そっちのもっと工事の質感に変換されるというか、ブースターみたいに発射台みたいな感情が。
だからそれを感じ切ると、そっちに自ずと、より勢いづいてそっち行くみたいな。
そうだと思う。
で、たぶんその工事の感覚でいると、感謝、似た、愛。
その感覚で祈ったり、毎日しっかり感じ切れていると、自ずといいバイブスを発信して、その発信によって似たバイブスの、工事のいい感覚のバイブスが引き寄せられて、
なんか、心地よい感じになるんじゃないかなっていう質感ですね、最近は。
うんうんうん。確かに。
なんかこう、人間としてのボディの周りに何層かこう、エネルギー体があるじゃないですか。
エーテル体とか、アストラル体とか、あると思うんですけど、
それこそ、ほんとにすべての想像のエネルギーとかが、宇宙みたいなのにあって、
それぞれの人のエネルギー体の、どうだっけな、アストラル体とメンタル体あたりのところに、感情と思い込みがつかさどってたりするので、
感情とか思い込みってちょっとあれじゃないですか、こう、無意識のところに近いから、
意図してないものが実はここにあって、本当は例えば、私はこういうふうに生きたいみたいな、
宇宙の想像の力を使おうとしても、なんかここが、ここが実は違うバイブレーションを放っていたりすると、
この肉体というか、人間として経験するものが、こう、何て言うんでしょう、私のイメージだとちょっとこう、カクカクって分岐というか、
屈折していって違う経験になったりとか、もしくはちょっと時間がかかるように錯覚したりとか、あると思うんですけれど、
ここが結果的にこう、気づくということだったりとか、環境の力とかによって、
なんか整っていったりすると、こことの繋がり通りがすごく良くなるから、
なんかよりこう、宇宙の紐、それが本来自然な形であるっていう前提の上で、紐感みたいなものがより増していったりとか、
バイブレーションがこう、幅が広がっていったりとか、
するだろうなということが、なんとなくちょっと確信になってきていて、ゆえにちょっと感情みたいなものを、