別弁したものが、ここで言うたりき本願な印象がまずありますと。
で、自力、たりきみたいな表現と、ちょっと区分けしたときに、
自我の力と、他者の自我の力っていうものを、自我力、たが力みたいな言い方をしたときに、
それとはちょっと違う質感。
なんて言うんでしょう、自然の流れとかを、
モーセみたいに海をバーッと分断するとは違う。
もう分断してやろうみたいな感じが、自我力とか他が力みたいな感じですけれど。
ここで言うたりき本願みたいなものは、私の解釈だと、ちょっと集合無意識が働いていく。
自然と、ご縁が引き合うとか、応援されるとか、機会がやってくる、みたいなものなのかな、というふうに思いました。
そのレベル100っていうことは、つまりヒモマスターなのかなという気がしております。
その通りだと思いますわ。
その通りだと思いますか。
そうなんですよ。
たりき本願で生きたいよねっていうのと、
ありのまま自然体でありながら、全力でできないことは言いまくるみたいな。
弱み言いまくるとか、そういう感じ。
そうすると、それが自然だから。
やっぱコーチングとかしてても、生きづらそうな人って、みんなにいい顔してるみたいなところがすごいあるなと思っていて。
やっぱそれってめっちゃ不自然なんだなって。
会社とかでも、完璧な自分しか演じられないから、自分がやりたいことはもうわかんないみたいな。
完璧であり続けるみたいな。
その結果、その人はめちゃくちゃ完璧なキャリアを歩んでんだけど。
結果も得ているわけですね。
得ている結果も、そこから抜けらせないというパラダイムになってしまっていて。
そこでね、ちょっと失敗とかしたら抜けらせるんだけども。
成功しまくっちゃって、その人はもう。
だから苦しそうだなーと思いながら、でもこれがやりたいことがわかんないみたいなことになっちゃってるっていう。
それはなんかこう、自力だよね。
自力で全部やってきた結果、たりきの質感が全くわかってないみたいな。
その結果、自分の本来の自然体も見失ってそうだなって感じたりしましたね。
確かに。
なんかね、そのスタイルにもすごくたくさんメリットがあるんだろうなーとは思いました。
実際にそのスタイルで完璧な成功を得ているっていうことは、それはそれでまず素晴らしいことですよね。
すごいやん、みたいな。
成功ちゃんとさせとるやん、みたいな。
あると思うんですけど。
なんか今のお話を聞いていると、いろんなその側面を感じました。
完璧であることによって、きっと得たいものがやっぱあるから、それを演じているっていうのもあると思いましたし、
逆に完璧な自分を辞めてしまったときに、自分に何も残らないとか、もしくはちょっと怖いですよね。
人が求めているものに答えるって、ある程度ちょっと答えがわかるじゃないですか、何をしたらいいか。
でもそうじゃなくて、自分から湧き出ていくものを作るって、結構道がない感覚があったりとかして、そのことに向き合わなくて済むとかっていう。
今話しているのは全て、私の体験談でもありますっていう感じなんですけど。
っていう形で、そのスタイルを辞めたいんだけれども、辞められないっていう場合は、そこにまだメリットがきっとあるんだろうなと思いますし、
逆にそれをいっそ突き詰めてしまったら、バーンって壁が破壊されて、もう別の生き方に転じるしかないみたいな。
それこそ、これまでは自力で、ある意味自分でコントロールできる環境に安心もしているのかなって気がしているので。
逆を言えば、他者に入り込ませなくて済むっていう感じなのだとしたら、壁が破壊されたことによって、
初めから自分は、他者から愛されとったやんけーみたいな。
ブワーって、こうナイヤ柄の滝みたいな感じで入っていくっていうね、そういう愛の受け取り方をするのかもしれないなぁとは思いました。
その時には、たりき本願の道を歩まれるのかもしれない。
でもすごいわかりますね。
私このたりき本願レベル100が、今日も今日とていくつかテーマがある中で、このキーワードが一番気になったんですけれども、
今の私が、もうたりき本願レベル100以外、取る選択肢がないって結構感じているんです。
今の自分を、チャットGPTに相談というか壁打ちしたんですよ。今結構こういう状況でみたいな。
それこそ今、どこの組織にも所属していない。業務委託の形でも今やっていない。
なんかこう、潤沢な資金貯金も別にない。で、一人暮らしみたいな感じのこととかなんだけど、
なんか私はこれからどういうふうに生きていこうかみたいな壁打ちをしたんですよね。
で、その時にチャットGPTが返してくれるじゃないですか。今あなたの状況はこういう感じなんですねっていう。
書かれてる文字を見たら、なんか私って結構やばい奴なのかなって一瞬焦ったんですよね。
なんか、職なし貯金なしみたいな書かれ方して。
辛辣で。
エセ回転生しそうなね、この後に。
そう、いや、それやねん侍なんですよ。
あの、なんか、やっぱその、陰極まって陽天じるみたいな言葉もあるじゃないですか。
なんかその、客観的に見ると、こんなに、なんか私の日常の生活だとそれはあんまり実感してないんですけど、
なんか文字として起こされると、めちゃくちゃ陰やんけみたいな。
なんか、この人大丈夫?みたいな感じだったんですけど、
でも、これまでの自分が経験してきたスタイル、なんかこう、ちょっと無理して。
無理してというか、ちょっと力んで、頑張れば働けるかも、とか。
ちょっと、気が乗らないけれども、なんか、セッションの一生懸命宣伝しよ、とか。
もう、やりとーない、みたいな。
やりとーないです、みたいな感じが出てくるから、もうそうなると、マジで足利本願しか選べるものがないって、ちょっと自分では感じてて。
まあ、そんなこともないとは思うんですけど。
なんか、足利本願で、いたい。
その全てをですね、人生の展開もそうだし、五縁の紡がれ方もそうだし、なんかそういうのを感じてて。
なんなら、ちょっとイン、むしろ影強めてるつもりではないけれども、なんかあえてそっちをちょっと極めようかなと思って。
最近、SNSをマジでやってないんですね。
あのー、直接、なんかリアルなフィールドでたまたま鉢合わせするとか、連絡をもらえるっていうことに、
なんか、セレンディピティをめっちゃ感じていて、すっごいありがたい、くなっちゃって。
で、ちょっとそっちをやってみようっていうふうにシフトしてるんですけど、
まあ、時々病む。
あまりにも毎日が、この、まあ言ったらちょっとこう、
自分で、安心安全をちゃんとこうしっかり作れる中で、入ってくるのを待とうみたいな感じだから、
そんなになんか自分の人生が大波に動かされている感じとかはないから、
本当に、なんか面白いことをやってくるのかい?みたいな、
あったりもしてるんですけど、でも、私が何かした方がいいとか、そういうものはなさそうだなって感じてるから、
毎日毎日、ただただ自分を整えたり、
その中でできるご機嫌を保ちながら、たりき本願レベル100であろう、みたいな感じです。
でも、ざわざわとかはすることも全然あります。
その中で1個、輝きまん、ひも書壇の輝きまんに、ちょっとね、質問したいことがあったんです。
質問ありまして、今自分が、チャットGPTが書いてくれる、本当に食なし貯金なしみたいな考え方をしている私なんですけれども、
今結構自分が感じているのが、いろんな揺らぎがある中でね、感じているのが、
なんかね、自分の無価値感とか、あんまり意識してたことないんですよ。
無価値だなぁ、みたいな。思ったことないんだけど、
結構、無価値感みたいなものを、この最近感じたことがあって、
なんとなく、でもそれって、結構無価値感って、人間のその感じる恐れの、根本的な恐れのような感じもしているんですよ。
なんかその、生存本能に近い部分の、なんか恐れな気がしていて、
この無価値感を、なんかそのまま、別に否定せずに、
あ、私って、自分でいてもあんまり意味ないかも、とか、無価値なのかもなぁ、みたいなものすら受け入れていった先に、
いや、なんかこれまでと違う価値の感じ方、それこそ、なんだっけ、お守りアスアサービス、京都。
オースね、オース。
オース、オース、オース、オース、オースです。
いるだけで素晴らしいんだよっていう、世界線に行く、
今なんかその、陰極まって陽転じるのその陰なのかなっていう仮説を感じていて、
だいたい私の中でもピンチは大チャンス方程式で見てるんで、
こんな感じで紐に行く手前、紐として加速していく前に、
なんかこれまでの自分に厳密したりとか、無価値感とか、自分って誰の役にも立ってないのかもかんて、
味わったりしましたか?っていうのが質問でした。
その遊びの中で周りもハッピーだったらそれでいいんじゃね?みたいな。
だからもう、ああいう食事会を主催しても、別に何もしないわけですよ、僕は。
最近ね、ひもバイブスのお食事会があってね、輝きまが主催してくれたんですよね。
そうなんです。僕はバイブスが会う人たちを集めるという場の設定だけして、
あとはもう委ねるっていう。
リスナーの皆さんにぜひ伝えたい。
私が感動したひも諸団の輝きまの企画者としての在り方。
3つね。さっき輝きまには直接言いましたけど。
まず1つ目。
特にファ知らない。
ニコニコして軽くその方のお名前と何をしているかだけ振って、
あとはニコニコしているが1。
2つ目は、次飲み物何にしますかっていうときに、
基本的に誰かが言ったやつに、じゃあ僕もそれでって乗っかっている。
メニュー見ない。
最後3番目。その場をご馳走してくださったあの素敵な方がいらっしゃって、
僕出しますよって言ってくれた後に、その方隣にいるのに輝きまはこっち見て、
これがひもの在り方ですってドヤ顔したっていう。3番目。
この在り方がひもだった。マジで。
ひもだったでしょ。
ひもだった。
でも大前提として、信頼できる場だからっていうのもあるけど。
もちろんもちろん。
心を許してる場だよね。
環境とか場のね、非言語の暗黙的な了解ありますからね。あるある。
場がすべてだなっていうのもやっぱ。
私もそう思う。
思うよね。
ちょっといろいろ聞いてて、話したくなっちゃったことをわきまくりなんですけど、
今のその場と環境が大事みたいなものも、なんか結構、
場とか環境って、その自分という自然物、植物にどういう水を吸わせているか、
どういう土壌にいさせているかだなと思っていて、
だから今の自分としてそのまんまだったとしても、
どのコミュニティに属しているかによって、自分全然違う自分になっていくじゃないですか。
だから、場は結構、私は慎重に選ぶの大事だなって思っていて。
人ってすごく多面的だから、その場にいる自分が好きだなと思えるんだったらね、
その環境とか土壌はすごい合ってると思いますし、すごい大事だなと思ったのと、
最近、私のひもを、気づいたらひもやってました実践体験談をシェアさせていただきたいんですが、
最近私の仲のいい友人夫婦が、初めてとあるホテルのスイートルームに泊まったんですよ。
私、その前段階でその夫婦に、なぜかスイートルームに一回泊まった方がいいという熱弁をしてたんです。
自分スイートルーム泊まったことがないのに、
さの泊まり慣れている人かのように、一回そういう環境を味わった方がいいみたいなことを熱弁して、
彼らはその直後に、実際に結婚する前から、あのホテルいつか泊まりたいねって言ってたところのスイートルームをとったんですよ。
で、最近そこに泊まるっていうイベントがあって、お招きしてくれたんです。
お部屋もそうだし、あとは一緒にこう、スイートルームの人しか入れないラウンジみたいなところで、ちょっとお茶しようみたいな。
そこで楽しくお茶しながら、私も好き勝手喋って、なんか感謝されたんですよね。
なんかすごい、その話してくれてありがとうみたいな感じで、
すると、その友達と、私自分がスイートルーム一回も泊まったことがないのに、泊まった方がいいよって何も考えず熱弁した結果、
自分で予約してないのにスイートルームに呼ばれて、お茶もして、好き勝手喋って、なんなら来てくれてありがとうって感謝されているみたいな。
これってもしかしてヒモですか?みたいな話でそこになって。
で、確かにってなって、一緒にこの体験してくれてありがとう、進めてくれてありがとうって言われたときに、また呼んでくれてもいいよって言ったときに、ちょっとヒモの階段を何段か上がった気持ちになりました。
確かに。これはヒモですわ。
あれはなんかヒモだったなって思いましたね。
泊まった気になっちゃった。
なんなら泊まったのかと思ってたよ。
でもなんか結構面白くて、彼らもすごい分かち合うみたいなマインドだったからだと思うんですけど、彼らは夕食のディナーの予定があったので、そのタイミングで普通に私抜けようと思ったんですけど、
なんか僕たちディナー行っている間、部屋でゆっくりしててもいいよって最初言われて、それはもう、それは私もう泊まっちゃってるんだよなみたいな。
寝ちゃうから、ただそこはちょっとせんびきして、そんな野暮なことはいたしませんって言って、綺麗な去り際で。
ただ、またいつでも呼んでくださいって言って帰りました。
なるほど。
やってました、気づいても。
でもマスターになったらたぶん泊まって連泊してますよ。
絶対そうだよね。
連泊してる。もう一泊泊ろうみたいな感じになってる。
もう一泊しようって確かに言ってるわ、マスターだったら。
楽しいじゃんだって、みたいな。
確かに、それあれですね、私の幸せとか豊かさを受け取るまだ可能性というか広がりがありますね。
確かに、想像すらしなかった。
セーブしてる感じを感じた。
いやー確かに。
申し訳なさがね、ちょっとあったから。
確かにね、見習いはもう、また誘ってぐらいで終わっていて、
輝きまの初弾になると、やっぱそのマスターの図がそもそも見えてるわけじゃないですか。
泊まって何なら連泊提案するって、私はまだ見えてなくて。
でも輝きまに見えているっていうことは、その可能性が存在するわけですよね。
ここに見習いと初弾の違いをすごく感じますね。
確かに。想像すらしてなかったそうだったもんね。
そう、思いも寄らなかった。
で、マスターがそれを想像じゃなくて、実際に形にするっていう。
紐奥深いな、マジで。
でも、この紐の考えすらしなかったですけど、本当に。
それもさっき話してくれた、これまでの自分の採用してたスタイルと違うスタイルを取り始めるときの、
自分の無価値観受け入れがたい気とか、それを味わい切るっていう先に、
なんかそれすごいありそうだなって思いましたね。
だから今はまだ私、無価値観をまだまだ味わってたいんだなーって。
それを感じるってことは、やっぱりどこかでまだ価値出さなきゃいけないっていうミュウミュウがいるから、それが出るっていうことだもんね。
ありますあります。
めちゃめちゃ意識的に価値出そうとはもうなってないんですけど、
やっぱりその、何て言うんでしょう、こう残党?
自分の中に残党が、なんか無意識に出てくるものですね。
本当に日常にシレッと見え隠れしている、
例えばなんか、私がこうしたことによって相手にポジティブな変化を起こしたのだ、きっとそうに違いないとか、
そういう、なんかもう、なんかね、無意識に当たり前にやりすぎているものがあるって感じですね。
だからこう、それはちょっと気づきづらい。
今はこうやって言語化できているので、そういう側面、無いと思ってたけど、あるなっていうところまではちょっと来ている。
本当に今、ここまで話しながら思うのは、
ここから本当に多分もう少し一段二段ぐらいより、
マジで何もしてねえじゃん、みたいなことに、なんかもうちょい絶望するのかなって気がしていて、
なんかね、そんな気がしました。
まだ心のどこかで、これまでのパターンを引っ張りながら、
それでも私は誰かの役に立っているとか、私は価値があるって思いたい自分が全然いる。
もう全然いるなーって感じです、それは。
なんかそこがもうちょっとやりきった先に、
こう、イン!展示でいよう!みたいな感じなのかなと思いつつ、
大丈夫なのかなーって思う私もいますいます。
価値の質感がどうしても、金銭的なものとひも付きがちだよね、質感として。
ひも付きがちですよ。
お金が発生してしまったら、そこの価値としてはね、ちゃんとした物質的なアウトプットが必要になってくるっていう。
それを価値として、たぶんほとんどの人は感じていると。
まさにお金とか、あとは肩書とかですよね。
役職とか、どこの組織に属しているとか、それはすごいあるなーと思ってますね。
最近、お金に対する捉え方とかも変わってはきました。
私も、豊かさという概念の中で、お金っていうものがババーンってあったんだけど、
全然お金ってまじでごく一部だなーって思ってて、視野を広げてみたら、
もっともっと豊かさにあふれていて、
お金以外の豊かさに気づけていること自体が、そもそもすごい豊かだなーって。
思いましたね。
あ、一個話、さかのぼっちゃうんですけど。