で、ちょっと後押しになっている感覚が別にもありまして、
なんかね、なんだっけな、いくつかあるんだけど、
みんなに見つかったらどうしようとか思ってる自分とか、
あとはスポットライト当てられたくないとか、
なんか時折思っている自分がいて、
これ前からたぶんいるんだけど、
でもそれって見方を変えると、
いつか私はみんなから注目をされて、
スポットライトを浴びる人間ですって言っていることだとも思うんですよ。
ってことは、自分がどうこうしなくても、
なんか抗えない流れで、いつかそれがやってくるっていうことも、
今は分かっていて、それが何かは分からないけれど、
なんかそういうのがどうやらあるから、スポットライト浴びたくないとか、
悪あがき抵抗している自分がいる。
って思うと、そんなん頭で考えても、
いつどうやって、どんな感じでやってくるのか、まるで分からないことだから、
じゃあ、どうせそういう時が来るんだったら、逆に今の、
ひきこもりにとひまじん楽しんでおきます、みたいな感じ?
この辺もそうじて、何が何だか分からんけれども、
どうやら自分が全部答えを知っているらしいです、みたいな感覚かも。
いいじゃないですか。
そのまま、そのまま行きましょうよ。
急に軽くなりましたね。
急に。
さては急に軽くなりましたね。
でも、何だろう、風もその感じあったなって聞いてて、ちょっと思ったんだよね。
ひもしょだん?ひもしょだんにもあります。
ひもしょだんに見習いの時に。
花みたいな。
その状態にとどまっているのと、流れに乗るみたいなところの感じを待ってる感じみたいな。
でも、それは時はそうなんだよね。
まだ身についてないんだよね、その質感が、感覚的に。
ちょっと無理してる感じが。
頑張ってひもしようとしてる質感。
ひもがひもしようとしてたわけですね。
ひもがひもしようとするために、ひもというアファメーションを自分で言ってる。
わかるわ。
イメージつく。
っていうところがあったんだけど、最近もうひもレスとか言わなくなったもんね。
当たり前すぎて。
当たり前すぎて言う必要もない、ひもとか。
そうなんだよな、当たり前の人って、あえて言葉で言わずエネルギーで出ちゃってますよね。
そうね、そうかも。
口にする必要がなくなってくるんだよね、ひもとか。
だからもう忘れちゃうもんね、ひものということを。
ひもであることをね。
だからこのひも理論のこの番組も、ひもの話される、聞いてる方がひもの話されても、
あ、そういえばひもだったみたいな。
ひもの話してたみたいな。
っていうぐらい、もう忘れちゃってる。ひもすぎ。
ひも、もうあの、ひもになろうとか、今ひもひもじゃないとかじゃなくて、
日常の中にひもが常にあるわけですよね。
そう、エブリデイ、エブリナイト。
エブリデイ、エブリナイト。
ずっとひもが、どうかしてるからひもが。
ね、え、その、今やひも諸談の、それでもひも諸談なのか感はあるんですけども、
ひも見習いから諸談になった、なんか転換期とか、それこそ今話してたような、
気づいたら、ひも当たり前になってるやんみたいな感じで、
思い返したら、そういう感じだとは思うんですけど、
なんか、何が、どういう時に、ひもであろうとか、ひもアファメーションとかから抜けてったんですかね。
えー、ひもアファから抜けたのは、
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ひもアファはね、いつだっけな。
でもね、言わなくなってたんだよね。
でもまぁ最初、やっぱピパッサな瞑想を行って、
そっから本当の意味でのワンネスみたいなものを感じて、
そっからはそれを維持するために、
なんかね、頑張ってる自分もいたんだよね。維持を頑張るみたいな。
ワンネス、悟り、バイブス維持するために毎日、毎朝瞑想するみたいな。
その瞑想するという行為が、ちょっと頑張ってる質感があったんだよね。
そのしばらく、1年ぐらい。
最近はね、もう瞑想してもしなくてもいいみたいな感じになってて、
なぜかというと別に、しなくても同じ状態保てるなみたいな感じとか、
日常の中で紐を体現すればいいだけだから、
なんかね、紐にならなくても、紐になろうとしなくても、
小さな習慣で紐になれるな。
僕の場合は、毎朝散歩して、1時間ぐらい散歩してんだけど、
散歩してる中で神社行って、神社でお参りして、
そのお参りの最中に、もう紐を感じてると思うんだよね。
散歩とお参りで。
それはそれで紐を感じつつ、日々の生活の中でも、
さっきのみゅみゅのスポンジの話とか、いろいろあったけど、
何も気にしなくなってった自分がいたね。
紐ですって言うってことは、紐アファかけるってことは、
そこに何かから守ってる自分がいると思うんだよね。
それをワンクッション置くことで、
僕は紐だからこういう在り方なんです、みたいな。
紐アファという装備で自分を守ってるみたいな。
でもそれすらもいらなくなると、無防備な状態で別にもう紐みたい。
いちいち言葉のバリアつけなくても、何もダメージ食らわない。
吸収すらもしない。空洞みたいな感じ。
スポンジで吸収するというよりも、何だろうな。
何かブラックホールみたいなのが、
質感としては吸収はしてないんだよね。
言われてそのまま循環してるような感じ。
何かね、そんな、そういう質感に変わってったかな。
で、気がついたらもう紐とか言わなくなってた。
そうなんだよね。
でも人に自分を紹介するとき難しいんだよね、逆に。
この3次元世界で肉体を紹介するとき、紐ですとか、芸人やってますみたいな。
そういう言葉を使ってるけど、何かそれすらも本当はいらないよなって最近思うようになって。
自己紹介ここにいますみたいな、そういう。
それぐらいの感じでいたいんだけど、でもやっぱこう会社とかにいるとどうし、
ちょっとした仕事とかしてると名乗んないといけないし、
名前とセットで肩書きも必要だしみたいな。
でも気持ちとしてはもうここにいるよっていう、
青山テルマなわけですよ、気持ちとして。
青山テルマ?
でもていう感じかな、質感としては。
うん、うん、うん。
そう、だから神社でもね、神社でもいつもこう唱えてる言葉があるんだけど。
うんうん。
覇気清め導き給えっていつも言ってんだよね、自分の中で。
うん。
自分を、そのまま全部クリーンな、透明な感じなんだけど、
どっかに導いてって、みたいな、導いてってというか、
何かにこう、何だろうね、
能動的でも、受動的でも、主体的でもない、すごいニュートラルな、
ニュートラルな言葉の一文としてその言葉をね、
神社ではいつも言ってますね、僕は。
うーん。
うん、そう。
でもそんなことしてたら、ひもって言ってなかったね、もう。
うんうん。
青山テルマになってたら、気がついたら。
青山テルマ部部長ですか?もしかして。
そうです。
ここにいるよ。
でもなんかね、今聞いてて、いろんなこと感じたんですけど、
まず、ここにいる予感はすごいわかります。
なんかもう、何やってる人ですか?とか、肩書き何ですか?とかってあると思うんですけど、
もうそれが、私だったら、え、須藤美雪ですけど、何か、みたいな、
多分そういう感じなんだろうなと思って、
すごいわかる、なんかもう、ここにいるよ、みたいな感じだったら、
1日一緒にいてもらったら、何なのかわかりますよ、みたいな、
そういう感じなんだろうなって思ったのが1個と、
もう1つは、ひもアファ時代と、アファもしません時代は、
ひもアファ時代は、やっぱ前提が、ひもじゃないっていうのが多分あるから、
ひもアファとか、ちょっと頑張って瞑想を続けるとか、
それによって、初めて維持できるみたいな質感だったんだろうなって思ってて、
でも、アファいらんよ、みたいな時は、
もう日常のいろんな、一見些細な行動とか、習慣とか、ルーティンが、
すべて、大半は、ひもですっていうことを思い出す、
アンカリングみたいな感じになってんだろうなって思ってて、
ないっていう前提だと思い出すにならないじゃないですか。
ないわけだから。でも、もともとひもっていう素地があるから、
それを繰り返していくたびに、当たり前に、ひもだなーみたいなものを思い出していくっていうのは、
なんか、やっぱこう、私最近思う、最強のアファメーションって、
やっぱ言葉じゃなくて、非言語とか、環境とか、ルーティンの中にあるなーって、
言葉ってやっぱり、5次元以上から、4次元の時間を通過して落ちてくるのが、
言語っていう3次元だと思うんだけど、
言語にすらしなくていいっていうのって、やっぱり4とか5次元以上だから、
もっとなんか早いっていうか、同時の領域に、
このひもという概念が、輝き場の場合はやっぱもうある感じだから、
思い出すですらもうないのかも。
常にシュンって、もうひもっていうのが当たり前にビューって入りすぎて、
そうね、ひもが、そう、そうね、ちょっとこう、引っ張るといる感じ。
うんうんうん、なんか普段からここにひもくっついてるけれど、当たり前すぎて、
忘れてて、たまに違うコード取って、あ、ひもやった、みたいな。
うん。
なるほどね。
なんか、今話聞いてて、
私の過去、私もかつて働いていた時期があるわけなんですけれども、
働いていた時期の同僚が、私の生活、それこそ給食してた時とか、
社員から業務委託に切り替えて、働き方自体を変えて、
住まいも自然に近いところに変えた時とか、
その節目節目で、その人と話した時に、めっちゃ羨ましがられるんですよ。
うわ、いいなーみたいな。
でも、その生活したら元に戻れなさそうだなーみたいなこともよく言ってて。
よく聞くわ、そのセリフ。
でも、元に戻れなさそうだなって、
これもう、その人自身が、無意識にでも、
今のスタイルが自然ではないっていうことを、分かってて言ってますよね。
元に戻れ、別のスタイルをとったら元に戻れないようなものって、結構不自然じゃないですか。
確かに、不自然なことを告げてるってことですよね。
そうそう、ある意味パワーを使ったりとかしてたりして、
その辺も結構、本当はやっぱりひも的な生き方というか、
宇宙に委ねる生き方が、命とかにとって自然だなって、
その人自身が理解してるかどうかはさておきだけれども、
無意識で分かっちゃってるんだろうなみたいなところとかで、
結局みんな、やっぱ分かっとるやん、自分のことみたいな。
なんか、よく思ってたんですよね、それ。
で、別に私から、
じゃあ、そんなったら、自然に近い生活とかしたらいいじゃないですかとか、
多分言ってたこともあるけど、
今の生活、じゃあもう明けるまでやりきってみたら?みたいな方が、
いつか、もう元に戻れなそうみたいなことを言ってる人は、
しかもこの時代の変わり目なんで、
生きているうちのどこかで、強制的にポーンって、
もう戻らない前提で、そっちに一気に振り切っちゃうとかあるかもなって。
なんか感じたんですよ。
その時に、肝見習い、肝諸談、それ以上が、
さまざまな形で、きっと、眼差しを差し伸べるんでしょうね。
そうですね。
なんかね、手を差し伸べるイメージじゃないんだよな。
なんかね、見守ってるっていうイメージを受けました。
そうかもね。
そういう意味で、テルマ、ここにいるよって。
いるだけって。
テルマいるよ。
いるだけでいいだろうって。
そう、そういうことなのよ。
いるだけでいいのよ、ほんとに。
なんかまあ、紐が当たり前になってる人たちが、
自分たちはもういるだけでいいのよって思ってたら、
人にもそういう在り方を許してるじゃないですか、前提。
あなたはいるだけでいいよ。
そうなったら、もうマジでラブ&ピースな感じしますよね。
ほんとそう。
なんかね、このパラダイムで、この三次元でも、
圧倒的な三次元的な何かを見せると、
みんな紐に憧れると思うんですよ。
そういう紐の在り方を体現してる三次元の覇者みたいな人って、
あんま今いなくないみたいな。
わかんない。
いなーい。
ギャルになっちゃったけどね。
いなーい。
ギャルになってきちゃった。
おもてにいなくない?
いないよね。
いなーい。
あたちっちいらない。
知らないよね。
知らない。
ログモデルがみんなさ、紐じゃない人がやってるからさ、いろいろ。
そうよね。
なんか、本人はちょっと紐っぽい感じだと思ってそうだな。
でも、なんか見てると違うなみたいな、やっぱマッチョ感が残ってるなみたいなものとかもあって、
たぶん、紐としてのログモデルがあんまりいないっていうことは、
結構定義付けが難しいし、されてないし、できてないのかなって。
たしかに。
なんか気がする。
定義付けね。マッチョ感。
マッチョ感。
なんかそれこそ、紐が自らサーフボード持ってきて、
すっごい高い波を自ら探しに行って乗ってるみたいな。
勝手にね。
そうそうそうそう。
いるだけで。
そうそうそうそう。
なんかね、ありますね。
まあ、なんかこれは、私もちょっとまだわかんないけど、
結構最近、時代の変わり目みたいなことを、いろんな文脈とか立場とかから言われてたりする印象があるんですよ。
生き方とか、スタンダードがそもそも大きく変わっていくみたいな。
めっちゃ努力して、ピラミッド階層上がっていって、みたいなとか、
そういう遊び方から、もうスルッと簡単にかなっちゃうみたいな。
軽くていいんだよーみたいな。
はいはいはいはい。
あって、そこが、まずイメージがあんまり湧いてないから、
なんか、ロールモデルとして選びづらいのは、
なんか、自分との親近感が持ちづらい。
だからその、変わった後の結果の姿だけだったら、
はてなだと思うんですよね。
なんかただ、こう、ちょっとあれですよ、
なんか一時期、YouTuberとかが、
好きなことを仕事にしようみたいな広告とか飾られてたけど、
あれはみんなができるわけじゃないよねって言われてたのと、
たぶん近いイメージ。
なんか、特別な人だからでしょう、みたいな風になりやすいのかなと思ってて、
で、これがおそらくだんだん、
なんかめっちゃこう、努力するとか、
そういう生き方をしていた人が、
なんか徐々に徐々に変わっていくプロセスが開示されていくことが増える。
結果だけじゃなくて。
いろんなことをこう、試行錯誤しながら変わっていったみたいな、
なんかナラティブに人は引きつけられていって、
それで私も、できるのかもいけるのかも、
ちょっと一歩踏み出してみようかなみたいな感じで、
みんなでノアの箱舟乗り出すみたいな。
で、さらにその先、私の考えですけど、
なんか軽やかにサクッと叶えようも全然いいと思うけど、
私はなんか、もともとのめっちゃこう、
努力して頑張って叶えると、
どっちも選べるっていうのが一番自由かなって思ってて、
なんか軽やかがいい、
これまでのやつは重たくて古いみたいな感じも、
ある意味ちょっとこう、分断を生む気がするから、
どっちものやり方が選べるようになってるっていう人が、
これからの時代のリーダーだったりとか、
ある意味ロールモデルになれるような気がした。
なんで私が急にこんなことを言ったのか、
私もよくわからないんですけど、
急になんか降りてきたから、そう思うらしいです。
そうね。
みゅみゅは今、脱皮しようとしてるのかな?
うーん、そうかも。
ひもとして。
そうだと思います。
なんか、今の状態を、
なんか、いい感じだね、順調だね、みたいなふうに言われると、
本当に大丈夫なのかな?みたいな、これまでのパラダイムの感覚があるし、
だから、逆に何か言われたほうが、むしろこれまでのスタンダードだったから、
見慣れた感じ?言い心地がいい?
むしろ言い心地がいいとすら、たぶん感じていたから、
いろんな人の意見とかをね、たぶん吸収してたんだと思うけれど、
でもなんかもう、人からのアドバイスが当てはまってない、
当てはまらない状況というか、今現在地になってきた気がするから、
これはもう、自分が自分の答えとタイミングを知っているっていうことを信じて、
確かに脱皮、ヘビ年ですしね、今年。
うーん、そうだった。
ヘビ年ですし、脱皮のタイミングなんだろうなーって、
思うですよ。
そうですな。
流れに乗ると、シンクロニシティが起こりまくると思うんだよね。
それもね、今日ね、聞きたかったんですよね。
今日のトピックには採用されなかったテーマ案に、
シンクロニシティ同時多発現象爆発で、
ワンネスバイブ数上げ上げ?びっくりっていうね、テーマがあって、
これ、こういうことにつながるってことですよね。
こういうことでね、僕のね、まだ全然非猛暑談に入ったかどうかわからないですけど、
そんな感じなんで。
これを一回経験し切ると、初段いけるかも。
あー、なんか、シンクロニシティ盛り盛り爆発を一回経験すると、
また新しい、考えてもみなかったことが出てきた時に、
それこそサレンダーの本みたいな感じだと思うんですけど、
頭の声では、こんなことをやってもしゃあないだろうみたいなことを言いつつ、
口からはやりますって言ってるみたいな。
また、またそのパターン化みたいな、こう、
パターン化は一回されそうですよね。
されそう。
あ、じゃあもうされますね。されそうって言ってるから。
されそう。なんかね、そう、なんか流れ、流れ入っちゃってんなーみたいな。
流れ入っちゃってんなー。
そう。
へー。
そうね。でも一回これを体験し切るとなんか、
そうね、今みみが言ったように、再現性を持てるんだろうね。
うん。
紐の流れを。
うん。
自分の中で再現性が持てるようになったら、
こうやってラジオっていう電波を通じて、
人類に対しても英知として転換できますよ。
うん。確かに。
うん。
そういう番組だしね。
そうそう。実はね、実はそういう番組でやらせてもらってますから。
そうです。超実践的なんでね。
超実践的。
ね、あの、着々とね、このラジオのファンの方が増えていただいてまして、
はい。
ありがたいことに。
ありがたいことに、あの、ますますね、我々も実践の日々でございますので、
アップデートしていきつつ、
皆さんのね、実践とかもね、もしどこかで伺えたりとかできると、
より英知は英知として磨き上げられていくと思うので、
そういうのもちょっと今後あるといいですね。
ね。そういうお便りもお待ちしてます。
はい。すごいね、あの、このラジオ面白いのが、
ファンの方が個別でお便りをくださるっていう特典があって、
そうなんです。
実は聞いてますってね。
そうそうそう。ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ、そろそろ締めていきますか。
はい。
超実践的ひも理論では、
宇宙、真相心理、内的世界といった意識の本質に関するテーマを配信しております。
このチャンネルのプロフィール欄からお便りを募集しているので、
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コメントも全部読んでいます。
チャンネルのフォローもぜひよろしくお願いいたします。
それでは皆さん、またお会いしましょう。
レッツヒモー!
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