00:00
――人って、変われると思う? ――いや、変われると思いますよ、そりゃ。
――結構、思ってもない考えが返ってきたな。 ――なんで? みんなそう言うんじゃない?
――俺はね、そこまでね、こう、でっかい、まあこれでっかいね、問いってね、結局ずるいからあんま好きじゃないんだけど、なんでもないし、あなたにとって何々とは何ですか? みたいなのとか、ほんま全部やったほうがいいと思ってないけど、でもなんかこう、人って変われると思いますか? っていうことを最近すごい考えてて。
――あーそうなんだ。 ――うーん、なんか結局のところね、変わられへんよなーってね、自分のこういう人生に対しての定念みたいなのがすごいあるなっていうことを自覚するっていうことでもあるんやけど、あーなんか難しいなーっていうことを最近考えてるんですよ。
――あーそうか。まあ変わられへんなーって思うところもまああるよね、当然。これはもう自分はもうどうしようもないから、変わられへんからやり方を変えるみたいな。それは変わるうちに入らへんのか?どうなる?
――どうかなー、変われるかって言われる問題に関しては、まあ多少はそこそこ、この問いを人の中身的な部分というか、真の部分みたいなものに置くと非常に難しいなーとは思うんだけども、それが変わるっていうことが例えば少しの行動であったり、少しのそのアウトプットの仕方なり、人との付き合い方だったりっていう工夫で、ちょっとこう
動きを変えれるっていうぐらいのもんであれば、人は変われるとも言えるかなーとは思ってるんだけどね。 ――あーそうね、ちょっとそれぐらいの希望感で考えてたな。 ――うーん。
このポッドキャストでいろんな、今日もそういう話になると思うけど、僕はそういういろんなことを考えて話す、このなんとも言えもやっとしたところを言葉にしながら考えていくっていうことが、何回方向に行くと思ってやってるんですよ。 ――うんうん。
で、それは多分そういうふうにしてったら、それこそ人は変われるというか、社会とか人間は良い方向に向かえるというふうに思って、でもただ真面目にやるだけだったら勉強すればいいから、そこをこうユーモアといろんな角度を交えながらやっていくっていうことを目指してるんやけど、
でもなんかこう、人によってはこう難しいことを話してるっていうふうに捉えられることも多分あって。 ――うーん。あんまり雑談っていうものではないかもしれないですしね。 ――難しいことを話してんのかなぁ。
03:01
まあでもなんか、たまにこう、リスナーさんとかさ、同じポッドキャストでやってる同業者の人に会うと、結構その、心のスマッシュ聞くときはよし聞くぞという心持ちで聞きますっていう人多いけど。 ――うーん。カロリーね。 ――うん。そうね。なんかこの流しギギとかっていう人も、まあいるにはいると思うけど、まあこのしっかり出して聞くぞみたいな気持ちで聞きますみたいなこと何回か言われたことありますけどね。 ――うーん。そうね。
だから多分、だから込めてるカロリーみたいなもんは高い気はするな。 ――ふふふ。 ――そうね。だから多分そこもそういう、なんか人に影響を与えるもんっていうのを、まあ僕はこれメディアだと思ってやってるから、心のスナジって。 ――あー。なるほどね。 ――そういうもんをやらなければ、発信するにはそういうものじゃないといけないっていう感覚なので。 ――うん。
だからそこは人は変われると思ってるし、良い方向に行こうとする中で発信するっていうことはそういうもんだっていうところがあるとは思うんだけどね。 ――うーん。 ――うん。
で、そのカロリーが高い原因っていうのも、その方向がさ、いろんな方向に行けばいいなと思ってるからさ。ここの道がこうですっていうふうに言わんことがやりたいから。 ――うん。
なんかいわゆるナレッジ系のポッドキャストみたいなのとか、勉強系のポッドキャストとかって日本にもいっぱいあって、まあそういう方が強いやんか。 ――まあ、そうね。 ――でもなんかそれのさ、素晴らしさとその面白くなさみたいなのってあるやん。 ――うん。
それって興味ある人が興味あることを言う、興味ある人だけが興味あることだけを聞くっていうんてさ、僕からすると面白くないんだよねー。 ――うん。
まあね、重要と供給としてはすごい良いとは思いますけどね。 ――うーん。学ぶっていうこと自体はすごい大事なステップだと思うんすよ。変わるためとか、良くしていくためっていうのに対して。
でも、興味あることを興味ある人だけが聞くっていうことって、僕からすると、前提の考えはあってるけども、その人は変われない理論にちょっと繋がってくるっていうか、
何か人が変わるっていうことに繋がるもんではないなと思ってもらうんだよなー。 ――あー。
うん。 ――興味あるものを聞いてるだけであって、興味が増えてるわけではないから。 ――ないやんか。 ――興味の方向性が広がってるわけではないってこと。 ――うーん。
やっぱその、まあこれ考え方の違いなんだけどねー。これ幅っていうのが、僕は人の面白さを作ると思っているという思想の元なんだなーっていうことを今話しながら思ってたけど。
うーん。 ――まあまあまあ、そうね。幅を、興味の幅を広げましょうっていう目的では確かにやってないでしょうからね。 ――うーん。
幅だと思うんだけどなー。これがなんで幅なのかわからないけど。 そういう話をね、今日はしていきたいなーと思っております。 ――はい。
06:08
この番組、心のすな字は、様々な文化や日常の気づきをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャークくんです。 ――はい、そして私が寺田です。よろしくお願いします。 ――ということで、今回も始まります。心のすな字。
だから、ほんま見た瞬間、俺はランディ・サブウェイジみたいになってますね。 ――あんまおらんけどね。派手さ引き出しにランディ・サブウェイジしてますね。 ――ランディ・サブウェイジみたいな。
で、やっぱ天竜とランディ・サブウェイジって試合もいるよね。 ――心のすな字。シャーク。
引き続き、人間は変われるのだろうか。 僕たちがやってることも、人間に何か影響を与えたい。
つまりは、人間を変えたいっていう欲望の下やってるっていう話をしたいなと思うんだけど。
一番初めに思うところで言うと、例えば自分たちが話している中で、ジェンダーに関わる話。
ジェンダーに関わる話っていうのをいろいろやってきてると思うんだけども、いわゆる僕たちが清田さんとかの本を読んでたとか、他の竹田佐々木さんの本を読んでたとかで、
主に向き合う男性性の問題みたいなところで、立ちはだかってくるやんか。
そうですね。 ――そういう男性学とかの話を読んで、僕のフェーズとしてはひたすら
自責の根を持つっていうところが結構大きくなってるのね。 それはね、どうしても今のジェンダーバランスだとそうならざるを得ない。
そこは無自覚なところをすごく認識していくってことで必要だと思うし、それがどう成り立ってるのかって思うと、基本的には資本主義的な構造の中に、
そういう言ったらマッチョ性みたいなのが、そもそも埋め込まれてるみたいなところもあったりとかしていて、
まあそのシステム、でかいシステムの話と、そこに巻き込まれてるっていうことに要因があれど、ただ行動を行ってるのは自分なので、
そのすぐできることとしては、割とこう自責の根を抱えてしまうっていうところに陥るところがあって、
まあそうじゃないよっていい感じにさ、いろんなことを書いてくれたりするんだけども。
まずは意識するとか自覚するっていうところがさ、1ページ目やん。だからどうしてもそういうことが最初に来てしまう。
で行動を起こすのってやっぱり難しいし、特にまあさっきシャークさんがおっしゃってるみたいな社会ってガチガチにマッチョやから、
その一人が変わったところでやっぱり順応できずにただしんどいだけになっちゃったりするし、
09:00
難しいんですよね、そのアクションにまで持っていくっていうのが。だからなんか自責のまま止まってまうみたいなことは僕もめちゃくちゃよくありますね。
なんかそこで思うのは、具体的に行動であったり、このシステム自体を変えるっていうアクションもできる限りは参加していきたいと思うけども、
やっぱりどうしても単純に自責のねんっていうところに囚われてしまっているところもあって、向き合うのは自分の過去の悪行とかさ、そういうところにすごい目が行ってしまって。
なんかそういうところを見つめていくと、本当に僕は例えばなんか本を読んだり話を聞いただけで、知ったけども変われるんか?
っていうさ、変わられへんやろ?って思ってしまうっていうところが、この話をしたいなと思った時に湧き上がってくる気持ちとしてあるっていうことなんやけど。
ああ、そうやな。え、でもその例えば過去にこういうことをやってしまったなっていうようなことを繰り返してるって感じもあるんじゃ、今。
うーん。うーん。
それはないんじゃないですか、意外と。何かしてたことをやらなくしてるってことって、なんか変わった感あんまないかもしれんけど。
うーん。少なくともこういう言動はしなくなったなーとかそういうのって変わったの中に入りにくいですかね。
まあでもなんかさ、したくないと思ってもポロッと出ちゃうみたいなことがあるやん。
まあねー、それはまあ正直あるな、まだ。
すごいやんのよ。うーん、なんかそういうのがね、出ちゃった時にね、すごいショックを覚えるんやな。うわっ、やっぱ俺自分無意識の中ですごいまだそういう差別意識みたいなの残ってるわ、みたいな思ったりとかね。
ああー。
うーん。
そうやな、なんかでもこれは余ったれた考え方なのかもしれんけど、でも、今の良くなかったなって思ってること自体はもう変わってると思うねんけどな、ある程度は。
まあそれはゼロにするのが一番いいとは思うねんけどなー。
うーん。
そうやなー、でもなんかさ、あの、寺田がそう言ってるより非常にありがたいし、その考え方も頭の中にはあるんだけども、具体的なんで言うと、
例えば僕その、こういう会話の中で、まあよく喋るし、あのいろいろ、例えば仕事の中でも喋ったり関わる人間の中で喋って、まあそういうたわいのない話をしたり、面白い話をしたりみたいなね、コミュニケーションを取るわけだけども、
なんかその中で、僕基本的には使いたくないし、使ってる人、うって思うんやけど、話してる相手の人を例えたり、何かこう言う時に、女って言ってしまう時があんねん。
あー、なるほどね。
何々な女になってるやん、とかさ。
あー、はいはい。
ツッコミ的なところ、まあちょっとね、それは、ファニーなニュアンスを含めたい時に、大体現れてしまうんやけど。
12:05
うーん、なるほど。
なんかその度に、で、その時自体は、例え的なことで言ったら、その場自体は笑ったり受けたりするわけ。
まあまあ、そうやな。
うん、だからすごいそこってこう、多分それは自分の首まで使ってる、そういうお笑いのツッコミ文化的な、反射神経的に何かどっか求めてしまった、そういうワードが出てしまうセンスみたいなのが自分の中にあって。
あー、まあそうやな。
なんかね、でも、それはね、あるし、まあ僕はその女っていうワードではないけれども、まあちょっとわかりやすく同じ言葉を使うとして言うと、
それ、今この言葉、女って言葉は使っちゃうのはアウトやけど、でもこの一言言うのがバーンってウケんねんっていう、めっちゃわかる時に、ウケというかその場の空気の流れとして言っちゃうみたいなことはあるんすよね、なんか僕の中でも。
なんか言うの良くないなって思ってても、この一言を差し込むことによって多分めちゃめちゃウケるし盛り上がるっていうのがわかってるから、なんか言っちゃう。
そこのね、欲望に勝てないことってあるよね。
そうやな。
うん、ウケたいという、これを言いたいという欲望に勝てない時があって、でも言った瞬間すごいうわって自分で思って。
で、まあさっき寺田が言ってくれたようなフォローで言うと、ただ自分の意識とかの中では変わっている?
こう言って嫌って思うとか変わってるかもしれんけど、その言われた相手とかさ、そこにいた人に関してはさ、完璧にそんなことは別に知らんわけやん。
俺がそういう言葉に対してダメだと思ってるとか。でもそういうふうな振る舞いをしちゃったら、あ、そういうもんなんだって思ってしまうやんか。
そうやな、本人が葛藤してることなんて伝わってないからね、ウケない。
そうそうそうそう。だし、まあそういう行動が生まれることで、そういう問題があるわけで。だから、その場においては全然僕はさ、そういう加害者側になってるから、
何を自分の葛藤とか、僕は変わりたいってこととか、でも行動としてはさ、その場ではそれしか出てないわけだから、そういうことをしてしまう時点で全然変われてないやんけ、みたいなさ。
っていう嫌だみ?みたいなのにぶつかったりするんだよね。
なんかな、そうやねんな、それ言っちゃったらもうイコールなんよってなるのがめちゃめちゃ苦しいな。その中、注釈とかつけれたらいいのにね。
今のは非常に差別的な表現を含んでいますよ、わかっててねみんなみたいなさ、その注釈がつけれればいいんだけどできひんから、日常生活。
だからイコール、自分がちょっとなんかこう、良くない発言をした時に、そういう思想を持ってるのと同じレベルの触り方をしてしまう。
15:04
差別的なニュアンスを含んで発言をしてしまった時に、そういう差別的な思想を持ってる人と全く一緒やからね、周りから見たら。同じ振る舞いやから。
いやそうなのよ。振る舞いの集積がそういうことやからさ。
なんかすごいそういう時にね、自己嫌悪に落ちるんだよなぁ。
うーん、そうやな。なんかどうなんやろうなぁ。どこまで、僕なんかどこまでみんな傷ついたりしてるんやろうってすごい思ってまわんねんな、そういう時に。その自己嫌悪もあんねんよ。
だから一回さ、これって多分その自分自身のモヤモヤがずっと残るじゃないですか、自己嫌悪として。
それを晴らしたいっていう気持ちも多分あって、なんか一回相当、結構きついこと言っちゃったなみたいな瞬間があって、
後から傷ついたかもしれへん友達に、ちょっとあの時ああいうこと言っちゃってごめんなっていうことを言ったら、全然気にしてなかったわ、そんなこと言ってたっけみたいなこと言われてることがあって、
あれ、みんな意外と気にしてないんかなぁみたいな。考えすぎなんか、みたいな。
いやでも、言われた側はそう言うしかない。それもまた一つの反射っていうのもあるよね。
まあ、ほんまずっと気にしてても、いや全然気にしてなかったで、みたいな。
って言うし。
振る舞いをするのが正解やからってことか。
うーん、っていうのもあるし。で、その時自体は気づいてなくても、ふとそういうのってやっぱりダメージにはなってんのよ、無自覚でも。
ああ、後から思い出したらあんなことも言われたなってあるかもしれへんし。
うーん、とか、思い出さなくても喰らってるもんってあるんよ。それって本人の意識じゃなくてもね。
大丈夫って思ってても、そういう扱いを受けてるっていう、例えば人がいたらそういうふうに見えるし、ダメージには絶対なるんよね。
そうだよなー。
うーん。
なんかもう境界がわからないんですよね、最近そういうの。
うーん。
人がなんかこう、例えばファッションとか見た目、髪型とかを変えた時に、なんかそれに触れていいんかとかって、最近めっちゃ悩むようになってて。
ああ、思う思う。
うん、なんかこれ触れたら良くないか、見た目のことをそんなずけずけと言ってくんの良くないよなって思ったりして、黙ってたら別の人が来て、「あ、髪型変えたらめっちゃ苦手んなー。」みたいなこと言って、「ああ、ありがとう。」みたいなすごい嬉しそうにして、「ああ、言った方が良かったか、これ。」みたいな。
うーん。
言っても良かったやつか、これ。みたいな。もう分かりにくくなってきてるよな、ほんまに。
いやでも、それが正しいのよ。本当に人と向き合うっていうことは、そこの葛藤から変えることでも多分あんのよ。
うーん。
それが、今までがおかしかっただけで、それでいいんやと思ってるんやけど。
でもまあ、そうするとやっぱそのシャークさんみたいに一個一個葛藤して自己嫌悪する時間っていうのがものすごく必要になってくるっていうのも事実ですからね。
18:10
確かにこう、なんか人間は変われるのか、まあそういう生まれたものを、埋め込まれたものを剥がす作業のしんどさというか。
なんていうかな。例えば50歳の人が今から変わるかって言われたらなんか無理そうな感じするやんか。
難しいよね、多分。変わるのは難しくなっていくかもね、年々。
ちょっとこれは感覚的な話をちょっと擦り合わせてみたいんやけど、パッと思いつく50歳の大人が、これから人間の心的な部分が50歳から変われると思う。
で、変われるとするならそれパーセンテージ的にどんぐらいの確率だと思う?
あー、まずそれに対する回答を言うと、変われるとは思う。ただ、変われる人は30%ぐらいかなと思う。
で、僕が思うのは、変われるっていうか、まあ変われるって言うとなんかこう一個の目標に向かって俺は変わるぞって言って、変わるのはもっと少ないと思う、僕は。
10%とかぐらいしかないと思うけど、なんかその変わる人、自分の自覚なくあの人なんかちょっと変わったよねっていう。
なんかそういった意味で変われる人は30%ぐらいいるかなっていう感じがしてて。
ごめん、ちょっと後者の方がよくわからなかったんやけど。
なんかその自分の目標に向かって変わってるとかじゃなくて、人間として心から変わったなっていう。
僕の母とか、1回50代ぐらいの時に病気して、病気の前後でめっちゃなんか変わったんですよ、いろんな考え方とかが。
それは本人がこういう人間になりたいって言って変わったわけじゃなくて、なんかこう自然と人が変わったんですよ。
っていう意味で、心から変化することはあると思う。それは変われるっていうか変わったってこと。
ただ、自分がこういう人間になるぞって言って変われる人は、自己実現的な意味で変われる人は10%ぐらいしかおらんかなって思うね。
うーん、まあそう思うよな。まあだいたい同じような考えやから。
50代に到達するまでの蓄積によって得られたコミュニティ、得られた対人関係、得られた仕事で生きるわけやから。
なんかすぐにシュッて戻って参るような気がするんですよね。結局以前の自分の生き方に。
うーん、うーん、うーん、そうなー。
自分一人で変わろうと思っても、周りにやっぱ流されて参んじゃうかなって。
それは多分今もそうなんですけど、より年代が経てば経つほど強固になると思うんですよね。
そうそう、多分だからそこが僕も30代、もう31ですから、になって、
21:00
今の日本の社会的には多分まだまだ若者っていう扱いをされてるんだけど、
でもこう自分の自覚としてはやっぱ20代前半ぐらいからさ、まあ正直感覚は変わんないまま切れたのね、20代後半って。
それが多分こうなんか書くときとかに関して、あ、自分って30代なんだっていうことをすぐ自覚していってて、
で、そこで多分怖いんだよね。
こう、このまま俺行くんか、行けんのか、みたいなさ、こう理想の大人みたいなのに変わっていけんのか、みたいな。
ダメな大人たちばっか見てしまうやん、基本的には、と思ってんのよ僕は。
そうね。
年上の人どっちかというと関わること多かったし、リスペクトしてる部分もあると思ってるんだけど、
でも基本的にはやっぱ大人、やっぱ50代とかの人とか、自分よりこう2世代ぐらい上の人らって、
え、すごいダメだなって思ってるとか多分あって。
ふっふっふ、うーん、まあまあそ、ああ。
そう、そこに自分が立ててる理想的なもんみたいなところに変わっていけんのか。
そこで見つめると自分自身にもすでにそういう回路はすごく内蔵されてて、動いてると、その回路が。
ああ、よく言うけどその、周りのコミュニティがそうやったら自分もそうなっていくみたいな話ってやっぱ。
うーん。
ほんまにあると思うんですけどある程度その、自分の耳の周りで、
あ、この人は割と自分にとってのこの理想の大人層に近いなっていう人いるんですか?シャークさん。
それぞれダメな部分はあるなと思ってくるし、深く付き合った大人たちとか、それぞれダメな部分もあるけど、
ある程度ちょっとロールモデル的なところは、
あ、この人のこういうとこいいないいなみたいな、組み合わせてったら概念としての理想みたいなのもなんとなく見えてきてるよ。
ああ、そういうことか。いやまあでもそれはそうやねんよな確かに。
この人のこの部分とこの人のこの部分とこの人のこの部分っていうふうに。
でもそれを全部合わせ持つことって可能なんかなっていう。
なんかみんながそれぞれ自分の優先すべきことを優先して、
習得して、犠牲になってる部分はちょっと人としてダメだなっていう部分になってんじゃないかっていう。
だからなんか、僕の友達とかも結構もう今ぐらいの年代になってきたらやっぱりいろんな生き方を選んでる人がいて、
いろんな時間の使い方がみんなそれぞれ違うから、
なんやろうな。やっぱその咲いてる時間によって全然違いますよね。仕事にやっぱ咲いてる人はすごく。
まあやっぱ稼ぎも良かったりとかキャリア積んでるけど、でも言ってしまえば話してて面白くないとかはあるじゃないですか。
別に新しい本とか、なんかそういうものに触れたりも一切してないし。
だからなんかその、結局みんな何を優先して何を犠牲にしてるかによって、
人間形成って変わってくるからその、全部を得る理想の大人っていうのは一生架空であり続けるんじゃないかな。
24:02
目指すことはできるけど。
まあそこは根本の考え方の違いだよね。
なんか僕やっぱそれ、たぶんすごく自分がロマンチストだという自覚もあるし、半分すごく冷めているという自覚もあるけども、
そこも僕はやっぱやるしかないでしょっていう感じで思ってる。
うん、いやそれのスタンスはめっちゃ大事だと思うんですよ。
っていうところだから。
まあでも分かる。同時にその寺田が言ってるような、いや実際問題としてそういう時間がないからそういうことがあって。
まあそれこそシステムの話に行き着いちゃうんやけどね。
そのシステムの中で生きるためには無理なため、その人自身の人格としてこの破綻したところが出てきているとかいう歪みだと思ったりするから。
そりゃそうなんだけど、まあでも一個人としてはな、やるしかないやろって思うしかないからなっていう風に。
だからそういう理想のロマンみたいなのをどう実現していくかっていう感じでコツコツやるしかないのかなっていう感じかな。
いやそうやな。いやなんかさ、全部ほんまに理想の大人を目指しますっていうスタンス、たぶん僕もそっち寄りなんですよ。
時間は有限なんで私はこれを優先します、これはもう犠牲にしますっていうのって、なんかすごくビジネスライクな感じがするっていうか。
なんか自己啓発も読んでるような感じというか。
そうだね。
なんか人間らしさがないような気がするんですよ、すごく。
その人間性を習得することすら、なんかすごく仕事的にやってる感じがしてて。
僕はあんま好きじゃないんですよ確かに。
ただ、なんかそれの方が結果効率良くて、全部2等追うものを1等目指的なことになったら嫌やなみたいな恐怖感もあって。
結局全部目指したら中途半端になって終わっちゃったみたいな。って怖いなっていう。
何なんだろうね。僕はなんかそういう、たぶん手綱的なもんだと思っていて、その理想とかそういうものを目指して。
それこそ芯を作るっていうことは、僕のカッコいい大人っていうのは多少何かブレがあっても、この握ってる思想、その人が握ってる手綱みたいなのをずっと握ってるからなんとか保ってカッコいいんだっていうところがあったみたいな感覚があって。
だからそこの手綱を、世間一般から見てたら、ちょっとこれ破綻してるでって思われつつも、その本人が手綱を握ってる、離さないっていうことがたぶん大事だと思ってんのね。すごい抽象的なこと言ってるけど。
本人の中では一貫してるっていうのがあればいいってこと?
その人が持ってる思想みたいなのを握って離さないっていうことだね。諦めないってことだね、理想を。
なるほどね。
っていうのがたぶん大事だと思ってて。それをどういうものを握るかっていうことをたぶん今僕は探していて、たぶん寺田もそう。
27:03
それがその握る綱みたいな、自分の芯の綱みたいなもの、でかくなっていくと、いやそんなん握りきられへんやろってたぶんなるっていうことだと思ってて。
現実的じゃないなってなっちゃうかもしれない。
でもそれでもたぶん、それをつかむっていうことが大事なんだと思うんだよな。
そういうふうにいきたいなと思ってるのね。
それは特定の思想を見つけたいみたいな話ではないの?どういう感覚なの?
いろいろ学んでいく中で、それを自分でかたどって、自分でかたどったものをつかんで離さないってことだよね。
学んでいくとさ、それこそいろんな勉強してきた人とかが作った何かを越えていけるやんか。
だから自分で持ってる綱っていうよりは勝手に降りてくる綱みたいなのがだんだん太くなっていく感覚みたいなのが、まあ抽象的すぎてわからんか。
そこの思想とか自分の生き方とかの話も、みんなさ、頭の中にモチーフみたいなパズナであったりとかさ、本であったりとか、みんなそれぞれ抽象的なものを具体化してるイメージみたいなのがあると思うんだけど。
それが共有できないって難しいかもしれないですね、こういうことを語るの。
そうねー。
素直として考えたことなかったなあんまり。
まあ芯的なもんだよね、初めの言葉で言うと。その人の芯というか、多分思想っていう言葉に置き換えられるんだけど。
なんかそれのある程度の形を作って、でもそれって学んで得たもんやから自分のもんじゃないやんか。
自分から外に出ていくもんなんだけど、ただ自分からそこは伸びている芯であり、ツナでありっていうもんやから、そこを握って手繰り寄せながらも生きるっていう感覚なのね、俺からすると。どう生きるのかっていうのは。
だからそのツナ自体も感覚やからな。
これからまた配信したいと思って考えてるので言うと、過去に何かをやってしまった。まあそこそこまた自分の自責の念みたいな話で戻ってしまうんだけども。
そういう、いわゆるキャンセルされる、キャンセルするっていう話っていうか、過去に何かあった人とどう向き合っていくのかっていうことを改めて考えてみたいなと思っていて。
30:18
今日話したところで続いていくというところで言うと、なんかそれってまあそれこそどっかで線を引く、引かないみたいな話でもあるなと思っていて、なんかそういったこともちょっと考えてみてどうなるんかなって感じなのかなっていうふうには思ってるかな。
許す、許せないみたいな話もしてきましたから、なんかそういうのと近い感じもしますね。
そうだね。ちょっと時間欲しいな。第19回は、振り返って改めてそういう悪趣味カルチャー、老悪的なカルチャー、つまりはお山田慶吾の話をしたいなとは思ってるんですけどね。
ああ、コンディティション。
今、今多分振り返るのにちょうどいいタイミングかなって思ったけど最近。
まあまあまあ。
やっと落ち着いてね、話せるというか。
そうね。
それも多分そういう、言ったら自分の作った思想とか、欲求的な部分と作った思想と憧れみたいなのがぐちゃっとして起きてる歪みだと思うのね。
ああいう悪趣味カルチャーへの距離感とそこで差別的なことを言ったりとか、言ったっていう話って。
だからそういうことをちょっと考えてみると、また今日話したこともより、またちょっと全然違ったね、先に進んだ話とはあるけど、考えれるかなと思ってて。
うん、なるほどね。
なんかそんな話も、うん、今後やっていきたいなと思っております。
はい、というわけで心のすな字は引き続きお便りをお待ちしております。
全ての宛先は、kokonosuna.com、心のすな.gmail.comまでよろしくお願いします。
もしくはSpotify、Apple Podcastなど各配信サービスのエピソードの詳細に載っているGoogleフォームからお願いします。
Apple Podcastのエロい評価も絶賛募集中です。ぜひともよろしくお願いします。
Twitterでの投稿は、ハッシュタグ、kokosunaです。よろしくお願いします。
ツイートしていただく際には、エピソードのリンクも貼っていただけると嬉しいです。
また、本編で出てきたこういう名詞などは、ノートに応募集がありますので、そちらもご覧ください。
ノートのURLも各配信サービスのエピソードの詳細にございます。
ということで、今回も聞いていただきましてありがとうございました。
それでは皆様、ごきげんよう。