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2025-11-18 20:04

第5167回 哲学回髪の毛は自分か爪を切ったら自分でない❓服は自分のようだけどスマホは⁉️

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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雑談・人生・生活・暮らし・おじさん・トーク・愚痴・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・podcast・ポッドキャスト・ネットラジオ・ラジオ・フリートーク・一人喋り・一人語り・毎日配信・まったり・ゆるい・コミュ障・ライフスキル・シンプルライフ・前向き・怒り・残念・ネトラジ・闘病記・日常

サマリー

このエピソードでは、哲学的なテーマとして「自分とは何か」が扱われます。特に、自分の一部だと感じるものとそうでないものについて考察が行われます。ブッダの教えや自己の感覚に基づき、爪や髪の毛、さらには他者との関係の不思議さが探求されています。身体の要素についての哲学的な考察が展開され、髪や爪の存在意義、服やスマホとの関連性についても考えられ、自身のアイデンティティに対する疑問が提起されます。

自分とは何か
今回は哲学回になっております。
では早速話していこうと思うんですが ブッダはですね、処方無我ってことを示すために
こんなことを言っていればしないけど、クラキはですね 自分なんてものはまやかしでしかないって
幻想でしかないって 自分の中にいないんだっていうことを
証明したくてですね こんなことを以前
考えてました。そしてスポッティファイ、ボトキャストで話したことも何度かあるんですけど
人間のこの爪とかね髪の毛 あるいは体の上に乗っかってる埃
そしてまぁ取れたまつ毛 まぁ毛類なんでもいいんだけど
それとか皮膚とか角質なんでもいいんですけど こういったものは自分じゃないのか
感覚的にはまぁ それは取れた瞬間は
あれかもしれないけど爪なんてのはゴミ箱に行った瞬間 行ったらもうほとんど自分じゃない感覚でありますよね
爪なんかもう切った瞬間 もうおさらばって感じだろうけど
まぁ切った瞬間それで自分じゃないというのは都合がいい話であって まぁそれと同じことで
こうやって自分だと思ってるものを自分だと思ってるだけなんだっていうことなんですよね でですね
髪の毛と爪の意義
でもものにもよりますよね爪よりも髪の毛の方がね 自分で感じかせる
髪の毛と爪の違いって何かって考えたら 髪の毛っていうのは社会的である
どういうことかっていうと 高速で
爪早すなとか言われないけど
もちろん眉毛伸ばすなとかね まつげね
まつげ
これクラキだけか今くらい 1年ぐらい前までまつげ取ってたんですけど
わけあって まぁ眉毛切るのは言われるかもしれないね
あと体の角質は取るなとか絶対言われるわけないわけで 逆に取れとか言われるわけないわけで
でも髪の毛は必ず言われますよね 高速で
学校によっても違うけど あるいは髪の毛っていうのは
その人の個性を表す場所でありますよね 女性なんかは眉毛整えたり
まつげ整えたりそれもあるかもしれないけど 男性にとってはねまつげなんてね
逆になくてもいいぐらいなんですよ 眉毛か眉毛とまつげ
髪の毛って男性にとっても 女性にとっても
もう男性だって出身期になったら
こじゃれた感じにしよってするわけですよね 早い人だと物心ついてから
女の方なんてみんなそうなんじゃないかな
適当でまあ親でもいいやってなんないでしょ やっぱり美容室行きたいってなりますよね
田舎者でさえそうですから
いくらかいつもねあの 美容室行って床に落ちてる髪の毛見て
これは自分数秒前まで自分だったし すごい違和感がありましたね
そこなんですよだから 違和感はあるけどでもまぁ
ほうきでバーってやられてああ違うのかってなって 感覚の問題なんですよだからね
もう捨てちゃえば後は関係ないかもしれないけど じゃ腕とか足とかこれは体にずっと
30年40年と密着してあったから自分であると言ってるだけであって そう感じてこれもそう感じてるだけ
でこれは自分で呼んでるだけなんですよ 都合よく髪の毛はもう切ったやつは関係ないから
まあ人間で都合いいもんですよだから だから
虫とかねカエルとかには 命なんてないんだ
意識なんてないんだこれも人間の に都合のいい話だし
この自分には意識はあるんだでもこの髪の毛はもう切って痛みなんかもないから関係ないんだ
でも腕とか足とか 痛みはあるから
他者と自分の境界
これは自分なんだって都合よく捉えてるだけなんですよ でもそれだってその時によって違いますよ
例えば
まあ人によっても違いますよ喧嘩して殴られても いいと思っている人って自分のことをあまりにも大事にしなすぎですよね
でも人間ってある程度自分の体は自分で管理しなきゃいけないっていう 思いはあるけどそれじゃあやっぱり曖昧なものですよね
でも切った髪はもう知らないって なるわけですよ
クラケはですね そのーって不思議だなって感覚がありまして今の髪の毛の話で
ちょっと関係あったんで話しますと その
切る時に痛くなかったのかな 赤ちゃんはあれだろうけど
痛みはないでも 体につってくっついてたもんな
非常に不思議に感じましたね
これは母親なのかこれは自分なのか そして繋がっていた時は自分は母親の一部だったのか
これ生物と人間について考えるとき非常に大事なことで 人間は一応ねこうやって目鼻口って腕足ってあって一人の人間だと考えるけど
それも曖昧なことなんですよね 例えば魚でメシの体内に
くっついて臓器の一部になるなんてあるし ででも途中までは
一個体として生きてるわけですよ 人間だって最初はそうやって親にくっついていて
都合よく まあでも戸籍ってものを持たなきゃいけないから
まあ一人の人間だと国に適当に認められて
じゃあ頭が2つあって体が一つの人間はちゃうと脅すとどうするんだったら これは明らかに
引き続けなければいけない いつまで経っても答えが出ないことですよ
そうなんて答えが出ないんですよだから 人間
まあ一人二人って便宜上言ってるだけであって 自分なんて存在しないんですよねそういう意味じゃ
自分だと思ってるだけで 頭が二人の人間にとってはこの体は自分なのかどうかなんて
判別できないですから 一人なのか二人なのかなんて
他人から見たらわかんないわけですよねこれだと 今の話で言うとですね 赤ちゃんの話で言うと
クラキもこれはちょっと世間の人に問いたいんだけど思っちゃうんだけど 大腸の中にあるもの
まあまあ この動物で言うと寄生虫とかもいるかもしれないし
でも人間ってその寄生虫、アニサキシとか
に対する恐怖心ってないのかなと思うんですよ だって自分じゃないものが体内にあるわけですよ
まあその一方でですね まあでもそれを言い出したら
エンベンダって腸内にあって これなんとももないけど
体から出た瞬間もう触れたくもないし でも体内にあったんだよなって不思議な感覚になることもあるんですよ
人間それはある意味では別物であり ある意味では化学反応が起きて
まあしょうがなくかそうやって体内にあるけども まあ見て海に降るというか
でも体から出たらもう全く別物だと 汚いものでしかないと
思ってですね まあこれのおかげでこうやって循環している 循環というか
食べ物を取り入れてこうやって化学反応が体内で起きてるから生きてるなんていう その意識持たないですよね関係ないものですよね
体内にある時からそういう感覚だと思うんですよ まあ
化学反応気づいたら起きてて でも体内にある時は気持ち悪いとは思わないわけですよね
アニサキスだって クラキアそれはおかしいなと思うんだけど
便はいいとしてアニサキスは寄生虫はね 気持ち悪くてしょうないんですけど
そんなものがいるかもしれないとなってる 普通は腸の中のものは全部は
自分で関係ないと思っちゃってるんだね でもクラキアはたまにありますよ
なかなか取り出できらなくて そういう時って非常に気分が悪いんだけど
もしかしたらちゃんと出てたかもしれないものが体内にあるとすると 非常に気持ち悪い気分なのけど
まああんまりそういうこと気分にならないんでしょうね まあこういうふうに人間は都合よくできてるわけですよ だから汚いとなれば自分に関係ないと
それは自分じゃないと捉えていくら体内にあると でも手とか腕は自分にとって必要だから価値のあるものだから自分と
思える そんなものはそもそも認識さえしてないわけです 寄生虫にしろ便にしろ
角質にしろ腹筋にしろ
汗は汚いから逆に意識するだろうけど 体勢が悪くなったら
まあそれこそ自分にとって不都合なことしかないからそれも意識するだろうけど 髪の毛だってそうですよね
伸びても問題ないのであればイチイチ切らないだろうし
爪って自分にとって関係ないものだとみんな見さしてるかというと
寝入れをしたり整えたり時には巻き爪になって非常に迷惑をこむったり すごい意識はしてますよねやっぱりね爪
クラキなんかもちょっと伸びたらストレスになるから すごい爪は
常に変化しているものだし髪の毛と同じで やっぱり
意識化には常にありますね まあでも
そのなんかもあれは自分なのか クラカちゃんとはいえ
一つの答えとして存在するわけですからでも あれは親なのか
それとも 自我がなければそんなものは一つの答えとして認められないのか
って言っても自我だって単なる概念でしかないですからね あとまつ毛眉毛髪の毛
クラキの耳の汚れなんていうのは耳 まあ
どこって汚いけど耳クソ これなんか自分って感覚あるんですよ耳の中でずっとあるから
なのか とってもたまに手についてたりするからなのか
あと涙 これはなんか感情が乗ってる感じしてなんか別物とは思えないですね
あとタランタラン垂れてきて口の中に入ってきたりするし なんかね単なる排出物と思ったらなんか気分悪いですよね
まあ衛生的かどうかが置いといて まあ別に自分じゃないっていう感じはありますね
鼻水もそうですね 逆流して喉根から入ってくることもあったりするから
やっぱり排出弁とはまた全然別物 排出物だけど
ミヤニはでも なんか
他人って感覚かな
だから唇の 皮なんかはね
不思議な感覚ですよね もう早く取りたいっていう時なんかは違和感ありますがこれは自分じゃない感じもするし
でも自分だろうし 爪なんかもそうですよ
自己認識と身体の変化
髪の毛なんかもほんのせいで前までは自分だったなっていう 違和感はあるんですよ
あと 声利きないですかねあの入試なんか取った時とかすごい違和感あって
血もついてるわけだし 取る前はでも違和感ないんですよねもうすぐ取れそうなのに
取った途端なんか違和感あるわけですよ 自分かどうか曖昧だからですよね
親知らずなんかも取る前から邪魔者でしかないと思ってるんで愛着なんかもないですけど
だからもらわなかったし だから追うとしただけなんか気分悪くないですかね
これ本来であれば自分の態度の一部になったはずなのに 出てしまってる
すごい違和感感じますね黒毛はね でも人間の細胞なんて3ヶ月も経てば
そういう理解するわけですよ それをこれを自分と言っていいんですかね逆に人間だからね
爪なんかも逆に 新しくなってこれを自分と言っていいのか
まあ今の現在の自分ではあるけど3ヶ月前の自分と比べて自分と言っていいのか
だって人間って割と新しいもの拒んだりする時もあるじゃないですか
それで言うと 排出物は関係ないと思ってるけど
体内に取り入れたものを
例えば マグネシウムなんかは骨になるわけですけど
そういったものを 分子レベル原子レベルで言うとそういうことですから
マグネシウムを取り入れて 体内の一部になってるだから
ほんの少し前までは
体の外部にあったものが自分になってる
これも自分だと認識してるだけですよ 体内に入れるまでは
関係なかったし でも排出物になった瞬間それは関係ないってなっちゃって
そうやって都合よくできてるんですよ人間ってのはね
アイデンティティの哲学
カサブタも違和感ありますよね 取れた瞬間
え?これなんだと
なんか愛着があるからだね ずっと長い間一緒にいて
突然ポロッと取れるから違和感感じです 爪は切ろうと思って
カリッといっちゃうけど カサブタはなんか自然と取れるから
違和感あるんですよ ほんの数秒前まで自分だったと
逆にこの服はどうなのか
だって自分とも一体化してるから
自分はどう見られるかってことを気にして服着るわけですよね そういう意味じゃ
髪の毛も同じことですよね 女性にとってはネイルしてる人なんかは
爪も同じですよ
でも服はやっぱり 体の一部ではないですよね
でも髪の毛は体の これもだから微妙ですよね
どうせそのうち着るのにこれ体の一部と言っていいのか
考えてないだけで そして体の一部だと意識してるだけで
こうやって考えてみると 確かに言われてみたら服は
体から分離されているものだけど 一部なのに感じてるから
だからこそ高い服買うごとに価値を感じるわけですよ
着てる間ほぼ自分だから どう見られてるかって
いう面でとても意識しますよね そういう意味で言うと
これ無理あるかもしれないけどスマホ ほぼその人自身になってると言ってもいいんじゃないですか
それないと生きていけないという人にとってはもう心臓と同じだと思うんですよ 逆に心臓なんて生きていくと言うのに
ないといけないものなんだけど 人間やはり目に見えないものは認知できるって
関係ないからね それこそ科学は進歩して体内にこういうものがあるとわかってるけど
これ科学進歩する前から まあでもね
医学的にこうやってここにはこういう臓器があると 小さい頃から認知できるわけですけど
でも普段視覚的に あまり認知しないからこそ
心臓は自分だとかいう意識はないですよね
ドクンドクン言ってるのを聞いて初めてイメージするかもしれないけど 心拍数上がってて初めてイメージするかもしれないけど
そういうのを逆に吹くのが自分って感覚ありますよね だったら話戻りますけど排出物だって
体内で化学変化を起こしてこうやって生きてるのに そだだだ 汚いものでおしまいになってます
ただクラキューはやっぱり難病があって 海洋性大腸炎って難病があるんで
この便でさえ大腸でさえやっぱりね自分て意識あるし 特に大腸なんてのは大人の脳って言われてますからね
でも汚いものは自分とは別物だと考えてしまってる でも
ガンになったりしてキリッキリッとなったら その時初めてありがたさを感じるわけですよ
どうですかねスマホ でも血って不思議ですよね
血を見て出てる現象自体に不安で感じるけどまぁ 指についた
血とか 別に洗っても別に
もうさっさと洗いたいと思うし そういう意味では排出物と同じ
爪なんかも不思議ですよそういう意味じゃ 切った後はただの汚いものだけど
クラキューなんかゴシゴシ手洗いますからねその直後なんて でも切る前は
自分だから綺麗だという 確信のもと
こうやって 連れて歩いてるようなもんだけど
変な話ですよねそれもね
自分で感覚なんですから ついて一緒に歩いてるとは思いませんよね
あとさっき言ったように3ヶ月で細胞入れ替わるのに 不変なものだと思ってるし
3ヶ月で無くなるから感謝しなきゃいけないなんて 考えないですよねだから排出物も同じですよ
こいつのおかげで生きてるんだとは とて思えないですよね
結論ですけど爪とか髪の毛が不毛 自分かどうか考えるのは不毛であると
そもそも自分なんてのはそう ただの概念でしかないと
だからこそこうやって曖昧になるんだ ということですねそれではしたっけ
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